ふろしき王子のブログ◎
出前講座開催☆
http://furoshikiouji.asia
メール isamix@gmail.com
 



我が家の入浴は、
夕方に溜めた水(浄水器で、塩素や赤錆を取り除いている)を追い炊きして
まず、妻が娘(生後3週間)を入れる。

次は、夕食後に妻と息子(3才)が入る。
入浴は毎日皆勤賞であるが、かけ湯をしたら
湯舟に浸かるだけで、石けんもシャンプーも使わない。

最後に僕が一人で入る(時期によっては息子と入ることもある)。

とくに赤ちゃんは、父よりも母と入浴した方がよいとされ、
その理由は女性のほうが乳酸菌が10倍も多くて、
それが皮膚に付くことで免疫の正常化につながるという。

だから、一番恩恵を浴びているのは最後に入る僕だ。
はや5年以上も、石けんやシャンプー、入浴剤を使っていないが
(洗濯は、汚れによって石けんを使うことはある)
家族みな、物足りないほど体臭は無く、フケや乾燥肌もない。
妻はベルギー留学中に、顔に大きなしみを作ってきたが
石けんやシャンプーを使わなくなって、いまはほぼ分からない
状態に正常化。真珠のような透明感のつやを奏でている。

皮脂も酸化するが、乳酸菌など皮膚の常在菌がいつでも分解して
いつでも新鮮な脂が湧き、肌を紫外線や汚れから守っている。
その意味では、顔のうぶ毛も剃らないほうがよい。

たとえば石けんで洗顔すると、肌に共生して汚れを分解する役割の菌も死ぬ。
すると、その後にふたたび湧いて出た皮脂が酸化していっても
分解者が存在しないから、酸化がすすむ。腐敗とも言い換えられる。
その臭いが体臭になる。

本来動物は、体臭があってはならない。
尿や便は、縄張りなどに利用するため臭いがあるが
追うにも逃げるにも、体臭を放つことは不利になる。

もしかして、湯舟の中で子どもはおしっこを漏らしているかもしれないが、
躊躇なく僕は、湯にもぐって眼をあけたり、歯を磨いて(ブラシで歯間を掃除する)
風呂の湯でうがいをしている。全体的に無数の有用菌に護られていて、
免疫の正常化につながりこそすれ、体調が悪化したことはない。
一日のあれこれがリセットされ心身すっきりする。
もしそこが危ない状態にあれば、まず匂いで分かる。

人体に石けんやシャンプー、歯磨き粉、入浴剤は使わないほうが
健康と清潔につながり、環境への負荷も減る。
顔は水洗いで充分だが、化粧を落とすために石けんを使わざるを得ない人も
いらっしゃるでしょう。そのために僕が提案しているのが
水で簡単に落とせる、本紅による化粧。この小皿一つで、口紅、アイライン、頬紅
全てまかなえて、舐めても安全。健康な血と同じ真紅の色で、自然な血色にみえる。
石けんを使わない顔は、紫外線や乾燥から守られて、化粧水、保湿クリーム、
ファンデーションを塗らなくても本来の正常な肌を保つから、
いきなり紅を塗るだけで、誰よりも美しくひかる顔立ちが完成される。

まあ、普段は化粧はしなくてもよいと思いますが、
着物など鮮やかな衣装をまとうときは、少しは紅でもさしたほうが
バランスがとれると思うし、非日常の自分に変身する楽しさ、おしゃれは賛成です。

しかし、仕事のために、お客さんへの印象を大切に化粧が必要という方も、
元々の、内側の健康や性格は、必ず目の輝きや透明感、人相、声の質など
ちょっとしたことに表れる。人はそれを一瞬で見抜けるものだから、
表面的な化粧というものは最後の隠し味として、すっぴん状態の
生命力、安定感こそが、印象を決める要だと思っています。

お風呂に戻りますが、残り湯は翌朝、ぬるくなっているのを
庭の植物や田んぼ、路地の鉢植えに撒き、
あとはおむつを洗ったり、洗濯物をはじめにざっと洗うのに使っています。
入浴剤を入れていないので、その後も多目的に利用できる。
人の毒素が抜けた残り湯を洗濯に使うべきではないという考えもありますが、
それは、そのお湯の雰囲氣を見て臨機応変に判断したらよいでしょう。

ぱっと見で、大丈夫そうならだいじょうぶです。

人と同じで、どんなににこにこ微笑んでいても
第一印象で、その人が元氣かどうか分かりますよね。
その、ちょっとした繊細な直勘を大切に。

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11月に、ふろしき本の新刊が発売されます。
前著は子ども向けの可愛い雰囲氣でしたが、
このたびは 大人の女性向けの とってもおしゃれな感じです!

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ほんずつから3日間、晴れて 新しい本の撮影です。

今朝は雨上がりもあって涼しく 秋を偲ばせました。
既に日差しはつよく
まだまだ残暑ですが
夜はこおろぎが鳴き
田の稲穂は膨らみつつあります。

青しそとミニトマトは日々摘んで、
こぼれ種のルッコラの葉も美味しそうです。

Tシャツに海パン(中はふんどし)に下駄という装いですが、
3日めは自分の撮影があるので
急きょユニクロで揃えたのを着用します。

とはいえ、下はふんどしに
ズボンの腰には帯を結び、
背には風呂敷を負うでしょう。
さらにお腹にはおむすび、
手は糠味噌をかきまぜたり
おむつを絞っているので
柱は あっぱれ!日本人でございます。

撮影を終えれば、9月はひたすらミシンをかけたり
染めたりして、たくさんの風呂敷を作る作業が待っている。

貧々乏ヒマ無しに加えて現在主夫でもありますが
それでも壊れないマイペースに護られている。
借金0 貯金0 来月の予定はだいたい白紙 という生活を
10年も続けていますが
今年も なんとか 年を越せるでしょうか。

たとえば、不景氣だ、物が売れない、というとき
一般的には、売り方や宣伝、謳い文句、
パッケージングをもっと見直し工夫しよう となりがちですが

僕の考えでは、オファーが無い、少ないというのは
内容、商品の質そのものが甘い ととらえているので
何とか売ろう!という方向に傾けるのではなく
謙虚に研鑽を積んで、質を上げれば
必ず天地に需要の風が吹きこむだろうと。

真に手堅き質であれば、謳い文句や表面デザインの
見せ方次第という、半分騙すような必要はなくなる。
売り買いは元来、等価交換であるのに
「お客様は神さま」というもの言いは、
客を食い物にしているのを隠すために媚びている姿勢だ。

こんな素晴らしいもの、氣に入った人にしか売らない!いうくらい
自信を持てるもの作りなりサービスを提供されたし。

生活や家族のために、不本意ながらも魂を殺して
世のならいに従う、という選択もあるけれど、
あまり嘘をついて生きていてはかえって病氣になり
人生は不安定になる。
自分が殺されてもよい、
橋の下で暮らしてもよいという覚悟をもって
真実を貫くこと、それがきっと生きているということです。

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朝から風呂敷講座へ向かい中ですが
昨晩から、愛媛の母が来ているので
安心して出かけられる。

昨日のブログで 女性は黒髪(自然にまかせて、白髪でも)
のロングストレート(天然パーマはそのままで)が理想と書きましたが、
もちろん、結ぶのはありです。

そのときの氣分にあわせて
結び方や位置を変えたらよいですが
できれば結び目の数は奇数がよい。
2つに分かれない数。
だから、アニメなどでよく見られる
ツインテールにしたい人も、
できたらトリプルテイルがよく、
三つめは小さめのが頭頂付近から前に
ぴょこんとしているのも可愛いし、
そこがかなめになる。

カットやパーマや染めではなく
結びによって髪型を、見た目や機能的に楽しむのがおすすめです。

(講座後)
これから、友達に立川の着物屋を紹介する。
浴衣地の反物を仕立てていただくため。

民族衣裳・きもの は
やっぱりすてきだ。
僕は よそ行きよりも
部屋着感覚のきものが好き。

自分が女性であったら、
寝間着は紅の長じゅばん。
部屋着は木綿のきものに
利き腕側だけたすきがけ。
帯は絞りのへこ帯。

外出には半襟を変えて
帯を追加し、羽織りをはおりて
歯が薄めの高下駄をはきたい。

髪は三つ編みをたくさん編んで、
化粧は唇と頬に紅。

荷物は手織りの木綿に柿渋を塗ったふろしきに
水筒としてのトックリ、
手拭い、裁縫道具、マイ味噌など。

絹の風呂敷と大アサのひもを結んだ胸当て(ブラジャー)の
左側のセンターには、ルビーが縫いつけてある。

腰巻は、亜麻のすおう染め(紅色)。

家はヨシを編んだ邸宅が数軒各地にあり

(妄想注意)
異性(男)のボーイフレンドはいるが手もつながせず
愛人的関係は同性(女)。

仕事は菊の栽培(鉢植え)。
食事は 蒸し栗と ひじきの酢の物を主とする。
愛読書はバガヴァッド・ギーター(古代インドのサンスクリット語の詩)。

ともあれ、女性は女性ならではの
楽しみを恩寵されたし。

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今日、エヒメから母がやって来ます。

愛媛は母が再婚後に移住した地で
もともと親戚があるわけでもありませんが、
母は修学旅行が四国だったりと、何かしら縁があるのかな。

そういえば僕も高校時代、友達3人で高知へ旅行。
ネットもしていない時代で認識不足か、
元々、清らなる四万十川で泳ごうという動機だったが
高知市内からだいぶ遠いとのことで断念し、
近くの海で泳いだ他、カラオケとボーリングとゲームセンターという
間抜けだけど高校生らしい旅でした。

僕にとって安穏な旅はそれまでで、
学生時代は18切符と野宿の旅、途中で風呂敷が加わって
むしろ心強くはなったけどサバイバルには違いない。

今を時めく?岩手県宮古市では
白石輝く浄土ヶ浜で野宿。テントはなく風呂敷を敷き、
ふろしきをかけて眠るのだ。
夕飯は、近所の弁当屋で岩手産米の「ライス」のみを買い
マイ塩を振って美味しく噛み締めた思い出。

白い浜で、白いご飯に しろい塩を振り
しろき流れ星を眺めてた青い夏。
あれから10年以上たつが、
シンプルが好きな根っ子は変わらない。


母は年齢より若く見られがちだが、性格も世間擦れしていない。
生まれ育ちは東京の田端であるが長崎の血も入っている。
それゆえか知らないけれど、無宗教でありながら潜在的な信仰心を感じさせられる。

僕に「そのとき読んでいる本が母の思想」と言われるほど
影響を受けやすいけれど、
余計な信念を持たずに、そのときの純な感覚に沿って決めるので
一見、頼りなさそうに見えて 何かしら天の助けかに守られつづけている。
熱くも冷たくもない、不思議な人だ。

マイペース以上に頑張らないところが強みだな。
あまりがんばっていると隙間がなくなり、
助けが入ってこなくなる。

僕は、そういう意味でも
女性はなるべく 髪を伸ばし 黒髪や白髪のまま パーマをかけずに、と書いてきた。
その理由は、髪を短くすると行動的になるから、頼りある外見となる。
すると、周りの人は安心して、助け舟を出そうとしなくなること。
また、お茶目というように、目が茶色い子は 動物性蛋白の摂取が(母親の胎内時も含めて)
多いから、精力的である。これも、周りの人を安心させ、守ったり手助けしたい、
という氣持ちを抑えさせるものだ。目と同様髪の色もそうだし、
天然パーマも動物性蛋白の量が理由の一つだから、髪にウェーブがかかっていると
やはり強そうに感じさせるのだ。

では、女性はあえて弱そうに見せて、守ってもらう生き方をするのが望ましいのかというと、
そんな単なる受身な話ではなく、むしろ、よりでっかいことを達成する女王という視点で、
一人で何でも動くのは限界があるが、自分のために動いてくれる人が多ければこそ、
女性の秘めたる無限の愛をこの世にかたちづくることができるということ。

そうでないと、せっかく女王蜂であるのに、働き蜂を放っておいて
独りでせっせと雀の涙のハチミツを集めることになり色々ともったいない。

まあ、母は全然、女王蜂というイメージではないが
少なくとも、がんばりすぎないことによって守られている純朴さに
目に見えない精霊が手助けしているようには見える。

高知には「土佐の八金」という言葉もあり
土佐の女性は四人の男を動かすほどの力があり
これは男勝りとする解釈もあるけれど、
むしろ柔らかく包み込む雰囲氣を醸してて
4人の男をやる氣にさせる女性らしさ、
性的な魅力であると捉えたい。

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玄関の郵便受けに、1人加えて新たな表札。

墨をすって妻が書いたが、少しにじんだ。

にじみ防止には、よく チョークの粉をはたいた上に書くと
粉が余分な水分を吸うからよいと聞くが、

粉もので、水分を飛ばしたものなら代用できるでしょう。
炒った小麦粉とか?

墨汁と違って、手でする墨にはニカワ(動物の皮のゼラチン質)が
入っているから、濡れには幾分つよい。
ただし、熱湯をかければニカワは溶ける。

乾くと樹脂のようになる 柿渋や呉汁(生大豆の絞り汁)で墨をすって書くのも
防水によいかもしれない。


近頃の小学生は、習字の時間に墨を使わず墨汁だけという学校も増えているようです。
そのため、なんとプラスチックのすずり(形だけで、すれない)もあるとか。

本当は、墨をする間(ま)が大切で、
無心に墨をすりながら、墨に入ってる香りの効果もあって
モードの切り替え、精神の安定につながるけれど、

たしかに、学校を卒業したらしまいっぱなしの書道道具は
各家庭にごまんとあるだろう。

もっと書に親しみ、道具を生かすためには
せめて国語の授業だけでも、墨と筆でノートをとるくらいに
してもよいと思います。
昔の人のように、意のままに筆を操れたら将来たくさんのプラスになるだろうし、
美しい字と心は結ばれるもので、テクニックではなく、
やはり字には心が出る。

地球にはいろんな色があるけれど、宇宙は白と黒でできている。
白黒による表現が核心、基点に身についていることは
全ての応用や展開に役立つに違いないかと。

話が戻るが、しかし この小さいおうちに4人も住んでるの!?と
今は幼な児たちだからよいけど、現代じゃ驚かれるでしょう。

そのうちどこかにまた飛ぶかもしれないが、個人的には
家が狭くても 広い空の下に出て生きていたらよいと思う。
家は巣だから、狭いほうが寄り集まって温かい。

夏は このアパートは 壁材が水分の呼吸をしないし
床下もほぼ塞がっていて、湿氣がこもって暑いな。

家を建てるなら、床の高さを神社のように上げたい。
土台の風通しをよくして、腐って白アリが湧くのを防いだり、
浸水のときに助かる。ヘビに居着いてほしい。
ひさしとしての軒も深くとりたいが、あまり張り出すと
風にあおられるので、出し入れできるかたちが望ましい。
夏は日蔭にするためにいっぱい伸ばし、台風が来るときや
冬に採光するときは中に引っ込める。

家を建てるころには子どもたちが巣立ちしているかも。
できればみんなですてきなおうちに暮らしたいので
歩幅を2cmふやそう。



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今日、一応無事に
新しいふろしき本用の結び方イラストを
編集者にお渡ししました。
加筆訂正は出てくるでしょうが、ちょっとほっと。
来週、その本の撮影です。

せっかく作るからには、他の本にはない結び方で
なおかつ有用なものや
風呂敷以外のアイテム(ひもやかごなど)との組み合わせも
多く盛り込んで、
特異性ではなくて実用性をより高めたいと思っている。

編集者と手を結んで作るゆえに
全てが自分の織り成すまま、とは異なるが
逆に視点が増して、僕の胸に
新しい風が吹き込んだ結果生まれた
結び方もいくつかある。
やはり、自分とは出逢いの集合体であり
だから、今まで出逢った人 生きもの 植物 歌 本みんな
自分なんだ。

自分ひとりの世界にこもって生きるのは
誰からも叱咤もされず 余計な人間関係に
氣遣いや取り越し苦労もなくて、楽な面も
多いかもしれないけど

誰かと目と目をひらいてものす交流は
ささやかであれ確かな影響を刻み合うだろうし、
社交辞令的に誉められるよりは
真剣に指摘くださる方のが為になることが多い。

一人で天使のようにさくさくスイッと進めるならよいけど、
頭をかきむしって案をひねり出そうと悶ずるくらいなら、
誰かとコラボしながら隙間を埋めたほうが
互いに知らなかった、新しい何かが生まれるかも。

それをたのしみに秘めて、臆すことなく
時には苦手な人にも逢ってみたい。

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程度の差こそあれ、人生は冒険である。

ゆえに、帰る家そのものは安息の居場所であり
おうちに冒険を求める必要はない。
心身をリセットするにふさわしい機能と防御の安定性が第一だ。

素材は機能性に優れ、形はシンプルなのがよい。

機能的な素材とは

石(人力で運べる程度のサイズ)
木(天然乾燥、またはそれに準じたもので、水分は抜けているが精油成分は保っているもの)
  願はくば、土台に栗 水場に杉 柱にひのき 梁に松 他 樫やけやき。
布(日本においては吸湿と乾燥=透湿に優れた、大麻、亜麻など)
紙(樹皮の不織布ともいえる和紙)
他植物 ヨシ 竹 い草 マコモなど
土 粘土 砂

家を建てる土地周辺、極力近い所の材料を得られるのが理想。

低地、元湿地はなるべく避け、水はけのよい小高い丘が家を長持ちさせる。
また、津波を考えれば、家は標高50メートル以上の土地がのぞましい。
低地は田畑として活用すれば、場所によって下流の洪水を生かすこともできる。

どんな職業の人も、午前中は家から田畑に降りて農作業をして
午後に各自の仕事をしたらよいとも思う。
そのとき、もしも地震や津波があったときにすぐに避難できるよう
たくさんの種類の道を用意しておく。
車の道。大型車の道。自転車の道。徒歩の道。生き物の道。風の道。水の道。

普段は、道の種類によって市場などに生かす。

風景に調和していれば、家そのものの造り、外観は土地ごとに
みな同じでよい。
服と同じで、見た目よりもまず着心地で大切であるし、
着心地がよいから顔色も冴えて美しく見せるのが本当の服、
家も、住み心地が第一であり、個性を出したいなら
部屋の中に好きなものを飾ったりすればよい。
家そのものは、シンプルでしなやかかつ強くあるべき。

絶対に壊れないほど頑強につくるか、簡単に、安全に壊れて、
すぐに作り直せるもののどちらかがよい。

しかし日本の場合は冬もあるから、ジャングルの中で
植物を編んだだけのような家は、海の家や
季節限定の作業小屋ならばよいけれど、住む家はつよいほうがよい。
真の強さを求めるなら、地震の衝撃を吸収する柔軟性と
湿度を調節する素材や造りの機能性が要る。

家を使い捨てで買うならよいけれど、高い買い物であるし
何代にも渡り、メンテナンスもしやすく、年を経るほどに
資産価値まで生まれるような家を建てたいのであれば
直接工務店や大工さんに注文すると同時に、
素人ながらも希望条件をきちんと伝えて、それを
嫌に思わない職人、専門家を選ぶべきである。

これはとっても個人的な趣向なのだけど、
僕は、本当は材木も使わなくてよいと思っている。

家が生きるために不可欠ならば、誰もが
易しく作れるものであるべきという考えなので、
風で折れた枝や幹で、人力で運べる程度のものは使うけれど、
材を挽く作業は大がかりに感じてしまうのだ。
いつの時代の人間よ?と思われるかな。

それよりも、竹の骨にヨシの壁を麻で編むような、
どちらかというと樹よりも草を使いたくなる。
草原の騎馬民族の遺伝子なのか。

あとは、土や貝殻の粉に麻の繊維(スサ)や海藻(のり)を
こねた土壁を塗り、土台は川原の石を焼いて、割れなかったものを積む。

家に冒険は要らない、と書いたが
傍目にはとっても冒険しているように見えちゃうでしょう。
たとえ崩れても大怪我せず、煙を吸っても死なない安全な家だょ。

だけど、このくらい極端な希望を叩き台として、
建築基準法に落とし込んでいったほうが
真に心身に嬉しいおうちになるでしょう。

注文住宅は高くなると思う人もいるでしょうが、
それはハウスメーカーにおいて、規格外となる場合であり、
直接大工さんや工務店の、良心的な人や会社を
探し求めて注文すれば、同じ予算で、きっと
もっと住み心地よくて長持ちする家が建てられる。

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おはようございます。

熱や頭痛はありませんが、喉はまだ傷んでいて
痰が出ます。
マイペースに坦々と、確実に蘇生して参ります。

ここの所、夕立がなくて
今朝も一瞬小雨があったかなと思ったら止んでいた。

雨は汚染物質も落とすけれど、大切な水を注いでくれる。

原発事故による放射能汚染も、上空のジェット氣流などに乗るから
原発周辺は確かに桁違いであるが、
先日、マップを見たところ、
東京も沖縄の宮古島も、あまり変わらない量の汚染がある。
また、チェルノブイリ原発事故に伴うロシアの基準に則れば
静岡までは避難区域となる。



僕が大好きなカエル。

この 蛙が  物いわず たんたんと 暮らしているのですが(雨や恋の時期には鳴くかも)、
同じ生態系の環にある。草も虫もカエルも小鳥もヘビも、
安心して午睡したり歌ったりはばたいたり泳いだりできる環境にもどさないと。
震災以前の環境汚染も含めて。

人はいま、確かにお金が無いと生きていかれないかもしれないが、
その為に、色んなことに目をつぶったり、騙したり、諦めたり、
他の命を犠牲にしたり、優先順位が偏ったりすることは
いのちにとって、大自然、地球にとって、結局自分や家族友達子孫にとって
暴力的破壊的につながることはいっぱいある。
それでも事なかれ主義で心がとてつもなく濁る。
本当に追い詰められないと、〆切り前夜のように また共通の敵がないと
動き出せないものなのか。
もちろん、誰かに煽られ扇動されて、おかしなベクトルに一丸となってしまう
危険性は、ネット社会では急速に進むこともあるから
冷静、慎重さを保つことは大切。



結局はどこで判断するかということ。
頭で考えて? 心で思って?  魂で感じて?   細胞に任せて?
自我を超えて?     人はいまのステージで、一歩ずつしか進めない。

解決方法が分からないことに対面した人間は、祈りや瞑想、言霊の世界に入ることはよくあるが、
それが妄想の中での至福に別離されることのないよう、きちんとそこで得た氣づきを
現実世界へ還元させるべきである。

さもないと、かえって表面的な印象判断に陥って、
にこにこ笑顔の美声の裏にある本音の黒い部分を見抜けなくなる。

どんな状況にもただ感謝するのは、支配者に好都合な現状維持の奴隷たるまま、と以前書いたが
最近流行りの、引き寄せの法則というものも おそらく 呪文  魔術的な技法であり
動物霊に助けられるがごとく その願いが 本当に必要かどうかに関わらず
他のもっと大切な所を犠牲にして叶える という点があるのではないか。
(まあ、このブログは僕の思うままなので、根拠は無いし信じる必要もなく
 逆に僕に対して批判を送ってくださるほうが、老婆心と受け止めてありがたいのですが)
たとえば、生まれてくる子は絶対じぇったい! 可愛い顔がよいよい!!
って、理想とする顔の写真などをボードに貼ってひたすら念じつづけたら
うん、可愛い子が生まれるかもしれない、引き寄せの法則で。
だけど、もしかして 顔は思い通りになったけど、性格がよくなかったりとか。

宇宙は いつでも 大切なことを 教えて 氣づかせ 導いてくれる
それも いつだって 自然なかたちで。
時には一瞬の勇氣だって必要だけど、タイミング次第で、勇氣がなくても体が勝手に動くものだから、
あまり 極度に緊張するとか あせらされるような事案は 自分自身が
不安定にあることを表している。
いつも安定を意識して、自分の足元にある事をたんたんと拾って洗って片付けて
いっぽいっぽ歩いていくことだけが、内側からつやつやきらめく人生の道を造ることになる。



トマトを日蔭にするから剪定したツツジも、勝手に伸びてきたカボチャの支柱となり、
その葉は猛暑の中の、あまがえるの休憩処となっている。
目に映るものは全て完璧だ。
その中で、きみが動くことで、また新しい完璧が創出される。
何をしたってよいから、楽しんで動いたり、休んだりしてげんきに生きよう!!!

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8/9に生まれた亜依が我が家へやってきて(もともとお腹の中で同居していたが)、
赤ちゃんのいる暮らしに多少慣れてほっとしたのか、

息子、自分、妻の3人揃って風邪をひいた。
赤ちゃんはけろっとしている。

はじめに息子が熱とセキ。それが、何だかんだ疲れを溜めていた大人に伝播しました。

でも、風邪って移されるのが原因ではない。
健康な人は菌が来てもへっちゃらなので、
既に弱っていて風邪をひくべき人が、たまたま菌をきっかけに症状(自己治癒反応)が
発動するのに過ぎない。

体もよく心得ていて、本当に大切な、氣を張っている時には何とか症状を出さずに
待っているが、何かの区切りなど、安堵した折りに「よしきた」と修復(症状)をはじめる。

昨日の朝から症状が出ました。食べずに水だけのんで横になり、
半身浴もして休んでいましたが

先に回復していた息子がきゅうりに味噌を塗って食べたいと言い、
タッパーの中は空だったので
去年作った味噌のカメのふたをあけたら、
表面が黒褐色に赤光りしている、本当に美味しそうな味噌です。

あ、この味噌で味噌汁つくって飲んだら治る、と直勘し

お湯を沸かして、火を止めてから
生姜の搾り汁と味噌と小ネギを混ぜた。

みんなで美味しく飲む。
ほのかに汗ばむほどに温まる。

そのときはまだ熱と頭痛があったが、味噌汁で
湧いた力で掃除して布団を敷いて寝ると、
翌朝は熱も下がって頭はすっきり。

起床時はのどが痛かったが、
大きい痰が出たのを最後に喉の傷口が塞がりはじめて
痛みも治まっている。

基本、我が家では 風邪をひいたときに薬を飲まない。

時間をかけても、体が自分で治せば真の抵抗力になる。

薬は基本的に、原因を正すのではなく表面的な症状を抑えるだけだから、
日頃のちょっとした無理の積み重ねによる疲れは体内に残ったままだ。

例えるなら、ひびの入った壁にクロスを貼って隠しているようなもの。

きちんと向き合って、壁のひびそのものを埋めたり、壁ごと修復することが
本来のパフォーマンスにつながるのと、

いつも上塗りしてごまかしていても、
いずれ 内部から、骨組み、土台から壊れてしまうと
大きなダメージとなる。
たまに風邪をひいたチャンスに、小まめに心身を休めておけば
長持ちするでしょう。

さて、これからまた味噌汁をつくって飲もう。



日常から、自分や家族の心身は、自分たちで調え、守りませう。
おむすび、味噌汁、糠漬け、梅干し、水 という
ありふれたものこそ、比肩なき最上のお薬にござる。

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稲と半年交代で、好きで小麦栽培をしてはいるが

麦の10倍もミネラルの豊富な米こそが主食となり得る、
と同時に、水田にはたくさんの生き物が湧くため、
それらも食料をとらえた場合、稲作のポテンシャルは大変大きい。


イネの花。

イネは、命の根。

山では栗や木の実、
海では貝や海藻を採り、
それらをつなぐ川のまわりは米づくり。
川から外れた乾燥の丘・武蔵野では
樹を植えて雑木林をつくり、根に保水させて湿り氣を得、
小麦や桑を育てて、うどんを打ちカイコから糸をとった。

元々の環境条件を生かしつつ、人好みにちょっぴり手を加えるくらいが
ちょうどよい。
人が住むことでかえって生態系が豊かになったらなおよし。

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一昨日、家にあった竹行李をベビーベッドにしましたが、

サイズ的にもうちょっと大きいのがよいのと、
願はくば、柳行李のほうが似つかわしいと思っていたところ、

今朝、早起きして、布おむつを干すための枝を探しに
近所の空き地へ出向いた折
途中で、まさしくヤナギ行李が捨ててあった。

まあ、ぼろすぎてもう駄目だから捨ててあるのだろうと
素通りしたが、何か氣になって、
枝を拾った帰りに、とりあえず手に持ってみて決めることに。

すると、四隅の補強に縫い付けてある渋紙のようなものは
ぼろぼろで、巻いてある樹皮も所々はねてはいるが
全体的には充分生きているため、
そのまま拾って帰りました。

渋紙を剥がし、よく水で洗い、乾かしてから
はねている皮を挿し込んだり、切り落として修繕すると
全くきれいなものに持ち直す。

ざるや重箱、桶などは、世代が代わると
きれいなまま捨てられていることはよくある。

お蔭で、高級なコリヤナギ製ベビーベッドにレベルアップ?しました。





しかし、まさかこれほど早く 出逢えるとは思わなかった。
大切に使って参ります。



おむつ干し。
樹皮が剥がれかけていたのでカマで削りました。


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虎之介 3才と亜依 0才。


乾燥防止に、鉢植えの根元にちょんちょんと置いておいた万年草は、
ふた月ほどで、溢れむばかりに表土を覆っている。
路地の鉢は、どんぐりから芽吹いたシラカシが多い。
秋に大きい鉢に植え替えます。
いつか、防火防風を担う大木となるでしょう。

この、コケのような多肉植物、葉に保水していて根は浅く、日光につよく、
土中の水分や養分はほとんど吸いません。
多年草で、紅っぽくなって冬を越す。星型の黄色い花が咲く。
増えるので、最初だけ周りは乾燥防止に落ち葉や枯れ草で覆っておけば
そのうち万年草が全面を覆います。実家の屋上からの分家。
欲しい方はうちまで来ていただけたらお分けいたします。

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昨日の閲覧数が999でした。
昭和54年9月9日生まれで、日々ふろしきを「くく」っている。
好きな9が並ぶのは嬉しいことです。
今後とも、こりずにお付き合いください。



母子退院して、自宅へ。一人めはベビーベッド無しでしたが
このたびは竹行李をすのこに乗せ、麻の大風呂敷で覆ったものに
タオルを敷いて寝てもらう。背中が蒸れず・吸湿・速乾
静電氣も起こらず機能的。
到着10分前にミシンを出して縫いはじめるというマイペース。
まぶしそうだったので、蚊帳の風呂敷を結びました。









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先週の金曜日8/9に第二子となる長女が生まれました。
名前は、横山亜依(あい)である可能性高。

ちなみに、僕の誕生日は9/9、妻は7/3、息子は1/3 と
3日か9日に集中しています。親族って、何となくそういうご縁が
多いような氣がする。

特筆すべきことでもないですが、1/3と8/9は正月とお盆のため
帰省している人がたが多く、子どもの誕生日会は家族でささやかに、
となるでしょう。

パーティーといっても、うちは普段が質素なので
「誕生日にはお肉を食べられる!」とか
「重曹でなく卵でふわふわのケーキを作ってもらえる~」という
ふた昔前の情緒を醸すことになるかもしれない。


妻は息子を産んだとき36才、このたびの出産時は40才と
今では珍しくないが、高齢出産に入るでしょう。
(昔は、一子を20才前後で産んでも、
40代まで5~6人産みつづける母親も多かった)

お蔭さまで安産でありましたが、
本当は、個人差はあるけれど
お子を産むのは若いときの方が体力的にも楽でしょう。
逆に高齢になるほどに、生むからには
普段から健康管理を保つべきです。

医者や薬が体調をととのえてくれるのではなく、
自分の免疫が正常に働くようなライフスタイルの
一日一日が、心身を安定させる。

学生時代まで、はつらつ、ピチピチだった女性が
過去のジェンダー闘争で勝ち取った
男女の雇用の平等な社会に飛び込むことで、
実際は男社会の型枠とインフラに過ぎないために
心身疲弊している現状は社会問題とも思う。

男同等の状況を求めるのではなく、女性の
こころとからだのしあわせによりふさわしい
仕事環境への進化を、今後は運動すべきだろう。

その一つとして、子育てを終えた、あるいは子育て中の
女性が、希む仕事に就くための支援制度が整っていれば、
先に子どもを生み育ててから働く、という選択肢に
躊躇する方も少なくなる。

少子化への対策をする必要があるのか、
また、国は本氣でしたいのかどうかは別として

本当に子どもを増やすためには
若さとお金と周囲の協力が鍵でしょう。

若いほど手持ちは少ないので、子どもを生み育てるにあたって、
税金や生活運営費(光熱費など)の控除を取り入れ、
周囲は、家族や親戚から知人までが、
生まれてくる子、育つ子どもたちを共通の宝として
住居、食料、育児、教育、金銭について
協力し合うという社会情況(昔は、比較的そうだったと思う)が
あらまほし。

生き物が子孫を遺すことは、自然な営みであるから、
それにあたって抵抗となる現実を解消しさえすればよい。
実際、時代や国によって、貧しいほどに子沢山であったわけだから
普通に暮らしていくだけの所に足枷となる様々な制約を
取り払えば、少子化(を問題とするならば)は起こりようがないだろう。

イメージとして、南の島でみなが自給自足して暮らしていたら、
自然と子どもは増えると思う。
支援の前に、要らんことを無くせばよい。

電氣という存在はまことに便利で、もはや不可欠といってよい
世の中にあるけれど、技術がまだ未熟で、送電中に7割逃げて
非効率、しかもそれは電磁波となって心身を酸化させる。
携帯電話やパソコン、テレビ、電子レンジなども
ほどほどにして、より体、手足を使う習慣に移すように
家では固定電話同士にしたり、手紙を書いてみたり、
直接逢ったり、情報ばかりでなく全身の五感で体験、
散歩して、近所や町の人たちと交流する、
シンプルでよいから、きちんと調理する
という、遺伝子にとってなるべく自然なかたちを選ぶ。

特に、将来子どもを生む女性は、自らや環境を毒する
選択をとらないよう、自発的に勉強しよう。
出回る情報は、スポンサーの宣伝に過ぎないから、
真実とは異なる場合がある。

髪を染めない  パーマをかけない(除草剤以上の劇物)。
シャンプー(シリコン塗料)やリンスで洗わない(石けんも体には必要ない)
入浴剤は入れない。歯磨き粉は使わず、ブラシで歯間を掃除する。
電子レンジや電磁調理器は選ばない(いずれ無害なものに進化する日まで)。
掃除や皿洗いに合成洗剤を使わない。
家庭の園芸で、わざわざ殺虫剤や除草剤を使わない。
化粧は必要だろうが、多くの化粧品に問題あり。
こういうことは枚挙にいとまがない。

そんなにあれもこれも駄目と否定したら、生きて行けない、と思う人も
いるかもしれないが、
色んなものを使わなくてもよかった、というのはかえって楽ちんになるし、
他の、代案を考えるのがクリエイティブで、積極的な生き方。
代案は、何かを排除して代わりのもの、だけでなく
そのままでは毒のあるものを、どうしたら中和できるかという科学でもある。
油っぽいからと野菜いためを捨てるのではなく、そこに
酢を加えたら、さっぱりと美味しく食べれた、というのも微笑ましい。
様々な視点からの情報を知った上で、判断は個人の自由、というのが
平等だ。

100種類の包丁を使い分けているつもりでいたが、
実は、すてきな一本の包丁で、よりよく事足りる上、
今までの100の包丁は、知らずに足元に落下して
床や足を傷だらけにしていた、というのが、
便利なようで命は悲鳴を上げているこんにちの現実。
そのとき、今までの100本の包丁を処分するのではなく
焼き、鍛き、ときに溶かして加工し直し
それらを100本のすてきな包丁に生まれ変わらせ、
100人でシェアするというのがよい。

医療も、外科的な最低限のもの程度でよかろう。
病氣になったら医者や薬に治してもらえるという意識は
怠惰を呼ぶが、
自分の身は自分で調えなければならず、依存できる存在もない
という状況のほうが、いつも凛として
自らの心身と対話し、小まめなバランスを保つことになり
医療が行き渡っている世の中よりも健康な人が増えるでしょう。

何万年も生き抜いてきた遺伝子を持つ人類ならば
地球上の環境で病に倒れるというのは、
他の動物と比べても、特殊なケースといえるけれど
200年前からの、産業革命によって、様々な
今まで経験してない化学物質が作られて
有害に作用している中での適応期ともいえる現代は、
やはり積極的に健康へ導く必要があるでしょう。

本来は、病氣にならないことが当たり前で、
健康に意識を傾ける必要もなく、
みなで歌って踊って、愛し合い、
芸術を生み出すのが人なんだけど。



カブト虫を鳥カゴで飼っている。
ときに逃がしたくなるけれど、近所で唯一かもしれない
樹液の出るクヌギは、先日スズメバチが居た騒ぎがあり、
誰かが幹に殺虫剤を撒いたものか
蝶やカナブンも含め、一切の虫が姿を消した。

確かにスズメバチは恐いけれど、巣に近寄る存在を攻撃するので
樹液を吸いに来ているスズメバチには、よほど近づいたり
手を出さなければ大丈夫。
また、もしも軒下の巣を撤去する場合、氣の毒であるが
巣の家族ごと殲滅させなければ、不安定な蜂が
散り散りになると危ない。
蜂が寝静まった夜間、細かい網をかぶせた上で、マキの煙でいぶし参らせる。
そのようにすると、蜂や幼虫が利用できる。
くれぐれも安全な装備や業者による対応を。
ときたま、スズメ蜂との対話によって、平和的に退去してもらえる
名人もいる。

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