陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

責任ってなんだろう その7.

2010-01-31 22:58:38 | 
7.責任のとり方

初めて『こころ』を読んだとき、「乃木将軍」の殉死がいきなり出てくるのに驚いたのを記憶している。乃木将軍って誰? と母親に聞くと、明治時代の軍人、と教えてくれたあと、「司令官としてはあんまり優秀じゃなかったみたい」と付け足した。以来、「優秀ではない将軍」とわたしの頭には刻み込まれたのだった。

実際、学校で教わる歴史の中で、乃木希典という名前が出てくることはないし、聞いたことがない人も多いのではないかと思う。

乃木に関して重要な出来事はふたつある。

28歳のとき、歩兵第14連隊長心得として西南戦争に従軍中、軍旗を反乱軍に奪われたことに大きな責任を感じたこと。連隊を率いて熊本城に向かう途中、敵兵と衝突し、激戦のなかで、乃木軍の旗手は戦死し、国の象徴として天皇から授けられた軍旗を奪われたのである。彼は進んで処罰を求めたが、戦功があったことを理由に赦された。

さらに、日露戦争時には第三軍司令官(大将)として旅順攻撃を指揮し、五万八千人の死傷者を出した。自身の子もふたり、この戦闘において失った。だが、これほどの死傷を出した乃木であったのだが、旅順の「勝利」は乃木を大衆の英雄に祭り上げることになる。家族を失った多くの人びとに対して、わが子の死を前に対しても、武士道的理念で耐え抜く乃木の姿は、軍人の鑑とされたのである。

乃木は、遺言書の中で、自分の自死が「殉死」ではなく「自殺」であること、さらにその動機を「明治天皇の死にさいしての動揺、熊本での軍旗喪失事件、そして老衰」(『日本人の死生観』)と明らかにした。

けれども、この人びとにはそうは受けとられなかった。あくまでも「殉死」として、その「忠誠」と「誠心徳行」を誉め称えたのである。

だが、そう考えなかった人もいた。
学習院校長であった乃木を間近で知っていた志賀直哉などは、「乃木さんが自殺したといふのを英子からきいた時、馬鹿な奴だといふ気が、丁度下女かなにかが無考へに何かした時感ずる心持と同じやうな感じ方で感じられた」(日記、1912年9月14日)という厳しい――というより、悪意としか感じられない――感想を残している。
公然と批判する者は多くはなかったが、知識人のあいだでは、時代錯誤の殉死として受けとめる人も少なくなかったのだ。

一方、乃木の行為の中に痛恨の思いを感じ取ったのは、森鴎外である。鴎外の一連の武士の物語は乃木の殉死に触発され、同時にそれを擁護しようとするものだった。

漱石の乃木の自死に対する考え方は、鴎外のようには明らかではない。だが、『こころ』の中で、Kの死後、死んだように生きていた先生と、軍旗を奪われて以降、つねに自決を考えながら死んだように生きた乃木将軍が、「生きながら死ぬ」という点で重なりあっていることは明らかだろう。

先生は、明治天皇の崩御の報を聞いたところで、「私は明治の精神が天皇に始まって天皇に終ったような気がしました。最も強く明治の影響を受けた私どもが、その後に生き残っているのは必竟時勢遅れだという感じが烈しく私の胸を打ちました」と考える。
この時点では未だはっきりとは考えていなかったのだが、やがて乃木大将の殉死を知る。

 私は新聞で乃木大将の死ぬ前に書き残して行ったものを読みました。西南戦争の時敵に旗を奪られて以来、申し訳のために死のう死のうと思って、つい今日まで生きていたという意味の句を見た時、私は思わず指を折って、乃木さんが死ぬ覚悟をしながら生きながらえて来た年月を勘定して見ました。西南戦争は明治十年ですから、明治四十五年までには三十五年の距離があります。乃木さんはこの三十五年の間死のう死のうと思って、死ぬ機会を待っていたらしいのです。私はそういう人に取って、生きていた三十五年が苦しいか、また刀を腹へ突き立てた一刹那が苦しいか、どっちが苦しいだろうと考えました。

 それから二、三日して、私はとうとう自殺する決心をしたのです。私に乃木さんの死んだ理由がよく解らないように、あなたにも私の自殺する訳が明らかに呑み込めないかも知れませんが、もしそうだとすると、それは時勢の推移から来る人間の相違だから仕方がありません。あるいは箇人のもって生れた性格の相違といった方が確かかも知れません。
(『こころ』)

先生の考える「明治の精神」というのは、責任の負い方においても見てとれるのではあるまいか。

ひとつの責任のとり方として、ある結果に対して、自分がそれに関与したと思われる分だけの責任を負う、というやり方がある。
子供はやったことを咎められたときに、「それをやっているのは自分だけではない」と言い張ることがある。自分だけではない、ほかにも関与している人間は大勢いる、だから、自分が負わなければならない責任はほんの少しだけだ、という論理である。

それに対して、結果における自分の比重の多寡に関係なく、自分が責任を負うと決断し、自分の意志で自己をその責任の下に束縛する責任の考え方もある。軍旗を奪われたことを、死をもってあがなうという考え方は、とうてい今日のわたしたちからすれば、理解しがたい。だが、乃木はそう決断し、自分の約束を果たした。それが先生が考える「明治の精神」だったのではないか。

だが、もし「私」が先生と近づくことがなければ、おそらく先生は、乃木大将の殉死があっても、死んだように生き続けるだけで、自殺することはなかったように思える。「私」が近づくことによって、「私」を鏡として、自分の来し方を改めて目の当たりにしたのだろう。自分の心境を伝えることができる「私」の登場によって、先生は自分の心境を言葉にすることができたのだ。

先生は「あなたが無遠慮に私の腹の中から、或生きたものを捕まえようという決心を見せ」と言い、「私は今自分で自分の心臓を破って、其血をあなたの顔に浴びせかけようとしているのです。私の鼓動が停まった時、あなたの旨に新しい命が宿る事が出来るなら満足です」という。

「私」の存在は、先生の自殺の引き金を引いたともいえるのだ。
果たしてこのあと、「私」はその責任をどのように負うことになるのだろう。

わたしたちにはおそらく乃木将軍や先生のような責任の負い方はできない。おそらく『こころ』の遺書を残された「私」もそうだろう。では、「私」はどういう責任の負い方をしたのだろうか。

「私」が『こころ』の中で先生のことを語ったのは、その責任を果たすためだったのではないのだろうか。「レスポンス」の「アビリティ」としての「責任」である。

明日はいままで書いたことのまとめをしてみたい。



責任ってなんだろう その6.

2010-01-29 23:45:36 | 
6.原因はひとつではないことと責任転嫁


こんなケースを考えてみたい。

ある中学生AがクラスメイトBをからかった。Bはその言葉に傷つき、登校拒否になってしまった。
これだけ聞くと、どう考えてもBの登校拒否の責任はAにある。

ところが問題はいささか込み入っている。
クラスの中では、むしろAの方が、日常的にからかわれ、バカにされている生徒だったのである。

クラスには成績が良かったり、運動部の花形選手だったりして、クラス中から一目置かれるメンバーからなるグループがあった。Aは、そうした彼らに、ときにいじめられ、ときに「パシリ」として使われ、あるいはまた休憩時間には一緒に遊んだりするような存在だった。

AがBをからかった言葉は、そもそもグループの面々がBに対してつけたあだなだったのだ。彼らがBをそのあだなで呼ぶのを、Aは単に真似をしたに過ぎなかった。

Bからしてみれば、そのあだなで呼ばれることが不快であっても、みんなから一目置かれているグループの連中にそう呼ばれるのは、なんとか我慢ができた。だが、みんなにからかわれ、バカにされているAから、その名で呼ばれることは、耐えられないことだったのかもしれない。

こう考えていくと、AはBが登校拒否になったことに、どこまで責任があると言えるのだろうか。

もちろんAがそのあだなで呼ばなくても、Bは登校拒否になってしまったかもしれない。
Aが呼ばなくても、グループの面々が呼び続けていくうちに、登校拒否になるかもしれない。
あるいは仮にAがそのあだなで呼んだとしても、Bにたとえばほかに仲の良い友だちが慰めてくれたり、かばってくれたりするようなことがあれば、Bは登校拒否にならなかったかもしれない。
たかがあだなぐらいで、登校拒否になるBは、弱い子だった……といえるかもしれない。
AがそのあだなでBを呼んだのは、自分の意志というよりは、グループに対しておもねる気持だったのかもしれない。

Aの行為はAがそう選択したのだから、Aにすべての責任がある、と、かならずしも言うことはできないのだ。

だが、そこでもしAが「Bの登校拒否の責任は、自分にはない、自分だけがそのあだなで呼んでいたわけではないのだから」と言ったとしたら、わたしたちは何となく釈然としない気持になるのではないだろうか。あなたひとりにすべての責任があるとは言わないけれど、やっぱり責任のいくばくかはあるよ、と言いたくなるのではあるまいか。自分に責任がないというのは、それは責任転嫁だよ、という気持にならないだろうか。

わたしたちは自分のとった行為がある結果を引き起こしたとき、なぜその行為を取ったかの理由を聞かれる。理由を聞かれるということは、たとえ深く考えた末の行為ではなく、たとえ自分でも理由を説明できないとしても、自分の行為に責任があるということなのである。

そうしていったん事が起こってしまったら、今度は自分がそのことに、どう責任を取っていくかが問題になってくる。しかたがなかった、やむをえなかった、という態度でつっぱねないのだとしたら、責任を取らないわけにはいかなくなる。

何かを壊したのなら話は簡単だ。けれども人の心が相手だと、そんなに簡単にはいかない。
言葉で謝罪する。
謝罪の意を行為で表す。
それ以外にも、責任を負う方法はあるのだろうか。



夏目漱石の『こころ』はさまざまな観点から読むことができる作品だが、ここでは「責任」ということに的を絞って考えてみたい。

Kが自殺する直接のきっかけを作ったのは先生だった。だが、先生がKをなじったあげくに出し抜いて、お嬢さんを手に入れるようなことをしなければ、Kは自殺することはなかったのだろうか。

Kは精神に生きる決意をしていたが、お嬢さんを好きになり、自分の従来の生き方を貫くか、それを曲げるかの岐路に立たされていた。もしKが先生に自分の気持ちを打ち明けたとき、先生がふたりの仲を取り持ってやれば、Kが自殺することはなかったかもしれない。けれどもKは遺書に「自分は薄志弱行で到底行先の望みがないから自殺する」という言葉を残すのだが、仮にお嬢さんと結ばれても、この「薄志弱行」の思いはKを苦しめたことだろう。KはKであり続けようとすれば、自殺するしかなかった、ともいえる。

けれども、先生はその自殺の責任を、ひとりで負うことに決めた。そのために、自分の生の時間を止め、Kの死に至るまでのいきさつを反芻することを生きる目的としたのである。おそらく奥さんの存在は、Kのことを片時も忘れないために必要だったのだ。

ただ、先生の自殺は、自分の命でもって償おうとしたとは考えにくい。みずからの命で贖うのだとしたら、もっと早くに自殺していたはずだ。むしろ先生は生きながら死ぬことを選んでいた。

先生を自殺に導いたことにはふたつの要因があったように思う。ひとつには、乃木大将の殉死と、自分のことを「先生」と慕う「私」の存在である。

このことをもう少し詳しく見ていきたい。

(この項つづく)


責任ってなんだろう その5.

2010-01-25 22:53:51 | 
5.責任があるのは誰なのか

ゴーゴリに『外套』という短篇がある。
万年九等官アカーキイ・アカーキエウィッチは、百五十ルーブルという彼にとっては法外な金で外套を新調する。暖かい新品の外套を着て夢心地でいたアカーキイだったが、追いはぎにそれを奪われ、その結果寒さに凍えて急死する羽目になる。

さて、このアカーキイの死はいったい誰に責任があるといえるのだろうか。誰がその責めを負うべきなのだろうか。

これまでにも見てきたように、ある出来事が起こったとしても、その原因を特定することはなかなかむずかしい。

幽霊となって出没したアカーキイは、長官の外套を奪ったのちは、成仏(?)できたらしいのだが、その原因も、長官が憎かったからなのか、その外套が着心地が良かったからなのか、判然としないままだ。

わたしたちの日常というのは、犯人がいて、動機があって、事件が起こる、といった推理小説的なものではなく、この『外套』の世界同様、何が原因で、何が結果なのかもおよそ見定めがたいものなのだろう。

そういうなかで、「誰の責任」ということが、いったいどうして言えるのだろうか。

ここではもう一度、「責任」という語本来の意味に立ち返って考えてみたい。

以前にも書いたように、英語で「責任」というと、response + ability で「応答する能力」ということになる。ラテン語の語源 "respondere" は「答える」、それも供物を捧げる司祭が神の声を伝える、という意味を指すものである。事実英語でも answer が単なる返答であるのに対し、response は「相手に呼応した答え。要求や合図に対する応答」(ランダムハウス第二版)という意味を持っている。

responsibility が指す「責任」とは、つねに、「誰か」との関係のなかで、その相手に対して応えるものとしてあることを押さえておこう。

一方、日本語の辞書で「責任」という言葉を引くと

(1)自分が引き受けて行わなければならない任務。義務。
(2)自分がかかわった事柄や行為から生じた結果に対して負う義務や償い。
(3)〔法〕 法律上の不利益または制裁を負わされること。狭義では、違法な行為をした者に対する法的な制裁。民事責任と刑事責任とがある。 (大辞林)

と、むしろ人と人との関係というより、自分に課せられている、というニュアンスである。
どうやらこれは、もともと賦貢を課するという意味を持つ「責」(白川静『字通』)の影響が残っているのかもしれない。


オックスフォードにはこんな例文が出ている。

It is a great responsibility looking after other peopole's children.
(ほかの人の子供の世話をすることは大変重い責任を伴うものである)

この人は子供の世話を通して、子供と、その子供の親にたいして「責任を負う」。
これは「結果に対して負う義務や償い」という意味ではなく、また「義務」というのとも少しちがう。これは、いま自分が関わっている人と、今後ともつつがなく共に生きていくために、責任を負う、と言っているのだ。

ほかの人たちは、自分を信頼してくれたからこそ、子供を預けてくれた。だからこちらもその信頼に応えなければならない。
「責任」というのはそういう関係のなかに生じるものであり、だからこそ「応える能力」なのである。

そう考えていくと、責任を担う、ということがどういうことか、少しはっきりしてくるように思う。つまり、互いに呼びかけ、応える、その関係の中に入っていく、ということだ。自分の行為の理由を問われれば、それを説明する。当然、結果として過失があれば謝罪することも含む。けれどもその一切が、相手とこれから先も、共に生きていく、信頼し、信頼される関係を築いていくために、責任を担うのである。

「責任」とは、相手に「取れ」と強要したりすることではないのだ。

(この項つづく)



責任ってなんだろう その4.

2010-01-23 23:36:17 | 
4.直接の責任、間接の責任

ここで改めて確認しておく。

責任が問題になるのは、ある人が、Aのようにもできたし、そうしないこともできた、という選択の余地があるときだけである。選択の余地があるということは、同時に、行為Bではなく、Aを取ったことには、理由がある、ということだ。

問題は、その理由は、ほんとうにひとつなのだろうか。実は、理由というのはどこまでもさかのぼることが可能なのである。
時系列をさかのぼることもできる。たとえば『首飾り』では、

マシルドが長年、厳しい労働に耐えなければならなかったのは、首飾りを紛失したからである。
→首飾りを紛失したのは、首飾りを人から借りるようなことをしたからである。
→首飾りを借りなければならなかったのは、舞踏会に出席したからである。
→舞踏会に出席したのは、マシルドに虚栄心があったからである。
→マシルドの虚栄心は、彼女の育ち方に問題があったからである。
→マシルドの育ち方に問題が生じたのは、両親がきちんとマシルドを育てなかったからである。
→マシルドの両親がマシルドをきちんと育てなかったのは、……。

このように、過去をさかのぼって行為の責任を負わせることのできる原因をさぐろうにも、どこまでいってもきりがなくない。

時系列をさかのぼらなくても、「原因」がいくつもあるような例もある。
たとえば森鴎外の『雁』では、語り手の「僕」は、下宿屋の夕食に嫌いな鯖の味噌煮が出ることがわかって、岡田を誘って外食する。その帰り道、ふたりが並んで歩いているせいで、お玉は声をかけることができず、しかもその日は岡田がその下宿で過ごす最後の日だったために、とうとうお玉は自分の思いを岡田に告げることしかできなくなってしまう。

お玉の思いを遂げさせなかった責任は、果たして「僕」にあるのだろうか。
確かに「僕」は岡田を誘わないこともできた。だが、鯖の味噌煮をどうしても食べたくなかったのだ。お玉の悲恋の責任は、鯖の味噌煮が負うべきなのだろうか。

確かに、鯖の味噌煮にかかってくる責任とくらべると、「僕」の行為の方が責任は重いようにも見える。だが、ほんとうにそれだけが「原因」なのだろうか。「僕」が岡田を誘ったのは、ふたりが親しかったからだし、共に下宿生だったからだし、同じ学生だったからだし、……と、数え切れないほどの「原因」が重なりあって、「僕」は岡田を食事に誘ったのである。いったいそのうちのどれを「原因」とするのか。一体何に「責任」を帰すのか。

いったいどうしてこんなことになってしまうのだろう。どうして簡単な行為ですら、単一の原因に帰すことができないのだろう。

それは、わたしたちの行為は、自己の内部の単一の動機から発するものではないからだ。わたしたちの行為は、自分の行為であると同時に、周囲からの影響を受けて行動させられている。状況というのは、わたしたちが認識するのがそのごく一部でしかなく、おびただしい人やものごとが重層的にからみあっている。わたしたちはその状況に影響を受けながら、行為させられている。

いや、ちがう、自分が行為Aを選択したのは自分の意志である、という人もいるかもしれない。けれども、なぜ、それ以外の無数の可能性のある行為のうちの、Aが選択肢として登場したのか。それは、状況に影響されたからではないのか。わたしが「自分の意思」と呼んでいるものさえ、さかのぼっていけば、そのことごとくが「自分以外の影響」を受けていることがわかる。そもそも「意思」さえも、言葉によって組み立てられており、その言葉は借り物なのだから。

だが、どんな行為も自分以外のものにそうさせられたのだと考ええていくと、責任など問えなくなってしまう。首飾りを紛失したのは、舞踏会が混雑していたからで、わたしの責任ではない、ということさえ言えるではないか。
やむをえなかった、こうしかできなかった、仕方がなかった……。こうなると、責任どころではなくなってしまう。

わたしたちが状況によって行為させられているのだとしたら、責任を負うのはいったい誰なのだろう。


(この項つづく)

責任ってなんだろう その3.

2010-01-21 23:13:43 | 
3.選択と責任


もう少し、『首飾り』に関して漱石が「馬鹿気ている」といった点について考えたい。

マシルドが紛失した首飾りを弁償するために身を粉にして働いたことが「馬鹿気て」見えるのは、小説を読むわたしたちが、最後にそんなことをする必要がなかったことを知るからだ。そもそもする必要がなかったとわかって小説を振り返れば、どれほどの苦労であろうと、愚かな行為にしか見えない。漱石が憤りを感じているのは、結末の意外性のために、ひとりの人間の十年に及ぶ血のにじむような労苦を、読者の目に無駄骨としか思わせない筋書きを作ったモーパッサンの倫理性である。

作品に倫理性を求めるかどうかというのはまた別の問題になるので、ここでは置いておく。ここで注目したいのは、『首飾り』のなかで、マシルドは、別の方法を取ることもできた、そうして、その方法をとれば、何もそんな苦労をしないですむはずだった、という点である。

ほかの方法、すなわち、紛失したことを友人に率直に打ち明け、謝罪していれば、友人はそれが模造品だったことを教えてくれるはずだ。仮に弁償しなければならなかったにせよ、比べものにならないほどの額であったにちがいない。

わたしたちはそれを考えるからこそ、マシルドが苦労したのも自業自得、とどこかで思ってしまう。首飾りを紛失したことの責任ではなく、そのことを隠し、知らぬ顔でちがうものを返した責任が彼女にはあると考えるからだ。

ここでつぎのことがわかってくる。

わたしたちが「責任がある」と見なすのは、Aではない行為を選ぶこともできたのに、行為BやCではなく、Aを選んだ、というときである。

もし仮にマシルドが、正直に打ち明け、友人がこれ幸いと、とんでもない金額をふっかけたとする。それによってマシルドがとんでもない苦労をして、その弁償をしたとすると、わたしたちは彼女を気の毒に思いこそすれ(そうしてその友人を憎みこそすれ)、馬鹿げたふるまいとは決して思わないだろう。『首飾り』はまったく別のテーマの短篇になってしまう。わたしたちは「そうするしかなかった」行為、不可抗力に対しては、そもそも「責任」ということを問題にしないのだ。

とすると、ここで考えておかなければならないのは、なぜマシルドは正直に打ち明けなかったのか、ということである。

まず、首飾りが模造品だったという可能性は、マシルドの頭の中には存在しなかった。正直に打ち明けると非難を浴びせられ、弁償を求められるにちがいない。ここで彼女の頭にあった選択とは、黙って弁償するか、非難されて弁償されるか、なのである。そもそも弁償しないですむ選択肢がなかったマシルドには、「友人に紛失を打ち明けて、十年に及ぶ労苦を回避する」という選択肢はなかった。

ここからわかることは、結果が出てしまって、過去を振り返り、ああ、あのときこうしていれば、と、そこに選択があるように見えても、その時点ではその選択肢はなかったかもしれないのだ。が実際にあったかどうかはわからない、ということである。

大庭健の『責任ってなに?』には、直接の責任を満たす条件について整理されているので、ここで引用してみよう。

 私が行為Aを遂行し、引き続いてEが起こったとき、
1.私は、Aでなく、他のようにもできたし、
2.もし、私がAしなかったなら、Eは生じなかっただろうし、
3.私がAしたにもかかわらずEが生じない、という事態は考えられない、
という三つの条件が成り立っていれば、私にはEの直接の責任がある。
(大庭健『責任ってなに?』講談社現代新書)

このことは炎天下に赤ちゃんを車の中に置いたままでパチンコに行ってしまう親の場合をこれに当てはめてみるとわかりやすい。

1. とんでもない親は、行為A(赤ちゃんを車の中に放置する)をしないこともできた。
2. とんでもない親が行為Aをしなかったら、結果(赤ちゃんの熱中症)は起こらなかった。
3. とんでもない親が行為Aをしたにもかかわらず、結果が起こらないという事態は考えにくい(すでに何件も車中放置による赤ちゃんの死亡事故は報道されている)。

だが、直接の責任がある、と言いうるケースはそれほど多くはない。はるかに多いのが、マシルドが紛失を打ち明けなかったときのように、「その時点では予見できない」という場合である。

たとえば、漱石の『こころ』で、先生はKの自殺に責任があると言えるのだろうか。
確かに先生は、Kを出し抜こうと、Kをなじったあとで、こっそり奥さんにお嬢さんをもらいたいと告げる。奥さんから先生とお嬢さんが結婚することを聞かされたKは、その晩自殺するのだが、果たしてKの自殺の責任は、先生にあると言えるのだろうか。

1.先生はそうしないこともできた。
2.先生がそういうことをしなかったら、Kは自殺することはなかった。

だが三点目、先生がそうしたにもかかわらず、Kが自殺しない場合も十分考え得る、というか、そもそもその時点では、Kの自殺という事態は予見し得なかった。先生は、炎天下、車中に赤ちゃんを放置したようなとんでもない親のような直接的な責任はなかったのである。

直接の責任がない場合には、「そのときはわからなかった」「そうしかできなかった」と正当化することは可能だ。だが、先生はKの自殺の責任を負い、自らの命でその責めを償おうとする。

ここから「責任を取る」ということについて、考えてみたい。


(この項続く)


責任ってなんだろう その2.

2010-01-19 23:10:16 | 
2.どこから責任、どこまで責任

最近は「説明責任」という言葉も耳にするようになったが、おそらくこれは accountability の訳語だろう。わたしが高校生のころは辞書を引くと、この単語のところには「責任」という意味と「説明」という意味が並んで載っていた。それを見て、どうしてまったくちがう意味の言葉がひとつの単語に同居する不思議さに頭をひねったものだ。

この言葉は、自分の行為に対して理由を求められた場合には、相手にそれを説明する責任がある、ということだ。つまり、何らかの行為をするときには、人はそれに対する説明責任を負っている、という考え方が根本にある。ここでの「責任」とは、「説明すること」なのである。

どうしてわざわざ説明しなければならないのか。
その理由は簡単。
社会に生きるわたしたちの行為は、その種類によらず、かならず誰かに影響を及ぼさずにはいられないからだ。
「なぜそんなことをするの?」と聞かれたとき、「かくかくしかじかの理由で」と答える責任が、行為者にはある、ということなのである。

電車の中でのお化粧などの行為が問題になるとき、決まって出てくる反論のひとつに、「いったい誰に迷惑をかけるっていうの?」というのがあるが、そうではなくて、「どうして(自分の部屋や化粧室ではなくて)電車の中で化粧をしているのか」という説明をしなければならないのだ。

さて、もうひとつ、この「迷惑をかけるの?」という問いには問題が含まれている。
お化粧をするという行為が、どのような事態を引き起こすことになるか、いまの時点では誰にもなんとも言えないのである。化粧品のにおいを不快に思う人がいるかもしれないし、電車が急停車して、マスカラが隣の人につくかもしれない。それを見てイライラしてしまった人が、電車から降りた拍子にイライラのあまり階段から転げ落ちて、骨折してしまうかもしれない。

こう考えていくと、いったいどこでその責任の線引きができるか、という問題が出てくる。あることがもとで、ある結果が引き起こされた。はたしてその人にはどこまでの責任があったか、ということである。

さて、ここでとりあげてみたいのが、ギ・ド・モーパッサンの短篇のなかでも、非常に有名な短篇『首飾り』だ。青空文庫に掲載されている訳は多少古風だが、かの辻潤の訳なので、ありがたく拝読することにする。

あるところに美しい娘がいた。とはいえ、格別の係累もおらず、結局、小役人に嫁ぎ、つましい生活を送っていた。それがあるとき夜会に招待される。そこで彼女はたいそう裕福な生活をしている学校時代の友人に、ダイヤの首飾りを借りて出席することにする。ところがその首飾りをなくしてしまった。夫婦はやむを得ず、三万六千フランという大金をかり集めて、よく似た首飾りを買って、黙ってそれを返す。その日から夫婦は、莫大な借金を払うための生活が始まった。つましいといっても、人を雇い、働くことも知らなかった主人公が、家事労働に追われ、家計のやりくりに頭を悩まし、爪に火をともすような生活を送るようになったのだ。そんな生活を十年続けて、やっと一切の借りを返し、ほっとしたある日、例の友人に偶然に会う。

そこで、主人公は「今だから言うけど…」と、ことのいきさつを語る。すると相手は仰天する。

「あ、あ、お気の毒な、マシルドさん! 私のあれは人造で、せいぜい五百フラン位なものだったのですよ!」

という言葉で、この短篇は終わる。

この話を「責任」という観点から眺めてみよう。

まず

1. マシルドは首飾りを紛失した。
2. その行為の責任を取って、首飾りを弁償した。

もしこの首飾りが本物であれば、話は単純だ。けれども、本物ではなかったから、話はややこしくなる。マシルドは自分の責任ではない部分まで、責任を引き受けた。そのことに対して、わたしたちは果たして彼女をすばらしいと思うのだろうか。

ところで、この短篇に対して、怒りをあらわにしている人がいる。
それは夏目漱石である。

漱石は「文芸の哲学的基礎」というなかなかすごい標題の講演のなかで、「不快な作品」として、これをあげている。

よくせきの場合だから細君が虚栄心を折って、田舎育ちの山出し女とまで成り下がって、何年の間か苦心の末、身に釣り合わぬ借金を奇麗に返したのは立派な心がけで立派な行動であるからして、もしモーパッサン氏に一点の道義的同情があるならば、少くともこの細君の心行きを活かしてやらなければすまない訳でありましょう。

ところが奥さんのせっかくの丹精がいっこう活きておりません。積極的にと云うと言い過ぎるかも知れぬけれども、暗に人から瞞されて、働かないでもすんだところを、無理に馬鹿気た働きをした事になっているから、奥さんの実着な勤勉は、精神的にも、物質的にも何らの報酬をモーパッサン氏もしくは読者から得る事ができないようになってしまいます。同情を表してやりたくても馬鹿気ているから、表されないのです。

漱石が批判するのは、マシルドが過剰に責任を果たしたことを、作者のモーパッサンが何ら価値を置いていない点である。モーパッサンが、愚かなふるまいとみなしているから、読者も「同情を表してやりたくても馬鹿気ているから、表されない」ということになるのである。

どこまで「責任」の範囲といえるのか。
「首飾り」という短篇が示すのは、過剰に責任を果たしたとしても、それを単純に評価することはできないということなのだ。

線引きはむずかしい……。

(この項つづく)


責任ってなんだろう その1.

2010-01-18 23:24:14 | 
(1)「責任を負いません」

以前から気になっているのだが、サイトを閲覧しているときに「何らかの損害が生じても管理人は責任を負いません」という文言を見かけることがある。

もちろんこれが免責条項であることは知っているのだが、法律的にではなく、あくまで語感の問題として、なんとなくおかしな表現ではないか、「責任」という言葉と微妙にずれている表現なのではないか、そんな気がしてならなかった。

「責任」という言葉が出てくるのはどんな場合だろうか。
たいていの場合、ある出来事が起こって、それが誰かに損害を与えた場合だろう。
空き地で子供たちが野球をやっている。ジャイアンの打ったボールはホームランとなって、空き地を飛び越え、雷おやじの家に飛び込み、ガラスを割った。このとき、ジャイアンはガラスを割った「責任」を負う。そうして雷おやじの家に謝罪に行き、もし求められればガラスを弁償しなければならない。

こう考えていくと、「責任」というのは
1.過去の p-1時に自分がした行為に対して
2.現在の自分がその行為のつぐないをする
という構造になっている。

それに対して「何らかの損害が生じても管理人は責任を負いません」という表示は
1.過去の p-1時に自分がした行為(サイトの開設であるとか、書いた文章であるとか)に対して
2.現在及び未来の自分は責任を負うつもりはない
と宣言しているのだ。

中学生のころ、英語で「責任」は responsibility 、すなわち
response(応答) + ability (可能であること)
であることを初めて知ったとき、責任という概念が英語と日本語ではちがうのだなあと思った。何かの行為をなしたとき「どうしてそうしたのか」と問われて、「かくかくしかじかでこうやったのだ」と答えることができること、それが「責任」ということなのだ。

何らかの行為の結果、不具合が生じて、だがこの不具合に自分には責任がない、と応答するのなら、英語の responsibility とも齟齬を生じない。だが、何も起こる前から、いかなる不具合が生じたとしても、自分は一切責任を負わないと宣言することは、未来に至るまで、「責任」を問う声に応答しない、という宣言にほかならない。それは「責任」という言葉の本来の意味から考えると、論理的におかしいのではないのか。

これからしばらくいくつかの小説に描かれた「責任」の場面を概観しながら、もう一度責任ということを考えてみたい。
もしよかったらおつきあいください。



成人式は過ぎたけれど

2010-01-16 22:57:06 | weblog
祝日は祝日で、いったい何の日かあまり考えることもない。ただ、月曜日は派手な色合いの振り袖に、ふかふかした毛皮のショールを巻いた若い女の子たちをたくさん目にしたので、ああ、成人式なんだな、と思った。

自分が成人式と無縁の過ごし方をしたので、未だに大勢の二十歳がわざわざ市役所などのような場所に集まってくる、というのが不思議だ。それでも地元にいれば、結局は一種の同窓会、日ごろ会うこともない高校や中学のときの同級生と顔を合わせる楽しみがあるのだろう。

わたしが二十歳になったときは、まだ成人の日というと一月十五日だった。
自分のところにも成人式の案内が届いていたのだろうが、そんな通知など見ることもないまま、三が日が開けると早々に京都に戻ったのだ。

誕生日が七月のわたしは、すでに成人して半年ほどが過ぎていた。かといって、煙草を吸うようになったわけでも、酒を飲むようになったわけでもなく、運転免許を取る計画を立てたわけでもない。大人になった実感などまるでなかった。

毎日何かしよう、と焦っていた。とりあえずは勉強をしなくては、と思ってはみたものの、何から手をつけていいかわからず、さしあたって語学でも、と開いたフランス語の文法書は、なんだかばからしく、明日から、明日から、と日延べして、まるで逃避するかのように小説ばかり読んでいたのがこの時期である。『ホテル・ニューハンプシャー』を持ってベッドに入り、ページの最後をめくるころにはスズメの声が聞こえてきたような生活だった。あとはバイトに明け暮れて。当時の生活というと、ほんとうに本を読むかバイトに行くかのどちらかだったのだ。

まだそのころは、コピー屋のバイトのほかに、単発のバイトをいくつも掛け持ちしてはいたが、実入りのいいバイトはなかなか見つからない時期だった。時給の高い塾・家庭教師の口は、大学の窓口にもアルバイトニュースにもほとんど載っていなかった。

そこへ上級生から学習塾の講師を募集している話を聞いたのである。なんでも採用試験があり、なかなかの難関であるらしい。実家から自分が小学生のころ、受験勉強に使っていた問題集を送ってもらい、バイトの行き帰り、バスの中で解いた。小学校の頃の自分の大きな子供らしい字に、成人したわたしの字がかぶさった。

みぞれまじりの道を、バスがのろのろと走っているときだった。おそらくわたしは膝の上に載せた問題集で、流水算だか方陣算だかを解いていたのだと思う。ふいに窓の外がぱっと明るくなって、思わず顔をあげた。窓の外に、あざやかな色の振り袖の一団がわらいさざめきながら歩いていた。陰鬱な空をものともしない、明るい声と姿だった。

ああ、今日は成人式だったのか、と思った。そんな格好をしている人をうらやましいとも、自分も出たかった、とも思わなかった。人は、自分に関係のないものをうらやましがったりはしないものだ。そのときのわたしにとって、時速の異なる電車がすれちがう時間や、食塩水の濃度の方がよほど問題だったのだ。採用試験に受かり、いまより倍の時給の職を得たいとだけ、考えていた。彼女たちとわたしの唯一のつながりは、同じ年に生まれたというだけだった。関係ないとすら感じなかった。

あれからずいぶんの年が過ぎて、いまになって振り返れば、当時のわたしとバスの外、きらびやかな格好で歩いていた女の子たちがどれほどもちがわなかったことを知っている。自分だけ、不安に負けまいと肩肘張って、必死で生きているつもりでいたが、彼女たちだってそれぞれに、不安や悩みを抱え、それぞれに懸命に生きていたのだろう。

自分を大切にする、ということが言われるようになって久しい。そういう言葉が頻繁に口にされる背景には、そう言わざるをえないような出来事であるとか、若い年代の人たちが、あまり自分を大切にしているようには見えないことがあるのかもしれない。

その人たちが、自分を大切にしているのか、いないのか、わたしにはよくわからない。けれども、自分で自分を支えなければいけない年代になったとき、だれもが自分が生きる意味を考えるはずだ。自分だけにしかない意味を考えると、どうにも曖昧で、そんなものはどこにもないような気がして、不安になってしまうかもしれない。だれも自分を認めてくれないことに、歯がみしたい思いをすることもあるかもしれない。

けれど、そう感じている自分と向き合い、自分を引き受け、進む方向を決めていくことが、自分を大切にするということではないのだろうか。自分と向きあうというのは、ひとり部屋にぶつかって自分の内側をのぞきこむことではない。いろいろな出来事に出くわし、人に会い、本を読み、とにかくぶつかりながら、それに反応する自分を知るということだ。できない自分、失敗する自分、認めてもらえない自分を引き受けることだ。それ以外にどういう大切に仕方があるのか、わたしはよくわからない。

不安な人に向かって、自信を持て、というのは、貧乏な人に、お金を持て、そうすれば貧乏ではなくなる、というアドバイスをするのと同じだ。お金を持つことができないから、その手段を現在は持っていないから、その人は貧乏なのだから。

同じように、不安な若い時代を過ごしたわたしは、そんなバカなことは言いたくない。その代わり、経験から知っていることなら言える。

心配はない。不安はなくならない。
だが、不安は変わっていく。いま抱えている不安は、自分が成長することによって、技術や知識を身につけることによって、あるいは、環境が変わることによって、もはや不安でも問題でもなくなっていく。
つぎの段階では、つぎの不安が待っている。
それでも、そのプロセスのなかで、学ぶことはかならずある。学んだあとの「わたし」は、学ぶ前の「わたし」とは同じではない。

そうやってわたしは大人になってきた。
自分がそれこそどれだけ賢くなったかと思うと、忸怩たるものはあるのだが。

社会全体に閉塞感がただよっているのは確かだ。それでも、そのことと自分は関係あるのだろうか。関係あるのだとしたら、いったいどういう関係の仕方をしているのか。なんとなく、誰かが言っていることや、時代の気分のようなものにまどわされず、自分を大切にしていってほしいと思う。


サイト更新しました

2010-01-15 22:59:39 | weblog
お久しぶりです(笑)

ちょっと体調を崩して、寝込んでいました。
寝床でぼちぼちと手を入れたオーウェルのエッセイをサイトにアップしました。
あとがきが微妙に方向がずれているので、また書き直すかもしれませんが。

とりあえず、アップしたというお知らせまで。
またお暇なときにでも見に来てください。


http://f59.aaa.livedoor.jp/~walkinon/index.html