いぬぶし秀一の激辛活動日誌

おかしな議員[わんちゃん]の激辛日誌です。日々感じたこと、活動報告、行政への提言など、本音で書き込む人気ブログです。

民間の自由な発想?ガチガチの大森北1丁目事業者募集

2007-11-12 | Weblog
 何度も書いているが、大田区の特別出張所と図書館の跡地にオマケの土地と2億円余りのお金までつけて、NTT開発所有の1等地と交換した「仮称 大森北1丁目開発」。NTT側に譲った土地には、すでに分譲マンションが建設されているが、当方の土地は100円パーキングのままである。

 前政権時代には、大田北行政センターを移転し、行政機能と民間のコラボレーションという構図が、かろうじて成り立っていたが、新政権になり、なぜか北行政センターの移転は中止になり、ほとんど民間活用部分になった。なんのことはない、区民の財産と税金を使って民間デベロッパーに1等地を50年間貸し出す事業にすりかわってしまった。

 さらにお笑いなのは、公開された事業者募集要項である。どうせ、コンサルに作らせた文章だろうが、いくつか「お笑い」を示してみよう。最も大きな問題点は「民間事業者のノウハウ」と言いながら、ほとんど建物の配置が「固定」されている点である。

建物について
地上8階、地価2階、塔屋1階。述べ床面積15,410.85平方メートル。
自動車駐車場101台(うちEVパーキング96台、うち16台ハイルーフ対応)地上部S造、ブレース付ラーメン構造。地下部SRC造。熱源設備、冷熱温水発生機と水冷チラーによるガスタービン(以下略)
外部仕上げ、押さえコンクリート金ゴテ仕上げ、アスファルト防水。屋上庭園(5階)、外壁、50角タイル打ち込みPC板+アルミカーテンウオール
押し出しセメント成形板(t=60)(以下略)内部仕上げ、床、せっ器質タイル(300角)張り、壁、レンガタイル(t=20)張り、天井GB12、5+9、
5 AEP

と、書ききれないほど、事細かに仕様が指定されているのだ。

 さらには、床配分計画案(参考)として各フロアの面積が小数点以下2位まで記載されている。最後に、大笑いしたのは、建築計画図(参考図S:1/500)という下記の文章だ。

以下に、建築計画図(参考図)を示します。建築計画に係わる提案は、本図面をコピーしてご使用ください。(提出はA3版とします)

 この図面には、各フロアのどこに区有施設を置きこむか、吹き抜けはどこにするか、駐車場の形状、男女別トイレの位置まで指定されている。参考図と言いながら『提案には、本図面をコピーしてお使いください』とは、もし本気で書いているとしたら担当者なり、作ったコンサルの日本語能力を疑う。正しくは下記のようにすべきだ。

以下に、受注予定の建築業者と決定した建築計画図を示しますので、本気で受注したい事業者は、この図面をコピーして、区の意向通りの提案をしてください。

 要するに、蒲田保健所跡地の時と同じように『地域の賑わい創出』といいながら、コンサルと受注予定の建築業者、プロポーザルで受注予定のデベロッパーグループに都合のいい計画を『いいなり』に作った、ということか。

 この募集要項を熟読する限り、民間の自由な発想が活かせるのは『建物管理の手法』と『テナントの募集』だけだ。なんのことはない、商業ビルのテンント募集の仕事じゃないか。

 賑わいと呼ぶには、あまりのも貧粗な『点の開発』であり、公共建物としては、あまりにも『民間』だし、なんとも中途半端、いかにもお役人的な計画に、ごく一部少数の議員やお役人しか疑問に思わない区役所、区議会は大丈夫かいな。

嗚呼、お役人。マトモな心を持った一部担当者の胃炎がかわいそう!!


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昼休みは1時間よこせ!でも勤務時間は延ばすなby区職労

2007-11-10 | Weblog
 働かない公務員の為の団体とも言われる、自治労。そして、その傘下団体、各区の職員労働組合さん。様々な実らない『組合員向け、やったふり闘争』ご苦労さんである。しかし、彼等は知らない。自治労の幹部が、自治労旅行センターを通じ、組合員の組合費で、超VIP旅行をしていることを。

 私の親しい業界(旅行)の友人(すでに退任)は、実は、ある大手旅行会社と自治労の合弁で、自治労旅行センターという旅行会社を設立した。ここで使われた、自治労幹部の旅行費について、彼から聞いた内容は、到底『組合員の福利厚生』などというものではなかった。金正日将軍顔負けのものだったのだ。

 自治労傘下の組合員の皆さんは、『賃上げ闘争』など、出来もしない目標にだまされて組合費を毎月給料から天引きされている。このようなことに使われる疑義があるのなら、組合を脱退して『組合費と自治労積立金』分だけ、実質手取り額を増やしたほうが、奥さんに喜ばれると思うがな‥

 さて昨日付けの『大田区職労機関紙 おはよう』によれば、大田区は23区唯一『休息時間』がなくなり、労働時間の短縮は切迫した要求課題なのだそうだ。どういうことか?

 これは、大田区職員の労働時間を見てみる必要がある。

以前: 08:30~12:00 勤務時間 
    12:00~12:45 休憩時間
    12:45~13:00 休息時間
    13:00~15:00 勤務時間
    15:00~15:15 休息時間
    15:15~17:15 勤務時間 合計正味労働時間 7時間半

改正後 08:30~12:00 勤務時間
    12:00~12:45 休憩時間
    12:45~17:15 勤務時間 合計正味労働時間 8時間

 これは、条例上45分の昼休みに、手休めの時間たる休息時間をくっつけて、実質休憩時間を1時間取る、という悪習(条例に規定がなかった)ものに、私がメスを入れたものだ。

 結果、総務省の後押しもあって、23区中、大田区だけが『まとも』になったのだ。区職員の平均時給3500円で計算すると、一日あたり、この『インチキ』で、800万円を超える人件費が、毎日余計に支払われていたことになるのだ。

 そこで、条例どおり、昼休みを45分にし、休息時間などというおかしな制度を廃止したのだが、議会では、私は適正な8時間労働を提案しておきながら、たった一人昼休み45分化に反対した。私以外の区議は『区職員労組』の同意を理由に45分に賛成した。

 私は、昼休み45分では、実質的に蒲田駅周辺で昼食をまともに食べれない!そもそも、以前から、公務員として志ある職員は、8時半より15分以上前に出勤し、退庁定時の17時15分より15分以上遅く退庁している。だとすれば、昼休みは現行どおり1時間取得し、8時間労働という条例に合致するように、出勤時間を15分早めるか、退庁時間を15分遅くして17時半にしよう、と提案したのだ。『休まず、遅れず、働かず』の職員には迷惑だろうが、大多数のマトモな職員さんいは、なんら影響はない改正だ。

 しかし、習慣というのは恐ろしいものだ。区職員労働組合は、職員の保育園への出迎えが困難等の理由で、昼休みは45分、出退勤時間変更なし、という決断をしたのだ。ところが、実際、運用してみると職員から大ブーイング!役所前の大衆食堂とコンビニが流行り、周辺の飲食店から区職員の姿は消えた。民間の普通の感覚であれば、ここで退勤時間を『世間並み』の17時半にして、昼休みを1時間にしよう、と思うのではないだろうか。

 そこが、お役人の頭の中は違うのだ。絶対、一度勝ち得たものは『それ以下にはしない』『労働強化はんた~い!』という、既得権益擁護の原則がある。労組の最重要課題として、勤務時間を8時間から7時間45分にせよ!との闘争方針を打ち出したのだ。さすが自治労!お役人!

 これでは行政改革などすすむ訳がない。ときに、この団体は民主党支持の大御所だったはず。小沢さんが指摘したように、自治労のこの区民感覚からの乖離では『政権担当能力はない』と断じられてもしょうがないな。

 がんばれ!マトモな大田区職員さん!



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拝啓 民主党小沢代表 (産経新聞社 正論10月号より) NO2

2007-11-09 | Weblog
■小沢イズム実践者としての私の矜恃
        自由党解党を受け継承党を立ち上げ

 さて、かく言う私も、平成15年9月の解党、そして民主党への合流では、あなたにはついていきませんでしたから、その意味では保守党の人々と同罪と思われるかもしれません。しかし、小沢さん、私は、例え地方議員であっても「政治家」はステイツマンであるべきだ、と信じています。自らの信念を捨て、票や権力に迎合すべきではないと思っているのです。
 
 民主党と合流した理由は「政権交代」という大儀のため、小異には目をつぶるということでしょう。しかし、私には、「地方から日本を変える」という自ら課したミッションがあります。たとえば大田区の職員の服務や勤務問題、業務の民間委託などを提案すると、最も大きな障壁は「自治労」傘下の区職員労働組合です。学校改革のバリアは、やはり、日教組という教員の団体であることは、誰もが知るところです。
 
 信じられないでしょうが、つい数年前まで、区職員労組や日教組は、『教員や職員が名札を着用することは人権侵害で、各組合の「最重要闘争課題」』とまで言っていたのです。こんな前近代的な、シーラカンスのような意識を持った人々を、我々の税金で養っていては、行財政改革も、教育改革も出来るわけがありません。私は、これからも、たった一人でも、このような人々の意識改革をすすめなければなりません。であるとすれば、この人たちが支持する民主党には、太陽が西から昇ることがあっても、決して合流するわけにはいかなかったのです。おわかりいただけますでしょうか。

 合流当時、多くの同志の地方議員が、この問題で悩んでいました。保守中の保守政党、自由党を選び、政策のプロ集団を自認していた志高き仲間たちだからこそ、「はいそうですか」と、あなたについていく決断は出来なかったのです。新生党以来、あなたの作る党本部には「国会議員以外は人にあらず」という企業風土が伝統としてありましたが、実は、政党をささえるのは、志高い地方議員であることは、民主党の地方組織をご覧になって、今ではおわかりになると思います。
 
 私自身の決断は即日でした。自治労、日教組の支持する政党、また、その組織内議員がいる政党には絶対に入らない、これがぶれたら、私が地方議員である意味がなくなってしまいます。そこで、私は何人かの地方議員を募って、あなたの自由党の解散届が提出された後、平成15年12月9日に東京都選挙管理委員会を通じ、総務省に全国団体として「自由党」の結党届を提出し、受理されました。その届に添付した「自由党規約」にこう書かせていただきました。『本党は、小沢一郎氏が提唱した日本一新の理念に基づき、新しい日本の実現のために必要な政治活動を行うことを目的とする』と。

 このことは、あなたのホームページの掲示板にも書かせていただきましたので、ご存知かもしれませんが、さぞかし「迷惑な野郎」だとご立腹のことと思います。自由党都連に残っていた、旗やジャンパーは許可を頂き、いまでも私の政治活動の際、使わせていただいています。自由党カラーののぼりに「民主党にはいくもんか!」と短冊をつけて街頭演説をしていると「まだ自由党ってあったんだ」とか「えらいな」という励ましの言葉を頂きます。
 
 いつか、きっと民主党が分裂し、真正保守政党が作られる時、この日本初の近代政党につけられた歴史と由緒ある「自由党」の名前をお返ししようと夢見ているのです。残念ながら、待ちきれない仲間たちは、民主党や自民党に入党してしまい、今では議員は私だけになってしまいました。超多忙なあなたが、最初から最後まで2時間以上も結婚披露宴に列席されていたにもかかわらず自民党の公認候補として去っていった地方議員もおります。淋しいかぎりです。
 
 今年の4月、私も3期目の選挙がありました。選挙管理委員会に提出した「所属党派証明書」は、自らが代表の「自由党」としました。多くの新聞社から「なんじゃ自由党とは?」とずいぶん確認の電話がかかってきました。前回9位、自らのブログの閲覧数も延べ40万人を超え。活動が雑誌やテレビで何度も紹介されるなど、私自身や後援会幹部は勿論のこと、対立陣営すら私の「上位当選」を疑わなかったのです。
 
 ところが、結果は下から4位。選対幹部の唖然とした表情、自分自身の脱力感は、当選はしたものの「落選」に等しいほどのものでした。勿論、戦略ミスもあるでしょう、私の人格に問題もあるのでしょう。しかし、冷静になって考えてみると、前回、前々回ともに私は「小沢自由党ただ一人の候補」だったのです。つまり、2回の選挙で私の獲得した票数のかなりの部分が、あなたを支持する人々のものだったことに気づかなかったのです。その意味では、先ほどお話した勘違い国会議員と同じ過ちを犯していたことに気づかされました。とは言っても、そうであっても、小沢さん、私は今の民主党に入る気にはならないのです。小沢さん、あなたは一体どうしてしまったのですか。

■小沢氏の変節への疑問
共産党との連携や安全保障、靖国、イラク特措法まで    

 小沢さん、あなたは、政策さえ一致すれば共産党とも行動をともにすると語っていらっしゃいました。しかし、その一方で、日本の保守政治の復権をも訴えています。はたして、どちらが本音なのでしょうか。今回の参議院選挙では、相手側(自民党)のエラーとフォアボールで、不戦勝といってもいい勝利を手中にされました。しかし、はたして政策で国民が民主党を選んだのでしょうか。決してそうではありません。年金問題は確かに重要な問題です。しかし、国家の最も重要な命題は、国民の生命財産をいかに守れるか、ということが、本来最大の争点であるべきなのは、あなたほどの政治家がわからないわけはありません。それとも、あえて政権奪取のため、あやふやにしたのでしょうか。
 
 小沢さん、私は閣僚級の政治家で、ご子息を自衛官にした方をあなた以外には知りません。あなたは、奥様に「子供を4人産んで欲しい」と言われたそうですね。3人は陸海空自衛官に、そして残りを政治家に、との想いだと聞き、えらく感激いたしました。お子様は、4名ではなく3名授かったようで、本当にご長男を海上自衛隊の幹部(2等海尉)にしてしまったのは、凄いことだと思います。自らの信念をご子息に具現させること、簡単そうでなかなかできないことです。であるとすれば、なぜ、今回の参議院選挙で国家の安全保障について明確なる政策をお出しになれなかったのでしょうか。

 靖国問題についての発言についても、変節が明らかです。あなたは、昭和61年4月2日の国会答弁で「靖国神社には戦没者が祭られている。その追悼という事で誰もが自然な気持ちで行くべきで、私も今までも参拝しているし、これからもするつもりだ」と答えていますね。それがなぜ、突然、A級戦犯の合祀問題を言い出したのでしょうか。この姿は、賛否いずれの側からも、変節と映り奇異にしか思えないのです。さらにおかしな論理は『戦没者を祭るべき神社に、戦犯として処刑された者も祭られている』としたうえで、その戦犯については『戦勝国が敗戦国を裁いて下した「戦犯」というものは認められない』とも指摘されました。正に論理のダッチロールです。成り立たないロジックです。これは、民主党内左派へのリップサービスなのでしょうか。党内左派や反日活動家は、あなたのこの発言に狂喜されたことでしょう。
 
 自由党の時代から気になっているあなたの主張に、外国人参政権賛成の問題があります。新進党であれば、旧公明党の主張への配慮と思えなくもなかったのですが、なぜ自由党になっても、外国人の参政権にこだわられていたのでしょうか。参政権は、国民固有の権利であり義務であります。それを、定住者であれ、外国人に開放することは、国家の基本的なあり方に関する重要な問題、言い換えれば安全保障問題ですらあるのです。ここにも、あなたの主張には、矛盾が内在しています。あなたは『永住外国人のほとんどは日本で生まれ育ち、まったく日本人そのものであり、今後も日本人として生涯生きていきたいと思っている』と述べながら『過去強制的に連行されてきて、帰化の手続きが困難』と、外国人参政権の必要性を述べられています。

 ところが、『参政権を認めれば、帰化も促進されるだろう』と結論付けています。この論理をたどると、問題は「参政権」ではなく「帰化手続の簡略化」ということになります。過日、チャンネル桜という番組で、各地の地方議員とこの問題で討論したのですが、多くの若い民主党議員が「強制連行されたのだから可哀想」だの「国際社会では当然」などと、本質を知らない意見を述べていましたが、あなたの理論崩壊も似たり寄ったりです。感情論で語ってはならない極めて重要な問題です。自由党時代に何度か伺おうと思っていたのですが、機会を失ってしまいました。
 
 テロ対策特別措置法延長についての態度も気になります。あなたは「今まで反対していたのに、賛成することはできない」と、反対されることを表明されています。確かに今までは、例え「反対のための反対」であったとしても、それは所詮、社民党や共産党と同じで、国政にとって大した影響はありませんでした。しかし、今回は違います。
あなたは、湾岸戦争において我が国が、130億ドルもの資金援助をしながら人的貢献をしなかったことを痛烈に批判されておられましたね。以下は、あなた自身の言葉です。

「日本はアメリカが心情的に思い描いていた「同盟」という概念から離れてしまった。日米同盟を基軸にしていくべき日本にとって、湾岸戦争は大きな「負」の遺産を残したことを忘れてはならない」

■政権奪取のために国家意識を捨てるな
           真の小沢一郎への願い     

 小沢さん、あなたは近代日本の注目すべきリーダーとして、大久保利通、伊藤博文、原敬、吉田茂をあげておられます。そして、この人々がなぜ強力なリーダーシップを持てたか、それは、強烈な国家意識、つまり使命感、それを実現するための権力意思を持っていたことだ、と説いていらっしゃいますね。であれば、今のあなたこそ、強烈な国家意識で、この法律に反対すべきではないのです。国家の安全保障と、我が国の国際社会での地位を「政局」にするなど、過去のあなたからは想像がつかない姿です。
 
 私は、あなたの、お役人にも、票にも迎合しない毅然とした態度が大好きでした。今のあなたは、政権奪取のため、党内各勢力、特に左派に迎合しているように見えてならないのです。それほどまでに、政権交代を果たしたいのだったら、公明党の参議院選挙対策のために新進党を分党した際、なぜ旧民社系、公明系議員に再結集を呼びかけなかったのですか。それほどまで、日本のためを思うのだったら、自自公連立政権からの離脱を小渕総理が通告した時に、少しでも譲歩して交渉できなかったのですか。
 
 小沢さん、世間やマスコミではあなたを「豪腕」とか「強権」「壊し屋」「非情」といったキーワードで語ることが多いようですが、9年間、まがりなりにもあなたの会社(政党)の営業所長(支部長)を勤めさせていただいて、それらは作り上げられた虚像であることを知っています。あなたは、気配りの出来る思いやりのある人です。非情というのは、ただ自分のもとを去る人を追わないだけのことです。壊し屋といわれても、自ら壊したことはありませんでした。過去の解党、分党、政権離脱等いずれもあなたが仕掛けたり、望んだ結果ではなかったからです。強権は、頭の悪い国会議員が多く、あなたの遠謀深慮を理解が出来なかっただけのことでしょう。

 まだ、あなたが自由党党首だった時のことです。あなたの秘書さんを経由して、岩手の支援者からの大田区の問題の陳情をお受けしたことがあります。なんとか解決の糸口が見えてきたころ、あなたと党内ですれ違いました。と、その時の言葉、私は今でも忘れません。「お世話になっているようで申し訳ないね」あなたは、このような、仔細なことにまで気配りをして下さる方であり、評価はすべて虚像ということを私はよく知っています。

 だからこそ、小沢さん。今一度、真の小沢一郎に戻っていただきたいのです。今あなたのまわりにいる多くの人々は、あなたのわが国に対する理念や政策に共鳴して集まっている訳ではないでしょう。あなたのトップ営業マンとしての能力に、自分たちの就職(当選).をかけているに違いありません。
小沢さん、私は今でも、心のどこかであなたを忘れずにいるのかもしれません。もう一度あの輝いていたあなたに戻っていただきたいのです。今のあなたは、大勝利のためか誇らしげではありますが、なぜか疲労困憊しているようにも見えるのです。人間、自分に正直でないと顔にでるものです。
 
 あなたはよく『両親から弁解やいい訳はするなといわれて育った。他人を傷つけるな。我慢せよと躾けられた』とおっしゃっていましたね。今の我慢は、決してあなたらしくはありません。我慢すべきは、そして、耐えるべきは、新進党分党だったし、自自公連立離脱の時だったはずです。いまの枠組みで耐えられたのなら、以前のほうがまだマシだと、多くの旧自由党支持者は思っています。
 
 働かない公務員の代弁者、自治労出身の候補者が参議院選比例でトップ当選し、日教組出身の議員が6人もいる今の民主党に、はたして公務員改革が言い出せるのでしょうか。教育改革が出来るのでしょうか。はなはだ疑問です。
 
 小沢さん、私は今でも、あなたが出て行ってしまった家(自由党)の看板を守っています。あなたのよき相談相手の平野貞夫(前参議院議員)氏が民主党との合流を決める常任幹事会で「得るは捨つるにあり(捨我得全)」と、あなたの心境を合流を渋る常任幹事に説明し合流支持を促したと聞いています。
 
 これは、社団法人倫理研究所創始者の丸山敏雄先生の言葉です。『一切をなげうって捨ててしまう。地位も、名誉も、財産も、生命も、この時どういう結果が生まれるであろうか。まことに思いもよらぬ好結果が、突如としてあらわれる』と。
小沢さん、神は必要な時に必要な人を与える、という言葉があります。今あえて「政権奪取」のために、国家意識を捨てる決断をしないようお願いします。本当に民主党が政権を担当できる「マトモな政党」になるためには、今こそ、大久保利通のような「有司専制」、あなたの強力なリーダーシップが必要なのです。
 
 長々と戯言を書いてしましました。今更何を言っているんだと思われるかもしれませんが、私は今日も、妻に「もう、その旗はいいでしょう」と反対されながらも、「自由党」の幟をかかげて「日本一新」の日を夢見ています。どうか、お身体をお大事に、国家のためにご活躍ください。                               
                               敬具

(本文は、産経新聞社 月刊正論10月号に掲載されたものを、同社編集部の許可を得て、HPに転載するものである)



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拝啓 小沢民主党代表 (産経新聞社 正論10月号より)

2007-11-08 | Weblog
 小沢民主党代表の大連立から辞意表明、撤回とここ数日間、日本が振り回された。ここに正論10月号に寄稿した拙文を再掲し、改めて今回の騒動の真髄を考える参考にして頂きたい。原稿用紙30枚分と長文のため2日間にわたることをお許し願いたい。また、PDFにしろ、というお叱りも頂きそうだが、なるべく多くの方にお読みいた頂くため、とご理解願いたい。

あなたの変身は、国民を裏切っていませんか
             自由党代表  犬伏 秀一

 参議院選挙で圧勝し、政局の主導権を得た時の人であるあなたに、このような僭越なお手紙を差し上げるご無礼をお許しください。私には、今のあなたがかつての小沢一郎と同じ人物だとはどうしても思えないからなのです。
 
《犬伏氏は昭和31年東京都生まれ。現在大田区議。与党が役所の政策決定を牛耳り、野党は官公労の既得権維持に走る。55年体制下の地方議会では、こんな光景が当たり前だった。犬伏氏はこうした構図に果敢に挑み、役所や学校の癒着体質を糺す活動を展開してきた。公務員や教員から目の敵にされたが、こうした独自の活動で当選3回を果たした異色の地方議員だ。
一方で南京事件を不当に歪めて描いた本宮ひろし氏のマンガ「国が燃える」に憤慨。抗議活動を展開し、連載休止に追い込んだり、元航空自衛官だった経験から、現在も予備自衛官であるなど、地域エゴに染まらない国家を見据えた活動でも知られる。

 そんな犬伏氏にとっての政治の原点は、小沢一郎との出会いだ。小沢氏に心酔し、氏が掲げる「日本一新」に集った。ところが、自由党はやがて解党。しかし、犬伏氏は、小沢氏が民主党に合流し、党を去った今も小沢イズムを掲げ、たった一人で自由党の旗を守り続けている、全国でただ一人の自由党議員(代表)だ。本稿は参院選に勝利し、これから政権奪取をうかがう、かつての「師」小沢氏に対する〝公開質問状〟であり、小沢一郎論である》

 私があなたと初めてお会いしたのは、平成6年の春でした。大田区選出の都議会議員、松原仁氏(現民主党衆議院議員)からのお誘いで参加した新生党大田支部設立大会の席です。その席であなたが語った「国を憂いる心」に、私は大いに感動し、支部常任幹事を即座にお引受したのです。しかし、あなたの講演の後に登壇された「新生党第一期区議会議員候補者」の皆さんは、あまりにも弱々しく、私はそのギャップを松原都議にぶつけたのです。すると、翌日から松原都議から私への「区議出馬攻勢」が始まりました。そんなに言うなら、お前(私)が区議選に出ろ、とおっしゃるのです。その頃私は、年商10億円を超える旅行会社の経営者でしたので、何度もお断りしましたが彼の攻勢は止りませんでした。そこで、平成6年8月、ついにお受けすることに致しました。それは、松原都議の執拗な口説きに負けたのではなく、小沢さん、あなたの「国を変える」思いに賭けようと思ったからなのです。
 
 特に感銘をうけたのは「全国を300の市」に再編成し、身近なことはすべてこの「基礎的自治体」に行わせるとの、地方分権基本法構想でした。権限も財源も地方に移し、国は必要最小限の関与しかしない。さらに都道府県を廃止し、一層制の地方自治、という発想は、今でこそその一歩を踏み出していますが、当時はあなた以外には誰一人として言い出さなかったことです。
 
 決断した翌日から「新生党」の名刺を持ち、区内を歩き始めました。松原都議から教えられた選挙必勝法は「毎日駅頭演説6ケ月」。区議ならこれだけでいける、との、今振り返るとなんとも無責任なものでしたが、政治は素人の私は、その言葉を信じ、毎日駅前に立ちました。有権者には「新生党」の名刺はえらく評判がよく、自民党政治に不信感を持つ多くの良識派国民が、あなたの強力なリーダーシップに期待していることがひしひしと伝わってまいりました。
 
 小さな政党ゆえ、私のような区議候補者であっても、国会議員と親しく話しが出来、また、身近に感じながら国家について議論が出来る、アットホームな新生党の環境は、とても気にいっていました。経世会時代から継続されている初秋の箱根研修会も楽しい行事でした。党所属の国会議員、地方議員、支持者が3日間、外出禁止の研修所で、政策研修をし、酒を酌みかわし、スポーツに汗を流す、という盛りだくさんの研修会でした。そこで出会った多くの若者が、今では民主党の国会議員として活躍されている姿を見ると、感慨深いものがあります。きっと、大政党になってしまったので、もう開催されていないのでしょうね。 
 
 ある年のスポーツ大会では、飛び入りのあなたと卓球に興じている私の写真が全国紙に掲載され、他の研修生から羨ましがられたものです。研修講座での、選挙の鬼を自称されるあなたの必勝法は、ノンビリムードの研修生には、大きな喝として響きわたりました。「おまえさんたちは、もっと地元、選挙区に入り込んでいかなければダメだ。私は、今でこそ行かないが、選挙区の誰の孫がどうした、あそこの婆さんは今どうしている等、すべて知っていた。国会を目指すなら戸別訪問3万件、辻説法5万回」と。私は、あなたの話を聞けば聞くほど、そして、お会いすればお会いするほど、小沢一郎という稀有な政治家に傾注していきました。この人についていけば、日本を変えることが出来る、青臭いかもしれませんが、当時30歳代初めの私は、本気でそう信じていました。

■新生党から新進党、自由党結党へ
         政治の師だった小沢氏

 ところが、平成6年12月新生党は解党され、公明党衆議院議員(参議院と地方議員は除く)と大同合併をはたし、新進党となったのです。私たちが、必死の思いで「新生党」の名刺を配り、ポスターを貼りまくったのは何だったのだろう、といささか不満も覚えましたが、政権奪取、国を変えるのだ、という思いもありました。「創価学会と合併するのか!」と街で言われながらも、旧公明党代議士が試験官となった「新進党公認審査」を受け、12月10日、横浜で挙行された「新進党結党大会」は、そのハデな演出と、力強い結党宣言に、体が武者震いしたのを鮮明に覚えています。会場周辺には、政権政党が派遣したであろう多くの街宣車が、大音量で妨害を繰り返していましたが、それすらも「新しい日本」の門出のBGMに聞こえたものでした。あの時壇上にいらしたあなたは、本当に輝いて見え、私は、あなたがきっと総理大臣になり、日本が変わるのだ、と確信したのです。
 
 翌年の区議会議員選挙では、新進党候補4名のうち、私を含む3名が落選し、辛うじて松原都議の秘書だけが当選をいたしました。ちなみに、新進党に合流しなかった公明の区議候補は全員当選。にわか作りの政党の悲哀と、自らの選挙戦法の甘さに、立ち上がれない程のショックを味わいました。
 
 その後、しばらくはあなたのことは忘れ、もっと政治について学ぼうと、大前研一氏が主宰する「一新塾」の門を叩き、彼の提唱する「平成維新」を学びました。しかし、この塾で、大前イズムを学べば学ぶほど、あなたが提唱された「日本改造計画」と類似していることに気づきました。また、残念ながら大前氏の評論家的運動にも限界を感じたのです。そんな時、将来新進党への合流を予定していた、旧公明党の参議院議員と地方議員の政党「公明」が、合流せず、新進党に参加していた旧公明党衆議院議員とともに新公明党を、旧民社系議員も新党を結党するとのことが伝わってまいりました。
 
 この頃は、あなたや新進党から距離をおいていましたから、具体的な事情はよく知りませんが、どちらかと言えば好感を持って、このニュースを聞いたのを覚えています。そして、このことを契機に新進党は分党されていったのです。ときは、平成9年の年末だったでしょうか。翌10年には、自由党が結党され、あなたが党首に就任をされました。いかにも、すぐ解散しそうな浮いた名前の新党が乱立した当時、自由党という歴史ある名前の政党の誕生に、今一度、あなたが総理大臣になる夢を抱いたのは私だけではなかったはずです。
 
 7月には自由党初の参議院選挙がありました。自由党参議院選対からチラシやらポスターが送られてきました。暑い夏の選挙でしたが一生懸命ビラを配り、ポスターを貼りました。投票日には、自由党の開票立会人として開票所に深夜まで詰めていましたが、自由党と書かれた投票用紙が机のうえに次々と積まれていく光景に心は躍るばかりでした。結局、わが自由党は東京地方区に候補者がいないにも関わらず、大田区で3万票を超える得票を得たのです。そして、小さな政党であったにも関わらず、6議席を確保し、非改選とあわせ12議席となりました。新進党の分党でいささか気落ちされていたあなたにも、大きな朗報であったことでしょう。さらに、翌年1月15日に発足した小渕内閣に参画、閣僚(野田毅自治大臣兼国家公安委員長)を輩出することになりました。
 
 この頃、私の選挙区で、あなたにとても助けられる事件が起こりました。忘れもしない平成10年12月29日のことです。あなたは大田区羽田にある料理店に突如お越しになりました。私は、たまたま近所で町内会の夜回りの打ち上げに参加していましたので「党首来る」の報に、すぐさま料理屋に駆け込みました。日本酒が好きなあなたは、すでにご機嫌で、このときとばかり私はある作戦に出たのです。「党首、この町の町会長が近所で飲んでいるのですが、お連れしてもいいですか?」との私の問いかけに、あなたは「お連れしなさい」と快諾されました。選挙区で徹底してドブ板をしろ、と教えるあなたは、さすがです。党所属の地方議員候補(当時)でも、そのドブ板選挙の手助けをしてくださいました。
 
 作戦というのは、この町会の町会会館建設についてのことです。町会役員の皆さんが廃品回収で資金を蓄え、必死に土地を購入し、運輸省(当時)の飛行場周辺対策事業の補助金1800万円と大田区の補助金で会館を建設しようとしたところ、当初羽田空港の補助金対象騒音レベル区域内にあったこの土地が、空港滑走路の沖合い移転により、対象区域外になってしまったというのです。
 
 この法律条文を読むと『騒音レベル区域内に居住する住民のための施設に補助金を支給する』とあり、施設そのものが騒音レベル区域内になければいけない、とは書いていないのです。この町会のほとんどの世帯は、対象騒音レベル区域内にあり、当然適用されるべきでしたが、お役人は一度ダメと決めるとなかなか誤りを認めてくれません。勿論、一介の区議会議員候補が運輸省に掛け合ったところで、相手にすらされないでしょう。そこで、あなたのトラ(失礼!)の衣をお借りしようと考えたのです。
 
 ほろ酔いの町会長のもとに戻り、小沢党首が来ていること、運輸省の補助金について直談判して欲しい旨を話しました。その後、料理屋の座敷で、あなたと向かい合って座った町会長が、日本酒を酌み交わしている姿を見て、私はさらに感動したものです。日本酒がお好きなあなたは、党所属の我々は勿論のこと、国会議員のお酌ですらも受けず、手酌で飲まれるのが常だったからです。それが、党所属候補の選挙区の町会長であれば、お酌を受ける、選挙や同志に対する気配りの凄さを痛感し、感謝した一瞬でもありました。
さて、作戦通り町会長は「党首、なんとか補助金を出してください」と、あなたに懇願されました。すると、あなたは「わかりました。大田区のことは犬伏君に任せているので、彼を通じてやってみてください」と応じられました。私は、この「わかりました」の言質を取りたかったのです。
 
 正月明けに、運輸官僚出身の党所属国会議員とともに運輸省を訪問し、法律条文の解釈を説明し「なお、本件は小沢党首も了解していることです」と付け加えたのです。いささか無理がありますが「了解」と、あなたのトラの衣をお借りしました。すると、なんと1ケ月後の2月、大田区を通じ補助金内定の通知が届き、町会役員さんとともに、あなたのお名前の重みに感謝したものでした。当時、私は区議の候補予定者の分際でしたが、この事件を契機に、この地区での認知度は格段にあがり、8年以上たった今でも、新年会などで町会長の隣席は私の指定席となっています。ただ、後日、あなたの秘書さんからは「党首の名前を簡単に出すな!」と叱られましたが……今更ですが、本当にありがとうございました。

■小沢イズムの実践と自由党分裂の悲劇

 さて、その後行われた区議会議員選挙では、私は、新進党候補だった頃の倍以上の得票を頂き、初当選を飾ることができました。街頭演説や、選挙活動を通じて「小沢さんのところの政党か?だったら応援してやる」との声をたくさんかけられ、自由党を、そして、あなたを選んで本当に良かったと痛感したのです。区議になった私は、他の議員と会派を組まず、一人で「大田区議会自由党」を称し、あなたの持論である「日本一新」を目指して改革に努めました。特に『地方財政の10%を削減すれば、住民税所得税を3割減税できるし、消費税4%相当の財源が出来る』とのあなたの提案は、一般国民にもわかりやすく、今でも拝借しています。また、あなたが訴えていた教育改革の一環としての「新・教師聖職論」を実践するため、教育労働者を標榜する教員や、日教組や全教(共産党系)と戦い続けてまいりました。
 
 その結果、1期目を終わる頃には「お役人、教員の天敵」という、とても名誉ある称号を頂くことになりました。2期目の選挙は、経営していた旅行会社が同時多発テロの影響で倒産し、私自身も連帯債務の処理で自己破産すら検討した時期でしたが、そのことをあからさまに語ったことがかえってプラスに働き、当選者50名中9位で当選出来たのです。このことは「犬伏は、会社を潰してもうだめだろう」とウワサしていた人々には、脅威の目をもってむかえられました。当時私は「やっぱり一生懸命やった結果だ」と、内心いささか誇らしげでもありました。ところが、その好成績での当選は、小沢さん、実は、あなたのお陰だったことは、最近になってようやくわかったのですが、そのことは後ほどお話します。
 
 さて、初当選以来、私は自由党員として、自分で言うのもはばかられますが、必死に党勢拡大と、あなたの「日本一新」思想の普及に努めておりました。自由党東京都総支部連合会では常任幹事を、また平成12年の総選挙では、東京都連遊説隊長、翌年の参議院選も選対で働きました。悲しいかな比例選挙で当選した衆参国会議員の多くは、2期目当選時の私と同様、それが自らの力だ、と誤解されていたのは誠に残念でした。実は、自由党、いえ、小沢一郎という稀有な政治家の力で当選していたことは、その後、彼等が落選したり、党を移動してみないとなかなか理解できないものなのです。
 
 平成12年春には、あなたにとっても思い出したくない出来事がありましたね。「政策の実現が出来ないなら連立を組んでいる必要はない」と、自自公連立離脱を決断したあなたに、大臣や政務次官の椅子に恋々とし、与党に残りたい多くの議員が反発した、あの事件です。あなたは多分、26名(当時自由党所属議員は50名)もの同志が出て行くとは思ってもいなかったでしょう。それも、かつての盟友である西川太一郎氏、二階俊博氏、中西啓介氏の離脱には、さぞかし悔しく、残念だったことと思います。
 
 ただ、あなたの素晴らしいところは、議会内での政策論争以外では、決して人の悪口を言わないことです。あなたの元を去った多くの国会議員は、機会ある度に、あなたがいかにひどいかを発信していますが、あなたはそのようなことを口にされることはありません。きっと、それが品性のない私や彼等と、あなたとの人間的な器量の大きな違いなのでしょう。
 
 自由党を離脱し、政権に擦り寄った保守党のその後は哀れでした。2ケ月後に行われた総選挙では、保守党は7議席しか獲得できず、わが自由党は4議席増やし22議席に躍進、その差は歴然としていました。ただ、うまく立ち回り、自民党に戻ったあの時の裏切り者達が、いまや自民党内で時の人となっているのは、なんとも腹立たしい限りです。

(以下、明日へ続く)



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なかのひと

 



犬伏が49名の議員に吊るし上げられ罷免?

2007-11-07 | Weblog
 本日は視察最終日。だいたい2泊3日の視察では「慣例」で、最終日は朝食後解散する。しかし、出張日当は3日分(1日3000円)頂いているのだからこれはおかしい。最終日に何も視察しないのなら、1泊2日で帰京するべきだ。共産党の委員からも異論があり、今日午前中は、視察を入れることになった。

 屋上緑化の有名な施設を視察した後、大田区に戻ると、とんでもない「事件」が待っていた。それは、以前から地元町会や私を目の仇にしているSさんのチラシだった。

 彼は、10年以上も前に地域のガス管交換工事と舗装工事を住民代表として東京ガスと交渉して無償で実施させたらしい。ところが、周辺の人が彼に謝意を示さない(彼の言い分)ので、ボランテイアで行ったはずの行為につき、自分で計算した日当や経費合計60万円を払えと言い出した。

 当然住民は拒否。町会幹部や彼の所属する宗教団体幹部等が仲介の労を取ったが解決しなかった。ここから対立の歴史とSさんの「チラシ配布大作戦」が始まった。詳しくは私の平成17年11月7日平成17年11月8日の日記を参照して頂きたい。そして、一昨日第10弾のチラシが町会、区内町会長、私の住んでいるマンション住民等に配布された。その一部をご披露しよう。

(欠陥会館とKが首になった) 第十弾チラシ 大田区全地域

『○○町会長を決める臨時総会に区議会議員犬伏氏が来ていた。私が「貴方はここに何でいるのですか」と尋ねたら、私は総会を「見届け、確認にきた」と答えた事から、ここで本当の話が伺い知れました。

この臨時総会で私は、K会長は「役所のご指導」で何で首になったか説明するよう求めたが、何回求めても経緯の説明がなかった。これより前 大田区議会の、本会議が9月13日、14日にあった、私が提出した52枚の資料により、犬伏議員が49名の議員から吊るし上げを食い「犬伏議員が罷免されるか、K会長を首にするか」問われた結果、犬伏議員は、S氏とK氏を首にすることを決め、14日朝一で、議員の皆様方と、区長に住民参加の臨時総会を10月13日に開くと伝えた。そして犬伏議員は、他の議員の方々より「当日臨時総会を確認するべきだ」と言い付けられていたので犬伏議員は、臨時総会の為に来ていたのであります。(中略)

住民の皆様方、悪質な町会に手を貸した、区議会議員犬伏氏が罷免にかけられるほど愚かな者であったことがおわかりになったでしょう。二度とこのような人を議員に選んではいけません。』。(原文ママ。但し、私以外の個人名のみイニシャルに変更した。)

 わお~!!なんとも凄い内容で面白いではないか。この方の妄想はどうしていつもこんなに膨れるのだろうか。以下、私の承知している事実を示す。

 この町会のK会長は、高齢でお体も調子が悪くなってきた為、辞意を表明されていた。ところが、この町会の会長になると、Sさんの標的になるため、皆、後継会長になろうとしない。そこで今回会長になられたNさんが「お掃除内閣」としてSさん対策のため1期だけ引き受けることになったのだ。

 10月13日に開催された臨時総会は、Sさんの不規則発言に対し、参加者のほとんど(Sさんと一人の女性以外)から「Sさん退場しろ!」のヤジが飛びかう賑やかなものとなった。しかし、委任状と出席者の賛成により無事新会長が誕生したのだ。

 さて、バカバカしいが、チラシの記載内容について検証してみよう。

①犬伏が議会で吊るし上げにあい罷免かK会長を首にするか選ばされた。

 あきれると言うか、あいた口がふさがらないとはこの事である。ご本人は度々区議会事務局を訪れて「区議会議員に渡すよう」にと、封筒にはいったチラシを置いていく。その都度、職員が「いいですか?」と私に確認するので「区民が議員に渡せと言うものを私が止める理由はありません」と、答えていた。

 その結果、議会で何か話し合われたり、議題になったことは一度もない。勿論、罷免も吊るし上げもある訳がないが、否定するのもバカらしい話だ。ただ、10月末にSさんから議会事務局に「犬伏や町会のことがインターネットの議事録に載っていないがどういうことだ」との問い合わせがあったそうだ。議題にならないことは、当然議事録にはのらない。一体、どこの議会の話だろうか。

②K会長が「役所のご指導」で首になった。

 K会長は実直な性格で、町会会館建設を始め、町会のため精力的に活動されていて、前区長や現松原区長とも大変親しい人格者である。いったい、役所の誰が、いつ、どのように「ご指導」したのか知りたいものだ。ちなみに、10月13日には新旧会長交代のご挨拶に両会長が区長を表敬訪問し和やかに懇談された。

 以上、言い訳じみて、嫌な対応だが、事情を知らない区民から「どういう事ですか?」との問い合わせがあったので、あえて事実を記載する。

 きっと、Sさんからは、このHPを見て、またまた創作集第11弾が配布されるのだろう。以前、私が町会役員さんと共に蒲田警察署刑事課にSさんの行動につき相談に行き、担当の課長代理さんが、Sさんと奥さんに、それこそ「ご指導」の電話を入れてくれたことがある。ところが、次のチラシには『犬伏と町会役員が蒲田署に呼び出され、生活指導をされた』と書かれていた。

 今まで近隣とのことだ、と静観や無視をしていた町会の方々も、ついに堪忍袋の緒が切れたようだ。第11弾チラシの前にはたしてどうなるか‥
困ったものである。



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なかのひと

 



総務財政委員会視察  2日目@福岡市

2007-11-06 | Weblog
 昨日に続いて本日は視察2日目。北九州市から福岡市へ移動する。本日の日程は以下のとおり。

10:00 小倉駅発
11:26 博多駅着
11:50 天神駅着
12:00 宿泊ホテルレストランにて昼食
13:00~16:15 福岡市役所
18:00~稚加栄福岡本店にて夕食

宿泊:西鉄イン福岡

 福岡市役所での視察項目は以下のとおり。

①PFI事業の先例について

 これはゴミ処理施設の熱エネルギ-を使って健康増進ゾーン(簡単に言えばアスレチッククラブ)を民間の手法と資金で作るPFI事業である。担当者の説明によれば、我が国では第3番目のPFI事業(H13.2)で、我が国初(H16.9)の破綻だそうだ。

 ゼネコンを代表企業とした2つの企業グル-プがこの事業に応札し、相手企業グル-プより年額サービス提供額が5億円も安い(総額11億9千万円)グループが落札をした。が、破綻。

 私は、以下の2点を質問した。

1.はたして地方自治体がPFIであれスレチッククラブを開設する必要はあったのか?
回答→それが一番の問題だった。

2.要綱によれば、事業の採算性についての審査は行われているが、参加企業の経営、財務内容の審査は行わなかったのか?
回答→行わなかった。

 結局、企業グループの代表企業が破綻し、利用者数の増加が見込めなかったことにより、PFIは破綻。自己破産という結果となった。う~ん、失敗先例の視察か!

②アイランドシテイについて

 博多湾を約400ha埋め立て、港湾施設、住宅地区、新産業・研究ゾーンなどを創出するという壮大な事業である。平成6年に着工してすでに62%が竣功済みとのこと。

 完成後の経済効果は約1兆100億円/年。創出雇用人口12万3千人。市税収入効果約104億円/年。とにかくすごい数字である。

 事業費も、国544億円、福岡市2723億円、博多港開発㈱(市が51%出資した三セク)645億円。一般会計予算6740億円の福岡市にとっては、相当大きな買い物である。政令市だから出来る事業である。この事業の成功を祈ってやまない。

 羨ましかったのは、この埋立地には一切産業廃棄物やゴミを入れなくてすむ、ということだ。ゴミの最終処分場の延命が大命題の東京とは随分と違う。しかし、この視察項目(アイランドシテイ)は何のため?????

 夜は、博多名物の屋台で「今日が誕生日だ」という相席のお婆ちゃんとビールで盛り上がり、最後はトンコツラーメンで〆た。(勿論自費です!)いやまだあった。飲みすぎてホテル前のコンビニで「ソルマック」を飲んだ。

 ウエ~気持ち悪い
 



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なかのひと

 


総務財政委員会視察 第1日目@北九州市

2007-11-05 | Weblog
 今日から3日間、区議会総務財政委員会の行政視察で、北九州市と福岡市を訪問する。これは、年一回各常任委員会で「視察項目」を決定して予算10万円以内、概ね2泊3日の日程で「先進的」自治体を視察する、というものだ。

 区議になって9年目なので、すでにこの視察に9回参加しているのだが、とても参考になったもの、あきれたもの等様々だ。特に、夏なら北海道、秋は九州、沖縄方面という「先進的自治体」の選定には毎度疑問を持っている。

 何度も書いているが、網走市には別々の「先進的事例」で2回視察しているが2回とも「網走監獄博物館」と「流氷博物館」を「視察」したのには笑った。これなどは、議会事務局職員が「古いタイプ」の古参議員に配慮した結果だと思う。68万人の人口を擁する大田区から見て「先進的事例」を持つ自治体は限られてくるので、やむをえないことなのかもしれないが、税金で行く視察であることを、議員も事務局も再認識しなければならない。

 本日の日程は以下のとおり。

09:15 スターフライヤー75便にて出発
11:05 北九州空港着
12:00 宿泊予定ホテルにて昼食
13:00~16:00 北九州市役所
18:00~小文字京町店で夕食

 視察項目は次のとおり。

①新北九州市基本構想について

 自民系の市長にかわり、民主系市長が誕生したため、「新基本構想」を策定するために基本構想審議会を設置し審議しているとのこと。大田区と同じ状況で興味深かった。大田区との違いは、審議会に市議会議員は入っていないこと。審議会の下にある市民会議に多くの公募市民委員を入れていることだろう。

 ただ気になったのは、それらの事前資料のフオーマットが、大田区のせれと同じで、使っている括弧などの記号まで酷似している点だ。たまたま偶然だろうが「首長が変わった自治体に基本構想審議会開催を提案する」コンサルがいるのでは、とも疑ってしまう。

②黒崎10カ年計画

 大規模工場の社宅で栄えた「黒崎地区」から工場が撤退して衰退。この地区を地元の発議で再生しようという試みだ。しかし、計画で「総合健康・保健地区」と位置づけられた中心である「九州厚生年金病院」は、平成16年に開業したにも関わらず、社会保険庁解体のため売却予定だそうだ。

 また、「新集客ゾーン」では「郊外型商業施設に対抗できる集客ゾーン」と作る予定が、最も大きな事業者は、なんとイオングループである。あれっ?イオンって「郊外型」じゃなかったっけ‥

③戸畑まちづくり構想

 戸畑地区にあった市有地13000平方mに民間事業者により、区役所、高齢者施設、保育所、分譲住宅などを一括して建設させ、完成後、区役所部分は市が10年の分割で購入。それ以外の公共部分は一括で購入する、というスキームである。

 民間事業者は、市から譲り受けた土地に分譲マンションを建て、その利益と、建設工事の利益で立替金の金利やリスクを回収するものだ。検証の結果、市直営で入札して工事するより15%程度安くあがったそうだ。いかに、行政の積算単価が「甘い」かの好例だった。

 宿泊は、外装工事中のビジネスホテルの「ド狭い」シングルルーム。深夜まで屋外の全館用エアコンのクーリングタワーがうるさくて眠れない。なんともならず、クレームをつけ部屋を交換してもらった。

 有意義だったかどうかは別にして、どこぞの議会で問題になった、ゴルフ付豪華観光視察とはずいぶんと違うものであることは間違いない。



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なかのひと

 


気をつけ!の手はグウ?パー?@市民消火隊

2007-11-04 | Weblog
 今日は朝から、地元六郷地区市民消火隊の訓練成果発表会があった。これは、六郷地区15町会・自治会が組織している防災組織「市民消火隊」が日ごろの訓練の成果を発表するものだ。多分、この地区のものが、大田区18出張所管内では最大の規模を誇っていると思う。

 来賓として各町会長は勿論、大田区副区長、センター長、防災課長、消防署長などが列席する。我々区議会議員は、招待されるわけではないが、慣例として出席すると「来賓」として紹介される。今日も、区議が3名、都議が2名、国会議員が現職、前職それぞれ1名参加していた。

 面白いのは「気をつけ」の際の手である。私が教育を受けた陸海空自衛隊は、手の平を「グー」にして足につける。ところが、市民消火隊では「パー」にして気をつけの姿勢をとるのだ。不思議に思って調べると意外なことがわかった。

 旧帝国陸海軍は「パー」なのだ。そして、米軍は「グー」。つまり、旧軍から教練などの基本動作を教育された警察、消防は「パー」なのではないだろうか。そして、朝鮮動乱の際、米軍の要請で作られた警察予備隊(後に保安隊から自衛隊)は、米軍式の「グー」ということなのだろう。

 私は、この種の訓練には、大田区の防災服を着用して、帽子もかぶって行く。つまり「制服組」である。とすれば、気をつけの姿勢をとらねばならない。では「グー」か「パー」か。どうしても長年の習慣で「グー」になってしまうが、ここは場所にあわせて「パー」でいく。

 すると、隣に立っている議員さんが、おかしな行動をしているのが目にはいった。彼は、スーツ姿。ところが、登壇者への礼式である「頭なか!」の号令で、私と同様に挙手の敬礼をするではないか。

 我が国では、制服を着用していても、脱帽時には挙手の敬礼はしない。ましてや、私服ではしないのが常識である。礼式では、首を曲げずに上体を折る「敬礼」をする。まあ、素人だからそこまでしなくてもいいとして、背広で挙手の敬礼ではいかにも変だ。「背広では挙手の敬礼はしません。オジギです。」と小声でささやいてあげた。

 もっと言えば、階級章のある消防官や消防団員はいいとしても、私のような防災服を着ている議員や、自治体職員、町会長などは言わば「文民」なので、挙手の敬礼はちょっと違和感があるが、まあ、これは流れで好しとしよう。

 それにしても、各町会の皆さん、お仕事の合間に訓練ご苦労様。皆さんが実際に活躍する事態が発生しないことを祈るばかりである。

****ただいま、HP(www.inubushi.ccが不調です。原因調査中ですが、しばらくご容赦ください。*****


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