いぬぶし秀一の激辛活動日誌

おかしな議員[わんちゃん]の激辛日誌です。日々感じたこと、活動報告、行政への提言など、本音で書き込む人気ブログです。

いよいよ最終日!あっという間の17日間だった

2013-07-20 | Weblog
 選挙期間は、区・市議会議員選挙は7日間、都道府県議会議員選挙が9日間、衆議院が12日、参議院が最も長く17日間である。自分自身の衆議院選挙12日間は、本当に長く精神的にも肉体的にも厳しく限界だったが、今回の17日間は、様々な問題はあったものの、結構楽しく戦ってこれたと思う。

 昨日発生した大問題!それは、ビラがない、というものだった。参議院選挙では25万枚のビラが認められているのだが、もはや東京には在庫がない。最終日に配り物がないのは嘆かわしい。全国の「個人演説会場」に配布したビラの残存部数の確認を事務方に依頼すると、各地から900枚近くのビラが「発掘」された。これで大丈夫!が、大阪などのビラは宅配便で間に合うが、宮崎にあるビラは宅配便では間に合わない。(通常、翌々日着)

 そこで、旅行会社当時の記憶を基に、日通航空宮崎支店に問い合わせたところ、18時20分までに宮崎空港に荷物を持ち込めば、羽田で22時すぎに受け取れ、料金は1800円余りだという。さっそく手配をして、今朝7時に羽田空港に出向いて受けとった。全国比例の選挙では、このように物流(ロジステイックス)も大変重要である。

 最終日の日程は、大票田である都内の練り歩きを中心に計画をした。ただ、ターミナル駅などは各陣営が集中するので、はたして予定通り行くのかどうか、いささか心配だった。公職選挙法により20時以降は街頭演説ができないので、20時ギリギリまでの遊説日程を組んだのだが、思わぬ伏兵が潜んでいたのだ。

  「選対本部長」の肩書を持つ、候補者のご主人である中山成彬代議士が、朝一番「今日は6時でやめて四谷の事務所で打ち上げをするから…」と言いだしたのだ。妻である候補者の疲労を心配してのことだろうが、選挙日程は様々な調整のうえで決定し、ネットを見て予定に沿って集まって下さる方もいるので、突然の変更は困惑してしまう。その旨をお話して結局は当初予定通りの日程に戻ってホッとした。

 土曜日の朝8時からの名前の連呼は、顰蹙をかっても票にはならない。そこで8時から9時の1時間だけ、地元蒲田駅の東西で街頭演説を行った。(候補者はいない)

 その後、今日の一番目は新築された歌舞伎座前である。11時から公演が始まるので、10時から辻立ちをすることにした。ただし、マイクを使うとこれまた、TPOをわきまえないとの批判が出るので、握手と肉声だけだったが、歌舞伎座の客層と、候補者のプロフィールが一致したのか、反応は上々だった。



 ここから、次は巣鴨とげぬき地蔵へと向かう。こちらも大人気で、500mぐらいの商店街を抜けるのに1時間近くかかってしまい、次の街宣場所であるコレド日本橋をパスせざるを得なかった。



 昼食弁当を車内で口にほうりこんで、銀座4丁目の党の街宣に合流した。ここでは山田宏、中田宏両代議士とともに平沼赳夫国会議員団代表の姿もあった。旧たちあがれ日本時代からご指導を頂き、懇意にして頂いている平沼代表の姿を拝見すると「ホッと」安心感がわきあがる。城主のいない城に主が戻った安心感、という感覚だろうか。



 そして、旧たちあげれ時代からの慣例「男はクールビズなどダメ!夏でも背広にネクタイ」との原則をまもっていたのは、平沼代表と私、さらに、かけはし塾(たちあがれ日本の政治塾)の卒塾生だけだった。維新の都議からは「いぬぶしさん、そういうの止めましょうよ」と言われたが、真正保守の誇りとして、「街頭演説は背広にネクタイ」のスタイルを変えるつもりはない。



 銀座で嬉しかったことは、見知らぬ女性から私に「喉気をつけて下さい!」と、喉あめ等の差し入れがあったことだ。きっと、この品のないブログを見て、お持ち下さったのだおるが、本当にありがたい。

 銀座を後にして、六本木ミッドタウン、表参道、渋谷、東京駅KITTE(旧中央郵便局)、ルミネ(旧マリオン)前と車をすすめた。打ち上げは、同じ有楽町のITOCIA前を予定していたが、他党が朝8時からよる8時まで「押さえ」ているようで、急きょ変更したのだが、公共の道路上を12時間も「押さえる」という、自分勝手な感覚には公党としてどうなのだろうか、と疑問符である。







 長いようで短かった17日間の締めくくり、ルミネ前で、中山成彬代議士、中山恭子候補とともに私も「最後のお訴え」をさせて頂いたが、あまりに熱が入りすぎて、ボランンテイアさんやウグイスから「誰の選挙だかわからない」と言われてしまった。すみません!


 17日間の選挙戦は、日本中の善意に支えられて終わることができた。そして、ぶつかり合いながらも、一緒に選挙戦を運営してきた中山恭子事務所のスタッフ。私自身が4月16日からの選挙戦「参戦」と出遅れたこと、スタッフで最年少!(政策秘書を除く)ということもあり、何かと「生意気」で不行き届きな点もあったろうと思うが、結果としては、年長スタッフに支えて頂きながら終わることができた。

 大変だったけれど、楽しい経験と、多くの新たな出会いを得ることができた今回の参議院選挙。中山恭子候補、御主人の成彬代議士、事務所スタッフ、ボランテイアの方々に、感謝、感謝である。また、特筆すべきは、この長い選挙戦の東京発着(宮崎にも1台ある)の宣伝車の運転を、たった1人で引き受けてくれた天目石要一前・武蔵村山市議の存在である。彼の努力がなければ宣伝車を17日間まわすことが出来なかっただろうと、これまた感謝である。

 若いスタッフがいない中山恭子事務所の補完勢力として、片山虎之助事務所のスレンダー美人秘書さんを含む秘書軍団、今村洋史代議士の秘書さんたち、中山成彬事務所の美人美男秘書さん、私の事務所のボランテイアスタッフにも大変助けてもらった。

 城主(私)が、よその城(中山恭子事務所)に出かけて、不在がちな数ケ月、城を護ってくれていた私の事務所の秘書(美人と書かないと怒られる)さんにも頭があがらない。最終日には、ウグイス役も務め、プロのウグイスさんから「ウチに来ない?」とスカウトされていた。行くなよ!

 土地勘のない街宣では、保守系の区議、市議さん、6月の都議選で落選した候補者の方々にもナビ兼弁士として助けて頂いた。こうして見ると、選挙というのは、無償の支援と、それに対する感謝の念で成り立っていることを痛感する。その意味では、僭越ながら議員バッチは、その戦った仲間すべての産物であり、有権者からの預かり物と言えるだろう。

 あとは、明日の開票日。北朝鮮が驚くような得票で当選されることを期待したい。

 ダルマの墨汁と筆は用意済み!お時間のある方は、明日20時以降四谷事務所にお越し願いたい。(新宿区四谷2-13-7 遠藤ビル3階 1階はそばやさん、お隣は第一勧業信用組合本店)