この夏のかぶと虫は、はじめ立て続けにオスが3匹やってきて、
メスよはよ来よと願っていたところ、オス1匹、メス3匹、コクワガタのオス1匹。
裏庭の野菜くず投げ場のバナナの皮や桃の種の香りにつられて来るのと、
飼育容器から漏れ出づるプンプンのフェロモンを嗅ぎつけてくるようだ。
うち、オス1匹は友人の息子さまに差し上げ、もう1匹は息子が観察中に飛んで逃げた。
コクワガタは放して、現在はオス2匹メス3匹となっている。
もしもこれで卵を生んだらふやして、来年からは逆にかぶと虫を放虫やおすそ分けする側に
なれるとよい。でも、庭には虫のほうからやって来る。
これは理想で、半年に1度、山奥の大自然に浸るよりも
毎日家の周りで、ささやかでも自然の息吹、営みを感じられる環境がよいと思っている。
少し話を変えて、
僕は高校1年の15才から、常識への対抗意識からか健康志向に目覚め、
朝ご飯は食べない、柔らかい敷布団は敷かないほうが体によいという考えに触れて
実践。朝は抜き、板の床に直接寝るライフスタイルになった。
元々食いしんぼだったのでバランスがとれ、一夜丸暗記型で試験の点数はとれた(即忘却)。
現在は、朝はあれば果物がよいと思っていますが、食べたければ朝からご飯でも
肉でもよいと考えている。寝起きすぐは負担なので、起きてから2~3時間後、
頭や体を動かしてからがよいと。敷き布団は敷くにしても柔らかすぎないほうが疲れがとれる。
そんな風に19年前から健康に目覚めたわけですが、学生時代はさらに1日1食、
たまに断食をつづけると、ふらふら心地よくなりながらバッタン!と床に倒れるが
体が軽くて痛みがなく、そのまま死んだように眠って生まれ変わるように目覚めた。
そういうことを試していたのも、好奇心と世の中への反骨か。
ゴミを減らそうと風呂敷を使いはじめてからは野宿ひとり旅。
その後数年間は完全ベジタリアン。歯が一枚の下駄で生活。裸で寝る。手のひらで掃除。
神経質で頭でっかち、ゲームばかりしていた自分がからだの体験を取り戻す期間
だったのかもしれない。肩より上にあった重心は足裏以下(!?)まで下がった。
こんな前置きはあってもなくてもよいですが、先ほど考えたのは
人が肉を食べる時期について。
男は肉を食べた勢いで(時代によっては男同士たたかってから)女性とまぐわう。
一方女性は、妊娠期に肉を食べてお腹の子を育み、授乳期も肉を食べて母乳を培う。
ベジタリアンの方ならば、肉を食べなくても同じ目的を達せられると仰るでしょう。
仕組みとしては同じです。
肉食の人は、植物を食べてできた動物の肉(たとえば牧草を食べた牛)を消化吸収してお腹の子を育てるわけですが、
菜食の人は、米や野菜などの植物を食べてできた「自分の体の肉」をふたたび分解吸収してお腹の子を育てます。
雀のような小鳥も、普段は草の種をついばんでいますが、ヒナに与える餌は虫が中心です。
エネルギーは糖質で、体そのものを作るのは蛋白質なので動物質のほうが消化や採集効率がよいのでしょう。
ジュウシマツに有精卵を生ませやすくするために、アワ卵という鶏の卵黄を混ぜた粟を与えます。
雄をやる氣にさせるためです。精子形成には亜鉛が不可欠で、亜鉛は動物質のものに多く含まれている。
カマキリは子育てはせず卵任せなので、はじめから蛋白質を豊富に用意するために
交尾後にメスがオスを食らいます。
肉はごちそうであり、エネルギーがつよいので毎食のように食べるのではなく
野生生物のように機能的に生かしたらよいということです。
現代は不妊に悩む人も多く、1回数十万円の人工授精も成功するとは限らない。
薬は毎日のように服用するよりも、ここぞというときに使うほうが効果があるように、
普段は少し足りないくらいが、体の力が引き出されるでしょう。
男は筋肉を必要とする力仕事でなければ、毎食肉を食べて胃腸に負担をかけて
かえって胆力を失わせることをせず、精力を必要とする前に、よりよい肉を食べたらよいと。
現代の肉食が健康を損なっている状況の理由は、食べ過ぎとともに
その肉の質であり、家畜の大量飼育による不自然で劣悪な飼育環境や餌に由来します。
そこで、肉を食べる機会を毎食から1日1食や毎日から3日に1回のように3分の1に減らして、
代わりに3倍高価だけど、お里の知れている肉を選ぶようにする。
女性も普段は菜食氣味がよいかもしれない。文字通り肉食女子なると、多くの生物が
雄が雌を追いかけるのと反対に、女性が男性を狩るような意識になるかもしれない。
肉を食べて勢いづいた男に積極的に誘われ、心結んでまぐわい、
お胎に子が宿ってからは、本能に素直な姿勢で、肉が食べたくなれば食べる。
授乳期も同様。
人がベジタリアンになる理由は様々だけど、健康のため、動物の命の尊厳のためだとしたら、
ただいきなり肉食をやめる、という選択肢以外に、
今まで食べ過ぎていたならば、量や回数を減らし質を上げる。
過酷な家畜の飼育状況に対しては、食べる側が量を減らしつつ単価を上げることで
大量飼いでなく、牧草も自給できるようなのびのびした環境で育つ家畜へと移行させることができる。
元々米も野菜もなくて、人類は海辺で海藻や貝類、野山でどんぐりや木の実、鹿やいのししを
何万年も食べて生きてきた雑食の遺伝子がある。それを完全菜食にするというのは
固き思いがなければ難しく、大部分の人は肉食をやめることはなく、過酷な家畜も減らない。
すべては食物連鎖でつながっていて、本当は植物と動物に境はないと思う。
植物ならば、動かなければ、切り刻んでよいのか。また、心情的に漬物の微生物は動物ととらえないのか。
草が生えている。草が思う。跳んでみたいと。その思いの結晶がバッタとなる。
実際、バッタは草だけを食べてできている。そのバッタが思う。泳いでみたいと。すると
沢山のバッタがフュージョンして、カエルになる。自由に空を飛んでみたくなったカエルは
白サギとなる。みんな、形を変えながら循環している。
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