今朝、眉山のヤマザクラが咲き始めている事に気付きました。
本日の平成新山は、PM2.5と黄砂の影響でうっすらと霞んでいます。
着実に春が近づいています。
時を遡りまして、3月10日(火)熊本県に渡りました。
3月13日の記事に書きましたが、南阿蘇ビジターセンターを訪問した際の報告です。
朝二番の便で熊本港に渡り、途中道の駅「大津(おづ)」でトイレ休憩を取って、南阿蘇に向かいました。
丁度お昼時に南阿蘇に着いたのですが、飯時にお邪魔しては申し訳ないので、近くの食事処で昼食を摂りました。
それでも時間が余ったので近くを散策することにしました。
その時に行き当たった場所が、表紙の写真「高森自然公園」です。
『本地域は、阿蘇くじゅう国立公園特別地域内に位置し、阿蘇外輪山の南東部にあたります。
通称「九十九曲がり(くじゅうくまがり)」と呼ばれているカーブの多い道路(表紙写真の足下を見て下さい。)があり、沿線の桜は“高森峠千本桜”として熊本県下有数の名所の一つです。』
※さすがにこの時期は葉っぱを落としていましたが、見えている木すべてが桜だと考えると、全盛期は息を飲むほどの素晴らしさだと予想できます。
『ソメイヨシノやヤマザクラなど6000本あまりの桜が咲き誇り、麓から頂上までは標高差があるため、比較的長期にわたって桜を楽しむことが出来ます。』
また、阿蘇五岳が遠方に見える景色は最高ですね。
そんな高森峠(標高790m)の頂上付近に標柱が建っていました。
「史跡 御成山(おなりやま)」と書いてあります。
帰島してから調べたのですが、すでに史跡から外されてしまったのか、高森町の文化財にヒットしません。
仕方ないので、標柱の側面にあった記載を転載します。
『高森町から旧蘇陽町に通ずる外輪山八八二米の山を御成山といい、ここを通ずる旧道を御成坂という。
太古、景行天皇が熊襲征伐の時この頂上にお成りになったのでこの名があると伝えている。
大正の末期までこの峠の七合目に七合の小屋があり、付近には山伏塚、獅子口等がある。
阿蘇五岳、南郷谷を一望にする景勝の地である。』
景行天皇と言えば、古事記・日本書紀に記される第十二代天皇ですね。
熊襲征伐は日本武尊の所業と思っていましたが、父の景行天皇も行っていたのですね。
日本書紀で、島原を指して「あれは島なのか陸続きなのか調べてこい」と言ったのも景行天皇だっけ?
本日の平成新山は、PM2.5と黄砂の影響でうっすらと霞んでいます。
着実に春が近づいています。
時を遡りまして、3月10日(火)熊本県に渡りました。
3月13日の記事に書きましたが、南阿蘇ビジターセンターを訪問した際の報告です。
朝二番の便で熊本港に渡り、途中道の駅「大津(おづ)」でトイレ休憩を取って、南阿蘇に向かいました。
丁度お昼時に南阿蘇に着いたのですが、飯時にお邪魔しては申し訳ないので、近くの食事処で昼食を摂りました。
それでも時間が余ったので近くを散策することにしました。
その時に行き当たった場所が、表紙の写真「高森自然公園」です。
『本地域は、阿蘇くじゅう国立公園特別地域内に位置し、阿蘇外輪山の南東部にあたります。
通称「九十九曲がり(くじゅうくまがり)」と呼ばれているカーブの多い道路(表紙写真の足下を見て下さい。)があり、沿線の桜は“高森峠千本桜”として熊本県下有数の名所の一つです。』
※さすがにこの時期は葉っぱを落としていましたが、見えている木すべてが桜だと考えると、全盛期は息を飲むほどの素晴らしさだと予想できます。
『ソメイヨシノやヤマザクラなど6000本あまりの桜が咲き誇り、麓から頂上までは標高差があるため、比較的長期にわたって桜を楽しむことが出来ます。』
また、阿蘇五岳が遠方に見える景色は最高ですね。
そんな高森峠(標高790m)の頂上付近に標柱が建っていました。
「史跡 御成山(おなりやま)」と書いてあります。
帰島してから調べたのですが、すでに史跡から外されてしまったのか、高森町の文化財にヒットしません。
仕方ないので、標柱の側面にあった記載を転載します。
『高森町から旧蘇陽町に通ずる外輪山八八二米の山を御成山といい、ここを通ずる旧道を御成坂という。
太古、景行天皇が熊襲征伐の時この頂上にお成りになったのでこの名があると伝えている。
大正の末期までこの峠の七合目に七合の小屋があり、付近には山伏塚、獅子口等がある。
阿蘇五岳、南郷谷を一望にする景勝の地である。』
景行天皇と言えば、古事記・日本書紀に記される第十二代天皇ですね。
熊襲征伐は日本武尊の所業と思っていましたが、父の景行天皇も行っていたのですね。
日本書紀で、島原を指して「あれは島なのか陸続きなのか調べてこい」と言ったのも景行天皇だっけ?