陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

スコット・フィッツジェラルド「生意気な少年」その3.

2010-11-30 22:54:42 | 翻訳
(※タイトルを「生意気な少年」と改めます。"freshest"をどう訳すか、いろいろ悩んだのですが、やはりこちらの方が適切のようなので)


その3.



II


            イーチェスター セント・リージス校
                    19--年11月18日

お母さんへ

今日は書くほどのニュースはないので、お小遣いのことを書きます。ほかの生徒はみんな、ぼくよりたくさんのお小遣いをもらっています。ぼくには買わなければならないもの、たとえば靴ひもとかそんなものがたくさんあるんです。
学校は、相変わらずとてもいいところで、毎日楽しく過ごしていますが、フットボールシーズンが終わったので、やることもあまりありません。今週はショーを見にニューヨークへ行く予定です。一体何を見るのか、まだわかりませんが、おそらく『クワッカー・ガール』か『リトル・ボーイ・ブルー』だと思います。どちらも評判がすごく良いから。
ドクター・ベイコンはとてもいい人で、村の方にも立派なお医者さんがいます。代数の勉強をしなければならないので、筆を置きます。

  あなたの愛しい息子
  ベイジル・D・リー


ベイジルが手紙を封筒に入れたちょうどそのとき、小柄でしなびたような少年がひとけのない自習室に入ってくると、すわっているベイジルをじろじろと見た。

「よぉ」ベイジルはしかめっつらでそう言った。

「探してたんだ」小柄な少年はゆっくりと相手を見定めるように言った。「あっちこっち探したよ――おまえの部屋も、体育館もな。そしたら、こっそりここに入りこんでるんじゃないかって教えてくれた人がいたんだ」

「何か用?」ベイジルはつっけんどんな声を出した。

「カリカリすんなよ、ボス」

 ベイジルが勢いよく立ちあがったので、小柄な少年は一歩あとずさりした。

「いいよ、なぐりたきゃなぐれよ」少年は神経質そうな高い声を出した。「なぐったらいいよ、ボス。こっちは背が半分しかないチビなんだから」

 ベイジルはひるんだ。「そんなふうにおれのことをまた呼んだら、ほんとにひっぱたいてやるからな」

「そんなことはできないね。ブリック・ウェールズがね、君がもし、ぼくらのうちの誰がに手を出そうもんなら――」

「だけどおれはおまえたちの誰にも、手なんて出したことがないじゃないか」

「前に追いかけたじゃないか。それにブリック・ウェールズが……」

「おい、それより何の用があるんだ」ベイジルはうんざりして大きな声を出した。

「ドクター・ベイコンが用があるんだって。ぼくに、探してくるようにって。君はここにこっそり来てるかもしれない、って教えてもらったんだ」

 ベイジルは手紙をポケットに入れると、部屋を出た――小柄な少年と、その口からあふれでる悪態が、ドアから追いかけてきた。ベイジルは長い廊下を反対側に渡った。男子校特有のむっとする臭気が鼻を突く。かびたキャラメルの臭いというのが、一番ふさわしい形容だろうか。

 ドクター・ベイコンは机に向かっていた。整った顔立ちをした、赤毛の監督派教会の牧師で、五十歳になる。もともと少年たちに対しては、真剣に関わっていたのだが、それもいまでは、人をまごつかせるほどの皮肉のせいで、すっかりわかりにくいものとなってしまった。それも校長という校長が陥る宿命であり、彼らに生える青カビのようなものなのだった。
ベイジルに、すわりなさい、と言う前にも、一連の予備行動があるのだ。まず、金縁メガネをどこからともなく取りだした黒いヒモで持ち上げて、ベイジルをのぞき込み、名を騙っているのではないかと確かめる。それから机の上に積んである書類の山を、すっかり混ぜこぜにするのだ。それも何かを探しているのではなく、トランプを神経質にシャッフルするかのように、それを行うのである。

「君のお母さんから、今朝、手紙をもらったよ――ええと、ベイジル君」名前の方で呼ばれると、ベイジルはびくっとするようになっていた。学校ではまだ誰も、ボスやリー以外の呼んでくれる者はいなかった。
「お母さんは、君の成績が芳しくないと思っておられるようだな。君がここに来るためにはある種――まあ、その、犠牲といったらいいか、とにかくそうしたものを払われたそようだね。だから、お母さんが期待するのも……」

 ベイジルの心は、自分の成績が悪いことではなく、経済的な理由でここにふさわしくないということをあからさまに口にされたために、恥ずかしさではらわたがよじれそうになった。金持ちの男子校の中で、自分が一番貧乏な生徒であることを、彼はよく知っていた。



(この項つづく)



スコット・フィッツジェラルド「生意気な少年」その2.

2010-11-29 23:02:58 | 翻訳
その2.

「きっとみんな、前の学校ではおまえが一番生意気なやつだったってこと、知ってると思うな」

「黙れったら」ベイジルは繰りかえしたが、その声には力がなかった。「頼むよ、いいかげんにしてくれないか」

「学校新聞に、おまえのこと、なんて書いてあったんだっけか」

 ベイジルの顔から冷静さが消えた。

「ガチャガチャ言うのをやめないんだったら、ブラシも全部、窓から放り出してやるからな」

 大げさな脅しが功を奏したらしい。ルイスは座席に深く身をもたせかけ、鼻を鳴らしてぶつぶつと言っていたが、それでもさっきよりはずいぶん静かになった。だが、ルイスの言葉は、相手にとっての人生最大の屈辱を衝いたのだった。ベイジルは以前学校で、生徒発行の雑誌の「人物紹介」の項に、こんな文章を書かれたことがあった。

お願いいたします。どなたかこのベイジル少年を、毒殺、あるいはあの口だけでもどうにかして封じてくださらないものでしょうか。学校をあげて、もちろん筆者自身も、心からの感謝を捧げる次第であります。


 ふたりの少年は腰掛けたまま黙りこくり、互いに相手に対する怒りをくすぶらせていた。やがて、ベイジルは決然と、こんな気分の悪い思い出なんか葬ってやる、と考えた。あんなものはみんな、捨ててきたんじゃないか。たぶん、ちょっとくらいは生意気だったのかもしれないけど、新たにスタートを切り直そうとしているんだ……。やがて当時の記憶もどこかに紛れ、一緒に列車も、うっとうしいルイスの存在も消えてしまった――ひどく強い、懐かしさすら感じられる東部の息づかいが彼をつつみこむ。そのおとぎ話の世界から、彼の名を呼ぶ声が聞こえてくる。男が横に立ち、スウェットシャツを着た彼の肩に手を置いた。

「リー!」

「はい、コーチ」

「すべて君にかかってるんだ。わかってるね?」

「はい、コーチ」

「よし」コーチが言った。「さあ、勝ってこい」

 ベイジルは、青年らしさを帯びてきた体からスウェットシャツをかなぐり捨てて、フィールドへ駆けだした。試合時間は残り二分、得点は3対0で敵がリードしている。だが、若きリー、ダン・ハスキンスという学校のボスと、その子分のウィーゼル・ウィームスの悪企みのために、一年間出場禁止処分を受けていたリーの姿を見ると、セント・リージス校のスタンドにはゾクゾクするような興奮が湧き上がった。

「33-12-16-22!」
小柄で華奢なクォーター・バック、ミジェット・ブラウンが怒鳴った。それが彼の合図だった……。

「よし、いくぞ!」ベイジルは声に出していた。いましがたまで味わっていた不愉快な気分はすっかり忘れていた。「明日なんてこといわないで、いますぐ向こうに着けないかなあ」






(この項つづく)




スコット・フィッツジェラルド「生意気な少年」

2010-11-28 23:22:09 | 翻訳
このところ忙しかったのですが、一山越えたので、今日からまた再開していきます。
今日からFitzgeraldの短編"The Freshest Boy" の翻訳をやっていきます。この作品はフィッツジェラルドの初期の短編で、自伝的要素の濃いBasilシリーズのひとつです。
フィッツジェラルドの分身を思わせるような少年ベイジル・リーが、故郷を離れ、東部の寄宿学校の一員となります。
一週間ぐらいで訳していきますので、まとめて読みたい方はそのくらいにのぞいてみてください。
原文はhttp://gutenberg.net.au/fsf/BASIL-THE-FRESHEST-BOY.htmlで読むことができます。


* * *

The Freshest Boy(「生意気な少年」)


By F. Scott Fitzgerald


I


 深夜、ブロードウェイの隠れレストランには、華やかでミステリアスな社交界の面々や暗黒街の顔役、さらにその手下どもがつどっていた。ついさきほどまでは、シャンパンがひっきりなしにグラスに注がれ、若い女は浮かれてテーブルの上で踊りだす始末だったというのに、いまやひとり残らず押し黙り、息もつけずにいる。目という目が、仮面をつけ、燕尾服にオペラハットという瀟洒ないでたちで戸口に平然と立つ男に釘付けにされていたのである。

「お動きにならぬよう」という声からうかがえるのは、育ちの良さや教養ばかりでなく、鋼のように冷徹な響きがあった。「私が手にしているこいつに――ものを言わせる羽目になりましょう」

 彼はテーブルからテーブルへと目を走らせた――貴賓席にいる青ざめ、陰気な男の敵意に満ちた顔から、ヘザリー――某大国の超一流スパイ――へと移り、そこから視線は、いくばくか長く、またいくばくか優しすぎるものとなって、一箇所に留まった。その先には、黒髪で、暗く悲しげなまなざしの娘がひとり、テーブルを占めている。

「私の目的は達せられました。そこで今度はみなさんに、わたしが誰か教えてさしあげましょう」向けられた目に、一斉に期待の色が宿った。黒い瞳の娘の胸がかすかに波打ち、フランス香水のあえかな香りが流れた。

「私こそ誰あろう、かの謎に包まれた男、ベイジル・リーであります。通称『影』とは私のこと」

 ぴたりと頭に合ったオペラハットを取ると、皮肉めいたしぐさで深々と一礼する。かと思うと閃光のごとくにすばやく身を翻し、夜の闇に紛れてしまった……。




……「ニューヨークに行けるのは月に一度だけだ」ルイス・クラムが話していた。「おまけにそのときは先生に連れて行ってもらわなきゃならないんだ」

 ベイジル・リーは寝ぼけまなこを、インディアナ州の田園地帯に点在する納屋や看板から引き剥がして、ブロードウェイ特急の内部へ移した。飛びすさる電柱にかけられた催眠術から覚めた先には、向かいの座席の白いカバーを背にしたルイス・クラムの鈍い顔があった。

「ニューヨークに着いたら、先生なんてすぐにまいてやる」ベイジルは言った。

「おまえならやりかねないな」

「絶対そうするさ」

「やってみりゃどうなるか、そのうちわかるさ」

「君はそのうちわかるっていつも言うけど、ルイス、それってどういう意味だよ。何がそのうちわかるんだ?」

 ベイジルの生き生きとした藍色の瞳に、うんざりしたような色が浮かび、相手にじっと注がれた。ふたりのあいだには共通点などほとんどなかった。共に十五歳であることと、ふたりの父親が終生変わらぬ友情を誓い合ったこと――いまとなってはほとんど意味をなしていない誓いではあったが――ぐらいだ。そんなふたりが、中西部の同じ町から同じ東部の学校に、ベイジルは新入生、ルイスは二年生として、向かっているところなのである。

 だが、昔から言われてきたこととは裏腹に、先輩ルイスが惨めったらしい顔をしているのに対して、新入生のベイジルは元気一杯である。ルイスは学校が嫌いだった。なにしろ強く暖かい母親の励ましに頼り切って大きくなったせいで、その母親から遠くなるにつれ、気持ちがくじけ、ホームシックの思いが募るばかりだったのである。

一方、ベイジルはというと、これまで寄宿学校生活にまつわる話を夢中になって読んだり聞いたりしてきたおかげで、ホームシックどころか、勝手知ったる世界を前に、高まる期待に胸を一杯にしていた。実際、昨夜ミルウォーキーで、さしたる理由もないまま、ルイスのクシを汽車から投げ捨てたのも、荒っぽい伝統に従っただけ、むしろふさわしいことをしたぐらいの気持ちだったのだ。

 ルイスにしてみれば、何も知らないくせに勢いこんでいるベイジルがやりきれなかった――そこで半ば無意識に相手の気勢をそごうとして、結局、双方が相手に対するいらだちを募らせることになってしまったのだった。

「そのうち何がわかるか教えてやろう」と言うと、ルイスは不吉な予言を口にした。「おまえはタバコを吸ってるところをとっつかまって、外出禁止を喰らうんだ」

「そんなことあるもんか。だってぼくはタバコなんて吸わないもの。フットボールの練習をするんだ」

「フットボールだって? ハハ、そりゃ良かったな、フットボールとはね」

「おいおい、ルイス、君に好きなものなんてあるのかい?」

「フットボールなんか好きなわけないじゃないか。やられた上に、目玉に一発喰らうだなんて、まっぴらごめんだね」

ルイスは挑発的な言葉を返した。というのも、彼が小心なところを見せるたび、母親は、ほんとにあなたは常識をちゃんとわきまえているのね、と褒めたたえてきたからなのだ。ところがベイジルの返答は、そもそも相手を思いやったつもりだったのだが、実際のところは生涯の敵を作ることになった。

「君だってフットボールをすれば、もっと学校で人気者になれるよ」――と、偉そうに言ってしまったのである。

 ルイスは自分が人気がないとは思ったことがなかった。だからフットボールで人気が出るなどと、考えたこともなかったのだ。だからその言葉にひどく驚いた。

「覚えてろ!」腹を立てたルイスは怒鳴った。「そんな生意気な態度なんか、学校でたたき直されるんだからな」

「黙れ」ベイジルはつとめて冷静を装って、初めてはいた長ズボンの折り目を引っぱりながら言った。「いいかげんにしろよ」




(この項つづく)



「天才」って何?

2010-11-24 23:27:33 | weblog
電車に乗っていたら、後ろの席の話し声がいやに大きい。振りかえると、制服姿の高校生がふたり、話をしているところだった。

クラスメイトだか同じ塾に通う生徒だかの「アオキ(仮)」君が天才か、努力家か、ふたりのあいだで意見の一致をみないらしい。対立にならないように、冗談めかしてはいるものの、議論が熱を帯びるにしたがって、徐々に笑い声も減っていき、言葉にも微妙にトケが顔をのぞかせるようになってきた。そのうち論証も種切れになってきたか、

おまえな、何も知らんやろ、あいつ、ほんま頭ええねんで。
ちゃうて。むっちゃ勉強してんねんて。あいつくらい勉強したら、おれかてあのぐらいの成績が取れるって。

ということの繰りかえしになってきた。

つまらなくなったので、わたしはさきほどまで読んでいた本に戻り、活字を追っていると、しばらくしてまた急に大きな声が聞こえてきた。どういう話の流れか、今度はゴルファーの石川遼が、「ほんまもんの天才」か、「ほんまもんではない」か、という話になっている。

聞いていて、何となく奇妙に思ったのは、双方ともいわゆる「天才」と呼ばれる存在にはいくつかの条件があって、それをクリアすれば晴れて「天才」と呼べる人として認定されると思っているらしいことだった。意見が分かれるのは、その項目がふたりの間でずれているからなのだ。

確かにわたしたちは、誰それは「天才」だと気安くいう。ゴッホは天才画家だ、いや、セザンヌの方がもっと天才的だ、いやいや、天才画家というなら、ピカソを置いてほかはない……などというように。

この場合にしても、みんな「天才画家」と呼ぶためには、いくつかの条件があって、その条件が人によってちがうから、意見が異なるわけである。

だが、そんな条件の元になっている「天才」って、いったい何なのだろう。

わたしたちは勝手に、世間的に評価も高く、自分がすばらしいと思う画家を「天才画家」というカテゴリーに分類しているだけではないのか。

モーツァルトは天才だった、いやいや、ベートーヴェンが、いや、それを言うならバッハだろう……という議論にしても、彼らが天才の資質を備えているのではなく、逆に、彼らの存在を通して、わたしたちは「天才作曲家」というカテゴリーを創り出したのではないだろうか。

すばらしい作曲家、すばらしい画家、偉人、傑出した人びと。
そういう人びとたちを寄せ集め、共通点を抽出し、「だから天才なんだ」という論証になるようなものを見つけだす。わたしたちが「天才」と呼ぶ、その言葉は、そうやって生まれたのではないか。

わたしたちが規準とするような、「これぞ天才」と言われるような人がどこかにいて、その人を元に、比較対照するわけではない。「天才」というのは、人に張る、ただのラベルに過ぎない。わたしたちは、ある人のある特徴をとらえて、この人は天才だ、いや努力の人だ、などと分類するが、その分類に、客観的根拠があるわけではないのだ。

「天才」という資質が、偉大な記録や作品を産み出すわけではない。まして、ある科目で飛び抜けた成績を取らせるわけでもない。

そうではなくて、わたしたちがある記録や作品や点数をとらえて、「天才」というカテゴリに分類する、というだけの話なのである。

以前、ここで書いたことがあるが、いわゆる「性格」にしてもおなじ事だ。「やさしい」という性格があるわけではないのだ。わたしたちはある行為をとらえて、それを「やさしい」行為に分類する。そうして、そんな行為を取る人を、やさしい、と呼ぶだけなのである。

性格は、行為を引き起こすわけではなく、引き起こされた行為を見て、わたしたちがそれをいくつかのカテゴリーに分類し、そこからさらに行為をした人をも分類しているのだ。

それと同様に、結果を見て、そこからさかのぼってその原因を作った人を、「天才」と呼んだり、「努力の人」と呼んだりしているだけなのである。

見ず知らずの高校生に、君たち、原因と結果を取り違えているよ、とは言わなかったが、堂々巡りの話を聞きながら、そんなことを考えてしまったのである。





「ほんとうのわたし」はどこにいる

2010-11-22 23:35:06 | weblog
高校時代、クラスに体の大きな女の子がいた。身長も高いが横幅もある。歩く姿は「のっしのっし」という擬態語がふさわしく、十代にしてその恰幅は「肝っ玉母さん」という雰囲気で、実際「ママ」と呼ばれていた。

勉強もそこそこできるし、面倒見が良い。話を親身に聞いてくれるし、ケンカをしている子の仲裁も買って出てくれる。そんなことで、彼女を頼るクラスメイトも多かった。先生も、何かと厄介な年代の女の子たちを束ねる役割は、彼女に委ねていたように思う。年は同じでも、わたしたちなどよりはるかにしっかりしている感じの子だった。

やがてわたしたちはそろって高校を卒業し、それぞれに別れて大学に進んだ。そこからさらに数年が過ぎたころ、偶然、駅で彼女と出くわしたのである。

向こうから声をかけられても、誰かわからない。やがて、コントラルトの深い声に反応して、「まさか、ママ?」と本名を思い出す間もなく、聞いてしまった。
「そうよ、わたしよ。変わったでしょう」

一体、何キロほど落としたのだろう、姿かたちが変わっていただけでなく、全体から受ける印象がまるでちがうのだ。すっきりと細い体とちょっときつめの顔立ちには、細い体の線を強調する当時流行っていたボディコンシャスのスーツがよく似合った。十代の頃の、どちらかといえばおばさんくさかった当時の面影など、どこにもないのだった。

「もともとキレイだったんだねえ。ごめんね、全然気がつかなかった。ダイエットしたんだ?」
そうわたしが言うと、そうよぉ、大変だったんだから、と少し誇らしげに答えた。だけどね、ほんと、周りの態度が百パーセントちがうの、という。

それを聞いて、てっきりわたしは男の子の態度だとばかり思って、モテモテなんだ、と言うと、ちがうの、そういうことじゃないの、という。男の子なんかに最初から相手してもらえるとは思ってなかったから、男の子から「アウトオブ眼中」みたいな態度を取られることは平気だったの。でもね、みんなから「おっかさん」扱いされるのが、ほんとうに負担だったのだ、と。

最初はそんな役が割り振られたことも、かえってうれしかったの。太ってたから、からかわれたりするんじゃないかってビクビクだったのね。でも、みんなが「ママ」「ママ」って頼ってくれて。

でも、わたし、最初は気がつかなかったんだけど、そんなに包容力があったわけじゃないのね。だんだんそれが辛くなってきて。だけど、やーめた、なんて言えるわけもないじゃない、だから最後の頃は、もう大変だったの。何とか、誰もわたしのことを知らないところへ行って、全部やり直そうって必死だった。ダイエットのきつさも、そのときのことを思ったら、何でもなかったんだ。

それが、痩せたら誰もわたしのことを「ママ」なんて呼ばないのね。ああ、自分らしく生きるって、こんなにラクだったのか、って、つくづく思ったんだ。

やがてわたしの乗る予定の電車がホームに入ってきて、反対方向へ向かう彼女とはそれっきり別れてしまった。それから何度か年賀状のやりとりもしたような気もするが、それからどうなったのかはよく覚えていない。

わたしたちはたいていのとき、「自分はこんな人間だ」という漠然としたイメージを持っている。だが、そのイメージは果たしてどこから来たのだろうか。

たとえば、「自分は神経質だ」というセルフイメージも、そもそも発端は「メガネをかけていて、痩せて色が白い」というところから来た、周囲の印象かもしれない。そんなふうに、周囲が「神経質そうな人」という目で見、「神経質な人」という役割を割り振られ、「神経質な応対」を期待されるうちに、いつの間にか、自分自身が自分をそういう「役割」として見るようになっていった、ということはないだろうか。

クラスメイトの例にもあるように、ある役を振られて、それを自分がさほど受け入れがたいというわけでもなければ、わたしたちは何となくそれを受け入れてしまうのかもしれない。そんな役割に沿って、自分を理解し、周りが期待する反応を示しているのかもしれない。

だが、彼女は、いつもいつも相談を持ちかけられ、自分だって話したいことがあったとしても、一方的に聞き役に回らなければならなかったり、誰からも同じ立場として見てもらえず、それどころか土俵の外に置かれ、決まった役割を唯々諾々と演じることに疑問が生じたのだ。

そこから、新しい自分の役割を、手探りで創り出そうとしていったのだろう。彼女の場合は、わたしが会ったときは、リセットがうまくいったようだった。それ以降、どうなったのか、いまごろになって彼女を思い出すのだ。

「ママ」と呼ばれるにふさわしい年代になって、彼女はいまごろ「ママ」と呼ばれているのだろうか、と。


更新情報書きました。
お暇な折りにでも、のぞいてみてください。

http://f59.aaa.livedoor.jp/~walkinon/index.html




そうかもしれないし、そうでないかもしれない話

2010-11-17 23:37:30 | weblog
「ピンと来た」とか「ピンと来る」とかという言い回しがある。何ごとか迷っているとき、どうすべきか考えに考えを重ねて答えを出す代わりに、ひらめきでもってものごとを決めるとき、その言葉を使う。

そうして、その結果がうまくいったとき、「勘が当たった」と言い、うまくいかなかったとき、「勘が外れた」と言い、当たったことが多い人は、自分は「勘が良い人間だ」と思うようになる。そうして、「わたしは勘が良いんだから、わたしに任せて」とクジを引き、見事に外してみんなに責められる……かどうかは知らないが。

坂口安吾の『不連続殺人事件』にも、なんでもかんでも頭にピンと来る、アタピン女史という刑事だったか婦警だったかがでてくるが、どうもこの「勘」というやつ、男性より女性の方に親和性が高い。「女の勘」という言葉はあるが、「男の勘」という言葉がないからだ。

だが、そうなのだろうか。
たとえば挙動不審な彼氏の浮気を見やぶる、というのは、「勘」のなせるわざ、というより、観察力ではあるまいか。

かのシャーロック・ホームズは、このように言っている。
“I have already explained to you that what is out of the common is usually a guide rather than a hindrance.In solving a problem of this sort, the grand thing is to be able to reason backward. That is a very useful accomplishment, and a very easy one, but people do not practise it much. In the everyday affairs of life it is more useful to reason forward, and so the other comes to be neglected.In the everyday affairs of life it is more useful to reason forward, and so the other comes to be neglected. There are fifty who can reason synthetically for one who can reason analytically.”

(すでに君には説明したことだが、あたりまえとはいえないことは、たいていの場合、障害物ではなく、手がかりなのだ。この種の問題を解くときに重要なのは、時系列を逆に辿って推理するということだ。これは身につけるときわめて有効かつ、非常に容易な方法だ。だが、多くの人間は、これをさほど訓練しようとは思わない。日常生活のなかで、時系列に沿った推理の方が、有効なことが多い。いきおい、もう一つの推理はなおざりにされる。綜合的な推理ができる人間が五十人いたとすると、分析的な推理ができるのは一人だ。)
Sir Arthur Conan Doyle "A Study in Scarlet"
ここでホームズが言っている推理というのは、通常、推理と言われるものは、時系列に沿って
「Aであれば、(こののち)Bとなるだろう。」
というものであるのに対し、
時系列を逆に辿って
「いまAであるということは、過去にBが起こっていたはずだ。」
と考えるような推理である。簡単にいってしまえば、これが成立するためには、どのような前提が必要であろうか、と考える、ということなのだ。

挙動不審な人がいる。このあと、彼は一体何をするのであろうか、と考える人と、彼が挙動不審なのは、この前に一体何が起こったからであろうか、と考える人の差、と言ってもいいかもしれない。

「このあと」のことに注目する人は、「あたりまえとはいえないこと」そのものにはあまり目を向けない。それに対して、過去に注目する人は「あたりまえとはいえないこと」を手がかりに、過去を構成しようとする。

「勘」というのが何なのか、たとえば試験の答えを、目に付いたところにマルをつけるのと、彼氏の浮気を見やぶることを、同じカテゴリに分類して良いのかどうなのか、なかなかむずかしいところだ。それでも、いわゆる「女の勘」と言われるやつは、この見えない過去を、いくつかの事例をもとに頭の中でパッと構成する能力ではないかと思うのだが、どうだろうか。



「同じ」という名の困難

2010-11-15 23:26:23 | weblog
中学時代の家庭科の授業で、先生が、家のお母さんのおみそ汁が毎日同じでも飽きたりしないのは、お母さんが料理のプロじゃなくて、毎日少しずつ味がちがっているからよ、と言っていたことを覚えている。

みそ汁の味がちがうのは、中に入れる具が、豆腐とネギのこともあれば、アサリやシジミ、ジャガイモとワカメのこともあり、季節によってはナス、あるいはカボチャ、タマネギなどさまざまにちがっているからではないか、とそのときは思ったのだが、のちのち気をつけてみていると、確かに、そう言われてみれば、油揚げとネギのみそ汁が続いても、微妙に味がちがっていたりして、なるほど、だから飽きないのかなあ、と改めて思ったこともある。

実際、自分で料理をするようになってずいぶんになるが、わたしの場合、几帳面というより、自分の料理の腕をあまり信用していないので、いつも料理の本の通りに、小さじ一杯に至るまできちんと計量し、時間も測ってやっている。ところがそこまでやっても、日によって味は決して同じではない。だからこそ、毎日毎日、みそ汁を作り、魚を煮たり野菜を煮たり肉を炒めたり、ほとんど変わりばえのしない食事を続けていても、飽きることはないのかもしれない。

外で食べるものにしても、売っているケーキや和菓子などにしても、その店の同じものは、いつ行っても同じ味である。当たり前の話ではあるが、これというのは、実は結構、すごいことなのだろう。

「味つけ」という言葉があるが、味を決めるのは調味料だけではない。醤油大さじ二杯、酒大さじ三杯、みりん大さじ一杯を使っても、同じ大根が季節によってまるで味がちがうし、味のしみ具合もちがう。

パスタ専門店に行くと、スパゲティが大釜でゆであがるたびに、店の人は一本口に入れて固さを確かめている。たかだか麺の固さなど、時間さえ見ていれば十分のようにも思うのだが、そんなに単純なものではないのかもしれない。素材などの不確定要素の強い味ともなれば、いったいどれほどのことを考慮に入れなければならないのだろう。

店によっては、創業以来の味を守っていることを看板にしているところもある。そんな店では、「同じ味」を日々出し続けていくための「秘伝」があるのだろう。

ちょうど、昨日と今日のわたしが同じではないからこそ、「同じ」ことをするために、その日、その日の特別な努力が必要なように。


コウモリとして生きるとは

2010-11-14 22:59:34 | weblog
以前、病院に行ったときのこと。処置室で点滴を受けることになった。腕を台に載せたまま、じっとしているわたしの周囲を、看護師さんたちが忙しそうに行き来している。そこへ、看護師さんがふたり、その部屋に入ってきた。

ひとりは新しくその病院にやってきた人、もう一人はその人に、部屋のことや物がある場所について説明をする役目であるらしい。わたしも顔なじみの看護師さんは、新入りにあれやこれやと手早く説明を続けていく。

こんなふうにざっと説明しただけで、あらかた頭に入っていくなんて、さすがプロだなあ、などと、聞くつもりもないままぼんやり聞いていると、新入りがしきりに、この病院はいい、わたしが前にいた病院なんかは……と比べて、別の病院をひとしきりけなしては、ここを持ち上げている。ああ、そうなのか、ここはいい病院なんだ、働く人が言うのだから間違いないなあ、と、なんとなくわたしまでいい気分になってしまった。

すると、その人に説明をしていた看護師さんの方が、わたしはちょっと行かなくちゃならないから、あとはこの人に説明を聞いてちょうだい、と、別の若い看護師さんに案内を委ねた。

赤いセルのメガネのかわいい若い看護師さんは、自分よりかなり年上の新入りに向かって、カジュアルな口調で説明を始めた。メガネ嬢は「さっき、あの人に『$¥*!は△□$するように』って言われたかと思うけど、気にしなくていいから。そんな昔のやり方なんてやってる人なんて、いないから」と、微妙にトゲのある口調である。どうやら先輩に対して、微妙に含むところがあるらしい。すると新入りさんはそれに合わせて声を潜めるようにして「わたしも聞きながらちょっと変だな、って思ってたの」と言う。それからふたりはあたりをはばかるように「さっきあの人はこんなこと言ってたけど」「それって昭和のやり方よね」「勉強しないから古いのよ」と、先ほどまで話を聞いていた看護師さんの悪口を言い始めた。

そういえば、こういう子は中学や高校のころからいたなあ、と思い出して、なんとなくおかしくなってしまった。AのところではBの、BのところではAの悪口を言うような人である。当時は、バカだなあ、AとBが話をしないとでも思っているのだろうか、ふたりが話でもしたら、その瞬間に自分の立場なんてなくなるのに、と思ったものだ。近しいところにいるふたりなのだから、多少の反目があったところで、米ソの冷戦構造のようにはなりはしないのである。こんなことをやる子は、ちょっと先のことも見通せない、目の前の点しか見えない子なのだろうなあ、と思っていたものだった。

だが、その決して若くはない新入り看護師さんを見ているうちに、そうではないのではないか、と思ったのだった。少なくともその人は、そんなに意地悪そうには見えなかった、というより、ごくごく人の良さそうな、そうして、どことなく小心そうな人だったのである。

AのところではBの、BのところではAの悪口を言うような人というのは、AやBに悪感情があるというより、ただただ目の前にいる人を喜ばせようとしているだけなのかもしれないなあ、という気がしたのである。

コミュニケーションをしているときのわたしたちは、多くの場合、半ば無意識のうちに、相手が聞きたい話、興味のある話を選んでしているものだ。どれだけ自分が話したいことがあったとしても、ちょっと話したところで、相手が気のなさそうな様子を見せてしまえば、話したかった気持ちも、冷や水を浴びせられたように、立ち消えになってしまう。「KY」なんていう言葉ができるはるか前から、人と話をするわたしたちは、空気を読んできた。

相手が聞きたい話、というのは、自分を相手側に置いて、「あの人だったらこんな話に興味があるだろう」と想像する話である。実際のところ、それが当たっているかどうかは蓋を開けてみるまでわからないから、コミュニケーションはむずかしいし、逆にうまく当たればうれしいし楽しい。

司馬遼太郎が書いた若き日の豊臣秀吉は、みんなに愛想の良い言葉を投げかける人物で、まだ言葉のわからない赤ん坊にまで、お愛想を言うような場面がどこかにあったような気がする。それをたぶん「天性の人たらし」という言葉で表現していたように思うのだが(ここらへんははなはだアヤシイ記憶だけで書いている)、「人たらし」が「天性」のものであるのは、相手に自分を好きになってもらおう、とか、相手に取り入ろうなどと考えての行為ではなく、ただただ相手を良い気持ちにしたい、自分と一緒にいることで楽しい気分になってほしい、というサービス精神の発露であったからこそだ。

それと同じように、悪口を言う人も、実は秀吉と同じで、「自分の相手をしてくれる人に良い気持ちになってほしい」「楽しい気分になってほしい」から、悪口を言っているのかもしれない。

つまり、Aを褒めようと思えば、Aをただ褒めるやり方と、それと対照的な位置にあるBをけなすやり方があるわけだ。そうして、「その髪型、似合ってるね」という代わりに、「あの子、凝った髪型にしてるけど、全然似合ってないよね」と言うのである。

悪口を聞いて、相手を良い気分にしてやりたいと考える、というのも、なんだかな、なのであるが、とはいえ、わたしたちだって人のことは言えないのである。

料理が得意な人は、どうしたって料理の話をしてしまうものだが、それも多くの場合、自分の腕を自慢したいわけではなく、相手も同じように料理に興味があるだろう、少しでもおいしい料理を相手にも作ってもらいたいと思っているからこそ、そんな話をしているのだ。

そう考えてみると、行く先々で悪口を言って歩いているように見える人も、別段、悪意の塊というわけではないのだろう。それどころか、実は、自分に自信のない(というのも、何かに自信があれば、おそらく相手にもそのことができるようになってほしくて、そのことをつい話してしまうものだろうから)、気の小さい人ともいえる。

例の看護師さんだって、新しい職場で、すでにある人間関係の中に入っていかなければならない緊張感から、そんな振る舞いをしていたとは言えないだろうか。

悪意からではなく、相手を良い気持ちにしてほしくて悪口を言っているような場合、本人はそのことに気がついているのだろうか。相手の微妙な口調に反応して言っているだけではあるまいか。だからこそ、「AのところではBの、BのところではA」といったことができるのかもしれなかった。

二股膏薬、阿諛追従、おべっか使い……、そうした人を悪く言う言葉には、枚挙に暇がないほどだ。イソップにも「卑怯なコウモリ」の話がある。もちろん、何らかの意図、目的があってそんなことをする場合もあるだろう。だが、それ以上に、ほんとうは卑怯でも何でもなく、ただ、相手に対するサービス精神で、そうやっている場合だってあるように思う。

これまでそんなことをしないで来られた人は、ある意味で、運が良かったのかもしれない。人に相対したとき、誰かの悪口以外に差し出すものがあったのだから。




「正しい」「間違っている」と言えるのは

2010-11-11 22:51:53 | weblog

わたしたちがいろいろな出来事を前にして、「あれは正しい」「これは間違っている」と言えるのは、漠然と、それを判断している自分は正しい、という意識があるからではあるまいか。

拾った百円玉を自分のものにしたり、こっそり人の陰口をたたいたり、といったことではない。ここぞというとき、自分の生き方を決定するような重大な岐路に立たされたときには、自分はきっと正しい行動を取ることができる人間だ、そうばくぜんと確信しているからこそ、ほかの人のまちがった行動を指摘し、批判できるのではないか。

実際、このわたしがそうだった。だからこそ、さまざまな場面で、迷ったとしても、自分は間違わない、と信頼できるからこそ、決断してこれたのだ。

ただそれは、ばくぜんと自分だけの感じ方にちがいないと思っていたのだ。そうではないことがわかったのは、ティム・オブライエンの『本当の戦争の話をしよう』という自伝的小説を読んでからだった。

主人公は言う。
私は思うのだけれど、人は誰しもこう信じたがっているのだ。我々は道義上の緊急事態に直面すれば、きっぱりと勇猛果敢に、個人的損失や不面目などものともせずに若き日に憧れた英雄のごとく行動するであろうと。
(ティム・オブライエン『本当の戦争の話をしよう』村上春樹訳 文春文庫)

そう考えていた彼は、学生時代、信念を持ってヴェトナム反戦運動に参加していた。ところが主人公のもとに徴兵カードが来る。そこで彼は、仲間たちとともに、国境を渡ってカナダに逃げようとする。だが、土壇場で決心が揺らいでしまう。あとに残る家族が周囲から何を言われるか。自分は一生アメリカの土を踏めないのか。そうして主人公は逃亡するのを止めて、ヴェトナム戦争に従軍したのである。信念を貫くこともできない「卑怯者」として。

そうして卑怯者としてヴェトナムに従軍し、卑怯者として、いささかの大義もない戦争に荷担し、帰国して、帰還兵として人から誹られる側に身を置くことになってしまった。

彼は、自分の行為をさまざまに弁解しようとする。自分は、ヴェトナムで人を殺した。殺さなかった。仲間を見捨てた。仲間を助けた。弁解し、弁解し、すべてを明るみに出して、その上で弁解の余地がほんとうに残されていないことが明らかになり、主人公は絶望するしかない。彼が自分に向ける「卑怯者」という言葉は、その絶望にほかならない。

この絶望は、そうした極限的な経験を持たないわたしには、想像するしかない。どれだけ想像しても、ほんとうのところはわからないであろう絶望を、ばくぜんと思い浮かべるしかない。だが、そうやって想像するうちに、「正義」について考えることができるのは、そういう人だけではないのか、と思うようになった。

自分の正しさを確信しているからこそ、自分を除外できる。そうして、自分を除いた外側の出来事として、自分の目の前に並べたふたつのリンゴの大きさを測るがごとく、善悪の判断ができるのだ。

だが、その自分の正しさというのは、いままでたまたま自分がそこまでの状況に置かれずにすんだ、幸運によって、かろうじてもたらされた「正しさ」なのではないか。ある場面に置かれれば、たちどころに「卑怯者」になるような。


その昔、ナチスに協力してユダヤ人を迫害したドイツ人の行為について書かれたものを、学校で読んだことがある。自分がその場にいたとしたら、どうだろう、と考え、みんなそれぞれに「自分だったら、やはり協力したかもしれない」「でも、非道な行為はできないんじゃないか」とさまざまに意見を出し合った。

そのなかに、ひとり、「自分は絶対にナチスドイツに荷担しない」ときっぱりと発言した男の子がいた。みんな、思わず、おおっ、と声を出してしまうような、心からの確信に満ちた声だった。

その子はどんな大人になっただろう。
いまもその確信は揺らいでないのか。
一度、話を聞いてみたい。