ふろしき王子のブログ◎
出前講座開催☆
http://furoshikiouji.asia
メール isamix@gmail.com
 



・どなたに投票するかは、候補者と相撲をとって、汗や口の匂いから細胞で判断したい。

・いちばんよいと思う人は、期待している分、分離している。
 つぎによいと思う人となら、足並みそろえて一緒にやれる。

・神でもなく、仏でもなく、目のまえに在るものを信仰する。
 そのものにこもっている物語、誰かの思い、ここまで至った歴史、
 思い出の蓄積をひっくるめて、今それが自分と一緒にあることへの
 奇跡に陶酔する。

・夜はすべてが輝いてみえる。僕の瞳孔がひらいているから。

・目的地へ行く途中に、目的以上の宝が埋められている。
 それを誓って、迷子をたのしむのだ。

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特に市街地において、雑草はことごとく刈られる運命にあるが、
虫が出るという理由は後づけであり、
本質は見た目として荒廃して映るからだろう。

しかしそれは、雑草が荒れてるのではなく、家自体が、
雑草と相容れない、雑草の繁茂に似合わない造りと素材と
デザインの家だからだ。その不調和による違和感といえる。

だから、もしアフリカのある地域にあるような、土で塗り固めた
ドーム型の住居であれば、その周りにどんなに草の茂れるとも
荒れた印象はなく、すっぴんの地面よりむしろ自然にみえる。

しかし、ただ雑草に似合う家かどうかだけの問題でもなさそう。

梅雨から夏にじめじめする日本では、風通しのよさが
いにしえより家の生命線であったから、わさわさの草で
蒸れてしまわぬように苅りととのえる必要はあっただろう。

だけれど、刈れば湿度が解消されるものでもない。
風の道さえ確保すれば、のこった植物は
かえって地面の水分をどんどん吸い上げて生長や蒸散をするから、
草は適度に生えていたほうが、さらっと涼しさを呼び快適をもたらす。

それを、たいていは丸坊主に苅ってしまうから、夏はぎらぎら暑い。
しかも、苅った草はわざわざゴミ袋にまとめて収集に出される。

草はその場に寝かしておくか、浅めに埋めておけばそのうち分解される。

虫が困るといっても、第一苅ったほうが虫が来る。
虫は、弱った部分や枯れた草を食べるからだ。

と、そこへはムクドリたちがやってきて、虫たちをついばむバランスがある。

草を埋めておけば、飛来する虫は減る。
土の中で、ミミズと団子虫とハサミ虫という人畜無害の虫が活動するだけ。

人にとって困るといえば、主に蚊にムカデ、茶毒蛾、すずめ蜂くらいのものだ。

生まれもった苦手でなければ、自然とかけ離れて育ってきた
現代人が、虫と見れば反射的に嫌悪し、
存在するだけの理由で薬を撒いて生態系をこわし、
環境さえ汚染する。

自然と共生するには、草は、ちゅっくらいに刈り、
風の道は確保しつつもカマキリ等天敵の棲み家をのこすこと。
根こそぎ抜くのは土の流出と飛散を招いて迷惑となるので、
多年草の占領を防ぐ場合に限る。

自然との共生といっても、そもそも人自体も自然の片隅で
汗するイキモノにすぎない。

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もうすぐ夏の来そうだが、もうちょっと雨が降ったほうがよいな。
だけど、このまま梅雨がしばらくつづいて、水びたしになってしまうかも。
異常気象が恒常化している。

海がとっても疲れているようで、2010年から
大好きな海水浴をやめている。

ストレスを溜めて、海へ癒されに行けば海はますます悲鳴あげよう。
微力ながらも、みなの思いをかき集めて、海の方を癒さねばならない
時代に入っている。

もらう方からあたえる側へ、イエス、ウィーキャン チェンジ!!

海へいのる
海へつながる日々の水に心を乗せる
生態系と調和しないものを流さない
すべての水もの(人も花も虫も土も)に、愛をのせる

人もまた、塩分濃度0.9%の、あるく海なんだ。
子どもが親を、たすける番。

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おそらくこのごろ、外にある容器(衣装ケース)で
飼育しているカブト虫の幼虫は、既にサナギ化していよう。
梅雨の引く頃には羽化するかな。外で、フタも開いてるから
敏感に湿度を感じて、デビューの機会をととのえるのかな。

逃げないように、網(昭和16年・満洲国製のリネンの蚊帳)を張っておいた。

子どもたちとサナギを観察したいけど、下手に掘りくずして
羽化の失敗を招くおそれがあるので、じっと待つ。

さういえば、玄関前の夏みかんの鉢植え(小さめ)に
アゲハの幼虫がいたな。

餌葉が足りなくなるから、他の鉢に移したり、
どこか大きい樹から枝葉をもらってビンに挿して
援助しないと、

やがて葉が丸坊主になって(木は死なない)
幼虫は餌をもとめて旅に出るが、だんだんしぼんできて
風と消えてしまわん。

出先への道すがら、かなり大きな夏みかんの木があるのだが、
隣の夾竹桃(有毒)と一体化してるから、きをつけないと。

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司会の風呂わく三(わくぞう)さんと、たかぎえりかさん。
ピンクのは、風呂敷による浴衣用の帯。

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きょうは墨田区でふろしきですが、
浴衣はまだアイロンかけていないし、身軽な雰囲氣にて
甚平を着、足は下駄で。
だけどさらっとしすぎてるので、頭頂をぴろきさんのごとき
小ちゃなちょんまげにしようと企み中。

僕にとって、最も普遍的?スタイルは
下駄、ふんどし(ひもと手ぬぐいの)に紺の半ズボン
(ちょっと長めで、実は海パン!)
上は藍染めTシャツ、これだな~。
そして風呂敷むすんだ買いもの袋の中に、水筒と小風呂敷2枚。
それが極上の、マイ鉄板スタイル。

日本人なら風とおし。

ズボン(海パン)の後ろポケットにハンカチ。
左右にはPHSと薄め無地手帳(モレスキン)、ボールペン(理想は万年筆)、
Suicaやカード入れ、ミニ鏡、鍵。

それだけで、どこへでも行くのだ。あ、マイ塩も。

下駄が壊れたら裸足でいい。何か困っても、丁寧にこまやかに、
その環境と対話して、うまくやるんだ。

そうして旅の先々で、なかまをつないでいけると、なおよい。

この世は魔界。裏には愛。

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何もかもが乗り物であり、そこには見えない思いが乗っかっているのだな。

カエルの体にはカエルの思いが、
水筒には水筒にこめられた、作った人、使う人
そして機能そのものが思いと一致している。

そうでなければ形はほろびる。思いなしに形はなりたたない。

にわとりが先かタマゴが先か、なんて問答のあるけど、
に・わ・と・り、たる思い(無線信号のように、目に見えない情報)がまずは在って、
卵なり親鶏というのは見える化(物質化・三次元化)の中の
循環する道すじの一段階にすぎない。

進化や発生は突然変異であるから、鶏の誕生の前に、
鶏を想像した誰かがいたわけだ。

それは、鶏のようになりたかったある種の爬虫類かもしれない。

朝、いと佳き声で長鳴きしてみたい、とか
前足は土を掻かなくてよいから、あの樹の上へ舞い上がりたい、
そんな思いがつよく残って、産んだタマゴには情報が結ばれる。

素粒子を構成するニュートリノに重さがあったように、
目に見えない思いもまた、遺伝情報を更新させてしまう。
そして、今までとは違うヒナが生まれて、
それは鶏の子でなのであった。

親のつよい思いが子を変異させた。
だから、鶏になる前の別種があって、
環境や好奇心由来のめくるめく思いが卵や胎児に作用して、
次世代をニュータイプにする。

でもこれはただ淘汰による進化論ではない。
親のつよい思いが、時間を縮めて、はるかな変化の距離を
たやすくジャンプする。

そしてそれは、必ずしも血脈で親から子のみに継がれる情報ではなく、
その思いは微細ゆえに限りなく無重力に近いから、
距離を超えてどこへでも行く。

それは、携帯の電波と同じで、周波数の一致する位置へ飛ぶから、

求めてるメッセージを醸している存在と共振し結びあう。

そして思いは、希望するかたちへと、設計図を書き換える。

幼な児が自然と言葉を覚えるのは、ただ聞き流した結果ではない。

大好きな大切な親や家族の声を聞きながら、
一緒にそのように声を以て関わりたい!と、つよく願うからだ。

その思いが触媒となり、言語回路をびゅんびゅんびゅんびゅん結んで、
短期間でことばを身に修めてのけるのだ。

それほど、思いの果たす働きは大きい。
ただ祈ってるだけで何も変わりはしないならば、
それは薄らかに思い浮かべてるだけで、
芯からつよく思っていないことになる。

しかし、つよく脳髄に叩き込めるのがつよい思いとは限らない。
真の願いはこそ、意識しなくても、すでに体とひとつになっているから、
呪文がごとく思い返さなくても、細胞の深奥までしみ渡って、
存在じたいが意識を放ちつづけている。

それを覆い隠すような、恐怖心や攻撃心という濁った脂は、
不義理な洗脳にすぎないため、つとめて洗い流す必要があろう。

ヘドロの下にはちゃんと真砂が待っている。

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しのばずの池の蓮。
まだまだ葉っぱは大きくのび広がる。

浅草はにぎやかすぎて落ち着かなくなってきたので、
上野のみどりと喧騒がちょうどよい。
まさにふる里の池。

頭でつくった再開発は、息がつまりそう。

人のくらしから、自然になるようになった街がほっとする。

自然環境があって、人が住んで、次第に街となるのが本来だ。

元々の環境や歴史を生き埋めにした上に
ぱこぱことプラモデルを建てて、人を呼ぼうとする
方法論は、情緒を削いで愚民化をさそう。

モニュメント見たさじゃなくて、会いたい人に会いに行く、
そういう街おこしがよいわさ。

今様の立派なつるつるモールじゃなくても、
たとえひっつき虫待ち忍ぶ荒れ野であっても、
そこに妖しくほほえむ、すてきな誰かのさぶらはば、
時間も距離も超えた恋人がごとく会いに行かむとすべし。

人の魅力がさそう街。建物ごとは後から自然にそだつから。

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体の主成分はたんぱく質で、そのはしばしに至り
これまで生きてきた記憶が、重層的に織りこまれている。

体は日々代謝を繰り返しながら、不足分は自らの体じたいを
分解して必要箇所や機能に転用する。食べずにいると痩せるのもそれだ。

胃袋に食べ物のあれば、先にそれが使われる。
昨日の食事にはきのうの記憶・思い出がともに結ばれている。
さように表層から溶かされるゆえ、昔の記憶ほど忘れにくいともいえる。

記憶のあいまいな高齢の方であれ、何十年も前のことは
存外はっきり思いだせるもの。

長年の稼働により内臓が衰えてくると、食べる量も、
きちんと消化する力も弱まるため、

一般的には年を経ると痩せてくる。
半分は、過去から積み立てた自分の体を食べて生きている。

ただカロリーのみの話ではなく、蓄積されたミネラルも少しずつ
切り崩しながら。
ミネラル(鉱物)は骨等の材料のみならで
体内いっさいの各働きを担う、酵素にとって不可欠なものだ。

さて、こうして自分のからだをちょっとずつ解かしながら
生きていくと、たとえば10年前に蓄積された体の一部の成分を
分解、消費した際は、なんと10年前の記憶がふわっと湧いてくる。

体はたえず新陳代謝を繰り返しているとはいえ、
濃縮された高分子として付着したる要素は、長年付随しつづけるもの。
だから、血管の内側に未消化のたんぱく質や中性脂肪が
溜まって、血栓や高血圧、伝達ミス等の不調が慢性化する。

以前、祖父が病で入院し、みるみる痩せていった時期、
祖父はしきりに昔の記憶を紙につづり、そこには
二・二六事件、五・一五事件とも書かれていた。

大正の末から神田で生まれそだった祖父の少年時代の、
忘れ得ぬ経験だったのだろう。

そして、多くの臨死体験者は、死の間際に2人のひとがあらわれたと語っている。

みずからのたんぱく質を消費しながら、過去へ過去へと思い出が
たどられて、いよいよ最期のそのとき
あらわれる、ふたりの誰か。

それは 両親の
精子と卵子。
はじまりの記憶さえも、体には宿っている。

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きょうは夕方から、東京駅の近くでふろしき(講座)です。
2時間半あるので、ひとつ1つ着実にすすめていこう。
江戸城内堀も近い、華の丸の内であるからして、だのに
あちいこんにち、Tシャツと下駄で出かけとる。

駅に着いたらまずトイレでよそ行きのシャツに着替え、
会場ビルに入ったらまたトイレで、浴衣になる。

「ぎんざさ行く」っち祖母に話せば、
ちゃんとした服装で、と念を押されるもので、
本来浴衣でも足りないけれど、麻混なので佳しとしよう。

銀座にゃぎんざの風が流れてて、
その風とひびきあう衣裳をまといてこそ、
街のエネルギーをもらえるのね。
だから他人目じゃなくて自分が為だねファッションは。

んだから、高温多湿の日本では、吹き流したる着物をきてこそ
えいえい、オーと応援のもらえるだろう。
海ではスーツで泳がず、水着(裸が最上)になるのと
同じくらい、服を合わせるのは自然なことだよね。

米幕府の膝下にあれば、氣をぬけば当たり前にTシャツを着ちまうのも
知らず空氣を読んでこそだな。

せめて寝るときは、浴衣や裸、ふんどしいっちょや腰巻で、
初期化する。
女性は絹の長襦袢で寝るのが、
至福この上なきことよ。

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昨日は暑かった。
残暑うまれのためか、あたしは割合大丈夫だが
息子の小学校での給食試食会を訪れたら、
ママたちみんな、資料の紙でパタパタ扇いでいた。

きなこあげパンと豆の煮込み。

大豆の洋風な煮込みって、家じゃあまり見かけず
ブラジル料理ぽくもある。

当小学校(公立)は、化学調味料をよしとせず
カレーもルーからつくるというので嬉しかった。

職人(調理士)のプライドと、献立をたてる栄養士の思い、
なにかそこに、国からの決めごと以上の
人という尊厳さえ感じてしまった。
つくる人、たべる人、体内に入る、いのちの元をあずかる。

夕飯、どこか食べ行こうかとなったが、
近所でここ、という行きたいお店がなく、
冷やし中華でも食べたいからおうちで作ることに。

細めのパスタ乾麺を1時間水にひたしておく。

あとは10分とかからない。

ごま油
醤油

ナンプラー


を混ぜるだけでお汁が完成。

ほとばしてた麺は熱湯に重曹入れて、2~3分茹でてから
水で洗う。
中華麺風となる。

皿に麺、先ほどの汁、きゅうり、トマト、長ねぎ盛って出来上がる。
僕はさらに胡椒と一味唐辛子をふりかけたが、和からしも合いそう。

麺以外みんな生で、酵素も多く、みなみな美味しくいただきました。
からだはすっきりとげんきに。

作り方はシンプルゆえに、材料はよいものを使うとよいです。

倍の値段の調味料であれ、1回の外食やカラオケの支払いで
1年分買える程度のものです。

毎回創作料理的でレシピがのこらないため、家人より悔やまれもするが、
こってりしたものと、あっさりしたものでバランスをとるだけです
僕の素人料理。

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先日、共食いをしてひとり勝ち状態となった子なまずは、
同居のヌマエビを呑みこみながら、急激な成長をつづける。

エビを食べたからか、これまでの黒灰色から、山吹色の体色へ
変化していて、ますます魔性を備えてきた。透明感とツヤも
良好で、ピンクゴールドとさえ表現できよう。

エビも生きていると透明な薄灰色だが、天に昇れば、のこった体は
赤く変性する。人間も、あんまりエビばかり食らっていては、
(血圧上がって)赤ら顔になるのでチューい??


近所の川原で冬にどんど焼き(日野ではサイノカミという)をしてます。
正月飾りを、素材を問わず何でも焼いているので、煙が心配ではありますが、
その真っ黒こげの焼け跡からは、生えてくる草が変わります。
焼き畑農業といっしょで、跡には炭素やカリウムがのこる。

炭素は化学的には手(外殻の電子)が4つあり、空き部屋も4つあることから、
様々な物と結合しやすく、多様な有機化合物の土台となります。
(ケイ素も似た構造で、無機化合物の土台)

草などが燃えることにより、炭素の化合が解けてリセット状態となる。
そこに空氣中の窒素が呼びこまれる。焼き畑は窒素固定の舞台となり、
空氣から肥料を得ることができる。川原の焼け跡から生える草も、まわりより
緑色が濃い(窒素分がおおい)のが一目瞭然であり、土壌の成分の
違いから、草の種類さえもかわる。

また、焼き畑は炭素、カリウム、珪素ほかのミネラルによる起電流が
電子を呼びこむため、土壌が腐敗しにくく、酸性雨も灰が中和する。

このように、炭や灰にはめくるめく機能がありますが、燃やす材料によっては
よくないものを発生させたり濃縮させる危険があるので、ただ過去への
回帰ではなく、現状にふさわしい選択や工夫が不可欠でしょう。




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新浦安の道路ぞいには、こんもり常緑樹が植えられていて、
メインはやはりタブノキだ。海辺に適し、もともとの植生であろう。
もっとも、ここは40年前までは干潟であった。

最近、東京湾の浜辺で数十年ぶりに遊泳禁止が解かれつつも、
顔は浸けないようにというお達しのあった覚えがある。

それは、大腸菌の数も日により変動があるから、飲まないように
する配慮かもしれないが、皮膚や毛穴から侵入できる
よからぬものもあるだろうから、時期尚早とも感じる。

太古から毒草はあったから、胃腸にはある程度の
解毒力は備わっている。
しかし、空気や水が汚れたのは近代以降で、遺伝子の経験にないため
皮膚はかえって異物に弱い。ウルシや茶毒蛾ならばまだ想定内だが、
水や空氣にとけた目に見えない小さなものは、脅威となる。

もちろん、泳ぐことで、東京湾で泳げるだよ、という人々の意識が向けられ、
次第に泳ぎやすい環境へ向上していく布石となるかもしれないが、
影響を受けやすい成長期の子どもたちでPRすることは疑問だ。

単に、水質の具体的な測定値と、各国の基準を公表し、
そこから国や公共団体や個人が判断すればよい。

フィクションの世界は、嘘と嘘でつじつまをあわせ
雰囲氣で煙にまくことだってできる。

不器用でも正直を貫こう。

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浦安へ。ふろしき。

浦安といえば海。アサリにはまぐり。
元氣のよいさかな屋さん。
今も昔のはなしだけれど。

ディズニーシーの海もきれいとはいえない。
江戸前は慢性的な赤潮。

江戸川の流れを受けとめる位置に人工の干潟をつくり、
ヨシを植えておけば、貝やえびかに躍る、夢の楽園になるでせう。

自然に砂のはこばれてくることが大事。
干潟の砂や泥、海藻のすきまは微生物の家となり、
戦後蓄積されてきたヘドロの中の汚染物質を分解無害化することに
大きく貢献を果たしていくだろう。

環境はぜんぶつながっているから、やることはいっぱいあるけど、
他所につられてよい連鎖も起きよう。

山の人工林を上手にくふうして使い、中腹以上には杉等を
植えずに、元々の植生にもどしていく。

それで広葉樹がふえ、山の保水力がたかまると、
必要ではないダムも出てくるので、そのダムを片付けることで
川の水量がふえ、砂がはこばれるから干潟ができやすくなる。

都会は地面に雨がしみこまないから、大雨のふりゃ
いっきに排水がふえる。ゆえに、下水道と合流させて、
まざった汚水は浄化しないまま直接川に流される。
下水には廃油も多く、それが栄養過剰の赤潮にもつながる。

山の森の保水力を高め、町の地面にも雨がしみるようにしつつ、
各家庭や店舗には前処理として浄化槽を設置し、
自分の排水は自分できれいにしてから流すようにしたらよい。

未来のこどもたちのために、地元の川や海を
あるべき姿に甦らせたい、というつよい思いを持つ人がふえて
連携し声や行動を継続し、政治や企業も対応していけば、
世の中はますます佳くなるでしょう。

車窓から、ビッグサンダーマウンテンがみえる。

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6/11(土)今夜23時から、BSに浅草の実家のお店
(和/洋菓子道具屋)が映るそうです。

祖母からの連絡で、BSとしか言っていませんでしたが
おそらく141chのBS日テレと思われます。不確かですみません。

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