西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

JR奈良駅(旧奈良駅)の現状

2006-09-14 | 住まい・建築と庭
パリのルーブル美術館やオルセイ美術館に行ったことをブログに書きつつ、旧のJR奈良駅もオルセイのように美術館にしたらどうか、と奈良に勤めていた時に提案した事を思い出し、現在どうなっているのか知りたくなって本日、奈良女子大に行く用事があったので、その帰りにバスで行って寄ってみた。それは、元々あった所から北北東方面にずらされていた。写真は今年2月に移動中のものをグーグル検索で見つけた。今日の旧JR奈良駅の周りは鉄柵で近づけなかった。だから内部にあったルーブルに本物がある、「サモトラケのニケ」のレプリカはどうなったか知りたかったが見れなかった。提案の再度言及:JR奈良駅は由緒ある建物、内部を改装し、市民のための展示場、市民美術館にしたらどうか。駅舎を転用したオルセー美術館に因む。(写真は移動中の旧JR奈良駅、本年2月)

オランジュリー美術館訪問

2006-09-14 | 訪問場所・調査地
ルーブルからアルシェに伸びる都市軸にチュウイルリー公園もある。その西南隅にオランジュリー美術館がRe-openした。ここは元々16世紀にアンリ四世によって温室とされたものを改装して20世紀に入り美術館になったが、また改装していて最近オープンした。温室だった名残りは屋根が太陽光を受けるガラスのようになっていることだ。入ると閉館間際で30分ほどしか見られなかった。二つの部分に分かれていて真ん中を少し斜路で上がっていくと連続した楕円形の大きな薄暗い展示室が続き、そこには壁一面にカーブして貼られているモネの「睡蓮」ばかりがあって圧倒される。オルセーで見たもの、日本の倉敷・大原美術館で見たものはチャチなものに思えてくる。一度是非ご覧、と言っておきたい。もう一つの部分は地下に降りて行くと細長い展示空間があってセザンヌやルノワールもあった。いわばオルセイの印象派を補完しているとも思えた。時間切れでパンフレットが買えなかったのが家内の「思い残し」であった。(写真は、ノーフラッシュで写したルノワール)

オルセー美術館の見学鑑賞-6屋外テラスからルーブルを見る

2006-09-14 | 訪問場所・調査地
オルセーの5階にはセーヌ川側に屋外テラスがあって、出て川風を浴びながらパリの上からの景観も楽しめる。時間がなかったので「楽しめる」までいかなかったが、ぐるりと見回して、位置を確認した。右手下方に対岸のルーブルが見えていた。目と鼻の先である。(写真は、オルセー屋外テラスから石像の間を縫ってルーブルを見下ろす)

オルセー美術館の見学鑑賞-5レストランで見れる大時計(裏側)

2006-09-14 | 訪問場所・調査地
オルセーの6階にはレストランがあり、私達は最後に休んで珈琲を飲んだ。ここは丁度、セーヌ川の側から見ると二つの大時計が見えているが、その西側(向かって右)の大時計の裏側にあたり、その大時計の文字盤が裏から見えていた。ようやく6階建ての構造がどうやら飲み込めた。(写真は大時計の裏側)

オルセー美術館の見学鑑賞-4アール・ヌーボーの家具

2006-09-14 | 訪問場所・調査地
オルセー2階の61室から66室までは「アール・ヌーボー」の家具であって、家内が是非行きたいという場所だった。優美な曲線や曲面、植物イメージ等をふんだんに使う家具が部屋にセットされて、これでもかこれでもか、と現れ展開する。最近、木工をやって、私の「つなね」の本棚も作ってくれた家内は、喜んで私より遥かにゆっくりみていた。その間、私は「セーヌ側のテラス」(内部通路を兼ねる)に出てベンチで休みながらロダンの彫刻に囲まれていた。(写真はアール・ヌーボーの家具の一例・・洗面台と鏡)

オルセー美術館の見学鑑賞-3バルビゾン派・印象派など

2006-09-14 | 訪問場所・調査地
バルビゾン派とは、パリ南方のバルビゾン村に住んで、農村・自然の風景や農民達を描いた画家と絵画のことである。当時のフランス主流とは全然違う行きかただった。代表として人物を描いたミレーや風景を描いたルソーなどがいる。彼らは印象派直前の印象派に通ずる画家である。その絵もオルセーには沢山あった。印象派のマネやモネのももちろんあり、ルノアールもあった。これでもかこれでもか、とあった。「廊下部分」ではロダンの彫刻が置かれた部分もあって、身近に休んで見上げた。ルーブルと違って全部ゆっくり見れば数日で見れるという感じだった。(ミレー「晩鐘」)

オルセー美術館の見学鑑賞-2全体像、内部中央

2006-09-14 | 訪問場所・調査地
1900年にパリ万博に向け建てられた長距離鉄道始発駅、オルセー駅が前身である。その前のナポレオン時代には外国の賓客をもてなす「オルセー宮殿」であったが1871年のパリ・コミューンの時に火事で焼け落ちていた。駅舎コンペで採用されたのはエコール・デ・ボザール(国立美術学校)のヴィクトル・ラルー教授の案、大胆なアーチを描く鉄とガラスの広い天井、ホテル部も持ち、優雅な壁画など、およそ当時の駅舎のイメージを大胆に破るものだった。1939年に遠距離路線の乗り入れが廃止されてから徐々に廃れ、60年代には取り壊してホテルを建てる案が提案されたが、70年代に保存運動が強くなり、ジスカール・デスタン大統領の下で美術館に転用が決まり、ミッテラン大統領時代の86年に19世紀中ごろから20世紀初頭までの美術作品を所蔵するオルセー美術館に替わった。(私がパリに初めて行った1974年、家族で行った2回目の1983年にはまだオルセー美術館は出来ていない。3回目の時は、90年代と思うが、行けるのはその日しかなく閉館日だった。)それらの作品は駅舎が建てられオープンした1900年前後のもので、美術品と背景としての建築のマッチングを考慮したと思われる。多くの作品はルーブルから移され、ルノワール、マネ、ゴッホ等の印象派は国立印象派美術館から寄贈され発足した。内部に入ると、写真のような雰囲気で、向かい側アーチの下に大きな時計がかかっている。これは駅舎時代のもの、真ん中中央は「線路部分」、左右の高くなっているのは「ホーム部分」と言える。ホーム部の奥に展示室が並んでいる。ホーム部の前は緩い斜路になっていて車椅子でもOKだ。元気な人は展示室内部の階段数段で次の展示室に移動する。実際に車椅子の人も目撃した。上のアーチの更に上に上階があり、レストランもあってセーヌ川を見下ろす外部展望部にも出ることが出来る。
(写真は、奥の上階渡り廊下から入り口に向かい下を見下ろしたもの)

オルセー美術館の見学鑑賞-1

2006-09-14 | 訪問場所・調査地
今回、オルセー美術館には初めて行った。前にも行こうとしたが、閉館日だったり、日程の都合で行けなかった。今回は念願の訪問である。ご承知の方も多いと思うが、オルセー美術館は、第一に元の駅舎を美術館に転用したものだ。第二に、印象派画の殿堂ということだ。パリで、歴史的に言うと、ルーブルが最も古くからのものを蔵し、次いでオルセーが印象派を中心に近代画を多く蔵し、そして新しく開館したオランジェリー美術館が、それを補完し、ピカソなどの近代画中心がポンピドーセンター美術館であるということになろう。今回は、そういう位置づけで4館に行ったが十分見れなかったところもある。今回のオルセー見学・鑑賞の「見学」部は、駅舎を転用したやり方に興味があったことだ。実は、考えてみると、ルーブルも宮殿を転用した美術館である。別に「転用美術館論」を書かねば・・とも思いついたのは、オルセーを見たためだ。JR奈良駅に「サモトラケのニケ」のレプリカがあると言ったが、あの駅舎を保存するにあたり、オルセーを引き合いに出して「市民美術館」にしたら、と提案したこともあったことも思い出しつつオルセーへと進んだ。一部建物外部を修理している感じだった。(写真は、セーヌ側オルセー外観)

ロワイヤル橋(Pont Royal)からセーヌ景観を見る

2006-09-14 | 訪問場所・調査地
ルーブル美術館からセーヌ川を渡って対岸のオルセー美術館に行くためオルセーに一番近いロワイヤル橋を渡っていくのが便利だ。私はルーブルに行った別の日に、このロワイヤル橋を渡ってオルセー美術館に行った。そしてロワイヤル橋の中ほどに立ってセーヌの下流、上流の景観を見た。もちろん近景として左岸のオルセー、振り向けば右岸のルーブルは景観の起点である。全体を見て、いわゆる「フィゾー規制」がかけられていて、歴史的景観を壊すような、高く飛び出したビルなどは見当たらない。別の日に、少し下流のミラボウ橋から見た高層、超高層ビル景観とは一寸違った景観だ。
パリでは、別にラ・デファンスのように現代建築オーケーのような地区を別に用意している。これはオーストリー・ウイーンのドナウ川対岸の近代的国連都市と伝統的市内の対比とも似ている。やはり都市づくりのキーワードの一つに「メリハリ」というのがあるのではないか。(写真は、ロワイヤル橋からのセーヌの景観)

宮川秀之さんの話を聞くーラジオ深夜便・心の時代

2006-09-14 | 時論、雑感
今朝、少し早く目が覚めたのでNHKラジオ深夜便・心の時代でイタリアで国際結婚し、様々な事業で成功を収めるとともに奥さんのマリア・テレーザさん(カソリッククリスチャン、2003年急逝)と実子4人に加えて3人の養子を韓国、インド、イタリアから迎えて7人の「国際家族」を実践してきた人・宮川秀之さんの話を聞いた、1960年23歳早稲田大学学生の時にオートバイで世界に飛び出すことから始まった人生展開だ。
この宮川さんは、今そういうことをしながらイタリア・トスカーナ地方のワイン製造組合の組合長も歴任、人物像に興味を持った。人生、私の一寸先輩である。宮川さんの同級生の井上さんが要領よく宮川さんを紹介するブログを紹介しておく。それによると、「人生、(何があっても)プロセスを楽しまなくっちゃ・・」ということで、私の現在の気分に合致している。
http://inoueblog.com/archives/2005/06/post_5.html