陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

イーディス・ウォートン 『ローマ熱』 その4.

2006-09-30 21:45:51 | 翻訳
ローマ熱 その4.

II

 もうながいこと、言葉を交わすこともなく並んで腰をおろしていた。まるで、死の記念碑とでもいうべき巨大な存在を目の当たりにしたふたりがともに、救いというものは、むしろ無為に過ごすうちにあるのだと感じているかのように。身じろぎもせず座っているミセス・スレイドの目は、シーザー宮殿へと続く金色の坂にじっと注がれており、やがてミセス・アンズレイもハンドバッグをもてあそぶのをやめて、深い物思いに沈んでいった。たいていの親しい友人がそうであるように、このふたりも黙ったままいっしょにいたようなことは絶えてなく、ミセス・アンズレイは、長年の親しいつき合いのなかで、これまでにはなかった状態を、どうしたらよいものか見当もつかず、かすかにとまどっていたのだった。

 急にあたり一帯に鐘の音の深い響きが満ち、ローマの市街地全体がひとつの教会になったように銀色の屋根に覆われる時間がきた。ミセス・スレイドは腕時計に目を走らせた。「もう五時なんだわ」とさも驚いたように言う。

 ミセス・アンズレイがそれとなく尋ねた。「五時に大使館でブリッジがあるんだったわよね」しばらくミセス・スレイドは何も言わなかった。ずいぶん考えこんでいるみたい、たぶん聞こえなかったんだわ、とミセス・アンズレイは思った。だが、しばらくしてから、急に夢から覚めでもしたように返事がかえってきた。「ブリッジって言った? もし行きたくないんだったら……わたしは行きたい気分ではないけど」

「ええ、そうね」ミセス・アンズレイは即座に同意した。「わたしもほんとうはどうだってよかったの。ここはほんとうに美しいのですもの。あなたの言うとおり、昔の思い出がたくさん」椅子に身を沈めて、半ば隠すようにして編み物を取りだした。その仕草を目の隅で捉えたミセス・スレイドだったが、手入れの行き届いた自分の手は、膝の上に置いたまま、動かそうともしなかった。

「わたしが考えていたのはね」とぽつぽつと話しはじめた。「ローマって、いろいろな旅行者にとって、その世代ごとでずいぶんちがったイメージでとらえられてきたのだろう、ってこと。わたしたちの祖母の世代だと、ローマ熱よね(※マラリアのこと。湿地の多いローマでは、蚊が媒介するマラリアが多く、ローマ帝国崩壊の理由の一つとも言われる)。母の世代にとっては、恋愛沙汰――わたしたち、それはそれは見張られていたものね。だけど、娘たちときたら、ただの繁華街ぐらいにしか思ってない。あの子たちは気がついていないけれど、そのためにどれほどいろんなことを見過ごしているのかしら」

 長く伸びた金色の日差しがしだいに輝きを失って、ミセス・アンズレイは編み物を少し目の近くまで持ち上げた。「そうねえ。わたしたち、それはそれは厳重に保護されていたものね」

「わたし、よくこんなふうに思ったわ」ミセス・スレイドは言葉を継いだ。「わたしたちの母は、祖母の世代よりずっと大変だったんじゃないのかしら、って。ローマ熱が往来で流行っていた時代なら、危ない時間帯に娘を閉じこめておくのは、そんなにむずかしいことではなかった。だけど、あなたもわたしも若かった頃は、手招きするステキなものはうんとあるし、ときには反抗してみるのも刺激的だし、日が翳って寒くなってからだって、せいぜい風邪をひくぐらいの危険しかなかったし、母たちはわたしたちを閉じこめておくのにさぞかし苦労をしたことでしょうね」

 ミセス・アンズレイを見やると、目下、編み物は難しい箇所にさしかかっているらしかった。「一、二、三――ふたつ飛んで――、そうね、きっとそうだったんでしょうね」と顔を上げることもなく同意した。

 その様子をミセス・スレイドはしげしげと眺める。
――編み物ができるなんてねえ……こんな景色を前にして。まったくこのひとらしい……。

 椅子にもたれたミセス・スレイドは、ためつすがめつ、視線を目の前の廃墟から、フォロ・ロマーノの草の繁る窪地へ、その向こうにある翳りゆく日を浴びる教会正面、さらにその外側に拡がる巨大なコロシアムへとさまよわせていった。不意に思う。
――娘たちがセンチメンタルになったり、月の光を見て感じたりすることもなくなってしまってもいっこうにかまわないけれど。でも、もしバブス・アンズレイがあの若い飛行機乗り、例のマルタ島出身の彼をつかまえようとして出かけたのは、まちがいなかったとしても、わたしはなにもわからない。おまけにバブスがいれば、ジェニーには何のチャンスもないし。それならはっきりとしてるわ。だからグレイス・アンズレイは娘ふたりをどこだって一緒に行かせるのかもしれない。かわいそうなうちのジェニーはカモフラージュってわけね。
ミセス・スレイドはほとんど声を出さずにそっと笑ったが、それを耳に留めたミセス・アンズレイは編み物をしている手を下ろした。

「どうかしたの」

「え? ……あら、なんでもないのよ、ただお宅のバブスはなんであろうとうまくやっていくのだろう、って思っただけ。あのカムポリエリ家の息子さんは、ローマで最高のお相手よ。あら、知らないふりをしたってダメよ。あなただって知ってるでしょう。わたし、ずっと不思議だった。もちろん尊敬の念をこめて、ってことだけど、わかるでしょ……あなたとホラスみたいに模範的な人格の人のところへ、どうしてあんなエネルギーの固まりみたいなお嬢さんが生まれたんでしょうね」ミセススレイドはかすかに棘を含んだ声音でそう言った。

(この項つづく)

イーディス・ウォートン 『ローマ熱』 その3.

2006-09-29 21:51:59 | 翻訳
ローマ熱 その3.

 数年後、数箇月も日を置かないうちに、ふたりの女性はともに夫を喪った。その場にふさわしい花輪やお悔やみの言葉などを双方ともに送り、喪に服しているあいだ、しばらくは旧交が復活した。さらに数年の歳月を経たいま、ローマの同じホテルで、ともに華やかな娘というおつきを従えて、顔を合わせたのだった。似たような来し方をたどってきたからこそ、こうしてめぐりあったのよ、と半ば冗談めかして言い合い、たがいに、昔だったら自分の娘と「つきあう」なんて骨が折れることだったにちがいないけれど、いまの時代はたまにはそうでもしていないと、こちらの張り合いがなくなってしまうわよね、と、正直なところを言い合った。

 確かに、とミセス・スレイドは考える。かわいそうなグレイスよりもわたしのほうが、無聊をかこっているのだわ。デルフィン・スレイドの妻であることと、未亡人であることのあいだには甚だしい差があった。ずっと自分のことを(夫婦であることの一種のプライドから)、社交的な資質という面では夫には引けを取らないものである、自分たちが人並み外れたカップルだったことには、自分が果たした役割も大きくものをいっているのだと考えてきたのだ。ところが夫を亡くしたあとは、もはや地位の下落はいかんともしがたい。高名な顧問弁護士、国際的な訴訟案件をひとつやふたつ、つねに抱えているような弁護士の妻として、思いがけない仕事が降りかかってくることはあっても、心躍るような日を過ごしていたのだった。外国からやってきた一流の弁護士を、急にもてなすことになったり、法律問題でロンドンやパリ、ローマに急行しなければならなかったこと、また、そうした諸外国では、相互に接待したりされたりが、派手に繰り広げられたのだった。そんなとき背後で聞こえてくる声が、楽しみの種となった。「あら、あのいいお召しの、目のきれいな、あかぬけた人がミセス・スレイド? スレイドさんの奥さんなの? ほんとう? 有名人の奥さんって、パッとしない人が多いのにねえ」

 確かに、スレイドの未亡人として過ごすのは、そんな日々のあとでは、退屈きわまる仕事だった。そんな夫に応えられるように、能力のすべてを費やしてきたのだ。いまや果たさなければならない仕事は、娘ひとりを相手にしたものにかぎられる、というのも、夫の資質を受け継いでいるように思えた息子も、子供のうちに急に亡くなってしまっていたからだった。その耐え難い悲しみも、夫がいたから、助け、助けられしたから、なんとか乗り越えて来れたのだ。いまやその夫も亡くなり、ひとり息子のことを思うと、身を切られるよりつらい思いがする。いまは娘の母親であるという以外にやるべきことは何もない。おまけにうちのジェニーときたら、これといって非の打ち所もない娘だから、ことさらに母親らしくでしゃばる必要もないのだわ。

――これがバブス・アンズレイだったら、わたしだってこんなにものんびりなんてしていられないかもしれない。
ミセス・スレイドはときどき、半ばうらやみながら、そんなことを思う。まばゆいばかりのバブスにくらべれば、年も若いジェニーは、まったくありえないことに、大変な美人であるにもかかわらず、その若さも美しさも、ないも同然、まったく危険な気配さえないのだ。まったくわけがわからない――それに、ミセス・スレイドはいささか退屈でもあったのだ。ジェニーが恋に落ちるなりなんなりしてくれたらねえ、たとえ多少健全とは言い難い相手であっても。それなら、ジェニーを監視し、策を弄して、そこから救い出さなければならなくなるにちがいない。ところが実際は、ジェニーの方が母親を監視し、すきま風が当たらないよう気を配り強壮剤を飲み忘れていないかどうか、確かめている……。

 ミセス・アンズレイは友人ほど明瞭な意見を口にするタイプではなかったし、頭の中にあるミセス・スレイドのイメージは、さほど重要でもなく、ごくぼんやりとした印象しかなかった。
――アリーダ・スレイドは確かに才気煥発なひとだった。でも、自分で考えてるほど、たいしたひとでもなかった。
ずっとそんなふうに理解をしていたのだ。とはいえ知らない人のためには、こう説明を加えていただろう。ミセス・スレイドはたいそう元気のいいひとだったんです、と。もちろんお嬢さんのジェニーさんもおきれいだし、賢い面もお持ちだけれど、お母さんとはくらべものになりませんわ、よくみなさんがおっしゃるような「ハッとする」みたいなところのがないんです。ミセス・アンズレイはときどき流行語を使うのだけれど、そのときは、こんなに大胆なことはしたことがないとでもいうように、引用を示す鍵かっこがついているかのごとく、使ってみせるのだった。確かに、ジェニーは母親には似ていなかった。ときどき、ミセス・アンズレイは思うのだ。アリーダ・スレイドはがっかりしているのね、これまでずうっと悲しい生活を送ってきたのですもの。失敗と勘違いばかりの人生。ミセス・アンズレイはいつだって気の毒に思ってきたのだ……。

 このように二人の女性はそれぞれに、自分の小さな望遠鏡をさかさまにして、相手の姿を眺めていたのだった。

(この項つづく)

ローマ熱 その2.

2006-09-28 21:35:15 | 翻訳
ローマ熱 その2.

 それを聞いた女性は、とんでもない、というふうに手を振った。「なにもわたしたちがそうだ、って言ってるんじゃなくてよ。そのことはわかってやらなくては。ただ、きょうびのおおかたは、母親というものをそんなふうに見てるってだけ。ね?」いささかうしろめたげな顔つきで、品のいい黒いハンドバッグから、上等な編み棒が二本刺さった深紅の絹糸の玉を取りだした。「なかなかわかることではないけれど」とつぶやくように言う。「世の中が新しくなると、わたしたち、時間をもてあましてしまうわよね。ときどき、わたし、ただ眺めていることにうんざりしてしまう――たとえこんな景色でも」そうして、足下に拡がる目を奪うような風景を手で示した。

 浅黒い肌の婦人がもう一度声をあげて笑うと、それからまたふたりは、春の日に輝くローマの空をそっくり映したような、ぼんやりと穏やかな表情を浮かべて、黙ったままそれぞれの物思いにふけりながら、その景色を眺めたのだった。ランチタイムはずいぶん前に過ぎており、ふたりは広いテラスの一隅を、ふたりだけで占領していた。反対側に残って、市街地の景観を名残惜しげに眺めていた二、三のグループも、ガイドブックをまとめて、チップをごそごそ取りだそうとしている。最後の一団が去ると、風の吹き抜ける高いテラスにいるのは、ふたりだけになった。

「どうかしら、わたしたちがここにこのままいちゃいけない、って理由はないわよね」そう言ったのはミセス・スレイド、血色が良く、よく動く眉のもちぬしである。手近にあった柳の枝で編んだ肘掛け椅子をふたつ、手すりに直角になるように押してくると、ひとつに腰を下ろし、パラティーノ丘に目をやった。「なんのかんの言っても、世界中でここくらいすばらしい眺めはないわね」

「これからさきもずっとそうよ、わたしにとっては」と同意したミセス・アンズレイだったが、その「わたし」という言葉には、かすかに強調したような気配がこもっており、それに気がついたミセス・スレイドだったが、たぶん、たいした意味はない、昔風の手紙を書く人がたいした意味もないのにアンダーラインを引くようなものよ、と考えた。

――グレイス・アンズレイはいつだってむかしふうのひとだった。
ミセス・スレイドは思った。昔を懐かしみながら笑顔になって、声に出してつけくわえた。「わたしたちふたりとも、ずいぶん長いこと、よく眺めた景色だわよね。ここで初めて会ったとき、わたしたち、いまのうちの子たちより若かったのよ。憶えてるでしょ?」

「ええ、もちろん、憶えているわ、わたし」そうつぶやくミセス・アンズレイの言葉は、やはりばくぜんと「わたし」に力がこもっており、「給仕頭がこっちを見てるわよ」と言い添えた。どうやら連れに比べると、ミセス・アンズレイのほうは、世間での自分の権利を揺るぎのないものとは考えていないようだった。

「見なくてもすむようにしてあげましょ」ミセス・スレイドはそう言うと、ミセス・アンズレイのものと同様、目立たないように金のかかったハンドバッグに手を伸ばした。給仕頭に合図して、わたしたちは昔からローマがとっても好きなの、ここの景色を見ながら、午後のあいだずっとここにいちゃいけないかしら、もちろんあなたがたのお仕事のお邪魔にならなければ、ってことだけど、と言った。給仕頭はミセス・スレイドが渡した心付けに頭を下げた。お気のすむまでいらっしゃっていただいてかまいません、ディナー・タイムも私どものところで過ごしていただければ、なおのこと幸いに存じます、今宵は満月でございますしね、ご承知とは思いますが……。

 ミセス・スレイドは黒い眉をひそめて、あたかも月の話など場違い、好ましからざる話題であるかのような表情を浮かべた。けれども給仕頭が去ると、曇った顔にふたたび笑みを浮かべた。「ねえ、そうしましょうか。これ以上の過ごし方はないかもしれないわね。どうなるものやら見当もつかないでしょう、あの子たちがいつ帰ってくるのか。あなた、あの子たちがどこへ行ってるかわかって? わたしには見当もつかないわ」

 ミセス・アンズレイは、また少し頬を赤らめた。「大使館で会ったイタリア人の若い飛行機乗りたちが、飛行機でタルキニアにお茶を飲みに行こう、って誘っていたわ。たぶん夜までそっちにいて、月の出を待って、月明かりのなかをこちらに戻ってくるんじゃないかしら」

「月明かりですって? 月明かりねえ。まだそんなものが効果があるとはね。あの子たちも昔のわたしたちみたいにおセンチだと思う?」

「最近思うようになったの。あの子たちのことなんてちっともわかりはしないんだわ、って」ミセス・アンズレイはそう言った。「それに、もしかしたら、わたしたちだってお互いのこと、どれほどもわかってなかったのかもしれないわね」

「そうね、もしかしたら、そうだったのかも」

 ミセス・アンズレイが友人の顔を上目遣いにちらりと見た。「アリーダ、あなたがセンチメンタルだなんて、わたし、思ったことないわ」

「そうね、たぶん、そうじゃなかったわね」過去を振り返るミセス・スレイドの唇は、固く引き結ばれていた。そうしてしばらくのうち、少女時代から仲の良かったふたりの女性はそれぞれに、自分が相手のことをほとんどわかってなどいないのだ、と考えていた。もちろんお互いに、相手はこういう人だ、と決めてかかっているところはあった。たとえば、デルフィン・スレイドの妻であるミセス・スレイドは、ホレイス・アンズレイ夫人のことを自分から、あるいは問われればだれに対してもこう言うのが常だった。そうね、彼女は二十五年前は、ほんとうにきれいだったのよ――あら、あなた信じないかもしれないけど、ほんと、そうだったの、そりゃもちろん、いまだってステキだし、人目を引くことには変わりないけど……。

そう、若い頃の彼女は飛び抜けた美人だった。娘のバーバラなんて比べものにならないぐらい。まぁ、確かにバブスのほうが、いまふうの尺度でいったら、もっとパッと人を引きつけるような、若い人たちの言葉で言ったら、ソソるところがあるけれど。バブスがそうなったのは、ちょっとおもしろいわね、だって両親とも人畜無害なタイプだったんだもの。そうよ、ホレイス・アンズレイったら、ほんと、奥さんと好一対だったわね。昔ながらのニューヨークを代表して、博物館行きになりそうな人だった。二枚目で、非の打ちどころがない、模範的人物ってところ。

ミセス・スレイドとミセス・アンズレイは、実際上も、また比喩的な意味でも、長年に渡って、向かい合って暮らしてきたのだった。東73番街20番地の客間のカーテンが新しくなると、通りを隔てた23番地でも、かならずカーテンは取り替えられるのだった。そればかりか、生活のあれこれも、買い物も、旅行も、記念日も、病気でさえも、立派な夫婦の単調な年代記として。ミセス・スレイドの目を逃れるものはなかった。

だが、ミセス・スレイドも、夫がウォール街で大成功を収めたころには、見張りにもうんざりしはじめ、アッパー・パーク・アヴェニューに屋敷を構えるときは、こんなふうに考えるようになっていた。「気晴らしに、もぐり酒場(※禁酒法時代の)の向かいにでも住んでみたいものだわ。そこだったら少なくとも警察の手入れが見られるかもしれないんだもの」グレイスが警察に踏み込まれでもしたらなんてたのしいんだろう、と、引っ越す前のことだったのだが、ある女性と昼食をとっていたとき、つい口にしてしまった。この冗談は大当たりとなって、方々で人の口にのぼり、ミセス・スレイドは通りを渡って相手の耳に入ったらどうしよう、とどうかすると心配になったほどだった。もちろん耳に入ってほしくはなかったが、そうなってもたいしたことじゃないわ、とも思っていた。当節、品位なんてものは、すっかりお安くなっているんだもの、やんごとない人たちをちょっとくらい笑っても、さしさわりなんてないわよ。

(この項つづく)

イーディス・ウォートン 『ローマ熱』 その1.

2006-09-27 21:56:01 | 翻訳
今日からイーディス・ウォートン(1862-1937)の短編『ローマ熱』(1934年の作品)を訳していきます。
アメリカの短編のアンソロジーを選ぶと、かならず入っているといっていいほどの有名な作品ですが、ふたりの中年女性が話しているだけ、動きの少ない地味な展開が続きますので、毎日読んでもつまらないとは思います。ただ、最後にどんでん返しがあるので、しばらくしてまとめて読んだ方がいいかもしれません。
原文はhttp://www.geocities.com/short_stories_page/whartonromanfever.htmlで読むことができます。
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ローマ熱  by イーディス・ウォートン

I.

 それまで昼食を取っていた卓を立ち、ふたりのアメリカ人女性、盛りはいささか過ぎているものの、端正な身だしなみをした中年婦人たちは、ローマの高台にあるレストランのテラスを横切って歩いていくと、手すりにもたれ、まずはお互い、顔を見合わせたあと、眼下に広がるパラティーノ丘やフォロ・ロマーノの崇高な姿に眼を向け、ふたりとも同じ、いささかぼんやりとしてはいるけれど柔和な、すばらしいわ、とでも言いたげな表情を浮かべた。

 そこにそうしているうちに、若い娘らしい明るい声が、眼下の広場へとおりていく階段から聞こえてきた。
「さあ、だから行きましょうよ」
その大きな声は、ふたりにむかってではなく、そこからは見えない相手に向けられたものだ。「お嬢様がたには編み物でもあてがっておけば十分」
同じ頃合いの若々しい笑い声がそれに応じた。「あらあら、バブス、ほんとに編み物なんてするのかしら?」
「ものの喩えよ」最初の声が答える。「どのみち、わたしたちが親にやらせてあげられることなんて、それ以外、ないじゃない?」階段の角を曲がった娘たちの声は、そのまま消えてしまった。

 ふたりの婦人はふたたび顔を見合わせたが、このときはいささか困惑の笑みが浮かんでおり、小柄で色の白いほうの女性は微かに頬を染めて頭を振った。

「バーバラったら」そっとつぶやいたのは、階段から聞こえたばかにしたような声には届かない叱責を送るつもりだったのかもしれない。

 もうひとりの、もっとふっくらとして血色の良い、こぶりで意志の強そうな鼻と、くっきりした黒い眉の女性のほうは、楽しそうな笑い声を立てた。「あの子たちはわたしたちのことをそんなふうに思ってるのよ」

(この項つづく)

サイト更新しました

2006-09-26 22:11:03 | weblog
先日までここで連載していた「「賭け」する人々」、やっと更新できました。
http://f59.aaa.livedoor.jp/~walkinon/

ふぅ~~。きつかったです。
もう、何書いてるか自分でもわかりません。
頭がガス欠です。
すいません、コメントくださった方、お返事は明日します。
明日からまた新しいこと、始めます。
それじゃ、また。

記憶の話

2006-09-25 22:10:15 | weblog
ところで、あなたは自分の携帯の電話番号を覚えていますか?

わたしはいまの携帯を使い出してまる六年と三か月が経過しているのだけれど(もちろん同一のものである。最近、電池が切れてきて、一度電話がかかったら、着信音だけで電池の残量を示すバーが一本消えるようになってしまった。話を始めると、さらに一本。長電話せずにすんで、実は大いに助かってもいるのだが)、いまだに自分の番号を知らない。
メールアドレスは自分の名前の3/4を使ったものすごくわかりやすいものなので、自分の名前を忘れない限り、大丈夫なのだけれど、最近の記憶力の減退を考えると、これもいつまで大丈夫か、いささか不安でもある。ともかく、忘れたら開いて確かめればよい。自分の名前だって住所だって電話番号だって書いてある。え…、と…、どこに書いてあるんだっけ。

毎朝自分が駐輪場のどこに自転車を停めたかわからなくなって、帰ってくるたびにうろうろ探す、というのは、このブログにも何度となく書いてきたような、おぼろげな記憶があるのだけれど、自分でははっきりしないので、気にせずもう一度書くのである。毎日繰りかえすようなできごとは、それが昨日のことなのか、一昨日のことなのか、とんとわからなくなっている。いつも仕事帰りにスーパーに寄って晩ご飯の材料を買うときでも、昨日何を食べたっけ、と考えるのだけれど、五目豆の煮物を作ったのが昨日だったか、一昨日だったか、さき一昨日だったか、わけがわからない。
風呂場の電球が切れても二日連続で買って帰るのを忘れ、三日目に忘れたときは、さすがに四日連続で暗い風呂に入るのがイヤになって、あきらめてコンビニにクソ高い(失礼)バルブを買いに行ったのだった。

歯医者の予約も忘れる。火曜日だと思っていたら、それが月曜日だった、などということも珍しくなく、すいません、忘れてました、という電話も何度も入れる羽目になった(もちろん、風邪で調子が悪かった、急用ができた、という言い訳、ではなく、ウソというか、方便というか、ともかくそういうのもしっかり使ったけれど、そうそう風邪ばかりひいているわけにはいかないのである)。十五分早く行く、三十分早く行く、などは記憶違いのうちには入らない。待合室で本を読んでいれば良いだけの話だ。

いや、わたしに記憶力がないわけではない。
一年以上前に、初めてお会いした人が、最近何もかも忘れる、あたかもトコロテンを押し出すように、ひとつ覚えたらひとつ忘れていく、という話をされたのは、いまでもちゃんと覚えている(ついでにそのときうかがった、ちょっとここでは書けないようなジョークも)。
そんな具合にところどころ、異様に鮮明な記憶が、「地」のなかの「図」のように、あるいは霜降り肉のなかの赤身のように、あるいは庭の飛び石のように、ぽつぽつと浮いている。だが多くのできごとは、混沌の海のなかに沈んでしまった。

ところがわたしだって昔は鉄壁の記憶力を誇っていた時期があったのだ。
いや、正直いうと、そのころだって、電話番号は覚えられなかったし、覚えたくもない化学式などちっとも頭に残らなかった。
そうではなくて、一度本を読めば、その登場人物の細かい情報から、ささやかなエピソードに至るまで、すべてきちんと頭に入っていたのだ。

それが、あれ? なんだっけ、という機会がときどき混ざり始めた。
そうしてついにこんなできごとが起こったのである。

行きつけの古本屋にペーパーバックのミステリが出ていた。Ruth Rendell の "Make Death Love Me"、端は変色しているが、どうせミステリ、読み飛ばすのだから平気、とばかりに買ってきた。登場人物も出そろい、銀行強盗たちが銀行を襲う。人質が取られ、主人公は予期せぬ金を手にし、ストーリーは全体の約半分まで来た。

と、突然、わたしには最後のシーンが目に浮かんだ。
○○はこうなって、××はどうなるのだ!
わたしはいつの間にか予知能力まで身につけたか!?

わたしはあわてて本棚の奧を探った。
原題とは似ても似つかぬ邦題『死のカルテット』の表紙をめくり、見返しの原題を確かめてみた。
"Make Death Love Me"
……。
翻訳を読んでいた……。

この話、してませんよね?

陰陽師的ストレス度チェック

2006-09-24 22:19:37 | weblog
以前、お医者さんからうかがったことがある。

患者さんは「ストレスが原因ですね」というと、うれしそうな顔をするのだそうだ。
「そうなんですよ、ずっとストレスがあるので、やっぱりそれが原因ですか」と、自分で納得するらしいのだ。
どうやら「ストレスがあるんじゃないですか?」という言葉は人間関係の潤滑油になるらしい。

ストレスなんてものは、あると思えばある、ないと思えばないようなもの。
ストレスを減らそう、なんてことを考えてしまえば、そのためにストレスが溜まってしまうような気もする。

ストレスをなくそう、なんてことを思わずに、それとうまくつきあうことが求められている。
そこでまずあなたのストレスをチェックしてみましょう。

ストレス度チェック(心当たりのあるものに○をつけてください)

1.家を出るときガスの元栓を閉めてきただろうか。

2.待ち合わせに遅れそうだ。

3.帰りがけ、スーパーでどうしても買って帰らなければならないものがあったような気がするが思い出せない。

4.図書館で返し忘れた本があったような気がする。

5.うしろからパトカーが来る。

6.ガンをつけられた。

7.受信料を取りに来た。

8.電車の切符がない! ポケットに入れておいたはずのに。

9.体重を測ったら0.5㎏増えていた。

10.駅前でお兄ちゃんがギターを片手にすさまじくヘタな歌を歌っていた。

11.ちょうど家を出たときに電話の音が聞こえたので、あわてて鍵を開けて靴を脱いで電話に出たらセールス電話だった。

12.駐輪していたら自転車のタイヤがナイフで切りつけられていた。 

13.わざわざ買いに行った本(CD、カバン、その他)が品切れだった。

14.そんなことも知らないの? と笑われた。

15.風呂上がりに食べようと思って冷凍庫を開けたらアイスクリームが切れていた。

16.また誕生日が来る。

17.すれちがいざまに女子高校生の一団が大笑いをしたが、その直前にこちらを見ていたような気がする。

18.キンギョ(あるいはペット)の具合が悪い。

19.それは誤解なんです。ほんとはそんなつもりじゃなかった。

20.昨日定価買ったものが、今日見たら三割引になっていた。

【結果】
○の数が

0~5の人:心穏やかな毎日をお過ごしのようです。まわりからも「幸せなやつ」と思われているかもしれませんが、いいんです、あなたが幸せなら。

6~11の人:いろいろあるのが人生。それでも明るい方に目を向けているあなたは、大丈夫、どんなところでも生きていけます。

12~17の人:ストレスがありつつもなんとか折り合いをつけていられるあなたはえらい人です。もう十分です。あとは人のストレスまで背負い込まないことだけに気をつけて。

18~20の人:いまが底。きっとそうです。うまくいかないことは、そのストレスが原因なんです(潤滑油を一滴)。にっこり笑って、世界にあなたの一番いい顔を見せてあげてください。そうすればきっと世界はもあなたに微笑みかけてくれるはず。

眠れない子供と眠い大人と

2006-09-23 22:27:29 | weblog
子供には、寝つきの良い子供と、眠れない子供の二種類がある。
寝つきの良い子供というのは、見事なもので、横になるともう寝息をたてている。
ところが眠れない子供は、目をつぶっては寝返りをうち、ときどき暗い中で時計を確かめて、ため息をついて、また目をつぶって寝返りをうつのだ。

敷布の足のあたりがすっかりあつくなって、足をどこへやっても冷たい場所はない。そうやってごろごろしているうちにシーツは蛇のように体にまとわりつき、いよいよ眠れない。なのに、部屋の向こうからは、姉のやすらかな寝息が聞こえてくる。

意を決して起きあがって、トイレに行く。オレンジ色の暗い電球が点ったトイレは、昼間とはちがう場所のようだ。小さな窓ガラスも真っ黒だ。その向こうには恐ろしい闇の世界が拡がっているにちがいない。そう思って壁を見ると、奇妙なしみがひろがっている。この形はなんだろう。なにか、壁の内側に禍々しいものが埋められていて、それがしみ出して来ているのではあるまいか。

恐くなって、トイレの中から母親を呼ぶ。
「お母さん、ちょっと来て」
うんざりとした声が外から聞こえてくる。
「もう十時よ。さっさと寝なさい」
「そんなことより、ここの壁がヘンなの」
「変なわけがないでしょ。さっさと出てきなさい」

そうしてまた部屋に追いやられる。
目をつぶると、まぶたの裏側に白いドーナツ状の円が見える。これはなんだろう。
ああ、一軒先のチロが吠えている。泥棒が来たのかもしれない。あの吠えかたは普通ではない。恐くなる。また起きあがって、ふすまをあけようとすると、まだ半分も開いてないのに叱責が飛んでくる。
「まだ寝てないの!」
「あのね、チロが吠えてるの」
「関係ありません。早く寝なさい」

自分が親になったら、絶対にそんなことはしない、と思った。
『おやすみなさい、フランシス』に出てくるおとうさんのように、「部屋に大男がいるの」と子供が言ったら、「なんのようだかきいておいで」と言えるような親になるのだ。
ほんとうにフランシスのお父さんはいいお父さん、それにくらべて……。

そんなことを思いながら、また寝返りを打っていると、こんどは足音が近づいてきて、ふすまがすっと開く。
あわてて目をしっかりつぶる。
「まだ寝てない。明日、起きられませんよ」
そんなことはないのだ。たいてい、朝、日の出とともに目を覚ましているのだから。
どんなに早く起きても、夜、眠れないものは眠れない。
ああ、なんでこんなに眠れないんだろう。足が熱い。シーツが体にからみつく。ますます眠れない。
すると、たいてい、つぎに気がつくのは朝だった。

それが、どういうわけか、勉強をしなければならない年代になると、本を広げただけで、まぶたがくっつきそうになる。
突然、それまで眠れなかった子供が、いくらでも眠れる子供になったのだった。

なんで勉強をしなければならない、となると、あんなふうにいくらでも眠れるのだろう。
そうして、それはわたしだけではないらしかった。
授業中、机に突っ伏して寝ている男の子だっていたし、夏休み、図書館に行けば、開館前から行列してやっと座席を確保したのに、席につくと腕を枕に寝ている子もいた。お昼休みには図書館脇のグラウンドで、大声をあげながら野球に興じているのに、机に戻れば、開いた辞書に寝よだれで世界地図を作っている。
図書館でも、寝ずにいるいささかトウのたった子供たちと、睡魔に屈してしまう、これまたトウのたった子供たちに分かれるのだった。

授業をしながら、寝る先生だっていた。
黒板に板書しながら、突然チョークをぽとりと落とし、黒板に額をつけて、ほんの数分ではあったが、立ったまま寝入ってしまう先生。
教卓について、ほおづえをつきながら授業をしていて、支えた手がずれて、グラッとなったところで目を覚まし、苦笑混じりに、一瞬眠りこんだことを生徒に向かって白状した先生もいた。

人間というのはあまのじゃくなもので、やらなければならないことは、できるだけやりたくない。
小さな子供が眠れないのは、「寝る」ことがやらなくてはならないことだからだろう。
そうして、勉強が始まると、やらなければならないことは「勉強」になり、「睡眠」はそこからの逃げ道になる。

やらなきゃいけないのはわかっていても、ああ、かったるい。
そう思えば、あっという間に眠ることができるのだ。

あれほど眠れなかったわたしも、いまはたいてい慢性的な睡眠不足も手伝って、横になればほとんど数秒で意識がなくなる。
以前好きだった、眠りに落ちる瞬間を確かめることさえ、めったにない。
眠れないあの時間は、考えてみれば豊かな時間だったのかもしれない。

失敗したら

2006-09-22 22:47:58 | weblog
これまでいくつも失敗をしてきた。パン屋のバイトに行って、流しで油を切っている巨大なツナ缶を、ひじではたいて流しにぶちまけてしまったこともあるし、塾で教えている中学生の女の子を泣かしたこともある。

このときは、完全にこちらに背を向けて、後ろの席の子とおしゃべりしているその子に、彼女ができないことがわかっている問題をわざと当てて、必要以上に時間をかけて、いちいちその間違いを指摘して、立たせている彼女を念入りに辱めたのだった。
このときのことを思い出すと、いまでも顔が赤らむような思いだ。

実は、前からその子の態度には頭に来ていたのだ。
まず、先生によって態度がまるっきりちがう。男の先生(男子学生バイト)に対しては、鼻声を出し、横にすり寄っていって、見苦しいほどベタベタまとわりつく。一方、わたしに対しては声もちがう、それこそ虫けらを見るような目でちらりと一瞥すると、授業のあいだじゅう、ずっとくっちゃべっているのだ。もちろん何度となく注意もしたし、上とも相談し、主幹から話もしてもらったし、家にも連絡した。

ああ、あれからずいぶん時間は経っているけれど、それでもこんなふうに言い訳せずにはいられない。
わたしはその子がキライだったのだ。キライだったから、自分の権力を利用して、あるいは、知識を笠に着て、その子を念入りに虐めたのだった。しかも、自分がそのとき楽しんでいたことさえ覚えている。

その日の授業が終わってしばらくは、まだいい気分だったのだ。やがて、夜中になって、自分が明らかに一線を越えていたこと、とんでもないことをしてしまったことに気がついた。ほかの子供たちのびっくりしたような顔と当惑を、あらためて思い出す。だれの目にも明らかなほど、やはりそれは異常なことだった。いっそ、怒鳴ったってよかったのだ。これまで何度注意した? そんなに聞きたくないのなら、出て行きなさい、と、教室から追い出しても良かった。そうする代わりに、わたしは相手のダメージを測りながら、的確に言葉を選んでいったのだ。六つも年下、たかだか十四歳の子供を相手に。

つぎの授業でわたしはその子に謝った。そういうことはすべきではなかった、と。
謝ったことで、彼女がいい気になって、態度をますます悪化させる場合も予想できた。それでもわたしは自分のやったことがなにより恥ずかしかったし、恥ずかしい気持ちは謝る以外に持って行き場がなかったからだ、
それでも、心のどこかで、自分にそうさせたのは、彼女の態度だ、とも思っていた。

そのあと、その子の授業態度が良くなった、とまでは言えないまでも、とりあえず前を向いて座っているようにはなった。それよりあと、成績が上がったような記憶はないので、おそらくそうした面で、目立った変化はなかったのだと思う。

それからこちら、教える場面でも、それ以外の日常的なつきあいの場面でも、あとになって言わなければ良かったと思うようなことも何度となく言ったし、してはならないようなことも幾度もしてきた。ずいぶん忘れてしまったから平気でいられるようなもので、失敗をあげていけばキリがないのだろう。

わたしはずっと「善い」人間になりたい、と、どこかで思っていた。
自分の欠点を克服し、すこしでも「善い」人間、いまの自分よりマシな自分になりたいと思っていた。
何かに迷ったら、できるだけ、自分が「どうしたいか」ではなく、「どうすべきか」を考えるのだ。
失敗から学ぶのだ、と、いつも自分に言い聞かせてきた。

それでもやはり、失敗は繰りかえす。

そうして気がついたのは、たとえ失敗したとしても、これが「最後の失敗ではない」ということだった。これからだって何度でもわたしは失敗を繰りかえすのだ。何百回も繰りかえすのだ。

そう思ったら、「今回」の失敗で落ちこむことなど、馬鹿らしくなってくる。
自分の愚かさがいささか悲しくはなってくるけれど。

そうして次第に自分がどれほどのものか、気がついてくる。所詮、これくらいの人間なのだ。「善い人間」などと現実的でないことを夢見ても、自分で自分の首を絞めるだけだ。
まだまだ先は長い。これから先、重ねる失敗も、山のように待ち受けている。そのたびごとに落ちこんでいてもどうしようもない。なんてバカなんだ、なんてダメな人間なんだ、と思っていては、その失敗を取りもどすこともできない。

失敗して一番厄介なのは、「恥ずかしい」という感情だ。
これに向き合いたくないがために、穴に頭を突っ込むことにして、落ちこんでしまう。
落ちこめば、この恥ずかしさに向き合わなくてすむからだ。

けれど、失敗をきちんと認めなくては、その失敗に付随して起こる困難な事態に対処できない。恥ずかしさと向き合い、折り合いをつけ、そうして、つぎの行動を起こさなくてはならないのだ。

恥ずかしい、と思う。自分がこう見られたい、と思っていたのに、もうそうは見てもらえない。相手の目がまっすぐに見られない。
だが、それは、自分にはどうすることもできないのだ。失敗して、迷惑をかけた相手には、謝って、あとは相手に任すしかない。許してくれるか、許してもらえないか、それは相手が決めること。自分に手出しはできないのだ。

おそらくこれからも、何度も謝らなくてはならない羽目に陥るだろう。
許してもらえたり、もらえなかったりするんだろう。
それでも、そうしなければわからないことはきっとあるはず。

失敗なんて、よくあることなのだ。
ああ、またやっちまった。
天を見上げて、関係者一同に謝って、事態の収拾をつけたら、忘れてしまおう。
これが最後の失敗じゃない。それだけは確かだから。

スポーツとわたし

2006-09-21 22:46:29 | weblog
なんでこんな質問が世の中にあるのだろう。

「スポーツは何をやりますか?」
やりません。

わたしがするスポーツに一番近いことは、仕事カバンとスーパーの袋と図書館で借りた本(Maxで10kgほど)を抱えて階段を九十八段上ることか、駅までの自転車の往復、取ってつきの重たい中華鍋を揺することぐらいだ。あ、あとは遅刻しそうになったとき、駅の構内を走ることもあった。
それだけ運動をしているのに、何をこのうえ、と思うのだが、なぜか人はあたりまえのように、「スポーツ」の話をしてくる。

「ゴルフを少々」
「休みの日には草野球」
「ときどきテニスを」
「スノボ好きなんですよ、冬が待ちきれないなー」
なんていう人が、世間にはそんなに多いんだろうか。

「いま、何の本を読んでる?」
これは滅多に聞かれない。
「i-pod、何が入ってる?」
これも聞かれたことがない。1239曲も入っているのに。
「最近、何か映画見た?」
これもとんと聞かれない。お望みならこのあいだ見た〈マイアミ・バイス〉のストーリー、微に入り才に入り、教えてあげるのに。

なのに、「スポーツは何をしてます?」と、このところ立て続けに三度聞かれた。これは単なる偶然なのだろうか。それとも、わたしがそんなにアスリートっぽく見えるのだろうか(そんなわけない)、はたまたわたしが知らないだけで、ほとんどの人が日常的に何らかのスポーツをやっているのだろうか。あるいは、このごろでは歩くことは「ウォーキング」、階段を上ることは「クライミング」、駅の構内を走ることは「ジョギングもしくはランニング」と位置づけられることになったのだろうか。

物心がついたころから、スポーツというのは自分以外の人がするものだと思っていた。
バトミントンをすれば羽根がラケットに刺さり、ピンポンは玉が見えない。ボーリングは溝に入れることを競うようにルール改正すれば、まちがいなく優勝できるはず。

どういうわけか、走ったり、泳いだり、幅跳びしたり、というのは大丈夫だった。
ところが、ものを扱う段になると、それがたとえ缶蹴りであっても、わたしの手には負えないこととなる。

自分がやらないだけでなく、スポーツをやっている人に対しても、あるいはスポーツを媒介とした連帯感というものに対しても、冷ややかな目を向けていた。

確か、あれは高校生の頃だったと思う。
通りにひとけがなく、車さえ走っていない。
わたしが知らないうちに、どこかで核戦争でも起こったのだろうか、と、車道をしらじらと照らす秋の日差しを見ながら、一瞬、思った。
地震の予知が発表されたのか。ノストラダムスの大予言が繰り上がったのか。
すると、向こうからトランジスタラジオを耳に当てながら歩いている男の姿があった。
わたしは不穏なニュースを待ちかまえた。
すれ違いぎわ、わたしの耳に入ったのは、「六甲おろし」の歌声だった。日本シリーズの最終戦をやっていたのだ。
世間にはこんなにタイガースファンがいるのかと、信じられない思いがした。

ところが大学に入ってから、ある機会でラグビーの試合を見に連れて行ってもらった。冬の寒いさなかで、グランドも寒々とした風景、吹きさらしのスタンドは、コンクリートから冷気が立ち上り、歯がガチガチと鳴った。

ルールもまるで知らなかったけれど、見ているうちに、表面のぶつかりあいはあるにしても、これは緻密な空間を取っていくゲームだということがわかってきた。少しずつ、少しずつ押し上げながら、前方の空間に侵入していったかと思うと、一瞬のスキをついて、後方の選手が駆け抜け、いっきに確保した空間を広げていく。
しかも、前へ走りながら、ボールを後ろへ後ろへ送っていく、という奇妙な約束事もおもしろかった。
そのとき初めて、スポーツというのはこんなにおもしろいものなのか、と思ったのだった。

以来、スポーツというのは、わたしにとって、「フィールドで人がやっているのを見るもの」なのである。
野球は、やたらに切れるので、すぐ飽きてくる。
それでも、ピッチャーが投球フォームに入ると同時に、フィールドにいる選手の全員の身体に、あたかも電源が入ったかのごとく緊張感がみなぎるのを見るのは好きだ。バッターが打った瞬間に、野手全員がそれぞれに走り出す方向がちがうのも、おもしろい。こんなものはどうしたってTVを見ていてはわからない。
おまけにそんなことを聞きたがる人もいないので、説明することもない。
別にチームはどこだっていいし、そのスポーツが野球だろうが、ラグビーだろうがなんだっていいのだ。
さまざまな役割とともに走る人がいて、そのあいだを転がるボールさえあれば、見ていると、おもしろい。
ただ、まちがってもやろうとは思わないのだけれど。

かくして「スポーツは何をやりますか?」と聞かれて、わたしは頭を悩ませる。
そういえば以前、「その昔は学生運動を少々」と答えていた人がいたっけ。
聞いた人も困った顔をしていたけれど、冗談で返すというのもなかなかむずかしいものだ。