去る2/11午後9時よりBS朝日5chで、戦後70年記念のTVスペシャル番組で「昭和の偉人伝」というタイトルで、敗戦後約6年で敗戦国日本をサンフランシスコの講和条約まで導き再建した宰相としての吉田茂氏と10年目慓の所得倍増計画を提案し4年で成し遂げた宰相として池田勇人総理のドキュメンタリーが放送されました。
私事で恐縮ですが、私は昨年80才となり、第2次世界大戦に負けた1年後の小学5年生の時に満州から引き上げて以来日本で暮らしてきましたが、かねてから戦後の混乱から日本をサンフランシスコ講和条約まで導いた吉田茂総理や池田勇人総理が所得倍増計画で当時帝国ホテルでベルボーとして働きながら学生時代を過ごして居た時、貰っている給料の使いでがいつの間にか増えた事を実感し嬉しくなった事がありました。そのときから、戦後の総理の中で、国民の為に本当の政治をやってくれた人はこの2人しか居ないのでは無いかと自分で勝手に思っていましたが、その2人が戦後自民党の元を築いた人達としてTV番組となって上映され、私の目も間違っていなかったと嬉しくなり録画しながら見ました。
敗戦後6年で日本を再建した宰相として吉田茂氏は3才で養子に出されたが、11才で養父も他界し当時60億とも言われた、莫大な遺産と共に大磯の自宅で何不自由なく過ごし、19才の時学習院高等科に進学、その後東大に進学、卒業後23才で外交官となり、麻布の自宅から外務省へ2~3回馬で通勤した事もあり話題をまいたようでした、明治42年に牧野雪子と結婚し、ロンドンに駐在し、パリ講和条約会議に随行したりし、反戦主義の彼は、日独伊同盟締結後、外務省を60才で退官しましたが戦後復職し、外務大臣に任命され、9/20にマッカーサー占領軍司令官と初対面をしたとき、部屋の中を歩きながら話す彼を見て笑ってしまいましたが、それを咎めた彼に、「貴兄が余りに部屋の中を動きながら話すので、まるでライオン檻の中で説教されている気がしてつい失笑した」と答えたら、彼も笑い出したというエピソードもあり、その会談で天皇陛下が面会を希望されていることを伝え、一週間後に天皇陛下がマッカーサー司令官と面会し、天皇は今回の戦争の全責任は自分に有るので処罰するなら自分から処罰して欲しいと申し出て、元帥も天皇のその言葉に感動し尊敬したエピソードがあったようです。
その後国会で天皇は人間宣言をして神の座を降り、JHGは憲法改正し、戦争放棄や天皇を国家の象徴としました。吉田首相は食料危機を訴え、マッカーサーは70万トンの食料放出をしましたが、後に総理は呼び出され、70万トンの食料で餓死者は出なかった、君は僕を騙したね!日本の統計はデタラメだといったが、これに対して吉田は、もし日本の統計が正確であったなら、日本は今回の戦争には負けたりしなかったと言い返したそうです。
S22年には中国共産党がソ連と友好条約を結び、ソ連は北海道を、英国は九州を欲しいと希望したそうですし、ダレスは30万の軍隊で日本は再軍備すべきだと言ってきたが、吉田はマッカーサーとあらかじめ手を組んで7.5万の警察予備隊で経済復興を最優先にし、列強の申し出を退けたようです。
マッカーサアーも米国がこのまま日本の施設を使って講和後も日本に米軍が駐留した方が良いと本国に進言したそうです。その密使に行ったのは池田勇人と宮沢喜一の両名でした。日本は単独講和の道をとり、サンフランシスコで無事講和条約を締結しました。朝鮮戦争が始まりトルーマン大統領と意見の食い違ったマッカーサー元帥は解任され米国に帰国しました。
一方、広島県竹原市出身の池田勇人は熊本5高から京大に進学、卒業後は大蔵省(佐藤栄作氏とは同期)に入省、牧野直子と結婚、宇都宮税務署長をへて、難病にかかり、大蔵省を退官、妻直子は看病疲れで死亡、S10年遠縁の造り酒屋の娘大貫満枝と再婚、大蔵省に復帰、S24年50才で衆議院議員に立候補し当選、第3次吉田内閣で大蔵大臣となる。貧乏人は麦を食えと言った事は有名で、GHQのドッジ氏と対峙し、通産大臣時代は中小企業の5~10人位は自殺してもかまないと言い大臣を辞め、吉田、鳩山、岸と自民党総裁も時代が変わり、S32年に宏池会と言う政策集団を結成(前尾、大平、宮沢、鈴木善幸氏等が参加)新安保条約で岸氏退任の後、自民党総裁戦に立候補し、当選、自民党総裁となる。
総理となって月給2倍論、所得倍増論を提案し、10年計画だったものを4年で達成、高速道路や新幹線、喉頭癌に犯されながらもオリンピック開会式に臨み、後継者に佐藤栄作氏を指名し、S40年8月13日に65才の生涯を閉じる。吉田茂はS42年10月20日89才で他界した。自分の成功も池田氏に負うところが多かったと述べたという。
宏池会の会長古賀氏は現在の自民党の基礎を築いたこの2人を国民は忘れてはならないと言う。こんな筋書きでしたが、こうした立派な政治家が出て叉真の日本の再建に励んで貰いたいものです。素晴らしいテレビ番組でした。
(株)市川不動産