陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

サキ「七つのクリーム入れ」その2.

2011-02-27 23:05:24 | 翻訳
その2.

 その晩、やってきた客をもてなしているさなか、一同の上にたれこめていたのは、実に気まずい空気だった。会話はひとところに落ち着くことを知らず、当たり障りのない話題ばかりが矢継ぎ早に口にされては消えていく。だが、客人はあたりをうかがうようなそぶりも見せず、後ろ暗さとも無縁だった。礼儀正しく、堂々たるものごしには、いくぶん「上流」ぶったところさえ見受けられる。一方の迎える側の夫妻ときたら、終始落ち着きがなく、あたかも彼らの方が、よからぬ魂胆でも抱いているかのようである。食後、居間へ場所を移してからのふたりは、いよいよぎこちなくなってしまった。

「あら、そういえばわたしたち、銀婚式の贈り物をまだお見せしていませんでしたわね」と出し抜けにピーター夫人は言った。にわかにお客様をもてなすすばらしい趣向を思いついたらしい。「こちらをごらんになって。すばらしいし、ほんとうに実用的な贈り物ばかりなんですよ。まあ、よくあることですけれど、いくつかだぶってしまってるんですけどね」

「クリーム入れが七つ」ピーターが間に入った。

「ええ、ほんというと、困ってしまってるんですのよ」ピーター夫人は続けた。「七つもいただいちゃったんです。これから先、一生クリームだけで生きていかなきゃならなくなりそうね。もちろん取り替えられるものは取り替えてもらえばいいんですけど」

 ウィルフリッドの関心は、もっぱらアンティークの贈り物に向いたようだった。そのうちのひとつかふたつを、わざわざランプのところまで持っていって、銘を調べてるほどの念の入れようである。主人夫妻は、まるで親猫になったような気持ちを味わっていた。たったいま自分が生んだばかりの仔猫が人間に取り上げられて、てのひらに乗せられ、しげしげと眺められている……。

「そういえば、辛子つぼは返してくださいました? ここにあったんですけれど」うわずった声でピーター夫人が言った。

「すいませんね。クラレットの瓶の脇に置いておきました」そう言いながら、ウィルフリッドは今度は別のものに目を奪われている。

「あの、その砂糖入れ、もうこちらへいただけません?」ピーター夫人は神経質そうな中にも断固たる決意をこめてそう言った。「忘れてしまわないうちに、どなたからいただいたものか、ラベルをつけておかなければ」

 これほど警戒したにもかかわらず、どうもそれが功を奏したようには思えない。「おやすみなさい」と客と分かれてから、ピーター夫人は、何か盗られたにちがいない、と自分の疑念を口にした。

「確かにやっこさんの挙動には、うさんくさいところがあった」夫もその疑念に賛同した。「何かなくなったものはないか?」

 ピーター夫人はあわてて贈り物の数を数えた。

「三十四しかないわ。たしか、三十五なきゃいけないはずなんだけど」と夫人は報告した。「大執事様がくださった薬味立てがまだ届いていないのを含めて三十五だったのかしら」

「そんなはずはなかろう」ピーターは言った。「あのいやしいやつめは贈り物を持ってきてないんだ。その上、ひとつだって持って行かれでもしたら、たまらんよ」

「明日、あのひとがお風呂に入っているときに」ピーター夫人は興奮した面もちで言った。「きっとカギをそこらへんに置いてるでしょうから、旅行トランクを調べてみましょう。それしか方法がないわ」



(この項つづく)


サキ「七つのクリーム入れ」

2011-02-25 23:29:23 | 翻訳
今日からしばらくサキの短編をいくつか訳していきたいと思います。
ごくごく短いのを何日かに小分けして訳しますから(笑)、まとめて読むのがおすすめです。三日後くらいにまとめて読んでみてください。


では第一回目。
原文はTHE SEVEN CREAM JUGS
で読むことができます。


サキ・コレクションvol.8
(※これまでに訳したサキの短編はこちらへ
「サキ コレクション」

* * *

THE SEVEN CREAM JUGS (「七つのクリーム入れ」)

by Saki (H. H. Munro)


その1.

「この先、うちにウィルフリッド・ピジョンコートが来てくれるようなことは、もう二度とないでしょうね。准男爵の爵位とあれだけの財産を相続したとなっては」ピーター・ピジョンコート夫人は残念そうな顔つきで夫に言った。

「おそらくそうだろう」と夫は答えた。「これまでずっと、うちの方が何とかして来させまいとしてきたんだ。なにしろ、先行き、見込みのありそうなやつじゃなかったからな。十二のときに来たのが最後か」

「おつきあいを控えてきたのにも、それなりの理由があったんですよ」と夫人は言った。「いわくつきの人ですからね。どこのお宅だって、お客に迎えるなんてまっぴらだったはずよ」

「確かにな。例の癖はまだ治ってないのかね? それとも財産ってやつには、相続した人間をまるっきり別人にしてしまえるような力があるものなのかね?」

「治るわけがないでしょ。だけどねえ。この先、一族を背負って立つ人ともなれば、誰だってお近づきになりたくもなるわよ。たとえそれが興味本位ってだけでもね。これは嫌味でもなんでもないんですけど、世間ってものは、お金持ちに対しては、たとえどんな欠点があったにせよ、まるっきりちがう見方をするものでしょ? そこへもってきて、ちょっとした小金持ちなんかじゃない、桁外れの大富豪になったんですもの。これから先、何をしたって『お金ほしさでやったんだ』なんて、思う人はいないわよ。ただの“こまった病気”で収まるんでしょうね、きっと」

 サー・ウィルフリッド・ピジョンコートの跡を急遽継ぐことになったのは、甥のウィルフリッド・ピジョンコートである。従兄弟のウィルフリッド・ピジョンコート少佐が、ポロ競技中の事故の後遺症がもとで急逝した結果、そういう運びになったのだ(一族が“ウィルフリッド”という名を偏愛しているのは、元祖ウィルフリッド・ピジョンコートがマールボロ将軍の軍事行動において叙勲されたことに由来する)。

爵位と財産を新たに相続した二十五歳そこそこの青年は、ピジョンコート一族の中でも、とかく噂のある人物だった。しかもその噂というのが、いささか外聞をはばかる体のものだったのである。

一族中にあまたいる“ウィルフリッド”たちは、“ハブルタウンのウィルフリッド”とか“砲術長のウィルフリッド”などと、住所や職業をつけることで区別されているのだが、彼だけは“かっぱらいウィルフリッド”という不名誉かつそのものずばりの名で知られていた。というのも、小学校時代の終わりごろから、“かっぱらいウィルフリッド”は、執拗かつ猛烈な盗癖にとりつかれていたからだった。

見ようによっては「収集家の資質を備えていた」と言えなくもない。ただ、収集家につきものの偏愛とは無縁だった。食器棚より小さくて、持ち運び可能、しかも9ペンス以上の値打ちがありさえすれば何であれ、彼にはあらがいがたい魅力を持つ。もうひとつ、他人の所有物であること。それが、欠くべからざる要件だった。

何かの拍子に郊外の屋敷で開かれるパーティに招待されようものなら――近年ではそんな機会にも、とんと縁がなくなっていたが――そこを発つ前夜には、かならず招待主かその家の誰かが愛想を振りまきながら彼の荷物を改めにやってくる。ごめんなさいね、ほかの方のものが「まちがって」まぎれこんでないか、確かめさせてくださいね、とかなんとか。そうしてさまざまなものが、つぎからつぎへと発見されることになるのだった。

「妙なことがあるものだ」ピーター・ピジョンコート氏は、ウィルフリッドの話をしてから半時間もしないうちに妻にそう言った。「やっこさんから電報が来たぞ。車でこのあたりに来ることになったんだそうだ。だから顔を見せに来たいんだと。おまけに、さしつかえなければ一晩泊めていただけませんか、とある。『ウィルフリッド・ピジョンコート』と署名してあるんだが、“かっぱらい”に相違あるまい。自動車なんぞ持っている者はほかにはおらんからな。やっこさん、わたしたちに銀婚式の祝いの品を持ってくるつもりらしい」

「あらまあ、大変!」不意にミセス・ピーターはあることを思い出した。「いま手癖の悪い人に来られちゃ大変だわ。客間には贈り物の銀器があんなに飾ってあるんですよ。これから先だって、郵便屋さんが来るたびに、いろんなものが届くんだから。何をいただいたんだが、これからいったい何が来るんだか、わたしだってわからなくなってるのに。全部片づけて鍵をかけたって、きっとムダよね。見せろって言うに決まってるんだから」

「やっこさんから目を離さないようにすることだな」ピーターはそう言ってなだめようとした。

「だけどああした筋金入りの盗みの常習者って、ほんとに頭が切れるものなのよ」と妻の不安は去りそうもない。「第一、見張ってるのがばれたら、わたしたちの方がきまり悪いわ」




(この項つづく)




映画『ソーシャルネットワーク』の話

2011-02-22 22:47:54 | weblog
映画『ソーシャルネットワーク』を観た。
なにしろ監督のデイヴィッド・フィンチャーはマドンナのMTVを撮っていたころから好きだったし、脚本家は『ザ・ホワイトハウス』のアーロン・ソーキンだし、これは見に行かなくちゃ、と思っていたのだが、どうにも忙しくて、やっとのことで行くことができた。

で、今日はその話。
ネタバレはしないと思うけど、見に行こうと思っている人は、読まない方がいいかも。

前評判だの映画評だのを見ながら、この映画はきっと“フェイスブック”の設立者であるマーク・ザッカーバーグに対する批判的なトーンの映画なんだろうと思っていた。ところが実際は「天才映画」、『アマデウス』や『ビューティフル・マインド』や『シャイン』や『レインマン』や『リトルマン・テイト』の系列に属する映画だった。

映画には、天才映画というカテゴリーがある、というか、わたしはそういう分類項目を作っている。せんじつめれば、桁外れの能力を持っている人が、その能力をいかんなく発揮する、というだけの話なのだが、なぜこれがドラマになるのだろう?

ずばぬけた才能を持つ主人公は、極端なまでの集中力で、自分のやりたいことに没頭している。ところがこうした社会性に欠ける人間は、周囲から見れば、優秀というより、妙なやつ、変なやつである。

そこに主人公のほんとうの実力を評価してくれる人物が現れる。彼は主人公に対しては活躍の場を与え、世間に向けては彼の天才ぶりを解説してくれる役割を果たす。『アマデウス』であればサリエリがこれに当たる。つまり、彼は天才と世間の「媒介者」なのである。

天才を見出すくらいだから、媒介者自身も能力は高いのだ。ただ、その能力は、天才が創造した新しいものを、ほかの人にわかりやすく解説するところまでである。天才のおかげで媒介者はつねに自分の限界をつきつけられて、嫉妬と羨望に苦しみ、反面、社会性ゼロの主人公に対する優越感を覚える、という複雑な感情を抱くことになる。

周囲を無視して、自分のやりたいことをひたすら追い求める主人公、嫉妬と羨望と優越感という相反する感情に翻弄される媒介者、そうして主人公をバカにしたり、手のひらを返すように持ち上げたりする世間、この三つの要素がドラマとなっていく。

だから、映画の中で描かれる事件としては、この手の映画は

 主人公があることを思いつく
  ↓
 媒介者がそれを助ける
  ↓
 主人公は偉大な事業に着手する
  ↓
 羨望と嫉妬に憑かれた媒介者が陰謀をめぐらす
  ↓
 出来事は頓挫しかかる
  ↓
 主人公は何らかの成長をとげることによって事業を成し遂げる

という展開になり、わたしたちはその出来事が無事成功するかどうかを固唾を飲んで見守ることになる。

もちろん天才である主人公に注目することもできる。

 主人公は周囲に認められずに苦悩している
  ↓
 媒介者に見出される
  ↓
 媒介者の裏切りによって、主人公は窮地に立たされる
  ↓
 みずからの才能をいかんなく発揮して、媒介者の裏切りをうち破る
  ↓
 苦労を経て、主人公は人間的にも成熟する、という展開になっていくのである。

この『ソーシャルネットワーク』では、プログラミングの「天才」のマーク・ザッカーバーグと、「媒介者」エドゥアルド・サベリンやショーン・パーカー、ウィンクルボス兄弟との対立が軸となり、過去を回想すいるかたちで話が進んでいく。

主人公が「フェイスブック」を立ち上げるまでには、いくつかのプロセスがあった。最初に彼のプログラミングの能力に目をつけたのは、名門出身、大金持ちの息子で、ハーヴァードの最高級フラタニティクラブのメンバーでもあるウィンクルボス兄弟である。彼らは自分たちの輝かしいバックグラウンドをエサに、ハーヴァードの女の子たちをナンパしようと、ネット上でハーヴァード限定の排他的なコミュニティを立ち上げることを思いつき、主人公であるマーク・ザッカーバーグにそのプログラミングを依頼する。

ところがザッカーバーグはその依頼の「排他的コミュニティでのナンパ」というところだけをいただき、独自に「ザ・フェイスブック」というサイトを立ち上げてしまう。顔写真を載せているから「フェイスブック」、目玉は、趣味や興味のあることに並んで「サイトへの参加目的(友だちづくりなど)」「恋人の有無」の項目である。単にネットワークに参加して、同じ大学の学生と知り合えるだけでなく、一番肝心の、でも対面ではなかなか聞き出せない「恋人の有無」が一目瞭然になっているのだ。

主人公のただひとりの友だちエドゥアルド・サベリンは、自分のコネクションを使って、「フェイスブック」を広める手助けをする。さらに、金銭面でもサポートする。かくして、「フェイスブック」は瞬く間にハーヴァードを席巻し、さらには他大学へも伝播していく。

おさまらないのはウィンクルボス兄弟である。彼らは自分たちのアイデアが盗用されたと思い、結局、主人公を訴えることになる。

一方「フェイスブック」は西海岸の大学にも広まって、そこでショーン・パーカーの目に留まることになる。ショーン・パーカーは、ナップスターの創設者。ナップスターで名前は売れたけれど、訴訟で負け、一文無しになって、女の子のあいだを転々としているような生活を送っている。その彼が「フェイスブック」の将来性を見抜き、主人公に会いに来る。

主人公は「フェイスブック」の世界展開を描いていくショーン・パーカーに夢中になり、彼のコネクションを使って、「フェイスブック」を大規模にしていく。その過程で、いつのまにか共同で運営してきたサベリンを切り捨てていくことになる。裏切られたと感じたサベリンもまた、主人公に対して訴訟を起こすことになる。
このふたつの訴訟の場面を起点として、過去が回想されているのだ。

「媒介者」の性格がそれぞれ異なり、それに応じて主人公との関係も異なり、同時に主人公に対する思いも異なっている。それが物語を複雑にし、彼らが鏡となって、無表情な主人公の、複雑な内面が浮かび上がる仕組みになっています。たたみかけるような早口のせりふが緊張感を高め、まるでテニスのラリーを見ているようでおもしろい。

ただ、脚本のアーロン・ソーキンは、この映画を「天才映画」として書いていて、主人公が挫折を経て、彼独自のやり方で人間的なふれあいを求めようとする場面で終わっているのだが、フィンチャーの方向性は少しちがっているような気がした。

なんというか、主人公の存在を、希薄に希薄に撮ってるような気がするのだ。役を演じている男の子も個性の薄い、どんな顔をしていたか、すぐには思い出せないような役者だ。フィンチャーはマーク・ザッカーバーグを「天才」とは思っていない。といっても「凡人」と思っているわけでもなく、もっと無個性な存在、顔のない存在として撮ろうとしている。

つまり、インターネットの世界というのは、関係だけがあって、実体があるわけではない。もちろんそこから一歩外へ出たら、肉体を備えた人間がやりとりしているわけなのだが、「フェイスブック」の中に限れば、写真もあって、名前も趣味も経歴もあるにせよ、どこまでいっても単に液晶の画面でしかない。フィンチャーは「マーク・ザッカーバーグ」という人物を、あたかも液晶に浮かび上がる虚像として撮ろうとしているのではないか。

脚本と映像の方向性がちがっている。でも、そこが独特の緊張感を生んでいるのだろう。

見終わって、「なんだ、これは「天才映画」だったじゃないか」とわたしは思ったのだけれど、同時に「天才映画」もまだ作ることができるんだなあ、とも思った。モーツアルトだのなんだの、昔の偉人を扱う以外に、「天才映画」なんて作れっこないんじゃないか、と思っていたのだ。

天才というのは、システムの外にいる。システムの中にいて、システムを運用する人間は、有能であっても、天才ではないからだ。いまはあらゆる分野でシステムがすっかりできあがってしまっていて、能力というのは、それをいかに巧みに運用するか、システムとシステムを組み合わせて、そこから新しい運用の仕方を見出すか、の方向に傾けられている。だから、同時代を舞台に、そんな映画なんてできないんじゃないか、と。

ところが未開拓の分野がまだあったわけだ。
でも、「フェイスブック」の開発というのは、そこまで新しいことなんだろうか?

自動販売機は何歳まで蹴っても良いか

2011-02-20 23:17:33 | weblog
先日、道を歩いていたら、向こうで自動販売機を蹴っ飛ばしている人がいた。ガツン、ガツンと離れていても音が聞こえるくらい、強く蹴りながら、何やら毒づいている。

怖い人だったらいやだなあ、と内心ビクビクしながら距離は狭まってくる。道の反対側へ渡ろうか、と思ったとたん、その男性はこちらをくるりと向いて、
「この自販機、金入れても出てけえへんのんや」
と言った。どうやらその言葉はわたしに向けられたものらしかった。おそらく、自分のやっていることはしかるべき理由のあることで、正当な行為なのである、ということを言わんとしたのだろう。

仕方がないので、「それは困りましたね。たいてい、自販機には連絡先のシールが貼ってありません?」と言ってから、機械に目をやると、人体でいったらちょうど盲腸のあたりに、銀色のシールを見つけた。黒マジックで、電話番号が書いてある。それを指さすと、おじさんは「おおきに」と言って、内ポケットから携帯を取り出した。

それにしても、機械が故障すると、まず叩いてみる、という人は、ずいぶんいる。以前、テレビの映りが悪くなると叩いて直そうとしている人を見たことがあるし、たぶんメル・ブルックスだったと思うが、SFのパロディ映画の中でも、宇宙船の何かが調子が悪くなって、登場人物は叩いて直していた。それを見て、電化製品は叩いて直す、というのが、世界共通、かどうかはともかく、少なくとも日米共通なのだなあ、と思った記憶がある。

だが、「叩いて直す」というのは、どう考えても論理的ではないように思われる。それが証拠に、パソコンの調子が悪くなったときに「叩いて直そう」とする人はいないだろう。そんなことをしたら、まちがいなく事態はもっと悪くなってしまう、とわかっているからだ。それとも昔の機械は、もっと頑丈だったのだろうか。

自販機を蹴っ飛ばしていたおじさんは、蹴っ飛ばして直そうとしていたのではなくて、お金を入れても出てこない自販機に腹を立てていたのではあるまいか。だが、考えてみると、自販機に向かって「腹を立てる」という選択肢がありうるのだろうか?

目覚ましがやかましい。せっかくよく寝ていたのに。そこで目覚ましに腹を立てて床にたたきつける。
開いている自動ドアを通り抜けようとすると、急に閉まりかけ、肩をぶつけてしまう。自動ドアに腹を立てて毒づく。
急いでいるときに交差点を渡ろうとしたら、信号が変わってしまい、しばらく足止めを喰らってしまう。信号機に腹を立てて舌打ちする。

こうした行為はわたしたちになじみのあることではあるが、考えてみれば不思議なことだ。目覚ましにしても自動ドアにしても信号機にしても、自分に悪意があってそうしているわけではまったくない。にもかかわらず、「よく寝ている自分」や「急いでいるわたし」に意地悪をしてくるように思える。だが、冷静に考えてみれば、そんなはずがあるわけがない。つまりわたしたちはそれ自体に意思をまったく持たない、単に「機械」に過ぎない信号機や目覚まし時計を、擬人化して、あたかも自分に対して悪意を持っているかのように見なし、腹を立て、ときに暴力をふるうのだ。

ちょうど、小さな子供が石ころに躓いて転んで、その石に腹を立てているのと一緒だ。

電化製品ばかりではない。書こうとして折れるエンピツや、インク漏れするペン。あるいは遅れる電車、渋滞する道路、腹を立てても仕方がない、そもそも「腹を立てる」という選択肢のないところで、わたしたちはまったく理不尽に腹を立てている。

厄介なのは、あいだに人が介在する場合だ。故障をしている自販機をそのままにしている管理者が悪い、急に自動ドアが閉まるなんて、ビルの管理人は何をしているんだ、休みの日に高速が渋滞するなんて、なんでみんな出かけようとするんだ、雪が降ったぐらいで電車が遅れるなんて、JRは一体何をやっているんだ……。こうして「責任者」が見つかると、そもそも「腹を立てる」という選択肢がないような場合であっても、怒りをぶつける対象が現れたように錯覚してしまう。

機械は壊れるし、気候は変動するし、自分がどこかに行くときは、ほかの人だってどこかに行く。自分が忙しいときは、ほかの人だって忙しい。

もちろん安全管理が業務の中心であるような職種もあるし、そういう部署が仕事を怠った結果、大きな事故が起こった、というケースもあるだろう。だが、わたしたちが日常遭遇する、些細な「腹立たしい出来事」の多くは、自動販売機の故障のようなものではないか。

お金を入れて出てこなければ、自販機の設置会社に連絡するだけの話だ。怒りにまかせて蹴っ飛ばす、というのは、やっぱりアヤしい行為、物が自分に悪意を持って意地悪しているわけではない、ということを理解できる六歳以上の人間は、するとみっともない行為ではあるまいか。





人間不信を口にする人

2011-02-19 23:11:04 | weblog

「自分は人間不信だ」という言葉を聞くたびに、なんとなくおかしくなってくる。

そもそも本当に人間不信なのであれば、そんなことを人に言えるわけがない。人間不信の人にとって、自分が相対している人物は、自分の言葉をどう受けとるかわからない、さらに、自分の言葉を悪意あるかたちで周囲に触れ回らないとも限らない。そんな、なんともわけのわからない存在であるはずだ。

自分の目の前にいる人間は、自分の話を、自分が意図する通りに受けとめてくれるはずがない。そう考えるのが「人間不信」の人の「正しい」発想であって、そんな「人間不信」者が、信じられない相手に向かって、正直な胸の内を言えるはずがないのである。

「人間不信」と誰かに向かって言えるのは、少なくとも相手が自分の話に耳を傾けてくれる、理解してくれる、と信頼しているからだ。たとえ信頼できない人が大勢いようと、ひとり信頼できる人間がいれば、「人間不信」とは言えないだろう。

さらに、相手が自分を承認してくれていると思えるからこそ、「人間不信」などというひそかな思いを告白することができるのだ。そんな相手に向かって、相手も含まれている「人間」を信じられない、などというのは、ずいぶん失礼な話である。

だから、ほんとうの「人間不信」の人は、終始にこやかで、人とのつきあいもつつがなくおこない、周囲に対しても責任を果たしていく、つまり誰にもその内心をうかがわせることもない人物なのである。

もちろん、匿名のブログであっても、「人間不信」という自分の本心など、毛ほども気取られるようなまねはしない。たとえ姿が見えなくても、ネットのうえで自分の書いたものを読む人間を、いったいどうして信頼できよう。

日記だってつけたりしない。木のうろなら人間ではないから信頼できるかもしれないから、そこに向かって「人間不信」の思いのたけをのべるかもしれないが、その近くに誰がいないともかぎらない。だから、外に出すこともいっさいしない。

さらに、「人間不信」の人間に自分だって含まれるのだから、自分の「人間不信」という感じ方がどこまで確かなものなのか、信じることもできない。自分はほんとうに「人間不信」なんだろうか。それさえも、疑わざるをえない。

となると、その人は、「人間不信」とはまったく無縁の生活を送りながら、自分の「人間不信」という思いさえ疑いながら、日々を過ごす、ということになる。そんな生き方が、はたして人間にできるのだろうか。

こんなふうに考えると、ほんとうの意味での「人間不信」というのは、人間には不可能だということになりはすまいか。

現実には「わたし、人間不信なの」と口にする人の念頭にある「人間」には、多くの例外があるのだろう。
まず第一に「人間不信」を口にしている自分の感じ方は信じられる。
さらに、自分の話を聞いてくれる相手も信じられる。きっと相手は自分の意図を正しく汲みとり、それを広めたりはしない人だろうと思っている。
三番目に、自分は人を信頼しない、と言っているのに、他人の方は自分を信頼して、家族やクラスや職場などに受け入れてくれることを当然と思っている。

つまり、まとめて言ってしまうと、「人間不信」を口にする人は、あまり深くものごとを考えずに口に出してしまう人、ということになりそうだ。

おそらくこういう人は、どこかで人間を一点の曇りもなく信じたい、という願望があるのだろう。信じたいのに、信じることができないから、「人間不信だ」などということを口走ってしまうのだろう。

だが、自分自身はまちがいなく信ずるに足る人間なのだろうか。いついかなるときも信じられる人間なのだろうか。

それを考えると、結局、信じるのもほどほど、信じないのもほどほど、としておいた方がよさそうだ。

三島由紀夫は『不道徳教育講座』の「告白するなかれ」の章で、こんなことをいっている。
 どんなに醜悪であろうと、自分の真実の姿を告白して、それによって真実の姿をみとめてもらい、あわよくば真実の姿のままで愛してもらおうなどと考えるのは、甘い考えで、人生をなめてかかった考えです。

 というのは、どんな人間でも、その真実の姿などというものは、不気味で、愛することの決してできないものだからです。これにはおそらく、ほとんど一つの例外もありません。どんな無邪気な美しい少女でも、その中にひそんでいる人間の真実の相を見たら、愛することなんかできなくなる。仏教の修行で、人間の屍体の腐れ落ちてゆく経過をじっと眺めさせて、無常の相をさとらせるというのは、この原理に則っています。

 ここにおそらく、人生と小説との大きなちがいがあります。ドストエフスキーの小説などを読むと、そこに仮借なく展開されている人間の真実の姿の恐ろしさに目を見はりながら、やはりその登場人物を愛さずにはいられなくなるのは、あくまで小説中の人物であり、つまり「読者自身」だからです。

 しかし現実生活では、彼は彼、私は私であって、彼がどんなに巧みな告白をしても、私が彼になり切ることはできません。ですから、むやみやたらにそんな告白をする人間は、小説と人生とをごっちゃにしているのです。
(三島由紀夫『不道徳教育講座』)

わたしたちはそんなふうに、見せたいように自分を少しだけ飾りながら、他人は自分の見たいように見ながら、互いに「ほんとう」のところとは少しちがうところで、折り折りに、信じたり、信じなかったりしながらつきあっているのだろう。


懐かしくはない人たち

2011-02-18 22:02:43 | weblog
信号待ちをしていると、通りの反対側に中年の女性が立っていた。どうも見たことがある……と記憶を辿ると、前に住んでいたところで同じ階の人だった。軽く会釈して、信号が変わるともう一度、こんにちは、と挨拶して、それでおしまい……のはずだった。ところがその人は「まあ、ほんとにお久しぶり。懐かしいわ。お元気でいらっしゃいました?」とわたしの腕に手をかけて押しとどめた。

横断歩道の真ん中である。信号を見上げるわたしに気がついたその人は、手を放して、今度はわたしについてきた。
「いまちょっとよろしい?」
手をかけられたときから、この人の用件にはおぼろげに気がついていたのである。つぎの言葉はほぼ予想通りだった。

「新聞を入れさせていただけません? この近所にお住まいでいらっしゃるの?」

「いやー、新聞、読まないから取ってないんです」
前もそう言って断ったような気がする。事実ではないのだけれど、あまり無下に断るのも気が引けて、つい、そんなことを言ってしまうのである。
なにしろこの人のいう「新聞」というのは、広告などのはさまっていない、というか、見方によっては全部広告ともいえる、例の宗教団体の新聞なのだから。

「またよろしくお願いしますね」
なにかあったら、と名刺を渡してくれて、ほんとうはそんなものはいらなかったのだが、一応受けとって、そこで別れた。わたしが住んでいるところは、そこから目と鼻の先だったのだが、背後でその人が見送っているのがわかったから(それにしてもどうして視線というのは感じるものなのだろう)、そこを行き過ぎ、つぎの角を曲がった。なんでこの寒いのにこんなことをしなきゃならないんだ……と内心思いながら、しばらくあたりをてくてく歩いて、頃合いを見計らって家に帰った。

以前、あの人たちの新聞の勧誘は功徳を積むことだから、どんなに断ったって平気だよ、どんなにひどく断られたって、あの人たちにとっては「またひとつ功徳を積んだ」ってことになってるんだよ、と教えてもらったことがある。以来、あまり罪悪感を覚えることなく、体よく断ってきた。

それにしても、つきあいもない家のドアフォンを鳴らして、頼み事をする、というのは、どのくらい勇気がいるものなのだろう。昔からわたしは、たとえ肉体労働ができたにしても、セールスの仕事はできないなあ、と思っていたのだった。

最近はセールスマンというのをほとんど見かけないが、わたしが子供の頃は、牛乳や新聞や保険の勧誘を初め、化粧品や掃除用具、寝具や学習教材など、いろんなセールスマンがやって来ていた。セールスマン、というか、女の人の方が多かったかもしれない。

話好きな人が多くて、学校から帰ってくると、見たことのない女の人が、玄関のあがりがまちに腰を掛けて、母と話をしていた。スーツ姿で、きれいにお化粧をしているので、セールスの人と近所の人を見間違えることはない。その人たちには何を売りに来ている人でも独特の口調――もの柔らかさと優しさをベースに、同調とお世辞を混在させ、押しつけがましさで塗り固めたような――があって、わたしが帰ってきたころには、たいていは商品の話などしていないのだった。

世間話、というか、この町内の外の話である。新聞のニュースには決して載らない、この町内と同じような町内で起こり、ここから外にはめったに出ていかない母の耳にはなかなか入らないようなできごとなのである。自分が会ったこともない、けれど、自分によく似た人に起こった話や、その人がどうなったかという話を、セールスの人は持ってきた。

のちにマーク・トウェインの短編で、十九世紀半ば、アメリカの各地を回って、いろんな話を伝えるセールスマンの話を読んだときには、わたしが見たそのときの光景を思い出した。人びとがセールスマンの話に耳を傾ける、「その感じ」がありありとわかったのである。その時代、広いアメリカで、「よその町」の話は、いまよりもっと知られることはなかっただろう。自分とよく似た人の話、自分にも起こったかもしれない話は、いったいどれほどの好奇心をかきたてたものだろうか。おそらく話をする側も、商品を売りたい気持ちはもちろんあるだろうが、それ以上に、自分の話に耳を傾け、目を丸くしてくれる相手の反応が、足を運ばせていたのにちがいない。

わが家にやってきたセールスウーマンは、わたしが帰ってきたのをしおに腰を上げ、じゃあまたうかがいますね、とにこやかに帰っていった。そんなとき、たいてい母の手には、乳液だの毛布だの、英語のカセットだのがあった。

いまはインターフォン越しに声が聞こえるだけだから、いりません、必要ないです、興味ありません、とけんもほろろの対応である。昼間、留守にしている家も多いだろう。インターフォンに耳をすませたあげく、尖った声を聞かされるのは、いくらプロフェッショナルといえど、気の滅入ることだろう。かといって、家で仕事をしているときに、ピンポーンと鳴らされて中断を強いられるのは、腹が立つ。いきおいこちらもつっけんどんな声になる。

ところがそういう気の重い仕事が、あの方々にとっては「功徳」なのである。蒙昧な輩に「功徳」を施してくださろうというのであるから、ドアフォンを押す指にも力がこもるだろうし、どれほどのイヤ味を言われようと、いやなことを耐えれば耐えるほど、功徳が積もっていく……と考えれば、雄々しく(?)立ち向かえるのにちがいない。

たまたま以前、近所に住んでいた、というだけの薄い縁でも、新しい住所を確かめて、またそこへ頼み事をしに行く、などということは、自分がやっていることに対して全幅の信頼を寄せていなければできることではない。まあ、そういうのが自分の「救済」がかかっている宗教の宗教たるゆえんである。

どうも、「同窓会名簿を見たら懐かしくなって」「写真の整理をしていたら懐かしくなって」「昔の年賀状を整理していたら懐かしくなって」などと電話がくると、たいてい話はそのうち会わない? となり、やがて、宗教がらみ、セールスがらみであることが判明するものと相場が決まっているようだ。「懐かしくなって」ときたら、ご用心。たいていロクな成り行きにはならない。

もちろん、純粋に懐かしくならないわけがない。「今年こそ会おうね」「東京へ来ることがあったら、絶対連絡してね」などと年賀状の交換をしながら、十年ほど、それっきりのつきあいの友だちもいる。そんな年賀状を見るたびに、懐かしくなるし、今度こそ連絡しようと思う。それでも、そこから先のアクションにつながっていかないのである。どうやら何らかの行動を起こすためには、懐かしさだけでは十分ではないらしい。

もうひとつ、その躊躇には根拠があるのではないか。
過去、親しかった相手にも、現在の生活があり、現在の人間関係があるだろう。ちょうど、いまの自分がそうであるように。
いそがしい毎日、いろいろ不満はあるにせよ、安定した人間関係。そんな安定をかき乱されたくないし、相手のそれもかき乱したくはない。思い出は、思い出として、楽しかった記憶のままで留めておきたい、という気持ちが、どこかにあるのではないか。
ちょうど、お腹が空いていないときに、何もいま、わざわざ食事を取りに出かけようとはしないように。

「懐かしくなって」と連絡してくる人は、懐かしくはないのだ。その代わりに、ほかに強力な動機があるから、「懐かしさ」など、いともたやすく犠牲にできる。その人たちは、「お腹が空いている」のだ。

セールスマンたちは、見知らぬ人の家だから、ドアフォンを鳴らすことができるのだろう。その先にいるのが、幼なじみであったり、昔机を並べて勉強したり、一緒にバレーボールをやったりした相手、自分の思い出と固く結びついた人であれば、それを歪めるのにためらってしまうのではないだろうか。




※このところ、すごく忙しくて、こちらまで手が回りませんでした。
無駄足を踏ませてごめんなさい。また再開していきますのでよろしくお願いします。



嘘だと言ってよ、ジョー

2011-02-12 22:45:40 | weblog
その昔、谷崎潤一郎は相撲がきらいだったということを、丸谷才一が書いていたのを読んだことがある。とにかくたいそうな嫌いようで、話にちょっと出てきただけでも、機嫌が悪くなるほどだったらしい(ここらへんは例によってはなはだアヤシイ記憶だけで書いているので、ちがっていたらご寛恕のほどを)。

なぜ嫌いかというと、「男の汚い尻を見て何がおもしろい!」からなのだそうだ。
別に尻を見るために相撲を見る人はいないような気がするのだが、というか、相撲を見ている人のほとんどは、取り組みの行方を追っていて、尻どころではないような気がするのだが、なんでもかんでも「美しいか美しくないか」でブッタ切るところは、いかにも谷崎らしくておかしくて、いまでもよく覚えている。ただ、あまりに話ができすぎていて、作り話に思えなくもないが、どう考えても谷崎が相撲を楽しんだようには思えないので、とりあえずほんとうのことだと思っている。

いまでは谷崎のように、きっぱりと「相撲がキライ」と断言する人もいないのではないか。自分はかくかくしかじかが嫌い、とわざわざ言うのは、それが広汎に受け入れられていることを前提にしているからだ。それが好きな人も大勢いるが、自分はそうではない、と言うために、サッカーが嫌い、プロ野球が嫌い、あるいはJポップが嫌い、洋画が嫌い……と主張しているのだ。

ほとんどの人はさしたる関心もないまま、白鵬が連勝しているときけば、ああ、そうか、と思ってはみるものの、わざわざ取り組みの時間に、NHKにチャンネルを合わせたりもしないようないまでは、「相撲がキライ」とわざわざ言う必要もない。

わたしもその無関心な大衆の一員で、相撲は生はもちろん、テレビ中継でさえ、過去にただ一度、小一時間ほど見た経験しかない。そのときも別に見ようと思ったわけではなく、アメリカ人の家に用があって行ったら、先方は「しばらく手が離せないからちょっと待ってくれ」という。いったい何のようかと思えば「結びの一番を見ないわけにはいかない」というのである。終わるまで待つように、と、テレビ観戦につきあわされたのである。

ところが力士がふたり、土俵に上がっても、土俵上でうろうろするばかりで、なかなか勝負は始まらない。やっと塩をまき、四股をふんで、立ち会いの構えに入っても、すぐにまた立ちあがってうろうろとし始めるのである。さらにそこから塩をまき、今度こそ、と思っても、また立ちあがる。相撲というのはまだるっこしいものだな、と思った。

ところがアメリカ人にそれを言うと、このインターバルが良いのだ、と言われてしまった。力士を見てごらん、徐々に緊張が高まっていっているのがわかるだろう。彼らは視線を交わすことなく、身体でコミュニケイトしているのだ。表面の静けさの裏側で、緊張感が高まっていく、そのさまは大変にエキサイティングである。それを君も感じ取れ、と説教までされてしまった。なるほど、そういうものか、と思いながら見ていたが、残念ながらこちらがエキサイトするまでにはいたらなかったが。

ところがいざ取り組みが始まってみると、思いの外、おもしろい。何よりも、ふたりの力士が文字通り呼吸を合わせて立つところに目を奪われた。なにしろそれまで相撲と縁がなかったわたしは、行司が、ちょうど短距離走のスタートのように軍配をふりあげて、「はっけよいのこった」と立ち会いのタイミングを決めるものだとばかり思っていたのだ。

それをくだんのアメリカ人に言うと、この日本人はなんと愚かなことを言うか、という哀れみの目を向けられた。それからやおら立ち上がり、スタートの合図がなくても、お互いがその瞬間をどうやって決めるのか、その瞬間を実演してみせてくれた。そうして贔屓の力士(たぶん、貴ノ浪ではなかったかと思う)の立ち会いが、ほかのお相撲さんとどうちがうのか、筋肉の動きとからめてかなり詳しく教えてくれたのだが、その中味は全部忘れてしまった。

坂口安吾の『青鬼の褌を洗う女』という短編のなかに、主人公の女性が十両の力士墨田川と恋仲になり、そのお相撲さんに取り組みを解説してもらう、という場面がある。
彼は私の席へきて前頭から横綱の相撲一々説明してくれるが、力と業の電光石火の勝負の裏にあまり多くの心理の時間があるのを知った。力と業の上で一瞬にすぎない時間が、彼らの心理の上では彼らの一日の思考よりも更に多くの思考の振幅があるのであった。(坂口安吾『青鬼の褌を洗う女』)
まさにこんな感じで、相撲の動作ひとつひとつをわたしはアメリカ人に解説してもらったのである。

立ち会いというのは、比喩ではない「阿吽の呼吸」なのだ、それを毎回やっているのか、と思うと、おもしろかった。もっと立ち会いが何度も見たかったのだが、なにぶん、そこに入るまで延々と時間がかかるので、結局三番ほどしか見ることができなかった。ところが興味を引かれても、そこから先、自分の家で相撲を見たかというと、全然そんなことはない。テレビのことを思い出すこともなかった。

スティーヴン・D・レヴィット/スティーヴン・J・タブナーの『ヤバい経済学』は、世の中に起こるあれやこれやを、統計の助けを借りて、「インセンティヴ」、つまり、人びとにその行動を取らせる誘因の観点から解明しようとする本である。タイトルが「ヤバい」とあるのは、「インチキと犯罪と不正」の角度から、このインセンティヴが考察されているからだ。

さてこの本の中に、1989年1月から2000年1月までの間に開かれた、上位力士281人による32000番の勝敗をもとにした統計が出てくる。
ちょっとの間、相撲はほんとに八百長だと想像してみよう。それを証明するにはデータをどう測ればいい?

 まず、問題の取り組みを取り出す。本場所の千秋楽で星が五分の力士とすでに8つ目の白星を上げている力士の対戦だ。……略
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 【図表】(※表示は本と少し変えてあります。数字・文言は本文通り)

 7勝7敗の力士の8勝6敗の力士に対する期待勝率……48.7(%)

7勝7敗の力士の8勝6敗の力士に対する実際の勝率……79.6
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 本場所千秋楽に7勝7敗の力士が8勝6敗の力士に当たった取組数百番が対象だ。左(※ここの表示では上側)の数字は、その日に当たる力士2人の過去の対戦成績から計算した、7勝7敗の力士が勝つ確率である。右(※これも同様に下側)の数字は実際に7勝7敗の力士が勝った割合である。

 過去の対戦結果から見て、7勝7敗の力士が勝つ割合は半分をほんの少し下回る。これは納得がいく。その場所の成績も8勝6敗の力士がやや優勢だと示している。ところが実際には、7勝7敗の力士が8勝6敗の対戦相手に10番中ほとんど8番も勝っている。7勝7敗の力士は9勝5敗の対戦相手に対しても驚くほど善戦している。
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 7勝7敗の力士の9勝5敗の力士に対する期待勝率……47.2

7勝7敗の力士の9勝5敗の力士に対する期待勝率……73.4
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(略)

 さて、7勝7敗の力士と8勝6敗の力士が、次の場所でどちらも7勝7敗でないときに当たるとどうなるか見てみよう。この場合、勝負にはさっきみたいな大きなものはかかっていない(※勝ち越すかどうかのこと)。だから、前の場所で勝った7勝7敗の力士は、同じ相手に対して、それ以前の対戦と同じぐらいの勝率になると予想できる――つまり、だいたい50%ぐらい勝つだろう。またしても80%の勝率なんて、どう見ても期待できない。

 データから実際に計算してみると、前回7勝7敗だった力士は再戦ではたったの40%しか勝っていないことがわかる。あるときは80%でその次は40%? いったいなんで?

 一番理屈に合う説明は、力士たちの間で取引が成立している、というものだ:今日はどうしても勝ちたいんで、オレに勝たせてくれたら次回はおまえに勝たせてやるよ。
スティーヴン・D・レヴィット/スティーヴン・J・タブナー『ヤバい経済学』(望月衛訳 東洋経済新社)

この本を読む日本人の多くは、わざわざアメリカの経済学者に統計まで取って教えてもらわなくても、こんなことは知っている、と思うのではあるまいか。特に、何かきっかけがあったわけではない、いったい誰から聞いたのかもさだかではないけれど、なんとなく知っている、という類の知識である。「あのお相撲さんは星を買わない」といわれる人も、なんとなく知っている。

だから今回のように八百長が問題になると、「いまさらどうして」という気分がぬぐえない。八百長を廃してクリーンな相撲界を期待する……というほど、相撲に関心も持っていない。こんなふうにわたしたちが関心を持たなくなったから、おおっぴらに問題になるような事態になってしまったのだろうか。それとも、八百長が行われているにちがいない、という漠然とした風評が、わたしたちに相撲に関心を失わせる根拠になってしまったのだろうか。

子供の頃、通っていた歯医者の隣の隣りが相撲部屋だった。歯医者の予約がある日は、学校がひけてから、部屋の前を通って歯医者に行く。その時間の相撲部屋は固く閉ざされていて、大きな看板以外はそこが部屋だとうかがわせるものはなかった。たまにジャージ姿の巨体が華奢な自転車に乗っているのとすれちがうこともあった。それを見るたび、見ただけで何に就いているかわかる職業というのは、制服を除けば、お相撲さんぐらいしかないなあ、と見送ったものである。ふだんは嗅ぐこともない、鬢付け油のいい匂いがあとに残っていた。

坂口安吾は先に引いた箇所から、このように先を続けている。
大きな横綱が投げとばされて、投げにかけられる一瞬前に、彼の顔にシマッタというアキラメが流れる、私にはまるでシマッタという大きな声がきこえるような気がするのだった。

 相撲の勝負はシマッタと御当人が思った時にはもうダメなので、勝負はそれまで、もうとりかえしがつかない。ほかの事なら一度や二度シマッタと思ってもそれから心をとり直して立直ってやり直せるのに、それのきかない相撲という勝負の仕組はまるで人間を侮蔑するように残酷なものに思われた。相撲とりの心が単純で気質的に概してアッサリしているのは、彼らの人生の仕事が常に一度のシマッタでケリがついて、人間心理のフリ出しだけで終る仕組だから、だから彼らは力と業の一瞬に人間心理の最も強烈、頂点を行く圧縮された無数の思考を一気に感じ、常に至極の悲痛を見ているに拘らず、まるでその大いなる自らの悲痛を自ら嘲笑軽蔑侮辱する如くにたった一度のシマッタですべてのケリをつけてしまい、そういう悲劇に御当人誰も気付いた人がなく、みんな単純でボンヤリだ。

ニュースに出てくる親方たちの顔を見ていると、この「たった一度のシマッタですべてのケリをつけてしま」った人のなれの果て、という気がしないでもない。




腕時計の話

2011-02-11 23:17:16 | weblog
こういうのもはやりすたりがあるものなのだろうか。最近ではあまり「着メロ」というのを聞くことがなくなった。ひところは、突拍子もないところでジャカジャカと音楽が響き、慌てて胸ポケットやカバンを探る人をよく見かけたものだったが、いまはそんなときには音楽よりも、ありきたりの電子音の方が多いように思う。泡を食ってカバンを探っている人の格好は、あきれるぐらい同じだけれど、こんなふうに書いているわたしだって携帯が鳴れば、泡を食うにちがいないのだ。予期しないところで電話が鳴る、しかも大勢いるところとなると、焦ってしまうのが人の常、というところなのだろうか。

携帯電話を持つようになって、腕時計をしなくなった。電池がなくなって、交換すればいいだけなのに、引き出しにしまいこんだままになっている。携帯で十分用が足りるし、こうしてみれば腕時計というのはやはりどこか邪魔なものなのかもしれない。

腕時計を最初に買ってもらったのは、小学五年のときだ。夏休み、塾の夏期講習に行くんだったら買ってあげる、と親に言われて、その腕時計ほしさに夏期講習へ行くのを承諾したのである。

当時はまだ、時計というと貴金属店で扱うものだったように思う。ともかく、ふだん足を踏み入れたことのない、分厚い絨毯がしきつめられている店に入っていき、キラキラ光るダイヤの指輪が並ぶショーケースを横目で見ながら、奥へ入っていった。ついてきた弟は、ダイヤのところにはりついていた。

好きなのを選んでいいよ、と言われたので、少し白味がかった銀色に縁取られた目の覚めるようなターコイズブルーの盤面の時計を選んだ。ところがほかのものより少し値が張るものだったらしく、母親はこっちの方がいいんじゃない? と別の方を指さした。店の人も、中学生・高校生の方ですと、こういったものをお求めの方が多くいらっしゃいますよ、と、いくつか並べてくれた。だがそちらの時計は、緑や青の色が、微妙に濁っていたり、逆にけばけばしかったり、ブレスレットの部分も気に入らない。こっちじゃないといやだ、好きなの選んでいいって言ったじゃない、大事にするから、と言い張って、結局それを買ってもらった。弟は、ぼくにはこのダイヤ買って、と突然言い出して、何言ってるの、と母に取り合ってもらえず、わあわあと泣き出した。それまでおもちゃ屋の店先でぐずったこともない、おとなしい聞き分けの良い子、という評判だった弟が、いきなりダイヤをほしがった話題でしばらく家はもちきりで、わたしの時計は誰にもかえりみられることもなく、ベルベットで内張された白い箱にそっとおさまっていた。

しばらくはうれしくてうれしくて、毎晩手首にはめて寝た。塾のあるときだけ、ということだったが、学校が始まってもはめていきたくてしょうがない。長袖になったのをみはからって、こっそりはめていったこともある。左腕の手首にかかる重さは、秘密の重さだった。こっそりと教室の時計と見比べて、教室の掛け時計が四十秒遅れている、と思ったりした。

とはいえ、買ってもらった当座はうれしくても、あっというまに時計にも慣れ、中学になるころにはうれしさも何もなかった。逆に、同級生の多くは中学の合格祝いに腕時計を贈ってもらっていて、そんな真新しい時計にくらべれば、わたしの時計はいささかくすんでいるような気がした。おおっぴらにはめてよくなったころには、はめてもうれしくもなんともなかった。

結局、一度水滴が入って、文字盤が曇ったときに修理に出したほかは、故障することもなく、大学に入ってもしばらく使っていた。それが、買ってもらってからちょうど十年あまりがすぎたころ、急に動かなくなってしまったのである。修理に出せば、すぐなおるはずだった。ところが、そのころはもう、時計というのは本屋や文房具屋のレジの横にも並んでいる、ありがたみも何もないものだった。そうなると、わざわざ修理代を払ってまで、という気にもなる。結局、机の引き出しに入れっぱなしになってしまった。あの時計は、そのあとどうしたのか、まったく記憶はないのだが、そこを出るときにはなかったので、実家へ持って帰ったのかもしれない。

つぎの時計を買ったのは、それからずいぶんあとになる。しばらくは時計を持たない生活を続けていた。さほど困ることもなく、試験などのときは目覚ましを持っていった。一度、街中で「いま、何時ですか」と聞かれて、カバンの中から目覚まし時計を取りだして、ほれ、と相手に見せてやったことがある。相手は、何となく鼻白んだような顔で、どうも、などとごにょごにょ言いながら向こうに去っていったが、あれはナンパだったのかもしれない。さすがに目覚まし時計を差し出すような人間とは、お茶も飲みたくはないだろう。気の毒なことをしたのかもしれない。

ともかく、その気になれば人に聞いたりしなくても、時計ならいくらでもあるのだ。ただ、その時計がかならずしも正確ではないことが困りもので、本屋の時計を見ながら立ち読みをしていて、まだまだ、と思っていたら、いつまでたっても「まだまだ」、その時計が止まっていて泡を食った、ということもあった。

昔の映画を見ると、待ち合わせをしている人は、みんな腕時計と通りの向こうを何度も見比べながら、いらだたしげな顔をしている、と決まっている。だが、いまなら待ち合わせしている人の多くは、携帯をのぞきこんでいて、あまりいらだたしげな様子にもみえない。時間もわかり、時間つぶしにもなり、遅れるときは連絡できるのが携帯電話なのだろうか。

そういえば、寝起きの良さを見込まれて、モーニング・コールを頼まれたことがある。約束の時間に、自分の腕時計をにらみながら「七時だよ」と電話をかけるのだが、そんなときの相手の声は、あたりまえだが不機嫌な寝ぼけ声で、わざわざかけてやったのに、と思ったものだった。いまなら携帯に目覚まし機能もついているので、モーニング・コールの必要もないだろう。それとも、やはり電話をかけている人はいるのだろうか。

毎日腕時計をしていた当時、手首の文字盤があたる部分は、肌が平らになって、妙にテラテラしていたものだ。いつのまにかそのテラテラは跡形もないが。



御不浄掃除の話

2011-02-04 22:17:58 | weblog
なんだかトイレ掃除がえらくたいそうな話になっていないか。

「トイレ掃除を“する”か“しない”かで世帯年収に90万円の差!?」というニュースを見たのだが。リンクはじき切れてしまうだろうから、記事の一部分を抜粋しておく。
ライオンは、今回、20~39歳の男女490人に対して「トイレの清潔さに関する比較調査」を実施。風水などでは、「トイレをキレイにしていると、金運がアップする」などといわれているが、実際に調査対象者を“ピカピカトイレ派(245人)”と“残念トイレ派(245人/トイレをキレイにしていない人のこと)”の2派に分け、「あなたは金運が良い方だと思うか?」と質問。すると、“ピカピカトイレ派”は、42%が「思う」と回答したが、一方で、“残念トイレ派”で「思う」と答えたのは、22%と少数だった。

さらに、年収についても聞いてみると、明らかな違いが発覚!“ピカピカトイレ派”の平均個人年収は261万円、“残念トイレ派”の平均個人年収は237万円となり、24万円の差が出てしまったのだ。そして、「世帯年収」についても聞くと、“ピカピカトイレ派”の平均は542万円、“残念トイレ派”の平均は454万円。なんと、90万円近くの差が出る結果となった。(東京ウォーカー )

いやいや、これは因果関係が逆でしょう。年収の高い人が“ピカピカトイレ”のある家に住むことができるというだけの話ではないのだろうか。もともとが“ピカピカトイレ”なら掃除だってしやすいし、そもそも“残念トイレ”(なんだかすごい言い方だな、こりゃ)なら、どれだけ頑張って掃除をしたところで、せいぜいが多少まし、“ピカピカ”には昇格できそうもない。やってもたいして効果が見られなければ、そこまでがんばって“ピカピカ”にしようという気も起こらないにちがいあるまい。

『トイレの神様』という歌があるという話を聞いたとき、ちょっとおかしくなって笑ってしまった。なんでもトイレをきれいにするときれいになれる、という歌詞らしいが、その昔、わたしが聞いた話では「きれいな子供が産まれる」というものだった。どうも御利益のタイムスパンは昔より短くなって、おまけにその人自身に見返りがくるようになったものらしい。

そもそもこの話は、母が女子校にいた時分、先生から聞かされた話である。
「御不浄」(女子校の先生はトイレのことをこう呼んでいたそうだ)をきれいにするような、心のきれいな人には、きれいな子ができる、と。それを聞いて、母たちは勇んで掃除をしたのだそうだ。

「でもねえ、昔のトイレ掃除は、ほんとうに大変だったんだから」
学校の教育方針でもあったのだろうが、モップなど使わず、床も便器も、手で全部雑巾がけをしていたのだそうだ。やはり当時の生徒たちも、トイレ掃除の当番はいやだったらしいが、その先生の言葉を聞いてしまえば、サボるわけにもいくまい。

それからずいぶん月日が流れ、女子高生は母となり、その話を娘に伝えたというわけである。
「だったら良かったじゃん、わたしが生まれて」と言ったら、
「手を抜いたつもりはなかったんだけどねえ。もっと一生懸命掃除をしておけばよかった」とため息をつかれてしまった。

ただ、ひとつ言えるのは、きれいな子ができるにせよ、本人がきれいになるにせよ、この言葉はあくまで子供に向かって言うせりふだということだ。つまり、「やらない」という選択権のある人間に、「見返り」で釣っているわけだ。

一人暮らしであれば、トイレは自分が掃除する以外に選択の余地はない。そうして自分が生活する場全体の中で、いまの時代、トイレが一番厄介な場所ではない。

事実、限られた空間で、構造も単純なトイレは、浴室と比べても、さらには台所などとくらべればはるかに、楽に掃除ができる場所なのである。いくつかの要所さえ押さえておけば、いかにも「やった」という状態になる。換気扇があり、レンジがあり、シンクがあり、排水口があり、棚がいくつもあり、冷蔵庫があり、調理器具があり、食器があり……という台所ではこうはいかない。毎日掃除をしていても、ちっとも「やった」らしくはならないし、ちょっと手を抜けばあっという間に大変なことになる。

逆に考えれば、だからこそトイレ掃除は、子供に任せることができる、ということなのかもしれない。家族の一員としての責任を持たせるために、トイレ掃除というのはちょうど頃合いの「お手伝い」なのだろう。だからこそ、めんどくさがる子供に「きれいな子ができる」もしくは「きれいになれる」と釣るのだろう。

そもそもこんなことを言うようになったのは、いつ頃からだったのだろうか。昔の便所掃除というのは、いまとはちがって、大変だったにちがいない。トイレが水洗になる前の時代というのは、いったいどんなふうに掃除をしていたのだろうか。幸田露伴はどんなふうに教えていたのだろう(幸田文は何か書いていなかったっけ)。そのころであれば、「便所の神様」に喜んでもらうため、という掃除観があったとしても、不思議ではない気がする。

いまのように明るく、ボタンを押せば清潔な水がふんだんに流れるトイレには、あまり神様はいそうにはない。ならばトイレを掃除すれば、きれいなトイレを使うことができるという見返りだけで十分ではあるまいか。