最後の生粋の今戸人形師といわれた尾張屋・金澤春吉翁(明治元年~昭和19年)による今戸焼の土人形です。
大相撲初場所が始まりましたので、とりあげてみました。全国各地に相撲力士をかたどった人形や玩具がいろいろとあったようですが、かつての江戸東京にも例に洩れずいくつかの素材(土・木・紙・おがくず)や形のものが作られていたようです。
伝世品や都内の近世遺跡からの出土品の中にはいくつか力士を題材にした土人形をみることができます。
この「不知火関」の人形などその中で特に知られたものではないでしょうか。
今戸人形の中では比較的大きなものの部類に入るのではないかと思います。
不知火諾右衛門は実在した肥後生れの力士(1801~1854)で8代の横綱だったそうです。しかし現在もみられる土俵入りの「不知火型」はその弟子である11代横綱・不知火光右衛門から始まったということです。
この人形は見るからに、元は伏見人形の力士の人形から型抜きされたできたものと考えられますが、配色や面描きなどいかにも今戸人形といった感じです。面描きの筆の走りが素晴らしいと思います。春吉翁は明治の終わりに一旦今戸人形の製作を中断され、関東大震災の後また製作をはじめられたそうで、この人形も再開後のものですが、型自体は昔から今戸で使われていたもののようです。春吉翁による他の人形への配色からみても、春吉翁以前のこの型の人形への配色は顔料の成分が異なったいるかもしれませんが、こうしたものだったのではないかと思います。ちなみに春吉翁は化粧まわしの朱色と群青色の部分の配色が逆転している彩色も残しておられます。
「不知火関」の人形には、この型よりもふたまわり小さなものもあります。
大・小いずれも髷の元結の部分には胡粉で×を入れてあります。
よくご覧になられていますね。人形の形とその上からの絵付けは必ずしもきっちりと合っていないことがあります。こういう私もご指摘があるまでさして気にしておりませんでした。「人形は顔が命」というCMのいうとおり、観ていると目鼻の表情のほうに気が行ってしまうのでおっしゃることには気がつきませんでした。