東京の土人形 今戸焼? 今戸人形? いまどき人形 つれづれ

昔あった東京の人形を東京の土で、、、、

懐かしの絵はがき

2010-11-20 20:45:44 | ああ懐かしき、、

2007_0101_000000p1011025 押し入れからでてきました。小学校2年生の夏に現地で買った大阪万博の絵はがきセットです。

あの当時、タイムカプセルというものを地中に埋めて何十年後か何百年後に開けるとかいう話題があったように記憶していますが、今将に41年ぶりのタイムカプセル状態です。

意外なのは、当時リアルな印象があったのに久しぶりの絵はがきを見ると、会場の思い出など自分の中でかなり忘却しているな、ということ。

パヴィリオンによってはかなり長蛇の列で、見学していなかったところもありました。

アメリカ館は粘って見学したことはよく憶えていて、アポロのジオラマのところにあった砂を指に唾をつけて一生懸命ちり紙に集めていたことは鮮明です。

ソ連館には入れなかったような、、。それに太陽の塔の中にも入れなかったのです。その周りの「お祭広場」というところで毎晩アトラクションのようなものをやっていたのはおぼろげに憶えています。一番強く印象に残っているのは「ガス館」の不思議な形の建物とその中にあったミロのオブジェとクレージーキャッツの出てくる映像だったような、、。

エキスポランドという遊園地にペンキで自由に落書きできるところがあったのも印象的。

あと会場周辺にやたら竹林があったのが珍しかったように憶えています。あの辺りはもともと筍の産地だったのでしょうか?

当時旅館には泊らず、山形の叔父の知り合いの人で京都と奈良の間の「新田辺」というところに住んでいらした方のお宅に泊めてもらっていました。駅前に日産の工場があったようなことを記憶しています。

今見るとこの絵はがき、不思議です。どうして模型のイメージばかりなのでしょうか?28枚1組で¥500とは当時としてかなり高価だったのでは、、?2007_0101_000000p1011026

2007_0101_000000p1011027

2007_0101_000000p1011028 2007_0101_000000p1011031

2007_0101_000000p1011033 2007_0101_000000p1011029   

2007_0101_000000p10110302007_0101_000000p1011034 


今戸人形「おかめ女郎」(尾張屋春吉翁 作)

2010-11-20 13:09:57 | 今戸人形(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

2007_0101_000000p1011020 最後の生粋の今戸人形師といわれた尾張屋・金澤春吉翁(明治元年~昭和19年)のお作りになられた今戸焼の土人形です。

このお人形もまた大変手の込んだ作りでおかめ本体の割型からの抜き出しが面倒な形のように見えます。更に、頭髪に見られる簪は針金を使ってこしらえたもので、素焼き前に本体に挿しこんだものではないでしょうか。

当然素焼きのときには他の人形とぶつかったりしないよう、細心の注意で焼かれたものではないでしょうか。こうした細工は昔の箱庭細工や捻りの人形にも共通するやり方だと思います。

このお人形の型は春吉翁一代の創作によるものだと聞いています。春吉翁は明治の中頃、今戸の土人形の需要が減り、売れ行きが芳しくなくなってから箱庭細工の製作に転じていらっしゃったので、技術的にはこのように手の込んだ細工もできたのではないかと思われます。

このおかめさんなど髷の頭を結っていて、「おかめ」といわれない限り、「お福さん」と呼ばれても不思議ではありません。こんなことからも、「おかめ」と「お福」の違いを考えるとよくわからなくなってしまいます。