島原半島博物日誌

島原にある某施設のスタッフが綴る非公認・非公式の個人ブログです。

千々石史跡散策-犬丸古墳跡

2015-11-22 14:00:52 | 歴史・史跡
時間経過が前後します。
大泉寺跡を訪れた後に2、3、千々石町の史跡を巡っているのですが、掲載できる程の情報が集まっていません。
何故それが史跡に指定されたのか、解説してあるものが見つかりません。
そこで現地に解説板のあったものから先にご紹介していきます。
とは言え、今まで紹介していなかった史跡です。
まず場所から分かりません。w
なので、雲仙市千々石庁舎の雲仙市教育委員会へ寄って道を聞いてきたのですが、早速道に迷っています。(表紙写真)
とりあえず、地図を頼りに周辺をうろついてみます。

「あれ(中央に見える看板)じゃないのか?」と疑問を持ちますが、頭の中の地図と一致しません。
そうこうしている内に無人販売所を見つけました。

お、ミニトマトが1袋で100円は安い。
荷物になるのは分かっていましたが、思わず買っちゃいました。
この辺に目指している「犬丸(いぬまる)古墳」がある筈・・・。

なに・・・天野力彌翁頌徳碑? うわっ全然違う。
しかも頌徳碑って、この人が誰かって宿題まで出ちゃったよ!w
一回頭の中の地図をリセットして、迷い道の原点に戻ります。
表紙写真を撮影した場所まで戻ります。
先程は写真の左から歩いてきて、右へ歩いていきました。
今度は写真の手前から歩いてきて、正面まっすぐに歩いていきます。

ああーやっぱり、あの看板の場所だ。
ようやく「犬丸古墳跡」を見つけました。

「現在、古墳の原形はとどめていませんが、往時、この犬丸付近一帯(地名だったのか)は小さな丘陵でした。
それを里人が次々に開拓をなしていた時に、丘陵の中央部に石槨(せっかく;石棺の外枠)が土中深く埋めてあったのを発見しました。
棺は臥棺(がかん)で、長さ五尺、横三尺ほどの大きさで、中から鍔の欠けた太刀一振りと曲玉数個が出土しました。
郷民は大いにこれを敬い、この古墳を郡司かあるいは地方豪族の墓であるとして石碑を立てて「崇徳興仁」と刻み、今も大切に祀っています。
一説によれば、郡司の制度は大化の改新後のことで、犬丸古墳はそれ以前、今から一七〇〇年前頃の古墳ではないか、とも言われています。」平成十年二月 千々石町教育委員会
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