陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

いま推敲中です

2006-02-28 22:35:19 | weblog
ここ数日間にわたってトバイアス・ウルフの短編を訳して、いま推敲作業をやっているところなんだけれど、おそらく、トバイアス・ウルフを知っているという人は、それほどいないのではないかと思う。

といってもトバイアス・ウルフの話をここでしようというわけではない(そんなことをしたら、サイトにアップするとき、本文のあとに書くことがなくなってしまう!)。そうではなくて、トバイアス・ウルフの翻訳された二冊の長編小説のうちの一冊、『ボーイズ・ライフ』(どうでもいいけれど、この作品は映画化されて、主人公の少年時代のウルフを、有名になる前のレオナルド・ディカプリオがやっていた。エレン・バーキンがやたら色っぽいお母さんで、義理の暴力的なお父さんにはロバート・デ・ニーロが、とってもわかりやすい暴力親父になっていた)のエピグラフにオスカー・ワイルドの「人生における最初の義務は、あるポーズを取るということだ。二番目の義務がなんであるかは、だれも見つけ出していない」という引用句が取られている。

これはなかなか含蓄のある言葉で、つまりわたしたちはある社会のなかで、自分の見せ方を、いわば編集している、ということなのだと思う。

一方で「ありのままのわたし」みたいな物言いがあるのだけれど、その「ありのまま」も、実のところ、別のやりかたで「編集したわたし」にすぎない。
その編集作業を、社会の要請と、自分の欲求のせめぎあいのなかでやっていく、というのが「最初の義務」だ、といっているのだと思う。

それにしても、オスカー・ワイルドの引用句というのは、有名なものが多いのだけれど、そんなふうに日常生活でも、ピリッとスパイスの利いた警句をガンガンいっていた人らしい。そんな人が身近にいるとおもしろいだろうな。

話していると、急に「人生における最初の……」とか言い出したりして。

ええっと、読んでくれる人がいるのかどうか不明ですが、音楽堂に"Porcupine Tree"をアップしました。興味がある方、ポーキュパイン・ツリーを聞いてみようかなー、と思ってる方、どうかのぞいてみてください。

明日にはトバイアス・ウルフもアップできると思います。

「雪の中のハンター」最終回

2006-02-27 22:40:59 | 翻訳
 バーの中は派手な色合い、そのほとんどがオレンジ色のジャンパーを着た男でいっぱいだった。ウェイトレスがコーヒーを運んできた。「生き返るな」フランクは湯気の立つカップを両手ではさんだ。「タブ、ずっと考えてたんだ。おまえがさっき、おれが上の空だ、っていったろ? ほんとうだな」

「もういいんだ」

「良くはない。確かにずっとその調子だった。このところ、ひとつのことで頭がいっぱいだったんだ。考えなきゃいけないことがありすぎた。もちろんそんなことは言い訳にもなりゃしないが」

「忘れてくれよ、フランク。あのときは、つい、カッとしちまったんだ。おれたちみんなピリピリしてたし」

フランクは首を振った。「そうじゃないんだ」

「なにかあったんだな」

「ここだけの話にしてくれるか? タブ」

「もちろん。おれたちふたりだけの話だ」

「タブ、おれはナンシーと別れることになると思う」

「おい、フランク、そりゃまた……」タブは座り直すと頭を振った。

 フランクは手を伸ばしてタブの腕にその手を載せた。「タブ、おまえ、ほんとうにだれかを好きになったことがあるか?」

「ま、そりゃ……」

「おれがいってるのは、正真正銘、ほんものの恋だ」タブの手首を強く握った。「全身全霊をかけて」

「よくわからんな。おまえがいってるようなことは、よくわからん」

「なら、ないんだよ。何もおまえが悪いっていってるわけじゃない。だが、それはほんとうにそうなった者じゃなきゃ、わからんのさ」フランクはタブの腕を放した。「軽い気持ちでいってるわけじゃない」

「だれなんだ、フランク」

 フランクはしばらく黙ったまま、空のカップを見つめていた。「ロクサーヌ・ブルーワー」

「クリフ・ブルーワーの子供か? ベビーシッターの?」

「タブ、そんなふうに人間をカテゴリーに当てはめて考えちゃいけない。だから世の中の何もかもがおかしなことになる。そんなふうだから、この国も、一蓮托生で地獄へ向かって突っ走ることになるんだ」

「だが、あの子はたった……」タブは頭を振った。

「十五歳だ。五月に十六歳になる」フランクの顔に笑みが浮かんだ。「五月四日、午後三時二十七分。いいか、タブ、百年前なら十五歳っていやオールドミスだ。ジュリエットなんてたった十三歳だったんだぞ」

「ジュリエット? ジュリエット・ミラーか? よせよ、フランク、ミラーんちのガキは胸なんかぺったんこで、水着の上だって着る必要がないんだぞ。まだカエルをつかまえてら」

「ジュリエット・ミラーのことじゃない。ほんもののジュリエットだ。タブ、そういうのが人をカテゴリーに分けるってことだってわからないか? あいつは重役だ、あの娘は秘書だ、トラックの運転手だ、十五歳だ、って。だが、このいわゆるベビーシッター、いわゆる十五歳はだな、ほんの小指一本に、おれたちがまるごとかかってもかなわないぐらいのものが詰まってるんだ。あのちっちゃなレディーは特別なんだ」

タブはうなずいた。「あんな子供ならよく知ってる」

「ロクサーヌはおれがいままでそこにあることを知らなかったまったく新しい世界の扉を開いてくれたんだ」

「ナンシーはなんだっていってる?」

「このことは知らない」

「まだいってないのか」

「まだだ。そんなに簡単なことじゃない。ナンシーはずっといい女房だったしな。おまけに子供たちのことも考えなきゃならん」フランクの目の光が揺らぎ、それを素早く手の甲でぬぐった。「たぶんおまえはおれのことをとんでもない馬鹿野郎だと思ってるだろうな」

「そんなことは思ってない」

「いいや。絶対にそう思うようになる」

「フランク、友だちができたっていうことはな、どんなときだって、何があったって、味方してくれる人間ができたっていうことなんだ。少なくともおれはそういうことだと思ってる」

「本気か、タブ」

「もちろん」

フランクは晴れ晴れとした顔になった。「それを聞いてどれだけうれしいか、おまえには絶対わからんだろうな」

 ケニーはなんとかしてトラックから外へ出ようとしたが、できなかったらしい。後部ドアにエビのように折った身体をもたせかけ、頭をバンパーの上に突き出していた。フランクとタブはケニーを持ち上げてふたたびベッドに寝かせ、毛布をかけた。ケニーは汗をかき、歯を鳴らしている。「いてえよ、フランク」

「じっとしてりゃそんなに痛むことはなかったんだ。おれたちは病院に向かってるところだ。わかったな? いってみろ、おれは病院に向かってる」

「おれはびょういんにむかってる」

「もう一回」

「おれはびょういんにむかってる」

「病院に着くまでずっとそう自分に言い聞かせておくんだ」

 トラックが十キロ近く進んだころ、タブがフランクに向き直った。「おれ、とんでもないヘマをしちまった」

「なんだ?」

「道順を書いた紙をあそこのテーブルの上に忘れてきちまった」

「大丈夫だ。道なら覚えてる」

 降り積もる雪は小やみになり、雪原を覆っていた雲が流れていく。だが寒気は相変わらずで、しばらくするとフランクもタブも、歯が鳴り、震えがとまらなくなっていた。危うくカーブを曲がり損なったフランクは、つぎのロードハウスで停まることにした。

 そこのトイレにはハンドドライヤーがあったので、ふたりは交代でその前に立ち、上着とシャツの前を開いて温風を顔や胸に当てた。

「あのな」タブがいった。「あそこでおまえが話してくれて、うれしかった。おれを信用してくれて」

フランクは温風の吹き出し口の前で、手を開いたり閉じたりしている。「おれはこんなふうに考えてるんだ、タブ。人間は、孤立した島じゃない。誰かを信頼しなくちゃ」

「フランク……」

フランクは待った。

「あのな、甲状腺っていったろ、ありゃ嘘だ。ほんとは、おれはただ、がっついてるだけなんだ」

「っていうことは……」

「昼だろうが夜だろうが、シャワーを浴びてようが、高速を走ってようが」タブは向きを変えて背中に温風を当てた。「仕事でペーパータオルの詰め替えをやってるときでさえ」

「甲状腺なんて悪くないんだな?」フランクはすでにブーツと靴下を脱いでいた。まず右足を、それから左足を、吹き出し口に差し込む。

「ああ。どこも悪くない」

「アリスは知ってるのか?」

「だれも知らない。最悪なのはそこなんだ、フランク。太ってるってことじゃないんだ。痩せようともしないことじゃなくて、嘘をついてることなんだ。スパイとか、殺し屋みたいに二重生活を送ってるんだ。ヘンな話だがな、おれはスパイだの殺し屋だのっていう連中が気の毒でならないんだ。まったく。あいつらがどんな経験をしてるか、よくわかる。自分が何をいわなきゃならないのか、なにをしなきゃいけないのか、考えてるんだ。いつだって、みんなが自分のなかの何かを見て、何かを捕まえようとしているように感じるんだ。ありのままの自分でいることなんてできやしない。朝飯にオレンジ一個しか食わない、って大げさに宣伝して、仕事へ行く道々、ガツガツ食ってるんだ。オレオだろ、マーズ・バーだろ、トウィンクルズ、シュガー・ベイビーズ、スニッカーズ……」タブはちらりとフランクに目をやって、あわててそらした。

「タブ」フランクは頭を振った。「こっちへ来い」そういうと、タブの腕をとって、バーの奥の食事ができる場所に引っ張っていく。「おれの友だちが腹ぺこなんだ」ウェイトレスにいった。「パンケーキを四人前、バターとシロップもたっぷりつけて」

「フランク……」

「座れよ」

 皿が来るとフランクはバターの大きな固まりを切り分け、パンケーキの上にのせた。それからシロップのびんも、それぞれの皿にまわしかけて空にした。身を乗り出して肘をつき、あごを一方の手に載せる。「タブ、さあ」

 タブは口いっぱいにほおばることを何度か繰り返し、それから唇をぬぐおうとした。フランクはナプキンを取りあげた。「拭く必要はない」タブは食べ続けた。シロップがあごにたれ、いささか山羊ひげのような具合になった。「これも使えよ」そういうと、フランクはもう一本のフォークをテーブル越しに押しやった。「気合いを入れて食えよ」タブは左手にそのフォークを持つと、皿にかがみ込んで、本格的に食べ始めた。パンケーキがなくなると、「皿をきれいにしてくれよ」とフランクがいう。タブは皿を一枚ずつ取りあげて、四枚ともきれいになめた。深く座り直し、ひと息ついた。

「お見事。腹一杯になったか?」

「腹一杯だよ。こんなに満腹したのは初めてだ」

 ケニーの毛布はまた後部ドアに固まっていた。

「はねのけちまうんだろうなぁ」とタブがいった。

「ケニーの役には立ってないな。おれたちの役に立てたほうがいいかもしれない」

 ケニーが何かつぶやいた。タブが身を寄せた。「何だって? もう一回いってくれ」

「おれはびょういんにむかってる」

「いいぞ」フランクがいった。

 毛布は役に立った。風こそ顔やフランクの手に吹きつけたが、ずいぶんしのぎやすくなった。道路や木に積もった新雪が、ヘッドライトを受けて、きらきらと瞬いた。農家の窓から漏れる四角い光が雪原を青く照らす。

「フランク」やがてタブがいった。「農場の主人がいただろ? ケニーに犬を殺してくれ、って頼んだんだってさ」

「まさか」フランクは考えながら運転を続けた。「あのケニーがな。なんてやつだ」フランクが笑ったので、タブもつられて笑った。笑顔のままで後ろの窓を振り返った。ケニーはみぞおちで腕を曲げ、横になっている。唇が星の名前をつぶやいていた。頭の右上にあるのが北斗七星、後ろの、ケニーつま先の間、病院の方角にあるのが北極星、船乗りを導く星だ。トラックがなだらかな丘にさしかかって曲がったので、北極星はケニーのブーツの間を行ったり来たりしたが、それでもずっと見えていた。「おれはびょういんにむかってる」ケニーはいった。だが、それは間違いだった。はるか以前に違う角を曲がっていたのだった。

The End


「雪の中のハンター」 その4.

2006-02-26 21:49:50 | 翻訳
 戸口に立っていた男は向きを変えて、中へ入った。フランクとタブもそのあとについていく。部屋の中央のストーブのそばに女が座っていた。ストーブからは煙がもうもうとあがっている。顔を上げた女は、また、膝の上で眠っている子供に目を落とした。青ざめた顔は泣いた跡があった。前髪が斜めにぺたりと額にはりついている。タブは両手をストーブにかざして暖めながら、台所で電話をかけているフランクを待った。ふたりを入れてくれた男は、両手をポケットに入れたまま窓際に立っていた。

「仲間がお宅の犬を撃ったんです」タブがいった。

 男はそちらを見ないまま、うなずいた。「ほんとなら自分でやらなきゃならなかったんだ。だが、できなかった」「うちのひとはあの犬を、そりゃかわいがってましたから」女はそういうと、もぞもぞと動く子供をそっと揺すった。

「じゃ、やつに頼んだんですか? 犬を撃ってくれって、やつにそういったんですか?」

「年も取ってたし、おまけに病気だった。食べ物を噛むことさえできなかった。自分でやろうにも銃がない」

「どっちにせよ、あなたにはできっこなかったわ。百万年たったところで」

 男は肩をすくめた。

 フランクが台所から出てきた。「おれたちが連れて行かなきゃならん。ここから一番近い病院まで80キロほどあって、救急車は全部出払ってるらしい」

 女が病院までの近道を知っていたが、道順が込み入っていたので、タブはそれを書き留めなければならなかった。男が、ケニーを乗せて運ぶ板がある場所を教えてくれた。その家には懐中電灯がなかったが、ポーチの明かりをつけておいてくれる、という。

 外は暗くなっていた。雲は低く、重たげにたれこめ、うなりをあげながら風が吹き荒れている。ゆるんだスクリーンドアが、ゆっくりバタンと閉まったかと思うと、突風にあおられて今度は強くたたきつけられる。納屋へ行く間もその音はずっと聞こえていた。フランクは板を取りに行き、タブは、元の場所に姿の見えないケニーを探した。ケニーはその先の私道で、うつぶせになって倒れていた。「大丈夫か?」

「いてえよ」

「フランクは、虫垂は外れてるといってたが」

「盲腸はもう取ってる」

「用意はできたぞ」フランクがやってきた。「あっという間に、あったかい上等のベッドのうえさ」そういうと、ケニーの右側に二枚の板きれを置いた。

「男の看護師が来る前に乗せてくれよな」

「ははは……。その意気だ。準備はいいか、それ、一、二、三」そういうと、フランクはケニーを転がして、板に乗せた。ケニーは悲鳴を上げ、脚で空を蹴る。静かになってから、フランクとタブは板を持ち上げ、私道を下っていった。後ろ側を抱えているタブの顔面に、雪がまともに吹きつけ、足の運びもままならない。疲れていたし、おまけに農家の主人はポーチのライトをつけるのを忘れていた。ちょうど家を過ぎたあたりで、タブは足を滑らせ、とっさに身体を支えようと、板から手を離した。板が落ちて転落したケニーは、そのまま私道のはずれまで、悲鳴を上げながら転がっていく。トラックの前輪にぶつかって、やっと止まった。

「この間抜けなデブが。こんなこともできないのか」

 タブはフランクの襟をつかむと、柵に力一杯押しつけた。フランクは手をふりほどこうとしたが、タブはフランクの頭を何度も叩きつけたので、とうとうフランクも抵抗をやめた。

「太ってるってのがどういうことだかおまえにわかるか。甲状腺がどういうことだか、わかってんのか」フランクをなおも揺さぶりながら、タブはいった。「おれのことをなんだと思ってるんだ」

「わかった」

「これからはな」

「わかったから」

「二度とあんなことをいうんじゃない。もう二度とあんなふうに見るな。あんなふうに笑うな」

「わかった、タブ、約束する」

 タブはフランクを自由にすると、柵に額を当ててもたれかかった。腕は両脇にだらんと下がっている。

「すまなかった、タブ」フランクはその肩にふれた。「おれはトラックの方にいるから」

 タブは柵の脇にしばらく立ったままだったが、やがてライフルを拾い上げた。フランクはもういちどケニーを板の上に転がして乗せ、ふたりはトラック後部のベッドにかつぎあげた。毛布を広げてケニーの身体にかけたフランクは「寒くないか?」と聞いた。

 ケニーがうなずく。

「よし。じゃ、こいつの向きを変えるにはどうしたらいいんだ?」

「一番左まで動かして、上げるんだ」フランクが前進させると、ケニーは身体を起こした。「フランク!」

「どうした?」

「動かなかったら、むりやり動かさないでくれ」

 トラックはすぐに動き出した。「まずな」フランクがいった。「こいつを日本人のとこへ持っていくんだ。大昔から続く精神文明をもった連中だから、こんなクソッタレのトラックだってどうにかしてくれる」そうしてタブをちらりと見やった。「あのな、さっきはすまなかったよ。そんなふうに思ってるなんて知らなかったんだ。正直、まったく気がつかなかった。言ってほしかったぞ」

「言った」

「いつ? いつそんなことを言った?」

「ほんの何時間か前だ」

「たぶんおれがぼうっとしてたんだろうな」

「ああ、フランク。なんだかおまえは心ここにあらずだ」

「タブ、あのな、あそこであったことも、もっとわかってやらなきゃいけなかったんだな。わかってきたんだ。おまえ、いろんなつらい目に遭ってきたんだって。あれはおまえのせいじゃない。あいつも自業自得だ」

「そう思うか?」

「そう思う。撃つか、撃たれるか、だった。もしおれがおまえでも、同じことをしていたはずだ」

 風がまともにふたりの顔にふきつけた。雪が動く白い壁となって、ヘッドライトの前にたちふさがる。フロントガラスに開いた穴から、雪が渦を巻きながら降りかかってきた。タブは手を叩きながら、なんとか身体を暖めようとしたが、何の役にも立たなかった。

「休まなくちゃムリだ」フランクがいった。「指の感覚がなくなってきた」

 その先の道路脇に明かりが見えた。酒場らしい。外の駐車場には、ジープやトラックが数台停まっていた。そのうちの何台かのボンネットには、鹿がくくりつけられている。フランクはそこに停めると、ケニーを振り返った。「調子はどうだ、相棒」

「寒い」

「ま、ローンレンジャーになった気分でいてくれよ。まったくの話、運転席のほうがひどい。フロントガラスは直しといた方がいいぞ」

「見ろよ」タブがいった。「毛布をはねのけてる」毛布は後部ドアの手前に固まっていた。

「いいか、ケニー」フランクが声をかけた。「あったかくしとかなきゃ。あとで寒いと文句をいっても、どうにもならんぞ。自分の面倒は自分でみろよな」毛布をケニーの身体にかけると、隅を折りこんだ。

「飛んじまったんだ」

「じゃ、しっかりつかまえてろ」

「フランク、なんで停まってる?」

「おれとタブもあったまらなきゃガチガチに凍っちまう。そうなったらおまえはどうなる?」ケニーの腕にそっとパンチを当てた。「だからな、ここでちょっとおまえの馬を休ませてやってくれ」

(この項つづく:明日最後まで行けるかどうか……微妙)


「雪の中のハンター」 その3.

2006-02-25 22:34:00 | 翻訳
 家から出てきたケニーは、うまくいった、と親指を上に向けた。それから三人は徒歩でふたたび森に向かった。納屋を過ぎたところで、鼻面が灰色の黒い大きな犬が飛び出してきて、三人に向かってほえかかった。ひと声ほえるたびに少しずつ後ろへ下がり、まるで大砲の反動を見るようだ。ケニーが四つんばいになってほえ返すと、犬はしっぽを巻いて納屋へ逃げ戻り、その途中、肩越しに振り返ってちょっとおしっこをした。

「あいつは年寄りだな」とフランクがいった。「老いぼれ犬さ。どう考えても15歳よりは下じゃない」

「すんげえ年寄りだな」ケニーがいった。

 納屋を越えて三人は雪原を横切っていった。あたりには柵もなく、地面は堅く凍結していて、思ったよりも早く進む。足跡に行き当たるまでは雪原のはずれを行くことにして、丘の方へどんどん戻っていく。薄暗くなるにつれて、木々の影はぼんやりとしていき、強くなった風に吹き上げられた雪片が、顔を指した。結局、三人は足跡を見つけることができなかった。

 ケニーは悪態をつくと帽子をかなぐり捨てた。「こんなひでえ狩りはは初めてだぜ、まったく」もういちど帽子を拾って雪をはらう。「15で鹿をつかまえ損なってからこっち、こんなにひどいシーズンはないだろうな」

「鹿の問題じゃない」フランクが訂正した。「これが狩りっていうもんだ。これもみなここのエネルギーがそうなってるからだし、おれたちはそれに従うしかないんだ」

「おまえはそうすりゃいいさ」ケニーが言い返す。「おれがここに来たのは、鹿をしとめるためで、ヒッピーくずれのたわごとを聞きに来たわけじゃねえ。こんなところに跡を残してるんじゃなかったら、とっくにおれが捕まえてたさ」

「もういい」フランクがいった。

「それにおまえは――おまえはあのケツの青いガキのことで頭ン中がいっぱいで、鹿に出くわしたってそれどころじゃないんだろうがな」

「くたばれ」フランクは背を向けた。

 ケニーとタブはフランクに続いて、雪原を横切って戻った。納屋の近くまで来ると、ケニーが立ち止まって指さした。「あのポストが気にくわねえ」そういってライフルを構えると、発砲した。乾いた枝をポキリと折ったような音がした。ポストは上の方が粉々になって右側に落ちた。「ほら、くたばりやがった」

「いいかげんにしろ」フランクはそういいながら、どんどん歩いていく。

 ケニーはタブに、にやりと笑いかけた。「あの木も気にくわねえな」そういうと、また撃った。タブはあわててフランクを追いかけた。話しかけようとしたところに犬が納屋から飛び出してきて、ほえかかってきた。「よしよし」フランクが声をかける。

「こいつも気にくわねえ」ケニーはふたりのうしろまで来ていた。

「いいかげんにするんだ」フランクがいった。「銃をおろせ」

 ケニーが発砲した。弾は犬の眉間を撃ち抜いた。雪の中にすっと体が沈んで、脚を広げたままひらたくなった。見開いたままの黄色い目が、ずっとこちらを見ていた。血が流れてさえいなければ、小ぶりの毛の敷物といったところだ。鼻面からあふれだした血が、雪にしみだしていった。

 三人ともそこに倒れた犬を、ただ見つめるだけだった。

「こいつがいったい何をしたっていうんだ?」タブが聞いた。「ただほえただけじゃないか」

 ケニーはタブに向き直った。「気にくわねえ野郎だな」

 タブは腰だめにして撃った。衝撃を受けたケニーは、後ろの柵にぶつかって、がくりと膝をついた。両手でみぞおちをおさえる。「おい」その手は血で染まっていた。薄暗がりの中で、その血は赤ではなく、青く見える。まるで影に染まったようだった。なぜか場違いなできごとには思えない。ケニーは仰向けになった。何度か深く息を吐く。「おれを撃ちやがったな」

「そうしなきゃおまえが撃ってた」タブがいい、ケニーの横に跪いた。「ああ、なんてこった。フランク、フランク」

フランクはケニーが犬を殺してから、ずっと立ちつくしていた。

「フランク!」タブが悲鳴を上げた。

「ほんの冗談のつもりだったんだ」ケニーがいった。「冗談だったのに。ああっ」突然背中を反らした。「ああっ」もういちどそういうと、かかとで雪を踏ん張ったので、頭が数十センチずり上がった。少し寝転がったまま休むと、かかとと頭を前後に揺すったので、まるでレスラーが準備運動をしているように見えた。

フランクは我に返った。「ケニー」かがんで手袋をはめた手を、ケニーの額に当てる。「おまえ、ケニーを撃ったな」とタブに向かっていった。

「やつのせいだ」

「いや、いや……」ケニーはうめいた。

 タブは涙と鼻水を垂らしながら泣いている。顔中ぐしょぐしょだった。目を閉じたフランクは、またケニーを見下ろした。「どこが痛い?」

「どこもかしこもだ」ケニーがいった。「どこもかしこも痛い」

「ああ、なんてことをしたんだ」タブがいった。

「どこを撃たれた?」フランクがもういちど聞いた。

「ここだ」ケニーがみぞおちを示した。徐々に血がたまっていっている。

「運がいいぞ」フランクがいった。「左だ。虫垂を外れている。虫垂を撃たれたら、血の海で溺れるところだっただろう」向きを変えて雪の上に吐くと、暖をとろうとでもするかのように、自分の身体にしっかりと腕をまきつけた。

「大丈夫か?」タブがたずねた。

「トラックの中にアスピリンがある」ケニーがいう。

「おれなら大丈夫だ」フランクが答えた。

「救急車を呼ばなくちゃ」タブがいった。

「くそっ」フランクがいった。「どう言えばいいんだ」

「ありのままをいうしかないさ」タブが答える。「ケニーがおれを撃とうとしたから、おれが先に撃った」

「冗談じゃない。そんなつもりじゃなかった」

フランクがケニーの腕を軽くたたいた。「落ち着けよ、な」そういって立ち上がる。「さあ、行こう」

タブはケニーのライフルを拾い上げ、農家の方へ歩き出した。「こんなもの、あそこに残しておいちゃいけない。ケニーがまた変なことを思いついたらかなわない」

「これだけは確かだな。こんどばかりはたいしたことをやってくれたもんだ。まったくどえらいことになったぞ」

 二度ノックして、やっと髪の長い痩せた男が扉を開けた。男の背後の部屋は、煙が充満している。目を細めてふたりを見た。「獲物は見つかったか?」

「だめだった」フランクが答える。

「そうだろうと思った。もうひとりにそのことは言ったんだ」

「事故があった」

 薄暗がりの中に立っているフランクからタブに目を走らせた男はいった。「友だちを撃ったんだな」

フランクがうなずく。

「おれが撃った」タブがいった。

「電話をかけたいんだろ?」

「差し支えなければ」

(この項続く)

「雪の中のハンター」 その2.

2006-02-24 22:18:02 | 翻訳
「寒いな」タブがいった。

フランクは息を吐き出した。「文句はやめろよ、タブ。集中するんだ」

「文句なんていってない」

「集中だとさ」ケニーがいった。「おつぎは寝間着に着替えるか、フランク。空港の花は完売したしな」

「ケニー」フランクがとがめた。「おしゃべりが過ぎるぞ」

「わかったよ。もうなにもいわない。ベビーシッターがどうのこうの、なんて話はしないから」

「ベビーシッターがなんだって?」タブが聞いた。

「こっちのことだ」フランクはケニーから目を離さず答えた。「それはしゃべっちゃいけないことじゃなかったのか。口を閉じてるんだ」

ケニーは笑った。

「おまえがそれを頼んだんだ」フランクがいった。

「頼んだ、ってなにを?」

「わかってるだろう」

「おい」タブが割り込んだ。「おれたちは狩りに来たんじゃなかったのか?」

 三人は雪原を横切って進んでいった。タブが柵をくぐり抜けようとしてひっかかった。フランクとケニーは手を貸してやることもできたのだ。針金のてっぺんを持ち上げ、底を踏みつけてやろうと思えばできたのだが、そういうことはしなかった。立って見ているだけだった。柵は何カ所もあって、森へつくころには、タブは息をあえがせていた。

 そこで二時間以上も鹿を探したが、鹿どころか、足跡も、いたことを示す形跡も残っていない。とうとう小川のほとりで昼食をとることにした。ケニーはピザを数切れと、チョコレート・バーを二本食べ、フランクはサンドウィッチ、リンゴ、ニンジンを二本と板チョコを食べた。タブが食べたのは固ゆで卵がひとつと、セロリ一本だった。

「まったく死んじまいたいような気分だぜ」ケニーがいった。「おれを火あぶりにしたいと思ってるんだろう」それからタブの方を向いた。「まだダイエットしてるのか?」そういいながらフランクにウィンクする。

「じゃなきゃなんだっていうんだ。おれがゆで卵が好きだとも?」

「おれがいいたいのは、ゆで卵で太ったなんていうダイエット方法を聞いたのは初めてだ、ってことだけさ」

「おれが太っただって?」

「そりゃすまなかったな。訂正するよ。おれのこの目の前で、どんどん痩せていってるさ。そうじゃないか、フランク」

 フランクは指を広げて、自分の食べ物が置いてある切り株をなでた。手の甲は毛深い。大ぶりの結婚指輪を右の小指にはめていたが、その平らな表面に刻まれたFの文字は、ダイアモンドがはまっているようにも見えた。フランクはその指輪をくるくる回した。「タブ、おまえは自分のタマなんて、もう十年がとこ、見たことはないだろう」

 ケニーは身体を折って笑い、脱いだ帽子で脚をたたいた。

「じゃ、どうしろっていうんだ。甲状腺のせいなんだぞ」

 三人は森を出ると、小川に沿って獲物を探した。フランクとケニーは一方の川縁を、タブはもう一方の川縁を歩きながら、上流に移動していった。雪は軽かったが吹きだまりは深く、そのなかを進むのは大変だった。どこを見てもなだらかな雪面が広がるばかりで、乱れた跡もなく、じきにタブは飽きてしまった。足跡を探すのをやめて、反対側のフランクとケニーに追いつくことにした。気がつくと、もうずいぶんふたりの姿を見ていない。弱い風が後ろから吹いてくる。風が止まると、ときおりケニーの笑い声が聞こえたが、それだけだった。タブは急ぎ足になって、吹きだまりをかきわけ、肘と膝でけんめいに雪を払い、蹴散らしながら進んだ。心臓がドクドクいい、頬が紅潮したが、それでも足を止めない。

 小川が湾曲したところでフランクとケニーに追いついた。ふたりは向こうからこちらへ渡した丸太の上に立っている。丸太の裏側はつららが下がっていた。凍った葦は突っ立ち、風が吹いても、ろくにそよぐこともなかった。

「何か見つけたか?」フランクが聞いた。

 タブは首を振った。

 日が翳ってきたので、三人は道路まで引き返すことにした。フランクとケニーは丸木橋を渡って、タブがかきわけた道を通って一緒に下流へ向かった。じきにケニーが立ち止まった。「見ろよ」指さした先には、小川から森へ戻っていった足跡がある。タブの足跡がその真上を横切っていた。川縁のその場所に残されていたのは、まぎれもなく、鹿のフンだった。「タブ、ありゃなんだ?」ケニーはフンを蹴飛ばした。「ヴァニラ味のアイシングに乗っかったクルミか?」

「気がつかなかったんだ」

ケニーはフランクを見た。

「はぐれたと思ったんだ」

「はぐれたのか。そりゃ大変だ」

 三人は足跡を追って森に入っていった。鹿は吹きだまりに半ば埋もれかけた柵の向こうに行ってしまっていた。狩猟許可区域の最上部には、もうどんな獲物の跡さえなかった。フランクは、クソッタレは字が読めるらしい、と笑った。ケニーはそのあとを追いかけたがったが、フランクはやめておけ、と止めた。ここらの人間だってやっかいごとはゴメンだろうよ。おそらくこの土地の持ち主は、頼んだらここをおれたちに使わせてくれるはずだ。ケニーは、そりゃどうだかな、とはいったものの、トラックの場所まで戻って、トラックが来た道を引き返すころには、暗くなっていることは、ケニーにもよくわかっていた。

「落ち着けよ」とフランクがいった。「自然を相手にせき立てたところで、無理なはなしだ。捕まえられるときには、捕まえられるだろうし、無理なときは無理なんだ」

 三人はトラックに向かった。森のそのあたりに生えているのは、ほとんどが松だ。雪は影になって、表面が凍っていた。ケニーとフランクはスピードを緩めなかったが、タブはそうはいかなかった。脚を前に蹴り出すと、凍った縁でむこうずねを打った。ケニーとフランクははるか先を行き、声さえ聞こえない。タブは切り株に腰を下ろして、顔をぬぐった。サンドイッチをふたつとも平らげ、クッキーも半分腹に納めてひとやすみした。あたりは静まりかえっている。タブがやっと最後の柵をガマのようにはいつくばってくぐり抜けていると、トラックが動き出した。そのために走ることを余儀なくされたタブは、やっとのことで後部ドアにつかまると、トラックによじのぼった。そのまま後部のベッドに横になってあえいだ。ケニーは後ろの窓をのぞいて、にやりとする。タブは凍りつきそうな風をよけようと、運転台の下にもぐりこんだ。耳当てを引っ張りおろし、あごをコートの襟元に埋める。窓をたたく音がしても、そちらを見ようとはしなかった。

タブとフランクはケニーが農場主の家に許可を求めに行っているあいだ、外で待っていた。古い家で、はがれたペンキが丸まっている。煙突のてっぺんから出た煙は西にたなびき、薄い灰色の羽毛のように、ふわふわと漂っていた。丘の盛り上がったあたりの真上には、青い雲が同じように盛り上がっている。

「記憶力がずいぶん悪くなったもんだな」とタブがいった。

「なんだって?」フランクはあらぬ方に目をやったまま聞き返した。

「いつだっておまえの味方をしてやったのに」

「ああ。おまえはいつでも味方してくれた。で、何が気にくわないんだ」

「あんなふうにおれを残して行ってしまうことはなかった」

「タブ、おまえは大人だ。自分の面倒ぐらい、自分で見られるだろ。ともかくおまえは問題を抱えているのは自分だけだと思っているかもしれないが、それはちがう」

「フランク、どうかしたのか?」

フランクは雪のなかからつきだしている枝を蹴った。「気にするな」

「ケニーがいっていたベビーシッターのことか?」

「まったくケニーはしゃべりすぎる。ともかく、おまえは自分の頭のハエを追うこった」

(この項つづく)

トバイアス・ウルフ 『雪の中のハンター』

2006-02-23 22:30:26 | 翻訳
トバイアス・ウルフ

「雪の中のハンター」


今日からしばらくトバイアス・ウルフの短編「雪の中のハンター」の翻訳をやっていきます。

原文はhttp://www.classicshorts.com/stories/huntsnow.htmlで読むことができます。

* * *


 降り続く雪のなか、タブは一時間も待っていた。暖を取ろうと歩道を行ったり来たりしながら、ヘッドライトが近づくたびに、頭をつきだした。車が一台止まったが、タブが手を振ろうとする前に、背中のライフルに気がついて、排気ガスを浴びせて走り去った。凍った道でタイヤがスピンする。雪はいっそう激しくなった。タブは建物のひさしの下に立った。道の向こうには、白々とした雲が屋根のすぐ上までたれ込めていた。タブはライフルを、もう一方の肩にかけかえた。雪の白さが空一面をおおっている。

 トラックが一台、スライドしながら角を曲がり、警笛をならして後部を横滑りさせた。タブは歩道まで出て、手を挙げた。トラックは縁石にのりあげてはねあがり、片側を歩道に乗せたまま近づいてくる。スピードを緩めることさえしない。片手をあげたまま立ちつくしたタブは、つぎの瞬間、後ろへ飛びすさった。ライフルが肩からすべりおちて凍った歩道の上で音を立て、サンドウィッチがポケットから飛び出した。タブは建物の階段まで逃げる。もうひとつのサンドウィッチとクッキーの包みが、積もったばかりの雪の上に散らばった。階段にあがって、振り返った。

 トラックはタブがさっきまで立っていた位置から、ほんの数メートルのところで止まっていた。サンドウィッチとクッキーを拾い上げ、ライフルを肩にかけると、運転席の窓のところへ近寄っていった。運転していた男は、ハンドルにもたれかかって、膝をぴしゃぴしゃたたきながら、足を踏みならしている。アニメの登場人物のような仕草で大笑いしながら、これだけはアニメらしくない目つきで、隣に座っている男を見た。「いまの見たか? 帽子をかぶったビーチボールってとこだったぜ、だろ? フランク」

隣の男は笑みは浮かべていたが、あらぬほうを見たままだった。

「もうちょっとでひかれるところだったんだぞ。おまえに殺されかけたんだ」

「おいおい、タブ」運転手の隣の男がいった。「そうカリカリするなよ。ケニーがちょっとふざけただけじゃないか」そういって、ドアをあけると、自分は身体を座席の真ん中にずらした。

タブはライフルの遊底を抜いて、その隣によじのぼった。「一時間も待ってたんだ。十時に来るつもりなら、なんでそう言わなかった?」

「タブ、おれたちがここに来てから、おまえはずっと文句ばっかり言ってるじゃないか」真ん中の男はいった。「一日中腹を立ててブツブツ言っていたいんだったら、家へ帰って、おまえんとこのガキ相手にやってくれ。好きなように」タブが答えないので、今度は運転手に向かっていった。「よし、ケニー、行こうぜ」

どこかの悪ガキが運転席側のフロントガラスに煉瓦をぶつけたので、冷気と雪がその穴からまともに吹きつける。ヒーターはかからない。みんなケニーが持ってきた毛布を何枚も身体に巻きつけ、帽子の耳当てを下におろした。タブが手を暖めようと毛布の下でこすりあわせるのを、フランクがやめさせた。

 トラックはスポーケンを出て、黒い線となってつづく柵に沿って、人里離れた場所に進んでいく。雪は止んだが、依然として空と大地の境界は、判然としないままだ。雪原に動く影はない。冷気のために、だれの顔も血の気が失せ、ほほから上唇にそって無精ひげが浮き上がって見えた。二度休憩をとって、コーヒーを飲みに行き、そうしてやっとケニーが、ここで狩りをしよう、といった森についた。

 タブはちがう場所にしたがった。二年つづけてこの場所をあちこち移動してはみたものの、獲物一匹、見つけることはできなかったからである。フランクは、ただあのおんぼろトラックから降りることができさえすれば、どちらでもよさそうだった。「感じろよ」そういうとドアをバタンと閉めた。脚を開いて目を閉じ、背中を反らして深呼吸する。「生き物の気配を嗅ぎつけるんだ」

「もうひとつ」とケニーがいった。「ここは許可区域なんだ。あたりのほとんどは禁猟区域だからな」

(この項つづく)

サイト更新しました

2006-02-22 22:18:10 | weblog
「「読むこと」を考える」、アップしました。
http://f59.aaa.livedoor.jp/~walkinon/index.html

えらく時間がかかってしまいましたが、とりあえずは今回はこれで、ということにします。ただ、今後とも「読む」ことは、しつこくしつこく考えていきますので、良かったらまたおつきあいください。

この間、ああだこうだ書いた文章も、また引き続き、少しずつアップしていきますね。
いつも来てくださって、ほんとうにありがとうございます。
それじゃ、また。
明日から新しい翻訳もやっていく予定です。

手紙について考えた

2006-02-21 13:36:09 | weblog
つい先日、手紙を頂いた。

最近では連絡も、もっぱらメールになってしまって、郵便受けに入っているのはダイレクトメールか、そうでなければ携帯や電話料金、カードの請求明細ばかりで、個人的な私信など、年賀状を除いては入っていることもなくなったのだが、そういうなかで届いた書簡はうれしかった。

文面はごく簡単なお礼状だったのだけれど、なにより、罫のない便箋に記された濃紺のインクの文字は、字くばりが行き届いたもので、ひと目見て、ああ、きれいだな、と思ったのだった。

習字ならいざしらず、日常目にするときの肉筆の文字は、一字一字がきれいかどうか、ということよりも、大きさが整っていることと、字配りによるところが大きい。不恰好なわたしの字も、大きさを揃え、配列に気をつけさえすれば、美しくまではならないにせよ、比較的見やすい、読みやすい字になる。

大きさを整えるためには、原稿用紙はありがたいし、私信を友人宛てに頻繁に書いていたころは、Life! の方眼に罫が入ったレポート用紙を使っていた。字より絵のほうが多いわたしの手紙には、その罫がたいそう使いよかったのだ。

そうではない、正式な手紙というのを、これまで何通ぐらい書いただろう。思い起こしても、片手で十分なぐらいではあるまいか。少しでも形が整いやすい万年筆を使って、慣れない縦書きで苦労しながら大きさを合わせて、何枚も反故にしながら、子供っぽい字を書き連ねた記憶がある。

手紙というと、なんといっても思い出すのが漱石の『こころ』の先生の手紙だ。
あの手紙は巻紙に毛筆でしたためてあったのだろうか。
確か、『坊ちゃん』には、清から来た手紙を坊ちゃんが読むシーンがあって、巻紙の読み終えた部分が、風にひらひらする、という、おかしみのある、けれどもそれ以上に、坊ちゃんを思う清の心情に胸がいっぱいになってしまうような描写があったように記憶している。

もうひとつ思い出すのは、ラクロが書いた『危険な関係』で、これは当時は多かったのだけれど、全篇、手紙から成り立っている。ストーリーを進めていくのは、不道徳な公爵夫人宛てに、若い人妻を誘惑する自分の手練手管の成果を報告するヴァルモンの手紙である。なかには「女の尻の上で書いた」という手紙まであって、ここまで正々堂々(?)と不道徳であるというのは、なかなか天晴れなことであるな、と、おもしろく読んだ。
このときの手紙は、羽ペンにインクをつけながら書いたのだろうが、紙はなんだったのだろう。

わたしが絵入りの手紙を書き始めたのは、もちろん『あしながおじさん』の影響があったからだ。
児童文学に分類されることが多いこの作品は、孤児であるジェルーシャ・アボットが、ヴァッサー女子大での生活を報告したもの。したがって、児童文学というより、年齢的にはヤング・アダルトのほうがふさわしいのだけれど、やはり古きよき時代、というか、同じヴァッサーでも、メアリ・マッカーシーの『グループ』と比較すると、同じ場所を舞台にしたものだとは信じられない。

ただ、わたしは子供時代にはこの本は読んでいなくて、英語の勉強用の教材として、直接英語で読んだ。英語の読解力の不足がかえって幸いしたのか、比較的起伏のない、たいして事件も起こらない手紙ではあっても、大変おもしろく読むことができた。そうして、こんなふうに絵を入れるのは楽しいなぁ、と、さっそくまねを始めたのである。

もうそんなものを書くこともなくなってずいぶんになるけれど、たまにおもしろい出来事にでくわしたとき、絵入りで報告できたらな、と思うこともある。
とはいえ、そんなものを読まされる側は、さぞ迷惑なことだろう。

そういえば、ロラン・バルトは『テクストの快楽』のなかで、こんなことをいっていた。引用元を確かめずに書くのだけれど、読者をたいくつさせる文章というのは、まるで子供のおしゃべりのような、文章のおしゃべり。単に書きたいという欲求の結果から生まれた、言語活動の泡に過ぎない……。

はぁ……。
気分が暗くなってきた。
おしゃべりにつきあってくださって、どうもありがとうございます。

明日にはサイト更新するつもりでいます。それは「おしゃべり」以上のものであればよいな、と思っております。
それじゃ、また。


視点を変えることについて考えた

2006-02-20 19:07:48 | weblog
「「読むこと」を考える」にぼつぼつと手を入れているのだけれど、もうブログバージョンとは似てもにつかぬものになっております。とりあえず、今日は「視点」書いたんだけど、それに関連して思い出した話があったので、ここに書いておく。

「誰が見るか」によって、まるっきり出来事の様相が一変する、ということで有名なのが、芥川龍之介の『藪の中』である。
けれども、ここまで劇的でないにせよ、日常でもこうした食い違いというのは、わたしたちが気がつかないだけで、よく起こっているのだろう。
どうしたはずみかでこの食い違いがはっきりとした形をとることがあって、そうしたとき、自分が見ていたと思ったものは、いったいなんだったのか、と思う。

ところが、もっと頻繁に経験しているのが、同じ自分が見たできごとなのに、見方を少しずらしただけで、まるっきりちがうふうに見えてくる、という経験だ。

サマセット・モームの短編『仮象と真実』はそのことをテーマにした作品である。
手元に実際の本がないので、中野良夫『英文学夜はなし』(新潮選書)を元に書く。

ストーリーというのはこんなところだ。
フランスの内相であり、かつまた大企業の経営者、財界の大立者でもあるル・スール氏は、あるとき若いモデルに恋をした。

長年連れ添った妻は、特別不仲ではないものの、経済的な理由で結婚した相手であり、ル・スール氏に「燃えるような恋愛」の経験はなかったのである。
夢中になったル・スール氏、このモデル、リゼットのためにアパートメントまで借りてやる。そうして、夢のような二年が過ぎた。

ある日曜日、ル・スール氏がリゼットの元を尋ねてみると、なんと食卓には若い男が自分のパジャマを着て座っている。若い男は叩き出したものの、ル・スール氏、腹が立ってどうにもおさまらない。

「つまり、あなたは騙されてたってことに腹が立つらしいのねえ。面白いわ。男の人ってみんなそうなのね。自惚れが強すぎるのよ。つまらんことを大きく考えすぎるのよ。……かりにあの青年があたしの夫で、あなたの方が情人(おとこ)だったとしてごらんなさい。きっと、あなた、自然も自然、完全に自然だと思うはずよ。つまり早く言えば、こうなった以上、この問題を丸く納めるにはね、あたしがあの青年と結婚するのが一番いいんじゃない?」
…略…
 ル・スール氏はちょっと意味が呑みこめなかった。が、次の瞬間には、彼女の言っている意味が、稲妻のように聡明な彼の頭に閃いた。彼はチラリと女の顔を見た。彼女の美しい眼が、いつも彼の惚れ惚れする例の瞬きをくりかえしており、赤い大きな唇には、心なしか悪戯っぽい微笑さえ浮かんでいるのだ。

 まもなくリゼットと青年の結婚式が、ル・スール氏立会いの下、華々しく執り行なわれる。無事式も終わり、新婚旅行に出かけるために車に乗り込もうとするリゼットは、そのまえにル・スール氏の頬にかわいいキスをし、そっと耳打ちする。
「月曜の五時よ。待ってるわ」

この作品に対して、中野良夫はこのように書いている。

 では、この場合、人間の心理の盲点「とはなにか。リゼットをめぐるル・スール氏と、そして青年。考えてみれば、実にこれはありふれた、そして単純きわまる三角関係である。ただ青年とリゼットの正式結婚を境にして変わったのは、それまでのル・スール氏が女を盗まれる被害者(コキュ)の立場であったのにひきかえ、結婚後は逆に彼が盗む方の立場に一変したというだけの話である。実態そのものからいえば、一人の女と二人の男、なんら図式に変わった点はない。だが、ただ盗まれる立場にあるかぎりは、やれ男の面子だの、やれ名誉だのと、ル・スール氏「までが息巻いて、猛烈な痴話喧嘩沙汰にもなったのであった。だが、ひとたび盗む立場に変われば、「月曜の五時よ。待ってるわ」の一言で、満足そうな溜息までつけるのである。奪られるのは腹が立つが、奪る分にはいい気持の優越感さえ味わうという、虚栄心というか、自惚れというか、男の心理の盲点を、チクリと意外な角度からメスを入れたところが愉快なのである。……

「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される」とは漱石の名言だが、情に溺れては悲劇になる。だが、うまく智に働けば喜劇になる。一歩立ち離れて客観的に観察すれば、すべては喜劇に終わるというのが、所詮人生の真実なのではあるまいか。

もうこの作品に関しては、この中野の言葉以上に付け加えることは何もないのだけれど、実際にわたしたち自身、この「ずらし」をよくやっている。

つまり、時間の経過ということである。
起こったそのさなかにいるときは、どんな悲劇的な出来事でも、時間の経過とともに、その悲劇性は薄れていく。それは、わたしたち自身の「忘却」ということでもあるけれど、時間の経過とともに「見ている場所」が変わっているからである。

わたしたちは「時間」ということを、空間的にしか認識できないから、このようなことも起こる。時間の経過とともに、ものごとを見るわたしたちの位置というのは、実際に変わってきているのである。

* * *

ところで、わたしたちはどこまで「自分の視点」を離れることができるのだろうか。

「思いやる」という言葉がある。
思いやる、とは、相手の立場や気持ちになってみる、ということだろう。
自分の立場や気持ちをいったんカッコに入れ、相手ならどう思うだろうか、どうするだろうか、と考える。

さらに「思いやりをもって行動する」というと、これに加えて、相手が自分に望むであろう行動を推し量って自分が相手にしてあげる、ということになるだろう。

ところが、わたしたちはどれほど親しい相手でも、相手の気持ちになったつもりでも、相手に成り代わってものごとを見たり、感じたりすることはできない。これが一致するなら、それは一種の奇跡ともいえることで、そんな奇跡はいつもいつも望めるものではない。

わたしたちにできるのは、せいぜい自分がしてもらったらうれしいことを、相手もそうなんじゃないかな、と思って、するだけだ。
ところが相手から期待したほどのリアクションが返ってこないとき、なんとなくおもしろくなくなってしまう。わたしがあなたのためを思ってしてあげたのに……、という不満は、必ず相手にも伝わり、相手も不愉快になる。こうなると、実際、なんのための「思いやり」だかわからなくなってしまう。

昔からわたしは「ナントカのため」、という物言いには、どうもなじめないものを感じてしまっていたのである。「思いやり」というのも、そこまで結構なものなんだろうか、と思うわけである。いや、わたしが単に「思いやり」に欠ける人間であるだけなのかもしれませんが。

つまり、視点のずらし、というのは、あくまでも「わたし」という定点から、パースペクティヴ(遠近法)を変えてみる、ということであって、自分の視点を、そっくり誰かのものに移してしまう、ということではないのだろう、と思うのだ。そんなことは、できることではない。

それができるのはただひとつ。
本を読む、あるいは、映画を観るなどして、フィクションのなかに入ることだけなのだろう(あ、TVもそうだな、自分が見ないから忘れてた)。

フィクションを読むことで、わたしたちは自分以外の視点からものごとを見ることができる。
こうした経験は、おそらくものごとを見るパースペクティヴにも関連してくる。

その真っ只中にいるときは、悲劇でも、一歩はなれて見るならば、笑い飛ばせる喜劇になる。そうした柔軟な遠近感をもっていたいものだ。

いや、わたしは現実に遠近感が相当おかしくて、とくにコンタクトではなくて、メガネのときがダメで、この間ガラスの扉に激突したんですけどね。これは関係ないか。

Porcupine Tree : The Sound of Muzak

2006-02-18 18:30:46 | 翻訳
日付のある歌詞カード

#3 Porcupine Tree : The Sound of Muzak

音楽の響きが聞こえている
観客席の間を漂っている
気分をハイにするプロザックは
ずるずるとあとを引いていく

いずれ音楽なんてものは
楽しませるものじゃなくなるんだろう
抑圧し、
頭のなかを中和させるだけのものになるんだろう

その魂は搾り尽くされ
激しさは鈍くなり
人口統計表は人が何を求めているか教えてくれる

この世界のすばらしいものがだめになっていく
だめになっていってるんだ
所詮ばかげたまちがいのひとつだから、だれも気にしちゃいないけど
そう、だれもたいして気になんかしちゃいないんだ

いまじゃ音楽の響きは銀色に光る円盤に入ってくる
安っぽいスリルを生み出すように加工されている
反乱を呼びかける歌を聴いていると
怒りもかきたてられるけれど
それを作っているのは
君の倍くらいの年の億万長者

その魂は搾り尽くされ
激しさは鈍くなり
人口統計表は人が何を求めているか教えてくれる

この世界のすばらしいものがだめになっていく
だめになっていってるんだ
所詮ばかげたまちがいのひとつだから、だれも気にしちゃいないけど
そう、だれもたいして気になんかしちゃいないんだ



※原詞はこちら
http://www.lyricsondemand.com/p/porcupinetreelyrics/thesoundofmuzaklyrics.html

* * *

わたしはあんまりいろんな音楽を聞くほうではなくて、それをいうなら映画だってたいして見ているわけではなくて、本だけはちょっとは読んでるかな、とは思うけれど、Webなんかを見ると、実際ものすごい数の本を読んでいる人にいつも驚かされてしまって、「本なんて数じゃないんだよ」って、小さい声で負け惜しみを言ってしまいたくなる。

できるだけじっくりといろんなものを味わいたいから、種類はどうしても少なくなってしまうのだ(これまた負け惜しみ)。

だから、おそらくPorcupine Treeなんていうバンドも、教えてもらうことなんかがなかったら、たぶん、絶対に聞くことはなかった(これもまた幸福な出会いのひとつだ)。

この曲は、歌詞を見てもらえればわかると思うけれど、いまの音楽的状況に対して、やりきれない思いを歌った歌だ。
あ、かきわすれたけれど、タイトルの"Muzak" これは商標でもあって、つまりバック・グラウンド・ミュージックのことなのだ。

この歌詞は細かいところに仕掛けがいっぱいあって、おもいっきり薀蓄を披露してもかまわないのだけれど(笑)、やめておく(サイトのほうにはやるかもしれない)。

音のほうは、すごく不思議な音だ。
Aメロ(詞だと1,2連目)とBメロ(3連目)が7拍子で、サビが4拍子。
このサビの部分、"going down" という歌詞といっしょにメロディラインもおっこって、それがコーラスのいい感じの響きとあいまって、ものすごく気持ちいい。
それまでの変則の七拍子で、微妙にストレスがたまって、それが一気に解放される感じなのだ。

Aメロ、Bメロ、サビ、っていう、ものすごく単純なつくりのふりをして、結構音のほうにも細かい仕掛けがしてあって、なによりも歌詞の響きときれいに合っている。どこまで計算して作ったのかよくわからないのだけれど、計算してあるとしたら、すごいポリフォニーだ。だけど、なんとなく作っちゃったらそうなっちゃったのかもしれない(笑)。いや、ほんとに、このスティーヴン・ウィルソンという人は、歌詞にしても曲にしても、どこまで考えて作ったんだろう? と考え込んじゃうところがあるのですよ。

ロックっていうのは、昔は反逆の音楽だった。
そうした歌い手・作り手のある人たちはドラッグで死に、別の人たちは商業主義にからめとられてしまった。そうではない人は、中年になった。自分たちが絶対に信じない、といっていた、当の年齢になってしまった。

歴史は教えてくれる。
どんな理想を描いていた反乱グループも、権力を握るや否や、確実に腐敗していく。
批判する声は鋭くても、将来を描く見取り図はロマン的で、夢のようなものでしかない。

そうでないありようはないんだろうか。
年をとっても、成功しても、権力を手にしても、腐敗したり、堕落したりしないようなありようというものは。

スティーヴン・ウィルソンも、いまはこういう歌を歌っていい。
だけど、もう何年かしたら、自分がそれを向けられる側になる。
問題は、そのとき、どう答えるか、なのだよ。


* *

ごめんなさい、あれやこれやでサイトの更新、ちょっとできてません。
水曜日に更新する予定です(こうやって自分にプレッシャーをかけておこう)。
あと、明日はちょっと出かけるので、お休みします。
いつも遊びにきてくださって、ほんとうにありがとう。
それじゃ、良い日曜日をお過ごしください。
じゃ、月曜日に。