西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

バルビゾン村、フォンテンブロウ城訪問-6ミレー「晩鐘」の現場

2006-09-15 | 訪問場所・調査地
バルビゾン村に着く前に、左手にミレーの「晩鐘」の畑で祈る女性の肩の辺りに見える遠くの教会の尖塔が見えた。手前の農地に夫婦二人が夕方の教会の鐘に呼応して敬虔な祈りをささげている絵が「晩鐘」だ。一寸前にオルセー美術館で見たので参照できるようhttpをあげておく。私が写した写真にもかろうじて教会の尖塔が見えている。ミレーと同じ空間を体験しているのだな、と思った。
http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/a455daedee20f7cc418d0a5fb0a9cfae
(写真は、ミレーの描いた風景の背景の様子と遠くの教会ー見えるかな)

パン屋とタクシードライバーとの会話

2006-09-15 | 2005年4月以降(平女、高槻、学研都市等)
最近、お金を出して買い物をする商店の人や目的地に運んでもらうタクシードライバーと気軽に会話しなくなったのではないか。しかし、スーパーなどと違って商店街では気軽な会話可能なのが大きなメリットなのだ。私は何処かに調査に行って商店に入ったり、何処かでタクシーに乗るとき、大体は会話するようにしている。それで調査地域のポイントのいくつかが分かることも多い。
今日は帰りに近鉄・高の原駅の改札前のパン屋で「バター・クレセント」と「クロワッサン」を買った。そこで店員の若い女性に「クレセントとクロワッサンはどう違うの?」と聞いてしまった。突然の質問で戸惑ったと思うが「何か月ですか」との答えがあった。大きく言って間違ってはいない。「クレセント」は英語、「クロワッサン」はフランス語でどちらも三日月という意味だ、と言っておいた。
それからタクシーに乗った。運転手は、ダンプや大型トラック等色々体験してきたと言う。どういう場合が危ないか?と聞くと、右側より左側が運転席から見えにくいので危ない、しかも左折の時に左側に自転車やバイクがいると巻き込む恐れがある、とのことだ。流石プロ、なるほど、と思った。

バルビゾン村、フォンテンブロウ城訪問-5パリの郊外と国土

2006-09-15 | 訪問場所・調査地
実はフランスは農業国である。自給率も100%を越え自国民を食べさせた上で葡萄酒、カマンベールチーズ等の輸出国である。ロンドンからパリへはドーバー海峡を地下トンネルで越える両国で経営する「ユーロ・スター」という特急に乗って来てみたのだが、イギリス側1時間、トンネル20分、フランス側1時間ほど走って、窓から見えるイギリスとフランスの「国土の様子」が全然違っていた。イギリスは牧草地が殆どで羊、牛、馬を飼っている。フランスは小麦、野菜、果物等々色々作っている様子である。フランスは平地が80%、山地が20%だが山地は殆どは国境地帯、だからパリ郊外は広々している感じである。ところでパリ郊外地域は、パリも入れて他の七つの県とで「イル・ド・フランス」(フランスの島々)と呼ばれている。パリの人口210万人、イル・ド・フランス人口一千万人と言う。フランス人口6千万人だから1/6がパリ広域圏に集まっている。何故「フランスの島々」と言うかと言えば、平地に大きな森があちこちに「島」のようにあるからだ、と言う。(写真は、あくまで平坦な巴里の郊外)

バルビゾン村、フォンテンブロウ城訪問-4パリへの引越し

2006-09-15 | 訪問場所・調査地
快調に、「カルチェ ラタン」とは大学地区ですが、昔の大学はラテン語で教育したので「ラテン地区」(カルチェは英語のクウオーター)と言うのですよ、あっあれがソルボンヌ大学です・・皆さん何処にも洗濯物は見えないでしょう、パリでは洗濯物は外に出してはいけないことになっています、湿度が低いので浴室で乾かして仕上げにアイロンをさっとかけるのです(そういえば私達のホテルにはアイロンとアイロン台がついていた)・・と言っていたら前方の細い道でトラックが止まっていて、わがバスが横をすり抜けるには無理があった。案内人は、トラックが何処から来て、何しているのか、たちどころに読み取って(トラックに来た地方が分る文字が書いてある)、「ああ、あれはパリから西の方のモンド・マルサンという地方から来た引越しトラックです。地方からパリへの引越しのやりかたは、一軒で一台のトラックやとうのは勿体ないので(そんなに荷物少ないの?!)パリに出てくる数軒で一台やとって、今、市内を「配達」して回っているのです・・」とのことだった。トラックに少し広い道まで進んでもらって、バスは漸くすりぬけれた。次に医薬分業の話・・フランスは昔から医薬分業、薬屋はフランス語でも「ファーマシー」らしいが、そのように書いて「緑十字」のネオンがついている店がそこら中に見える。病院も日本の大学病院のように総合的と言うより専門分化している。有名な精神病院と言われる病院の横を通った時、案内人が「最近フランスでは精神病が多くなっているようです。春になると身なりのきちんとした紳士がメトロのホームでぶつぶつ言っている、押し飛ばされた人もいて、そういう場合警戒しなくっちゃ・・」と言う。へーと思った。やがて高速道路6号線に入った。60km 走ればバルビゾン村である。(写真はバスの前に狭い道の引越し車ー左)

バルビゾン村、フォンテンブロウ城訪問-3パリっ子の休暇

2006-09-15 | 訪問場所・調査地
案内人の話より・・(私は今回1週間有給休暇を取ってヨーロッパに来た。)ところでパリっ子というか、フランス人は年間5週間の有給休暇のうち3週間は夏に(まとめて)取らないといけない、と決まっており、取ってないと雇用主が「罪」となるので一生懸命取らせている。大体は8月に取る人が多いので、8月はパリにはパリっ子は少なくなって外国からの観光客ばかりとなる。(まあ、私の大学でも8、9月が学生の休暇期間だが、教員は8月は成績付けとかオープンキャンパスとか未だ忙しいので大体9月に出ることになる。9月に出るその他の理由は、(1)航空運賃が8月より安くなっていること、(2)少し「暑さ」が和らいで帰国したら丁度良いこと、(3)外国人がヴァカンスから戻っていて生活が垣間見れること等であろうか。)
フランスの有給休暇5週間の内後の2週間は、クリスマス、復活祭、急な休み等に使うという。このフランスの充実したヴァカンス制度は、フランス大革命(1789年)、パリ・コミューン(1871年)等のいわゆる「民主革命」を経て勝ち取られてきたものである。

バルビゾン村、フォンテンブロウ城訪問-2パリのことなど

2006-09-15 | 訪問場所・調査地
バスはセーヌ川を南に渡り、カルチェ・ラタン地区を抜けて更に南に行き、高速道路6号線に乗ってバルビゾン村に先ず行く。その間、1時間ほど、案内人から色々の話を聞いて面白かった。パリは、6回城壁を外へ外へと前のを壊しながら造ってきた。今は城壁はない。まあ2,3百年に一回城壁を造りなおしてきたことになる。この範囲が現在のパリ20区である。シテ島の一区から時計回りにセーヌ右岸、そして左岸、又右岸という具合にいき、最後は、右岸の東の端が二十区である。私達の滞在のホテルは左岸の西の端で十五区で一番外側、次が対岸の十六区で、こういう風にぐるぐると渦巻きに区があるので、これを「エスカルゴ」(カタツムリ)と言う。元城壁のあったところは大きな環状道路になっており、それらは「BOULEVARD」と言う。私達の泊まったホテルの前の通りも以前城壁のあった所でBOULEVARD VECTORという。凱旋門等から放射線状に伸びる大通りは「AVENUE」、一番の大通りはご承知のAVENUE des Champs Elysee(シャンゼリゼー大通り)である。その他は「RUE」である。パリ20区の範囲は案外狭く東京の山手線内部位らしい。人口は211万人、外側のバルビゾンやフォンテンブロウを含む7つの県、「イルドフランス」を含むと千万人位の人口になると言う。そうなのか、と思った。

バルビゾン村、フォンテンブロウ城訪問-1半日バスツアー

2006-09-15 | 訪問場所・調査地
パリだけでは「面白くない」という感じもあって、家内の提案で、今回はパリ南部のバルビゾン村そして歴史的なフォンテンブロウ城へ半日バスツアーに出かけた。フランス語が聞き取れるなら、フランス語ツアーが最も良いかもしれないが、そうはいかないので日本語ツアーに応募して出かけた。フランス政府公認(試験あり)の日本語での観光案内人は150人ほどいて、実際に毎日動いているのは60人位と、そのツアーでの案内人(ご婦人60歳位、フランス在住30年、案内人20年)の方にお聞きした。今足りないのは、中国語、韓国語の案内人と言う。余っているのは英語案内人とのことだ。色々のコース、ワイン作りを訪ねる旅やベルサイユもあったが、ベルサイユは前に一度行ったことがあるので、南部の「バルビゾン村」そして歴史的な「フォンテンブロウ城」に行くことにした。既に今までのブログで、バルビゾン派のミレーやルソーの話、フランソワ一世がイタリアルネッサンスに憧れてイタリアからフォンテンブロウ城にレオナルド・ダ・ヴィンチを招いた話などしてきたが、これらはこの半日ツアーの成果である。50人乗りのバスに40人位、オペラ大通りのピラミッドの近くから8時過ぎにバスに乗り、南に走って13時頃に戻ってくる旅である。参加者は、全て日本人だが、ざっと分類すると、私達のように60歳以上の夫婦20人(10組)位、新婚らしきカップル8人(4組)、中年女性のグループ8人(2組)、後は若い単身女性であり、全体として女性が多いことと、「定年後ツアー」の人達が多いことが分かる。中年女性グループが一番元気が良い感じ、新婚カップルが「あの人達に近づかないほうが良い」とこそこそ話しているのを耳にしてしまった。バスでパリを抜ける間、案内人からパリでの生活の話など聞き、郊外に出てからはフランス国土のことやフランス史の「講義」を受けた。勿体ないので揺れるバスでメモをした。それらを基に話を進めたい。(写真はツアースタートのメトロ「ピラミッド」駅近くの「MY BUS」社前、この辺りに日本企業も多い、本屋のジュンク堂もある)