東京の土人形 今戸焼? 今戸人形? いまどき人形 つれづれ

昔あった東京の人形を東京の土で、、、、

今戸人形「枡入りの恵比寿大黒」

2010-11-22 21:11:06 | 今戸人形(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

2007_0101_000000p1011021 二の酉も過ぎ、11月も終盤。いよいよ歳の瀬に向かっています。

そろそろ各地で歳の市が開かれる季節です。

浅草の観音様裏手で開かれる「ガサ市」や多くの人出でにぎわう「羽子板市」、世田谷のボロ市などを含め、いろいろな市が開かれますが、新年を前に、臼や杵、笊や箕などの調理器具、神棚やお神酒の徳利、〆縄などの飾りに混ざって、必ず恵比寿大黒の二福神や七福神のお姿が並ぶ光景に出会います。

これら福神の姿は、一刀彫風の木彫のものや真鍮や唐金製のもの、張り子製やセルロイド製もありますが、今戸焼で作られたものもかなり出回っていたようです。その種類は大小はじめどれだけの数があったのか数えきれないほどです。今戸焼の人形の中でたくさん作られたものとしては稲荷の鉄砲狐や裃雛と並んでベスト3に入るものではないでしょうか?

その多くは、まがいの金泥(真鍮粉)一色で塗られたもので、神棚に長年お祀りされて真っ黒になってしまったものが多いので、見た目が地味ですがモデリングや彫など比べてみるといろいろなバリエーションの幅があり面白いと思います。そのすべてをご紹介するのは種類が多すぎて不可能ですが、そのいくつかをご紹介したいと思います。

「枡入りの恵比寿大黒」。この形式の飾りは現在でも材質を変えて作られているものではないでしょうか?セルロイド製の恵比寿大黒になっているものは時々見かけられるような気がします。昔は今戸焼のものが多かったかと思います。半面のお姿の木地を今戸焼屋さんから仕入れ、色塗りして枡に貼りつけて販売するのは際物屋さんの仕事だったのではないでしょうか?恵比寿大黒の背後に見える小判の山積みもまたよく見られた型です。

枡は本物の枡のこともあるのでしょうが、画像のものは底板はほとんど経木のように薄い板でできていていかにも際物といった感じです。枡のところどころに「福」「寶」「壽」などのめでた尽くしの焼き印が押されています。面白いと思うのは、恵比寿大黒は青口の真鍮粉で塗られ、後ろの小判の山は黄土色にきら(雲母)を混ぜたような顔料で塗り分けれれていることです。こうした塗り分けのきまりが一定してあったのかそれともその時々で流動的だったのでしょうか。

 

こうした半面の恵比寿大黒には赤や群青などの顔料で塗られたものも見かけます。

枡と恵比寿大黒との取り合わせは「枡々繁盛」→「ますます繁盛」という語呂合わせの願いを込めたものでしょう。枡の内側対角線に仕切りをいれたものもあり、枡を半分に仕切って「半枡」→「繁盛」と念入りなのも見られます。

P1010453

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(検索 今戸焼 今戸人形 墨田川焼 今戸神社 縁結び パワースポット ご利益 お守り おみくじ 白井 半七 東京 スカイツリー 伝統 工藝

民藝 民芸品 土人形 メトロ 郷土玩具 おみやげ 観光 物産 伝統 台東区 江戸 干支 猿 戌 狐 稲荷 丸〆猫 招き猫 発祥の地 tokyo

asakusa imado sensouji tenple sightseeing tourist information souvenir tradition handcrft japan festival poetry oldstyle doll toy display )


最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
随分とご無沙汰をしてすみません。 (松蔦)
2010-11-24 00:21:47
夏の盛りにPCの調子が悪くなり、暑さもあって面倒で放置したままでいました。
気付けばもう二の酉も済んでしまって時間だけが足早に過ぎていくようです。
遅ればせながら田圃の太夫あたりの少し以前の記事から改めて拝読させて頂いてます。

馴染みのある枡入りの恵比寿大黒もかつては今戸焼であったとは驚きました。
相当数の需要と生産があったあたりまえの日用品だったんでしょうね。
恥ずかしながら枡を斜めに仕切る意味も初めて知りました。
何にでも意味があると言っていた祖母の言葉を思い出しました。
返信する
松蔦さま (いまどき人形)
2010-11-24 22:25:46
コメントをありがとうございます。
こちらこそご無沙汰しております。
「今戸人形」という名称を使っていますが、その昔は「今戸焼の~」という呼び方をしていたそうです。それ式に言えば「今戸焼の恵比寿大黒」です。今戸の人形作りの人の間では、歳の市に向けた恵比寿大黒作りが一年間のサイクルの中のある程度の割合を占めていたと聞きます。それだけ主力の製品だったみたいです。
返信する

コメントを投稿