ふろしき王子のブログ◎
出前講座開催☆
http://furoshikiouji.asia
メール isamix@gmail.com
 



実家のお店のツイッター(@kappayokoyama)より引用。



7/30木、9時から17時半まで営業。
めずらしく、庭で放し飼いのニワトリを見ました。
「遠出がだいすき」な子たちとのこと。
いまどき庭で飼おうものなら、臭いや鳴き声が
少ないとしても、様々な苦情が来そうです。
しかし、現在卵を安く買えるのは、鶏が10cmも
動けないような環境で成り立っています

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本日は、友人宅の壁と天井の塗装の手つだいに行きます。
明日は、また別の友人宅のベランダの手すりの塗装に。

商店街のシャッターにペンキで絵を描いているので、
そのつながりというわけでもないのだけど、
風呂敷しょった、なんでも稼業です。

今日のふろしきサブバッグの中身は、
・大あさの大風呂敷2枚(手づくり。注目品)
・大あさの蚊帳の風呂敷、小中各1枚
(手縫い。注文品)
・藍染めしたリネンのれん地の手づくりマスク
(裏には蚊帳地のポケット。注文品)
・作業用のズボン
(ワークマンで買った、Kansaiのもの)

ふろしきを作った残りの生地を利用して、
麻の涼しい手づくりマスクを、友人やママ友の依頼で
つくっています。

熱くてつらい子どもたちが多いようなので、
多少役にたてたらと思っています。

明後日からは実家浅草の店。
日曜日は晴れたら、借りている畑へ。
しばらく行けていない。
雨つづきで草の海になっているか、
日照不足でそうでもないのか。

実家の屋上のシソは、毎回山のごとく繁っていてありがたい。

お日さまの出るようになれば、
さつまいもがふくらむでしょう。

見えない土の中に、
人の笑顔をふやそうとしている、
植物のこころがある。

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明後日、7/30(木)発売の『女性セブン』(28号)に
載る予定です。

ふろしきは確かに、レジ袋の替わりの買いもの袋として
使えますが、その他にも臨機応変に、機動的に
多様な場面で役だちますので、
もっとも手軽な安全保障のツールとしても、
カバンにしのばせておくことを、おすすめいたします。

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来週8/4(火)の朝、
日本テレビ「スッキリ」に
出演する予定です。

ふろしきは、中身を自由にする器。
甲羅もカメのじゃまをせず、
できることをふやしてくれる。

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風呂敷を、つかいはじめた学生時代!

地元浅草のラーメン「与ろゐ屋」!

隣に座った方! 二度見! 山本寛斎さん!

食事中なので挨拶のみにしました!

会計時に目が合う! すてきな笑顔!

「そのカバン、いいね !」

風呂敷バッグを褒めてくださった!

天国にも、げんきを振りまいてきてください!

合掌!!

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究極的なことをいえば、
役割を果たすというのは、
その役割を終えることである。

たとえば僕は、20年前から
ふろしきの結び方や魅力、その心を
全国で伝えつづけていますが、
もしこれが江戸時代であったら
そのような需要はほぼ無いでしょう。

老若男女みなみなが風呂敷を、
自分なりに工夫して日常つかっているのが
当たり前の時代だったから。

もともと僕は、環境をもっとよくして
都会でも身近にいきものを触れあいたいという
思いから、その一環として使い捨てのごみを
減らそうと、ふろしきをつかいはじめた。

これが、エコのために我慢して仕方なく
つかうような風呂敷だったら
当然長続つづきはしなかっただろうが、
環境問題をぬきにしても、これほど便利で、
かつ創造のよろこびに満ちたものがあるかという
感動と歓びのもと、氣がつけば手放す理由もなく
ずっと使いつづけ、かつ、ありがたくも
その魅力を伝えることを、仕事としても
呼んでいただけるようになった。

こうして20年を経ても、街なかでは誰もが
風呂敷を提げて、背負って、あるいている
という光景には至っていない。
無論、それを目的としているわけではないが、
願うらくは、子どものうちから、ひと通り
風呂敷の扱いを知って慣れて身につけた上で、
あとは各人が好きな道具をえらんだらよいと思う。

あくまでも、風呂敷はたくさんの選択肢の一つである。
ただ、風呂敷が他の道具と違うところは、
完成品ではなく、材料にすぎないということ。
そこから、何でもすきなものをつくれる、DIYのプロセスが
ふろしきの真髄なのだ。

そしてその技術は、単に”むすぶ”だけなので、
完成してもほどけば材料にもどる。
次はまた違った形へ、用途に沿って変わってゆく。
材料~道具を永遠と循環する、ふしぎな存在だ。

だから、風呂敷を身につけるというのは
いくつもの結び方を習得するばかりでなく、
生き方、暮らし方、物と制作のコミュニケーションそのものの
新たな視点を得るということでもある。

さすれば、風呂敷自体がなくても、
何か問題が起きたときに、身のまわりにあるものを
工夫して、見立てて、少ない労力とコストと、
ゆたかな発想によって涼やかに解決し、
まわりの人や物や環境や社会と調和しながら、
みんなでまるく、やわらかく、協力して、
誰もがしあわせになってゆく、というところさえ目指すことになる。

ふろしきは、相手にあわせながら包みこんで、
一緒にすすんでゆくものだから、敵も味方もない。
より多くの方が、自由に風呂敷をつかって、
人に伝えて、やがて当たり前の存在と、ものの考え方になれば、
わざわざ風呂敷講座をひらく意義も薄れていくだろう。

次に出す本で、ハウツー的なものは最後にしてもよいと思っていて、
そのためにも、バランスのよい本にしたい。
これまで、
「ふろしき王子」という氣はずかしい愛称は、
自分から名乗ることははばかられていたが、

友人のつけたこのニックネームによって
風呂敷の活動を目立たせて、さまざまなご縁や出会いを
つないでくれたことは否めず、感謝すべきことである。

それで、今になってようやく、
本の著者名に、勇氣と誇りをもって
ふろしき王子と記すことにしました。

ちょうどそれを打ち込んでいる今このとき、
雨は降りながらも、お日さまのひかりが
ぱああっと射してきて、
子どもたちが「梅雨がおわる!」と歓声をあげました。

ふろしき王子として、いよいよ最後の活動に入ります。
風呂敷が、人々の暮らしにとって当たり前のものになり、
僕が誰からも呼ばれなくなることが、役割としてのゴール。
そこをくぐれば、また新しいステージが待っているでしょう。
ふろしきは哲学。
それをもって、世の中から特別なことをなくしていく。
一部の誰かが抱え込むのではなく、
みんながみんなの、生きるために心と行動を注ぐことで、
せかいは、早く進化していく。



たとえるなら、テストの答えをみなで教えあって
考えあって、結果的に全員が100点をとれるように。
みなさま、どんどん、風呂敷をひろめてください。
僕は可能な限り、何だって協力いたします。
暮らしていくため、毎月の支払いの分は
いろんな形で得なければならないけれど、
お金のものさしで、機会を潰そうとはしません。
この20年ずっと、経済的にはぎりぎりの生活をしながらも、
借金ゼロ、貯金もゼロ(笑)で、しあわせに暮らしてきました。
人を信じ、社会を、大自然を、そして宇宙をしんじています。
これからも変わらず、自由に、マイペースに、
ふつつか者ながら、精進していきたいと思っています。

風呂敷の結び方なんて、とってもやさしくて、
達人技なんていう難しいものでも何でもない。
だけど、風呂敷を通して僕は、

・日常生活や旅が、大変便利でたのしくなった
・忍者あるきに変わって、とっても身軽になった
・いつも背負っていることで足腰や背中がしぜんに鍛えられている
・ミシンを使えるようになった
・人とコミュニケーションをとるきっかけとなった
(これは、似顔絵を描くことも同様)
・大勢の人まえで、話せるようになった
・各地から呼んでいただき、全国を旅して
 知らない町や人々と交流できるようになった



・何でも自分でつくってみようという意識に変わり、
 ものづくりの幅がひろがった
・ふろしきの在り方から、生き方を教わった

いちばんの宝ものは、
風呂敷を通して出会った、
たくさんの人、友達、なかま。

たまたま同じ時代のおなじ星にうまれて、
こうして出会ったのは偶然ではない。
人には感情があるから、面倒なことだって
起こるものだけど、それ以上のよろこびに
つながるように、みんなが、
嫌なことに負けず、積極的にうれしいことを
見つけて、生み出して、よりよい
未来をのこしていきましょう。

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100%をカワイイで固めても、相殺または
デフォルト化されて、薄れる。
99%は別要素にして共存させると、
1%のカワイイが光るし、互いに引き立て合う。
世界はそのようにして魅力を放っている。
謙虚なようで、目だっている。
「シャイだけど、シャイニング」

そのような視点では、風呂敷も
実地でつかっている場面こそが
何よりもきらめいている。
その感覚は、写真でも動画でも
伝えきれるものではない。
本当に役にたって、たすかった~!
という感動と、状況と、つかい手の身体と
ともにあってこそ、
風呂敷はうれしそうに見える。









撮影では、どうしても風呂敷単体の物撮りに
なることも多いので、
いろんな人が使っている様子やその街角、
背景となる物語と組み合わせることで、
深くほのかに光る包みの存在感を、
多少顕せるのではないかと思っている。









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子どもが、連日の雨により
楽しみにしていた外あそびが
ことごとく中止されることに業を煮やして
「アメのばか」を繰り返していた。

その思いを理解しながらも、「ばか」「バカ」聞きつづけるのも
心地よくないので、
特に大きく「馬鹿ッ!!」と叫んだときに、
僕はつい「〇〇(子どもの名前)、うるさい!
雨が降んなきゃ、水がなくなって死んじゃうんだよ」
と感情にのせてしまった。

そんなことは百も承知だろう。
子にとって、川で魚をさがすこと、林でかぶと虫を捕ることへの
ワクワクの希求は、大人が想像する以上の度合いで、
それが毎日のように中止となっては
さすがに、お天氣をうらみたくなるのも
自然なきもちにちがいない。



多くの小学生にとって、夏休みってきっと
いちばん楽しくて特別な日々だったはず。
それが今は、
・夏休みは約二週間のみ
・コロナ騒ぎにより、プールも花火も盆踊りも中止
・広い原っぱであっても、マスクをつけないと、知らない人に罵倒される
・厚労省の周知では、屋外で人と2m距離をとれば、熱中症予防のために
 マスクをはずすことを推奨している。それでも、顔を真っ赤にして
 マスクしながら走りまわる子たちは、吐く息による体温調節が
 ままならなくなり、熱中症は例年より増加
・感染者数は検査数に比例している面もあるが、
 たとえば東京から他県の親類宅へあそびに行こうものなら
 その家が近隣から村八分になるケースもあるというから、
 空氣をおもいはかって、帰省を断念する家庭が多い。
・県をまたぐため、海水浴にも行きづらい現状

世の中はそのような空氣がながれている。
周囲との同調を何よりの安心とするのも
日本人の氣質の特徴の一部。
しかし、真面目すぎるきらいによって、お上の御触れを超えて
極端に徹底しすぎてしまえば、心身の健康を保つという
本来の目的とは本末転倒の事態となり得る。
大切なのは、皮膚感覚的なバランスを調える、さじ加減です。

臨機応変に、たとえば「この環境であればマスクは意味をなさず
副作用のおそれのほうが強いからはずそう」
「この空間ではつけておこう」という判断。
それが、科学に基づいて行われたらよい。
現状は、どちらかというと感情のほうがつよいと思われる。
人による心配の度合いの差については、
当人のつけているマスクが機能を果たしているならば、
それぞれの人の事情(アレルギー、呼吸疾患、熱中症のリスク等)が
あると理解すればよい。それを汲みとらずに他人を責めては、
「通学途中にいるおじさんが怖いから、苦しくてもマスクを外せなかった」
となりかねない。それでも、正義の旗印があると、人は開きなおれてしまうものだ。

自分でも嫌々仕方なく我慢しているというのに、
何故お前はマスクをしていないんだ? という怒りや不信が、
もしもあった場合、そのストレス自体が心身にとって非常によくない。
まずは、自分にとってなるべく違和感のないマスクの種類をえらび
(素材・形状・機能性によってつけ心地、呼吸のでき方は大きく変わる)、
かつ、自分にとって納得できる、マスクをつける/はずすの基準を明確にする。

以前、堀江貴文氏が、動画配信中に野菜の料理を食べていた際、
視聴者からの「野菜食べていて偉い」というコメントに対して
「(健康のために仕方なく、ではなく)野菜は美味しいから食べているんだ!」と
怒りを顕にしたことがありました。
堀江氏にとって、嫌なことを我慢しながらする、というのは
生き方として許せないことであり、また、
幼少時より美味しい野菜を食べて育ってきたことから、
本意ではない解釈をされたことに
黙っていられなかったことと思われます。

マスクについても、嫌々つけていては、こころにや身体にマイナスを
もたらすでしょうから、つけるなら、ファッションとしても、呼吸的にも
心地よいものを選んだり、使いわけることによって、
自分自身が納得した上で、という前提が重要でしょう。
しっかりと考えた結論として、マスクをしないという選択をする人がいたら、
それでよいと思います。逆に、つけることもまた、周囲への同調だけでなく
きちんと考えた上でするべきです。
「きみはきみ われはわれなり されど仲よき」という
武者小路實篤氏のことばがあります。

自分では理解できなくても、相手にはその人の考えや事情があり、
それを選んでいる。そのことはまずは尊重し、
反射的にレッテルを貼って責め、決めつけるということをしない。
それが、たくさんの視点を持って知的保留のできる
大人の態度のはず。だけれども、
ただちに命に関わることと見なしている人と、
そうは思っていない人たちとの温度差があって
なかなか調和(多様な人たちが共存できている状態)には至っていないのが現実。

そこへ近づけるには、感情を超えた基準が必要で、
それは科学的に正確性の高い情報の共有なのですが、
もともと、小さすぎて可視化不能なウイルスの話なので、
マスクで止めているのか通過しているのかも分からないなか、
機能よりも、マスクをしている/していないという
ゼロか100かという記号的な二元論を出ていない現状です。

そこを、状況に応じて30とか70とか、ときに200という具合に
加減するのが、効果的で有意義な対応です。
そうでないと、あきらかにまずい微細な塵芥が舞うなかでも
マスクさえしていれば大丈夫という誤った安全神話に座してしまう。
こわいのは、本当にウイルスを拡散し得る発症者が、
マスクをすれば誰も文句を言うまいと、外出できてしまうこと。
マスクがフリーパスにならぬよう、いつでも科学的に判断する姿勢が大切。
決まりは守りぬきたいという生真面目な国民性にはよさもあるけれど、
それがただのポーズになって、ポーズの合わせあいが
エスカレートして、声なきマイノリティーの命を奪うことのないように。

個人的な心がけとしては、菌もウイルスもブドウ糖を餌とすることから、
人の血中に過剰な糖があまらぬよう、
糖質の摂りすぎを抑え、替わりにたんぱく質をきちんと摂取すること。
ステイホームでは特に、運動不足により糖が消費されづらくなるので、
なにか口さみしくなったら、砂糖を入れない玉子焼きなどを食べる。
また、大きく体を動かさなくても、日常的に姿勢をよくしておけば
下半身が上半身という負荷を支え、上半身も下半身に乗るよう
バランスをとる。それによって双方から糖を燃やしつつ、
姿勢を保つのに必要な筋肉がついて基礎代謝がふえます。

僕が、意外に食いしんぼうの割に太りづらい原因の一つは、
外出時はほぼ風呂敷を背負っていて、その上で
よい姿勢を保とうとすることで、たえず適度な負荷による
代謝がつづいているだろうこと。
また、糖質は最後に回しているので、たとえば
ラーメンを食べるときは、先にスープや具を食べて、
最後に麺をすするようにしています。
いつも汁なし具なし担担麺になるのもどうかとは
思いますが、汁が無くなるため、麺はさほどのびないで済んでおります。

そんな風に、個人が自分なりに工夫するのが
当たり前の世の中になったらいい。
正しくても間違っても、先生のいう通りにしたのだから自分は悪くない、という
責任の有無のみを価値とする虚しき生き方へ堕ちないように。
たゆまぬ勉強と実践、反省と改善を、死ぬまでつづけてゆきましょう。

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風呂敷の魅力は、誰でも簡単に再現できること。
達人の技というものはなく、柔軟な見立てのまなざしと、
日々むすんで身につくさじ加減が生きる。

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AIは、ルール内の最善策を見つけるが、
新たなルールを作成するには、いまだ至らない。
既成のバッグに入れるのに
ふさわしい中身を教えてはくれるが、
先に存在する中身に対する、より適した
バッグの形の提案は無い。
ふろしきは、中身に合わせて、バッグ(ルール)
自体を、自在に変化させてゆく。



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こちらのラジコから、明日7/25の12時まで聴けます
出番は、01:36:35くらいからとなります。

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本日この後、FMヨコハマ84.7のラジオプログラム
はなさんがパーソナリティーの『Lovery Day』に、電話出演の予定です。
朝9時からの番組で、僕の登場は10時35分くらいからと思われます。

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VTRの収録は、何とか無事げんきに、完了。

20時半すぎに帰宅してご飯を食べたら、
今夜は早めに寝ようかとも考えている。
昨日まで浅草に2泊していて、毎度外食で、
入浴は水を浴びるだけなので
氣づかない疲れも貯めていただろう。

それでも、たまに眠い程度で、ぴんぴんしているのは、
風呂敷を背負いつつ姿勢をよくしていると、
腹筋と背筋がしぜんと鍛えられていること。
また、1人のときは糖質を摂りすぎぬよう意識しているので、
しばらくは風邪だに引いていない。

実家は、浅草の合羽橋道具街で
お菓子の道具の店(有限会社ヨコヤマ)を営んでいる。
「ふろしき王子のブログで見て、来ました」
と言ってくだされば、もしかするとサービスがあるかもしれません
(保証はできませんが)。
糖質をとりすぎないと書いておきながら、
お菓子に関連した生業をしていますが、

僕が思うに、お菓子は作業がひと段落して、
あとはゆったりできる時間を持てるときに、
それまでの緊張を解くために有効と感じます。
まだその先にやることがある場合は、
甘いものを食べすぎると眠くなったり緩みすぎる
可能性があるので、やはり、真面目にがんばったあとの
自分へのご褒美のような位置づけにしておいたほうが、
糖質過多の副作用を減らし、暮らしにほどよき
心の緩急をもたらす、しあわせのしずくとなり得るでしょう。

また、ひと口にお菓子といっても
ものすごい種類の幅がある上に、
材料、作り方、つくり手のこころ、
食べかた、量、雰囲氣等によって
千変万化するでしょうから、
お菓子をいただく際のこまやかな
セッティングや指のうごき、部屋や心身の
安定具合によっても、もたらされる影響には
天地の差が生じるものでしょう。

とはいいながらも、体の材料としての
基本はたんぱく質です。
きちんと摂取しようと、多く含まれる食材を
えらんでも、それ以上に大切なのは吸収率です。

先日聴いたのは、コンブの蛋白質は
含有量がさほど多くないものの、
消化がよくて、身になるとのことでした。
勉強と実践は、死ぬまでおわりませんので、
どうせ暇をつぶすような時は、勉強したい。
興味のきっかけをつくり、実際に試すことで
経験値をふやして、今あるものとの
かけ算や割り算による新たな地平が、ひろがるものだから。

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今日は夕方から、テレビのVTRを撮ってきます。

TVも本づくりもWSも、時間に追われて雑になってしまわぬよう、
一つ一つを、リラックスして丁寧にやっていこうと思います。
そうでないと、計画通りに間に合ったとしても
人の心に深く響くものにはならず、
何より自分自身の充足につながらないでしょう。

これからは、もっともっと、
自分や仲間の思いに耳を傾けて、
細かくやさしく、進めていきたいです。

もしも何か、違和感やすれ違いを微細にも
かんじたら、取り越し苦労はせずとも、
自分が思った内容をきちんと、敬意ある表現でつたえたい。

漠然とであれ疑問をはらんだままでは、
創造的な共鳴はうまれにくくなるでしょう。

家族でも仲間でも、ともだちも仕事も、
コミュニケーションが鍵。
子どもがちらりと漏らした思いを、
忙しいからと適当にあしらわないで、
尊重すること。

今を息吹いている、一人一人と本音で向き合う。
そのためには、
予期せぬ時間が必要となる場合もあるから、
たとえ急に予定が変わっても大丈夫なような
段取りや信頼を、誰もが共有している世の中になったらよいです。

ぼーっと、
何にも仙人な時間を
ちゃんと持っていること。
ぽわぽわと、揺るる時間こそが
真の宝ものです。

なにか忙しくしていないと自分に価値を感じられないというのは、
病のひとつ。

誰かの反応や自分の所属するものという、外側に、
アイデンティティーを求めてはならない。

自分を肯定でき、不足感がなくなれば
それを他人に責任転嫁して
攻撃することも無くなる。

まずは自分自身のリラックスを。
自分という他人をあたたかくいたわることが、
なによりも大切に心がけたいところです。

明日は、朝の10時半くらいから
FMヨコハマ『Lovery Day』に、
電話出演の予定です。

聴取可能な地域の方は、よろしければどうぞ。

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荷物もち。まだまだいけるす。

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