島原半島博物日誌

島原にある某施設のスタッフが綴る非公認・非公式の個人ブログです。

雲仙-古湯

2022-02-10 09:52:32 | 雲仙
22.2.10(木) 天気;曇り 気温;3.5℃
 現在曇っていますが、この後晴れるのか雨が降るのか、見る天気予報によって違うので判断できません。


 忘れていました。極楽公園に雲仙の「古湯」と「新湯」についての解説板がありました。あまりこう言った切り口で紹介したものがなかったので、面白く思いました。
「雲仙温泉は古湯、小地獄、新湯の3つの地区に分かれ、古湯が最も古く、江戸前期の承応二年(1653年)に湯つぼが開かれました。延暦湯と名付けられたこの湯つぼが共同浴場の始まりで、多くの人々が湯治に利用しました。
 明治期に入り外国人登山の禁止令がなくなると、明治三年(1870年)に長崎から外国人が訪れ、日本人と一緒に湯つぼに入ったり、普賢岳登山を楽しみました。明治十年(1877年)以降は九州各地に在留する各国領事や宣教師、在日外国人が避暑地として訪れるようになりました。古湯地区の旅館では外国人向けの改造を加えるなど外国人受け入れ体制が始まりましたが、急増する外国人避暑客に収容力や施設が限界を来たし、明治十一年(1878年)に新たに開かれた新湯地区に外国人避暑客の多くが移行しました。
 その後、古湯地区は日本人向けの湯治場として発展し、雲仙温泉では日本人と外国人の利用する地区が明確に分かれました。
 現在、古湯地区では外国人避暑客で賑わった頃の街並み再現に取り組み、和を基調とした大正ロマン風の建物で統一されています。」
 「古湯・小地獄・新湯」の3つの地区ですが、大雑把に雲仙地獄の北側が「古湯」、地獄の南側が「新湯」となり、「小地獄」は温泉街から少し南に離れた「小地獄温泉館」や青雲荘がある辺りです。
 ちょっと前ですが、「古湯共同浴場」が改修工事を行いました。その際に「古」という字のイメージが良くないとのことで、「湯の里共同浴場」と改称しました。私的には「え〜ダメ〜?『古湯』いいじゃん風情があって〜」「地区名と名前が違うってややこしいなぁ〜」と思っています。
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