先日の「やまご湧水」のすぐ近くです。
雲仙市指定史跡「大泉寺跡」です。
雲仙市千々石町を走っている国道57号線を“上山頭”の交差点で北に曲がった所にあります。
写真のように看板が建っていますので、見つけやすいです。
数年前に「千々石断層を歩こう!」のイベントで下見の時にすでに発見済みでしたが、当時は歴史・史跡に興味が薄かったので紹介していません。
「野田名下山頭のこの一帯は、小倉名の阿弥陀寺址と同じ(温泉山満明寺の末寺址)と伝えられています。
この大泉寺は16世紀の半ば頃、伊勢信仰を謡いて廻国する伊勢御師の常宿となった寺院と言われています。
この辺りは供養塔や燈礎などが出土し、また寺院の中心部と推定される泉水跡と称するところには明応十年(1501年)銘の十三仏塔の板石が建っています。」 千々石町教育委員会 平成10年11月
雲仙市合併前の解説板です。
今、千々石町の史跡について調べているのですが、このような解説板があるものが少なく、謂れの分かるものが少ないです。
しかもあらかじめ知識がないと、この解説を読んでもよく分かりません。
阿弥陀寺址は後日掲載します。
雲仙市指定史跡「大泉寺跡」です。
雲仙市千々石町を走っている国道57号線を“上山頭”の交差点で北に曲がった所にあります。
写真のように看板が建っていますので、見つけやすいです。
数年前に「千々石断層を歩こう!」のイベントで下見の時にすでに発見済みでしたが、当時は歴史・史跡に興味が薄かったので紹介していません。
「野田名下山頭のこの一帯は、小倉名の阿弥陀寺址と同じ(温泉山満明寺の末寺址)と伝えられています。
この大泉寺は16世紀の半ば頃、伊勢信仰を謡いて廻国する伊勢御師の常宿となった寺院と言われています。
この辺りは供養塔や燈礎などが出土し、また寺院の中心部と推定される泉水跡と称するところには明応十年(1501年)銘の十三仏塔の板石が建っています。」 千々石町教育委員会 平成10年11月
雲仙市合併前の解説板です。
今、千々石町の史跡について調べているのですが、このような解説板があるものが少なく、謂れの分かるものが少ないです。
しかもあらかじめ知識がないと、この解説を読んでもよく分かりません。
阿弥陀寺址は後日掲載します。