島原半島博物日誌

島原にある某施設のスタッフが綴る非公認・非公式の個人ブログです。

熊本ドライブ⑥佐俣の湯

2017-01-15 13:10:40 | 観光・施設
霊台橋から車で走ること約15分、道の駅「美里(みさと)佐俣の湯(さまたのゆ)」に着きました。
名前に“湯”の文字が入っていることから分かるように、敷地内に源泉掛け流しの天然温泉施設があります。

上の写真は、敷地内の足湯。
他に、地元農家が生産した農産加工品を販売する物産館や地元食材を使ったレストラン、宿泊施設もあります。
一応、物産館を見ましたが、前日にお土産を買ったばかりだったので、特に必要とするものはありませんでした。

立派な銅像があるが、誰だろう?
傍らに石碑がある、「登仙 堅志田城主 西金吾之像」?
ああ、「登仙」はタイトルか。
もう一つ解説板がある。
「堅志田城(かたしだじょう)
 堅志田城は、美里町中郷(なかごう)に所在する山城と麓集落がセットになった典型的な中世の城郭です。別名を勢田尾(せだお)城などともいい、平成18年に国指定史跡に認定されました。
 遺跡は深い谷に囲まれた山の尾根に、削平された大小の平場(郭)を、堀切・土塁・畝掘(うねぼう)などで防備し、柵列・家屋・門などの柱穴跡も確認されています。また、城下の谷の栫(かこい)集落やその周辺には、大手・蔵前・倉御殿・味噌御殿・舞ノ御殿などの地名が残り、日常生活と防衛を兼ねた空間が想像できます。
 堅志田城は、中世阿蘇大宮司勢力圏が八代の相良氏、宇土の名和氏の領界と近接する地にあり、16世紀後半の肥後南部における戦国時代の歴史に、その名がしばしば登場する城です。」
しかし、よーく地図を見ると、道の駅がある場所から南西方向の少し離れた場所らしい。
そして、像の人物は?
「西金吾(にしきんご)
 堅志田城の城主です。本名は(本名じゃなかったの!?)西左衛門尉惟安(にしさえもんのじょうこれやす)と伝えられていますが、衛門の唐の官職名である金吾の名で後世まで知られた人物です。西氏は中世阿蘇氏の奉行人を出した家柄で、16世紀後期(天文後期から永禄頃)の城主と見られます。
 古老の伝承(『拾集昔語(じっしゅうせきご)』)では、彼には並外れた力があり、大石を持ち上げ、大木をおさえ、大寺の柱をゆすり、あるいは飛行の術をつかい、山伏姿で従者を連れ、ひと飛びで諸国に出掛けたという異色の城主です。
 また、城下の栫集落の梅林神社には、西金吾自作の金吾木像が納められていましたが、焼失したため、この姿を覚えていた地元の仏師が、慶長六年(1601年)に再刻した木像が現在も納められています。」
いや、逸話が役行者じゃないですか!?
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