ふろしき王子のブログ☆
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目標を立てることと、そこに向かって行動に移すことが
成功への道とされ、ただちに行動することなく、
いつか、いつかと後回しにしてしまっては一向に
成就しないと考えられている向きを感じるが、

いつかいつかと思い続けていれば、いずれ目標は達成されると
僕は思う。途中からもう忘れてしまったり、諦めて
その夢や目標を断念してしまえば、もちろん叶う確率は
ゼロに近づくけれど、

実際の行動が先延ばしとなろうが、いつも忘れないで
思いつづけていれば、好機をとらえたり、ちょっとした
行動、選択が変わって徐々に近づいて、行く末
必ず達成されるでしょう。

たとえばいつかヨシの繁る美しい隅田川で水遊びしたい、
今は困難な状態だけど、いつかきっと必ず・・・
という思いを持ち続け、ちょっとした席でも
その思いをつぶやいてみたりしていくうちに、
同志に逢えたり、思わぬ技術を知ったり、等々で
もしかして子や孫の世代になるかもしれないけれど、
絶対に忘れない「いつか」はいつか叶うと思う。

今すぐこれを叶えたい!!!程度の夢ならば
大したスケールでもないだろう。

逆に、いますぐ小松菜を栽培して食べたい!
といっても、種を蒔くのにふさわしい時期もあるし
ひと晩ですくすく生長を遂げることもない。
夢は叶えようと頑張らなくても、持ち続けてさえいれば
その時節おりおりに必要なポイントを押さえることで
自然と実るものでしょう。

追伸

今朝、無事に第三子(女性)が誕生しました。
これから、皆さまとともにこの星で暮らしていきます。
どうぞよろしくお願いします。横山功

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風呂敷は、ホームテクネー(身近な技術)かと。

僕はそう、職人芸や特別な技よりも、誰もができて家庭で役立つ術をこのむ所がある。

その裏側には、自治魂???というか 何かあったときに誰もが自分や
周りの人がたとの協力で無事に暮らしていけることこそ、生きものとして
ごく自然な在り方と思うから。

自然に触れたいといって、遠くの山奥に行ってもその場限り。
普段から身の回りにささやかにダイナミックな当たり前の
動植物で季節の移ろいを感じる、それでこそ自然を識る。

風呂敷も、誰でも結ぶだけでとっても簡単。ほとんど基本の「まむすび」しか使わない。
(あとは、もっと易しい「ひとつむすび」程度)。
折り紙のように、多様に凝ることもできるが、ただのお弁当包みで
たいていのものは包めてしまう。たたんで携帯しておけば、準備も設計も要らず
その場で、やっつけ仕事でも用を成し、間違ってもほどいて何度でもやり直せる。

本来、慎重になるべきところは大自然との付き合いで、それ以外の生活技術や
その道具は、単純で自らの慣れと工夫で誰しも多目的に生かせるものがよい。
それは原始時代に還ったほうがよいということではなく、
コンピュータや電化製品についてもいえる。
機器の不調のとき、誰でも自分で直せるような構造で設計してほしい。
安全保障にもつながる。

大切な時間=命を、様々な余計な面倒なことにかけず、
健やかに生きるための必要なこと以外は、歌ったり踊ったり遊んだり
趣味や文化・芸術に打ち込むのが、未来の人の姿と思う。

現代は1円でも多くお金を得んがためのお節介な営業活動が
間に幾筋も割って入ってきて、攻める側も受ける方も馬鹿を見ている。
物事をあえて複雑にされ、途中のいくつもの関で集金されるシステム。
環境あっての生産活動で、生産物あってのお金と流通なのに、
物も粗悪品をごまかして販売されていて、環境は省みられない。

リセットされた心身で感じ、おかしなことにはノーと言ったり
自らの信じる改善策へ歩み、厄介がられたとえ命を狙われたとても、
思いは永遠にのこって次世代に影響を与えるから、妥協せずに
自分のいのちを生きたい。



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現在の家に引っ越してきたとき、
ご近所さんに挨拶とお菓子を届けた。
そのとき、お店で立派に包装してもらっても
開ければごみとなってしまうので、

小風呂敷で包んだのを袋に入れて配りました。
以前の家に越したときも同様にし、
贈った風呂敷が干してあるのを見て嬉しくなった思い出がありまする。



先日、新潟で「ふろしきや」を営む大嶋さんが東京にいらしたので
うちの最寄の高幡不動駅のそばの喫茶店で逢い、
シュシュをはめて開閉できる便利なふろしきリュックサックをお伝えしました。
風呂敷はもはや非常時に人命救助にもつながるアイテム(運んだり、折ってロープ代わりにも)と
なるので、みなみなカバンに1,2枚携帯いただきたいもの。



この絵、足首の角度がおかしいですがお氣になさらぬよう。

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朝の水は植物を暑さから守り(蒸散によって)、夜の水は生長に使われる。

人の場合、朝ご飯は一日の燃料となり、夜ご飯はやはり体をつくるので、
朝は糖質、夜はたんぱく質をとるのが理に適っている。

いにしえを想えば、朝フルーツをかじって、夜はたき火を囲んで
肉を焼いていたのかもしれない。

それにしても、我が家の庭にはカナヘビが増殖してきました。
彼らのエサは虫ですが、うちは野菜の皮を放っているのと
雑草は抜かず剪定にとどめているため、団子虫やオンブバッタなど
虫がいっぱいで、カナヘビは苦もなく満腹で子もふえる。


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臺。  


・暑い毎日はまだ続いています。思い返せば、標準を超えたような
烈しい暑さは毎年のことで、それも徐々に高まっているような。
これがまた安定していくのか、いっそう氣候の極端になるかは
一人一人の未来に向けた思いと日々の行動次第でしょう。
省エネや節電でも、昔の暮しに戻るでもない
根本的なところから洗いなおす未来志向で。

・昨日は2階でミシン。屋根の下であるしまだカーテンもないため
残暑9/9うまれで夏につよい僕でも
身の危険をかんじる熱さとなっている。
冷房をつけても効かず、温風のようなので
湧き落ちる汗に窓からの風を受けたほうがまだ涼しい。
縫い物が汗で濡れぬようきをつける。
そんな夏でもやっぱり好きだ。

・床や地面に直接、物やカバンを置くのが嫌なので
台や台となるものに価値を感じています。
様々な種類の道と、多機能な台があれば
まちは暮らしよく魅力的になるだろう。
台は器となり、そこに置かれる中身は物や人のサービスで、
それらをつなぐのが道。

家も台と屋根でできている(柱でつながれる)。
常緑樹は通年屋根になるので、その下に台があれば
雨をしのいで農産物も販売できる憩いの場となる。

台は様々で、机やテーブル、椅子やベンチ、縁台、
重ねたブロックや、りんご箱を裏にしたものも台になる。
湿度のたかい日本はやはり直接下に置かず
風通しのよい台に物を置いたり、吊るすのが向いている。

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お盆が明けて、夜は虫の音のつづく。

下駄先にて階段降るるとき、口先より細う息を吹き吹き集中す。

再開した都心にやはり頭をいため、
電車を寝過ごしてしまった。

メモをとるのをやめた。
体にしみたことだけで生きていこうと。
覚えることなく透過したレーザービームは
薬味となってくれよう。

僕は、食べ過ぎてカロリーオーバーになると
翌日道を迷ったり乗り過ごしたり何なりで
沢山歩くことになるパターンが多い。

少食にして質を上げるほうがよいな。
量を3分の2にして、代わりに1.5倍高価な佳品を選ぶ。

このころのテーマは、道です。
どんなに内容が充実していようと
それを伝える、つなげる、流して回す道がなければ
淀み停滞し腐敗崩壊につながらむ。

どんな道を設定するか、道の種類によって
物や人や風に光、湿氣や電流まで挙動が変わる。

道幅、曲がり具合、坂の高低、道同士の合流、
町や野山の道のみならで、川に水路に水道管、
電線、電氣回路、家や店の動線、遊歩道から何から、
器としての場にどんな中身が訪れるかは
道次第と考えている。

余計な道の造成により、かえって場の魅力を失わせることもある。
それは棲み分けにも関わるが、共存もできるかもしれない。

たとえばヨシの繁る水際に、人の歩く散歩道を造ろうと
コンクリートで埋め固めてしまえば、水生生物は激減するだろうが
尾瀬の湿原のように水も土も風も通る木のスノコ道であれば、
互いに生かしあうことにつながる。

道は居場所でもあるので、種類が多いほうがよい。

この浮き世は自動車と電車のみちばかりだけど、
歩く道、自転車道、生き物の道、樹々のみち、風の、ひかりの、
子どもの道、露店用、避難用など多様なほど心安かるべし。

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この夏のかぶと虫は、はじめ立て続けにオスが3匹やってきて、
メスよはよ来よと願っていたところ、オス1匹、メス3匹、コクワガタのオス1匹。

裏庭の野菜くず投げ場のバナナの皮や桃の種の香りにつられて来るのと、
飼育容器から漏れ出づるプンプンのフェロモンを嗅ぎつけてくるようだ。

うち、オス1匹は友人の息子さまに差し上げ、もう1匹は息子が観察中に飛んで逃げた。
コクワガタは放して、現在はオス2匹メス3匹となっている。
もしもこれで卵を生んだらふやして、来年からは逆にかぶと虫を放虫やおすそ分けする側に
なれるとよい。でも、庭には虫のほうからやって来る。

これは理想で、半年に1度、山奥の大自然に浸るよりも
毎日家の周りで、ささやかでも自然の息吹、営みを感じられる環境がよいと思っている。

少し話を変えて、
僕は高校1年の15才から、常識への対抗意識からか健康志向に目覚め、
朝ご飯は食べない、柔らかい敷布団は敷かないほうが体によいという考えに触れて
実践。朝は抜き、板の床に直接寝るライフスタイルになった。
元々食いしんぼだったのでバランスがとれ、一夜丸暗記型で試験の点数はとれた(即忘却)。
現在は、朝はあれば果物がよいと思っていますが、食べたければ朝からご飯でも
肉でもよいと考えている。寝起きすぐは負担なので、起きてから2~3時間後、
頭や体を動かしてからがよいと。敷き布団は敷くにしても柔らかすぎないほうが疲れがとれる。

そんな風に19年前から健康に目覚めたわけですが、学生時代はさらに1日1食、
たまに断食をつづけると、ふらふら心地よくなりながらバッタン!と床に倒れるが
体が軽くて痛みがなく、そのまま死んだように眠って生まれ変わるように目覚めた。
そういうことを試していたのも、好奇心と世の中への反骨か。
ゴミを減らそうと風呂敷を使いはじめてからは野宿ひとり旅。
その後数年間は完全ベジタリアン。歯が一枚の下駄で生活。裸で寝る。手のひらで掃除。
神経質で頭でっかち、ゲームばかりしていた自分がからだの体験を取り戻す期間
だったのかもしれない。肩より上にあった重心は足裏以下(!?)まで下がった。

こんな前置きはあってもなくてもよいですが、先ほど考えたのは
人が肉を食べる時期について。

男は肉を食べた勢いで(時代によっては男同士たたかってから)女性とまぐわう。
一方女性は、妊娠期に肉を食べてお腹の子を育み、授乳期も肉を食べて母乳を培う。
ベジタリアンの方ならば、肉を食べなくても同じ目的を達せられると仰るでしょう。
仕組みとしては同じです。
肉食の人は、植物を食べてできた動物の肉(たとえば牧草を食べた牛)を消化吸収してお腹の子を育てるわけですが、
菜食の人は、米や野菜などの植物を食べてできた「自分の体の肉」をふたたび分解吸収してお腹の子を育てます。

雀のような小鳥も、普段は草の種をついばんでいますが、ヒナに与える餌は虫が中心です。
エネルギーは糖質で、体そのものを作るのは蛋白質なので動物質のほうが消化や採集効率がよいのでしょう。
ジュウシマツに有精卵を生ませやすくするために、アワ卵という鶏の卵黄を混ぜた粟を与えます。
雄をやる氣にさせるためです。精子形成には亜鉛が不可欠で、亜鉛は動物質のものに多く含まれている。

カマキリは子育てはせず卵任せなので、はじめから蛋白質を豊富に用意するために
交尾後にメスがオスを食らいます。

肉はごちそうであり、エネルギーがつよいので毎食のように食べるのではなく
野生生物のように機能的に生かしたらよいということです。
現代は不妊に悩む人も多く、1回数十万円の人工授精も成功するとは限らない。
薬は毎日のように服用するよりも、ここぞというときに使うほうが効果があるように、
普段は少し足りないくらいが、体の力が引き出されるでしょう。

男は筋肉を必要とする力仕事でなければ、毎食肉を食べて胃腸に負担をかけて
かえって胆力を失わせることをせず、精力を必要とする前に、よりよい肉を食べたらよいと。
現代の肉食が健康を損なっている状況の理由は、食べ過ぎとともに
その肉の質であり、家畜の大量飼育による不自然で劣悪な飼育環境や餌に由来します。
そこで、肉を食べる機会を毎食から1日1食や毎日から3日に1回のように3分の1に減らして、
代わりに3倍高価だけど、お里の知れている肉を選ぶようにする。

女性も普段は菜食氣味がよいかもしれない。文字通り肉食女子なると、多くの生物が
雄が雌を追いかけるのと反対に、女性が男性を狩るような意識になるかもしれない。
肉を食べて勢いづいた男に積極的に誘われ、心結んでまぐわい、
お胎に子が宿ってからは、本能に素直な姿勢で、肉が食べたくなれば食べる。
授乳期も同様。

人がベジタリアンになる理由は様々だけど、健康のため、動物の命の尊厳のためだとしたら、
ただいきなり肉食をやめる、という選択肢以外に、
今まで食べ過ぎていたならば、量や回数を減らし質を上げる。
過酷な家畜の飼育状況に対しては、食べる側が量を減らしつつ単価を上げることで
大量飼いでなく、牧草も自給できるようなのびのびした環境で育つ家畜へと移行させることができる。
元々米も野菜もなくて、人類は海辺で海藻や貝類、野山でどんぐりや木の実、鹿やいのししを
何万年も食べて生きてきた雑食の遺伝子がある。それを完全菜食にするというのは
固き思いがなければ難しく、大部分の人は肉食をやめることはなく、過酷な家畜も減らない。

すべては食物連鎖でつながっていて、本当は植物と動物に境はないと思う。
植物ならば、動かなければ、切り刻んでよいのか。また、心情的に漬物の微生物は動物ととらえないのか。
草が生えている。草が思う。跳んでみたいと。その思いの結晶がバッタとなる。
実際、バッタは草だけを食べてできている。そのバッタが思う。泳いでみたいと。すると
沢山のバッタがフュージョンして、カエルになる。自由に空を飛んでみたくなったカエルは
白サギとなる。みんな、形を変えながら循環している。

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8/9(土)の夜、箱根湯本駅でエスパー魔美のスタンプを押してから、
真白き霧の中を車で、ザ・プリンス箱根というホテルまで乗せていただき、
13(水)の昼下がりまで、和のイベントにおいて
ふろしきの結び方と墨による似顔絵のブースをさせていただきました。

宿泊は山の中のログハウスのようなコテージで、湿度がありましたが
スタッフの男性と4人、合宿やユースホステルのような雰囲氣で
学生時代に戻ったかのようです。

プリンスホテルといえ、出展者である我々は
食事は社員食堂のような従業員用の簡素なところで
着物にハカマ姿という混沌たる世界を味わいました。



ご一緒した方は、紙芝居のさるびあ亭かーこさん、豪華な打掛や着物地のドレスの中駒織物さん
和小物、アクセサリ、人形の展示、日本髪結いの島田史子さんです。

展示者みなみなすてきな方で、よき交流ができました。
これからも、面白いコラボレーションができたらと思います。



うら庭の愛(カナ)ヘビ


息子が一時的に飼っているザリガニ
餌がないので、野菜くず投げ場に棲むアメリカ水アブの幼虫をあげてみました。
この幼虫はとっても食欲旺盛で、お蔭でトウモロコシの芯なども早く分解されます。
ザリガニは藻(うき草やサヤミドロ)もよく食べます。



トウモロコシをかじる娘・亜依は、8/9に一才になったばかり


桃の皮をむきながらかぶる息子・虎之介 四才

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僕が風呂敷ワークショップをする日は、
8/10(日),11(月),12(火)は一日中数回、
13(水)は午前中です。
朝夕は本館「相模」の飾り事展、
日中は「箱根園」で行ないます。


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久しぶりに盆踊りでおどりました。浴衣と下駄。

これで夏の実感は70%に。
やはりここ数年(2010年の夏から、大好きな海に入る氣が無くなってしまった)
泳いでいないため、100%に届くことはないだろう。
疲れている海に、人が疲れを癒しにへえっちまうと
母なる海はますます疲弊する感じがして、
今はできることを恩返ししなければ、泳ごうとは思えないのだ。
実際、海水温が上がり水素イオン濃度(PH)も酸性化していることが
恒常的な異常氣象を生み、生態系を狂わせている。

水は情報を伝える電線。いづれ海へと流れる水道水を
どのような思いで使い、飲んで、流すかが
大袈裟でもなく地球の存亡に関わるだろう。

口先だけで感謝とかありがとうと唱えても、
メダカや小エビも棲めないような排水を垂れ流す生活をつづけていては嘘になる。

精神的な、ストレスだけで状況が悪化することはない。
ストレスによって暴飲暴食するとか、安定剤に依存するなど
物理的なかたちある原因をつくるから
結果が変わる。

だから、感謝しているだけでは変わらず、
習慣が変化してはじめて何事も物しはじまる。

メモをとらなくなって記憶力が高まるように。
そして、祈っても散らかった部屋は片付かない。

祈りが無意味なのではなく、祈りを届けるための通り道は、
手足を使って汗して造らなければならない。
思いも微弱な電氣ならば、電線を凜と整えなければ
絶縁され電磁波となって霧消する。

僕の思いを生み出している容(かたち)は
庭の水やりと生きものたち、結び背負うふろしき、下駄履き
そして家族との暮しに他ならない。
最近はあまり帯をしめていないし、床で寝ちゃったり
湯に浸からない、片付いてない荷物があることから
たるみ淀みの生じつつある。

その原因は、マイペースのくせに忙しい予定で余裕を欠いている。

ただしそんな状況もよい経験なので問題ではなく、
この調子で参ります。

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先日から、なるべくメモをとらない習慣へと変えていますが
やはり人の脳(記憶器官)はスーパーコンピュータを超える性能という通り
案外きちんと覚えるし、使うほどに参加する回路が増えてきて
抜かりない状態に近づくような感覚がある。

細かな数値や時間は記す必要も出てくるが、
大枠の各内容は書かず、しかも覚えようと努めるのではなく
自然と記憶に残る。さすれば、逐一紙を見返さなくても
個々の案件が脳内ネットワークでつながったり組みあわさって
むしろ適切な段取りに導かれたり、隙間を埋める用事を生み出す効能も。

さて本日は、午前中都心で仕事のあと
午後から千葉県の老人入居施設で風呂敷の実演を行ないます。

一枚の布きれが次々と形を変えるのは見てても楽しいでしょうし、
それが誰にでもやさしく結べて、実用でき、
日常、レクリエーション、防災と幅広い役立つ。
究極覚えることは何もなく、ただいつもたたんで携帯さえすれば
お弁当結びだけでもほぼ何でも包めるし
ほどいて何度でも結び直したり、ひもやカゴ、シュシュなどとの
組み合わせも知恵と工夫次第で無限に広がる。
風呂敷は道具ではなく、結んで何でも作るための材料だから
機能や目的が限定されない。
そして、みながいつも持ってさえいれば
つないで大きな物を運ぶとか、そのとき便利な技を教えあうこともできるので

ぜひとも普段のバッグにプラス、いちまいの風呂敷を。
実家のタンスにおばあちゃんの風呂敷が寝てるかも。
バンダナでも、大判のハンカチやスカーフでもよい。
結び方を知らなくたって、あなたならそのとき考えればできる!
ずっと、ふろしきを結んで生きてきた遺伝子で満ちているから。

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池にかぶさるように張り込んでいます。
誰か(シジミ蝶他)がかかると、駆けてきてまるめこむ。
小虫にとって脅威かもしれないが、虫にとっても餌があるから来るわけで、
食物連鎖上位の消費者(クモやカマキリなど捕食者)のいる環境は豊か。
さらにカエルにヘビ、フクロウとつづく。





雨蛙は、日中の暑いときはどこかの木蔭の葉などに隠れてうずくまっていますが、
早起きすると逢える。うちで放った野菜くずや雑草に来る虫を食べている。
夏前はゲコゲコ、秋雨の前はクワクワ、その歌に僕はげんきをもらう
運命共同体のファミリー。接写しても逃げない。

この家に入った当初、庭は小石とドクダミばかりで生きものの種類は少なめだった。

人は環境を破壊するばかりの存在ではなく、協生してもっと豊かにすることもできる。
森は、動物が枝葉を落とすから光が射して下草が育つ。
里山の雑木林や水田も人為による生態系。
人の暮らす流域の河口は、栄養豊富で貝が沢山採れる。

自然を守ろうという意識が無くても、本来は食糧産生の場であり、
清浄な水も育む安全保障として、身近な環境を調え、つきあう必然がある。
輸入や電氣が停まったら、今ここで暮らしていけるのかどうか。

僕のふろしきライフも、はじめは使い捨てのゴミを減らすためがきっかけでしたが、
環境問題にかぎらず、生活に必要な道具を無駄なく結んでつくる技と素材が
風呂敷なので、エコのために止むを得ず使うという感覚ではありません。

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10年来ほど、毎日紙切れびっしり埋まるほどに
メモ魔でしたが、何でも書留めてると
かえって覚えず心に刻みこまれない、行動に移すのが遅れる
感じもあって、昨日からメモを減らしてみた。
第一、本当に重要なことは記憶して当然ともいえる。
事細かな日時や場所を記しておくのは必要だけど、
僕の場合「メモを見る」ってことまで書いてたから。

人生はあっという間。
メモを読み返すのも、一つ一つ立ち止まって考えるのも
体の動きやすい流れを止めることになる。
省みるのは、何かもやもやとしっくり来ず、体が自然と躊躇したときでよい。

いつもその都度頭をこねくり回すよりも、
まっすぐシンプルに歩んで時間を浮かせ、
その分を睡眠時間にあてて頭をすっきりさせておいたほうが有効。

考え過ぎるというのは自信が無い故、
または何かを怖がって慎重になっている。

ひっつき虫は外すことも加えることもせず、
ただ坦々と前進していけば、必要なものはより強くくっつき、
そうでないものは振り払わずともこぼれ落つ。

頭で判断する前に悪臭は体が拒否するように、
思考にバックギアがなくても、体が適切になだめ調整してくれる。

さて、メモを取りすぎないリズムへの切り換えが
いかなる光をもたらすか、すこし楽しみです。

話変わり、今朝はじめて新居の庭でカナヘビ(蛇ではない)に逢いました。
川に近いからどちらかというと日本トカゲかなと思っていましたが、
愛らしいカナヘビの子。

連日の暑さからか、逆に今朝から雨蛙はどこかに隠れてしまった。
草葉の蔭でもあちいので、いよいよ樹上に引っ越したかな。
野菜くずになめくじ、ハサミ虫、団子虫、雑草にオンブバッタも跳び
餌が豊富だもんでカナヘビも殖えるだろう。

いつか、自分ちの庭で蛇に遇うことを夢みてる。

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先日の朝は庭をコクワガタの雄が歩いていたのを、
息子が捕って、かぶと虫と共に飼っている。
餌はバナナに水と塩(発酵をたすけるミネラル)を混ぜて
どろどろにし、発酵させた甘酸っぱいもの。

夏は生きものたちがよくうごめく。
裏庭には、池から巣立った雨蛙忍者隊が何匹も潜伏中。
餌とするオンブバッタと一緒に育っている。
野菜くずや雑草があるから、食物連鎖が生まれる。

みどり色の黄金虫が葉っぱに停まっていて、
バナナの皮にはカナブンが来る。
剪定した枝葉を投げているが、塀と建物の隙間は
そこは茶色いカマキリの縄張り。
色んないきものが生きていける環境は安心します。

今後の講座(サークルや学校以外の一般参加可能のもの)

8/7(木)14:45 日野市万願寺 風呂敷と古武術のコラボ
8/10(日)~13(水)ザ・プリンス箱根
9/14(日)福島県立美術館 風呂敷の墨描きと結び講座
10/11(土)吉祥寺産経学園ふろしき講座
10/30(木)一関市花夢パル
11/8(土)すみだ『ふれあい館まつり』


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