水上陽平の独善雑記

水上陽平流の表現でいろいろな事を書いています。本館は http://iiki.desu.jp/ 「氣の空間」

「母のこと・27」

2011-08-21 20:23:07 | Weblog



今日の独善つぶやき・・・

今日も千葉だったが、帰りの電車の乗り継ぎがスムーズ。
千葉駅も東京駅も、全く足を止めることなく乗れた。
だから、早く治療院についたのだ。
一度、地震が(多分直下型)あった。


「母のこと・27」

関東大震災で10万人の死者。
その後の復興のツケで大恐慌。
だが、大震災は自然災害だ。
二度に渡る東京大空襲だけで15万人の犠牲者。
これは、まぎれもなく人災だ。
愚かと狂気と卑怯心の双方の為政者による人災だ。

戦争は狂気で成り立つ。
人を殺す事を目的に考え、発明し、実行するのだ。
戦争は狂気と同意語でもある。
東京は木造家屋で、風にあおられよく燃える。
そういう勉強をし、焼夷弾という爆弾を発明する。
そして、赤ちゃんから病人、お年寄りまで焼き殺す。
それが、正義という御旗の下で実行されたのだ。

それだけでは足りなかった。
新型爆弾のテストだってしたい。
降参する前に殺したい。
広島に落とす。
20万人の犠牲者。

別の原爆もテストしたい。
降伏前に、すぐ長崎にも落とす。
14万人の犠牲者。
戦争を終わらせない日本の愚かな為政者に感謝だ。
お陰で、いろいろな爆弾を人体実験できた。
悪魔の心だから勝利国になれるのだ。

        
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「母のこと・26」

2011-08-20 19:13:52 | Weblog



負けるべくして敗戦となった。
戦争する事自体が愚かな行為だ。
何もかも破壊し滅亡するのが戦争だもの。
まして食料も資源も材料も人も無く続けたのだ。
神国だからという理由で勝つなんてありえない。

例え戦争で勝っても、その後の不幸は約束される。
敗戦国はもちろん、勝利国のその後も不幸になる。
多くの不幸の上に、幸せの花が咲くわけがない。
戦争は、全てに不幸の花しか咲かない行いなのだ。
故に、いかなる理由があろうとも軍備は愚か。
戦争を防ぐ手立ては、幾つもあるのに・・・
知恵というのを、どの国の為政者も知らないようだ。

終戦になるには、更に大きな不幸があった。
終戦を決断するのに、とてつもなく大きな犠牲を払った。
東京や各大都市の空襲。
二度にわたる原爆被害。
そして、やっと卑怯者の為政者は終戦を決断する。

        
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「母のこと・25」

2011-08-19 18:12:56 | Weblog



物資補給されない状態だ。
食料、医薬品、弾薬だってない。
あるのは、愚かな命令だけだ。
それでも敗戦に次ぐ敗戦。
退却以外に選択肢が無くなった。

その帰還船さえ無い状態だ。
あっても偉い人から優先的に乗る。
軍人に限らないが、威張る連中は卑怯者が多い。
そんな時、丁度港に船が着いた。
父も乗れるはずだった。
ところが、例によって格下の父は後回しにされた。
運命の分かれ道だ。

目の前で帰れる希望が離れていく。
幾人もの置き去りにされた兵士や従軍が船を見ていた。
湾から出る直前だった。
船は轟音と共に爆発沈没していった。
運命の分かれ道は、どう転ぶか判らない。
置き去りにされた人々は、その後帰国できた。

        
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「母のこと・24」

2011-08-18 17:57:44 | Weblog



ある夜、父は三人で宿舎近くを歩いていた。
ヒュルル~
艦砲弾の風音。
そして轟音と閃光。
父は何メートルか吹き飛ばされた。

幸いにも手足が動く。
目も見える。
耳も聞こえるようだ。
フラフラと戻っていくと・・・
空からゲートル(足保護布)だけが降ってきた。
一緒に話をしていた仲間のゲートルだった。

建物か樹か何かが障害物となって父を直撃から守った。
あとの二人はバラバラになった・・・
後に、この二人の影と足音を聞いたという。
まだ、死んだと気づいてないのではないかと。
父は霊を信じる人ではなかったが、実体験だから仕方ない。
戦地では、霊現象は日常茶飯にあったらしい。

        
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「母のこと・23」

2011-08-17 18:33:12 | Weblog



社会的、家庭的には問題があった父。
そんな父にも国は容赦しない。
軍属ということで、ニューギニアあたりに飛ばされた。
詳しくはないが、切れ切れの話は聞いている。
日本中のオトコは、とても悲惨だったのだ。
税金で命令する側は、安全なところにいたが。

兵士として徴収されたオトコの日本人犠牲者。
およそ280万人(とてつもない犠牲だろ)。
軍属、空襲、原爆、その他を合わせると330万人くらいか。
戦死というかたちだが、飢餓死がほとんど、ともいわれる。
とても、とても悲惨な戦争に出されたのだ。
愛する人達を守る為、と大義名分されたら、ほとんどが従う。

父が配属させられた地も例外ではない。
物資がない状態で、置いてけぼりだ。
兵士を支援する従軍だから、より格下なのだ。
当然、飢餓状態は日常。
人の生死は、僅かな差で分かれる状況が続いた。
父は性格に問題があるのか、幸運の持ち主ではない・・・
だが、強運の持ち主ではあったようだ。

        
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「母のこと・22」

2011-08-16 18:53:46 | Weblog



鍋釜やその他の金属類をお国の為と供出した(父方)祖母。
先祖からの大切な遺品も(正直に)供出した。
今あれば、高く売れたのになぁ・・・
(遺品を売るのか、というつっこみもある・・・)
それでも、お国のやる事に対し、さすがに疑問もあった。
校庭で竹槍を持たせられ整列した時に、思わず言った。
背中の曲がったオババ「こんなモノで倒せるわけがない」
マジメに号令する軍兵に、こっ酷く怒られた・・・

為政者は判断力も未来を観る力も無いアホだ。
だから、鍋釜、竹槍で米英国と戦うと命令する。
だが、その命令がお婆さんまで届く間に、幾人もを中継する。
それに係わった人達も、間違いを訂正する能力が無かった。
あるいは、間違いだと思っても平気で伝えた。
そして、命令者の多くは生き残った・・・
この訂正できぬシステムは、現在でも同じだ。

アホと卑怯者の集団組織。
それが、税金で暮らす為政に関係する人達の正体だ。
(全員とはいわないが、修正しないのなら責任はあるだろう)
モンクがあるなら、一般国民を暮らしやすくしてみろよ。
アホの為政の多くの犠牲者は、一般国民なのだ。
責任も能力も恥も無いなら、辞めてくれよなぁ・・・


        
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「母のこと・21」

2011-08-15 19:39:47 | Weblog



女子学生まで兵器工場に動員する。
その前に戦争は無理だと判断できるだろ。
ここまで引き伸ばしたのさえ、愚かなのに。
為政者に愚かという文字は他人事だった。
更にもがいた日本は、国民の鍋釜まで徴収した。

国民の鍋を徴収したら、国は終わりでしょ。
そんなことさえ判断できない為政者だった・・・
それで飛行機を作れって言った。
冗談ではなく、日本は極めてマジメに命令していた。
(税金で暮らす人達の笑いのセンスはズレている)

物資も動力源の燃料も働く人も乏しくなった。
工場の仕事も無くなってきた一家は水上に帰る。
ところが山の中でも政府の意を鼓舞する人がいる。
威張って、お婆さんまで学校に整列させる。
竹槍を持たせ、鬼畜米英兵を突き刺せ、と言う。
冗談ではなく、笑いをとる為でもなく、命令していた。
(税金で暮らし命令する人は、滑稽を通り越しムチャクチャ)


        
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「母のこと・20」

2011-08-14 18:31:32 | Weblog



そのまま太田市には5・6年住んでいた。
日本は戦時中だ。
日本連勝と大本営発表という嘘情報に浮かれていた。
今でも政府発表は、何かと信用できない。
特に戦争絡みは平気で嘘をつく。
戦略を国民に知らせるバカはいない、という名目らしい。
(政治家も官僚も自分達は頭が良く、偉いと信じているようだ)

その頃(昭和16年)、次男が生まれる。
だから次男は太田市の生まれだ。
セピア色の次男の写真もある。
やはり、どこかのお金持ち一族に見える・・・
この時期まで金銭的には、よかったみたい・・・
私は、未だ宇宙の果てだった・・・

政府が、いくら嘘を発表しても現実とズレが出る。
人々の暮らしが、どんどんひっ迫してきた。
頑張ろう、日本!
力を合わせて、鬼畜米英をやっつけよう!
だから我慢だ、贅沢は敵だ・・・
いくら煽っても、現実は厳しく辛い日々が続いた。

いつの時代も、
政府(政治家)がしっかりすれば、
(無駄な事をしないで)国民生活は守れるのに・・・
愚かな、愚かな政治で、とても多くの犠牲を増やした。
日本を守る為、と教え込まれて、多くの人が戦地に向かった・・・
戦地は、双方の人と動物達と自然が不幸になる場所なのに・・・

        
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「母のこと・19」

2011-08-13 20:35:54 | Weblog



日本が戦争に突入する頃、長男を産んだ。
日本が悲惨な時代に転がる時、母も時代に巻き込まれた。
日本人のほとんどが、悲惨に巻き込まれていく。
戦争で美味い汁を吸うのは、極一部だけなのだ。
その一部になりたくて、政治家は戦争へと近づく。
それは、前も今も大して変わらない。

同じ群馬県だが、一家は太田市で暮らしていた。
父が中島飛行場(スバル前身)の仕事をしていたらしい。
山の中の水上町と違って、大田は平地だ。
「どこまでも夕方の影が伸びるんだよ」
そういった事に、とても感激していた母だった。
自然界の綺麗さ、素晴らしさには感応しやすい母だった。

その頃の写真が残っていた。
母には同じ父母から生まれた兄弟姉妹は一人だけ。
5歳離れた妹(叔母)がいる。
セピア色の写真は、和服の二人と赤ちゃん。
母、叔母、長男だが、裕福な姿だった・・・
どうやら、由緒正しくない貧乏家だったようだ。

        
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「母のこと・18」

2011-08-12 18:54:23 | Weblog



私は由緒正しい貧乏人の血統だと思っていた。
ブログでも「貧乏道」という題で書いていた。
ところが、実際は違うようだ。
母方のルーツなど幕府御用達の家になってしまう・・・
両家とも、本来はお金持ち?
私って・・・おぼっちゃま?

私は貧乏で育ったことを隠さなかった。
だが、私の家を知らない人達は信用しなかった。
いいところの出、と思われていたフシがある。
貧して貧ならず。
貧乏な暮らしをしても、性格や心までは貧にならない。
たぶん、母の教えだったようだ。
母は背筋を真っ直ぐにして、歩く生き方だった。

母は自尊心が高かった。
変なプライドはないが、芯に自尊心があった。
生まれ育った家や祖母(ラテン系なのに)からだと思う。
卑屈に生きる要素がなかったのだ。
だが私は特に自尊心などない。
というか、プライドにも興味ない。
むしろ、プライドを緩めることを勧める仕事をしている。
自尊心と劣等感は表裏だし、どちらも大したモノじゃない。

        
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