埼玉のおじいちゃん社長不動産コンサル奮闘記

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終末期医療について

2011-06-28 11:12:57 | Weblog

 

終末期医療を引き受けるのはホスピスだとばかり思っておりましたが、最近ホスピスに入れるのは癌患者のみで、他の病気ではホスピスのケアーが受けられないのだと聞いてびっくりしました。どんな病気でも末期症状が近づけば痛みはつきもののようですが、私も含めて後期高齢者社会では、痛みを抱えて病院通いをする人が増え、病院がこみ、痛みに耐えながら受診順番を待つのはあまりにも非効率で、医者は患者を待たすのは平気で、大手病院などでは何時間も待つのは当たり前のような風潮が有りますが、昨今のような状態だと病気に依っては待ち時間が病状を更に悪化するのでは無いかと言う心配もあります。私などは入院治療を受ける様になったら、痛みさえ取り除いてくれれば、延命治療はのぞまずに他界したいと思っております。ホスピスケアーを受けて痛みを取ってくれ、死ぬ前に一度は元気になって何でも食べて死ねたので、あの人は幸せだったという話をよく聞きますが、最近の様に年寄りが増え、薬や検査漬けの治療を続けるくらいなら、麻薬でも何でも使って痛みを和らげ、どの病気でも終末医療はホスピスで過ごせるようになれば、年寄りは自然に寿命を全うし他界する人が増え、医療費負担が減り、保険料も支払いが減りいいのではないかと思います。でもそこで最先進医療を医療保険に組み込んで行けばいつもイタチごっこで、人口の減少している我が国では、いつまで経っても保険料は増加し続け国民は楽にならないのではないでしょうか?医者も少なく、患者が増え、薬づけ、検査づけの現状の医療行為を見直すべき時だと思います。

ホスピスが癌専門だと言うのなら、私などは、名前なんかどうでもいいから、ホスピスを真似た、ニヤピスでも作ってもらい延命治療や最新治療はせずに、痛みをとりながら、睡眠薬でなるべく睡眠治療をしてもらい眠るように死んで行きたいと思う者の一人です。有料老人ホームが増え特別養護老人ホームが増えても、入居者がどこかいに痛みを感じながら、ただ生きてるだけの老後の生活では決して楽しくないと思います。

 

㈱市川不動産


定借レターNO1.アフォーダブル住宅はサステイナブル

2011-06-20 10:03:08 | Weblog

去る4/27発行の定借レターを首都圏定期借地借家推進機構の事務局長の勝倉様から頂き、過日改めて見たところ

東日本大震災から学ぶ教訓として、アフォーダブル住宅はサステイナブルと言う題で上記機構の顧問をされ、住宅研究所代表の一級建築士で経営学博士でもある倉田剛先生の文にお目にかかりました、不勉強の私は、アフォーダブル住宅の意味さえ分からずITで調べてみると、affordable住宅とは、値段がてごろで取得可能な、あるいは賃貸可能な住宅、住宅価格・家賃水準の上昇に対応する政策の目標とされている、と出ておりしました。そして先生は次のように書かれていました。私は素晴らしと思いましたので一部をご紹介させて頂きます。

東日本大震災の残した傷跡が癒える事はない。改めて、暮らしの場所についても考え直す機会である。筆者は、かねてから“アフォーダブル住宅”を勧めている。それは「手頃な規模で、必要最小限の設備が整った、お手軽な値段のイエ」である。「身の丈にあったイエ」「背伸びしないイエ」とも言い換えられる。最初から最新設備が装備された完成品のイエではなくて、住み手の好みや事情に合わせながら増改築したり減築したりするバリアブルなイエである。お仕着せのイエではなくて、家族の変化や暮らしに合わせながら自由に生活空間を変えていけるイエに住む方が、スローでエコロジカルなライフスタイルに思える。だから新築住宅よりも、むしろ中古住宅を購入する方が好都合である。取り壊すイエを見つけたら、その部材をもらい受けてきて再利用したらいい。そうしたサバイバルな“イエづくり”には環境負荷の軽減効化を評価して補助金や税制優遇措置が講じられていたならば、なお結構な話である。イエの場合も、「資産評価額(相場)」から「負債額(借入)」を差し引いた残高が「真正な資産(エクイテイ)である。イエは、ローン残債」に反比例して「自己持分」が増えてくる。だからアフォーダブルなイエがいい。肝心の「土地」だが、住みたい場所を見つけたら定期借地権で借地するといい。土地を持たなくても、住みたい場所に地代負担で暮らせる「定借住宅」ならば申し分はない。借地にイエを建てる選択ならば、大震災が起きた場合でも失うのはイエだけである。そのイエも、残債が無ければずいぶん気が楽になる。極端な話だが、イエの地盤が陥没したり液状化したりしても借地であれば負担感も軽い。政府は、津波の被害を受けた住宅地区の土地を、復興までの間、定期借地権で借り上げる方針である。新たな防災計画に沿った街づくりを構想していることと、支払われる借地料(地代)で被災者の生活再建の支援を目論んでいる。

以上の通りでした。私は建築士様だから、イエにたいする発想が自由なのかな?と感心しました。地震や津波にも負けないイエづくりの一隅を照らす光のようにも感じました。

 

㈱市川不動産


住宅新報「常日頃」縁21の会発足

2011-06-14 09:20:24 | Weblog

 

去る5/23内幸町の日本プレスセンタービル9階の会議室で、午後6時から住宅新報社がこれまで取材し「常日頃」の欄に登場した人達のご「縁」を大切にする為にと言う事で、住宅新報「常日頃」縁21の会が発足し、記念の基調講演に、国土交通省の不動産業課長、海堀安喜氏が「住宅・不動産業の課題と展望」と言うテーマで60分と会員による卓話は㈱さくら事務所の代表取締役でもあり不動産コンサルタントの中嶋修氏が約10分東日本震災後の不動産市場と言うテーマで話され、7時40分頃から懇親会となり楽しい会となりました。会長には第1回目の「常日頃」に登場した㈱日本不動産の山下欽司社長が就任され、たまたま当日が喜寿の誕生日だったことから私が締めを受けることになりましたが、5/21の日本不動産学会の懇親会の席で住宅新報社の中野専務よりご紹介を受けた海堀課長さまと又お会いして色々お話しが出来たことは嬉しくおもいました。そして5/18の当社のブログにも書いた工学院大学で建築史専攻の後藤治教授の研究グループが仮設住宅ではなく石巻市でズート住める家を建てる計画が朝日新聞に掲載された話になり、その後藤教授が海堀様と東大同期生だったとのことでますます奇遇ですねと、お互いに驚き、話がもりあがりました。一期一会と言いますが人生不思議なご縁の連続だと思いました。

 

㈱市川不動産

 

 


社)日本不動産学会H23年度通常総会

2011-06-07 09:07:20 | Weblog

 去る5/21午後1時半より日本大学経済学部7号館2階大講堂でH23年度(社)日本不動産学会の通常総会が行われました。

3/1現在で院生70名を含んで会員数は1,025名になり賛助会員76団体であることも分かりました。事業報告や決算の承認及び23年度の事業計画や収支予算案も原案通り可決され、25周年記念事業での感謝状や特別功績賞表彰式、そしてH22年度の学会表彰式もあり8名の方が表彰され、総会は無事終了しました。今年は、「東日本震災とまちづくり」と言うテーマでシンポジウムが行われ元首都圏大学東京教授の中林一樹の基調講演があり、その後中井検裕(東工大教授)、高田光雄(京大教授)、福井秀夫(政策研究大学院教授)、花岡洋文(国土賞交通省都市・地域整備局審議官三井康寿(政策研究大学院客員)等5名のパネリストにより、コーディネーター中川雅之(日大教授)先生のもとロールデスカション形式で行われましたが、私には2時間半がアットいう間の出来事のように感じました。

なかでも震災前に既に大震災を予想して、事前復興計画論と言う考えがあった事に感銘しました。その後6時から7時半まで14階で懇親会が行われ三橋会長様とも談笑する機会にめぐまれました。

 

㈱市川不動産


メジャーに学ぶ経営戦略

2011-06-04 12:03:00 | Weblog

 

去る5/17午後5時より日暮里駅南口近くのホテルラングウッド2階「飛翔・鳳凰の間」で第34回「たきしん懇話会」がありました。今回の講師は国際ビジネス&スポーツアナリストのタック川本氏でした。何年か前に川口法人会が先生を講師にお招きした時もお話しがとても面白かったので今回は2度目でしたが参加しました。先生は今ロスアンゼルスエンゼルスで国際編成部門の1人としてご活躍されながら、日本では吉本興業に所属され、各地での講演旅行をこなす一方で、20冊以上の本も出すというタフな人で、今回の演目は「メジャーに学ぶ経営戦略」でした。組織と人材育成に的を絞って話しますといわれ、皆さん、景気はどうですか?ときかれたらどう答えますか?と始まり私はホーインワンですと答えますと言われ、なぜなら、パットしないからです。と皆の爆笑から始まりました。始めから、人心を掴み仲良くできる人が成功します。というのです。そしてメジャーリーグの一流選手は30億くらいの年奉を取りますが、ルーキーなどは月10万位の月給取りです。エンゼルスは現在8軍まであって投手が80人、キャッチャーが25人、野手は120名くらいの大世帯で、何時も200人くらいの人が競争しているわけで、昨日までのチャンピオンでも今日、それよりうまい人が来れば、入れ替わりです。そして毎年2000人位の選手が応募してきても最終の1軍選手になれるのは5年間で2人ぐらいの割だそうです。4軍に迄上がった選手でも未だ10万位の月給なので、生き残らんが為には、夕食が終わった8時頃から何百回も打撃練習をして、12時になってそれから100回やるか200回の練習をするか否かで実力に差が出来、自分の苦手な球も打つことが出来るようになり、5年がかりでやっと1軍入りをするのです。ルーキー以外はコーチの指導は有りません、自分の力で自分を鍛えるのです。だからプロの選手に向かっても貴方は野球をやめたらどうされますか?と聴いても皆がパイロットになるとか、会計士になるとか、先生になるとかチャントした答えが返って来るそうです。それに比べ日本の球団ではルーキーでも600万位の年俸を出すのだからビックリです。といわれそのメジャーでもワールドチャンピオンになるのは何十年もかかるのですが、ロスアンゼルスエンゼルスは創業44年がかりで自分もいた2003年に達成し、球団は1億円かけてワールドチャンピオンリングを1軍メンバーとスタッフに渡したのですが、今日は私の指輪を持参しましたので、皆さんお一人ずつはめてみてください。と回すので会場の皆は大喜びです。あっという間に講演も終わり、今度は立食パーテイにも参加され個々に談笑し記念写真に入ってくれたり、楽しい一夜をすごしました。チャンピオンリングをはめ先生とご一緒に皆と写した写真が出来てくれば話題のネタが又一つ増えそうで今から楽しみす。

 

(株)市川不動産