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先日の多摩川につづいて、今日は八王子まで自転車で買い物に行く途中の

浅川という、多摩川支流を訪れた。
自宅からは最も近い川です。ちなみに、実家に近いのは隅田川。

多摩川よりは小さい川だが、親しみやすい。
河川敷にグランドもなく、街の中にすうと溶け込んでいる川だ。

おそらく、下水を処理した水の流入がないのか、
多摩川のような藻のにおいがない(処理水は富栄養のため、藻が生じやすい)。
ちょっと入れば、石ころの明るい川原が広がっていて、ほのぼのする。

ちょうど、同時にやってきた小学校高学年くらいの女子2人が
川原に降りて、「あー、氣持ちいい~っ」と素直に歓ぶ。

石ころころの上を歩ける川原の存在は、大切だ。
そこを歩くだけで、バランス感覚を調えたり、つぼ押しにもなりそうな石の道。
漂着の流木も拾える。石を積んでたき火もできる。
河川敷の両サイドの護岸は目をつぶるとしても、
直接の水際の護岸の、味氣無さというか、無機質のこわさは
かえって心を凍らせて、川や水との付き合い方を身に付けるべくもなく
安全保障を妨げるのではないかとすら感じる。

激烈な水害を緩和するための、最低限度の土木は必要だけど、
ぎりぎりまで人間が住めるようにするための護岸工事は
結局その場しのぎで、自然を甘く見ている。

川辺や、川の水位よりも低い土地にはなるべく住むべきでないし、
建てるならば、流され壊れること前提に、質素で趣のある掘っ立て小屋にして、
軒に小舟をつるし、日常は観光やレクリエーションのための
海の家ならぬ川の家というレベルのものがつきづきし。

それは海辺にもいえる。津波で破壊されること前提に、
雨季と乾季のある国などを参考にしたい。

ともあれ、野球グランドは賑わうけれど、水際までは
バーベキュー以外にさほど人々の集わない多摩川に比べると、
浅川のほうが水までの川原の幅も狭くて、氣軽に近づける。
といっても、川に行こうとする人は少ない。



流れのそれた小川には、川魚の子がメダカのようにスイスイ泳ぐ。

僕は、基本的に川のは持ち帰らないのだが、
庭で畝(うね)を支える石が欲しいと前々から探していたので、
川原に向けて、「うちに来たい人!?」と尋ねながら
同じ場所を何周も回りながら丁重に石を選んでは戻し、
最終的に5つの石を持ち帰ることに。
その交換として、以前は小銭を置いておくという考えだったが、
今日は、僕の思いを込めて水筒の水を川に注いだ。

庭の畝にはまだ足りないが、すてきな一員がちょっと加わるだけで、
庭のポテンシャルがどんと引き出されるように、自分の氣持ちが上がる。
また遊びにいこう。暖かい季節もまた、楽しそうです。

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