西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

日々の読書、学習と「知の動的平衡(=市民雑学)」

2010-02-11 | 文化論、科学・技術論
昨日、「けいはんな市民雑学大学」の運営委員会があり、当面8月頃までの月一回の講座の目途をつけた。決まったら又お知らせしたい。同時に6月頃までに「市民雑学大学」二周年記念フォーラムの企画案を決めることになった。まあ12月頃に実際に出来れば良いな、と思っている。

で、帰宅途上、帰宅後、つらつらと「(けいはんな)市民雑学とはなにか?」と考えてみた。

人間は、日々新たな情報にさらされている。それらが受動的なものであれ主体的なものであれそうである。読書等によるものは主体的情報である。それらの情報は、知の栄養分であるが、大人の場合は、過去の既に「出来上がっている」個々人の「知の体系」を直撃する。それで、その新たな情報が、その知の体系のそれぞれの部分に矛盾なく収まれば、現存の知の体系を強化することで終わる。

ところが、現存の知の体系に大きく矛盾したり、個々の部分でも違和感のある場合には、それらに馴染ませるために「知の体系」を変化・発展させなければならないのである。

これは、知の動的平衡、または知の「ホメオスタシス」と言ってよい。

「市民雑学」とは、それぞれの地域において、市民として人間として成長するための、「市民知の動的平衡」と言ってよいだろう。どうでしょうか。