東京の土人形 今戸焼? 今戸人形? いまどき人形 つれづれ

昔あった東京の人形を東京の土で、、、、

蝋梅

2011-01-10 12:52:03 | 散歩

2007_0101_000000p1011257 寒菊の鉢植えが欲しくなり、隣の川口まで行ってきました。川口の駅前からバスに揺られて20分弱?木曾呂という界隈まで来ると、信じられないくらいのどかな田園風景になります。

この辺りから安行にかけは有名な植木や花の産地で園芸店がぽつぽつあります。

残念ながら時期が遅すぎたのか店には寒菊の鉢植えはありませんでした。その代わりすごく大きな朝採りの大根が売っていたので買いました。

畑には冬枯れた菊も見えましたが、蝋梅の木があちらこちらにあってちょうど見ごろでした。

関東一円で蝋梅の名所といえば長瀞の宝登山が有名ですが、花を観に出かけたことはまだありません。深大寺など大きな植物園へ行けばそれなりに蝋梅もあることでしょう。しかし電車でひとつとなりの駅でこんな近くに咲いているのどかなところがあり、穴場だと思いました。

大きな大根を抱えての帰り道はしんどかったですが、おみやげになりました。

寒菊についてはまだあきらめきれません。この時期の縁日などには必ず売られているものなので日を改めて覗きに行ってみようと思っています。

2007_0101_000000p1011258


今戸人形「不知火関・大」(尾張屋春吉翁 作)

2011-01-10 01:19:04 | 今戸人形(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

2007_0101_000000p1011263 最後の生粋の今戸人形師といわれた尾張屋・金澤春吉翁(明治元年~昭和19年)による今戸焼の土人形です。

大相撲初場所が始まりましたので、とりあげてみました。全国各地に相撲力士をかたどった人形や玩具がいろいろとあったようですが、かつての江戸東京にも例に洩れずいくつかの素材(土・木・紙・おがくず)や形のものが作られていたようです。

伝世品や都内の近世遺跡からの出土品の中にはいくつか力士を題材にした土人形をみることができます。

この「不知火関」の人形などその中で特に知られたものではないでしょうか。

今戸人形の中では比較的大きなものの部類に入るのではないかと思います。

不知火諾右衛門は実在した肥後生れの力士(1801~1854)で8代の横綱だったそうです。しかし現在もみられる土俵入りの「不知火型」はその弟子である11代横綱・不知火光右衛門から始まったということです。

この人形は見るからに、元は伏見人形の力士の人形から型抜きされたできたものと考えられますが、配色や面描きなどいかにも今戸人形といった感じです。面描きの筆の走りが素晴らしいと思います。春吉翁は明治の終わりに一旦今戸人形の製作を中断され、関東大震災の後また製作をはじめられたそうで、この人形も再開後のものですが、型自体は昔から今戸で使われていたもののようです。春吉翁による他の人形への配色からみても、春吉翁以前のこの型の人形への配色は顔料の成分が異なったいるかもしれませんが、こうしたものだったのではないかと思います。ちなみに春吉翁は化粧まわしの朱色と群青色の部分の配色が逆転している彩色も残しておられます。

「不知火関」の人形には、この型よりもふたまわり小さなものもあります。

大・小いずれも髷の元結の部分には胡粉で×を入れてあります。

「不知火関・小」の画像はこちらをご覧ください。