埼玉のおじいちゃん社長不動産コンサル奮闘記

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昭和の偉人伝

2015-02-22 09:07:15 | Weblog

去る2/11午後9時よりBS朝日5chで、戦後70年記念のTVスペシャル番組で「昭和の偉人伝」というタイトルで、敗戦後約6年で敗戦国日本をサンフランシスコの講和条約まで導き再建した宰相としての吉田茂氏と10年目慓の所得倍増計画を提案し4年で成し遂げた宰相として池田勇人総理のドキュメンタリーが放送されました。

 

私事で恐縮ですが、私は昨年80才となり、第2次世界大戦に負けた1年後の小学5年生の時に満州から引き上げて以来日本で暮らしてきましたが、かねてから戦後の混乱から日本をサンフランシスコ講和条約まで導いた吉田茂総理や池田勇人総理が所得倍増計画で当時帝国ホテルでベルボーとして働きながら学生時代を過ごして居た時、貰っている給料の使いでがいつの間にか増えた事を実感し嬉しくなった事がありました。そのときから、戦後の総理の中で、国民の為に本当の政治をやってくれた人はこの2人しか居ないのでは無いかと自分で勝手に思っていましたが、その2人が戦後自民党の元を築いた人達としてTV番組となって上映され、私の目も間違っていなかったと嬉しくなり録画しながら見ました。

 敗戦後6年で日本を再建した宰相として吉田茂氏は3才で養子に出されたが、11才で養父も他界し当時60億とも言われた、莫大な遺産と共に大磯の自宅で何不自由なく過ごし、19才の時学習院高等科に進学、その後東大に進学、卒業後23才で外交官となり、麻布の自宅から外務省へ2~3回馬で通勤した事もあり話題をまいたようでした、明治42年に牧野雪子と結婚し、ロンドンに駐在し、パリ講和条約会議に随行したりし、反戦主義の彼は、日独伊同盟締結後、外務省を60才で退官しましたが戦後復職し、外務大臣に任命され、9/20にマッカーサー占領軍司令官と初対面をしたとき、部屋の中を歩きながら話す彼を見て笑ってしまいましたが、それを咎めた彼に、「貴兄が余りに部屋の中を動きながら話すので、まるでライオン檻の中で説教されている気がしてつい失笑した」と答えたら、彼も笑い出したというエピソードもあり、その会談で天皇陛下が面会を希望されていることを伝え、一週間後に天皇陛下がマッカーサー司令官と面会し、天皇は今回の戦争の全責任は自分に有るので処罰するなら自分から処罰して欲しいと申し出て、元帥も天皇のその言葉に感動し尊敬したエピソードがあったようです。

 その後国会で天皇は人間宣言をして神の座を降り、JHGは憲法改正し、戦争放棄や天皇を国家の象徴としました。吉田首相は食料危機を訴え、マッカーサーは70万トンの食料放出をしましたが、後に総理は呼び出され、70万トンの食料で餓死者は出なかった、君は僕を騙したね!日本の統計はデタラメだといったが、これに対して吉田は、もし日本の統計が正確であったなら、日本は今回の戦争には負けたりしなかったと言い返したそうです。

S22年には中国共産党がソ連と友好条約を結び、ソ連は北海道を、英国は九州を欲しいと希望したそうですし、ダレスは30万の軍隊で日本は再軍備すべきだと言ってきたが、吉田はマッカーサーとあらかじめ手を組んで7.5万の警察予備隊で経済復興を最優先にし、列強の申し出を退けたようです。

 マッカーサアーも米国がこのまま日本の施設を使って講和後も日本に米軍が駐留した方が良いと本国に進言したそうです。その密使に行ったのは池田勇人と宮沢喜一の両名でした。日本は単独講和の道をとり、サンフランシスコで無事講和条約を締結しました。朝鮮戦争が始まりトルーマン大統領と意見の食い違ったマッカーサー元帥は解任され米国に帰国しました。

 一方、広島県竹原市出身の池田勇人は熊本5高から京大に進学、卒業後は大蔵省(佐藤栄作氏とは同期)に入省、牧野直子と結婚、宇都宮税務署長をへて、難病にかかり、大蔵省を退官、妻直子は看病疲れで死亡、S10年遠縁の造り酒屋の娘大貫満枝と再婚、大蔵省に復帰、S24年50才で衆議院議員に立候補し当選、第3次吉田内閣で大蔵大臣となる。貧乏人は麦を食えと言った事は有名で、GHQのドッジ氏と対峙し、通産大臣時代は中小企業の5~10人位は自殺してもかまないと言い大臣を辞め、吉田、鳩山、岸と自民党総裁も時代が変わり、S32年に宏池会と言う政策集団を結成(前尾、大平、宮沢、鈴木善幸氏等が参加)新安保条約で岸氏退任の後、自民党総裁戦に立候補し、当選、自民党総裁となる。

 総理となって月給2倍論、所得倍増論を提案し、10年計画だったものを4年で達成、高速道路や新幹線、喉頭癌に犯されながらもオリンピック開会式に臨み、後継者に佐藤栄作氏を指名し、S40年8月13日に65才の生涯を閉じる。吉田茂はS42年10月20日89才で他界した。自分の成功も池田氏に負うところが多かったと述べたという。

宏池会の会長古賀氏は現在の自民党の基礎を築いたこの2人を国民は忘れてはならないと言う。こんな筋書きでしたが、こうした立派な政治家が出て叉真の日本の再建に励んで貰いたいものです。素晴らしいテレビ番組でした。

 (株)市川不動産

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


ピケティ論争 日本で白熱

2015-02-17 10:23:37 | Weblog

去る2/3の日経では、世界的な格差拡大に警鐘を鳴らす「21世紀の資本」の著者トマ・ピケティ氏が4日間の日本滞在を終えて帰国しました。講演や記者会見、学生とのやりとりを通じて問題の深刻さと解決に向けた取り組みを訴えた。その言葉は、日本の格差論議を揺さぶっている。と報道されました。

ピケテイ氏にあやかろうとしているのはアベノミックス批判を展開する民主党だ。1/30には岡田克也代表ら民主党幹部とピケテイ氏との面会が実現し、ピケッテイ氏は「日本でも富裕層が拡大している。米国ほどではないが、欧米より深刻ではないか」と話したそうです。

1/29の衆院予算会議の質疑でピケティ理論を持ち出されると、安倍晋三首相はピケティ人気に警戒感をにじませ「ピケテイ氏も経済成長を否定していない。しっかり成長した果実がどのように分配されるかが大切だ、成長せずに分配だけを考えるとじり貧になる」と答えたそうです。

アベノミックスも金融緩和、財政出動、まではうまくいったものの、過去2年間の実績では、大手企業はデフレの脱却はしたものの、我々中小企業まではなかなか手が回ってこなくて、脱デフレの実感などはとても感じられない現状なので、一日も早い有効な施策の実施をして貰いたいものです。

(株)市川不動産

 

 


釣瓶の家族に乾杯(菊池桃子と共に)が香川県坂出市へ

2015-02-09 09:01:36 | Weblog

昭和29年香川県立坂出高校を卒業した者で作る関東坂高会は大手町のレストランで昨年総会を開き、約30名が集まり、80才を迎える事で解散しましたが、その会員の一部で、何年か前より有志の会を作り、東京銀座に事務所を構えた、元IBMの中津君を中心に、年に2~3回の割で、ランチを食べながら、談笑していました。

欠席者がいても5~6人が集まるという気楽な会なので今でも思い出した様に続けて参りました。その中の1人、元東北帝大の教授から早大理工学部の教授に転身し、今も東京で暮らしている佐々木君から一同にメール配信がありました。

それによると去る1/12よる8時から「鶴瓶の家族に乾杯」が菊池桃子と共に香川県坂出市にやってくると言うのでしだ。私も楽しみに見ましたが、讃岐のうどうん屋へ行くというので何処に行くのかと思ったら、待ち合わせ場所が本四架橋の香川の入り口の所だったので、最初は富士見町の製麺屋さんで、待ち時間にうどんを振る舞ったところ評判となって今ではうどん屋さんに変身したというお店でした。私も4年前に帰阪した折、連れて行かれた評判のお店で懐かしく思いました。

讃岐の人は朝昼晩の3食ともうどんを食べているのかと勘違いしている人が多く、一日一食くらいはうどんにしても聞き込み調査の結果では、3食全部をうどんにしている人は居ませんでした。

2件目のお店は営業時間1時間という日本一営業時間の短いお店でしたが、昔はやはり製麺所で折角出来たうどんを出来たてのまま食べないのはもったいないと始めたのがきっかけでとうとう、うどん屋になってしまったというお話でした。

2日目は、瀬居島や林田の金時ニンジンと言って真っ赤なニンジンを探す旅でした。私も小6~高校卒業までの8年間を過ごした坂出市ですが、今回は坂出市と言っても瀬居島とか林田とか比較的田舎の方が多かったので、余りなじみの有るところはTVには出てこなかったので、半分ガッカリしました。でも東京からの取材班は多分、田舎の良さを出そうとしたのでないかと思いなおしました。

それにしても楽しい時間を教えてくれてありがとうございました。久しぶりに坂出の雰囲気を満喫させて頂きました。

(株)市川不動産

 

 

 

 


邦人ジャーナリスト2名の拘束・殺害

2015-02-06 11:49:37 | Weblog

去る1/22の日経によれば、日本のフリージャーナリスト2名を拘束して、身の代金2億ドルを要求して来たイスラレル国に、総理が外遊中に約束した中東支援はあくまでもシリアやヨルダン、トルコなど69ヶ国の住民・国内難民に食料・仮設住宅・医療物資など支援の為のものでイスラエル国の要求は筋違いのものだと説明すると、今度は要求を変更し、後藤氏と、ヨルダンの首都アンマンで起きた、連読爆破テロに関わったイラク人女性・サジダ・リシャウイ死刑囚との交換を要求して来ました。

 外遊中の総理は急遽予定を切り上げて帰国し陣頭指揮にあたったものの、ヨルダンは自国のパイトットも拘束されており、その救出がなければ、ヨルダン政府として国民の信頼が無くなるので、自国のパイロットの救出が先決事項で有るとし、その生存確認が最優先事項として、硬直状態になってしまいました。

 湯浅さんに日本政府が制限時間内の処理が出来なかったと言うことで、殺されたとうインターネントの公開があり、続いて去る2/2の各紙では、イスラム国を名乗る組織は、1/31の午後10時頃日本人の人質の後藤健二さんを殺害したという動画をインターネット上で公開したと報道しました。首相はすぐ閣議を開き1日、テロリストを決して許さない。罪を償わせるために国際社会と連携すると発表しました。でも一連の事件はヨルダン政府を頼るばかりの我が国の貧弱な外交を世界にさらした結果となったのではないでしょうか?

 そうした中で、第189回通常国会が、去る26日に招集され、開催されましたが、一連の事件の陰で、誠に静かなスタートでした。今国会では政府は90本の法案の成立を目指しているようですが、開会中の国会にも訃報が持ち込まれたりして、一時中断するなど、果たしてこの先うまく行くかどうか自民党も正念場を迎えたのでは無いかと思います。

 (株)市川不動産