帰りみち。
帰宅は日をまたぐかな。
お台場で行われた、日本ふんどし協会のイベントに招待いただき
あれこれ楽しく拝見しました。
ふんどしも、風呂敷も、先入観では エッ...昔の ?。 と思われがちであるが、
使い方と、有用な機能、素材のデザインによる印象の違いを知ると
何だか欲しくなってくるところと、
元の形はほぼ一定ながら 素材や色柄によって
イメージががらりと変わるのも似ている。
我が輩も 風呂敷から数年後にふんどしを始めて、
10年くらいになるのか。
始めの数年間は、ただ腰に一本ヒモを巻いて結び、
後ろに手ぬぐいの先を挟み入れてから
もう一方の、下に垂れた先を股にくぐらせて
お腹のひもの下から引っ張り出して垂らす
という、セパレートタイプの越中ふんどしだった。
扱いやすくて便利なのだが、その場しのぎに映ったらしく
見かねた祖母が さらしにひもを縫い付けた
ザ ふんどし をこしゃえてくれた。
その後は、布の端を輪に縫ってひもを通すかたちにして、
素材も 乾きやすく清潔な麻(大麻草)に、
藍染を重ねたものを愛用。
ひもは編んでいたが、厚みの出る三つ編みは、
上からのズボンなどに圧されつづけると腰に食い込むため、
平たく編んで(織って)あるヒモがふさわしい。
こういう改変が、たまあに訪れるから、何事も続けていくと
思い入れの強さにかかわらず、自然と洗練されるものだ。
さて 明日はできるだけ早めに出かけて
用事を満たした後、多摩川の観察。
たま川と会話する。
何してほしい?
自分自身が、川に何をしたいかも問う。
川原の石ころ、ヨシ、水、川端の町とも会話をする。
ひとりで川をうろついてしまうのも
よい因縁と思う。
全心を癒してくれる、山から下ってきた川の水がだい好きだ。
川のある日常に向けて、
現実的、具体的、物理的な改善を導くための
ひとさじの祈りを捧げる。
そういえば 初めて多摩川っ原を訪れたのは
中学生のときだったか。飼っていたニワトリの巣材のワラが、
浅草では手に入らないので
多摩川まで電車にのって、河川敷の枯れ草を摘んで帰った。
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