ラッセル・スクエアに行ったついでに、すぐ隣りの大英博物館に久しぶりに行った。大英博物館は、原語でThe British Museumという。素直に訳せば、英国博物館である。それを我々日本人の先輩は「大英博物館」と訳したのである。まあイギリスは、英語の本場なので定冠詞のTheをつけると、何を指すか決まってくるようだ。例えば、The Cityといえば、ロンドン発祥の地の「シティ」を言う。The Riverといえば「テームズ川」、The Bridgeといえば「ロンドン・ブリッジ」のように・・。でもあえてイギリス人は、「大英博物館」をThe Museumとは言わなかった。もっと古いものもあったからだろう。創設は18世紀であり、2003年に創設250年を迎えている。モーツアルトが生まれる一寸前に出来たのだな。今年がモーツアルト生誕250年だから。私は、ここには1983年に初めて行った。Great Russell Streetのメイン入り口から入った正面の奥に薄暗い入り口があり、そこが有名な「Reading Room(閲覧室)」だった。今回行ったら、メイン入り口から入ると、そこは真っ白い感じのThe Great Court(グレートコート)で2000年12月に完成したようだ。これは真ん中の「Reading Room」を取り囲む円筒が真ん中にあり、左右に螺旋階段で上階にも上がれるし、左右のスペースを通り裏にも行けるようになった。中央のReading Roomが邪魔をしていた館内の交通問題を解決すると共に名前の通り広い屋内広場、コートを提供している。天井はガラスと鉄で外から光を取り入れている。パリ・ルーブル美術館の「ピラミッド」から入ってエスカレータで下に入ったナポレオン・ホールを思い出して、同じだな、と後で思った。
さて、そのReading Roomへは昔は「許可証」を貰って入ったと思う。私はLSEの研究員ということで「入場許可」になったのだ。ところが、今回恐る恐る覗いてみると自由に入れるようだった。大英博物館は、元々いわゆる博物館と図書館の結合した存在だった。このReading Roomの膨大な図書、とりわけ文献のほかイギリスの諸種統計、政府報告書等を駆使してドイツからやってきたカール・マルクスは『資本論』を書いたのだ。彼はSohoの住まいから毎日ここに通ったのである。私は、久しぶりにReading Roomに入って一時、感慨にふけった。ふと安藤忠雄さん設計の東大阪市の司馬燎太郎記念館の図書館はこの大英博物館にヒントがあったのでは、と思った。今回、調べると図書館部門主要部分は切り離されて別の場所に移ったために、ここは展示的意味が大きくなり「Free」なのだった。
ところで博物館部はほとんど古代文明の遺物保存・展示が中心と思う。今回は、主にエジプトだけをさっと見た。フランスのルーブルと又違った「凄さ」を感じた。帰国して『達人たちの大英博物館』(講談社選書メチエ81)を興味深く読んでいる。(写真は、大英博物館入ってすぐのグレートコート、円筒部の中央入り口からReading Roomに入れる)
他の写真はmixiフォトアルバムにアップ。
さて、そのReading Roomへは昔は「許可証」を貰って入ったと思う。私はLSEの研究員ということで「入場許可」になったのだ。ところが、今回恐る恐る覗いてみると自由に入れるようだった。大英博物館は、元々いわゆる博物館と図書館の結合した存在だった。このReading Roomの膨大な図書、とりわけ文献のほかイギリスの諸種統計、政府報告書等を駆使してドイツからやってきたカール・マルクスは『資本論』を書いたのだ。彼はSohoの住まいから毎日ここに通ったのである。私は、久しぶりにReading Roomに入って一時、感慨にふけった。ふと安藤忠雄さん設計の東大阪市の司馬燎太郎記念館の図書館はこの大英博物館にヒントがあったのでは、と思った。今回、調べると図書館部門主要部分は切り離されて別の場所に移ったために、ここは展示的意味が大きくなり「Free」なのだった。
ところで博物館部はほとんど古代文明の遺物保存・展示が中心と思う。今回は、主にエジプトだけをさっと見た。フランスのルーブルと又違った「凄さ」を感じた。帰国して『達人たちの大英博物館』(講談社選書メチエ81)を興味深く読んでいる。(写真は、大英博物館入ってすぐのグレートコート、円筒部の中央入り口からReading Roomに入れる)
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