東京の土人形 今戸焼? 今戸人形? いまどき人形 つれづれ

昔あった東京の人形を東京の土で、、、、

今戸人形 「天神・小」 (尾張屋春吉翁 作)

2011-01-25 12:16:31 | 今戸人形(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

P1010049 最後の生粋の今戸人形師であった尾張屋・金澤春吉翁(明治元年~昭和19年)のお作りになられた今戸焼の土人形です。

春吉翁がお作りになった天神様は大・中・小の3つのサイズがあったと聞いています。これは一番小さなサイズです。

裏面には四角の中に「尾兼」という彫はありません。

顔などを肌色に塗っているのが他の天神様と異なります。おそらくその時々の絵具で塗ったとも考えられます。明治時代の出来の他の作者による天神様もみたことがありますが、このように肌色で塗った例はあることはあります。

この人形と全く同じ型でとても細かい描彩を施した人形もあります。売れ行きを考えて、他の作者が手間や工夫をしたものかもしれません。

春吉翁による天神様の大・中・小を並べて撮影してみました。サイズやその他の違いを比べてみてください。

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今戸人形 「天神・中」 (尾張屋春吉翁 作)

2011-01-25 12:07:33 | 今戸人形(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

P1010048 最後の生粋の今戸人形師であった尾張屋・金澤春吉翁(明治元年~昭和19年)のお作りになられた今戸焼の土人形です。

春吉翁がお作りになった天神様は大・中・小の3つのサイズがあったと聞いています。これは中間のサイズです。

裏面には四角の中に「尾兼」という彫はありませんが、この型が出土品も含め一番多く見られるものだと思います。

両袖の張りが「大」のサイズの型のものよりやさしいですね。抜き型した際にへたってしまったものでしょうか?

配色は「大」同様に天保年間以来の配色を墨守したものだと思います。

大部分の墨の黒地の黄色の縞模様もそうです。


今戸人形 「天神・大」(尾張屋春吉翁 作)

2011-01-25 11:58:36 | 今戸人形(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

P1010047 最後の生粋の今戸人形師であった尾張屋・金澤春吉翁(明治元年~昭和19年)のお作りになられた今戸焼の土人形です。

今戸焼の土人形の中には近世からの出土品を含めて大小かなりの種類の天神様がみられます。画像の人形よりもっと大きなものも昔はあったようです。

春吉翁がお作りになった天神様は大・中・小の3つのサイズがあったと聞いています。これが一番大きなサイズです。

裏面には四角の中に「尾兼」という彫があり、春吉翁の父・兼吉翁による原型だったと思われます。

金色に塗られた鍔部分に穴が空いているので、竹や木でできた柄を指して飾ったのかもしれません。

朱色、群青、緑青、台の墨などの配色は天保年間以来の配色を墨守しているようです。浅草橋にある創業300年の人形の老舗である吉徳さんに伝えられている天保年間の人形玩具の配色手本「玩具聚図」に描かれている天神様の配色指定とほぼ同じです。錦絵、おもちゃ絵などに描かれている天神様もほぼこのような配色です。

こうしたところに伝承が受け継がれているところはすごいですね。


今戸焼(42) 梅鉢模様の小皿

2011-01-25 11:23:07 | 今戸焼(浅草 隅田川)

P1010051 暦では1月25日が初天神となっています。

菅原道真公をお祀りされている各地の天神社は合格や就職などを祈願する人々で賑わっていることでしょう。東京では湯島天神や亀戸天神が特に有名で、参詣される人も多いことでしょう。

私は高校受験の折には亀戸天神にお参りしました。亀戸は木彫りの鷽守りで有名ですね。その当時、お参りしてから中学校に登校したので担任の先生から怒られた憶えがあります。

さて、画像の小皿は東京の近世遺跡からも同様のものが出土しています。子供のままごと用のミニチュア玩具とも考えられるのですが、白化粧土とタンパン(炭酸銅)で梅鉢が描かれているので天神様への信仰とも結びついているのではないかと思うのですがどうでしょうか。

昔は寺子屋というものが町々にあって、子供が手習などを学んでいたそうですし、天神様への信仰というものは、寺子屋単位で一種の講のような形で営まれていたのかどうか、、天神様の石塔など寺子屋で奉納されているものが見られます。

あくまで空想なのですが、寺子たちで天神祭などを執り行うような時にこの小皿を使ったものではないか?と思ったりするのですが実際どうだったのでしょう。

こうしたミニチュアサイズの小皿は型による成形のものも見られますが、この皿の底には糸切りの痕が見られるので、一枚ずつロクロで挽いて、あとからヘラなどで押して縁を波型にしているようです。