ふろしき王子のブログ☆
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今は夜。
暗闇の中、植物はどんな色をしているのか、分からない。
光を当ててしまったら、光に反応した色でしかない。

やみの中、無彩色の葉っぱは
明け方の青い葉よりも、何かもっとやさしい。

まさに育っている時間。

昼間にやったことは、
畑を広げるために木を切ったり、
草を抜いてととのえて、野菜の苗を植え替えたり、
土を移動したり、太陽を浴びて汗ばんだシャツを
水で洗って、薄暗い路地に干したらやや臭うので、
熱湯に浸してから干しなおしたり、
横たわる切られた木に、水を注いだ。

そんな諸々の行動が、夜に熟成し、
朝に何らかの華とひらく。

明日はなるべく早起きしたい。
植え替えたエゴマの苗がすっくと立っているか、見たい。
きちんと塗り込められていない、数年前のコーキングをいったんはがして、
新たしく丁寧に、ヘラで塗って下の部屋の雨漏りをおわらせよう。

そういえば、昼間に深型番重のプランターに繁った
ユキノシタを抜いて、土を他へ移そうと整えていたら、
土中から亀が出てきた。

のこのこと、脚をパタパタする、動くような亀ではないけれど、
僕にとっては、生きている。
軽石か何かを彫ったような亀かな。
昔々、玄関に置かれていたものだ。
あれから30年近く経って、いつの間にか雪の下の下に眠っていた
門番の亀が、今日、穴より這い出て、そして、
水でざばんと洗われて、お店へ至る路地の石臼の上に置かれた。

同じ場所には、カエルの石像の半分風化したようなものもある。

カエルと、亀がならんだ。
いきものにあふれていた横山家が、また集まってきたみたいに。

いきもの、植物、人、街、そこに、忘れちゃならない存在は、
屋上から両手いっぱいに仰げる、大きな空。

狭いようで、どこまでも高くて深い、自分の宇宙に還ってきた。
そういうリズムで、特にその生まれ故郷に居ると、
あふれる応援を感じる。
その種は、10年前まで、この街、浅草や上野を歩いていた毎日。
何時間も屋上で土をいじっていたり、
部屋を掃除したり、怒ったり泣いたり笑ったりしながら
家族や友達、学校などとの日々において、
玄関を開けて階段を上って帰ったり、朝や夜に外へ出発したりしてきた
実家。その屋上だから、

地面じゃなくても、寄せ集めの土でも、
ふしぎにげんきに野菜がよく育ち、
草のあいだを行くダンゴ虫は僕が生まれる前から
この家の土に連綿と生命をつないできた者たちだろう。

何だか分らぬまま長文で申し訳ありませんが、

今いいたいと思うのは、

ふるさとはいつでも、そこで生まれ育った子の味方で、応援をしてくれているということ。
それは人ばかりでなく、家の建物そのものとか、土や石、植物やいきもの。
また、そこの水道で出てくる水、上から見ている空までも。

そんで、いちばん大きな応援って何かといったら、
過去の自分の思いや行動や出会いや経験の全て。
それらが全部、今への応援と協力に回っているのだから、
そういう意識をもって、何もかもを生かしてゆきたく思います。

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お店を手伝っている実家の屋上にエゴマの種を蒔いたら、
日当たりのよさなどがよいのか、日野の自宅よりもずっと
はやく生い茂っていて、既に収穫して食べられるサイズ。

帰りに摘んで持ち帰ったら、醤油漬けにしよう。

生の葉で油もののおかずを包んで食べてもよいけれど、
子どもはこの風味が苦手な可能性もある。

10年ほど前までは実家に住んでいたので、
毎朝屋上で植物の世話をしていて、本当にたのしかった。
引っ越してから放置したので荒れ果てているかと
思いきや、いくつかの植物がげんきにしていて、
とっても綺麗な花さえ咲いていたので、

自分なりに植物に、心の声で問いかけてみたら
「あの頃のうれしかった思い出を糧に、今もげんきでいられる」
という、声なき声のようなものを受けとって、
胸を打たれてつい涙ぐんでしまった。

そして今、店の手伝いのお蔭で時おり
ふたたび屋上に来ることができ、
片付けながら、自宅で余った種を蒔いたり
野菜の苗を植えて、以前のように
美しく整った状態にしていきたい。

下の階の天井の雨漏りがあるので、
原因となるひび割れを見つけて
コーキングで穴埋めをしよう。

ミニトマトとモロヘイヤ、ルッコラも植えたので
夏に向けての生長をたのしみにしています。

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最近、購入せずに採集したり、いただいたり、物々交換ということが多い。
桑の実(マルベリー)を木から摘んだり、
その実を友達が野菜と交換してくれたり、
真竹のたけのこを川原の竹林で見つけ、家で炒めて食べたりで、

実は今年は竹の子を買うことなく、
孟宗竹5本、真竹25本ほどがやってきました。
当初、食べたいけど買う感じでもなくて、今年は無しかなと
思っていましたが、内心つよくたけのこを希求していたのが
叶えられ、感謝のかぎりです。

たけのこを得るためには、確かにたけのこ山へ向かうという
手段もありますが、強く思ったあとはいったん忘れて、
目の前の掃除片づけなどを地味に愚直にたんたんと
向き合って集中していると、予期せずかたちで
出逢えるというご縁が、この世にはあふれていると思う。
大切なのは、たった一瞬でも本氣でそう感じたかどうか。
もっと世界のためを願えばよいのに、なぜかたけのこを夢み、
現実化させているという、マイペースで小さな世界。



裏庭のどくだみの花、今日が今年いちばんきれいに感じました。
いつも雑草扱いで抜いてばかりいるのだけど、めげずにいつも
元氣を見せてくれてありがとう。

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・キアゲハの幼虫がかなり大きく育っている。
 裏庭のセリ畑。幼虫は緑のシマウマの様だが、
 サナギは見たことないので少したのしみです。

・近所の池からヤゴを捕ってきて、庭の水場各所に放す。
 エサは赤虫やおたまじゃくしだろう。
 上って羽化するためのヨシの茎や細い竹などを
 水中から立てておこう。

・桑の実はまだ赤くて酸っぱい。来月初旬くらいに黒く甘く熟すかと。
 しあわせの味です。

・葛の葉が繁ってきた。ウサギの餌によい。
 昨年は台風による川の氾濫で、カゴ編みもできる
 つるもろとも埋もれ流されてしまったようだが、
 今年は竹と組み合わせて工芸用の素材として生かしたい。
 葛が黄葉する晩秋くらいが、つるの採りごろかと。

・子どもは竹で、ししおどし、水筒、箸、鍋洗いのささらなどを、思い思いに作っている。
 川原の竹やぶで竹を採るとき、小さな竹の子も発見。
 竹の葉はうさぎも好む。
 ちなみに竹は本来は秋に刈るのが、ほどよく乾燥し固くなっていて
 質が安定するといわれる。
 確かにこの時期の竹は水分が多いため、節を抜いたり表皮を剥いたりして
 なるべく乾きやすくしようと思っている。

・実家の近所の小料理屋さんから、風呂敷のオーダーメイドの依頼を受けました。
 配達のお弁当をいくつも包むので、実用的な木綿の大風呂敷がよいという。
 個人的に、裏が白っぽくなるプリント地よりも両面に柄の出る
 染めのものが好きなので、浴衣地の反物を三巾つないだ1m強の
 サイズにしています。
 祖母のおさがり、リッカー社のミシンにジャノメのモーターの付いた、
 古くて重たいミシンを愛用しています。

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ちいさな世界の、たくさんの命。

先日、放しても放しても
2,3日でおたまじゃくしが消えてしまう、
庭のミニ田んぼについて、
原因は水の酸性化か酸欠かと推察しましたが、
真の理由は、まったく異なるものでした。

以前、田んぼを覗いたらフッとすばやく
泥に潜る存在があり、そこに棲んでいる
ミナミヌマエビかな?と思っていましたが、

今日、子どもが「ヤゴかも」という。
たしかにあの動きはそうだろう。
毎回、ヤゴに捕食されていただけでした。

裏庭の池にはまだオタマジャクシが
数百と泳いでいるので、
それならばヤゴをもうちょっと足してゆくという
野心も芽生えました。

ヤゴは近所の公園の水たまりにいるのですが、
たまに底のどろをまるっとさらう
清掃があって、そのときに死んでしまうため
救出もかねています。

ともあれ、田んぼが無事げんきでよかったです。

ちなみに、たくさんのおたまじゃくしは、
亀たちの餌にもなっています。
どのみち、大人のカエルになれるのは
1000匹に1匹ほどの割合なので、
アリやカマキリに喰われる分を
おすそ分けしてもらっている感覚です。
ありがとう、ヒキガエル。

そのひきがえるの餌の虫の、そのまた餌は、
我が家から出る野菜くず。
そんな風に生態系の環が巡っています。

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家の庭のいきもの
●アリ(庭の掃除・片づけ屋)
●団子虫(食物連鎖におけるカルシウム源?)
●なめくじ(夜間、庭じゅうを嘗めて浄化?)
●ハサミ虫(天敵にとってはこわい存在ではないかと)
●かたつむり(極小~小サイズ)
●みみず(野菜くず投げ場の分解者)
●クモ(ヂグモも)
●アゲハの幼虫(夏みかんの葉を食べる)
●キアゲハの幼虫(セリの葉を食べる)
●カマキリ(ほぼ毎年産卵と孵化)
●あまがえる(たまに産卵と孵化)。この時期鳴いている。
●あかがえる(たまに産卵と孵化)
●ひきがえると、おたまじゃくし(毎年産卵と孵化)。ヌシ級サイズが5,6匹棲み分けている。
●コウガイビル(石の裏にいる)
●黄金虫の幼虫(土を掘るとだいたい現れる)
●赤虫(池の泥にいる)
●たぶんヤモリ(ふにゃふにゃ)
●ヤスデ(日蔭の湿った場所にいる)
●脚長蜂(庭のパトローラー。水を飲みにくる)
●ひよどり(ピーピー元氣くうるさい)
●にほん猫(近所に徘徊している野良猫)
●クマネズミ(時折出没していると思われる)
●たぬき(近所の空き家で繁殖していることがある)
●花虻(幼虫は宇宙存在?のオナガウジ)
●アメリカミズアブ(野菜くず投げ場の分解者)
●ミジンコ(小さくて落ち着きがない)
●蚊とぼうふら(金魚やメダカのいる水場にはいられない)
●ショウジョウバエ(果物の皮に寄ってくる)

飼育しているもの
●クサガメ(友達が殖やしたのをいただいた)
●ザラアシドロガメ(用水路で死にかけていたのを保護)
●スッポン(子どもが川から)
●カイウサギ(土手に捨てられていたのを保護)
●メダカ(毎年繁殖)
●川魚(アブラハヤ)
●どぢゃう(子どもが捕ったもの)
●川のハゼ(子が捕ってきた)
●サワガニ(子が捕ってきた)
●ヒラタクワガタ(子が捕った)
●和金(数年前に買ったもの)
●かぶと虫の幼虫(自宅で繁殖)
●ミナミヌマエビ(数年前捕ったものが繁殖)
●たにし(実家で繁殖)
●さかまき貝(自然にふえる)

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現在、家の塀の外にずらりと並ばっている苗たちを挙げると、
●エゴマ
シソっぽい葉で、香りは全く異なる。
実の油が有名だが、葉も、何かを包んだり
醤油漬けなど、好きです。

●モロヘイヤ
ぬるぬるが多くて健康によいらしい。
葉っぱと油とクミンと塩だけで
大好きなグリーンカレーができる。
エメラルド色の種は毒があるので注意。

●ミニトマト
一株でも、土に養分が多いと
巨大に伸び繁る。
支柱に誘因するのが一般的だが、
ほんらいは絡まり合ってブッシュとなり、
そのドーム内の、下の方で実がみのる。
風や光や鳥から身を守りやすくなるのか。
トマトの枝葉がトマトに適した肥料となるので
うまく循環させれば連作向き。

●マクワウリ
メロンのようで、もっと優しくかつ深くてさまざまな
味や風味を抱いている、古きよき日本の夏のデザート。
昨年の実の種を蒔いたら、ようやくひと鉢から発芽して
嬉しい。実ものは日当たりが大切だが、
土に養分が多すぎなければ、半日蔭(日中の半分は日蔭)でも実るはず。
養分が多いと葉とつるがふえるが、その器を超える
光合成のデンプンが生成されないと実らない。

●おかひじき
あまり食べたことない。ひじきのように葉が細い。
ちゃんと育って食卓に上るのか、静かな楽しみ。

●とうもろこし
肥料を食うというので、裏庭の野菜くずの堆肥なり
うさぎの糞なりを混ぜた土に植え替えて生長を
見守ってみようかな。採れたては生でもしゃくしゃくと、
甘くいただける。皮ごと茹でるのが吉。

●十六ささげ
ひと房に約16個の豆粒が入っている。インゲンのような豆。
熟した実は赤飯には使えるが、あんこには不向きという。
愛知県の方が原産だったかな。そちらにお住まいの
知人より、種を分けていただきました。

●ゴーヤ
日当たりいのち。葉をぱんぱんふやす植物だろうから、
野菜くずなどの堆肥を足していこうか。
目安は、葉の色が黄色ぽくなったら窒素不足で、
緑が濃いと窒素過多。どちらも問題だが、後者のほうが
身体にはよくない。糖尿病のようなもの?

他、庭の植物たち
ヨシ/アオギリ/さるすべり/ツゲ/どくだみ/セリ/みょうが/夏みかん/のらぼう菜/アサツキ/椿
本榊/くるみ/パセリ/よもぎ/くぬぎ/サワラ/花大根/マコモ/アサザ/ウキクサ/すみれ/稲
カナダモ/藻/ホーリーバジル/いちご/ブラックベリー/にんじん/龍のひげ/たんぽぽ/雪の下

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借りとる、山の畑の片隅に以前、セリを数本植えておきました。
そこへ前回見てみたら、キアゲハの幼虫がついていた。

蝶ちょはアゲハと似ているが、幼虫はシマウマの白が緑になったような、
人によっては「ぎょ」としそうな模様である。
ちょびっとのセリがほぼ食い尽くされそうで、それは構わないけど
そのままでは餌が尽きて幼虫も生きていけないので、
持ち帰って、セリの出どころである我が家の裏庭の芹沢に放した。

そんな彼たちがすくすくと育ってきていて、嬉しい。緑のシマウマ。
普通のアゲハの幼虫は、みどりの新幹線のようです。

こういう、ちょっとした出会いとか発見とか、目のひらく新鮮な
よろこびの積み重ねが、日々の暮らしを豊かにし、
世の中の動向がどうこうとか、お金がある無いとかと
別次元の視点や心持ちを授けてくれる。

何しろ、テレビもネットも、自ら直に体験した情報ではないから
本当か嘘かは全く分からないので、初めから真実を期待せずに、
映画や漫画を見るように、自分なりに感じればよいが、
視覚情報は知らず影響を受けるから、そうならないように
達観の姿勢を多少は自覚しておくとよいと思う。

よい情報も、そうでないものも、自分ができることしかできないのだから、
あまり不安にかられ続けて、心配から遠ざかることばかり意識していると、
たとえ安心しても、楽しくてしあわせ、とはならない。

ちょいとひとこと発してみる。
「失敗しないことが成功ではない」
「安心=しあわせではない!」

世の中には、とにかく失敗しないこと、責任回避ばかりに
心を尽くしているビビリっちが多いのではと感じている。
また、問題のほとんどがお金由来に取りつかれていると、
お金があれば安心=幸福、で完結し、それ以外の無数のしあわせを
享受できない。たとえ他の楽しみに出会っても
「お金があるお蔭でこれを楽しめる」という
条件つきの楽しさになるので、ちっとも自由ではない。

何があっても全然大丈夫で、問題ではなく、何か問題が起こっても
つるんと解決できるという、自信でも不安でもない
揺るぎない平常心を、意識するでもなく保っている視界を抱くこと。
敵も味方もない、無敵(無味方?)状態でいれば、
敵(と相手は思っているかもしれない対象)にも愛をささやけるし、
味方(と相手は思っているかもしれない対象)にも苦言を伝えられる。

カマキリの赤ちゃんが何百と孵り、夏に無事成虫へまで成長できるのは
わずか1,2匹だけど、そうやって生き残ったカマキリだけが幸せなのか?
ただ、循環。死んだカマキリは、他のいのちとなって羽ばたき躍動し、
永遠のいまを輝きつづける。
どんな状況になっても、捨てる神があるから拾える神がいて、
好きな意味が与えられ、さらに意味を外して自由になれる、
それがいのちだ。

キアゲハの幼虫がセリの葉から落ちる。
僕はすくい上げるけれど、
そのままでいても、幼虫は葉っぱとは違う
土の上の新しい世界を経験し、そのうち
蟻に囲まれ、血肉を吸われる不思議な感覚とともに、
今も葉の上で次なる成長を遂げる兄妹に
子孫繁栄の夢をたくしながら、自らも蟻のいのちとなって
セリ沢の存続につながる生態系の役割に
一寸の悔いもなく、ただおもむろに環境と
フュージョンしてゆくばかりだ。

いのちの意味は、無条件にげんきで自由なこと。
それは三次元の領域を超えている。

病氣だから、不自由だから、つらいといっても、
その感覚を不幸に感じるのは自分なりのものさし。
もしも人に羽根があって飛べるなら、
羽根のない人、折れた人は不幸のどん底にあるかもしれない。

でも、羽根のない生きものとしての私たちは、そのことを不幸とは通常は思わない。
建物の出入り口が2階以上の窓であるとか、羽根ありきでできている世の中であったなら、
住みづらいかもしれない。
要するに障害は自分ではなく社会なので、
社会を変えれば、羽根のないままでも自由になれる。
そこへ向かって、もっと強氣になろう。
自分が社会に合わせるのではなく、自分に好都合の
社会を、思い切り創造する。

中身(人)にあわせて器(社会)が、臨機応変に、自由自在に
変化する、それが風呂敷の呼吸。
そのためには、先に、社会がこうあるべきだ、と規定してしまうと
自分が変化できなくなって苦しくなる。
人々の変化によって社会も都度変えていこう。
作られた社会に合わせちゃならない。

自分好みに、社会を結びなおそう!

そんな、ふろしき宣言(?)です。

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昨日はたけのこを2本採ってきました。
既に地上にそこそこ伸びていたので、
両手でつかんで引いたら、簡単に
元から折れました。

米糠とともに茹でてから、
今日のお昼に混ぜご飯にしました。
今年は、自分で採ったのが3本、
いただいたのが2本で、
結局買うことなく、たけのこを
味わえて、ありがたいばかりです。

昨日は、孟宗竹を切った
コップで子どもたちが遊んだり
水を入れて飲んでいましたが、
息子が竹を細工して自分なりに
つくっていました。
本日も夕方に、
ウサギ用の草を刈りに行くついでに、
川原に群生する細めの竹を切ってきました。



長い竹、数本を束ねているのは、小風呂敷を斜めに折りたたんだ
帯です。ひもだと何周か巻かないと不安定ですが、
バイアスの伸縮と広い表面積のある風呂敷の帯であれば、
きゅっと結べばかなりしっかりと留まります。

子どもが、レジ袋とトングを持って
道ばたや川原のゴミ拾いもしました。
ぽい捨てする人間もわるいですが、
草や落ち葉のように土に還らない
素材で、使い捨てるような商品を
つくるメーカーが、そもそも問題です。

子どもたちが竹とともに何を創造するかが楽しみです。
「竹で」つくるのではなく、「竹と」つくるんです。

割って裂いて、かごやざるを編んでみたくもあります。
竹は、たけのこだけでなく
栽培用の支柱、タオルかけ、はたきの柄、
葉はうさぎの餌や笹(竹)舟、他、
暮らしのあらゆる場面をサポートする
かけがえのない植物です。

竹がふえすぎて困っている「竹害」という悲しい言葉まで
ある現代ですが、これからは、もっともっと生かして、
素晴らしい竹の文化を取り戻していきたいと思います。

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空虚な時間に押し潰されそうになっても、
その中に、ほんのひとかけらでも、
優しく、ちからづよく輝く時間が必ずある。

その、ちょっとした時間を、その時間の種類を、
少しずつ、やわらかに周りと調和させながら、ふやしてゆくことで、
きっと、世界中に、笑顔をふやしてゆくことができる。

小さくても確かな輝きは、すぐそばに、いつもの場所にある。
そこはとっても狭いかもしれないけど、天井も壁もなくて
無限に広い。

蒼天の下で、あなたの種まきを
待っている、いのちがある。

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実家の店のある合羽橋道具街の通りには
元々、新堀川という川の流れておったが、現在は暗渠。
これからの時代は、暗渠をひらいて太陽の下を
ながるる川に還すことが、地域活性につながるはず。
日本橋にもひかりを。外堀通りは、江戸城外堀に
もどしましょう。都営舟交通網きぼう。

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近所の川原の菜の花畑、めいっぱい黄色い世界と、あまい香り。
だがしかし、こんなにも菜の花があふれているというのに、、、
蜜蜂がいっぴきもいないのおかしい。

前は、浅草の実家の屋上の、数本の小松菜の花にだって、
春となれば来ていたのに、、、
原因は分からないけど、よくいわれている
近頃の強い農薬のおかげなのか。

とにかく蜜蜂の少なすぎる状況は、
僕にとってはウイルス以上に、ぞっとしてしまう。
というのも、蜜蜂だけでなく、虫そのものが少ない。。。
虫ってたくさんいるから、旧字体では蟲って書くほどなのに。

人々が虫へのまなざしを取り戻すまで、どこかに隠れているのかな。
きっとまた会える。他の虫は、全くいないわけじゃない。
もしかしてムクドリたちが虫を食いあさっているだけなのか。。。

まずは、土と触れ合える時間を取り戻すところから、
野の花や小虫を見つめるこころの余裕ができてきて、
虫のことを思う人がふえれば、鳥もちょっとは氣を遣ったりして、
そうやって人がちゃんと生態系に加わることで、
逆に安心して、虫は姿を見せるかもしれない。

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うちにはカメが3ひきいます。

ゴツアシドロガメの亀之介は、用水路で死にかけていたのを末娘が発見して掬い、
毎日の息子の世話で2ヶ月間で復活しました。

くさがめの亀吉は、友達の家で殖えた子亀を宅急便で送っていただいたのが、今もすくすくと、
きれいな水とお日さまを浴び、子どもたちに囲まれ、ミミズなどをもらって成長している。

スッポンの、、、名前は無かったか。川の増水で上流から流れてきたのか、
息子が川原で捕ってきた500円玉大の子亀だが、
水中から空中へメンコのように跳び出すほど元氣。
普段は砂利の中に潜っていて、たまに鼻先だけ出していて、
そのセンサーで餌を知る。

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十六ささげの種まき。


裏庭の芹沢。アマガエルにも会えました!!!

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