陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

物語をモノガタってみる その7.

2005-10-31 22:12:28 | 
7.もういちどプロット

まず、プロットを命題によって記述してみよう(記号とか、命題とか、キライって言わずに、ちょっとだけ辛抱してください。けっこうおもしろいから)。

ルーシーがライナスに語った物語をここでも使ってみよう。

「人が生まれました。生きて死にました。」

これは
1.t1時に、「人」が生まれる(AはXである)。
2.t2時に、「人」が生きる(Aに事件Yが起こる)。
3.t3時に、「人」は死ぬ(AはX’である)。

と書くことができる。

物語が物語であるためには、不変の登場人物Aが存在することと、発端部の述語Xと結末の述語X’が何らかの関係を持つことである。(参考:ジャン=ミッシェル・アダン『物語論―プロップからエーコまで』末松壽/佐藤正年 文庫クセジュ)

あらゆる物語のプロットは、基本的にこの構造を持っている。

「桃太郎」は
1.t1時に、桃太郎が桃から生まれる。
2.t2時に、桃太郎は鬼退治する。
3.t3時に、桃太郎はお姫様とお宝を持って帰ってくる。
※t2時をさらに区切って細かく記述することも可能である。

フローベールの『ボヴァリー夫人』は、
1.t1時に、エンマが生まれる。
2.t2時に、エンマは結婚する。
3.t3時に、エンマは一度目の不倫をする。
4.t4時に、エンマは二度目の不倫をする。
5.t5時に、エンマは服毒自殺する。

ボーイ・ミーツ・ガール式のラブ・ストーリーなら
1.t1時に、AとBが会う。
2.t2時に、AとBの間に何かが起こる。
3.t3時に、AとBは結ばれる。

映画『アンタッチャブル』なら、
1.t1時に、エリオット・ネスはアル・カポネを刑務所に送ろうと決意する。
2.t2時に、エリオット・ネスのチームはさまざまにカポネファミリーと闘う。
3.t3時に、エリオット・ネスはカポネを刑務所送りにすることに成功する。

いくらでもできるが、涙を飲んで終わりにしよう。

ところが「物語」ではない「三つの石の話」を記述しようと思っても
1.t1時に、お父さんの石とお母さんの石と赤ちゃんの石がいた。

それだけなのである。

あるいはオチのない話、というのは、発端部の述語Xと結末の述語X’が何らかの関係を持たない話のことなのである。


では、歴史は果たして物語なのだろうか。

歴史としての記述は、

「×年に○○が起こる」ではないのだろうか?
命題の形で記述しようと思えば、

t1時に、Aが起こる。

これだけのはずだ。少なくともアリストテレスが想定する歴史的記述はそうなっているだろう。

ところがアーサー・C・ダントは「物語文」を

「少なくともふたつの時間的に離れた出来事を指示し、そのうちの初期の出来事を記述する」と規定する。つづいてさらに「この構造はまた、ある意味で通常行為を記述するすべての文に現れている」

と、規定し直す。

 私がかかわっている種類の記述は、ふたつの別個の時間的に離れた出来事E1およびE2を指示する。そして指示されたうち、より初期の出来事を記述する。……「三十年戦争は、一六一八年に始まった」は、戦争の開始と終りとを指示しているが、戦争の開始のみを記述している。その戦争が、それが続いた期間によってそう呼ばれているという仮定に立つと、それが一六一八年に――もしくは一六四八年以前に――「三十年戦争」と記述できるものは、おそらく誰もいないだろう。
(『物語としての歴史』)


こうして、この「三十年戦争は、一六一八年に始まった」という「物語文」によって、出来事Aと出来事Bは結びつけられ、ひとつの「出来事」を形作る。「こうした無数の物語文が相互に連関しあって形作るネットワークこそが、まさに『歴史』にほかならないのである」(野家啓一『物語の哲学』)。


さて、よたよたと進んできた拙文も、そろそろまとめに入らなければなるまい。ということで、明日は最終回なのである。うまく着地できるのだろうか。ちょっと心配なのである。

物語をモノガタってみる その6.

2005-10-30 21:25:03 | 
6.歴史を語ることは物語か?

先にあげたデイヴィッド・ロッジが、「未来を想像する」という項目で例に引いているのは、ジョージ・オーウェルの近未来小説『1984』の冒頭である。ここでこの近未来小説をもう一度見てみることは、無駄ではないだろう。

 四月のある晴れた寒い日で、時計は十三時を打っていた。ウィンストン・スミスはいやな風を避けようと顎を胸もとに埋めながら、足早に勝利マンションズのガラス・ドアからすべりこんでいったが、さほど素早い動作でもなかったので、一陣の砂ぼこりが共に舞い込むのを防げなかった。
 廊下にはキャベツ料理と古マットの臭気が漂っていた。突きあたりの壁には、屋内の展示用として大きすぎる色刷りのポスターが画鋲で止めてあった。巨大な顔を描いただけで幅は一メートル以上もあった。四十五、六歳といった顔立ちである。豊かに黒い口髭をたくわえ、いかついうちにも目鼻の整った造りだ。ウィンストンは階段を目指して歩いて行った。エレベーターに乗ろうと思っても無駄だった。いちばん調子のよい時でさえたまにしか動かなかったし、まして目下のところ、昼間は送電が停止されていたからである。この措置は憎悪週間(ヘイト・ウィーク)を準備する節約運動の一環であった。三十九歳で、しかも右足首の上部に静脈瘤性潰瘍のできている彼は、ゆっくりと階段をのぼりながら、途中で何回もひと休みをした。各階の踊り場では、エレベーターに向かい合う壁から大きな顔のポスターがにらみつけていた。見る者の動きに従って視線も動くような感じを与える例の絵柄だ。「偉大なる指導者(ビッグ・ブラザー)があなたを見守っている」絵の真下には、そんな説明がついていた。
(ジョージ・オーウェル『1984年』新庄哲夫訳 ハヤカワ文庫)

デイヴィッド・ロッジはこの冒頭の一文が「名文であるのもうなずける」としたうえで、「要するにオーウェルは、読者が意識的にしているにせよいないにせよ、すでに知っているもののイメージを喚起し、修正し、そして再構成することによって想像上の未来を描いてみせたのである」(前掲書)としている。

だが、改めてこの冒頭を読んでみると、奇妙な感覚に打たれる。過去に描かれた未来は、現在のわたしたちからみれば既に過去であり、過去形で叙述されているために、通常のフィクションといってもなんら差し障りがないものであるはずだ。事実、冷戦期の東欧、プラハの春以降のチェコ・スロバキアや旧ユーゴスラビア、ポーランドや東ドイツなど、このような雰囲気があったのかもしれない、という感じがする。

にもかかわらず、ミラン・クンデラやギュンター・グラス、あるいはアゴタ・クリストフらが描く東欧を舞台にしたフィクションにはない、独特の歪んだ感覚がある。マーガレット・アトウッドの『侍女の物語』やフィリップ・K・ディックのSF、あるいは「未来世紀ブラジル」や「ブレードランナー」「12モンキーズ」「マトリックス」などの映画に共通するのが、この歪んだ、足場のぐらぐらするような感覚なのである。

ロッジが言うように、「すでに知っているもののイメージを喚起し、修正し、そして再構成」した結果、だれもが同じようなイメージにたどりついていくのかもしれない。けれども未来を語ろうとするときの言説は、どのようなものであれ、一種の歪んだ、不安定な叙述にならざるをえないのではないか。

逆に、歴史小説や歴史に材を取った映画は、純粋なフィクションにはない共通した安定感がある。多くの歴史映画は「娯楽大作」として作られるし、たとえ悲劇的な結末に向かうものであっても、閉塞感といったものとは無縁である。

これはなぜなのだろうか。
ひとつには、歴史小説はわたしたちがその結末を知っている、ということがあるだろう。いわば動かしようのない結末という安定した着地場所があるのだから、そこへ向かうプロセスが揺らぎとは無縁なのも不思議はない。

けれども歴史を語る叙述そのものに、その安定感が起因するのだとしたら。

ここで問題になってくるのが、歴史的叙述と歴史小説は、はたしてまったく別個のものなのか、歴史はどこまで物語か、ということである。
実はこの問題、非常に古くて、かつ新しいもんだいなのである。

まず、文学についての最初(実は中国やインドではもっと古い理論があるので、正確には西欧と限定すべきだろう)の体系的概説を残したアリストテレスは『詩学』のなかでこんなことを言っている(この『詩学』という薄っぺらい書物は偉大な本であり、小辞典と称しながら索引抜きで555ページもある『言語理論小辞典』(オスワルド・デュクロ ツヴェタン・トドロフ共著 滝田文彦訳 朝日出版)で著者のデュクロとトドロフは「他のどんなテクストも歴史的重要性ということでは彼の『詩学』には比べられない」としたうえで、「ある意味では」と意味のない但し書きをつけながら、「詩学のいっさいの歴史は、アリストテレスのこのテクストの再解釈にすぎないのである」としている。ちなみになぜ「詩学」であって「文学」でないかというと、アリストテレスの時代「文学」とは「詩」であり、「詩」で構成された「悲劇」であって、「小説は近代の成り上がり者」(ジョナサン・カラー『文学理論』岩波書店)だからなのである)。

 詩人(作者)の仕事は、すでに起こったことを語るのではなく、起こりうることを、すなわちありそうな仕方で、あるいは必然的な仕方で起こる可能性のあることを、語ることである。なぜなら、歴史家と詩人は、韻文で語るか否かという点に差異があるのではなくて――じじつ、ヘーロドトスの作品は韻文にすることができるが、しかし韻律の有無にかかわらず、歴史であることにいささかの変わりもない――、歴史家はすでに起こったことを語り、詩人は起こる可能性のあることを語るという点に差異があるからである。したがって、詩作は歴史にくらべてより哲学的であり、より深い意義をもつものである。というのは、詩作はむしろ普遍的なことを語り、歴史は個別的なことを語るからである。(第九章)

 叙事詩の筋は、悲劇の場合と同様に、劇的な筋(※ミュトス=プロット)として組み立てられなければならない。すなわち、それは、初めと中間と終わりをそなえ完結した一つの全体としての行為を中心に、組み立てられなければならない。そうすることによって、それは一つの完全な生きもののように、それに固有のよろこびをつくり出すことができるであろう。
 また、出来事の組みたては、歴史の場合とは異なったものでなければならない。すなわち、歴史においては、一つの行為についてではなく、一つの時間(時期)について解明がおこなわれなければならない。その時間のなかで起こったかぎりの出来事は、一人の人間についてであれ、二人以上の人間についてであれ、取りあげられるが、それらの出来事の一つ一つが相互に関係をもつのは偶然による。というのは、たとえばサラーミスの海戦と、カルターゴー人にたいするシケリアーでの戦いは同時に起こったけれども、けっして同一の結末を目指したものではなかったのと同様に、連続する時間のなかである出来事がほかの出来事のあとにつづいて起こっても、これらの出来事から一つの結末はけっして生じないことがよくあるからである。しかし、ほとんどの詩人はこれと同じことをしている。(第二十三章)
(『アリストテレース・詩学 ホラーティウス詩論』松本仁助・岡道男訳 岩波文庫)

つまりこれによれば、詩人が語るのは、ある人がこういうことをやった、ということではなく、人間というのはこういうことをやるだろう、やるにちがいない、ということを創作するのであり、歴史は個々に起こった出来事を記述するのだということになるだろう。

ところが偉大なアリストテレスも、なんだか相当おかしなことを言っている。
まずアリストテレスは、歴史は個々の事件を語る、という。しかも、個々の事件の関係をたどって、ひとつの結末に構成するものではない、という。これでいくと、歴史とは「個々の事件を発生順に正確に記録」したものになる。これは「歴史」というよりも、「歴史年表」といっては言い過ぎか、それにしてもせいぜいのところ「年代記」にすぎない。

ところがアリストテレスを百年ほどさかのぼる歴史家、トゥキュディデスは、まったくちがうことを言っている。
『物語としての歴史』(アーサー・C・ダント 河本英夫訳 国文社)には、トゥキュディデスの言葉が引用されているので、その部分を引用してみる。

彼はその有名な著作(※『歴史』)を、以下の文章で書き起こしている。「アテナイ人トゥキュディデスは、ペロポネス人とアテナイ人がたがいに争った戦いの様相をつづった。筆者は海戦劈頭いらい、この戦乱が史上特筆に値する大事件に展開することを予測して、ただちに記述をはじめた」。彼は自分が経験しつつある一連の出来事が「意義」をもつと考え、それが語るに値する重要な物語であり、のちにそれらを物語ることができるように、ものごとを起こるがままに観察したことは明らかである。トゥキュディデスは、本当に起こったことを知るにさいし能うかぎり正確であろうとした。そしてその正確さのため、莫大な労力を費やしたと述べている。……しかし正確な説明を与えることは、彼のさらなる目的にとって不可欠の条件であったものの、トゥキュディデスはたんに正確を期するためだけに多大な労苦を払ったのではない。……トゥキュディデスの著作は、彼の言葉を借りれば「未来について理解する手助けとして、過去についての正確な知識を得たいと望む」人々に向けて書かれた。

この「歴史科学の父」(とダントは書いている)の時代から、歴史は「個別」を越えて、「普遍を語り」、「起こる可能性のあること」を語り、未来に向けて書かれていたのである。アリストテレスの歴史的認識というのは、当時から既にずれていた、と言えるのではあるまいか!?

さて、つぎに、アリストテレスのいう「すでに起こったこと」についてはどう考えたらよいのだろうか。

歴史は事実に基づいたもの。物語は虚構に基づくもの。わたしたちは、アリストテレス同様、なんとなくそのような区分を持っている。ところがダントはなんと(すいません、ちょっと疲れてます)

歴史叙述において最も典型的に生じるように見える種類の文を、分離し分析してみようと思う。私はこれらを指して「物語文」と呼ぶことにする。これらの文の最も一般的な特徴は、それらが時間的に離れた少なくともふたつの出来事を指示するということである。
(前掲書)


なんとなんと、歴史を叙述する文章が「物語文」なのだという。これはどういうことなのだろうか。


物語をモノガタってみる その5.

2005-10-29 22:38:48 | 
5.「話す」と「語る」

先日のこと。
友人との会話のなかで、「あの人ったら、語るわけ。もう、語る語る」という言葉を聞いて、非常におもしろいと思った。ここでは、「話す」と「語る」は明らかに使い分けられている。その話に出てくる「あの人」が、おしゃべりと言いたいわけではないだろう。あるいは、その「語り」の内容の特異さを指摘したかったわけでもなかったはずだ。おそらく、その人物の話し方は一般的な「話す」という行為からみたときの逸脱があった。その逸脱を指して、彼女は「語る」という言葉で表現したのだと思う。

「語る」と「話す」はどちらも人間の言語活動をあらわす言葉でありながら、その含蓄は微妙な差異を見せている。例えば、「話し合い」は日常茶飯に行われるのに対し、「語り合い」はあったとしても稀であろう。また「話が合わない」ことはあっても、「語りが合わない」という言い方は見当たらない。さらに、「話の接ぎ穂」を見いだすのに苦労をしても、「語りの接ぎ穂」を見いだすことはそもそも意味をなさないであろう。むしろ、「語り」が推敲される場面では、それが他の語りと「合う」ことや、「合わない」ことは問題とはならず、「合の手」が入ることはあっても、はなから、「接ぎ穂」は不要なのである。
 以上のことからすれば、「話す」が話し手と聞き手の役割が自在に交換可能な「双方向的」な言語行為であるのに対し、「語る」は語り手と聴き手の役割がある程度固定的な「単方向的」な言語行為と言えそうである。視点を変えれば、「話す」がその都度の場面に拘束された「状況依存的」で「出来事的」な言語行為であるのに比べ、「語る」の方ははるかに、「状況独立的」であり、「構造的」な言語行為だと言うことができる。このことは、語源的に「話す」が「放つ」に由来し、「語る」が「象る」に由来するという事実からも、ひとつの傍証が得られるであろう。
(野家啓一 『物語の哲学 ―柳田國男と歴史の発見―』岩波書店)

つまり、「話す」のではなく「語る」という言葉で彼女が表現したかったのは、その人物の話しぶりが、相手からの反応や応答をもとより期待していない、一方的なもの、おそらくどこへ行っても何度となく繰り返されるような類のものだった、ということなのだろう。

「モノガタリ」であって、「モノバナシ」ではないのはなぜか。
それはこの「語る」と「話す」のちがいにほかならない。「話す」が双方向のコミュニケーションとして、行く先を定めていないのに対し、「語る」は、筋を持った言説を述べる行為であるからだ。「物語」は、まさしく話されるのではなく、語られるものなのである。

ところで、「語る」場合はかならず過去形で話される。経験を語る場合も、歴史を語る場合も、昔話を語る場合も。そうして、ある種実験的な作品を除いて、多くの小説も、過去形で語られる。それはたとえ、未来を舞台にした作品であってもそうなのだ。


 未来についての小説のほとんどが過去形で語られるのは、一見矛盾しているように見えて、実はそれなりの理由によるものである。マイケル・フレインの『きわめてプライベートな生活』(一九六八)は未来形で始まる(「いつかあるところに、アンカンバーという名の女の子が住んでいるでしょう」)が作者はその時制を長く続けることができず、すぐに現在形に切り替えている。小説の想像の世界に入り込むために、我々は登場人物と同じ時空に身を置かねばならないが、未来形ではそれができない。過去形は物語にとって「自然」な時制なのだ。現在形ですら、何となくしっくりとこない。なぜなら、何かが書かれているということは、論理的にそれがすでに起こっていることを前提としているからである。
(デイヴィッド・ロッジ『小説の技巧』柴田元幸・斉藤兆史訳 白水社)


ここで「物語」が扱う世界が鮮明になってくる。物語が扱うのは、過去の出来事だ。
すでに起こったことだから、物語として語ることができるのだ。

それでは、単なる過去に起こった「話」と「物語」はどうちがうのだろうか。

「昨日竹林に入っていったら、ぴかぴか光ってる竹があってさ、もうびっくりしたのなんのって」
これは「話」ではあるけれど、「物語」ではない。
聞き手は「まさか、おまえ、目は大丈夫? 眼医者、行った方がいいんじゃない? 眼医者は駅前の××眼科が良いって話だけど、おまえはいつもどこへ行ってる?」と、行方を定めないコミュニケーションとなっていく。
この話が「物語」になるためには、一定の枠組みが与えられなければならないのだ。

先に引いた野家はこう言っている。

 一度限りの個人的な体験は、経験のネットワークの中に組み入れられ、他の経験と結びつけられることによって、「構造化」され「共同化」されて記憶に値するものとなる。逆にいえば、信念体系の中に一定の位置価を要求しうる体験のみが、経験として語り伝えられ、記憶の中に残留するのである。したがって、繰り返せば、経験を語ることは過去の体験を正確に再生あるいは再現することではない。それはありのままの描写や記述ではなく、「解釈学的変形」ないしは「解釈学的再構成」の操作なのである。そして体験を経験へと解釈学的に変形し、再構成する言語装置こそが、われわれの主題である物語行為にほかならない。それゆえ物語行為は、孤立した体験に脈絡と屈折を与えることによって、それを新たに意味づける反省的な言語行為といえるであろう。言い換えれば、「体験」は物語られることによって、「経験」へと成熟を遂げるのである。(引用同)

同書で野家は「語る」は「話す」と「書く」の間にこそ位置づけられるべき独立した行為である、とするのである。

物語をモノガタってみる その4.

2005-10-28 21:51:45 | 
4.出来事、プロット、こんにゃく問答

物語を聞く、あるいは読むわたしたちは、ひとつの暗黙の約束事を踏まえている。それは、「この物語は意味がある」ということである。

たとえその物語が複雑であったとしても、不明瞭な部分や、つじつまの合わないところがあったとしても、なんとか筋道をつけて理解しようとする。別の言葉を使えば、プロットを発見しようとしているのである。

「女の子が泣いた。彼は彼女の肩を抱いた」

これだけの言説を読んだだけでも、わたしたちは根拠もないのに「女の子」=「彼女」と理解し、「泣く」と「肩を抱いた」を結びつけようとする。そうして、

「女の子が泣いたので、彼は肩を抱いてなぐさめた」

という筋立て(プロット)で理解しようとする。

「女の子が泣いた。彼は彼女に『構造人類学』を渡した」

これだけでは理解が困難な言説に対しても、おそらく彼女は税込み6,930円のレヴィ=ストロースの本が買えなくて泣いていたところを、彼がプレゼントしてあげたのだろう、とか、あるいは哲学のレポートが書けなくて泣いている彼女に、これで書くといい、と渡してあげたのかな、とか、あるいは彼女は本に対して一種のフェティシズムを抱いていて、みすず書房の白っぽい表紙に慰めを見いだすのだな、とか、なんとかさまざまなプロットを用意して、この言説が一定の意味をなすように補おうとする。

ここで重要なのは、「女の子が泣く」「彼が彼女の肩を抱く」という出来事と、わたしたちが理解するプロットとは、直接には何の関係もない、ということだ。

あるいは、、「女の子が泣く」「彼が彼女の肩を抱く」という出来事を元にして組み立てられた「女の子が泣いた。彼は彼女の肩を抱いた」という言説と、「女の子が泣いたので、彼は肩を抱いてなぐさめた」というプロットも、直接には何の関係もないものなのである。

ここで話者Aがいると仮定する。
Aは自分が目にした「女の子が泣いた」「共通の友人XがガールフレンドのYの肩を抱いた」という出来事を「女の子が泣いたのを見て、彼(X)は(女の子は泣かせてはいけないと考えて)彼女(Y)の肩を抱いた」というプロットでその出来事を理解し、「女の子が泣いたんだ。で、彼は彼女の肩を抱いた」と話したとする。

聞き手Bはそれを聞いて「女の子が泣いたから、(慰めようとして)Xはその子の肩を抱いたのだ」というプロットを組み立てて理解する。

つまり、語り手の「物語」と、聞き手の「物語」は、異なるものであるケースも起こりうるわけだ。

その食い違いをもとにしたのが、落語の「こんにゃく問答」だろう。

和尚になりすましたこんにゃく屋のおやじ六兵衛が、旅の雲水と「無言の行」で禅問答をすることになる。雲水は、仏教の哲理を問う身振りをするが、こんにゃく屋のほうは、それをことごとく自分の店の売り物のこんにゃくと受け取って、さまざまな手振りで答える。
雲水の方はそれを深遠な哲理と受け取って恐れ入る、というもの。

ただし、これは落語としてはおもしろくても、現実にはなかなか起こりうるものではない。

というのも、「物語」の受け手は、つねに「これは何の物語だろう」と推定し、その都度、修正を繰り返しながら聞いている。これから何が起こるのだろう、と、期待と関心を持っているかぎり、この修正は積極的に行われる。

もうひとつ、物語や通常の談話では、コンテクストが内容を大きく規定する。たとえば「わたしの娘は男だった」というものがあるけれど、孫の話をしているふたりの女性であれば、コンテクストから切り離してみれば、論理的に矛盾しているようなこの言葉も、そういう条件のもとでの会話であれば、意志疎通は可能なのである。

あるいはその物語のジャンルも、聞き手の理解を助ける。「太郎は殺されたが死ななかった」という文章も、ホラー小説(あるいは映画)のジャンルであれば、聞き手はその物語の意図を、その枠組みに沿って理解することができる。

先ほどの例にあげたAの物語にしても、この一文だけでは誤解していた聞き手Bも、聞き手は結末を予想しながら、情報が新たに加わるごとに、修正を続けていく。

ここで話をまとめてみよう。
物語が語られたとき、聞き手が最初に耳にするのは物語の言説である。けれども聞き手はまず、ストーリーを理解しようとし、その奥にあるプロットを見いだそうとする。そうして「何についての話か」「何が起きるか」をつきとめようとする。

これが、わたしたちが出来事を物語の形で理解しようとする、ということなのである。

(この調子でいくといつまでたっても終わらないので、明日からもう少しペースをあげていきます。)





【今日のおまけ】
-----知りもしないのに適当に書いてしまうレヴュー ver0.1-------

【♪Gonzalo Rubalcaba "diz" を聴いたよ♪】

とにかく音を聴いた瞬間、ルバルカバの手のイメージが浮かんだ。肉厚の、大きな手だ。指のほうではなく、てのひらのほう。
ピアニストというのは、もちろんギタリストでも、ヴァイオリニストでもそうなんだけど、手によって音が全然変わってくる。キース・ジャレットなんかのつよい、よくしなる指が連想される音もあるし、モンクだとわたしは固い関節をイメージしてしまう(この固い関節から繰り出されるぽろぽろという音が、なんだかよくわからないけれどその音の向こうに拡がりを感じさせて、わたしはとってもすきなんだけど)。ルバルカバの場合、その音から感じるのはふっくらとした手だった。もちろん現物はどうだかよくわからない、単に音からくる印象に過ぎないのだけれど。とにかく、肉厚で柔らかくて暖かい、さわってみたくなるような、もう少し言ってしまえば、頬に当ててみたくなるような手だ。

指がどれだけ速く鍵盤を駆け抜けても、ひとつぶずつ(音が確かにそう聞こえる)際だっている音は、非常に澄んでいて、しかも柔らかく、暖かい(ときに、熱い)。柔らかさ暖かさと透明感はなかなか共存しにくいのだけれど(たとえばビル・エヴァンスの音は大変にクリアだけれど、冷たい)、ルバルカバの複雑な音は、さまざまな相反する要素を含んでいる。これは大きな、肉厚のてのひらからしか絶対に出てこない音だ、と思った。

この音の複雑さは、ルバルカバの音楽の複雑さにも相通じるものがあって、もちろん圧倒的なテクニックもあるし、そのテクニックからくる、なんとも言えない自由さもあり、聴いていて心地よい、楽しい、解放感もあるのだけれど、それだけでは言い尽くせない、一種の難解さ、みたいなものがあるような気がする。あるところまで行って、ふっと理解を拒むようなところ。簡単にわかっちゃダメ、みたいなところ。
だって、"チュニジアの夜"なんてすごいもの。わたしはアート・ブレイキーのを持ってるけれど、あんな楽しい曲がここまで知的な、一種、ソリッドな曲になってるとは夢にも思わなかった。まぁロン・カーターもそういう音を出してるんだけど。なにしろピアニッシモで終わってしまうのだもの。

とにかくこの人の複雑さはすごくおもしろいし、しばらく気合いを入れて聴こうかな、とも思う。これは"憧憬"も聴かなくては。ところで"Inner voyage"と"憧憬"は同じアルバムなんでしょうか?

ただ問題は、朝もはよから聴く音楽じゃないんだよね。夜はブログ書き終えたら、もう眠くなってるし、なかなか時間をひねり出すのがむずかしい……。

(ver.02があるのかどうなのか不明)

物語をモノガタってみる その3.

2005-10-26 22:07:35 | 
3.ストーリーとプロット

わたしたちは物語を聞くとき、ただ、まったくの受け身で話の流れだけを追いかけているわけではない。

ルーシーがライナスにした「人が生まれました。生きて死にました。おしまい」、これはどんなに短くても、物語になっている、と思う。けれど、これはどうだろうか。「むかしむかしあるところに三つの石がありました。おとうさんの石、おかあさんの石、それから赤ちゃんの石です。おしまい」(※どうでもいいけどこれはいまわたしが作りました。ここまでオチのない話を作るのは、逆に大変だった)これは、物語ではないと思う。ためしに小さい子供にしてみてください。きっと「もっとちゃんとしたお話をして!」と怒られるはず。

これはどうしてなのだろう。
わたしたちの頭の中には、ある種の「あるべき物語像」というものがあるからではないか。そうして、物語を聞きながら、この「あるべき物語像」に当てはめながら、先を推測しながら聞いているのではあるまいか。だからこそ、この「あるべき物語像」と、自分が聞いている物語が食い違うと、「これはちがう」と思うのである。そうしてこの「あるべき物語像」というのは、相当小さいうちから、つまり、物語を理解できるようになるのとほぼ同時期に、わたしたちの内側に形成されているのではないだろうか。

今回はこのことを考えてみたい。

「人が生まれました。生きて死にました」というお話と、三つの石の話はどうちがうのか。
これはストーリーとプロットの問題に関わってくる。

E.M.フォースターは『小説の諸相』のなかで「好奇心は、人間の能力のなかでいちばん下等なもののひとつです。日常生活でお気づきと思いますが、好奇心の強い詮索好きな人は、たいてい記憶力の悪い人で、たいてい頭もあまり良くありません」と書いていて、このところがたがたと音が聞こえてくるくらい記憶力の低下を感じているわたしなど、もしかしてこれはわたしのことなのだろうか、とちょっと心配にもなってくるのだが、この部分につづいて、非常に明確に「プロット」と「ストーリー」を定義づけている。

ストーリーとは「時間の進行に従って事件や出来事を語ったもの」です。たとえば、「朝食を食べ、それから夕食を食べた」、「月曜日がきて、それから火曜日がきた」、「死が訪れ、それから腐敗が始まった」というぐあいです。そして、ストーリーの美点はただひとつ、それからどうなるんだろう、という好奇心を読者に起こさせることです。)

プロットもストーリーと同じく、時間の進行に従って事件や出来事を語ったものですが、ただしプロットは、それらの事件や出来事の因果関係に重点が置かれます。つまり、「王様が死に、それから王妃が芯だ」といえばストーリーですが、「王様が死に、そして悲しみのために王妃が芯だ」といえばプロットです。時間の進行は保たれていますが、ふたつの出来事のあいだに因果関係が影を落とします。あるいはまた、「王妃が死に、誰にもその原因がわからなかったが、やがて王様の死を悲しんで死んだのだとわかった」といえば、これは謎を含んだプロットであり、さらに高度な発展の可能性を秘めたプロットです。それは時間の進行を中断し、許容範囲内でできるだけストーリーから離れます。王妃の死を考えてください。ストーリーなら、「それから?」と聞きます。プロットなら「なぜ?」と聞きます。これがストーリーとプロットの根本的な違いです。
(E.M.フォースター『小説の諸相』E.M.フォースター著作集8 中野康司訳 みすず書房)



アリストテレスは『詩学』のなかで、プロットが物語のもっとも基本的な特徴であり、良いストーリーは始め、中間、終わりを持ち、その順序にリズムがあるために喜びを与える、と言った。

最初の情況があり(人が生まれました)、変化が起こり(生きて)、変化を意義のあるものにする解決がある(死にました)。
単なる出来事の連鎖ではなく、変化や動きがなければプロットにはならないのだ。

実は、物語の聞き手は、ストーリーを聞きながら、ストーリーの向こうにプロットを見いだそうとしている。

昨日もあげた『エマ』をもう一度引こう。

エマ・ウッドハウスは端正な顔立ちをした利口な女性であり、何不自由なく暮らしていけるだけの富を有し、加えるに温かい家庭と明るい気質を併せ持ち、まさに天の恵みを一身に集めているようであった。この世に生を受けて二十一年近くの間、悩みや失望とはほとんど無縁の生活を送ってきた。(ジェーン・オースティン『エマ』)

わたしたちはこの部分を読んで思うのは、エマは間違いなく、このままでは終わらない、という予感を持つ。小説の世界について、漠然と予感を持ちながら、読み進んでいく。
つまり、プロットを推測しながら、読んでいくのである。

人の話を聞いていて、肩すかしをくらったり、こんなはなしだったのか、と失望したりする経験は、だれにもあるだろう。つまり、わたしたちは聞きながら、その話をもとにプロットを組み立てている。そのプロットと、話が食い違ったとき、わたしたちは肩すかしや、失望を味わうことになる。

プロットというのは、物語のなかにはあらわれない。読み手が、あるいは聞き手が推測したり、構築するものなのである。

(この項つづく)

物語をモノガタってみる その2.

2005-10-25 22:13:44 | 
2.何が起こったか

『極短小説』という、55語の英語で書かれたショート・ストーリーの序文で、編者のスティーブ・モスは、これまで読んだ中で一番短い物語は、「ピーナッツ」でルーシーがライナスにせがまれて話した、「人が生まれました。生きて死にました。おしまい」である、と書いている。

これが世界最短の物語であるのは、物語としての要素を満たしているからである。それは、まず語り手(ルーシー)がおり、聞き手がいる(ライナス)。

そして、物語の内容「人が生まれました。生きて死にました」という、時間に沿って語られる「何が起きるか」というストーリーがある。
これが、物語の基本的な構成要素である。

語り手、聞き手、時間軸に沿って並べられた出来事。これが物語だ。

こうしてみれば、「物語」がいたるところにあるのがわかるだろう。

わたしたちは、あるとき、ある場所で、あることを見たり聞いたりし、何らかの行動をしたりしなかったりする。多くのことがらは記憶に留まることもなく、忘れてしまう。けれどもそれをだれかに伝えたくなるような経験をしたとする。
そのときわたしたちは記憶を掘り返し、意識的・無意識的に情報の取捨選択を行い、話そうとする文脈にそって、そのできごとを並べ直し、時間軸に沿って整理している。

これは、物語にほかならない。
わたしたちがどれほどそれを「起こったことありのまま」話しているつもりでも、そこにはそれだけの「編集」がなされているのである。逆に言うと、物語の形ではなく、自分に起こったできごとを伝えることはできないのである。

エマ・ウッドハウスは端正な顔立ちをした利口な女性であり、何不自由なく暮らしていけるだけの富を有し、加えるに温かい家庭と明るい気質を併せ持ち、まさに天の恵みを一身に集めているようであった。この世に生を受けて二十一年近くの間、悩みや失望とはほとんど無縁の生活を送ってきた。(ジェーン・オースティン『エマ』)

『エマ』という長編小説の冒頭のこの文章は、この小説が始まるまでのエマについて、簡潔にわたしたちに情報を与えてくれる。
けれども、これ以外の方法で、エマを知ることができるだろうか。写真付きの履歴書を見せられたとしても、エマ・ウッドハウスが「どんな人なのか」を、これ以上に理解することはできないだろう。

あるいは、わたしたちはその時、体験していながらも、自分では知ることができなかった部分も、物語として聞かされることで、自分たちの体験のなかに織り込むことができる。
以下は主人公の女性が事故にあったできごとの描写である。

彼はちょうど、……ちっぽけなトラックを追い越そうとしていたので、わたしの方を見向きもしなかった。ちょうどそれを追い越したところで、突然猛烈な爆発が車全体を空中に投げとばしてしまった。わたしはハンドルがジェイムズの手からちぎり飛ばされたのを見たが、それから目をつぶってしまったにちがいない。(マーガレット・ドラブル『滝』)

事故の最中はこのように何もわからなかった「わたし」も、後に事故のあらましを理解する。

わたしたちは、後になって教えられたのだが、大型トラックがおとした煉瓦の上に乗り上げ、ジェイムズの側の前のタイヤがふっとばされたのだ。この衝撃の力で彼の手がハンドルからはずれた――事故の際、わたしの目に入ったことはただ一つ、手をはなす直前の彼が必死にハンドルを掴んでいる姿、その手首や手の節々の盛り上がりだった。――そこで車が急に右に曲がり、そのまま車線を区切っている細い草の生えた分離帯を突っ切って、道の反対側の一本の木に突っ込んでとまったのだ。物凄い勢いで木にぶつかったから、前のドアは両側とも開いてしまい、ジェイムズは外に投げ出された。


もちろんこれは小説の一部ではあるけれど、実際にこうしたできごとは数多く見ることができる。物語は、単にフィクションにとどまらない。わたしたちが「事実」と思っている領域にも及ぶのである。

わたしたちは「物語」を使わずして、過去の経験を語ることはできないし、過去の「出来事」も語ることはできない。

ならば、歴史はどうなるのか。
実は、歴史も「物語」なのである。

「1914年6月28日にボスニアの首都サラエボでセルビア人青年プリンツィプがオーストリア・ハンガリー帝位継承者フランツ・フェルディナント大公を暗殺するという事件が起こった。この一発の銃弾が、四年間、三十二カ国を巻き込んだ、人類史上初の大戦となる第一次世界大戦開戦のの口火を切った」

わたしたちは通常この文章を事実を、「歴史的な記述」と考えて、「物語」であるとは思っていない。けれども1914年6月28日の時点では、この文章を語ることはできないし、もうひとつ、この文章が語られうるのは、少なくとも戦争が終結した1918年以降のできごとでなければならない。

つまり、あるできごとは、それ以降に生じた別のできごとと関連づけられて、初めて意味を獲得する、ということなのである。
歴史は、物語にそって解釈されるものなのである。

いたるところにある「物語」。
フランク・カーモードは『終わりの意識――虚構理論の研究』(国文社)のなかでこういった。時計がチック、タックと音を立てるのは、わたしたちが物理的には同一の音を区別して、「チック」を始まり、「タック」を終わりとする「プロット」として聞いている、わたしたちはそうすることで「時間を人間化する構成法であると考える」。
なんとわたしたちは時計の音まで「物語」として聞いているのである。

(この項つづく)  

物語をモノガタってみる その1.

2005-10-24 21:37:26 | 
1.あなたはだれですか?

大学の寮にいた頃、とある上級生からよく合コンに呼ばれた。アルコールがまったくダメなわたしは、参加してもおもしろくもなんともないのでいつも断っていたのだが、それでも一度、つきあいで出たことがある。相手は教養課程を終えて専門課程に進んだ医者のタマゴたちだったのだが、「ボクはセンター試験では数学と物理と英語で満点だった」と自己紹介されてほんとうに驚いた。

一年生の四月ならまだわかる。大学に入って三年目なのに、まだそんなことを言っているのが信じられなかった。すると、それを聞いたもうひとりが、「おれもそうだった。×年の数学は、その前年が易しすぎたぶん、難易度が増して、点数が取り辛い問題だったんだけど(以下略)」と言いだし、さらにほかの人間も加わって、すっかり点数の話で盛り上がってしまったのだった。

確かに合コンに参加した以上、相手の所属大学はわかっている。名前も知っている。将来は医者になる、ということもわかっている。そうして、それ以外に自分を語る「言葉」が、まずなによりも、何年も前に受けた試験の点数である、というのは、ものすごい話だな、と思ったのだった。

とはいえ自分がだれなのかを説明するのは、決して簡単なことではない。
ためしにやってみてほしい。

心理学方面に「20答法」というのがある。一種の「心理テスト」に近いものなのかもしれない。
ともかく、わたしは……である、という文章を二十作ることで、自分自身のアイデンティティにアプローチする、というものらしい。

たとえば、私は学生である、と書いてみたとしよう。けれども、塾でバイトをしていれば、生徒に対しては「先生」であり、塾の経営者に対しては、「バイト」である。家に帰って親の前に出れば「子供」であり、そこからコンビニに行けば「お客」となり、ボーイフレンドからメールが来れば「彼女」、その相手との関係が微妙になれば、「わたしってほんとうにカノジョなの?」と悩む。つまり、他者との関わりと、自分が活動する場面を抜きに、自分は語ることができないのだ。
この場面と相手によってさまざまに変わっていく「○○」をすべて集めると、自分はすべて覆いつくされるのだろうか。

そうではないだろう。試しに「わたしは優しい」と書いてみる。常に優しいか? 「優しくなかった」行動の経験はないか? わたしは内気である。常に内気か? 内気であるはずの自分が、意外なほどの積極性を見せた過去の出来事はなかったか? こうした「性格」を表す言葉も、決して「わたし」を覆い尽くすことはできない。
それはなぜなのだろう。

 言論者であり行為者である人間は、たしかに、その「正体」(who)をはっきりと示すし、それはだれの眼にも明らかなものである。ところがそれは奇妙にも触れてみることのできないもので、それを明瞭な言語で表現しようとしても、そう言う努力はすべて打ち砕かれてしまう。その人が「だれ」(who)であるか述べようとする途端、私たちは、語彙そのものによって、彼が「なに」(what)であるかを述べる方向に迷いこんでしまうのである。つまり、その人が他の同じような人と必ず共通にもっている特質の描写にもつれこんでしまい、タイプとか、あるいは古い意味の「性格」の描写を始めてしまう。その結果、その人の特殊な唯一性は私たちからするりと逃げてしまう。
(ハンナ・アレント『人間の条件』志水速雄訳 ちくま学芸文庫)

自分なり、親しい人なりを、知らない人に説明しようとして、なんとももどかしい思い、アレントが言うように、言葉が「するりと逃げてしまう」経験、言葉を費やせば費やすほど、その人の「唯一性」がどこかへいってしまい、ありきたりの人の描写になってしまう経験は、わたしたちだれもにあるのではないだろうか。

さて、それはどうしてなのだろう。
もう少しアレントに説明してもらおう。

ある種の事物は名称をつけることができるから、その本性を意のままに扱うことができる。ところが、活動と言論の中で示される人間の「正体」(who)は言葉で表現できないために、人間事象をこのように取り扱うことは、原理上不可能なのである。

わたしたちはさまざまなことをするし、他者に対して、さまざまな話をする。そうした行動はすべて、わたしたちが「だれ」であるかを反映したものにはちがいない。けれどもこの行動にしても、話にしても、ある場で他者に向けて、なされ、話された言葉であって、そうした場や、相手から切り離すことはできないのだ。

では、その人が「だれ」であるかを知る手段はないのか。

他人と異なる唯一の「正体」(who)は、もともとは触知できないものであるが、活動と言論を通じてそれを事後的に触知できるものにすることができる唯一の媒体、それが真の物語なのである。その人がだれ(who)であり、だれであったかということがわかるのは、ただその人自身が主人公である物語――いいかえればその人の伝記――を知る場合だけである。その人について知られるその他のことは、すべてその人がなに(what)であり、なにであったかということを語るにすぎない。

わたしたちは、自分自身や他者を「物語」で理解しているのだ。

では、この「物語」というのは、いったいなんなのだろう。
明日はこのことについて考えてみたい。

先日の出来事

2005-10-23 21:57:18 | weblog
【先日の出来事】

先日図書館の検索端末機の列に並んで、前の人が終わるのを待っていた。
おそらくレポートを書くのだろう、女子学生ふうの女の子が、印刷された紙をにらみながら、むずかしそうな顔をしている。

『楡の木陰の欲望』

これは岩波文庫だ、文庫の海外文学の棚ではなく、戯曲の棚にある。
検索するまでもなくわたしは知っているのだが、こういうとき、聞かれもしないのに自分から教えてあげる、ということがわたしはできないのだ。

ところがこの女の子は検索子を入力しようとしない。
ため息をつくばかりで、後ろに並んでいるこちらを気にしているようだ。
わたしはピンときた。「楡」が読めないのだ。おそらく北杜夫の『楡家の人々』もよんだことがないのだろう。

彼女が読み方を思いつくまで待っているわけにはいかなかったので、「すいません」と、思い切って後ろから声をかけた。

「ごめんなさい、のぞき見するつもりじゃなかったんですけど、その持ってらっしゃる紙が見えたから。ユージーン・オニールの『にれ(この言葉にアクセント)の木陰の欲望』なら、×番の、戯曲の棚にありますよ。オニールだから、シェイクスピアのちょっと前あたり。岩波文庫の薄い本だから、見つけにくいかもしれないけど、貸し出しされてなかったら、そこにありますから」

女の子は「ありがとうございます」とこちらに頭を下げて、端末を譲ってくれた。

図書館の棚というのは、自分が良く行く分野であれば、読んだことがない本でも、背表紙とはすっかりなじみになっているものだ。わたしが行くところは比較的動きが少ないということもあって、どこに何があるか、たいがい頭に入っている。

こういうとき、自分の記憶力というのは、なかなか捨てたものではないな、という気になってくる。

ところが、わたしの記憶力、というのは、どうやら局所的にしか働かないらしいのである。

わたしのカバンの中やポケットから、しばしば正体不明のメモがでてくる。今日、夏物のスーツをそろそろクリーニング屋に持って行かなくてはいけないな、と思って、ポケットを確かめていると、そこから「クリーニング:夏物のスーツ」と書いたメモが出てきた。おそらく、それはそろそろシーズンも終わるから、クリーニング屋に持っていこう、と思って、そのメモを書いたにちがいないのだ(書いた記憶はおぼろげにあるような……)。だが、いったいどうしてそんなものがそんなところに入っているのだろう(入れた記憶はまったくない)。少なくとも、どこに入れるにしても、スーツのポケットに入れてはいけない。

メモを作るようになったのは、二週間近く単4の乾電池を買い忘れる日々を続けてしまったためだ。毎日、明日こそ買ってこよう、と決心して、そのたび忘れて帰り、休みの日はまったく思いつかず、いよいよどうしようもなくなって、近所のドラッグストアに閉店二分前に駆け込んで、買ってきたのだった(「もう、レジ閉めたんですけど」、と思いっきり迷惑そうな顔をされた)。

どうもこういうことは、頭にまったく残らない。これではいけない、必要なことを忘れないようにメモしておこう、と決心したはずなのだ。

だが、クリーニング屋に持って行かなくては、というメモを、持っていくべきスーツのポケットにしまってしまう。自分自身の行動に、まったく理解不能な部分を発見してしまう、というのは、相当におそろしいことである。
記憶力の問題、と片づけて良いのかさえ、不安な今日このごろである。


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明日から新しい連載が始まります。
お楽しみに。

今日はちょっと疲れています

2005-10-21 22:43:57 | weblog
まぁいろいろうっとうしいことがありまして(もちろんそのなかで、良いこともあったのですが――まさにこれこそSe a vida e, that's the way life is)、ちょっと疲れています。

こんなこと書くぐらいだったら、とっとと寝たほうがいいような気もするのですが、せっかくのぞきに来てくださった方に申し訳ないので、へたった頭をふりしぼろうかと思っています。

その昔、ハタチを越えてちょっとぐらいだったころ、教えてもらっていた先生が、学生に聞きました。
「みなさん、この間、選挙に行きましたか」
おそらく十五、六人、学生がいて、三分の二くらいが女の子だったと思うんですが、ほとんどだれも行ってませんでした。
「なんで君たちは投票に行かないんですか」
「入れたい人がいないから」わたしはたぶんこう答えたように思います。

そのとき、先生はこう言われたんです。
「入れたい人がいなかったら、白票を投じるんです。そうすることによって、それがあなたの政治的意思表示になります。選挙に行かないことは、意思表示ではありません。政治的民主的諸権利の放棄にほかなりません」

それからわたしは選挙に行くことに決めたんですけどね。
まぁ、いろいろあるわけですが。

今回の選挙、なんていまになって言うのも、ずいぶん間が抜けた感じなんですが(笑)、頭が疲れてるので、だらだら書いてます。

よく新聞に書いてあったのが、若年層が「多数派」の一翼を形成したくて、自民党に投票した、ということでした。それが正しいのかどうなのか、わたしにはよくわかりません。
ただ、そうした流れ、多数派の側につきたい、みたいな心情的傾向が、いまや主流派を占めてるのは、なんとなく感じます。で、他人が右向いてたら、とりあえず左が向いてみたくなるわたしなんか、ちょっとキモチガワルイ感じがします。

何かね、景気が悪い、って言われ出して、ずいぶんになりますよね。モノが売れない、売れなきゃ景気はいつまでたってもよくならない、なんて物言いも、耳にタコができるほど聞かされてきました。

だけど、そういうなかで、ヒット商品っていうのは出てくるわけです。いま何が「ヒット商品」なんだか、世間に疎いわたしは、てんで知らないのだけれど、多くは「何でこんなもの」というような気がする。少なくとも、わたしがほしくなるようなものじゃないです。売れてる本、本屋で平積みになってる本なんかでも、間違っても手に取ろうというような本ではない。

「そんなもの、ほんとにほしいの?」
売れる、っていうのは、買う人がいるから売れるわけで、いちどそういう人に聞いてみたいと思います。

以前CDを売るために、制作会社が買い占めちゃう、そうすることで「売れている状況」を人工的に作り出して、そうすることでヒットを産みだす、っていうのを読んだことがありますが、人が買ってるものを「とりあえず」聞いてみよう、読んでみよう、っていうメンタリティが、わたしにはよくわからない。

とりあえず売れるもの、というのは、マーケティングとかそういうもので、わかるのかもしれません。そうすると、そこでもんだいになってくるのは“いいもの”ではなくて、“多くの人がほしがるであろうもの”、なわけです。

極端に言えば、なにが多数派か。
みんなが一種のマーケッターになって、これをみんなが考えている、っていうのが、いまの世の中なんじゃないか、っていう気がします。
自分がなにがほしいか、じゃないんです。みんながほしがるものは、なにか。

みんな、というのは、結局は、他人です。他人がなにをほしがっているか。そうして、この「他人」と「自分」を、曖昧に同一化して、自分も「多数派」の一翼に組み込んでいる。

ここでは、他人なんて、批判できません。批判なんかしちゃうと、自分と他人を曖昧にいっしょくたになんてできません。ゆるやかに認めて、自分と一体化させちゃうわけです。

だから、なんでそんなゴミみたいなものがほしいの? って言っちゃったら、ダメ。そんなこと言うと、景気はまた悪くなるし、景気を良くするためにも自分が多数派になっちゃったほうがいい。

そんな気分が象徴的に現れたのが、こんどの選挙だったような気がします、って、だれかきっとこんなこと、言ってるんだと思いますが。

他人っていうのは、批判してもいい、と思います。批判することで、逆に自分のほしいものや、考え方が、はっきりしてくる。もちろん、批判する人は批判されるわけですから、自分に対する批判は引き受けていかなきゃならない。
だけど、そういうことをしていかなきゃ、言葉はどんどん無力になっていきます。

とりあえずは、「流行のチェック」をやめるところあたりから、始めてみませんか、って、「マツケンサンバ」の書き込みが、コメント欄であるまで、その「マツケン」が人の名前だってわからなかったわたしが書いたって、ちっとも説得力がないんですが(笑)。

ということで、明日は更新します(笑)。