島原半島博物日誌

島原にある某施設のスタッフが綴る非公認・非公式の個人ブログです。

カトリック雲仙教会

2015-03-15 11:50:59 | 観光・施設
良い写真が撮れませんでした。
札の原地区には雲仙唯一の「雲仙小学校」があります。
以前は中学校も併設していましたが、生徒数減少により現在雲仙の中学生は小浜まで通っています。

右を行けば国道57号線を小浜方面へ進みますが、少しだけ左に寄り道します。
寄り道した先には、カトリック雲仙教会があります。

キリスト教徒の迫害とか、殉教の話は不慣れなので、教会の前にあった看板から記載します。
「1627年から1632年まで雲仙地獄は英雄的な殉教の舞台であった。
 松倉豊後守重政の命令によって、島原・深江・有家・有馬・口之津の主だった信者達が雲仙で拷問を受け、三十余人が英雄的な殉教を遂げた。
 長崎奉行竹中采女正も五人の宣教師と六十人以上のキリシタンを棄教させるべく、長崎から雲仙に護送し筆舌に尽くし難い拷問をくわえた。
 アントニオ石田神父等五人の宣教師は長時間その拷問に耐えた後、長崎に戻され西坂で火あぶりの殉教を遂げた。彼等五人は1867年に列福され、殉教地としての雲仙の名は全世界に知られた。
 禁教令下に於ける幾多のキリシタンと殉教者達の血潮に染まった信仰の聖地ここ雲仙に彼等の遺徳を称えるための教会建設を熱望するカトリック信者の長い間の願いは、終戦までの時局の影響によって実現しなかったが、ローマ教皇ヨハネ・パウロ二世の歴史的訪問ご来県を機に実現した。
 福者アントニオ石田とその他の殉教者達に捧げられたこの教会は、信仰の証人たちが護送された殉教への道の傍らである札の原に建てられている。 1981年6月15日 小浜町雲仙札の原 カトリック雲仙教会」
現在でも5月に雲仙地獄の殉教碑に九州各地の信徒が集まり、殉教祭を行っています。
今年で雲仙在住も十年になろうかというのに、私はまだ一度も見たことがありません。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

片足鳥居

2015-03-15 10:39:08 | 歴史・史跡
時を少し遡りまして、2月の話しです。
前々から目星を付けていた金浜断層に沿って通った道を歩いてみることにしました。
「金浜断層」の名前で知られるジオサイトは、小浜町の海沿いにある金浜地区で見られます。

雲仙温泉街を後にします。
国道57号線に沿って小浜方面へ歩いて向かいます。

暫くは閑静な森の中を進む道です。
雲仙札の原地区近くになると、「片足鳥居」があります。

最初から片足だったわけではなく、温泉神社が四面宮と呼ばれていた頃の第一鳥居だそうだ。
文政十年(1827年)に当時の北有馬村の八木与一兵衛氏がご先祖の供養のために建てました。
慶応二年(1866年)の地震で崩壊したと考えられ、道路工事の際に片足を発見し、再建しました。
昔、雲仙が霊山だった頃は女人禁制で、女性はこれより先へは入れなかったと言います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする