ふろしき王子のブログ◎
出前講座開催☆
http://furoshikiouji.asia
メール isamix@gmail.com
 



南武線の帰りみち。
45分間乗りつづけるのもなかなかです。
明日は自宅で留守番だが、
いたずらユニット「Acorns(エーコンズ)」の一員である
末娘を外へ連れ出すのと、絵にいろを乗せる仕事、
幼稚園の送迎、翌日の講座で貸し出すふろしきの準備などが
あります。

同じことをこなすに当たっても、
丁寧に行なうか雑に扱うかによって
次に吹いてくる風が変わってくるため、
未来はいつも分からないながらも、優しくものせば、
来たるものも、something sweet でござるべし。

今夜は既に夕飯が済んでいる。
けれども、帰宅したら、あるかもしれない。
オーブンの近くに、天使のささやきのように、
たまご色した、甘く焼かれてある存在。

教義に逆らい僕はきっとそれを食べ、
お茶をすすらむ。
まだ
おうちのいづくかに
クッキー類があると決まったわけではないけど。

頭の上の満天には、あまたのクッキーのきらめきたりけり。

そんなふうにポワンとしているうち、乗り換え駅に着く。
駅前の馬上には楠木正成。

時代は変われど、人それぞれに異なった事情があり、
ほとんどはいずれ時間が解決してしまう。
そこを前倒しで動く者が、歴史をつくる。

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恋は盲目であり、互いに仲のよい振りや雰囲氣に浸るものだが、
付き合いが長くなったり、同じ空間に住むようになれば、
振りだけでは済まなくなる。

他人と分かり合うことは、ヒトとヤドカリが意思疏通できないのと
同じレベルで、困難なことである。
それぞれ認識が違うから、社会は合わせあうことで成り立つものだけど、
距離感や関係性が密になるほど、正直に吐露しなければ
体は窮屈にカチコチになる。

しかし、違和感を表明してしまえば仲違いしたり喧嘩・険悪になりやすいから
それをおそれて、他でガス抜きをする人間も出てくる。

けれどもそれでは、本音を伝え合えない仮面夫婦のようになる。

酒浸ったり、不倫等により心を晴らすことで、
家では仲の悪くない振りを継続できる。

さように逃げみちや居場所を見いだして上手くやりくりするのは
器用ともいえる。

不満を抱えたまま帰宅し、ちゃぶ台をひっくり返すような
人の方が、不器用であるが、素直に向き合おうとする誠実さがある。

かくして小さな衝突と和解を積み重ねながら、真の絆は深まろう。

愚直な正直者は、根太くて揺るがない、苦の花を咲かせていく。

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上着の襟の下付近がほつれていたので、
上からハギレを当てて縫いつけました。

元通りに、何事も無かったように戻すのは
制御のための基準が決まっている
ネガティブフィードバックともいいますが、

かくして傷につられて新たな生地を当て、それが
連鎖して全く新しい世界が現れていくのは
ポジティブフィードバックとなります。

機能や形が決まっているものは、通常前者の仕組みで
制御やメンテをするものですが、

パッチワークによる修繕や自然な街の出来方は後者です。

どちらが優れているというわけではなく、
前者は安定、後者は変化へとつづいていく。

例えば、今朝ドライヤーから異音がしたので
中の羽根に絡まりたる髪の毛を取り除いたのは、
元の基準点に戻そうとするネガティブフィードバックの働きです。

土台が安定してこそ、周りは空高くはばたけるので、
両者はいつでも同時に存在している。

池が静かなら蛙は活発に泳ぎ、
波が荒ければおとなしく揺られている。

内なる意志の強い人ほど、一見落ち着いてみえる。

不安定で自信のないときほど、空元氣により
せからしくなったりします。

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土日つづけて、家族で丘のぼり。
土曜は同級生と、そのイギリス人の彼も一緒に
平山城址公園。
昨日日曜は、依頼されている絵を午前中に
線画まで描き、午後は南平丘陵公園。

両日ともふもとまでは自転車で行きました。

天候にも恵まれ、どちらの丘も落葉や黄(紅)葉に包まれた
すてきなロケーションでしたが、二山合わせても
訪問者は15名くらいかも。
アラカシやコナラなどのどんぐり(エーコン)は、
子どもたちも集める氣が起きぬほど無数に落ちている。



南平はフェンスの向こう側は多摩動物公園でにぎやかであるし、
もっと先の高尾山は、紅葉狩りとその撮影者により
数千(万?)人の激混み渋滞と聞く。

幼な児連れてそれは難儀であるし、
有名スポットに集まる傾向にはつまらなさも感じる。

遠くから高尾山に押しかけずとも、みなみなもっと近所に
名も無きすてきな紅葉スポットがあるはずで、
そこをささやかに盛り上げて行けばよい。

高尾山が人氣だからうちも行こう、ではなく、高尾に触発されて
地元に秘められた宝石を、住人主体で発見するほうが地域に貢献する。
真似から入るでもよいが、そのまま再現するのではなく
心だけ頂いて、その視点で地元を発掘する。

最近、昔のアイドルのダンスソングを盆踊りに
採用したのが受けて、全国各地の自治体が倣って
全く同じ曲で展開しているが、それは浅はかな猿まねに過ぎない。

どこかの地域固有種の花が綺麗だからと、全国に植えるようなものだ。

創造は、制作や行動の前に、観察と発見からはじまる。
すなわち創造とは視点に他ならない。

既にそこにあふれているものを、
そこに住む人が役立てたなら、ヒトはとっても生きやすくなる。



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我が家は野菜くずを裏庭に置き、ダンゴ虫などに食べさせて
分解させるため、生ごみは回収に出していない。
これはとても楽で、有料のごみ袋代が節約でき、
袋に詰めて臭くなることもなく、
焼却場での燃料やダイオキシンの発生源も減らせる。

裏庭にくずを置くと、団子虫だけでなく
なめくじ、ハサミ虫、みみず、アメリカ水あぶなどもせっせと食べてくれる。
水は溜まらず、臭いはないが、
エビやカニなどの殼は、さすがにむき出しではハエを呼ぶので
土を振りかける。

最近、知人から
うさぎの床に敷く、ひのきのペレット
(おがくずを粒状に固めたもの)をいただきましたが、
それは水を含むとおがくずに戻るので、こぼれた水や
尿を含んだものは交換します。

そんなおがくずもまた、裏庭の野菜くずと合わせておけば、
窒素と酸素のバランスや微生物の棲む隙間により
分解がより早まるでしょう。

混ぜて酸素を入れたほうが確かに分解は早いですが、
かなりの高温となるため、虫はいられなくなるし、
栄養も燃やされて失い、ただのカスになってしまう。
完熟堆肥は養分に乏しく、かえって病氣の原因にさえなるおそれがある。

自然界では、ただ上から落ち葉や死骸が積もるだけで、
底から分解されていく生堆肥の循環システム。

さて
裏庭の野菜くず置き場も
寒くなると冷蔵庫状態で、表面的な分解は遅くなり
かさも増していくが、

だから停まっているのではなく、水面下で様々な
生きものや微生物による準備や下ごしらえが続いているだろう。

春になればいっせいに芽吹いたり、分解されたり、
冬眠から覚めた虫たちが動き出す。

熱や酸素による分解燃焼が少ない分、むしろ冬の発酵は
無駄なく効率のよい漬け物状態なのかも。

春から花や菜園を育てるのも、準備は今からしておくとよい。
種まきも早めにすれば、種が寒さを経験して
つよい子を産んだり、雑草より早く生長して
お日さまを得られるようになる。

よく見れば、すでに小さなはこべらや
カラスノエンドウなど
春の草の小さいのが芽吹いている。

植木鉢の下には団子虫やなめくじがじっとしている。

小春日和にはひきがえるがうっかりと目をさます。

亀は冬眠させていないので、晴れた日は暖かい2階の窓際に
水槽を置き、餌を食べさせています。

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今日はちと早起きし、7時に家を出て
千葉県の船橋へ向かっています。
公民館での風呂敷講座。

今回は参加者全員が、実習用のふろしき大小をお持ちということなので、
僕は着物とハカマだけ包んできました。

昨日は似顔絵講座で松戸、今日は船橋と、千葉がつづいています。

船橋には、いみじくも残された、東京湾の干潟がある。

西隣の浦安市は、江戸川の三角洲から先を埋め立ててあり、
その中にミッキーラットさんの国もあるのですが、
東の船橋市は急に海岸線が引っ込んで、広い干潟となっています。

僕は小学生時代、ここで潮干狩りした思い出がかすかにあります。

海というものは、
波が酸素を生み、
砂に微生物が棲み、
多種のミネラルが電子を呼び、
渦の回転があり、
たくさんの生きものたちの食物連鎖があって、
本来大きな浄化力を持っています。

それでも現在は、日本にも世界にも、泳げないような海が
あまたあるのは、海の浄化力を超えて、
川から、大氣から、雨から、排水から、地下水から、
人から…
不安定に汚染された物質が流れ込んだり溜まっていることを意味する。

今は、海に癒されに行く時代ではなく、
母なる海のために何ができるかを見つめ直す必要があるでしょう。

(しばらくして)
2時間ほど電車に揺られ、船橋が近づき、日も射してきました。
今日もいちにち、精いっぱい、マイペースに
歩をすすめて参ります。

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ふろしきの愛用者がふえることは、
いつも風呂敷を携帯している人々の増加につながる。

すると、非常時や緊急時に助け合えることや選択肢がひろがるために、
全体の安全保障が底上げされる。

こいつはオーバートークや大風呂敷ではなく、
実際に野宿ひとり旅の道中から得た確信です。

そのためにも、もっとふろしきが当たり前の持ち物として
普及してほしい。

使わなくてもよいから、いつもカバンにたたんでおこう。
風呂敷は易しいから、困ったときはその場しのぎでも
でっかく役立ってくれる。

困難に遭わないことが大切かもしれないが、
平和に安定した日日にも風呂敷は
日常的に役立ち、やさしいそよ風を産みだしてくれる
つなぎ役なのです◎◎☆♪

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女子会というか、特にお母さん方の集まりは、
駄目な自分や失敗の共有会になりやすい。

よかったことやしあわせのレポートでは、仲間外れになる
不安があるというのだ。

だから、そこからみんなで、深刻に悩み解決の展開になるのは
出だしから無意義さをはらんでいる。

ここから脱却するには、あえてのぶっちゃけ
「しあわせ自慢・自分をほめまくる」を会のテーマにしたり、
そういう時間を設けることが、因習打破の扉になるまいか。

「こんなに可愛くて、そしてかしこい天才で天使な
 子どもたちと暮らせる私は何てありがたきことか!」
「会う人みなみな素晴らしくて、私は世界一めぐまれている」

そこまでの勢いでなくても、無理や嘘はなく
ささやかでよいから、ちょっとしたよかったことを
もっと共有し合ったらよい。

「いひひ、アゲハの幼虫が可愛いし、目が合っちゃったの~」
(実際は目じゃなくて模様)。
「ずんずんと前向きに歩みつつも、犬のふんには氣づいて
 パピッとよける私の勘のよさと視野の広さよ」

そんなことを、SNSでネタのように言う前に、直接集まった場で
語り合えたらよいが、偽ったりオーバートークにはならないようにしたい。
照れから、わざと嘘っぽくて極端な方向へ表現し、
現実はやはり不幸と失敗まみれなのさ、と匂わせるスタンスに
なりかねない。

女性に限らず、日本人には特に難しいところではあるが、
どちらかというと、自慢するのが苦手というよりは、
自分が誰かの幸福を聞いたときに
すなおに祝福できず、フン、お前風情が、と嫉妬してしまう
ところが要因とも感じる。

地球まるごとをとらえたとき、そこに嬉しいことが
1こでもふえたことを、みんなの喜びとして感じられるかどうか。

同様に、誰かの不幸や事故やトラブルを
自分におきかえ、他人事で済まさずに祈りや協力へ
踏み出せるかどうか。

次世代の子どもたちにつまらないことが連鎖しないように、
1人1人が無意識の洗脳や先入観や惰性を
成仏・卒業させる時期に来ている。

目の前にいる人を、自分の親または子どもだと思って、
より親愛なる距離感でとらえ直す。

そうあれば、しあわせの共有もみんなへのギフトとして、
もっと自然に伝えられるように思う。

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本日は、大田区にある小学校で午前中に
風呂敷の授業が2クラスあります。
5年生で、実習で使うふろしきはなんと児童による手づくり!

4年でミシンを学んでさっそく生かしているのでしょう。

どんな風呂敷なのか今からわくわくしています。
それと、今日は授業後に給食もご一緒するので、
食いしんぼの僕はそれも楽しみにしている。

そこからすぐに帰宅し、こまごま用事や
家事をいたします。

眠りたる生地が色々あるので、僕もミシンで風呂敷を縫おう。
亀のいる2階で。

今日の学校は多摩川の下流というか河口に近いので、
自宅のある日野の多摩川中流からぷかぷか流れていけば
着ける場所です。

空港建設などでだいぶ埋め立てられていますが、
元々はアサリなどの最上の漁場であったでしょう。
もっとヨシ原を増やし、よりよい環境を再生していきたいと思います。

干潟とヨシ原そして氾濫原となる原っぱが、海の浄化に大切です。

環境がよくなって渡り鳥や水鳥がふえると
ラムサール条約に登録されたりして、観光化が進み
かえって原っぱをつぶして観察センターやコンクリートの
遊歩道、駐車場などができて
生態系的にも台無しになるパターンがあります。

世界遺産なども含めて、ブランド化には注意が必要。

名誉や肩書きが無くとも、本当によければ
口コミにより世界中から観光客は来るもの。
そこに余計な施設や
情緒のない土産物屋ができないよう
守るために、政治が必要ですが、
逆の方向性になりやすい現状です。

海外の方は、ささやかでも姫や侍や忍者への憧れを抱いている
かもしれないので、観光化するなら、
いつでも山本周五郎さんの時代劇や
黒澤明監督の映画にそのまま使えるような
風情にするとよく、そのためにも、地域や流域で採れた素材
(流木、間伐材、石垣、ヨシのすだれ等)を生かすことが大切でしょう。

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葛のつるを採ろうと河原へ繰り出ましたが、葉っぱがまだ緑色のが多く、
つるを曲げると白い液が出てくる(葉の光合成によるでんぷんが、
まだ液体のブドウ糖で茎に送られている状態)ので、もうちょっと
待つことにしました。それだけまだ暖かいということです。



ここは、先日の大型台風による濁流により生まれた、河原の砂浜。
道が無く、ここまで来るには藪を越える大冒険となるため、
他に来ている人はいませんでした。

ただ、激流が様々なものを運んできているので、足元には注意が必要です。
今日は、刃が上を向いた包丁が半分埋まっていました。



帰りは、もっと平易な道を発見しました。
先頭の子は昨日、自分で髪を切り、前髪がだいぶ短くなっています。

冒険に必要なのは、勇氣というよりは、慎重に安全なルートを判断することと思います。
ゆうきだけで対応できるほど、自然は甘くありませんし、
現代人の身体は甘っちょろくなっています。

経験による直観から、絶対に大丈夫と確信できてこそ、大胆な選択や行動にも踏み切れる。
そのためにも、日ごろから小冒険を積み重ねておくとよいでしょう。

[追伸]

・近所の梨(なし)園の中に、鶏が放し飼いされているのを発見しました。
 今度、中に人がいましたら、声をかけて、鶏井戸端会議をしたい所です。
 にわとり大大すきなので。

・この時季、亀は本来冬眠に入るので、室内で飼っている場合も、
 水温がある程度温かくないと餌を食べない。ヒーターを入れる手もあるのだが、
 晴れていれば2階は日中かなり暖かくなるので、そこに置いて、
 水がぬるくなったら餌を入れると、食べる。ただし、まだお腹に餌が残っている状態で
 水温が低下すると消化不良につながるので、餌は早いうちに与えて、その後も
 しばらくぬくい水に浸っていられる必要がある。

 ヒトや哺乳類や鳥類など恒温動物は体温が一定だからよいのだが、カメやカエルは
 周りの温度が体温になるため、低温では腸内細菌の働きが鈍って消化不良になる。
 そんな変温動物は大変そうにも思えるが、環境との一体感、宇宙とひとつに生きる
 感覚はまた至福の境地かもしれない。
 ヒトもそのようになったほうが、もっと環境を大事にするようになって、
 よいのかもしれない。一日はまずみんなで日なたぼっこからはじまり、
 曇りや雨の日は、おしくら饅頭や温泉で体をあたためます。

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昨日は浅草で、英語の通訳つきのふろしき講座がありました。

せっかくだからと、ホワイトボードには本日のメニューを
かなの崩し字で縦書きしました。
字を書くときは、息を止めることなく、吐くことを意識しながら
呼吸がそのまま字に成ることが喜びです。

ポーランド人のご夫婦に、
ポーリッシュという、頭の羽がふさふさで顔が隠れてる
ニワトリの品種がある、と絵を描いて説明しましたが
ご存知ないようでした。

そのように、僕の講座やコミュニケーションは、
テーマと関係のない話を混ぜこぜる傾向があります。

だけどすぐに話の本流に戻せるのは、
B型の技術なのかも。
ところどころに、
閑話休題、さて、ところで、という接続詞が
みえかくれしている。

風呂敷もまた、様々なものをひっくるめて、
ひとつの包みとして和する技なので、共通点がありそうです。

外国人と触れても感じるのは、
基本的なヒトとして、みんな同じということ。

言葉や文化は違えども、犬猫ことりよりははるかに近いわけです。

風呂敷むすびも、同じところで手こずったり嬉しがったりします。

絵も
ふろしきも、
言葉のいらない世界。

だけど言葉によって
より心身が豊かになるような、

そんな言葉をつかえるようにしていきたいです。

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明日11/18(土)14時から、浅草で日本語と英語によるふろしき講座が開催されます。
英語の分かる外国人の方、英語での風呂敷の結び方にも関心のある日本人の方、
単純に風呂敷を実習したい方、どなたでも参加できます。

主催者側の告知では参加費3,000円ですが、このブログからの方は、2,000円に割引いたします。
通訳の方は、1度お会いしましたが、大変聡明で英語の堪能な方ですので、
外国人の方も、今後海外の方に和文化を伝えたい方も、明日はとてもおすすめできます。

前日の告知で恐縮ですが、ご参加希望の方は、僕のメール isamix@gmail.com までご連絡ください。
連絡が間に合わなければ、直接会場でも大丈夫です。
練習用の風呂敷大小は無料で貸し出ししますが、愛用の風呂敷ある方は持参も歓迎です。

会場は、合羽橋道具街の入り口(田原町駅側)のニイミさん(コックさんの像のあるビル)の
左隣にある松が谷213ビル5Fにある下町ップロさんです。
東京都台東区松が谷1-1-1 TEL: 03-5830-6790
最寄り駅は東京メトロ銀座線「田原町駅」です。
13:30から開場しています。ぜひすてきな交流と実習をしましょう!横山功

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今日はお昼用に、海苔と塩のおむすび1個持参しましたが、
仕事が伸びたため、夕方と夜に、知人の方より賜りし
おむすびを2.5個いただきました。
昆布のと梅干し。

やはりおむすびパワーはすごくて、腹持ちがよいのと
満足感、多幸感に浸って帰っている。

しかし家は遠くて、22時過ぎに着いても、台所に残っている
料理によっては、我慢ならずに食べてしまうだろう。

明日は町田市の小学校でふろしき講座です。

ともあれ早めに寝て、げんきいっぱいに、貸し出し用の風呂敷を
30枚以上背負っていきます。
今はなかなか家に大風呂敷が無いものだね。

参加者100名ほどなので、2人1組で、大ふろしきは
シェアしてもらう予定。
一緒に考えて結ぶのも楽しいもの。

今ここにあるものを、そのままの形で工夫や組み合わせにより
生かし、用が済んだら元の姿に戻る、それが風呂敷の魂でもあり、
たとえ風呂敷が無くても、風呂敷の道は
いつでもどこでも誰でも歩むことができる。

だから、たとえ人数分の風呂敷が無くたって、
その条件の中でのふさわしい遊び方がある。

条件を満たさなければ用を成さないのであれば、万能とはいえない。
非常時は今そこにあるもので対応・解決しなければならない。

真の侍は、刀がなくても同じ呼吸で相手と舞うことができる。

刀が加われば、体の反応が自然と変わるだけだ。
太鼓のばちでも
しゃもじでも、流木でもタオルでも、
相手と自分を結ぶつなぎ役になる。

明日の講座は1時間と短いが、
実際こんごの役に立つのとあわせて、
ただハウツーで終わるのでなく、
物の生命を引き出すブリコラージュの目覚ましさを
感じていただけるように、我が身を尽くしたい。

自ら発見していくのが喜びだから、昨今の
インターネット動画のように、既成の技を分かりやすく見せるのとは
異なるアプローチで、
風呂敷をきっかけに
様々な素材やものや道具が、
なりたがっているもの、やりたがっていることを感じる
姿勢と視点を、その黒い瞳に思い出してほしい。

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子亀がうちに来た本日11/14、
最後のかぶと虫が臨終しました。

生と死は同時に存在する。
やまず巡る、現れの違い。

死んだかぶと虫は、無機質(ミネラル)を大地に残し、
有機質はガス化したり食物連鎖に組み込まれながら、やがて
大氣の一部になって青空へと昇っていく。

ケースで飼っていたから、もっと羽ばたきたかっただろう。
それは、空へ昇りながら叶えてほしい。
だけどやはり、たとえ死と隣り合わせであっても、
かぶと虫はもっともっと、自由に生きたかっただろう。

だから、せめてより広いケース、ぶつかっても衝撃の少ない
網のケースで飼うほうがよいし、
沢山殖えたら、ほとんどは雑木林に逃がそう。
あんまり未練を残すと、かぶと虫だって幽霊(天高く昇っていけない、重さを持った有機化合物)
になって、低空をうろうろさせてしまう。

完全燃焼すれば、単体の窒素や炭素として、また地球の循環の中で
新しい生命へと輪廻できるのだ。

ともあれ、
新しい亀が来た日に、長寿のかぶと虫が逝くというのは、
めくるめく風の流れを感じさせられる。

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宿命のように、我が家にはいきものが集まってくる。

現在
・ザラアシドロガメ :近所の水路で保護
・クサガメの赤ちゃん:友達の家で繁殖したもの
・和金       :夏祭りの金魚すくい
・黒メダカ     :代々飼っているものと、近所の川や水たまりから
・どぢゃう     :近所の公園の池
・タニシ      :棚田の田植えを手伝ったときにもらってきた
・うさぎ      :近所の土手で保護
・あまがえる    :近所の田んぼのおたまじゃくしが成長し、うちの庭に棲みついている
・ひきがえる    :近所の山の池のおたまじゃくしが成長し、棲みついている
・アカガエル    :近所の川のそばの水たまりのおたまじゃくしから成長し、棲みつく
・かぶと虫     :近所の林で捕った成虫が産卵し、そこから成長したもの
・かぶと虫の幼虫  :この夏に飼っていた成虫が産卵し、孵化したもの
・ミナミヌマエビ  :近所の水路で捕ったものが自宅で繁殖

以上のように、ペットショップで買ったものは1匹もいない。
元々、室内のケージで飼うよりも、日常の生活環境にいきものが共存している状態を
理想としている。
子どもが家で飼いたいなら、近所で捕ってきたのを飼う形がよく、
ペットショップもそのように、地元産を繁殖させて販売できたら
地域色としても興味深く感じる。

植物でも動物でも、本来は人が世話をしなくても、自然の環境の循環の中で、
その生きものらしく生きていけるのが望ましい。
でも、何か手を出さざるを得ないのが「人の自然」である。
そのためには、様々な動植物の立場にたった視点が必要だろう。

外来種の亀の問題も、僕個人の考えでは、外来種も共に自然の中で暮らせばよいと思っている。
もちろん、逃がしたりはしないが。
外来種は捕えて殺す、というやり方には賛同できない。
なぜなら、環境や居場所や棲み家を整えるだけでも、在来種と外来種の棲み分け・共存は
できると信じているから。
たとえ外来種が根絶されても、現在の河川の状態や水質は、在来種にとっても生きづらいものだ。

また、今在来種とされているものも、歴史を遡れば、途中途中で外から入ってきたものが多い。

種の前に、環境が大切と考える。

それでも、わざわざ外来種や他地域の生物を移入することは別の話で、
水路を作って鯉を放すことは大反対。
個人的には、外国から輸入したペットを販売することも、動物園も反対なのです。
オリに入った動物を眺めるのではなく、玄関を出れば季節の動植物が共にある暮らしがよい。
稚魚の放流などもせずとも、その環境にふさわしい生き物は、自らどこからともなくやってくるもの。

本当はうちのような狭い庭に住んでもらうのも申し訳ないが、
居てくれてる以上は選んでくれていると思っている。
生きものにとっては、広さよりも、そこに餌があるかが最重要。

狭い庭でも、近所の庭、町じゅうの庭が、生きものの棲みやすい環境になれば
そこはまるで、住宅地でありながら自然保護区のような聖域になる。
難しいことでなく、余計なことをしないだけでよい。
ただし完全放置で荒れた藪になっても、単純すぎる植生になるから、
ほどよい手入れが大切。
何もしない人は何もしないが、やる人は根こそぎ草を抜いて土むき出しの
地面にしてしまうし、家庭の庭の広さでも除草剤が使われている。
家庭菜園でも殺虫剤が使われる。それは肥料のやり過ぎか、ミネラル不足か
日照不足、水はけなどの原因から、弱った作物を虫が分解しに来るのだから、
虫の氣まぐれや悪意が原因で虫に食われるのではない。
虫を殺しても、残った野菜は病氣のままだから、食べた人の健康に貢献するとは
言い難いものとなる。

外から何かを入れるのではなく、その場所でどのような循環ができるかを
意識してみたい。

うちは自給自足ではないので、買った野菜の野菜くずをそのまま庭に埋めていたら
窒素過多になる。
そこで、埋めずに地表に置いて、だんご虫やナメクジに食べてもらい、
さらにそれを蛙が食べて、余分なエネルギーは彼らが生きるために
消費してもらっている。
虫はムクドリにも食われるし、カエルはタヌキやハクビシンにもやられるから、
その糞がまた野山に戻れば、ひとつの循環にはなる。
だから、野菜はなるべく近くで採れたものがよい。


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