陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

トルーマン・カポーティ「クリスマスの思い出」その1.

2009-11-30 23:05:01 | 翻訳
季節ものということで、今日からトルーマン・カポーティの「クリスマスの思い出」の翻訳をやっていきます。一週間ぐらいを目途にしていますので、まとめて読みたい人はそのころにまた来てください。

原文はhttp://msnoel.com/In%20Cold%20Blood/A%20Christmas%20Memory%20-%20Capote.docで読むことができます。


* * *
A Christmas Memory

By Truman Capote


その1.

 ある朝、十一月も終わろうとするころのことだと思ってほしい。冬に近い朝、二十年以上も前のことだ。田舎にある広くて古い家の台所だと。ひときわ目立つのは、黒い立派なかまどだ。もちろんそこには大きな丸いテーブルもあるし、暖炉もあって、その前には揺り椅子がふたつ並んでいる。ちょうどこの日から、暖炉はこの季節ならではのうなり声を上げはじめた。

 白くなった髪を短く刈りこんだ女がひとり、台所の窓辺に立っている。テニスシューズを履いて、夏物の更紗のワンピースの上に、よれよれのグレーのセーターを重ね着している。小柄で元気がよくて、小さなメンドリのような人だ。ただ、若い頃、長いこと病気をしていたせいで、背中が気の毒なくらい曲がってしまっている。なかなか立派な面立ちで、いささかリンカーンを思わせるようないかつい顔は、日差しと風にさらされた色合いをしているが、同時に繊細でもあり、骨相は上品だ。淡い褐色の目は、引っ込み思案であることをうかがわせる。「おやおや」と興奮した声があがる。「フルーツケーキ日和だねぇ」

 彼女が話しかけているのは、このぼくだ。ぼくは七歳で、彼女は六十いくつか。ぼくたちは親戚、それもひどく遠縁の親戚に当たるのだが、一緒に暮らしていた――そう、ぼくが思い出せないころの昔から。この家にはほかにも住んでいる人がいた。みんな同じ一族だ。だが、その人たちはぼくらを押さえつけていて、ときには泣かされたりもしたものだが、ぼくらの方はだいたいのとき、眼中にさえ入れてなかった。ぼくらは互いに親友なのだ。彼女はぼくのことを「相棒」と呼ぶのだが、それは昔、彼女の親友だった男の子のことをそう呼んでいたからだ。その「相棒」の方は、1880年代、彼女がまだ子供だったころに亡くなっていた。まあ彼女はずっと子供のままなのだが。

「ベッドの中にいたときから、もうわかってたんだ」彼女はそう言うと、窓から目を離してこちらを振り向く。その目はひたむきな期待に輝いている。「郡庁舎の鐘が、冷え冷えとしてくっきり聞こえたんだもの。それに鳥が一羽も鳴いてなかった。暖かい国へ飛んでいっちゃったんだろうねえ。うん、そうにちがいない。さて、相棒、パンを口の中に詰め込むのはもうよしにして、あたしたちの荷車を、引っ張ってきてちょうだい。あたしの帽子を探すのを手伝って。これから三十本、ケーキを焼くんだからね」

 いつもこの通りなのだ。十一月のある朝がやってくると、ぼくの親友は、気持が高揚し、胸の思いが焚きつけられるクリスマスの時期が今年も始まる、と公式に宣言するがごとく、こう告げるのである。「フルーツケーキ日和だねぇ、あたしたちの荷車を引っ張ってきてちょうだい。あたしの帽子を探すのを手伝って」

(この項つづく)


サイト更新しました

2009-11-29 22:36:46 | weblog
サイトに「狐のようで獅子のようで犬のよう ――たとえ話の動物たち」をアップしました。書き始めたのはずいぶん前だったのですが、書き上げるまでにものすごく時間がかかってしまいました。

動物のたとえというのは、わたしたちにとって大変身近なものですが、それはどうしてなのか、わたしたちはどうして動物にたとえるのだろうか。そんなことを考えてみました。おもしろいかどうかは定かではないのですが、またお暇なときにでものぞいてみてください。

明日からまた翻訳を始めていきます。
お楽しみに。

http://f59.aaa.livedoor.jp/~walkinon/index.html

「ポールの場合」を少し改めました

2009-11-27 23:36:37 | weblog
マンスールさんからご指摘をいただいた「ポールの場合」、読み返してみたら、あちこち気になるところがあったので、手直ししました。気がつくか気がつかないかぐらいの変更なのですが、始め出すと気になって、かなり時間がかかっちゃいました。

ご指摘のあった Roman blanket、これは結局「イタリア製毛布」としました。あれやこれやの可能性はあったのですが、どれも決定打に欠ける、そういうときは基本に戻って、一番シンプルな訳にすることにしました。
Roman という言葉によって、どこかに古代ローマを響かせようとしているのだと思うのですが、「ローマ製」という言い方はしないと思うんです。「イタリア製毛布」という言葉から受ける、なんとなく高級な感じ。いまはあまり言わないと思うのですが、かつての「舶来物」という言葉にこめられたあこがれのようなものが、「イタリア製」という言葉には、まだあるかなあ、と思って。

問題の "the immense design of things" ですが、マンスールさんのご投稿にもあったリンク先を参考にさせていただいた結果、「あらゆるものの源である果てしのない場所へと還っていった」としました。design of things を「源」と言えるかどうか、結構微妙なところなのですが、また引き続き考えていくこととして、今回はここらあたりでいったん納得しようかと思っています。

振り返ってみると、やっぱりヘタで(笑)、ヘタと思えることは、当時にくらべて少しは力がついているということなのかなあ、と自画自賛しておくことにします。

だけど、このポール、ほんとにいまに通じるものがある。
もっと読まれていい短篇だなあと思います。

興味のある方はまた読んでみてください。

http://f59.aaa.livedoor.jp/~walkinon/paulscase.html

マンスールさん、ご指摘どうもありがとうございました。
訳し直しもしたいと思っても、なかなかその機会がない。こうやって、少しずつ良いものにしていきたいと思います。

どうかここをお読みになってくださってる方、おかしい場所があったら、これからもどんどんご指摘お願いします。


イヌに似た人、人に似たイヌ

2009-11-26 22:41:47 | weblog
いまわたしが住んでいる集合住宅は、前とはちがってペット可のところである。いったい何軒ぐらいがペットを飼っているのか知らないが、小型犬を抱いて歩いている人をときおり見かける。みんなが抱いているのは、建物のなかは歩かせないこと、という決まりでもあるのだろうか。

それを見ていると、どうも抱かれているイヌと、抱いている飼い主が、似ているような気がしてしょうがないのだ。今日会った人などは、イヌと飼い主がまったく同じ、斜め下から見上げるような目つきでこちらを見るので、笑ってしまいそうになった。

イヌの方が飼い主にならって同じ仕草をするのか、身近でイヌと生活していると、何となくその仕草がうつってくるのか定かではないが、どうも飼い主にそっくりなイヌ、イヌそっくりな飼い主の例は、思い返すといくらでも出てくるような気がする。

これを見ていて思い出したのは、H.G.ウェルズの『モロー博士の島』という小説である(手元に本がないので、昔読んだ記憶だけで書いているので、ちがっているかも知れない)。

海で遭難した主人公は、孤島でたったひとり研究を続けている科学者に助けられる。その科学者はどうやら、かつてイギリスを追放されたモロー博士らしい。

主人公はやがて奇妙な島民たちに気がつく。どうも人間というより動物に近い彼らは、モロー博士によって、生体実験の実験台にされているのではないか、と主人公は疑念を抱くのだ。

だが、手術中の獣人にモロー博士が殺されてわかったのは、モロー博士が試みたのは、動物を改造して知性を伸ばし、人間に近づけることだった。人間を獣化しようとしたのではなく、逆に獣を人間化しようとしていたのである。

主人公は最後にロンドンに戻るのだが、自分の周囲を見渡して、妙に獣じみた人が多いのにゾッとする、というところで終わっていた。

ちょうどこの本を読んだころ、「カエル」と陰で呼ばれていた先生に生物を教わっていたので、その先生のことを思いだしたものだ。主人公があの先生を見たら、人間化させたカエル、あるいは、カエル化した人間、と思うのだろうか、と思ったのだ。

H.G.ウェルズは、おそらく進化論のようなものが念頭にあって、このような作品を書いたのだろうが、実際のところは、カエルっぽい顔の人や鳥っぽい顔の人、魚じみた顔に、サルを思わせるような顔……そんな顔を見たことも、この作品の根っこのところにあるのではあるまいか。

そういえば、サキの短篇にも、飼っているペットによって性格の変わっていく人物を主人公にした作品があった。つきあう相手によって、雰囲気が変わる女の子がいるように、ペットによって性格が変わる人がいてもおかしくない。そのように考えていくと、飼っているイヌに飼い主が似てくることも、ありうるのかもしれない。

もっとも、ウェルズの短篇の最後に出てくる動物を思わせる人びとが、みんなそんなペットを飼っているわけではないのだろうが。

キンギョを飼って久しいわたしも、すでにキンギョにずいぶん似てきているのかもしれない。


なぜわたしはそちらの側ではないのだろう

2009-11-23 22:49:01 | weblog
昨日も書いた『ザ・ホワイトハウス』の第十回「聖なる日」というエピソードの話のつづき。

そのなかで、広報部長であるトビーが、亡くなったホームレスの弟を探し当て、お兄さんが亡くなった旨を伝える。そうして、いったん帰りかけて、思い直して、君のお兄さんは軍人として軍隊式の正式な埋葬をしてもらう権利がある、こんなことは差し出がましいのだが、とためらいながら、"I'm a powerful person..." と言い、だから自分に葬儀の手配をさせてほしい、と伝える。

このときのトビーは、ホームレスで、知的障害がある相手に対して、自分に権力があることを恥じていた。それを演じている役者も、その「恥じる」感覚を理解した上で、過不足のない演技をしていたために、大変心に残るエピソードになっていた。

自分が相手より力があることを恥じるという気持は、よくわかるような気がした。
それにしても、劣っているから恥じるのではなく、相手より上位にあるから恥じる、というのは、いったいどういうところから来るのだろう。

こんな経験はないだろうか。
中学生か高校生のころ、何かの大会に出場して賞を取った。全校生徒の前で表彰される。確かに誇らしい気持がないわけではないのだが、恥ずかしい気持の方が強い。表彰などしなければいいのに、と思ってしまう。
あるいは。
テストが終わって、全然できなかった、と落ち込んでいるとき、クラスメイトに点数を聞かれる。まあまあだった、と喜んでいる相手の点数が、自分の点数よりかなり悪かったりしたとき、なんともいえない後ろめたい思い、思わず自分の答案を隠したくなるような気がしたことは。

自分より相手が上にあるときは、力一杯ふるまうことに何の抵抗もない。まだまだ、と押さえつけられれば、悔しいけれど、闘志も湧いてくる。ところが逆に、自分の方が上位であることがわかってしまうと、急に後ろめたい気持になって、自分ができるということを隠したくなる。

将棋や囲碁で、自分の方が圧倒的に強いことがわかる。手加減するのが相手に対して失礼だということはわかっている。それでも、自分が力を出し切って、相手を完膚無きまでに叩きのめすことはしたくない。どうしたらいいのか。なんともいえない恥ずかしい思いに、いたたまれなくなる。

謙虚などとは無縁の感情だ。ただ、力があることが恥ずかしい。
おそらく人が自慢したり、自分の持つ力を誇示してはばからないときというのは、その人がたまたま権力欲が強い人だから、という側面も、まったくなくはないのだろうが、それ以上にその人が、自分の力を心底、信じられないからなのではないのだろうか。信じられないから、人に認めて欲しい。そのたびに確認が必要なほど、その力はその人のものではないということなのだろう。

ホワイトハウスの広報部長であり、国内政策担当大統領補佐官のトビー・ジーグラーが同僚と共に、ホワイトハウスで公務に当たっているとき、当然彼は恥ずかしさを感じたりはしない。ホワイトハウスでの上級職員という集団の一員として、自分を位置づけ、それにふさわしい、責任を持った行動をしている。

だが、その彼が、ホームレスの男の前に立つとき、トビーは「ホワイトハウスの広報部長」ではなく、単に、「亡くなった兄と何らかの関わり合いのあった男」として、相手の目にさらされる。そのとき、トビーは自分自身を相手の目で見直したのだ。

戦争に行かなかった男。たまたま、戦争に行かなくてすんだ。うまく逃れた男。

確かに人は、生まれる時代を選べない。生まれる場所も、両親も選べない。だが、その偶然によって、人の生涯は大きく左右される。自分がなぜここにいて、なぜあそこにはいないのか。自分が単にうまく逃げたからではないのか。うまいこと立ち回っただけだったからではないのか。そうしなかった彼だから、寒い日にナショナル・モールで夜明かししようとして、そのまま亡くなったのではなかったか。

トビーが感じた恥ずかしさは、おそらく一種の罪の意識だろう。感じない人もいるかもしれない。どうしようもないことではないか、と、切り捨ててしまえるものなのかもしれない。それでも、「いま自分がここにいること」は、単なる偶然の積み重ねでしかなかったことに気がついたとき、「うまくやった側」にいる人は、そうでない側の人に対して、羞恥と同時に罪の意識を抱くのだろう。

自分にこれができるのは、それは努力したからだ、と胸を張って言える人は言えばいい。けれど、努力することすらできなかった人、スタートラインにすら立てなかった人がいることを、時には思い出した方がいい。自分の「努力」なるものが、さまざまな偶然の積み重ねのなかでいかにちっぽけなものだったかがわかるだろう。
同時に、何かができない人をバカにしたり、軽く扱ったりすることが、まったく根拠のないことであるか、ということも。



身体も含めて人間ならば

2009-11-22 23:20:47 | weblog
『ザ・ホワイトハウス』というアメリカのドラマを、ちょっと前から少しずつ見ている。架空のバートレット大統領を支える「ベスト・アンド・ブライテスト」の人々のドラマである。

まだ第一シーズンと第二シーズンの半分ほどしか見ていないのだが、その中のひとつ、クリスマスの回のエピソードが気になった。

ホワイトハウスの広報部長であるトビー・ジーグラーのもとに、警察から連絡が行く。ワシントンのナショナル・モールのベンチで亡くなっていたホームレスとおぼしい人物のポケットに、トビーの名刺が入っていたのだ。どうやら凍死したらしい。その男はトビーが救世軍に寄付したコートを着ていたのである。亡くなった男の腕には朝鮮戦争に従軍したことを示す入れ墨があった。トビーは男の近親者に連絡を取ろうとする。

その男には同じホームレスの弟がいた。弟は、知的障害があって、事態がいまひとつ飲み込めていない様子である。そこでトビーはそのホームレスの男を「戦没者」としてアーリントン墓地に正式に埋葬してやろうと考える。

葬式には、ホームレスの弟と、公園で生前の姿を何度か見ていた元軍人である売店の男、そうして大統領の秘書を務める、子供をふたりヴェトナム戦争で亡くした女性が参列する。そうして、正式な手続きに則った、軍人としての葬式を経て、そのホームレスの男はアーリントン墓地に埋葬される、というものだった。

これを見ながら、わたしは葬式ということを改めて考えたのだった。

それを見るまで、葬儀というのは、生きている人のためにやるものだ、とずっと思っていたのだ。だが、トビーは「生きている人」のために葬儀を行おうとしたのではない。故人のために、戦争に従軍し、アメリカのために戦い、おそらくその後の人生に、大きな影を落としたのもその戦争だったのだろう。そうした人間のために、きちんとした葬儀を執り行ってやろうとしたのである。

ドラマを見て、初めて気がついたのは、わたしがそれまで持っていた「生きている人間のための葬儀」という考え方は、あくまでも、人間を「意識」として見る見方だったのだ、ということだった。意識がなくなった身体は、もはや「なきがら」であって、その人ではない。だからこそ、葬儀はその「なきがら」に別れを告げるための、生きている人びとのための式である、というふうに考えていたのだ。

けれども、どうして「なきがら」といえるのだろう。
もし、人間が意識だけの存在ではない、身体を含めてその人であるのだとしたら、その人の意識がなくなった身体も、未だその人であり続けるはずではないか。埋葬され、土に還るまでは、「その人」はいつづけるのではないか。

いまのわたしたちの社会は、意識がなくなった「その人」は、そのまま土に還ることができるようにはなっていない。だからこそ、生きている人間が、その代わりに、その人の身体を土に返さなければならない。お葬式というのは、そのためにあるのではないのだろうか。

これまで、何度か葬儀に参列してきた。
ある先生のお葬式では、さまざまな年代の、その先生の教え子が一堂に会し、久しぶりに顔を合わせた人たちの輪があちこちにできて話がはずんでいた。みんな涙を流しながら、一方で、昔と変わらない、あるいはすっかり変わってしまった旧友たちに再開して、みんなが笑っていた。

曾祖母の式でも、滅多に顔を合わさない親戚が、日本中から集まってきたものだった。そんなとき、ひとりの人の死はさまざまな人を結びつけるのだ、と思ったものだ。そんな経験があったから、よけいに、葬儀は生きている人のためにある、と考えるようになったのだろう。

けれど、それだけではないのかもしれない。
「袖振り合うも多生の縁」というが、トビーと故人は、生前、何の関係もなかった。単に彼のコートを着ていたというだけのつながりでしかない。それでも、「土に返す」役目を誰かがしなければならないのなら、そうしてそれがいまの自分にできるのなら、自分がその役目を担おうとトビーは考えたのではあるまいか。

おそらく、葬儀は、残された人のためにのみあるのではない。
ひとが土に還るまでが「人間」であるのなら、残された人が土に返してやらなければならないのだ。そのために、わたしたちは葬儀を行い、人を埋葬するのだろう。


問われて名乗るもおこがましいが

2009-11-20 23:12:46 | weblog
昨日のログに「竹井哲夫」名で投稿があった。何ごとかと思って見てみると、広告である。削除しようかと思ったのだが、なんとなくおかしくなってしまったので、今日はその話。

それにしても、セールス電話にしても、訪問販売にしても、「サイトへの広告依頼」と称するメールにしても、アダルトメールにしても、この人たちはなんで最初に名前を名乗るのだろう。

小学生はよく、学校の帰り道にピンポンダッシュ(ドアフォンを鳴らしてダッシュして逃げる)をやる。わたしはやっている子を見て、バカだなー、そんなくだらないことをして一体何が楽しいんだか、と思うような、子供らしさに欠けること甚だしい子供だったが、ピンポンダッシュの楽しさが、「ふだん禁じられていること」をやりながら、それを咎められる前に逃げ出すことにあるのは理解していた。禁じられることをやって、怒られるかもしれない、けれどもうまく見つかる前に逃げることに成功すると、用もないのにドアフォンを押した責任を問われずにすむ。だからドキドキするのだろうし、うまく逃げおおせたら達成感もあるのだろう。

仮に、この小学生が「竹井哲夫です」と名乗って逃げたらどうなるか。竹井哲夫君はピンポンダッシュの責任を負って、みんなを代表して罰を引き受けてくれるだろうか。そんなことはあるまい。家の人も「竹井哲夫君は、ちゃんと名前を名乗って偉い子だねえ」と思ってくれるはずもない。その子がほんとうに竹井哲夫かどうか、確かめるすべはないし、仮にわかったところで、名前だけ、ぽんと放り出されたところで、その名前をたどっていこうにも、どこにもたどりつかない。

つまり、ここからわかることは、名前はただそれだけでは「固有名」の役割を果たしていない、ということだ。「竹井哲夫」と名乗られても、彼がどこに住み、どういう仕事をし、社会のなかでどういう役割を担っているかわからないままでは、人間、男、日本人……と言っている以上のものではない。

同じ小学校の中でなら「この窓ガラスを割ったのはだれだ」「竹井哲夫がやりました」という名乗りは、行為の責任を取ることだ。住人が互いに名前を知っているような村や、同じ集合住宅の中でもそうだろう。態度の悪い社員に対して、企業にクレームをつけるときでも、名前だけで十分だ。新聞でも「署名記事」というのがあるが、それは書いた人が自分の名前を明らかにすることによって、その書いた内容に責任を取りますよ、という覚悟を明らかにしているのだ。

けれど、もっと範囲が広くなってくると、名前は所属や住所、諸関係から切り離されて、ただの名前、「単なる人名」以上の意味を持たなくなってしまう。竹井哲夫と名乗ろうが、松井秀喜と名乗ろうが、「単なる人名」なのだから、本名であっても、でっちあげであっても、まったくちがいがない。偽名、無記名、匿名とまったく同じなのだ。

彼らがまず名乗るのは、名前を名乗る人間は身元の確かな人間である、という社会通念によりかかって、自分は怪しい者ではないとアピールするためだ。だが、その社会通念での名前というのは、所属や住所や諸関係を含意するこの世界にたったひとりしかいない「固有名」としての名前である。彼らは「固有名」のふりをした「単なる人名」を呈示する。

それが証拠に、その「竹井哲夫」氏に、あなたにこちらから連絡が取りたいので、正式な会社名、法人なら法人登記されている社名、所在地、電話番号、代表者氏名を聞かせてほしい、というと、おそらくムニャムニャ……ということになってしまうはずだ。

本名であろうが、偽名であろうが、芸名・ペンネーム・号の類であろうが、名前に意味があるわけではない。意味は、その名を名乗る人間の方にある。そうしてその名を名乗る先々で、自分が名乗る名の下に責任を引き受けていく関係を作っていくたびに、その名前に意味が生じていくのだ。

そういえば『あしながおじさん』では、主人公は捨て子だったために名前がなかった。そこで「ジェルーシャ」という名前は、孤児院の院長が墓石から取り、「アボット」という名字は電話帳の一ページ目にあったのから取ったのだった。その主人公が、孤児院から出て、「世界」のなかで生き始めたときに、最初にすることが、自分を「ジュディ」に命名しなおすことだった。

ある名前を名乗るということは、その名前で生きていくということを意味する。たとえペンネームや号の類であろうと、その名を使う共同体の中では、その名で生きていくという宣言なのだ。それは、何かあったら、その名を使っている「この私」が、身体でもって責任を引き受けていく、ということだ。

竹井さん、その覚悟で名前を使っていらっしゃいます?


知己料の話

2009-11-19 23:32:18 | weblog
以前、ウチダさんの『下流志向──学ばない子どもたち、働かない若者たち』を読んでいたら、自分のことを知りたいのなら、自分のことを生まれたときからよく知っている親や親戚に話を聞きに行けばいいのに、「自分探し」という人は、決してそういう人に話を聞きに行こうとはしない、彼らが行きたがる先は、外国の人のあまりいないような、少なくとも自分を知っている人間がまったくいないようなところである、彼らの「自分探し」というのは自分を知ろうとすることではなく、「これまでの自分」をいったんリセットすることだ、というようなことが書いてあって、おかしくなって笑ってしまった(記憶だけで書いているので、内容はちょっといい加減かも)。

「自分と向きあう」「内面の声を聞く」などという言葉もあるように、確かに自分を知ろうと思えば、山にこもったりして、ひとりきり、自分と対話しているところが浮かんでくる。だが、ほんとうにそんなことをして、「自分が何ものか」ということがわかるのだろうか。

芥川龍之介の『続野人生計事』というエッセイのなかに、「知己料」という小文がある。

芥川がいままで書いたことのない雑誌に、依頼を受けて、短篇をひとつ書く。どうやらこのころは、原稿料がいくらになるか、あらかじめわかっていなかったらしく、いったいいくらになるものやら、今日届くか、明日届くかと首を長くして待っている。

ここに出てくる「直侍を待つ三千歳」というのは、歌舞伎の演目『雪暮夜入谷畦道(ゆきのゆうべいりやのあぜみち)』のなかに出てくる花魁「三千歳」が、恋しい直侍を思って「一日逢わねば千日の 思いに私ゃ煩(わず)ろうて 鍼や薬の験(しるし)さえ 泣きの涙に紙濡らし…」と歌うのを指しているのだろう。恋煩いの女が男を待つように、原稿料が入るのを待っているわけだ(ちょっとたとえがすごいね)。

なかなか来ない。そこで芥川は友人の、これも作家である久米正雄と、原稿料がどのくらいもらえるだろうと推測し合うのだ。久米正雄は原稿用紙一枚につき「一円五十銭は大丈夫払ふよ。」と予想し、十二枚だから、十八円、そのうち「八円だけおごれよ。」と捕らぬ狸の皮算用をしている。芥川もだんだんその気になってくる。

ところが原稿料は届いてみると、三円六十銭、一枚につき三十銭しかもらえなかった。そこで久米正雄が、彼が発明したとされる「微苦笑」という言葉そのものの顔になって、「三十銭は知己料をさしひいたんだらう。一円五十銭マイナス三十銭―― 一円二十銭の知己料は高いな。」という。

わたしはその昔、この短篇を初めて読んだとき、ここの意味がよくわからなかった。知己というと、自分のことをよく知ってくれている人のことで、親友という意味の言葉である。そこから転じて、単に知人の意であるときもある。

親友だから稿料を差し引いたのか。一度書いて、知り合いになったから、「知り合い料」を引いたということなのか。それでも、雑誌社の方が引くというのはどういうわけか。どうも合点がいかないなあと思っていたのだ。

それをこのあいだ読み返してみて、はっと気がついた。「知己料」というのは、文字通り、おのれを知る料金だ。自分がいったいどれくらいの書き手であるかを教えるために、知己料に当たる一円二十銭を、雑誌社の側が差し引いたんじゃないか、と久米正雄は言ったのだ。一円二十銭が、自分を知るための授業料だった、というわけである。

自分の姿は自分には見えない。だから、自分の姿を映しだしてくれる鏡が必要だ。鏡は、文字通りの鏡でもあるし、ほかの人のこともある。その人の反応を通して、自分がその人の目に、どういうふうに映っているかがわかるのだ。

果たして自分の書くものに、どのくらいの値打ちがあるものか。自分ではわからない。自分では値段のつけようがない。だから、まず友人が判定してくれる。一円五十銭。

だが、実際には三十銭しかもらえなかった。久米正雄には一円五十銭分の価値があるように映っている。だからおそらく雑誌社もそう判断したのだろう。だが、「あなたの原稿は一枚一円五十銭の価値がありますよ」ということを、芥川に教える代わりに、授業料をさっぴいて、残った金額を払ったのだ、という。

なんというむちゃくちゃな理屈だ、と思うが、そう断言する久米正雄の言葉の背景には、自分が一番芥川の書いたものの価値を理解できている、という腹があったのだろう。

そしてまた、芥川がこの話を書き残したのは、雑誌社が「三十銭」と評価した自分の原稿を、親友である久米正雄はその五倍の価値があると認め、なおかつ稿料が低かった理由まで想像してくれたからなのである。もちろん「その友情がありがたかった」などとは一言も書いてないが、そう言ってくれた久米正雄のことを書くために、このエピソードが載せられているのだ。

結局、自分の中をのぞきこむより、社会の評価に身をさらすことが、自分を知る第一歩、ということなのだろう。さらに、自分をよく知っている人間が、自分に対してどのようにふるまうか、友情や好意をもって接してくれるか、厳しい態度を取るか、そういうさまざまな「鏡」に自分を映してみて、気に入ろうが気に入るまいが、それを「自分」だと受け入れることが、自分を知る、ということなのだろう。

「あなたにとって~とは何ですか」ふたたび

2009-11-18 23:19:11 | weblog
コウさんにお誉めをいただいたことに気をよくしたわけではないのだけれど、一昨日の「あなたにとって~とは何ですか」という問いの続き。

おもしろい話を聞いた。
就職活動で会社訪問をしたとき、よく例の「あなたにとって仕事とは何ですか?」という質問がなされるのだそうだ。

その答えをざっと考えてみた。

A.自分の夢や目標を実現させていく手段です。
B.自分がそれを通じて成長していく糧となるものです。
C.生活の手段です。
D.自分のすべてです。
E.仕事に就いているとカードも持てるし結婚もしやすい、自分を有利にしてくれるものです。
F.そういうことは考えたことがないので、よくわかりません。

おそらく「正解」はAかBのどちらかだろう。
こんな質問に正解があるわけがない、ということは全然なくて、面接で聞かれる、すなわち合否の判断基準のひとつとなるということは、あきらかに正解があるということだ。

CもDもEもFでさえも、「あなたにとって仕事とは何か」の回答ではありうる。けれど、A、B以外はノー・グッドなのである。

企業の面接という場でなされる「あなたにとって仕事とは何か」という質問は、「自分がどう考えているか」を聞いているのではなく、「あなたはこの面接という場にふさわしいふるまいができるかどうか」を試しているのだ

石原千秋が『秘伝 中学入試国語読解法』のなかで言うように、「学校空間で採用されているたった一つの読みの枠組み」は「道徳」である。だから国語の問題で、たとえば「先生が生徒たちを厳しく指導したのはどうしてか」という設問では「不真面目な生徒たちが憎かったから」という答えは決してマルはもらえない。「先生は生徒たちの将来を考え、なんとかできるようになってほしかったから」と解答することが、学校空間でのふさわしいふるまいである。

つまり、こうした面接や試験というのは「問題はゲームじゃない」で書いたのと同じ「ルールを見つけるゲーム」なのである。

「ぶう、ぶう、ぶう、ぶうでブタがなんびき?」というクイズに隠されているルールを見つけた者がこのゲームの勝者となるように、面接試験のルール、学校空間のルールを見つけた者がそこで勝つことができる。

「あなたがどう思っているか」ということを聞いているわけではないのだ。ある特定の場で、そこにふさわしいふるまいができるかどうか。ゲームの隠されたルールを見つけることができるかどうかなのである。

不良中学生たちの仲間内での「あなたにとって中学とは」という問いの正しい回答は、「先コウがうぜー、かったりーところ」である。

1960年代アメリカのヒッピーたちの集団では「あなたにとってマリファナとは」という問いの正しい回答は「心を解放してくれるハッピーなもの」である。

北朝鮮国内では「あなたにとって金総書記とは」という問いの正しい回答は「偉大なる我が同志にして領袖」である。

つまりこの「あなたにとって~とは」という質問がうさんくさいのは、その人の気持ちを聞く質問ではなくて、「この人はこの場にふさわしいふるまいができる人物かどうか」を判定するリトマス試験紙になってしまうからなのである。

なぜそうなるかというと、ほんとうにその人が「どう思っているか」は、一昨日も書いたように、こんな質問では答えられないからだ。自分の気持を問われているのにそれに答えることができないとき、人のする対応は

A.相手の望む答えを予測して答える
B.こう答えると相手は自分のことをこんな人間だと思ってくれるだろうと予測して答える
C.答えない

のいずれかだろう。
そうして、AとBがぴったりと一致したとき、面接で合格することができる。「本心」などどうでもいいのだ。
だから、この質問はどうしてもうさんくさくなってしまう。



たとえば音楽を何年も続けている人がいるとする。曲を作り、演奏し、派手ではなくても地域に根ざした活動を続けている。音楽がその人の生きていく上で大きな部分を占めているようだ。だからその人に聞いてみたい。

そういうとき、「あなたにとって音楽とは何ですか」と聞く必要があるんだろうか。わたしたちは何も相手に「ふさわしいふるまい」を求めているわけではないのだから。

だとしたら、いったい何を聞いたらいい?

それは、わたしにもわからない。けれど、そのとき、その場で、心に浮かんだことを聞けばいいんじゃないだろうか。あらかじめ用意しておくような質問じゃないのだから。


名は体をつなぎとめる

2009-11-17 23:03:44 | weblog
わたしは中学受験組だったので、高校はエスカレーター式で受験もなく高校生になった。だが、高校ではよその中学から受験して入ってきた子もいて、だいたいそんな子が四分の一ほど各クラスにいた。

そういう子の名前に、何となく記憶がある。小学校時代、塾で一緒だったり、公開模擬テストの成績上位ランキングの常連だったのではないか。

それを確かめるために、昔の資料や成績上位者ランキングなどを引っ張り出して、確かめてみた。そこでおもしろいことに気がついたのである。

わたしが小学校時代、仮に塾で「上田太郎」(仮名)という子と隣り合わせで坐っていたとする。その子とは、中学で別れ、高校でまた一緒になった、とわたしは判断する。小学校のときの「上田太郎」君と、高校生の「上田太郎」君は、同一人物であるとする判断の手がかりが、その名前なのだ。

さらに、幼稚園の一年間だけ一緒だった男の子がいた。その子は歴史上の人物と同じ名前で、それだけでも印象に残りやすいのだが、ほかにもはっきりと記憶に残ることがあった。というのも、その子――ここでは仮に織田信長君とでもしておこう。その信長君は入園してまもなく、こたつの上から飛び降りて脚の骨を折り、四ヶ月ほど幼稚園を休んだ。二学期になって、やっと治って登園し、ああ、信長君ってこんな顔だったんだ、とみんながやっとのことで思い出しかけたころ、今度は走っていて幼稚園の壁に激突し、肘の骨を折ったのである。その一年でその幼稚園から転園したわたしは、織田信長君とほとんど顔を合わせることもなく別れてしまったのだが、そんなめずらしい名前がそうそういるはずもない。わたしは即座に「あ、こたつの上から飛び降りて、脚の骨を折った織田信長君!」と挨拶したのだった。

ほどなく彼に「コッセツ」というニックネームがつくことになるのだが、ここではコッセツは関係ない。

三歳のときに会った相手と十六歳で再会しても、ほとんどの場合、相手を同一人物と認めることはできないだろう。けれど「名前」という手がかりがあれば、わたしたちはたとえ姿形が変わろうとも、同じ相手と認めることができる。

ところで、三歳のときの「織田信長」君と、十六歳のときの「織田信長」君は、果たして同じ人間と言えるのだろうか。

http://www.kms.ac.jp/~hsc/izumi/diet/necessity/speed.htm

このサイトによると、人間の脳も、内臓も、血液も、骨も、たとえどんなに遅い成分すらも、すべて三年以内に入れ替わるらしい。となると、三歳の「織田信長」君と十六歳のときの「織田信長」君は、別の人間なのである。

けれどもわたしは「織田信長」君に「こたつの上から飛び降りて、脚の骨を折った織田信長君!」と呼びかけ、彼はぎょっとしてそれに答えてくれたのである。わたしは三歳の彼と十六歳の彼を同一人物として認めた。それは、同じ名前を持っていたからだ。同じ名前ということを手がかりに、同じ人物として理解した。

顔は変わっている。姿形も変わっている。その人物の組成(骨も肉も血液も脳も)もちがうものになっている。それでも、三歳のときにこたつから飛び降りて足の骨を折った織田信長君と、十六歳で某高校に入学した織田信長君は、同じ名前を持っているがゆえに、周囲から同一人物と見なされる。彼が変わっていないのは、名前だけなのに。

たとえばふたつの三角形が「合同」であるように、二冊の本がまったく「同じ」本であるように、あるいは、「花子も太郎も同じ人間じゃないか」というときの「同じ」ように、三歳の信長君と十六歳の信長君が「同じ」であるわけではないのだ。

こう考えていくと、わたしたちは、昨日の自分と今日の自分が同一人物でないと困る、昨日の彼と今日の彼が同一人物でないと困るから、同じ名前の下につなぎとめようとしているのではないだろうか。そうして、ある人物が生まれてからこちら、やったことなしたことをその名前の下につなぎとめようとしているのではないだろうか。

ただ、自分が刻々と「別の人間」になってしまったら、わたしたちは自分のことをどう扱ったらいいかわからなくなってしまうから、本来なら移り変わっていく自分を「わたし」といい、「わたしの心」「わたしの体」といい、ひとつの名前につなぎとめようとしているのだ、たぶん。


わたくしといふ現象は
仮定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
風景やみんなといつしよに
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈の
ひとつの青い照明です
(ひかりはたもち その電燈は失はれ)
     
           宮沢賢治『春と修羅』