島原半島博物日誌

島原にある某施設のスタッフが綴る非公認・非公式の個人ブログです。

ボラ供養塔

2012-03-11 13:48:01 | 歴史・史跡
ちょくちょく別の話を挟むものだから、流れが分からなくなってきます。
再び時は遡って「文化財ジオツアー」のお話し。
午前中の予定である「縄文の里」と「有明歴史民俗資料館」を消化して、いよいよお昼です。

有明町にある伊藤鮮魚店にお願いして、ジオむすび弁当を準備していただきました。
がんば(フグ)と鯛を使った「がんばっちょっとたい弁当」、美味しく頂きました。
昼食後、少しバスで海岸へ移動して、「ボラ供養塔」を見学しました。

「明治十四年(1881年)1月2日未明、石千見(すくい)には今まで見たこともないボラの大群が黒山のように重なり合って泳いでいたそうです。」
石千見とは、干潟などの遠浅の海岸に石を積み上げ、潮の干満で石積みの内側に取り残された魚介類を捕まえる漁法です。
「その量は約140トンといわれ、見物人は湯江・大野村はもとより、東は三会・杉谷村、西は土黒村より押し寄せ、警戒の目を盗んで持ち去る者も後を絶たなかったといいます。」
当時の記録では、田んぼが1反約40円で売り買いされていた時に約5000円分のボラだったそうです。
掬い出すだけでも二、三昼夜かかったとのこと。
「このボラ供養塔は、一夜にして大金持ちになった『ボラどん』こと松本栄三郎氏が感謝と供養のために建てたものです。」
解説板には“松木”と書いてありますが、“松本”が正しいそうです。
「土台は石千見の丸石で積み上げられています。
時代は移り、今では石千見も無くなりましたが、この供養塔が盛んだった当時の石千見漁を物語ります。」
石千見は強い風や波で簡単に壊れてしまうため、第二次世界大戦後の海苔養殖におされ、次第に廃れていきました。
近年、島原市の大手浜海岸で「みんなでスクイを造ろう会」が復元を行っています。

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