西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

ロン・パリの歴史的建築物と日本のそれとの違い

2006-09-19 | 訪問場所・調査地
「ロン・パリの歴史的建築物と日本のそれとの違い」は色々あると思うが、一つだけあげると、西洋の歴史的建築とりわけ宗教建築や宮殿では、やたら壁や柱等に彫刻を施してあったり、彫像をたてかける感じであったり、壁や天井に必ずと言ってよいほど絵が描かれていることだ。日本でも障壁画や天井画はないわけではないが、西洋のようにぎっしり、というのは少ないだろう。ベースには「石の建築」と「木の建築」との違いがあるだろう。
これらは、前から私の言っている「強烈な匂い付け」である、と言える。宗教建築(キリスト教建築)では、イエス・キリスト、聖母マリア、あるいは重要な弟子達の「奇跡を起こした」足跡や「教え」を聖書を読めない人達にも伝えるために、彫り込んだり描いたりしている。宮殿では、主の王様達の「偉大な業績」を永遠に伝える願いをもってそれらは造られている。これらの知識は西洋インテリにはあるのかもしれないが、私にはさっぱりだった。
例として、ノートルダム大聖堂やフォンテンブロウ宮殿のそれらを少しでも理解したいと、買ってきた「本」を眺めている今日この頃である。

観光は歴史である

2006-09-19 | 色々な仮説や疑問
今度、ロン・パリに行って「観光は歴史である」というテーゼを立てたらどうかと思った。皆、もうそう思っているなら、いらぬおせっかいかもしれない。
何かを見ても、それに関する歴史認識がないと、全く面白くない。観光は、「国の光を観る」ということからきているようだが、「光」として、ただ大きなもの、綺麗なもの、変わったものを観ても、又美味しい料理や酒を味わっても「やあ凄い」で終わってしまう。それが、この世に現れた歴史的背景、契機、関係人物、関係の歴史的出来事、現在の活用または管理の様子などを理解して、はじめて脳みその一定の場所に収まって本当の「思い出」となる。「観光学」は、だから歴史の勉強を別の角度からすることと同じことではないか、と思う。現実の建築物、事物、風景をみて、それらに絡んで歴史を理解するというのは、いわば「現場主義」の理解のしかたで、書斎派のそれとは少し違うかもしれないが・・。それと「英雄主義」に陥らないことも重要、日常茶飯の庶民の衣食住がどうだったか、ということも問題意識を持っておくことは、生活シーンが思い浮かべられて良い。それと、前にも何処かで言ったが、「観光」だけでなく「観陰」も重要な視点だ。
予習で歴史を何もかも学べない、帰ってから再度本を読んでいる。分らなかったことは、分らなかったこととして、問題として残しておけば、他人の同じ空間体験を聞くのも面白くなるし、本を読む意欲にもなるし、次回の旅への期待ともなるだろう。

転用美術館論

2006-09-19 | 色々な仮説や疑問
建築計画論の教科書、資料集等では、各建築類型別に事例を示し計画の考え方を示す場合が多い。学校、病院、図書館、美術館・・。で、今回、ロン・パリに行って、まあ「建築は主に石で造る」国柄ということもあるが、多くの場合、全て壊して更地に新たに造るというより既存の建築を改装して転用するという考え方が強いのでは、と思った。美術館に例をあげるとルーブルは宮殿の転用、オルセーは駅舎の転用、オランジェリーは温室の転用、これから述べていくロンドンのテート・モダーンは火力発電所の転用、と言った具合だ。私も昔、旧のJR奈良駅舎の使い方として規模もあるので、市民が気楽に展示できる、奈良市民美術館(展示場)にしたらどうか、と提案したことがある。今でも可能性あり、と思っている。まあ、宮殿の転用は、宮殿自体が美術品の塊みたいなものだから分かりやすいが、駅舎や火力発電所となると、工夫が必要だ。今回、それも出来れば見たかったのだが・・。とにかく、古い住宅も含めて、古いものは即壊すというのはやめて、色々なことを考慮し、改装を前提に「転用」を一度は考えるというプロセスを置いてみたいものだ。