生き生き箕面通信

大阪の箕面から政治、経済、環境など「慎ましやかな地球の暮らし」をテーマに、なんとかしましょうと、発信しています。

生き生き箕面通信889 ・小出さんは苦しんでいる

2011-05-14 07:05:44 | 日記
おはようございます。福島原発1号機の原子炉建屋を丸ごと覆ってしまう工事が始まりました。いずれコンクリートで覆う「石棺」工事の準備です。つまりあの敷地に原子炉の「石棺」がいくつも立ち並ぶ「原子炉墓場」の工事が始まったのです。
生き生き箕面通信889(110514)をお届けします。

・小出裕章さんは苦しんでいる

 小出裕章さんといえば、いまや「反原発」の原子力学者として”時代の寵児”とみなされ、「脱原発」の教祖と位置付けられる存在です。その小出さんの講演会が昨夕、十三の第七芸術劇場で開かれました。前売り券があっという間に売り切れてしまったため、通常は6階の劇場だけを使うのですが、それに加え5階にも映像中継する臨時会場を設けました。それでも入場券が手に入らなくて帰っていく人が結構いました。

 小出さんは、「東京電力は原子炉の炉心溶融、つまりメルトダウンが起きていたと認めた。ただ、メルトダウンによってもたらされると心配されていた『水素爆発』という最悪の事態は、避けられた。これからどうすればいいのかは、正直なところ分からない。しかし、子どもたちのために安心できる社会をつくるため、皆さんと力を合わせて取り組んでいきたい」と語りました。

 「脱原発・反原発」の機運が盛り上がってきたのだから意気盛んなはずですが、むしろさえない表情のように見受けました。「私が大学で原子力を専攻したのは、当時『これからは原子力の時代』だと思ったからだった。ところが、研究を続ける中で、すぐに間違いに気付いた。その後はずっと、原子力の危険性を指摘し、なんとか原子力政策を転換させるために頑張ってきた。だが、これまでの数々の原発事故を止めることができず、とうとう今回、福島の事故まで起きてしまった」と、自分の”非力さ”が悔しくてならない様子でした。

 京都大学の原子炉実験所(大阪府熊取町)に助手として職を得て以来、今日まで37年間ずっと助手(現在の呼称は助教)の立場に据え置かれたままです。この熊取(くまとり)で「原子力の危険性」を訴え続けた研究者6人は、「熊取6人組」という異称をたてまつられ、東大原子力工学科などに巣食う御用学者からは煙たがられました。国は国策としての原子力推進に巨額の研究予算をつけてきました。しかし、「熊取6人組」には、研究者に欠かせない研究費も回してもらえない。そんな”差別”の中で頑張り続けてきました。それでも、「(定年)退職まであと3年ほどですが、研究者としての筋を通していきたい」と、信念は少しも揺らいでいません。

 ただ現在の容易ならざる事態をどのように乗り切ればいいのか、正直、道筋が立てられない。最後に小出さんは、自分に言い聞かせるように「この事態を一人ひとりが受け止めて立ち向かうしかないと思います」と、苦しげな症状を押し隠しつつ話していました。