日本が戦争に突入する頃、長男を産んだ。
日本が悲惨な時代に転がる時、母も時代に巻き込まれた。
日本人のほとんどが、悲惨に巻き込まれていく。
戦争で美味い汁を吸うのは、極一部だけなのだ。
その一部になりたくて、政治家は戦争へと近づく。
それは、前も今も大して変わらない。
同じ群馬県だが、一家は太田市で暮らしていた。
父が中島飛行場(スバル前身)の仕事をしていたらしい。
山の中の水上町と違って、大田は平地だ。
「どこまでも夕方の影が伸びるんだよ」
そういった事に、とても感激していた母だった。
自然界の綺麗さ、素晴らしさには感応しやすい母だった。
その頃の写真が残っていた。
母には同じ父母から生まれた兄弟姉妹は一人だけ。
5歳離れた妹(叔母)がいる。
セピア色の写真は、和服の二人と赤ちゃん。
母、叔母、長男だが、裕福な姿だった・・・
どうやら、由緒正しくない貧乏家だったようだ。
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