埼玉のおじいちゃん社長不動産コンサル奮闘記

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「地圖」が語る日本の歴史

2007-04-30 09:55:38 | Weblog
去る4月13日に、もう20年以上前に、蕨ロータリークラブで知り合い、色々とお世話になった菊地正浩様が「「地圖」が語る日本の歴史」を書いたので、と言って来社され、一冊プレゼントして頂いて、読んでみると大変為になり面白い本でした。彼は東京都出身、昭和14年生まれで、専修大学法学部を卒業され、旧三井銀行の支店長をされた後、定年前に退職し、㈱ゼンリンに勤められ、日地出版㈱等の出版社の役員を経て、現在は㈱ケイエスケイ(菊地総合企画)を創設し代表取締役をされていますが、古くから地図に造詣が深く、現在フリーライター、旅ジャーナリストとしてご活躍されており、日本国際地図学会、日本古地図学会、日本旅行作家協会、旅ジャーナリスト会議、日本トイレ協会等々に所属され、独立後は悠々自適の生活を満喫されておられます。彼のご尊父はルソン島で戦死された、ご遺族でもあります。
さて、本の中身は、日本の測量・地図技術を救った男・大本営の若き参謀・渡辺正少佐のご活躍が中心ですが、寛政12年(1800)、伊能忠敬が幕府の命を受けて、完成したと言う精密な実測図「伊能図」のお陰で、イギリスの植民地支配から逃れられた話から始まって、今日に至るまでの地図にまつわる数々のエピソードが掲載されていて興味深く、読みつづけられ、特にあとがきにも有るように、終戦のドサクサに紛れて、悪いことをする者がいる中、わが身を省みず奔走して、見事文化遺産を遺した人がいることを記述したかったと著者自らが述べているように、金窪敏知氏(元国土地理院院長)のご紹介でこの本の中心人物である渡辺少佐ご本人に何回も取材をして、戦争末期の陸地測量部の松本疎開、終戦直後の解体と地理調査隊への組織移管、GHQの松本視察等の一連の史実が世に知られていないので、この秘話をたどり、平成18年8月14、15日新宿駅から夜行列車で松本に行き、15日の正午玉音放送が行われた同時刻に波田小学校を訪れたり、9月23日から27日までに行われたGHQの行程についても当時と同じように旧甲州街道を通り再現してみると言う事までして纏められたご努力には頭が下がる想いがします、読者も一緒に旅している様な錯覚さえ感じさせられるドキュメンタリータッチには流石旅行作家と思わざるを得ないので、著者のお許しを得て、ブログに書かせていただく事にしました。是非皆様もご一読をお奨めします。

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鴨川一泊旅行

2007-04-28 11:11:16 | Weblog
埼玉宅建協会南彩支部の総会を兼ねた一泊旅行で4/25~26と
千葉県鴨川市にあるシーワールド前の鴨川館に一泊して来ました。
バスは東京湾アクアラインを通って途中、
船の形を真似た海ボタルで一休みし、浜金谷で昼食、
その後小泉酒造で試飲をして、旅館に着きましたが、
あの海底トンネルに入った時、今、地震があったらどうしょう、
水死かな?なんて考えちゃったりしましが、
バスのガイドさんはなれたもので、全長15.1キロメートルの
このトンネルの総工費は1兆4823億円ですと説明していました。
でもそれがどの位の量かと言うと、
トンネルのこちら側の入り口から出口まで1万円札を縦に並べた金額と
丁度同じになるそうです、と聞いてビックリしました。
1センチが約100万円としても、あっと言う間に何億円かの札束の上を
通リ過ぎて行く事なるのだそうでうすから?
無事に総会も終わり、翌日はゴルフ組と、観光組に分かれて、
観光組は潮騒市場で買い物を済ませ、鋸ぎり山ロープウエイで山頂に行き
回りを眺めましたが穏やかな天気なのに頂上は突風吹いて寒いので
ビックリしました。金谷港から東京湾フェリーにバスごと乗船し、
久里浜港につき,三崎港で昼食し,無事に午後5時頃帰着しました。
流石千葉県の港町での食事は,魚の味が一味違うような気がして
三度の食事で,かかりつけの医者からは日頃やせろやせろと言われているのに
又1キロ位は肥った感じでした。

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スカイプによるTV電話

2007-04-23 11:36:07 | Weblog
去る3/19に蕨商工会議所でブログ情報交換会が行われた折に初参加し、
偶然にも以前当社で貸し事務所のお世話をした、Y様とお会いし、
色々な話をしましたが話が尽きず、又お会いしましょうと
その時は別れました、後日電話でY様は海外に嫁いだお嬢様と
TV電話で話しているよと言われ、
良く聞いてみるとスカイプを使ってお互いに設備してあるIT電話だと
通話料は“0”だから助かるとの事なので、
早速見学させてもらい、当社も本支店間でTV電話を開設することにして、
4/22取り付け工事を完了しました。
丁度テレビで海外特派員がテレビ局の人と話をしているような感じで
図面などをFAXした後その中の場所を指し示しながら話したりする
のには便利だなーということが解りました。
しかし相手もスカイプを使って同じ設備を持っている仲間でないと
利用できないとか?便利な世の中にはなっても、
未だ未だ不便なことがあるものだとは知りませんでした。

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中国残留引揚者の話

2007-04-19 10:57:05 | Weblog
確か昨年12.1の青山35期会の帰りに、友人のH君から
「君、確か満州からの引き揚げ者だと」言っていたよね?
「蟻の兵隊」と言う映画を知ってる?
今学校の近くの映画館で上映しているのだが、
日本が戦争に負けたのに「祖国復興」の大義名分で、
戦犯になるのを恐れた上官の命令で中国に残留させられた
約2,600名が中国国民党軍日本特務団兵士として戦かわされ、
最後は中国人民解放軍の捕虜となり、
帰国してから軍人恩給をを申請したところ、
国からは自分達で勝手に戦ったのだと拒否されたので
最高裁判所に上告した事件の映画化だよ!
命令を下した上官は先に帰国し、
のうのうと生活していたんだってさ!
と聞き帰途渋谷まで迂回して見てきたのであったが、
今度は「僕は八路軍の少年兵だった」
と言う光人社の文庫本と出会い、買って読んでみると、
昭和4年岐阜県生まれの山口盈文と言う少年が
昭和19年に高等尋常小学校を卒業後、
満蒙開拓青少年義勇軍を志願して、渡満し、
黒龍江省勃利訓練所に移り、昭和20年敗戦と共に
ソ連軍の捕虜になり延吉日本人居留民収容所に収容され、
21年朝陽川に進駐してきた八路軍に加わり、
以後各地を転戦,31年に帰国して、
それからは日中貿易に携わった人の話で、
共通しているのは戦後中国に何年も残留してから
引き揚げてきた人達の話という点でした、
私などは家族も一緒だったし敗戦後1年しかいなかったのだし、
家族全員無事で引き揚げ出来たのだから、
幸せなほうだったのかも知れないと改めて思いました。

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ガソリンスタンドの閉店

2007-04-13 11:19:10 | Weblog
最近又ガソリンスタンドの閉店が増えて来て、ここ一ヶ月の間に、
今迄生き残ってきた自宅付近のスタンドが2店舗も閉店してしまいました。
10年位前から見ると随分倒産してしまった気がしますが、
ここ1~2年はそうした動きも一時止まった様な気がしていたのに
残念ながら又直近の2~3ヶ月での閉店数は増加しているように感じます。
しかも今回の傾向は今までとは違って、
近くで競争していたスタンド同士の一方の、
規模の小さいほうが生き残り大きいほうがつぶれていく
気がしているのも不思議です。
このままの勢いでスタンドがなくなって行くと、街に今迄の便利さはなくなって、
遠くのスタンドまでガソリンを消費しながら買いに行くと言う
非効率な現象が起きます、石油元売業者は一体何をかんがえているのでしょうか?
今迄お世話になったスタンドは続ければ続けるほど赤字がかさむという
経営を見殺しにして行くような様さします。
消費者不在の商法は、大型のスーパーマーケットが郊外に出来て、
今迄近くの商店街で買えた日用雑貨やチョットした買いまわり品も
近くのお店が閉店した為にわざわざ遠くのお店まで車で
買いに行かなくてはならないはめになり、近くの商店街の活気が無くなり、
今までの街はゴーストタウン化して、返って犯罪も増え、
不便になって行くと言う悪循環!、
何でもアメリカの真似をすればよいという考えは
チョット間違っているのではないでしょうか? 

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坂高関東29会

2007-04-09 09:48:39 | Weblog
去る3/14に香川県坂出高校の卒業生で毎年やっている
坂高関東29会に出席しました。
以前は日比谷公園の松本楼を使っていたのですが、
2年位前よりここ新宿の中村屋本店の5階に
場所を変えて行うようになりました。
約20名が参加しましたが、今年早稲田大学工学部の教授を
定年退職したS君もいたので現役組は私も含めて2名と
なってしまいました。

S君はドイツの学会で自分の研究発表をしたあと
、次の教授の発表に質問をしている最中に、
心臓麻痺になりかけて会場から救急車で病院に運ばれ、
足からカテーテルを挿入する手術を受け一命が助かったのだとか?
連れて行った助手と、もう一人の外国人教授に
心臓魔マッサージの経験のある人がいて、
救急車が来るまでの間を繋いでくれたのだそうです、
場所が医学の発達しているドイツで有ったのが幸いして
三週間後には事なきを得て帰国できたのだそうですが、
その間に東京海上の現地駐在社員が来て保険の手続き等
全て親切に処理してくれたとのことで、
本人の喜び様は大変なものでした。
K君はもうとっくに東京海上を定年退職し、
今は視覚障害者支援事業に取り組んでいるというのに、
「やはり保険は、危険に遭遇してみないと解らないが、
その時の東京海上駐在員の処置は素晴らしかったと、
S君は心の底から一生懸命感謝していました.
私もそのK君から紹介され、昭和46年ごろから
東京海上の代理店になったのでしたが
改めてリスクヘッジの大切さを痛感しました。

帰りはN君と途中まで一緒になりましたが、
彼はIBMの工場長までやって、その後不動産部で
ファシリティマネージメントを手がけるようになり
退職後は独立してマブチモーター本社のコンサルも
手がけたりして、雑誌でも紹介されるような
その道の専門家になり、今も現役で、
これからK市の遊休施設の有効活用の件で
チームを組んでコンサルをしており、
その会合にゆくのだとか?
最近では公共機関も省エネ、リストラで大変なようで、
そうしたコンサルで多忙だとか?
相手が公共機関だから我々のようにあまり景気不景気に
左右されることも無く、伸び伸びと働ける分野を自分で
創造していている彼を見て素晴らしいなと思いました。

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厚生年金との一本化?

2007-04-08 09:54:07 | Weblog
去る4/7の日経新聞で厚生年金との一本化という見出しが有ったので、
読んで行くうちに、共済積立金統合は半分、残り24兆円は公務員側に配分
と言うサブタイトルがあり、政府が来週に閣議決定するとの事?・・・
続けて読むと、厚生・共済年金の一元化法案が実施された場合、
公務員からの共済年金の積立金(52兆円)のうち、
一元化に回すのは約半分の28兆円にとどまることが
参議院の調べで明らかになったとあり、
残る24兆円は公務員の上乗せ年金の維持などにあてる。
と書いてありました、民間と比べ手厚い公務員の年金温存のために
積立金の分離活用を認める形になるそうです。
そして長い目で見れば民間サラリーマンの年金加入者の負担で
政府部門の年金給付を維持することを意味するとありました。
厚生年金の加入者からは「官から負担を押し付けられる時だけ協力させらる」
との不満が出るのは必至だ。とも書かれていましたがその通りで、
官民格差を温存したままの幕引きなどは許せない気がします!
我々国民が望んでいるのは、国民年金まで含んだ二階建ての無い
一本化された年金制度だと思うのですが?
今迄自分でまじめに働いて来た国民年金生活者の方が、
憲法で最低生活を保障されている何も働いてもいない生活保護家庭より
低いなんて考えられない事ではないでしょうか?
此れでは先の議員年金廃止の時の幕引きに似ているような
気がしてなりません!
こんなことでよいのでしょうか?
「美しい国は」何処へ逃げて行こうとしているのでしょうか??

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文庫本「ががいばちゃん」

2007-04-06 15:43:18 | Weblog
先日テレビでも紹介された,島田洋七氏の「ががいばちゃん」
の文庫本を書店で見かけたので、買ってきて読んでみた。
そして本当に面白かった!お受験流行りの世の中で、
例えば
「ばあちゃん,英語なんかさっぱり分らん」「じゃあ答案用紙に
「私は、日本人です」と書いとけ」や「でも、ばちゃん、
俺、漢字も苦手で・・・・・」
「「僕はひらがなとカタカナで生きて行きます」と書け」
とか「歴史も嫌いでなあ・・・」「歴史も嫌いとか?・・・」
「答案用紙に「過去にはこだわりませんと書いとけ!」等
のくだりは、本当に腹を抱えて笑ってしまった。
この種の本が世の中にあふれてくれればと願わずにはいられない。
そして又、かばいばあちゃんの「笑顔で生きんしゃい!」
を買って読み始めた。

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祝!!旭日小綬賞受賞

2007-04-02 10:00:05 | Weblog
去る3/28浦和ロイヤルパレスホテルで、昨年の秋の叙勲で
田中正二蕨商工会議所会頭が永年に亘る地域商工業振興に尽くされた
ご功績に対し国より旭日小綬章が授与され、
蕨商工会議所主催で叙勲祝賀会が行われました。

祝賀会は蕨商工会議所関係者を中心に約300名近くのお客様が
参加され、盛大におこなわれました。
ご挨拶をされた田中市長さんは弟のことなので挨拶が難しいと
言われましたが本当にその通りだと思いました。
統一地方選挙の年でもあり、招待された方達の中にも、
県会、や市長、市議会議員候補者が大勢いて、各テーブルを回って
ご挨拶をされている方も多く、
賑やかでアット言う間に時が過ぎてしまいました。


田中様、本当におめでとう御座いました。

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