ふろしき王子のブログ◎
出前講座開催☆
http://furoshikiouji.asia
メール isamix@gmail.com
 



二晩、蒲団で寝ていませんが、げんきでおります。
というのも、二日とも深夜から朝まで、
浴槽に浸かったまま眠ってたのでした。

湯量がそう多くないので溺れずにいますが
真似なさらぬよう。

夏は床に寝おち、冬は湯に浸かったまま眠ってしまいがち。
ああはよう、お布団の中で
ぐっすりと暖かに眠り満ちたいものだ。
僕のふとんでは四つの末娘が、枕まで使用して
くーかーと眠りこけている。

おととい、
玄関の外の路地で姉妹がシャボン玉を
とばして遊んでいたのへ、不意に天より「とさっ」と
ピジョンが落ちてき、それを猫が喰わえ去って
辺りは灰白色の羽が咲きみだれた。

それを目の当たりにして泣きながら駆け込んできた
彼女たちも、時とともに今は落ちついている。

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3/3(日)の14時~15時、TBSテレビ
「マツコの知らない世界」での風呂敷の回が
再放送となり、私も出演しています。

マイペースなかんじですが、ご在宅の方は
覗いてみてください。
全国放送ではないので、番組表などをご確認ください。横山功

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ちょいと、とある展示会場へ遊びに行ってきました。

大がかりな機械が多くて、正直ここまでの必要あるのかと思いながら、
もっとも精密で繊細なのはやはり人の手であり、
手づくりの貴さを改めてかんじた次第です。

これからも、風呂敷を結んだり、縫ったりしていきます。

本日訪れた展示会場へ行く途中、千葉県の船橋や市川を
通りましたが、街なかに、松の樹が多く立っていた。
ついひと昔前まで、きっとその辺りは松の生える浜辺であり、
その後埋め立てがあって、現在は街の中に後退したように
見えるのだろうかと推測しました。

埋め立ては時代の要請だったのかもしれないけれど、それでも、、
惜しいことをしたと思う。
広大な干潟は江戸前の海を浄化し、多くの海産物やレクリエーションの
恵みを生み出していた。

春になったら、船橋の三番瀬へ足をはこんでみたい。

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もし東京でオリンピックが開催されるならば、
こんな種目はどうでしょうか。

「キャリーラン」◎

荷物を持ちながら走ります。

・キャリーラン1000mは、
10kgの米袋を1000m先まで早く届ける競技。

・キャリーラン500mは、
20kgの米を500m先へ

・100mは、30kgのお米を

・50mは、60kgの米俵

これを思いついたのは、今朝は
いつもの風呂敷リュックに加えて
味噌づくり用の鍋など、割合重たい荷物を片手に
駅まで走っていたのですが、負荷がふえれば
走り方や持ち方の工夫も必要となってくるし、
暮らしに即している感じが、競技としても有意義にかんじました。



荷物の持ち方は自由でよいです。
片手で持つ。カバンも自由。
両手で抱く。
背中に風呂敷でせおう。
背負子をしょう。などなど、
各国の伝統的な運搬技術や文化も
垣間見れるかもしれません。

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昨晩は、三ノ輪にある「玄」という
すてきなご飯屋に行きました。
友達と3人で。

店主は知る人ぞ知る、ベジラーメンのパイオニアの
玄さんでございます。
20年近くまえに、秋葉原にお店があったときから
行っていたのですが、その後、実家のそばの西浅草や
いまとは別店舗の三ノ輪などへの移店を経るうち、
僕も引っ越して記憶の片隅に泊まっていました。

それが、昨日たまたまのこと、ジョイフル三ノ輪商店街の
オーサムな写真屋さんに教えてもらい、
巡りあうへ至ったのでした◎

小上がり的座敷の隣には、オーストレイリアより
お越しの若者4人グループで、だんだんに打ち解けあい
似顔絵描いたりふろしきで忍者になったり、
撮影もしてたのしう交流いたしました。
それぞれの方の名に、漢字をあててみました。

ケイリー 慧里
レオマ 麗王馬
トラビス 虎美守
ジェイコブ 地榮小舞

僕のめちゃくちゃな英語でも
汲みとっていただいて、感謝しています。

会話が止まっちゃうのも嫌なので、
僕はまず、相手が解らずとも日本語で語りかけて
こちらへ意識を向けてもらってから、
知っている英単語やフレーズを伝えて
対話へ持ち込もうとしています。

彼/女らも、積極的に日本語をつかおうとしていたのが
好感を抱かせました。
そしてやはり、絵や風呂敷、写真、笑顔は
ことばの壁を通り抜けていきます。

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ぽつねんと
取り残されているようで、でも
平成の31年間も変わらずに悠々と流れつづけていた、
線路の隣の空き地の片隅のおがわ。

きっと、ある日ある時までは近くに田んぼがあって、
その前はさらにいっぱい田園が広がっていたのだろう。

あの頃のお姫さまはどこかへ帰省してしまった。でも
おがわは、きょうも今までとちっとも変わらず、
やまぬ敬愛をお水にのせてはこびつづけてる。

姫よ。
貴女が声に出すとも出さずとも、
あのころの思い出を頼りにきょうも私は
悠久の小川として、朝日をはこんでいます。

きっとまたいつか、流れた先が
森と田畑と子どもたちの微笑みで
あふれることをめざして。

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駅の有料駐輪場が遠くなったので、
もはや自宅から脚で駆けるほうが早からまいかと
走ってみたところ、ひと息で走れば
8分くらいで着くのでさほど変わらない。

実家の手つだいで都心さ出張るときなど
何度かそうやって駆けていたら慣れてきたが、
これ以上速度を上げないほうが体にはよいだろう。

息が切れず、会話のできる
早歩きや小走りくらいがよい。
もちろん歩くのも最高だけど、若干の負荷のあるほうが
足腰が目覚めるだろうから、僕が始終
ふろしきをしょいながら歩いているのはしぜんと健康法に
なっているのだろう。

これまでは、息を吐くこと、噴き出すことを意識していたが、
最近は、吸うときに酸素が胸から肩へとひろがって
きもちよい、という新しい感覚を味わっている。

「忍者走り道(どう)」をもっと
探究して行かれそうだ。

ちなみにこの走りだと、金魚鉢を持ったままでも
ほとんど水をこぼさず、金魚を驚かさずに移動可能です。

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ふろしきの最大の魅力は、自分で生みだせること。
帽子もカバンもリュックもポーチも
何もかにも。

その心ですすめば当然、ふろしきの本体自体も
自分でつくるのが自然ともいえる。

風呂敷はレシピ無用の即興創作料理で、
臨機応変な工夫の繰り返しで洗練されたり
自分風につかいやすくタイアップ(結ぶ、だけに)
していくものだ。
ゆえに、
風呂敷そのもののもまた、作り方を調べるというよりも
まず自分なりに考えて作ってみて、
実物と対話しながら唯一無二のすてきな
風呂敷に仕上げたらよい。

もし破れたりしたら、しゃれた端布を当てて
繕えば、直すほどお洒落に進化していく。

風呂敷にかぎらず、なんでも、自分でつくってみれば、
素材にこだわれるから、市販品よりも見えない機能にすぐれた
逸品となるだろう。

一見おしゃれ風なコートも、タグを見れば
ポリエステル100%だったりする。

不器用でも、時間がかかってもよいから、納得いくまでやり直したり
よりよき変更を辞さない。

日本は水の郷であり、水を生かせるが
湿度にやられることもあるから、
あらゆるものづくりは、乾きやすくする必要がある。

そのためには、固定させすぎず、ばらせる構造にするとよいし、
それは修理のしやすさにもつながる。

素材だけは妥協せずに佳きものをえらび、
あとはその素材と対話しながら、
音もなく手のやさしく向かうままに
ものしていき、実地の感覚で様々な視点で見渡していけば、
なるようなかたちになる。

まとめれば、
・よい素材
・シンプル=多目的
・元に戻せて、直しやすい
・飽きない

そういう風なのがよい。

表面的にキャッチャーで「いいね!」とされても、
2,3度めでは
「もういいです。分かりました」となる
ものが、現状メディアには氾濫しているように感じる。

地味なようで、
素朴なのだけど、
一義では言い尽くせない
なんとも味わい深い存在感。



先日、ふろしき講座を受講された方の
手づくりふろしき。

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I know me,

and I transform myself,

by your being.

The world is not what you did

but how do I feel.

I can broaden my sight

with loving you.

I lost my first project

because of my change.

I wish I wave

without understanding.

If I give you

the meaning of you,

I can't see

your real fine eyes.

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小風呂敷をななめ方向に折りたたんだ帯で、
電車内の手すりの柱に傘を結び止めました。

このとき、傘のどの高さに帯を結ぶべきか迷ったら、
まずは傘を手で柱に固定してみて、
その手を風呂敷に置き換えればよいです。

あくまで、道具は手の代用です。
人の手でできる機能の種類を超えた不自然な道具は、
不調和な結果をもたらすおそれがある。

くらしはいつだって、自然のママの素材×ひと で営まれてきました。

炎だって、本当は
いきものが扱う範疇外です。

火によって物質をはやく壊し分解して組み換えることが
できるようになりましたが、
本来の生命力や無駄なき循環を失うことへも
つながったでしょう。

もしかすると、ほのおで暖をとる以前は
人や動物同士がもっと寄り添って
あたためあっていたのかもしれません◎◎

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風呂敷なんて無い。
ただひとひらの布があるだけ。

布なんて無い。
たくさんの糸が結集している。

糸なんて無い。
植物の繊維ががんばってるだけ。

植物なんて無い。
この星の、いのちのかたち。

蛙なんていない。
げんきで湿り氣をこのみ、
月へ向いて律動を詠えるクリーチャー

亀はいない。
羽のない鳥が、よろいに守られている。

鳥もいない。
彼/女は、空に誘われた動物。

空はない。
あなたの顔を思いうかべる鏡。

鏡なんて無い。
友達の真似をする板。

「○○さん」なんていない。
この星で会えた、一匹のやさしいいきもの。

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都心もまん真ん中の四ツ谷駅の線路脇の土手に、
名も知らぬ菜っ葉が、昨日の雨水だか朝露のこまかなしずくを
ぷぷっと光らせて、わーんと勢一杯、
この世の春といはむばかりに
葉を広げてござった。

僕も共鳴してますます、じつとはしていられないばかり。

昨日は手伝っている事務所の観葉植物に足すための
土の袋をどっしり風呂敷でつつんで抱きかかえ、
傘を片手に雨の銀座を小1時間あるいていた。
シヅル感ただよう街を、土を抱きだきぶらぶらしている者も
多くはないだろうが、そのパライバトルマリンのような色した
つつみの中身が、いのちの揺り籠たる「土」ってのもむべなるかな。

この土は、自宅の庭の鉢植えの名残のようなもので
しばらく放置されていたし石ころがたくさん入っていた。

このたび、四つの末娘が手を入れて石を選り、土は息吹きを得た。
もちろん適量の石ころはのこしてある。

植物は、添ってくれる人を愛してる。
土がふえて、きっとげんきになるでしょう。

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風呂敷なんてものは無い。
あるのは、死してなお
人を愛する植物のかたち。

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お水は、水素と酸素が共有結合しているから
安定しているという。
簡単に結合がほどけて、水素ガスと酸素に分解されては
地球はあっという間に爆発して失せてしまうだろう。

それで
風呂敷もまた、共有結合といえる。
1つが一方的に巻きつくのではなく、
2つの角が互いにからみ合っているからこそ、しっかりしている。

さらにちゃんとするならば、左の角も
右のかども、ひと巻きずつすると
50:50の完全な真むすびになる。

たとえ十字の縦結びになっていなくても、実は真むすびに
至る道程は8通りあって、そのうち半分は偏りがある。

風呂敷はそれでもあまり問題はないが、
物づくりや人との共同は、できるだけ
片一方が優位とならない対等な結合をめざしたい。

息のあったチームプレーが、大きな輝きを実らせる。

1人で何でもやれる人もいるが、独自の世界観へ浸ったままの、
手に負えない人たちが集結するほうが、リアルな結びつきから
1人では出せない何かがうまれてくるでしょう。

出来ないと思うことでも、やってみる。
ほんの1ピースだけでも関わったなら、
あとは他の人にバトンタッチしたとしても、
あなたの痕跡、足あと、息吹が
ちいちゃな芽をのこし、やがては
全くことなる種類の樹となっていくだろう。

白紙から描くのと、
そこに小さな黒い点がぽつりとある紙から描くとでは、
手が生み出す線や形がおのずと変わる。

0か1とか白か黒とはっきり分けるのではなく、
互いのコミュニケーションの中から、歩み寄れる、
寄り添える在り方を見出だしていく。

1人ですべて手がけるほうが、世界観がまとまっていて
洗練されているかもしれないが、
各自変容しながら、お互い想像もつかなかったものが
創造されるチームプレイの醍醐味へ、
こころひらきたい。

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