西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

ロンドン、大英博物館

2006-09-21 | 訪問場所・調査地
ラッセル・スクエアに行ったついでに、すぐ隣りの大英博物館に久しぶりに行った。大英博物館は、原語でThe British Museumという。素直に訳せば、英国博物館である。それを我々日本人の先輩は「大英博物館」と訳したのである。まあイギリスは、英語の本場なので定冠詞のTheをつけると、何を指すか決まってくるようだ。例えば、The Cityといえば、ロンドン発祥の地の「シティ」を言う。The Riverといえば「テームズ川」、The Bridgeといえば「ロンドン・ブリッジ」のように・・。でもあえてイギリス人は、「大英博物館」をThe Museumとは言わなかった。もっと古いものもあったからだろう。創設は18世紀であり、2003年に創設250年を迎えている。モーツアルトが生まれる一寸前に出来たのだな。今年がモーツアルト生誕250年だから。私は、ここには1983年に初めて行った。Great Russell Streetのメイン入り口から入った正面の奥に薄暗い入り口があり、そこが有名な「Reading Room(閲覧室)」だった。今回行ったら、メイン入り口から入ると、そこは真っ白い感じのThe Great Court(グレートコート)で2000年12月に完成したようだ。これは真ん中の「Reading Room」を取り囲む円筒が真ん中にあり、左右に螺旋階段で上階にも上がれるし、左右のスペースを通り裏にも行けるようになった。中央のReading Roomが邪魔をしていた館内の交通問題を解決すると共に名前の通り広い屋内広場、コートを提供している。天井はガラスと鉄で外から光を取り入れている。パリ・ルーブル美術館の「ピラミッド」から入ってエスカレータで下に入ったナポレオン・ホールを思い出して、同じだな、と後で思った。
さて、そのReading Roomへは昔は「許可証」を貰って入ったと思う。私はLSEの研究員ということで「入場許可」になったのだ。ところが、今回恐る恐る覗いてみると自由に入れるようだった。大英博物館は、元々いわゆる博物館と図書館の結合した存在だった。このReading Roomの膨大な図書、とりわけ文献のほかイギリスの諸種統計、政府報告書等を駆使してドイツからやってきたカール・マルクスは『資本論』を書いたのだ。彼はSohoの住まいから毎日ここに通ったのである。私は、久しぶりにReading Roomに入って一時、感慨にふけった。ふと安藤忠雄さん設計の東大阪市の司馬燎太郎記念館の図書館はこの大英博物館にヒントがあったのでは、と思った。今回、調べると図書館部門主要部分は切り離されて別の場所に移ったために、ここは展示的意味が大きくなり「Free」なのだった。
ところで博物館部はほとんど古代文明の遺物保存・展示が中心と思う。今回は、主にエジプトだけをさっと見た。フランスのルーブルと又違った「凄さ」を感じた。帰国して『達人たちの大英博物館』(講談社選書メチエ81)を興味深く読んでいる。(写真は、大英博物館入ってすぐのグレートコート、円筒部の中央入り口からReading Roomに入れる)
他の写真はmixiフォトアルバムにアップ。

歴史との「つながり」の重層性

2006-09-21 | 色々な仮説や疑問
今年は9月の初めからロン・パリに行っていたので建築学会に参加できなかった。しかし、パネルディスカッション『住宅系研究の動向と新たな展開ーその横断的議論ー』(主旨説明は高田光雄京大教授)の求めに応じて短い論文を寄稿していた。その報告書を知人に頼んで買ってもらっていたので帰国してから見てみた。で、自分の小論(「住宅系研究についての横断的、縦断的連携について」41,42頁)について、読み返してみて少し説明して増補した方が良いと思ったので書いておく。この報告書を知らない人にも分かりやすく書いてみる。私は前から「つながりの豊かな地域居住を!」などと言っているが、それは現代「つながり」が切れつつあるからだ。「つながり」とは三つ有り、人々との「つながり」、環境との「つながり」そして歴史との「つながり」である。「歴史というと、タイムスパンは様々だ。宇宙史、地球環境史、生物史、人類史、日本人史、考古時代史、古代史、中世史、近世史、近代史、現代史である。自分史というのもある。それらそれぞれと現代の私達はつながっているのだ。・・」ここで、考えてみると、スパンの長い宇宙史から日本人史までは、それらに現代および現代以降も含まれているという含意である。ところが考古時代史から現代史までは、それぞれの時代で完結し切れている感じである。私は長くとも短くともそれらそれぞれから現代の我々に「発信」されていると捉える。だとすると、考古時代史以後の言い方を次のように変えてみようと思う。考古時代以降史、古代以降史、・・以降史である。例えば、古代以降史の考察から、現代京都にある「コーポラティブ住宅Uコートは現代寝殿造り型集合住宅ではないか」と言っている。「以降史」という言い方の私の意向を理解していただきたい。それら全ての歴史の影響が現代において重層しているのである。8月25日ブログで岸根卓郎さんの所説を紹介したが、氏が言う「重ね着の十二単文化」なのである。http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/b6e2750f09d6b5d3d90de5309169bb90
それらを発見していくのは楽しい作業ではないだろうか。
ここまで書いてきてふと思った。今度の建築学会のパネルディスカッションは『住宅系研究の動向と新たな展開ーその横断的議論ー』となっていて私の言っている「縦断的議論」が抜けているのではないか、と思った。つまり四つの委員会に歴史学関係が入っていないのである。総合と言えば、空間的(横断的)と共に時間的(歴史的、縦断的)観点が必要ではなかろうか。

関連して「NPO 西山卯三記念 すまい・まちづくり文庫レター」のNo.33(2006.9.1)に『「半顧半望」の「つながり」計画学』を書いたので、出来れば見て欲しい。

参考(パリでの私の考察より):http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/6dc992b66f672f56d2657cbe0318e63d