西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

山川元庸弁護士の「遺言」と考えたい

2010-02-25 | 諸先生・諸先輩・同輩・諸後輩の思い出
日本住宅会議関西会議運営委員だった山川元庸弁護士が2月13日に急逝されたとの事務局長の竹山清明さん(京都橘大学)からの「知らせ」があった。未だ若いのに残念だ。

思い出すと、1987年の国際居住年(IYSH)の諸企画に日本住宅会議として取り組んだ時に色々と個人的にも議論したことを思い出す。彼は、その時にも最近も言っている「公営住宅の大量建設というメインスローガンだけで運動するのはちょっとどうかな」という言い方をしていたのではないか。私も「持ち家が半数以上になった時代に、持ち家の問題点や改善方向を強く言わない運動というのはおかしい」と思っていたのを思い出す。その思いは今も変わっていない。

で、山川さんは、最近も、「関西会議」の機関誌『あすか(安住処)133号』に、「住居は、人権か」とする論考を投稿しており、私は読んで感銘し一度リアルに話し合いたいと思っていた矢先のこと、議論できなくなったのも誠に残念である。

今度来た『あすか(安住処)135号』には、たまたま事務局長の竹山さんが「住居の権利と政策及び運動 山川論文を分析してみる」を書いていて、時機にかなっていると思った。

竹山さんは山川論文の要旨を次のようにまとめている。
①住居は人権ではない(お金を払って手に入れるものに基本的人権と言う概念は成立しない)
②基本的人権とは、公権力に対抗するものがほとんど(本当に大切な自由権、ややグレードが落ちる基本権としての生存権、国民の基本的人権に労働基本権があるが大家と店子の間にはない)
③「住居は人権である」と主張するⅩ氏ら(具体的政策イメージなしに公営住宅大量供給のみを求め、持家住宅や民間借家などの多くの国民共通の住宅問題をネグレクトしてきた)は、運動団体としての住宅会議の適切な運動を阻害して来た
④住宅会議はテニュア(所有)別の科学的な住宅政策を提言すべきで、その内容は生活者本意のものとして最低限度のワンランク上のものをめざす必要がある・・・

しかし、竹山さんは、「住居は、人権になりつつある」という捉え方であろうか。最低限度の衣食住が保障されねば生き延びていけなくなるからであろう。私も権利概念、意識は歴史的に発展するものであると考える。先頃、紹介したフランクリン・ルーズベルトの「権利章典」でも、国民の享受すべき権利として次のものがあがっている(衣食住の権利も挙げられている):

○社会に貢献し、正当な報酬を得られる仕事を持つ権利 
○充分な食事、衣料、休暇を得る権利 
○農家が農業で適正に暮らせる権利 
○大手、中小を問わず、ビジネスにおいて不公平な競争や独占の妨害を受けない権利 
○すべての世帯が適正な家を持てる権利 
○適正な医療を受け、健康に暮らせる権利 
○老齢、病気、事故、失業による経済的な危機から守られる権利 
○良い教育を受ける権利

日本国憲法の25条の「健康で文化的な最低限度の生活」の具体像とでも言えよう。

個々の住宅政策の充実は、山川さんの「遺言」として鋭意取り組んでいこうではないか。

関心のある方は、竹山研究室へ:電話:0794-23-2650 FAX:075-574-4198

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