ふろしき王子のブログ◎
出前講座開催☆
http://furoshikiouji.asia
メール isamix@gmail.com
 



今日は、高円寺でふろしき講座です。
1回30分のショート版を5回行ないます。

お子さまが対象なので、なるべく自分で試行錯誤しながら
布に触れて親しめる講座にしたい。

僕は着物とハカマと地下足袋で、ノリや雰囲氣次第で
ちょんまげに結うかもしれません。

さし色の紅も用意すればよかったかな。

ともあれ、みんなで忍者チックに楽しみながら、技を身に付けたいです。

外は雨で、お日さまも照っていないから
なるべく元氣にからだを動かして、温かくなろう。

(講座終了後)
今日はとってもよい勉強になりました。
今まで、小さいお子さまに風呂敷を教えるのは
好きだけどなかなか難しいと感じていましたが、
このたびの限られた時間で、エッセンスを絞り込んで
5回繰り返しながら、徐々にお子さまたちの興味深まるつぼ?のような風を
感じてきまして、なるほどこういうやり方、順序がよいかもしれない、
という得難い体験になりました。

特に、今回は途中から忍者の頭巾を取り入れたので、
一つのカラー、忍術?としてのまとまりと盛り上がりが見えました。

これからの地球を支えていく、大切な大切な子たちに
万能お助けマテリアルの風呂敷を、ぜひ当たり前の生活技術として
身につけていただきたい。
その美しいこころ、そのままにあれ。

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やはり、体を動かすのはよいもので、
昨日は月に1度の古武術ワークショップで、皆で相撲などしたために
今朝も体が軽いのと、精神的にも自由さに満ちています。

現代人は何かと心配事でいっぱいになりますが、
悩んでいる程度なら真の問題ではなく、
本当に困ったら、何か解決すべく動かざるを得ないし、
それにより最悪の状況がずっと続くこともない(続いたら生きてられないので)
ために、基本的に何をどうしたって、大丈夫です。

悩みのほとんどは食べ過ぎによる過剰カロリーが
不安に注がれているだけですが
たくさん食べたから悩むのも愚かな話。
せっかく頂いたいのち、きちんと消化するために
食べたらごろごろ昼寝しててもよいだろうし、
吸収されてフォース満ちてきましたら、自然と好きなことするでしょう。
分からなければ、片付け、掃除すると
たいていの事案は解決される。

以上のように、食べたらそのエネルギーを有効に使おう、もよいけれど
そんな損得さえ考えないのが、生きものとしては自然です。

なぜなら、お腹いっぱいのときはライオンでも誰かを襲うことせずに
ただだらだら寝てるもので、

しばらくたって空腹感が起こったときにえっこら立ち上がり、
獲物を採りに出かけます。
これは、困ってから動く、問題が起きてはじめて対応することで、

ライオンは、飢えたら困るからあらかじめ大量のトムソンガゼルを
殺戮して、洞穴に保管しておくことはしません。

満腹のときはきっと、しあわせ感に浸ってサバンナの草風に吹かれて
楽しい夢を見ているでしょう。

人間は何故だか満腹のときに将来の不安に悩み、
本当に飢えたときはともかく何かしら動いて事を進め仕事や食事を得る。
すると、心から楽しんでいる時間はあまりない。

病氣や怪我など、体が思うようにならなくなったら、
何ともなかったときの当たり前の日常にいとおしさを覚えるだろう。
今、とても恵まれていることは山とある。

それを実感するのは、失わない限り難しいかもしれないが、

ともあれ、何がどんなになったって
本当に困ったときは自分自身が何とかしてくださるものだから、
日頃から色色と思ん慮ってブルウになる理由は
存在しない。

それは、いつも楽しいきもちでいようとすることでもない。
ポジティブシンキングじゃなくてよい。
いつもニコニコ微笑んでいる必要はない。

苦しいことも悲しいことも、受け入れられるうちは大丈夫なので
そこから不安を増幅して取り越し苦労することなく
ただ坦々と味わっているほうが、問題もそれることなく
次へと進みやすい。

お腹がすいたら
「はらへった~、ハラヘッタ~、、くゥ~~」って腹減り感をかんじているだけでよい。
本当に困ったら、何か食べるために動くだろうから、
そうでないうちは問題ではないので
悩んだり、無理にプラスに解釈するべくにあらず。

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昨日から雨がつづき、近所の干上がりそうな水路の魚の件は
一応何となく安心する。

今朝から出かけていますが、昨日家でコーンパン
(とうもろこしの粉と小麦粉のパン)を焼いたのにハチミツをかけて
結構食べたので、昼は抜きかミカンの予定。
昔から食べ過ぎ傾向です。

少食にするのと、もっと片付け掃除を徹底すれば、出世するだらうに。

困らないと動かないタイプなので。

問題じゃないことを問題とみなして、余計なことをしたお蔭で
世の中壊れていると考えているから、
一般的に問題とされることであれ自らの奥からの声が
「大丈夫」と応えるときは問題ととらえないようにしています。

そうすると、95%くらいの事案はそもそも問題にあらず、
むしろそれを解決しようと行なった行為、選択により
本当の問題が引き起こされる。

爆弾がないのに、あると言い掛かって先制攻撃し
本当に戦争になるがごとく。

放っておけば自然と治る病にも、強い薬を処方し、
副作用で治療困難な症状になるように。

生きものは、自然と健康でいられて当たり前でつきづきしき環境を
えらんで生きるのだから、そもそも問題が起こることがおかしい。

遺伝子にとってふさわしくない、苛烈な環境に無理やり住まうとしたから、
大自然を制圧して、意のままに生きようとする信仰や教えが生まれて、
周りの温暖な地域も侵略しながら宗教観まで押しつける、
それが現在のグローバル化です。

成功哲学や物の考え方の様々な書籍も、ほとんどは
同様に、世の中を思い通りにしたい意識が元であるが
大自然を思うままにするのは不可能なので、
自分なりに狭い世界を設定して、その中で成功しようとする。
だから、どんな成功者も、地元や近所の川をきれいにする、
泳げる、飲める、豊かな生態系をとり戻すというような
夢なり目標ははなから頭にない。

本来、問題が起こるとか、疲れる、病氣になるということは
その生き方や環境が間違っていること。
藻やミジンコで生きる金魚がケーキやステーキ食べてたらおかしくなるし、
水槽の水自体が汚れていては、どんな高価なサプリメントを飲んでいても
病氣になる。

さういう点で、食や環境においては世の中問題だらけなのに、
何故だかそこは問題とせずに、問題ではない所ばかりを
問題とみなして、命=時間を削っている現代、に生きる人間。

こころ優しき人が、威張ってる人間の奴隷に甘んじてしまっているので、
そこを引っ張り抜いて世の中建て直さなければ、と
マイペースな僕なりの問題意識がございます。

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・昨日、髪を切りました。セルフカット。すべすべの防水風呂敷を敷いた上で行ないます。
 これからの季節、裸で廊下では寒いけど、夜お風呂で温まるので大丈夫。

・息子のズボンが下がってくるので、サスペンダ代わりに、小風呂敷を斜めに折った帯を
 腰に巻いて対応しています。やはり風呂敷は万能です。

・近所の用水路が、泥さらいをする予定なのか分からないけど、水が涸れていて、
 隅の方にわずかに水が残っている所に、小魚が沢山集結している。
 このままでは干上がってしまうかもしれないが、とりあえず昨日と今日、
 息子と自宅から水を汲んで、ほんのわずかではあるが注いでおいた。



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お蔭さまで頭痛も消え、咳も止み、風邪はほぼ回復へ至りました。
一週間ほど時間をかけて、薬で表面的な症状にフタすることせず
体の治癒計画のままに受け入れながらの日々でした。

はじめは風邪らしい症状はなくて、とにかく後頭部あたりに
鈍痛がうごめいていて、うつむいたりするとその圧力だけで痛みが走っていた。

原因は薄々分かっていて、最近の外食つづきによる肉食過多が大きい。

それで血管にコレステロール溜まっていただろう。
寒さによる風邪では、前頭部が痛くなりやすい。

僕は20代ほぼベジタリアンだったために、
血管中の動物性未消化物の残留量を示す、爪の三日月が完全に消えていた。
これは、肉を食べていてもきちんと消化していると出ないものだが、
確かに一週間ほど前は1,2ミリ、親指の爪の付け根から頭を覗かせていました。
(現在はまた引っ込んでいる)

身軽さを体の柱としているために、少しでもそれを妨げる状態になると
てきめん反応して、不調のメッセージがあらわれる。

ともかく、しんどい処をしのび、また以前にもましてかるく、
はやぶさの如く駆けられてうれしいこと。



眠れ得ぬ夜も、いつもと異なった視点からあれこれと思考できてよかった。

風邪は本当、素晴らしいヒーラーです。

引いたら小手先でごまかすことせず、覚悟を決めてじっくり対峙つづけるしかない。
ギフトは大きい。

子どもたちも徐々に次々と回復。心もからだもつよくなる。

風邪ひいたら、ちゃんと休んだほうがよい。
学校や仕事も休んだらよいけど、そうもいかないときは
薬で抑えず、熱と鼻と咳でぐしゃぐしゃになりながら行くべきかと。
実際僕もこの期間いくつかの仕事があって、頭痛と一緒に遂行しました。

頭が痛いことがブレーキになって無理をしなくなります。

いつも薬で隠していると、知らずに負担が溜まりたまって、ある日突然倒れる可能性がある。

小まめに熱だしてよく寝て心身掃除して、からだを長持ちさせよう。

たとえば虫歯が痛いのも、食べないようにするためだから、
痛ければ食べないでいて、うちにからだが調うと痛みは消えるもの。

それを、神経を抜いて痛みだけなくしてまた以前のような食べ方をしていたら、
次は歯痛だけじゃ済まされまい。

人は本当は、いきなりおっ倒れることはない。
その前から、ちょっとした異変によるサインが小まめに来る。
それに氣づいて道を正していけば、本来120歳までうごく体。

時代により、海のニガリの害、体の酷使、食生活の急変、栄養不足、環境汚染など
遺伝子にとっての抵抗がある。

いつか当たり前にみなみなしあわせに歌い踊りながら
天寿全う当たり前な時代あれ。

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マイペースの道は、準備をしない、そして切り換えをしない。

ゆえに、とっさの想定外にも対応できる。
準備をすると、そのリハーサル通りになぞろうとして、現場で臨機応変な対応に欠ける。

切り換えが必要なのは、自然体ではままならないということになるし、
そのためにキャラ替えして演じることで、反動もまた大きくなる。



ただし、どんなことにも小手先ではなく、体の芯から向き合っていく必要があります。

ああだこうだ言いながら、
大根おろしに醤油かけたのを食べて、そのからさに震撼している。

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今日は夕方に帰宅していったんひと眠りし、咳も熱も頭痛も収まってきましたが、
夜にまた眠る際、何か読む本があれば嬉しい。
引っ越す前は家がかなり狭かったのもあり
多くの本は売り払い、幾分は実家にあるが、現在の住まいには
本があんまり無い。

読書は相当すきで、買ったり図書館で借り、弟からもたびたび借りている。

そのお礼というわけでもないが、弟の誕生日には図書カードを贈っている。

こんな風に横になっちょるときはなー
『鬼平犯科帳』なぞめくっていたいもの。

そうそう、病を治したければ、生まれ育った土地で質素な暮らしをすること
と聞いたことがあるが、鬼平の舞台は浅草、本所、深川といった下町が中心であるので
そんな地名を目にするのもまた癒されよう。
そして、季節の土地の素材をシンプルにものした料理が登場するのもよい。

僕はプリンが好きよ、すきすきと度々つぶやくけれど、
本来のソウルフードは、海苔の佃煮とアサリの味噌汁に違いない。
のっけると、小ハゼの佃煮、そしてはまぐりの寿司!(食ったことない)なんて
しゃれこみたいとこですが。
ここに祖母の料理も加わればスイトンでもあるし、
プリンちゅうのはよく菓子を作っていた母との絆かも知らん。

食欲はあるのですが、
冷蔵庫に眠れるこのジューシーな奴、食べたいなあ~って
身体にきくと「ダメ」と来る。

実際、振り切って食べてしまうとまた咳が止まらなくなります。

からだからのお許し給わりまするは、
食前のミカンに、味噌汁、漬け物、蒸した里芋、薩摩いもなどあっさりめのもので、
乳酸菌と酵母菌による酵素いっぱいの水キムチの汁を飲むととても心地よい。

20代のころは、風邪なんか引けば治るまで断食して
水だけ飲んで半身浴して寝てたので
治りも早かったけど、今は食べたいものを何とかして食べようと
体に尋ねつつギリギリラインで頂いてしまうので
ちょいと長引きやすい。

でも、風邪で頭が痛かったり力が入らないってのもまた
新たな視点になって、人生なり生活を省みて明日につなげる機会ともなるので、
苦しいから一刻も早う治りたい!という風でもない。

けじめや切り換えをよしとしない思想があるかも自分には。

マイペースの中で、自然と不調も癒えていくのがよくて、
いざ治療モードに徹底するのもまたしゃらくさい。

なぜなら、病氣になるようなアンバランスな生活をつづけて、
そこからさて、一新して治すための苦行にチェンジするという両極端は好きくない。 

いつも、なる丈ニュートラルなマイペースを貫き、病氣になりにくいし、
かかってもそのままのペースでまた復活するのがいいじゃないと。

オンとオフの切り換えとか、そういうのは好きじゃないのです。

仕事では愛嬌振りまいて、自宅に戻れば怒鳴り散らしているようで。

いつも変わらず、また変える理由のない自然体の人こそ
心と体が一致していて、信頼できる。

真の剣士ならば、酒に酔っていても変わらずに立ち振舞える。

急襲の敵に「ちょい待ち。今から呼吸を調えるからサ」なんてやってる
わけにはいきません。

仕事と遊びも、本当は分けることなく、どちらも魂の本意に沿って
大真面目に、そして肩の力を抜いて臨むべきものでしょう。

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本日は晴天なり。
病み上がりつつも、小平市での風呂敷講座を無事に終えて、
帰りに一橋学園駅前のハコギャラリーへ。
同じムサビ出身の友達が営んでいるレンタルのBOXギャラリーです。
ちょっと挨拶にと立ち寄りましたが、ちょうど遊びにいらしていた
子どもたち4人の似顔絵を描く流れとなり、
結局1時間以上居りました。



小平は、僕が30歳の秋から2年間住んでいた市で、
長男虎之介も生まれた、思い出いっぱいの街です。
現在の日野市よりも坂道が少なくて、移動が楽楽てくてく。

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様々な疲れなどが重なって、風邪しいたようで頭が痛い。
熱もありそうだ。
早く寝ちゃうに限る。

今朝までは咳がつづいていたけど、とまって熱にシフトした。
風邪という治療師は体(や心)を隈なくスキャンして修復してくれる。

(2,3日後)
頭痛は、後頭部→側頭部→前頭部と、
日ごとに移行しながら
心身軽くなってきました。

初めのほうは動物性蛋白の未消化物排泄の風邪(ウイルスが関わる)で、
昨日からは水ハナも垂れてきたので寒さによる一般的な風邪でしょう。

食いしんぼ家族で食欲は収まりませんが、食べ過ぎたり
消化のよくないものを食べると熱や咳が出るので
果物や漬け物や味噌汁をメインに、粗食でつないでいます。

このような、家族で一週間ほどつづく風邪は年に1度ほど起こり、
それを通り抜けるとみなみなすっきりひと皮むけたように
心身がみなぎってくるようです。

子どもの場合は、風邪を越すと今まで話さなかった言葉になったり(幼児語を卒業とか)
できなかったことができたりと、
毎度何らかの進化成長を遂げます。

風邪を引いているときは確かに色々とつらいですが、
原因(日々の過食、つづく外食、不規則生活、夜ふかし、睡眠不足、旅の疲れなど)は
基本的に自分にあるので、しみじみと向き合いながら
忍ぶに限ります。

そして、これを機になるべく疲れを溜めない暮らしへ
一歩ずつ変わっていくことが、本当は大切なのでしょう。

風邪は自分を攻めにきているのではなく、
休ませて、治そうとしている。

不都合が起こるというのは、外部からの攻撃よりも、むしろ
みずから自発的に継続していることのさじ加減によります。

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準備の、裏の裏のこころは不安から来ている。
失敗しないようにという。

それはもっともなことですが、準備をきっちりしすぎて
安心し(氣が抜け)てしまうと、本番は腑抜けた二番煎じになる可能性もある。

書道で、下書きをなぞって書くようなことで、
一点集中力が欠けるかもしれない。

準備しすぎて安心して、本番はただ台本を棒読みのごとし。

そうならないためには、準備と本番を分けず、
いつもそのとき今素直に湧き出るものだけで勝負すること。

リハーサルも本番以上に本氣に臨み、本番はまた自然と変化が起こる。

準備だからと何度も下書きを書き直して、
無難に治まったものをただなぞる本番にはいのちがない。

しかし準備というものは不安から行なうものならば、
その時点でリアルから外れている。

たとえば謝罪をするとき、このように怒られたらこう答えよう、
などとシミュレーションして準備したとしても、実際は怒らないかもしれないし
相手をそのように設定するほうが失礼だ。

準備の多くは、不安の結晶である。

ただ、失敗を避けたいから行なう準備をしないとなると
もちろんしばしば失敗することになろう。

レシピを見ずに料理することだから。
それで失敗すれば、悔しさやもったいなさから真面目に探求したりして、
本当の実力につながり、準備なくとも次第に失敗が減る。

そうでなくては、想定外に対応できないし、不安から他人の分まで
食糧を買い込むという、準備過剰による不調和まで生じる。

人人みないつも協力連携助け合いの絆の太ければ、
寛容さも相まって準備は不要となる。
それは義理と人情の厚い世の中ともいえるが
残念ながら社会はその逆を向いて感じる。

それでも私は、準備をせずに歩んでいきたい。

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上海の雑誌『行楽』のふろしき特集(カラー20ページ)を協力させていただきました。





このために考案した「上海包み」も無事掲載。シュシュ2個で開閉するバッグ。

向こうで流行って、日本に逆輸入できたら面白いな。

北京語の誌面で、僕も読まれませんが

環境問題がこれからより深刻になるであろう未来において、
よいものを直しながらずっと愛用し、一つのものを多機能に使いまわす
One for All のふろしきの心を感じていただけたらと思います。




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毎年少なからずはありますが、今年は自分の中であたらしい
風呂敷の結び方が色々と生まれています。
シュシュリュック、上海包み、スーパー(マーケット)包み、小風呂敷のシュシュ、
ひも1本のカフェエプロンや簡単便利なひもの使い方などですが、それらに氣づいたいきさつは
どれも人との出逢いと交流がきっかけです。

ふろしきは完成された道具ではなく、ただの材料の布ぺろにすぎないので、
まだまだ多様な生かし方が待っていることでしょう。

新しい結び方は、どんどん凝って複雑化するのではなく
むしろますますシンプルに、これで出来ちゃうんだ!という発見です。

限られた材料と、必要に迫られたリアルの中で、
せん方なく慣性の壁を払ったときに、一発で果たせる術、
その嬉しさへの期待から、これからも風呂敷と添って参ります。

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元々服が少ないですが、ズボンは特にそうで、
昨日は洗濯中だったため
息子と散歩は、Tシャツに短パン(実は海パン)、下駄の姿でした。
かなり日差しが暖かかったですが、夕方から冷えてくる。

しかし、本当に芯からあたためるには、沢山着るよりも
体をきびきびと動かすこと。

息の上がる筋トレのような動きではつづきません。
赤ちゃんを抱きかかえながら、寝た子を起こさぬよう
上下に揺れない歩き方で、縦横無尽にスッスと踏んでいると
ぽかぽかしてきます。

本日、晴れてズボンも乾いて、靴とYシャツとジャケットで
昨日の3倍たる、季節相応の服装で出かける。

僕は夏服や冬服の区別はなく、上に重ねるだけです。

夏はTシャツ、春秋はその上にYシャツ、冬はさらにジャケットなど上着、という風に。
ズボンは半ズボンか長ズボン、足は下駄かスニーカー。
まれにスーツやネクタイ、革靴の場合もある。

風呂敷講座は着物に袴が多い。

シルエットよりも素材を大切に思い、色は青系がすき。

縫い物が割と好きなので、本当は子どもの服を自給しようと考えていたが、
頂き物が多いために、たまに氣まぐれで作る。
基本は貫頭衣で、そこに筒袖を足したりひもかけボタンを付ける。

形はシンプルだが、そもそも布そのものが可愛ければ、佳いものになります。

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