東京の土人形 今戸焼? 今戸人形? いまどき人形 つれづれ

昔あった東京の人形を東京の土で、、、、

今戸焼(41) 土器(かはらけ) (白井半七 作)

2011-01-02 03:45:42 | 今戸焼(浅草 隅田川)

2007_0101_000000p1011240 底に「今戸焼(39)」の吊香炉や「今戸焼(40)」の香合と同じ陶印がみられるので、これも明治の名工といわれた「6世・白井半七」(蘆斎)による作ではないかと思っているのですがどうでしょうか。

今戸焼の土器(かはらけ)というと、神様仏様にお供えしたり家の外に盛り塩したりする安価な素焼きのものが一般的なような気がしますが、このように「みがき」の施された高級なものもあったのですね。

素焼きの木地を灯明油で那智石や鴨川石で磨いて、表面をなめらかにし、上から黒鉛を部分的に塗って再度焼いたものだと思います。黒い斑は一般的に「雲華」(うんげ)といわれるものと同じではないでしょうか?今戸の橋本三治郎による「村雲焼」といわれるものと共通する点と異なる点とあるような気がしますがどうでしょうか?

こうした陶印のついた高級品?の土器は、お正月のお屠蘇やお祝いごとに使われたものではないかと思うのですがどうでしょう?


今戸焼(40) 「とんだり」型の香合 (白井半七 作)

2011-01-02 03:28:59 | 今戸焼(浅草 隅田川)

2007_0101_000000p1011238 底に「半七」の陶印があり、「今戸焼(39)」の吊香炉と同じ印なので、明治の名工といわれた6世・白井半七(蘆斎)の作なのではないかと思っています。しかし蓋部分の兎の表情が現代的な感じにも見えるのでどうでしょうか?

「とんだり」は浅草名物の伝統的な玩具「とんだりはねたり」(「亀山のちょんべ」とも)のことで余りにも有名なものなので、今更ご説明までもないかと思いますが、土台の割り竹に反りをつけた竹串を固定してあり、松ヤニの粘力で反りを逆に固定し、置いておくと竹串の反発で時間を置いて跳ねる。土台の上には張り子(練り物によるものもある。)の人形が固定され更に張り子製の被りものをしていて、跳ねたときに被り物がはずれて、中身の人形に変わるというものです。

中身の人形と被り物の顔とのキャラクターのつながりに趣向の面白さがあります。例えば、「揚巻」が「助六」になる、「虎」が「和藤内」に変わるという類のものです。他にもいろいろな趣向のものがあるかと思います。

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参考までに香合のモチーフとなった浅草名物の玩具「とんだりはねたり」の画像もご紹介したいと思います。(兎ではありませんが、、。)向かって左は「虎」→「和藤内」(浄瑠璃「国姓爺合戦」の登場人物の関係)、左は「暫」→「團十郎」または「海老蔵」(歌舞伎のお家芸の関係)です。戦前のものではないかと思います。「国姓爺」の土台の竹串はなくなってしまっています。

こうした地元浅草の庶民の玩具を香合の形にしたところに楽しさがあると思います。新年の干支に因んで紹介させてもらいました。


今戸焼(39) 吊香炉 (白井半七 作)

2011-01-02 03:04:38 | 今戸焼(浅草 隅田川)

2007_0101_000000p1011235 明治の名工といわれた6世・白井半七(蘆斎)の作ではないかと思っています。

共箱で残っており、箱には「白井蘆斎」という印が押されています。「蘆斎」という号は4世・5世・6世の半七が名乗ったものだと読みかじっています。

宝船を形どってあり、本体の船に対して2種類の蓋が付属しています。本体には「壽ミ多川 半七」の陶印が、蓋裏には「半七」の陶印がみられます。

「壽ミ多川 半七」と名乗ったのは7世の半七(今戸で製作した最後の半七)までだと文献等には記されていますが、「蘆斎」は6世までとのことなので、6世の作なのかと思っているわけです。2007_0101_000000p1011236_3

昔の今戸焼の製品はろくろ挽きによるものの他に、こうした割型、抜き型による成形によるものもあったわけですね。土人形など当然割型による成形ではあるのですが、、、。

今戸神社(旧・今戸八幡)に残る狛犬の台座には「火鉢屋」「焙烙屋」という職種が表記してありますが、基本的には今戸焼の職人さんたちはろくろ挽きを基本として成形していたのでしょう。

このように型を使った成形で思い起されるのは「工芸志科」などの文献に「3世・半七」が土人形を作り始めたという記述があることです。しかし「半七家」といえば、白井家本家の「善次郎家」と並んで今戸焼の元締めでもあり、ネームバリューのあるアートィストというイメージを私は持っているので土人形のような当時として安価な製品を作ったのかどうか疑問に感じているのです。

都内の近世遺跡から出土している土人形の中に「半七」の陶印のあるものがみつかったという話はまだ聞いたことがありません。(私が知らないだけ?)

画像の香炉について話を戻します。型抜きによる成形ですが、非常に手が混んでいて、蓋部分の本体の上にひとつひとつ抜き出しためでた尽くしの細かいものが貼りつけてあります。一枚目の画像の蓋には鯛、巻物、珊瑚などが、2枚目の画像の蓋には金色の福俵のような細かいパーツが山積みされています。木地の上から彩色されていますが、膠溶きの泥絵具ではなく、楽焼用の下絵具を施してから透明な釉薬をかけてあります。

宝船というと、よい初夢をみるために、昔は宝船を描いた擦り物(絵草紙屋さんや物売りが売っていたとか、、)を求めて、枕の下に敷いたという話を聞きますし、現在でも東京の手摺り千代紙屋さんや縁起物屋さんで販売されていますね。絵には「なかきよのとをのねぶりのみなめざめなみのりぶねのをとのよきかな」(長き世の遠の眠りのみな目覚め波乗り舟の音の良きかな)という上から読んでも下から読んでも同じ言葉が添えてあります。これは香炉とは関係のない余談です。