埼玉のおじいちゃん社長不動産コンサル奮闘記

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生活保護・家賃自治体が納付

2012-08-27 11:42:13 | Weblog

去る8/17の読売新聞では、生活保護・家賃自治体が納付と言う見出しの元に、生活保護の見直しに向け、厚生労働省は、家賃などの住居費(生活扶助)を、受給者が家主に支払う方式から、原則的に自治体が受給者に代わって直接納める「現物給付」に変更するなどの包括的な改革を打ち出す。原則として現物支給にする事で、こうした扶助費の無駄遣いを減らせる他、家賃や保護費の大半を聴取し、受給者には劣悪な環境に住まわせる一部業者の排除も期待できる。今回厚生省がお手本の一つにしたフランスでは2009年に大規模な生活扶助の制度改革が行われ、以前は、働けば働くほど生活扶助が少なくなる仕組みで、働かずに生活扶助を受ける人が増えてしまった。このため新制度では、働いた収入の6割が手元に残る様にした。また職場を提供した団体や企業に対し、社会保険料の雇用主負担を減免したり、国が助成金を支払ったりする仕組みもある。と報道されましたが、日本でも既に平成18年3月31日の厚生労働省・援護局保護課長通達で、生活保護法37条の2に規定する保護の方法の特例(生活扶助の代理納付)に係る留意事項についてと言う題名で、通達がでており、これは平成24年7月5日に埼玉宅建会館で1.30pより開かれた自民党埼玉県宅建支部幹事会で川口支部の三上豊幹事長が提供したコピーで明らかになった事ですが、通達によると、住宅扶助費は、家賃等の実額を被保護者にたいして金銭給付するものであるが、一部に家賃等の支払いを滞納する事例が見受けられるところであり、家主等とトラブルになる場合もある。このことについては、本来、家主と入居者である被保護者との間で解決されるべき問題では有るが、住宅扶助として使途を限定された扶助費を一般生活費に充当する事は生活保護法の主旨に反するものであり、住宅扶助費が家賃支払いに的確に充てられる必要がある。こしたことを踏まえて、生活扶助費について、法第37条の2を創設すると共に、改正後の生活保護法施行令第3条において、被保護者に代わり保護の実施機関が納付することをかのうにするものである。と言う通達が出ていたにもかかわらず、千葉県柏市とか埼玉県でも一部の地方都市でしか実施されておらず、我々業者も生活保護者の斡旋を避けていた事実もあり、本当に残念です。今頃フランスに学んだなどと新聞に出るなど行政の怠慢としか言いようがないのではないでしょうか?我々業者は口を酸っぱくして以前から、何回も行政に申し入れていたのに、こんな通達が有ったのなら、全市でもっと早く実施して欲しかったと思います。

 

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2030年のエネルギー政策の聴取会

2012-08-20 17:28:33 | Weblog

去る7/18の朝日では、政府は、2030年に向けたエネルギー政策を8月末に決めるため、2030年の原発の割合を0%、15%、20~25%とする選択肢3つを示し、公聴会を14日のさいたま市を皮切りに全国11カ所で開き始めた。ところが15日の仙台市では東北電力の企画部長の発言や16日の名古屋市では中部電力の課長の発言が有り、公聴会そのものが「やらせ」ではないのか?と言う批判に晒され急遽、8月4日の都内では討論型世論調査に切り替えてはみたものの、自己紹介やそれぞれの意見表明に大半使ってしまい、今回の調査が目指す熟議とはほど遠いものになってしまった。とあり、一方7/17の朝日では「脱原発」を訴える大規模な市民集会「さようなら原発10万人集会」が16日代々木公園で開かれ、集会後は渋谷等をデモ行進したと報道されました。最近の野田内閣は最初に密室での決定があり、それを正当化するための手段を尽くす行動をとる様な気がしてなりませんが、政府が全国11カ所で開いた公聴会での結果は、2030年までに原発ゼロを求める意見が7割を占めたと報道されました。ここに来て8/6の午後のNHKニュースでは首相みずからが原発0の場合の問題点の検討もするように指示したと言う発表がありましたが、国会議員も選挙の後は、すぐに国民の生活とはかけ離れた、政策や金銭感覚になってゆくのが不思議でなりません。もっと国民の声を聞く政治を行って欲しいものです。

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今年の5輪

2012-08-17 13:53:28 | Weblog

去る7/27ロンドンで幕を開けた今年の5輪、余りのめり込まないようにしょうとなるべく実況中継は避けて、後から報道される新聞やテレビを観戦して感じたことは、内村航平の体操の団体総合の銀、個人総合の金、種目別床の銀と北島康介の200平の4位とリレー400の銀でした。特に今年のオリンピックで天国と地獄を味わったのは体操の内村航平選手だろうと思います、内村選手は8/2の朝日でも報じられた通り、予選の鉄棒で落下し、団体総合のあん馬でバランスを崩しました。あのときの顔は、今まで俺は一体何をしてきたのか分からなくなったと、つぶやいたあの顔、それでも気持ちを立て直し団体は銀、個人総合では金、種目別では最高G難度の大技を封印して、のぞんだが、美しさを評価するEスコアはトップ、でもメタルは、銀メタルに終わったのですが本当にやることはやったと言うすがすがしい顔でした。一方北島選手は右肩を痛めフォームを崩していたが、男子200平泳ぎでは最初から全力で飛ばし、130㍍付近で首位を譲ると、タッチの差で立石にも抜かれ4位に終わりました。でも「康介さんを手ぶらで帰すわけにはいかない」と競泳男子400メドレーリレーに出場する松田丈志(28)入江陵介(22)藤井拓郎(27)の3選手は誓い、北島選手のスタートを皆で修正し、本戦にのぞんだのだそうです、そして男子メドレーリレー史上初の銀メダルを手にしたと報道されました。他には8/9の週刊文春での報道の様に、ロンドン5輪日本人第一号の金メダルを揚げた、柔道女子57キロ級の松本薫選手でした。谷亮子を育て、松本をスカウトした帝京大の稲田明元監督は「松本の目は他の選手と全然違った。獲物をつかみ取りに行く目だ」と言わしめたほどだちか。今回も場外に逃れ様とした相手選手を場内に引きずり戻して続けて戦かおうとする闘魂には敬服しました。果たして結果は金でした。そしてなでしこジャパンも善戦して決勝戦まで来ましたが結果は銀でした、でも選手はやるだけやったスガスガしい顔を見せてくれました。他にもメダルを取った競技にはそれぞれのドラマが有ったようですが全体的には選手の新旧世代交代も行われたと言う感じでした。余りマスコミが騒ぎすぎると選手にかかるプレシャーがひどくなり良い結果につながらないような気もしました。そして8/13には史上最多のメダルと共に今年のオリンピックは閉幕しました。

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オスプレイの飛行と竹島問題

2012-08-11 10:42:03 | Weblog

去る8/5の朝日では、オスプレイ「安全飛行確認後に飛行」というタイトルで、森本敏防衛相は、米国まで出向き3日午後ワシントン近郊の国防総省と米バージニア州カンティコ海兵基地(約50キロ)を往復。オスプレイに試乗し、「飛行が安定」しているといい、パネッタ国防長官とも会談し、日本政府に事故報告書を提供するまでは飛行しないと確約を取ったそうですが、もともと日米安保条約の事前協議の対象外なので、日本側に拒否権はないとの事で、同機の配備に関連して「今月中のできるだけ早い時期に沖縄県の仲井真弘多知事に会って説明したいと記者団に語ったとか。沖縄は米国からの返還を受けたとき基地の存在を認め、日本は安全保障条約により米国に守ってもらう立場だのに、使用する武器の事迄とやかく言える立場なのでしょうか?民主党が政権を取った時鳩山首相が沖縄県民に出来もしない基地移転の約束をしたのが悪かったのだと、反省すべきではないのでしょうか?ここにも政府内部では既に沖縄へ移転ありきというシナリオが決定済みのことであって、あとは原発再稼働の様に、国民に説明責任を取っているゼスチャーをするに過ぎない気がしてならいのです。そして昨日7/10には韓国の李明博大統領は竹島を訪問した事が問題となっていますが、日本政府は竹島は我が国の領土だと言っても、韓国は1910年に日本が武力で、韓国を併合する事によって取られてものだと思っている様だし、TVニュースを見ている限りでは、韓国はもともと自分の領土だと言って島に展望台まで作って実行支配しているのにはビックリしました。ここまで放っておいて、サンフランシスコ講和条約では、日本は朝鮮半島支配を放棄したが竹島は含まれていないと、今更言って見たところで、又今回韓国駐在の武藤正敏大使を一時帰国させ遺憾の意を表たりしてもそれ以上の対抗処置をとれない日本では、韓国にとっては痛くも痒くもないお話ではないかと思います。私はもっと国民に政府の立場を分かるように説明する、説明責任を果たす正直内閣であって欲しいと思います。でも風前の灯火となった民主党内閣に今更期待しても無理なことかも知れませんが?

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平均寿命の転落

2012-08-06 11:54:07 | Weblog

去る7/27の朝日新聞では「女性の寿命世界一から転落」と言う見出しで、日本人女性の2011年の平均寿命は27年振りに長寿世界一の座を明け渡した。平均寿命は女性85.9歳で、前年を0.4歳下回った男性は79.44歳で0.11歳みじかくなった。男女とも2年連続の低下で、東日本大震災で多くの人が亡くなった事が大きく影響した。と報道されました。男女共に香港が1位になったのだそうです。私も78歳になったので平均年齢までだとあと1年足らずの命と言うことになります。義兄は医者で80歳を超えたらもうけものだと言っていましが、79歳と11か月で他界しました。私は若い頃肺結核を患っていたので、80歳前までしか生きないだろうと思って生きてきたので、最近はますます一日一日が大切に思える様になりました。人間は誰でも身につまされなければそうした気持ちにはなれないものかと反省もしています。いずれにしてもピンピンコロリで行きたいものです。

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