東京の土人形 今戸焼? 今戸人形? いまどき人形 つれづれ

昔あった東京の人形を東京の土で、、、、

ふたつのねぐら

2011-01-23 22:19:07 | おともだち

P1010030 十五夜さんの部屋にはふたつのねぐらがあります。右に見える白いのが本来のねぐら。左に見えるのは病院へ行く時のものです。

今までは右のほうで寝ていたのですが、このところ左のほうで寝ているようです。心境の変化でしょうか?

右のほうは今まで屋根部分を外して、入り口前に敷いていたのですが、天井があるほうが安心できるのかな???と思って屋根をつけ、その代わりにキッチンマットを敷きました。

ふたつのねぐらの間に見えるのが段ボール製の「爪研ぎ」。猫さんと一緒に暮らすことになるまで、こういうものがあるとは知りませんでした。

爪研ぎは日課という以上に何度もするものなのですね。それともストレスのせいか???

天井のついたねぐらのほうが暖かいと思うのですが、さてどうするでしょうか。

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今戸人形「寒紅の丑」(尾張屋春吉翁 作)

2011-01-23 08:03:54 | 今戸人形(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

P1010029 この紅丑は最後の生粋の今戸人形師であった尾張屋・金澤春吉翁(明治元年~昭和19年)によるものです。画像の黒塗りと一緒に金塗りのも作られたようです。

但し、そんなにたくさん作られなかったのかあまり観たことがありません。大抵鈴木たつの牛のほうが圧倒的に多く残っているという印象があります。

はっきりとはわかりませんが、春吉翁の場合は復古作としてごく一部の趣味家向けに作られたということなのか?

型は鈴木型よりもいくぶん大きく、肉付きがよい感じです。口もとに水色を置いているのも異なります。この型と同じで古そうなものや色のとれてしまったものは観たことがないので、鈴木たつの紅丑のように、小間物屋の配りものとして大量に作られていたものではないのではないか?、、そのように思っているのですが実際どうだったのでしょう。

今戸焼には他に鬼門除けの臥牛を尾張屋さんが作っていたのと、古くは牛の午前(牛島神社)で授与していた牛(戦後の白井孝一家でお作りになられている新型とは異なる形のもの)があったようです。


今戸人形「寒紅の丑」(鈴木 たつ 作他)

2011-01-23 07:46:47 | 今戸人形(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

P1010027 底冷えのする厳しい寒さの毎日です。暦では昨日1月22日が今年の「寒の土用の丑」の日のようです。

ものの本には「寒の土用の丑」に作られた紅には口中の荒れや女性の病に薬効があるとして重用されていたとか、、。またこの日には紅を商う小間物屋は画像のような今戸焼で作られた牛の姿をおまけとして配ったということです。

昭和のはじめの有坂与太郎の著作には、作者は今戸・長昌寺前の「鈴木たつ」であると書かれています。たつの母親の「鈴木きん」もまたこれを作っていた、またたつの姉の「江川しん」(川向の向島に住んでいた)は専ら木地を作っていたとも書かれています。昭和のはじめまではまだこの一族によって生産され、供給していたのは向島の「小町紅本舗」であったとか。現在浅草に「小町ヘアー」というお店がありますが、もしかすると「小町紅」と関係のあるお店なのでしょうか。まだ聞きにいったことがないのでわかりません。

牛には黒塗りと金塗りと2種類あり、配られた際、どのような区別がされていたのか、または2つ対で配られたのかなど不明な点があります。何か参考になる本などありましたらご教示いただけると幸いです。一時はこれらのような牛は古物としてかなり見かけたものですが、最近ではあまりそうした機会も少なくなってしまったような気がします。当時としてかなり出回っていたものだったような気がします。

上記の有坂与太郎の著作によれば、磁器の固焼き製の牛が登場してから、昔ながらの土の牛が駆逐されてしまったようなのです。ひとつ疑問なのは、紅丑の習慣は明治から遡ることはない、と記されているのに、都内の近世遺跡からの出土品の中には色のとれてしまった同じような牛がみられることです。

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