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北大ボートblog

北大ボート部部員によるほぼ定期更新ブログ。

退部

2018-12-16 21:43:02 | BARATO〜茨戸〜

一年目漕手の和田です。

 

 冬練に入り、漕艇部の拘束時間は著しく減った。

 

いや、これまでが異常だったというほうが正確なのだろう。

 

週六日の練習で土日は丸つぶれ、一週間でたった一日のオフは大学で講義のある月曜日だけだったのだから。

 

我ながらによくここまでやってきたと思う。

 

しかしその程度で満足していては全国の猛者を相手に立ち回ることは難しいのだろう。

 

アスリートの世界はそれほどに厳しいのかもしれない。

 

冬練でくすぶっているようでは尚更だ。

 

大学の講義、課題、アルバイト、友人との付き合い、そんな中で週六日でトレセンに通い、鍛える日々。

 

忙しいのはもちろんなのだが、納艇する前の忙殺スケジュールに比べれば、まだ余裕を感じることができる。そんな自分に誇らしさ交じりのため息が出る。

 

「週六日も活動がある部活」というだけで十分にきついのだろうが、この冬の期間は漕艇部員としてやってきた私には少し物足りないのかもしれない。

 

要するに持て余しているのだ。ただ単に漠然と抜けの悪い日々が続いている。

 

 

二週間ほど前、一年目の左合が退部した。

 

 衝撃的だった。

 

部内の全体LINEに退部の旨のメッセージを送り、あっけなくグループを退会した。

 

その通知を携帯のロック画面で見たとたん、私の全身を途轍もない脱力感が襲い、徐々にそれは怒りに変わっていった。

 

「一言相談してくれてもよかったじゃないか。」

「毎日、日の出前から茨戸で一緒に練習していたじゃないか。」

「なんだって急にやめる必要があるんだ。」

 

漕艇部の日常は彼女が退部したその日からも滞りなく進んでいった。

 

来るものを拒まず、去る者を追わないことは普遍的な美徳なのだろう。

 

だがその光景は私にとってどこか冷たいように映った。当てつけの印象なのは明らかだった。

 

自分から去っていった者に必要以上にかまうことで幸せになる人は一人もいない。

 

それでもしっかり整理はつけておきたかった。

 

 

 三日ほど前、左合と朝の五時まで酒を飲んだ。

 

私なりの区切りだった。

 

今までの生活のことや、いろいろな決断の理由、さらにこれからのことも、たくさん語らった。

 

漕艇部で過ごした密度の濃い時間、思いの丈を語りだすともう止まらない。

 

外が明るくなるまで、話は尽きなかった。

 

 

 途中で投げ出した人間に栄光はやってこないのだろうか。

 

答えはNOだ。

 

確かにOB、OGを名乗ることはできないかもしれない。

 

しかしそんな懐の狭い定義のことを気にする必要は一つもない。

 

我々はいままでもこれからも仲間だ。部員のみんなが実際にそう思っている。

 

詳しいことは書かないが、彼女の話には納得がいった。怒りも失望もない。

 

ここで道を分けた。そしてそれぞれの新しいゴールに乾杯を。

 

彼女のこれからに期待する。なぜなら彼女を週六日で拘束するものはもう何もないのだから。

 

 

 

 

そして最後に一つ言えることは、私はまだ漕艇部の部員でいるということだ。

 

 

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つらいンゴねぇ

2018-11-05 19:33:04 | BARATO〜茨戸〜

一年目漕手の和田です。

 

「広背筋が筋挫傷しているね。肉離れの手前って感じかな」

 

引退した四年目の先輩の不動さんから言い渡されたその言葉を聞いて、私は驚きを隠せなかった。

 

思考は一瞬にして脳内を駆け巡る。

 

ーーーー新人選手権のクルーに選ばれたってのに、どうなるんだ、これかの練習はどうなる、試合に支障はないのか、、、

 

ケガの理由は簡単なものだった。背中を丸め、腰を立てて漕ぐ、このフォームの確立ができていなかったのだ。

 

不動さんにしていただいたアイシング用の氷で肩甲骨が冷える。痛い。

 

出場するはずだったヘッドレースの棄権は余儀なくされていた。

 

日に日にひどくなる背中の痛みに違和感を感じ始めたのは半月ほど前、自分に知識がないのをいいことに誤魔化し続けてきた。

 

「事なかれ主義」の毒。足音は小さいが回り始めるともう止まらない。

 

違和感が激痛に変わっていく。

 

意外なことに、一番先に頭に浮かんだのは二人乗りの艇「ダブルスカル」クルーの青木義忠のことだった。

 

どんな日の朝も日の出前から集合し、「ダブルスカル」を共に漕いだ。

 

一緒に練習しているだけのことだ。そう思っていたのが1月たった今、ボート用語である「クルー」その言葉の本当の意味が分かるようになっていた。


「何かを失って初めてその大切さがわかる」という経験は、いつだって初めてではないのだ。人生の皮肉がそこにある。

 

試合前に迷惑をかけてしまったな。本番までにケガが完治することはないにしても少しでもマシにしておこう。ここまで二人でやってきたんだ。

 

「大丈夫か、和田。」

 

背中にアイシングの氷嚢を抱えた私に青木義忠は声をかけた。

 

「筋挫傷だってよ。大きく息をしただけで痛むんだ。」

 

「そうか。」

 

「試合直前の今に、本当に申し訳ないと思っている。」

 

「そうか。」

 

「怒っているのか?。大事な時にやらかしてしまうこの俺のことを」

 

「いいや。そんなことはないさ。」

 

「できるだけのことをするつもりだ。許してほしい。」

 

「ああ。」

 

「青木、すまない。」

 

少しの沈黙のあと、彼は口を開いた。

 

「大丈夫だ。きっとうまくいく。」

 

そう語る彼の息は白く、茨戸川に消えていった。

 

 

冬が、近い。

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浜マラ~夏の訪れ~

2018-08-06 14:09:46 | BARATO〜茨戸〜

一年目漕手の和田です。

08/05(日)北海道大学漕艇部、夏の行事「浜マラソン」 通称「浜マラ」が行われました。

 

突然ですが、皆さんはこの言葉をご存知でしょうか?

 

「全ての人間は大きく二つに分けられる。浜マラをやったことのある人間とない人間だ。」

 

ご存知でしたか?僕は知りません。しかし、そんな風に思えてしまう程、過酷なトレーニングだったことは事実です。

 

浜マラが行われる前日、前々日となる金曜日、土曜日に商大戦新人4+のクルーをかけた選考が行われ、僕たち新人は、エルゴメーター1000mタイムトライアル、シングルスカル700mレースをして、その結果で新人からクルー四人が選ばれました。

 

選考はまさに死闘で、全員が死力を尽くしたことは言うまでもありません。

 

幸いなことに私はクルーに選ばれることができました。

 

選ばれたからには、先輩に、OBさんに、新トレの先輩に、ほかの同期の仲間に恥じぬよう全力で戦いぬき、必ず勝利をつかみたいと思います。(正直今から緊張しています。こわい。)

 

そのような戦いを乗り越え、筋肉痛も絶頂に達したその時、茨戸艇庫から海が見えるまでひたすら北上するというランメニュー、通称「浜マラ」は開催されることとなったのです。

 

照り付ける太陽、いつまで続くのか知れない長い道のり、すでに筋肉痛の全身。トレーニングは過酷を極めました。

 

しかし、なんとかたどり着いたゴール手前で、先輩方やマネージャーの皆さんが、

 「やりきれ!!」「スパートだ!!」

などの必死のエールを送ってくれたとき、

 「あなた方は走っていないからそんなに元気なのだ」

などという考えはまるで一切浮かばず、もう一歩踏み出そうと、無いはずの力を振り絞ることができました。

 

全員無事にゴールし、浜につくとマネージャーさんが作ってくれた美味しいゴハンを食べたり、みんなで海を泳いだり、浜でスイカ割りをしたり、それはもう大変楽しかったです。

 

どれくらい楽しかったかというと、これを読んでいるあなたが思っている2倍は楽しかったと思ってもらって差し支えありません。

 

ひととおり浜で遊んだあとは、近くにある温泉に入り、一週間の疲れを癒しました。

 

 

こんな風に充実した夏をすでに送れてしまっているということ、それはひとえに先輩方のおかげでございます。

 

この場を借りて、心から感謝を述べたいと思います。

 

先輩には本当に恵まれました。本当にありがとうございました。そしてこれからも新人一同、お世話になります。

 

 

この文章を通して、僕が本当に言いたかったことはたったの3つです。

 

一つ目は、北海道大学漕艇部の毎日の練習は僕にとっては本当に過酷であるということ。

僕に意気地がないだけのことかもしれませんが、大げさでもなく筋肉痛が無い日が無い日々を送らせていただいております。

 

二つ目は、北海道大学漕艇部に入部して本当に良かったと思っていること。

僕一人ではこんなにも一つの目標に向かって努力をすることなどできないと確信しております。

大学に入ってからもこんなに真摯になれることに感謝します。

 

三つ目は、僕はようやく「浜マラをやったことがある側の人間」になることができたということ。

もちろんそんな分類はどこにもありませんけれどもね。

一年目青木

一年目上野

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