西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

ノートルダム大聖堂の壮大な立面

2006-09-11 | 訪問場所・調査地
ノートルダム大聖堂はフランスが生んだゴシック建築の最高峰と言ってよい。ゴシック建築とは、元々は重厚なロマネスク建築に続く「天」に昇る軽やかなものなのだが言葉の意味からして「ゴート風建築」つまりイタリアからアルプスの向こうの「ゴート族、野蛮族の建築」ということだった。後で述べる「飛び梁」も発明品だが、正面も十分計算された構成だ。ここは先ず○□△の形の基本要素で構成されている。そして、これは、日本建築と西洋建築の違いの一つだが、立面の壁面に様々な「レリーフ」、彫刻が施されていることだ。この正面の下段にはキリスト、聖母マリアを含む聖人の姿がある。中段には、イエルサレムの28人の王の像が並んでいるが、フランス革命、パリ・コミューンの時、パリの庶民達は、これらがフランスの歴代王達と勘違いして首をはねたと言う。私はふと中国の文化大革命の時、孔子達の石像は「封建的」と首を切られたことを思い出した。ノートルダム大聖堂では後に元に戻るが、こういう歴史も壮大な文化史と言えよう。(写真はノートルダム大聖堂正面一部)

ノートルダム大聖堂前のポイント・ゼロ

2006-09-11 | 訪問場所・調査地
パリがスタートした地、シテ島はセーヌ河の中ノ島である。現在パリ20区の一区になっている。その一番東側にノートルダム大聖堂がある。メトロのCITE駅で降りてノートルダム大聖堂前に出てくると、そのファサード(立面)に圧倒される。今回訪れた時、白く輝いていた。壁を洗った直後だな、と思った。他の人達も皆この立面にひきつけられる。しかし、その前の広場の地面に刻まれた「ポイント・ゼロ」には案外気づかない。これが正にパリの「へそ」、「中心」、ここからフランス各地までの距離を測る原点なのである。ロンドンのチャリング・クロス、東京の日本橋と同じである。
私達は幸い日本人のボランティアによる解説に出くわした。京都の下賀茂出身の老婦人だったがフランスが長いのか、複雑な日本語がすっと出なかったが良かった。
ノートルダム大聖堂の成立ちを説明するのにセーヌ河を通じる舟運の便から説き起こし、ポイント・ゼロの説明に及んだ。内側も含め1時間ほどの解説を途中まで聞いて「失礼」したがノートルダム大聖堂ともなると一生かかっても全体が分かるまい。とにかく、それは、12世紀頃の聖母マリア(NOTRE DAME)信仰を背景としており、同時にパリ教区のCathedralなのである。(写真はポイント・ゼロ)

パリの地下鉄(2)早朝風景と観察

2006-09-11 | 訪問場所・調査地
我々は地下鉄8番路線の終点(始発)のBALARD(バラール)駅から乗るので先ず座れる。BALARD駅はパリ市20区のセーヌ左岸の西南隅の部分にある。パリの最後の6番目の城壁の下で、現在はBOULEVARD VECTORに面している。その駅の改札を通り、階段をホームへ下りて最初の車両が先頭車なので、そこに乗ると進む前方も良く分かる。どうも車掌が乗っていないのもあるようだ。何故なら、運転手席の横の外側構内に後ろ車両のドアの状況が分かるテレビ画面が二つほど設置されているからだ。
6日(木)はオプションでパリ南方60キロのフォンテヌブローにバスで出かけるので集合場所のメトロ「ピラミッド」駅近くに8時過ぎに集合でメトロに早く乗った。通勤客が結構乗っている。ある駅からギター片手の初老の紳士が乗ってきて、ギターを弾きつつシャンソンを朗々と歌った。次の駅に近づくと終わって車両を一巡した。コインを渡している婦人もいた。ああ、これはSTREET MUSICIANの一形態だな、と分かった。次の乗換駅でさっと下りていった。別の路線で又やるのだろう。こういう風に乗り換えてぐるぐるやっていても回数券「カルネ」だと1.09ユーロ(約165円)で「安く」つくわけだ。
車両前方を見ていると、駅に着くとき、駅を出るときにカーブが多い。後でパリ市街図とメトロ路線を重ねている図面を見ると、路線は大体道路の下を通っている。だから方向を変えるときには急にカーブを切る訳だ。参考にロンドンのも見たら、まあ道路の下を通る場合が多いが、カーブなどでは建物の下も通っているようだ。これは、どうしてなのか私の課題である。公共の土地と個人の土地では地下の利用が異なっているのは現象としては分かる。体感覚では、ロンドンよりパリが揺れが激しいと思う。体験者の方々、如何でしょうか。

パリの地下鉄(1)路線と乗り方

2006-09-11 | 訪問場所・調査地
パリに行かれた多くの方はご存知で一度は地下鉄に乗っているのではないでしょうか。パリの地下鉄はロンドンのそれと期を殆ど同じくしていて1900年にスタートしている。メトロ(METRO)と言っていて、アールヌーボー的に駅入り口ゲートをデザインし「METRO」と書いてあったり、○にMが書き込んだものが立っていたりする。全部で14路線がある。他にRERというパリ郊外の七つの県「イル・ド・フランス」の通勤圏に伸びている鉄道が平行し、又交差して走っており、こちらは駅間隔が長くて早い。車両も頑丈そうで二階建てもある。でもメトロと同じ切符で乗れる。
私は今回8番路線の西の終点BALARD(バラール)駅真ん前のホテル(☆☆☆)に泊まったので、便利だった。INVALIDES(アンヴァリッド)、CONCORD(コンコルド)、MADELEINE(マドレーヌ)、OPERA(オペラ)等へは乗り換えなしで行けた。凱旋門のあるCHARLES de GAULLE ETOILE(シャルル・ドゴール・エトワール)やある意味でシテ島近くのへそのCHATELET LES HALLES(シャトレ・レアール)へはCONCORD(コンコルド)で1番路線に乗り換えれば簡単に行ける。
パリのメトロの1回の値段は今すぐ分からない。実は、ある人に教えてもらい、10枚つづりの回数券「カルネ」を10.9ユーロで買って使っていた。メトロ1回の値段と言ったが、都心部をほぼカバーする一区内はどこまで乗っても何度乗り換えても同じ値段だ。車内放送で「次は何駅」とやっている路線はあることはあったが、殆どは無言、各路線の終点を覚えていて(又メトロ路線図で確認して)「そちらの方にある駅」に行きたければ、その終点を指示しているホームに構内指示に従い歩いていけばよい。
乗り降りで扉のボタンを押す路線が多いが、フックを回す路線(これは昔多かった)、黙っていても開けてくれる(ロンドン、日本型)路線等が混じっていた。
パリは、33歳の時に初めて行ってから4度目位だが、地下鉄路線全部にまだ乗っていない。ゲートやホームのデザインのユニークな駅も多いが、これらにもまだ全部行っていない。乞う次回、次々回である。(ルーヴル・リヴォリ駅、美術館のよう)

ロンドン・パリから戻りました

2006-09-11 | 訪問場所・調査地
残暑お見舞い申し上げます。
家内と休暇で行っていたロンドン・パリから無事戻りました。今回は、本当の「休暇」でボーとしに行こうとしましたが「貧乏性」で歩き回り足の指が痛くなりました。こういうことは何時まで続きますか。この一週間余り、ノート型パソコンを持って行き、生々「実況」でも良かったのですが、そうするとそれに時間を取り、休暇の趣旨の「ボーとする」に反するのでやりませんでした。でも1週間、ブログに何も書いていないのにアクセスを見ると減ってはいますがそこそこで、遡ったりカテゴリー別に見たりしてくれた人もいたのでは、と思い感謝しています。しかし、相変わらずコメントの少ないのは、コメントしやすいようにする工夫がいるのでしょうか。気楽にコメントしていただけたらと思いますが・・。小粒のもので良いですよ。コメ(米)ントウ(十)ですから・・。
今日の帰り、関空からリムジンバスに乗り、奈良に来て近鉄で高の原まで、ここは重いスーツケースがあるのでずっとエレベーター利用、高の原で改札を出る時、切符を近鉄奈良で入る時に取り忘れたのに気付きました。高の原改札で趣旨を行って通してもらいました。重い荷物があるので近鉄奈良の改札通過はいくら何でも切符を入れないと無理だからです。それで、昨日までいたパリの地下鉄のやり方との「違い」に気付きました。パリでは改札で切符を通しても取らないと「入り口」が開きませんので切符の取り忘れは出来ません。近鉄では、切符を入れた瞬間に「入り口」が開くので切符の取り忘れが起こりうるのです。切符を入れて大きな荷物と自分自身を早く通そうとすると、切符を取ることを忘れがちになるのです。どちらがいいか、何とも言えませんが彼我の「文化の違い」を最後に感じました。