陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

メアリー・マッカーシー 『家族の友人』 その3.

2004-11-30 22:02:24 | 翻訳

 だが、フランシス・クリアリィ、彼の女性版と一緒にタクシーに乗って家路につくフランシスはどうなのだろう。
性は彼にとって意味をなさなかった。その名前が表すように、男性であっても女性であってもかまわないのである。これまでだれも彼をフランクと呼んだことがない。独身の男であってもいいし、オールドミスであるのかもしれない。彼がひと組のカップル、単体として機能するカップルであることもしばしばだった。
もし彼がフランシス・クリアリィという存在を、独身男性としてスタートさせたなら、結婚はあまり賢明なことではない。というのも、妻によって極めて鮮明に定義されてしまう怖れがあるからだ。みんなは妻を好きになったり、嫌いになったりするだろう。自分が知らないうちに、妻のおかげで、論争に決着をつける存在から、争点そのものになってしまうかもしれないのだ。
先に言った、性は彼にとって意味をなさないというのは、彼が女性とまったくつきあわない、フランシスが女性であれば、男性とつきあわない、という意味ではない。彼といえども、恋愛をすることはあるが、生活のほとんどを占めているのが、公的、社会的なものであったために、自分のために残しておいたこの小さな、たったひとつの領域は、私的な、きわめて内密なものとなった。彼のロマンスは、もし多少なりともあるとすれば、いわば課外活動だったのである。
ロマンスは彼の社会的な役割を妨害することはなかった。しかも、どちらが原因で、どちらが結果といえるようなものではなかったのである。彼がまだ若いころに人妻と恋に落ちたために、週末や夜や休日は友だちが勝手に使うことができたのか? それとも最初から友だちの専門家という役を割り振られたことに気がついていたので、それに合わせるかのように情事の段取りをし、現実に誰かを格別に愛することをしないまま、性的嗜好を育むことなど不可能であったために、仮名を使い、客車や、裏通り、安宿や公園での密会で永遠に満足してしまうようになったのだろうか。
どうやって知ることができよう。彼の様子を見ていると、恋愛が電話のベルに喜んで先送りされたことの根底には意図があったのはあきらかだった。
この破滅的な熱情や、不品行について、結婚している友だちとの関係が、ある程度、親密になったころにほのめかされることもあったが――電車で、見知らぬ人間と、ある程度、話がはずめば名刺を交換するようなものである――こうした告白はなんとなく嘘くさく、そこまで言わないまでも軽薄な感じがした。いったいだれが、毎日の五時以降深夜までと日曜、祝日は終日、その犠牲者をまったく暇にするような恋愛や不倫などというものを、真剣に受け取ることができようか。にもかかわらず、その告白は受け入れられ、ときに歓迎されさえした。告白は、新しく知り合いになった人々にとって、とりあえず彼のことを説明するものではあったし、かくも恐ろしい不道徳行為を密かに行っているのだ、とはっきり言われなければ、彼を奇妙な人であると思うかもしれないのだった。

 なんら計算があるようには見えない場合もあった。
彼が結婚のことをときおり考えることはあったけれど、探し続ける「理想の人」は、生まれ出ることを待つ魂のように、この世界の向こうに存在するかのように思われた。その理想を備えた人が、生身の姿でこの世に現れるときはいつだって、すでに結婚していたり、年老いた母親に縛りつけられていたりして、とにかく不可能なのだった。
かくして眠れない夜は、時を経て自分の願いが馬鹿げたことだと気づくまで続き、五十歳になったフランシス・クリアリィは、恋い焦がれるのを止めて、自分の運命を、地理的な偶然(だれもが自分の分身、自分の片割れと一緒にいるけれども、その相手はニューヨークにいるとは限らないし、それどころかアメリカにいるとも限らないのだ)、あるいはロマンティックすぎる気性、あるいは単に、未成年のころにつき、未だに断ち切れていない、結婚している女性に恋をしてしまうという悪い習慣――この習慣のために、自分は夫がいない女性はみんな本質的に完全ではないとみなしてしまうのだ――のせいにする。
恋心を背後に隠して、フランシス・クリアリィはいままで以上に友情という任務に身を捧げるようになる。訪問したり、ちょっとした贈り物や親切をやりとりしたり、害のないゴシップや病気の不安を口にし、子どもたちを外に連れ出したりするような。
そうした生活のなかで、何度となく遅い春を味わい、友だちはみんな、彼も今度は結婚も目前だ、と期待する。ところが実際は、彼の性質がおのずと明らかになっていくにつれ、結局、結婚という考えは放棄せざるを得なくなるのだ。
この点――罪のなさという観点――から見ると、フランシス・クリアリィはまぎれもなく愛すべき人物である。たしかに彼は、友だちから、だれよりも好き、ということはないまでも、好意を寄せられた。そして、彼を害のない存在として受け入れていた友だちの夫や妻たちは、その性質ゆえに、好きになっていったのだ。
だが、善良さゆえに好かれる、ということは、嫉妬をかきたてることがないという点で、才能や魅力、美しさゆえに好かれることより特筆すべきことだったのである。
その善良さにもかかわらず、彼だけを食事に招いたり、一緒に散歩したりするのは、やはりうんざりするようなことだった。どうしたはずみか、差し向かいの話が途絶えたままでも幸せな気分でいられれば、フランシスの相手は決してそれを忘れることはできず、このできごとを繰り返し話すのだった(「わたし、このあいだフランシス・クリアリィとすばらしいひとときを過ごしたのよ」)。あたかも奇蹟を目撃したかのように、そして徳行はそれ自体に報いがあるかのように。

(この項続く)

メアリー・マッカーシー 『家族の友人』 その2.

2004-11-29 19:02:07 | 翻訳

 パーティを計画している別の妻――ホストとなるはずの夫とは、多少良好な関係を築いているか、あるいは単に戦略家であるだけなのかもしれないが――はそれとは異なるやり方で切り出す。
「ねぇ、あなた」
すでに数人の名前が整然と並んでいるメモ帳から顔を上げて、そう言う。「良い考えがあるの。フランシス・クリアリィさんをお招きしたらどうかしら」
たったいま気づいたの、とでもいいたげな様子は、実際にはいつもフランシス・クリアリィを呼んでいるという事実からすれば妙な話なのだが、夫はさらに悪い提案(昔の同級生だの慈善興業で知り合ったすばらしい歌手だの)を怖れていたものだから、ほっとしてその矛盾に気がつかない。
「ああ、いいよ」
そう答えながら、妻の関心がこのどちらかといえば退屈な、古い同僚にあることをありがたく思う。
妻は夫の気が変わるまえに、フランシス・クリアリィに電話して、承諾をとりつけてしまうのだった。
そして、コールドウェル夫妻を呼んだらどうか、と聞かれたときには、ちょっと口を尖らせて見せる。
「あら、それだと同じ系列の人ばかりになると思わない? なにしろフランシス・クリアリィさんを呼ぶでしょう、パーティで派閥ができてしまうのって、失敗だと思うのよ」
「よくわからないな」
「まぁ、あなただって覚えてるでしょ? イタリア系の人たちを呼んだときのことよ。あの人たちったら、隅の方に陣取って、自分たちばかりで話してたじゃない……」 

 いずれのケースにせよ、結果は同じことだった。
パーティには、受け入れられなかったコールドウェル夫妻の穴埋めに、フランシス・クリアリィがやってくる。彼は抽象化したコールドウェル夫妻、夫妻の幻影だった。慎み深く、穏やかで、育ちの良い彼は、早くにやってきて、遅くまで残っていた。特別な貢献をすることはなかったが、主人にしてみれば、そちらをちらっと見るたびに、過去の仲間意識が胸を打つのを感じる。夜のいずれかの時点で、フランシス・クリアリィとコールドウェル夫妻の話をし、フランシスはヒュー・コールドウェルの最近の冒険譚を聞かせてくれるのだ。

普段は格別すばらしく話がうまいというわけではなかったが、ある特殊な領域で、フランシス・クリアリィは卓越した能力を持っていた。
逸話を受け売りする名手、その人に成り代わって快挙を聞かせてくれるのだ。
ヒュー・コールドウェルはひどい喘息を患っていて、話の途中で息を詰まらせたりあえいだりしがちなものだから、決してフランシスがやってみせてくれるほど、自分の真価を十分に発揮することはない。
実際、ヒュー・コールドウェルが自分の話をするときは、聞き手は、喘息持ちの生身の話し手の存在が邪魔になって、話から気を散らされてしまうのだ。

映画が舞台に取って替わったように、そしてラジオがコンサートホールに取って替わったように、現代の生活においてフランシス・クリアリィは、友人、ヒュー・コールドウェルに取って替わろうとしている、そして、そうすることによって、ヒューに栄誉をもたらすのだった。
ちょうど映画のスクリーン、年齢を重ねた女優がカメラとメイク係の魔法によって、皺は隠れ、若く、輝くばかりになって登場するスクリーンのようなものだ。あるいはラジオのような。ラジオのおかげで第一ヴァイオリン奏者の汗を目にすることもなく、交響曲に浸ることができる。

 にもかかわらず、撮影済みの映画や録音済みの音楽のように、フランシス・クリアリィは、結局は憂鬱な効果をもたらしてしまうのだ。
フランシスの話をいつまでも聞いているのは、朝から映画に行くようなもの。疎外され、隔てられたような感覚が生じてくる。

やがて主人はその場を離れる。コールドウェルのことを知りたいという気持ちは、残像が再結合したような姿を見ているうちに、高まるどころか削がれてしまう、ちょうどディナーの前に間食をし過ぎて食欲がなくなってしまうように、あるいはフランシス・クリアリィの友人たちがリビングルームに『ひまわり』や『アルルの女』の複製画をかけていると、かつてその複製画は芸術への共感のシンボルであったはずなのに、ゴッホを愛する気持ちがそれによって削がれてしまうように。

けれども『アルルの女』の教訓は、ほとんどだれにも生かされることなく、ピカソの『白衣の女』でも同じ失敗を繰り返してしまうように、ヒュー・コールドウェルで教訓を得たにもかかわらず、別の機会には、フランシス・クリアリィに、妻が大嫌いなまた別の友だちの代役をさせようとするのだった。
しかも多くのパーティは、もっぱらフランシス・クリアリィ、男のこともあれば女のこともある、代役、お手頃な模造品によって構成されている。フランシス・クリアリィたちは、ルドンやルソーやルノアールの複製画の下、互いに親しく交わることだってある。用意してきた逸話を披露したり、だれかの言葉の引用したり、小話を言い換えたり。友好的で、決闘の介添人のように、決して攻撃を受けないのだ。

あとになって、パーティを主催した夫と妻は、そのときの様子を振り返ってみる。みんなが遅くまで残り、飲み、サンドウィッチだってすべて平らげたにもかかわらず、誰ひとり、すばらしく楽しんだとはいえなかった理由が、どうしてもはっきりとはわからない。
しかもパーティがうまくいかなかったことで、嫌みや非難を応酬する羽目になるどころか、ふたりは互いに引き寄せられるのである。客の悪口をこぼしながら、ふたりは毛布を引っ張り上げると抱き合って、お互い、相手がだれよりも好きなのだ、いや、むしろ自分たちが知っているほかのどんなカップルより、自分たちふたりが好きなのだ、と確かめ合うのだった。


(この項続く)

メアリー・マッカーシー 『家族の友人』 その1.

2004-11-28 20:32:54 | 翻訳

今日からしばらくメアリー・マッカーシーの短編"The Friend of The Family"をお送りします。
以前からマッカーシーについて、書きたいと思っていたのですが、何点か出ている翻訳書はいずれも現在、大変手に入りにくいものになっているため、紹介も兼ねて、ここで試訳を公開したいと思います。
『家族の友人』というのは、いささか風変わりな短編なのですが、マッカーシーの特徴をよく現している作品です。
ささやかではあるけれど、マッカーシーを紹介する一助にでもなれば、これほどうれしいことはありません。

画面での読みやすさを考えて、原文にはない改行がしてあります。
冒頭一字下げしてあるのが、原文の段落、一字下げしていない改行は、こちらで任意につけたものであることをご了承ください。


***

 だれからも特別に好かれることがない、というのが彼の際立った特徴だった。つまりだれひとり、あのひとでなくては、と思うほどには好きではないのだ。その結果、既婚者の間で彼はどこへ行っても受けが良かった。というのも、だれも慕うことをせず、頼ることもなく、彼が口にした冗談や政治の見通しを引き合いに出すこともなく、ことさら悪く言う必要も感じなかったからである。逆に、彼を知らなかった夫や妻のほうが、パートナーが気づかずにいた彼の美点を見つけだすのが常だった。ある夫などは、妻の錚々たる知り合い全員を嫌い抜いていることで悪名をとどろかせていたのだが、無名のフランシス・クリアリィだけは熱烈に歓迎するのだった。妻の方はそのときまでフランシスを思いだすことなどめったになかったというのに。結婚生活のなかでの長引く諍いや、友だち同士のケンカのなかで、フランシス・クリアリィは非武装地帯だった。防御されてもいないのに、攻撃の影響を受けないのだ。あたかも襟の折り返しに、目には見えない白旗が翻っているかのように。彼の名前を口にしたその瞬間に、ある種の家庭内のいざこざは、完全に収束してしまう(「きみはぼくの友人が嫌いなんだろう」「わたしだってあなたのお友だちが好きよ」「いいや、嫌ってる」「そんなことないわ」そして誇らしげに「フランシス・クリアリィさんが好きだもの」)。

 忍耐と妥協の精神のシンボルとして、友だちが結婚するときは必ずその本領を発揮した。独身のころは年に一回か二回、フランシス・クリアリィとランチをともにする程度の間柄だった男が、驚いたことには、結婚後二、三年もすると、親友とも呼べる間柄になっているのだ。週末や夕食、カクテルパーティには欠かさず招かれた。ブリッジやテニスでは、いつも決まって四番目のプレーヤーだった。結婚式に招待されることこそなかったかもしれないが(実際、妻が正式に紹介されるのは、結婚後数ヶ月が過ぎてからのレストランであることが普通で、妻の側はいわゆるアリストテレス的認識といったものを経験するのだ。「なんでジャックはあなたのことを話してくれなかったのかしら。つぎの木曜には、必ず夕食にいらしてくださいね」)、赤ちゃんが生まれたときは、病室には彼の贈ったアゼリアかシクラメンの鉢が真っ先に届くのだった。
 
 フランシス・クリアリィと以前から友だちだったのが妻の側であっても、その親密さの度合いを示すグラフは同じカーブを描く。それまでずっと背景の一部を彩るに過ぎなかった控えめな自分のファンが、気がつかないうちに、画面の中心へと滑り込んでいるのだ。夏の休暇には二週間ほど遊びに来るし、夫とはチェスをする。街にひとりでいるときは、夕食に連れ出してくれるのだった。

彼は「君の友だちのフランシス・クリアリィ」となり、夫の性質の善良さを示す歩く広告塔となってゆく。「ぼくが嫉妬深いだって?」夫はこんなふうに言うのだ。「君は先週、フランシス・クリアリィと昼飯を食ったじゃないか」この古くからの友だちと二人っきりになると、昔からいつもそうだったように、退屈になってくる。蓄音機をかけ、メイドがオランデーズ・ソースをちゃんと作っているかどうか見てくるわ、と言い訳しながら、台所に立つのだった。にもかかわらず、夫の提案もあって、招待は何度でも続く。というのも彼が家にいると、安心するのだ。結婚してもわたしはすっかり変わってしまったわけではない、夫は寛大だし、至極当然のことだけれど、好みのいちいちを共有すべきだとは考えていない、偏見のない人間だから、わたしが自由に友だちと会うこともできる、という具合に。さらに、フランシス・クリアリィを招くと、大変に気楽だったのである。

ほんとうの友だちが来るときは、たいてい、言い争いであるとか、不用意に過去のことを口にしてしまうとか、何かしら不愉快なことが起こる。実際には平穏無事に終わったとしても、何事か起きはしまいか、と不安にさいなまれていた彼女は、友だちが帰ったあとで夫が言う「やれやれ、やっと終わったか」という言葉を、胸の内で繰り返してしまうのだった。そんな晩(多くは週末だったが)を何回か過ごしただけで、友だちに抱いている自分の好意は、どう考えても幸せを邪魔している、と思うようになる。たぶんごく一時の間だけ、つきあいを絶とうと思う(きっとそのうち、条件さえ合ったなら、ジムもわたしみたいにあの人たちがわかってくるはず。いつか、来週か、来年かにはかならず、親密な気分のときに、ちょうどぴったりのソースを添えて出したなら、サヤインゲンが好きになるのと同じように、と自分に言い聞かせながら)。

だが、そうしているうちに、フランシス・クリアリィを招く方が、明らかに良くなっていく。彼だって、結局は自分のほんとうの友だちの親しい仲間だったのだ(そうした友だちを通して彼と会ったではないか)。歳月が経つにつれて、「ほんとうの友だち」とフランシス・クリアリィのちがいはだんだん曖昧になっていき、いつの間にか、どんなときにも親しいグループの一員だったように思えてくるのだった。

 彼の社会的流動性は、他人からシンボルとして扱われるという能力に由来していた。しかもそのシンボルというのは、ひとつの概念(たとえば寛容さ)を表すばかりでなく、現実の個人や集団を表すシンボルでもあるのだ。
たとえばここにひとりの夫が、あるパーティの客のリストを書き出しているとする。妻に「コールドウェル夫妻(あるいはミューラー夫妻、カプラン夫妻)を呼ぶのはどうかな」と聞いてみる。「なんですって」と妻の金切り声。「どうしてもあの人たちを呼ばなきゃダメなの?」「ぼくは好きなんだけどな」「あの人たちって最低。それに、誰とも知り合いになろうとしないのよ」「だってぼくの古い友だちだよ。世話になってるんだ」「じゃ、わたしがいないときに呼んでちょうだい――あの人たち、わたしを嫌ってるって知ってるでしょ」「バカなこと言うなよ。ほんのちょっとでも知り合う機会があったら、君に夢中になるよ」

妻の方は必死になって思案をめぐらす。自分のパーティ、魅力的で、調和のとれた、波乱のない、それでいて変化に富む自分のパーティが、夫の頑固さという岩に向かって、まっすぐ難破へと突き進む様子が目に浮かぶようだ。そのとき突然ひらめく。
「ねぇ」思慮深い調子で、こう話し始める。「代わりにフランシス・クリアリィさんをお呼びしたらどうかしら。あの人だったら、ほかの人とも絶対うまくいくと思うの。あの人だって、ヒュー・コールドウェルさんと同じくらい、あなたのいいお友だちでしょ。コールドウェル夫妻と友だちづきあいをするのがどうのこうの、って言ってるわけじゃないのよ。ただあの人たち、今度のパーティにそぐわないんじゃないか、って思うだけなの」

夫の方も妻同様、嵐の徴候を読みとって、もし自分がコールドウェル夫妻を呼ぶことをあくまで言い張るならば、妻がとんでもない不躾な態度でふたりをもてなそうとするかもしれない、そんなことをしないまでも、妻は今回自分が譲歩したのをいいことに、向こう何ヶ月かに渡って、妻の耐え難い友人たちでこの家を一杯にするかもしれない。となると、自分はこの一戦に勝っても戦争には負ける、ということにもなりかねないわけだ、と自分に言い聞かせる。そこで夫はいやいやながら、不承不承、同意するのだった。結局は、フランシス・クリアリィも、妻の憎むコールドウェル夫妻と同じグループに属しているのだ。彼を招くということは、とりもなおさず夫妻の精神――肉体とまではいかないが――を招くことではあるまいか。それに正直なところ――夫は心の中でそう思う――問題となっているのはコールドウェル夫妻の人格ではなく、主義なのではあるまいか。

(この項続く)

金魚的日常 その9.

2004-11-26 19:31:39 | weblog
9.そして68

三月。
卒業のシーズンである。
ウチからも多くのキンギョが巣立っていくことになった。

キンギョ150匹の出荷は、まず餌切りから始まった。
三日ほど、絶食状態に置くのだ。
そうしないとフンをして、輸送中に水質が悪化して死んでしまう。
輸送用の水4リットルに、少量の塩を加えて、二重にしたビニール袋に入れる。
酸素を出す石、とかいうのも入れる。
そこにキンギョをバケツで流し込む。
袋をゴムでしっかり留めて、動かないように底に段ボールを敷き詰めた箱の中にそっと入れる。
あとはペット輸送専門の業者さんに一切を任せるばかりだ。

翌日、姉から連絡があった。
無事、着いたという。
いまは子ども用のプールで元気に泳いでいるという。
あとはケガしないように、上手に掬われて、大切に飼われることを祈るのみだ。


「限定」が効いたのか、はたまた絵が良かったのか、スーパーに張った張り紙にもぼつぼつと問い合わせが来るようになった。

事例その1.

「張り紙、見たんですけど、金魚、分けていただけるんですか?」
「はい。水槽はお持ちですか」
「はい。この間まで金魚を飼ってたんです。8匹いたんですけど、全部死んじゃって……」
「水槽はどのくらいの大きさですか」
「ちょっと待ってくださいね、見てきますから……30cmです」
「それだと、8匹は多いですねー。せいぜい四匹ぐらいかなー。エアポンプ、ありますね」
「あります」
「じゃ、さっそく水を張っておいて、エアポンプ回しておいてください。で、明後日の夕方、取りに来ていただけますか?」

事例その2.

「金魚ってメダカと一緒に飼えるんですかねー」
(予想だにしていなかった質問に、慌てて検索)「一緒に飼ってる人もいるみたいですねー。だけど金魚って大きくなるんですよ。大きくなったら分けてくださいね。そうしなきゃ、メダカ、食べられちゃいますから」
「じゃー、金魚、5~6匹もらえますか? いまメダカ3匹だけで、水槽、寂しいんです」
「水槽の大きさはどれくらい?」
「虫かごのプラケースなんですけど」
「それだと水の量が少なすぎて、すぐ水が汚れて、金魚死んじゃうんですよ。ホームセンターへ行ったら、3000円も出したら金魚飼育セットって一式そろってるのがあるんで、それ買っていただけます? そしたらもう一回、電話ください」
(しかしその後電話はなかった。とにかくあげちゃえば良かったか、と一瞬後悔した)

事例その3.

「キンギョ、まーくん(仮名)にもくれるん?」(子どもの声)
「いいよ。だけど、お母さん、飼っていい、って言ってる?」
「まえな、まーくんのうちにキンギョ、おってん。でもな、おかあさんが水換え忘れてしもてん。でな、キンギョ、死んだ」
「そうなんだ、お世話するのって、まーくんじゃないでしょ、まーくんのお母さんでしょ、だからちょっとお母さんと電話替わってくれるかな」
「おかーさーん……もしもし(大人の声)、キンギョがほしい、ってウチの子がきかないんですよー」
「じゃ、水槽はあるんですね?」
「はい」
「水槽の大きさはどれくらいですか?」
「30cmぐらいかな」
「エアポンプ、あります?」
「エアポンプって?」
「いわゆるブクブクってやつなんですけど」
「あー、あれ、要ります?」
「あれがないと、水、すぐ汚れちゃいますよ」
「昔、ウチにもキンギョいましたけど、洗面器で飼ってましたよ。それでもすごく長生きした。キンギョなんて放っておいても大丈夫なんじゃないですか」
「んー、そのキンギョが特別丈夫だったのかもしれませんけど……。でも、濾過設備あった方がいいんじゃないかなー」
「わかりました。そのうち買います。で、これからもらいに行っていいですか? ウチの子、ほしいほしいってきかないんです」
「でも、水槽の準備とか……」
「カルキ抜きならありますから」

約15分後、小学校の低学年とおぼしい「まーくん」がウチに来た。
「あれ、ほしい」
と指さしたのは、おとっつぁん。
「あれはねー、ちょっと飼うの大変だから。こっちのあげよう」
「これと、これと……あと、こっちのちっちゃいのも、全部で10匹」
「10匹は多いと思うよ」
「なんや、ケチくさー」
「(ちょっとムッとしつつ)たくさんあげてもいいんだけどね、数が多いと育てるのも大変なんだよ。だから6匹ぐらいにしとこうね」
「7匹」
とりあえず七匹までは譲歩することにして、スーパーの袋を二重にして、そのなかに金魚を空き瓶で掬って入れる。水槽の水も多めに入れておく。
「ちょっと重いよ。気をつけて、そおっと、なるべく揺すらないようにして持って帰ってね」

ところがその後、一週間ほどして、電話もなくその子が来た。
「キンギョ、またちょうだい」
「前のは?」
「死んだ」
「まーくんち、ブクブク、ある?」
「なに、それ」
「こういうやつ」(いまは使っていないエアポンプを見せる)
「ない」
「そしたらねー、これ、いま使ってないから、特別にあげるから。あとね、飼い方の本もあげるから(『金魚と川魚』のサイトを以前自分用にプリントアウトしておいたもの)、これをお母さんに見せてあげてね。今度は、死なさないように、がんばって飼ってね」

このとき、一瞬、あげるのはよそうか、と思った。
実際、どのような条件で飼われているか、わかったものではなかったからだ。
けれども、それを言い出せば、あげることなどできなくなってしまう。
さまざまな家があり、それぞれのライフスタイルがある。
金魚もその家に応じた飼われ方をするしかないのだ。
ウチで飼ったって、死んじゃうときは死んじゃうのだ。

どんなことがあっても、強く生きるんだぞ、と胸の内で言い聞かせて、また7匹を旅立たせてやった。

ところがこの「まーくん」ルートで、数件の問い合わせがあった。
こうしてキンギョは77匹にまで減った。

そうやって77匹のキンギョを抱えて一年半が過ぎた(書き忘れたが、出荷でバタバタしているころ、染之介も姿を消した。ヒゲだけを残して。おそらくヒゲはよほど不味いのだろう)。
ずっとその数に変動がなかったのだが、春先に、同じマンションに住む子に3匹やった。
超過密飼育ながら、特にウチから死亡魚を出すこともなく、順調に来たのだが、最初にも書いたとおり、この夏を過ぎたころ、6匹がパタパタと死んでしまった。
やはり、水槽のコンディションを維持するのは大変なのだ。

ウチで生まれた子キンギョたちも、一歳を過ぎた。
実は、そろそろ産卵するのではないか、と密かに怯えているのだが、いまのキンギョたちの環境は、相当に悪いので、産卵する条件を満たしていないのかもしれない。
それならそれで(キンギョたちには申し訳ないけれど)、こちらとすれば、ありがたい話だ。


その昔、ダグラス・ラミスが『タコ社会の中から』という本のなかで、こんなことを書いていた。

こんな無力な動物(注:子ネコ)を棄てる臆病者は許せない。もしあなたの飼いネコが子ネコを産んだら、育てるか、もらってくれる人を捜すか、自分の手で溺死させなさい。通りにこっそり子ネコを棄てて、近所の心優しい子どもたちに問題をおしつけてそしらぬ顔をするなどもっての他だ。

「自分の手で溺死させなさい」という部分を読んだとき、飼う、ということにまつわる責任の大きさに胸を衝かれた。
その反面、動物に対する感覚が、やはりキリスト教徒というのはちがうのだ、とも思ったのだった。


決して良い環境ではないけれど、それでも、わたしはキンギョを育てていくだろう。
それが、緩慢に死に追いやっていくことでしかないにしても、そして、子キンギョたちに「生の意味」を果たさせることはおそらくないだろうけれど、それでも、つかの間の生を保障するために、できるだけのことはしてやるだろう。

それが良いことなのか、悪いことなのかはわからない。
けれども、それがわたしの責任の取り方だ。
しばらくは、こうやってキンギョとともに生きていく。
それが少しでも長いものであることを祈りつつ。

(この項終わり)

金魚的日常 その8.

2004-11-25 18:41:52 | weblog
8.250-150=100

キンギョの産卵とともに始まった秋は、孵化とともに深まった。そして新年を迎えるころは、最年少の七男七女を含めて、みんながいっぱしのキンギョになっていた。

なんといっても長男長女たちはデカいのである。
孵化して3ヶ月ほどしか経っていないというのに、もう体長も3cmほど、背びれも尾びれもピンとした、姿の良い小キンギョなのである。
これはどこへ出しても恥ずかしくない、立派なキンギョといえよう。

それに較べて、団塊の世代、三男三女たちは百匹近くをひとつの水槽に押し込めているせいか、いつまでたっても大きくならない。

四、五、六は、時期をずらしながら、ひとつ水槽に入れてしまったので、どれがどれだか見分けがつかなくなってしまった。
この三世代混合水槽は、例の120cmと見まごうばかりの45cm水槽なのだが、置き場がなくてタタミに直に置いていた。
窓辺で日当たりが良かったせいか、キンギョたちはどんどん赤くなっていく。日に当たると赤くなるのだということを、わたしは初めて知った。
日当たりが良いので、コケがはびこる。あっという間に水槽全体が緑に覆われる。緑の中に、チラチラ赤い姿が見えるだけ、という状態になってしまったのだが、実はこの時期、わたしの方がやたら忙しくて、水槽のコケ取りをする暇がなく、エサをやり、たまに水換えするだけで放っておいたのだ。ところがそのコンディションがキンギョには良かったらしく、この水槽のキンギョもよく育った。

ヤマトヌマエビという淡水エビがいる。
http://www.geocities.co.jp/AnimalPark/5164/yamatonumaebi.jpg
これは水槽のコケを食べてくれるらしい。
ただ、雑食性らしく、あまりキンギョが小さいと、食べられることもあるという。
まぁいいや、少々食べられたって。ウチにキンギョはいっぱいいることだし。
ペットショップで見かけた透明なエビは、キンギョを見慣れた目にはもの珍しく、掃除をしてくれるのなら、と思って、買ってしまった。一匹350円のを二匹。
一匹はコケだらけの水槽に入れた。
もう一匹はどうしよう。
とりあえず、おとっつぁんが悠々と泳ぐ30cm水槽に入れてみた。
すると、エビはあっというまに壁面を駆け上がり、外掛けフィルターの吸い込み口にかぶせたスポンジの上に乗ったまま、なかば水面から出るようにして、身を縮めてじっとしている。
おとっつぁんが怖いのだ。
そうかそうか、それはかわいそうなことをした。
団塊水槽なら、大丈夫だろう。
ここは収容魚数がなにしろ多いから、フンも多い(フンなども食べてくれるらしい)。エビの食料には事欠かない。
団塊水槽のエビを染之介、混合水槽のエビを染太郎と名前をつけてやった。

おもしろいことに、エビというのは、脱皮をするのだ。
水槽の底にうずくまった染之介が動いていない!買ってきたばかりなのに!と思ってよくみたら、脱皮した抜け殻だった。
ところがそれをキンギョのやつらが食べるのだ。
つんつんつつきながら、少しずつ囓り取っていき、じき、長いヒゲが二本、水槽の底に転がっているだけ、という状態になってしまった。
エビの方は、水槽を掃除してくれるどころか、キンギョにエサをやっていると、たくさんある足で忍者のごとくササササッと壁面を駆け上ってきて、真っ先にキンギョのエサを横取りする。
こんなはずじゃなかった、と思うわたしであった。

あるとき、染之介が、両手?で何かをつかまえて、一生懸命もぐもぐ食べていた。
その食べものには目があった……。
団塊水槽は生まれた時期は一緒でも、ずいぶん体格差がある水槽だ。
確かにすばやさでは、キンギョより染之介のほうが一枚も二枚も上手だ。
のろまで身体の小さいキンギョが、染之介のエサになってしまったにちがいない。
はぁー、海老一ブラザーズを連れて帰ったのは失敗であったか、といまさらのように思うわたしであった。

コケむした水槽のなかでは、いったい何が行われていたか、わたしには知るよしもない……。
たったひとつ確かなことは、壁面のコケは食べてくれなかった、ということだ。

その時期の忙しさが一段落ついてから、わたしは里子探しに本格的に取りかかることにした。
まず、姉に百匹ほど、貰われ先を探すよう、強く要請した。
見つからなかったら、そっちで引き取ってね。
送料ぐらい負担するから、三月にはそっちへ送るからね。

これで百匹の行く先は決まった。
さて残りは百五十匹だ。目標は、これを五十匹まで減らすことだ。

こういうとき、普通はスーパーや銀行のキャッシュコーナーなどに張り紙を出すものらしい。
わたしも先人の知恵にならって、張り紙を出すことにした。

秋に生まれたかわいい金魚、さしあげます。
かわいがってくれる方に。
先着6名様のみ

ついでに水彩色鉛筆で、金魚の絵も描いた。
なんというか、ただ赤いだけのフナみたいなウチの金魚とは似ても似つかぬ、いかにも金魚らしい金魚の絵になってしまったが、この際、細かいことは気にしない。

もちろん先着6名様、というのは大嘘で、6名様が60名様でも一向に構いはしないのだが、例の消費者心理、というやつだ。タイムセール、とか、限定、とか言われると、つい買っちゃう、というやつだ(本当に効果があるのか?)。

まず姉から電話があった。
「三月に百五十匹、こっちへ送って」
聞けば、幼稚園のお別れ会で金魚掬いをやることにした、というのである。
園児約60名。ひとりあたり二匹プラスαの計算である。
子どもはみんなやりたがるだろうが、ほしくない親もいるだろう。
そんなことをしてもいいのかどうか。
ところが姉はこともなげに、
「余ったぶんは幼稚園が引き取ってくれるように、話はつけといたから」
確かに昔から政治力はある姉であった。
生徒会長だったもんなー。

日にちにはまだ余裕があったので、輸送方法をペットショップのお兄ちゃんに相談した。
なにしろ数が多いので、そのぶん、慎重に準備していかなければならない。

元気で体格の良い長男長女たちの数を正確に数えたら、78匹だった。
残りの77匹は、弟妹たちのなかから選別することにする。

とにかく広いところへ入れたら、デカくなるのは経験済みだ。
水槽より、もっと広いもの……、と考えているうちに目に入ったのは、ベビーバスだった。
そう、赤ちゃんを入浴させるあれだ。
ベビーバスに、エアーポンプと水草を投入して、即席の池をつくる。
まだ水温も低いので、ヒーターも入れてやる。

緑の水槽をのぞいたのだが、染太郎の姿がない。
ヒゲだけが水槽の底に、それさえも囓られてずいぶん短くなった状態で残っていた。
脱皮するときを狙われたのだろう。
もう二度とエビは飼わんぞ、と思うわたしだった。

部屋の真ん中に突然出現した金魚池。
ペットショップのお兄ちゃんには、
「いつでも金魚屋になれますよ」と言われた。
こんなことをやって金になるんだったら、どんなにいいだろう。
だがしかし、金になるどころか、金は止めどもなく飛んでいくのであった。

(次回最終回)

金魚的日常 その7.

2004-11-24 18:47:06 | weblog
7.249÷3=83

母を亡くした子キンギョをあまた抱えて、わたしは途方に暮れた。
まさに葛西善蔵の『子をつれて』状態である。
ところがこのおとっつぁん、育児をしない。しないどころか、親水槽に子どもたちを入れたら、みんな食ってしまうのである。
「子どもを食い物にする」というレトリックがあるが、レトリックではなく、ほんとうにこれだけ体格差があったら、間違いなく食われてしまうのだ。

長男長女たちは、冷凍ミジンコが功を奏したか、スクスクと成長した。1ヶ月ほどで2,5cmほどになったのである。
「冷凍ミジンコは育ちますよ」というペットショップのお兄ちゃんの予言は当たった。

ところがこのお兄ちゃん、実はもうひとつ予言をしていたのである。
「まぁ普通の家庭じゃそんなに育つもんじゃありませんよ。最初は70匹くらいいても、結局は15匹くらいになって、一年もつのが半分ぐらいかな」

ところがこいつら、育つのである。
冷凍ミジンコばくばく食って、育つ育つ。

長男長女約60匹を入れるために、泣く泣く60cm水槽をひとつ買った。
言っておくが、60cm水槽は高い。
ホームセンターで外掛けフィルターつきの「お買い得パック」を買っても、6、000以上するのだ。
立派なキンギョなら設備投資にもなるが、ウチのは単なる「駄キン」(すごいことばだ…)だ。
売れる見込みなどないのだ。
あぁ、あのときテキ屋のおっちゃんに「ください」と言ったばっかりに……。

ペットショップのお兄ちゃんは感心してくれた。
「初めてでそれだけ育てられるっていうのは、すごいですよ。才能があるんですねー」
いや、そういう問題じゃなくて。
「だいじょうぶですよ、なんとかなりますって。どうしようもなくなったら、ウチで引き取ります。だけど、小赤(小さいキンギョ)は、熱帯魚のエサにするんですけどね」

はぁ、エサですか……。

ともあれ、最後の手段は決まった。二進も三進もいかなくなったら、エサだ。
エサにしなくてすむよう、なんとか方法を考えなくては。

問題はウチのキンギョの団塊の世代、百匹を軽く超える三男三女たちである。
稚魚状態も脱しつつあり、本格的な濾過設備が必要だ。

3ヶ月を過ぎると、里子に出せるという話なので、そろそろ手近な人に
「キンギョいらない?」
と声をかけるようにした。
だれもいる、とは言ってくれないが、取りに来てくれるんだったら水槽をあげよう、という人がいた。
すごく大きい水槽だよ、こんなにある、と手を広げて見せてくれるサイズはどう見ても1mを超えている。
どんな水槽だろう。でかい熱帯魚用の120cmとかいうサイズのやつかな。
でもとりあえずそれさえあれば、一挙にケリがつく。
はい、いただきます、どこへでも取りにうかがいます、とワクワクしながら電車を乗り継いで、もらいに行った。
はい、どうぞ、大きいでしょう、持って帰られるかな、と言われて出てきた水槽。
なに、これ?
ちっちゃいじゃん……。
45cmじゃん……。
ウチ、もっと大きいのあるよ……。

人の主観というのは、いかにアテにならないか、思い知った一幕であった。
いや、タダで頂くものを悪く言うなんてとんでもない、もちろんありがたく頂いて帰りました。

仕方なくもうひとつ60cm水槽を買った。
60cm水槽は高いのだ(さっきも書いた)。
場所だって取るのだ。
でも、必要なものは必要なのだ。


こうしてわたしはキンギョの泥沼にずぶずぶとはまっていくのであった。
30cm水槽をひとりで占領しているおとっつぁんは、また少し大きくなったようだった。

そしていよいよ、里子先探しは本格的になるのである。

金魚的日常 その6.

2004-11-22 18:21:26 | weblog
6.約250-1≒250

生まれたとなると、エアレーションも必要なので、以前ICUとして使用していたプラスティックの水槽に、稚魚たちを移す。
生まれた稚魚は2~3日は、卵嚢からの栄養で足りるのだが、それを過ぎるとエサがひつようになってくる。

稚魚用の人工飼料というのもあるのだが、生き餌のほうが良く育つ、とペットショップのお兄ちゃんに勧められ、冷凍ミジンコなるものを購入。
ミジンコがブロック状になって、ちょうど薬のカプセルがアルミの容器に入っているような状態で小分けしてある。
ただ1ブロックは多すぎるので、アルミの計量スプン(もうこれは絶対料理では使えない……)で少し削っては自然解凍させて投入する。

初めてやったとき、こちらはおそるおそるだったのだが、サカナというより、長さ2㎜ほどの小文字の"j"のような稚魚が、わらわらと集まってきて、すごい勢いで食いつくのには驚いた。"j"があっというまに"d"になり、それでもなおかつ追いかけていく。
毎朝、育たなかった稚魚が数匹、浮かんでいるのだが、初めて給餌した日はこの浮かんでいた稚魚がことのほか多かった。腹がどれもぱんぱんに膨らんでいたので、死因は「過食」と推定される。こちらとしては、わずかに削ったつもりだったのだが、それでも多すぎたのかと反省(なにしろこちらとしても初めての育児だし、試行錯誤しながらやっていくしかないのだ)。

そうしている間にも親たちは二回目の産卵をした。
経験というのは偉大なもので、前回よりはずっと手際が良くなっている。
ただし慣れたのはキンギョも同じなのか、今度は有精卵だけで300を超えた。
一瞬、脳裏を黒い雲がよぎる。

いったい、アンタ、何個タマゴを産んだら気がすむのかな?

もちろん「おっかさん」(旧ガオレッド、母となって改名)が答えてくれるはずもなく、検索をした結果、通常7~10回程度、合計5000個ほど産卵するという。

げっ、5000個??

いったいどうしたもんだろうか。
それでも乗りかかった舟、降りるのはいつでもできるのだから(見て見ぬふりをすればそれでおしまい)、できる限りはつきあってやることにする。

今度はガラス瓶ではなく、ゴミ掬い用のアミにタマゴを入れたまま、洗濯ばさみで稚魚水槽に留めておく。こうすればエアレーションの心配をすることもなく、隔離されているから、アニキたちに食われることもなく、無事孵化の日を迎えられるだろう。
なんて良い考えなんだろう。

ところがこれがちっともいい考えではないのだった。
翌日になると、タマゴの2/3以上がどろどろになっていた。
おそらくは稚魚たちが、アミの外からつつきまわし、食い散らかしたにちがいない。
まったくこいつらときたら、食べることしか考えていないのだった。

仕方なく残ったタマゴをガラス瓶に入れたが、結局二回目のタマゴは、胚が見えるようになる前に、全滅した。

この間にも、稚魚たちはずんずんと大きくなる。まだサカナの形ではない、"q"状なのだが、体長も7mmほどになった。

ところが不思議なことに、このころから死骸も浮いていないのに、数が減っていく。
お世話になりました、という挨拶もなく、黙って出ていったのか、不人情なやつらだな……、という話のはずがなく、おそらくは弱い個体から淘汰されていっているのだろう。
生まれて二週間やそこらの稚魚たちが、そんなことをする、というのもすごい話だ。
ただそれを残酷だのなんだのというのも、あくまで人間のモノサシに当てはめた結果でしかなく、稚魚たちにとっては「知ったこっちゃない」ことなのであろう。
「人間ほど残酷な生き物はない」などという言い方を耳にすることもあるが、「残酷」か否かという尺度を持っているのは、結局人間だけ。
「身分け」された世界を生きる動物たちにとって、「残酷」だのなんだのという「ことば」など、なんら意味を持たないのだな、とあらためて感じたのだった。


失敗を重ねるたびに、こちらは知識を蓄積し、やり方もうまくなっていくのだが、キンギョの方は三回目の産卵をピークに、四度目、五度目と少しずつ産むタマゴの数も、有精卵の数も、孵化する稚魚の数も減っていった。
おそらく産卵は七回で終了したのだと思う。
七回目のタマゴは、全部で70個ほどしかなく、そのうち孵化した稚魚は19匹だった。

第一次孵化の稚魚と、第三次の稚魚は間隔もずいぶん開いて、大きさもちがう。
一緒にすると、弟たちは冷凍ミジンコと同じ運命を辿ることが目に見えているので、しかたなくもうひとつ水槽を用意した。
第四次~六次は間隔もあまり開いていなかったので(このころは、ほとんど三日おきに産卵していた)孵化して三日した時点で、どんどん一緒にしていった。どうせ小さな個体は大きい個体に食われてしまうのだ(カントの『判断力批判』の講読をやっていたころを思いだした。だけどカントは小さな魚が大きな魚に食われてしまうことをどうやって知ったのだろうか)。
少し間隔が開いた七次の19匹たちは、しばらくガラス瓶で育てていた(こちらもだんだん雑になるのは仕方がない。人間とは慣れる生き物なのだ)。

こうやって一回目の産卵からひと月以上が過ぎ、一期生たちがサカナの形になり、微かに赤みのかかった、それはそれは美しい金色を帯びてきたころだった。

朝、起きてみると、親水槽のなかで「おっかさん」が死んでいた。
腹を上にして浮かんでいたわけではない。
ちょうどエサを取りにいこうとでもしているような態勢で、体をやや斜めにして。
それでも生きていないことは、すぐにわかった。
体に、生きているときの張りも弾力もない、言ってみれば生気というものがまるで感じられない、まさに、一個の「物」になったとしかいいようのない姿だった。


頭に "meaning of life" ということばが浮かんでいた。
高校生のころ、近所に住むアイルランド人のおばさんに英語を習いに行っていた。
あるとき、"meaning of life" について、考えることを言ってごらんなさい、と言われた。
「生きる意味」ということだな、と頭のなかでいったん日本語にしてから、いまはよくわからない、それを探しながら生きているのだと思う、といった内容を、もたもたと答えたように記憶している。
すると、そのおばさんは、そんなこともわからないのか、とでも言いたげに、簡単なことでしょう、"reproduction" に決まってるじゃない、と言った。

Reproduction
#n 再生, 再現, 再生産; 生殖, 繁殖; 複写(物), 翻刻(物), 複製(品), 模造品; 《山林中の》苗木, 若い実生(みしよう).
[研究社 リーダーズ英和辞典第2版].

当時16歳だったわたしは、その答えに反発した。子どもを産むことが生きる目的なんて、そんなことはおかしい。
もっと、自分にはやらなければならないことがあるはずだ。
自分にしかできないことがあるはずだ。

けれども、異国の地で四半世紀を生きたアイルランド生まれの女性は、こう答えた。
そういうことは、生物としての人間が果たすべきことから見ると、ほんの些細なものでしかない。

あれから歳月が過ぎ、メイヴィスの言った意味が徐々に理解できるようになってきた。
自分がいる、ということは、自分の意志とはまったく無関係だ。
自分の意志によって生まれたわけではなく、reproductionの結果として、大昔から連綿と続いてきた、いのちのひとつの繋ぎ手として、ここにいる。自分が受け継いだ生を、つぎの世代へと伝えていくことは、メイヴィスが言うように、生きていく大きな意味だ。

その一方で、生物としての自分ではなく、主体としての自己が生きていく意味が、それとは別に確かにあるはずだ。わたしは世界を読みとる。それにひとつひとつことばを与え、意味を付与していく。それこそが、わたしの経験であるならば、わたしが生きる意味も、そのようなものとしてあるのではないか。そして、それは、どこかにあるものを見つけるのではなく、自分で作りあげていくもの、経験を重ねつつ、ひたすらに意味を与えていくことではないのか。
こうした思いが自分のなかで育ち、根を張りつつあった。


ことばの世界に生きてはいない金魚。
「生きる意味」など考えることもなかった金魚。
それでも七度の産卵を終え、ふっと力尽きるように死んでしまった「おっかさん」(旧ガオレッド)は、その「意味」を全うしたのだ、と思った。


夜になって、近所の公園の、子どもたちが間違っても寄りつきそうのない、隅に植えられているアゼリアの根元、犬に食い荒らされないように、深めに穴を掘って、亡骸を埋めてやった。

こうしてわたしの元には、「おとっつぁん」(旧ガオブルー)と250匹ほどの稚魚が残ったのだった。


金魚的日常 その5.

2004-11-20 18:07:46 | weblog
5.1×1=まず200

水槽のなか、水草はもちろん、水温計やアクセサリ(麦飯石を灯籠型に加工したもの。これを見た甥っ子1号は、「水槽のなかに神社があるねー」と言った)、壁面とありとあらゆる場所にタマゴは産み付けられている。
それをひとつぶずつ取って、別容器に移す、という、気の遠くなるような作業が始まった。

このタマゴというやつ、川の水流にも流されないように、やたらくっつきやすくできている。くっつきやすい、ということは、取りにくい、ということでもある。取った指にもくっつく。
割りばし、ピンセットとさまざまな器具を試してみたものの、結局指をぬらしながらやるのが一番早い、ということに落ち着いた。

内職のようにちまちまとしたこの作業、やっているうちにだんだん気持ちが滅入ってくるので、Yesの"90125"をかけ、ジョン・アンダーソンと一緒に歌いながらタマゴ取り。アンダーソンもまさかこのような場面のB.G.M.となることがあろうとは、夢にも思わなかったにちがいない。

アナカリスの葉のつけねや裏側に産み付けられたタマゴをひとつひとつ取る。白くなっているのは無精卵で放っておくと水質悪化の原因となるので、これも別の容器に分ける。
45分ほどのアルバム一枚で作業が終わるはずもなく、ぬれた手を拭きながら、今度はQueen、"Ogre Battle"の終了とともに、タマゴとのバトルもやっと終わり。
アプリコットのコンポートが入っていた広口のガラス瓶の底には、淡い黄色の透明なタマゴが200個弱、小さな宝石のように光っていた。

親ときたら、子ども(じゃないが)の世話は他人に任せっぱなし、あ~うまいもん食った、ちょっと食い過ぎた、という顔をして、水槽のなかでゆったり泳いでいるではないか。
人間は本能の壊れた動物かもしれないが、その人間に飼育されて長いキンギョも、十分本能は壊れているぞ、と思ったものだった。

ところが翌朝見てみると、水は濁り、全体の1/3ほどが、白いもやのようなものにつつまれている。タマゴ同士がくっつくため、死んだ有精卵が腐って、そのまわりのタマゴを巻き添えにしたらしい。慌てて水を換え、悪くなっていないタマゴを救出する。
どうしても途中で死んでいく有精卵が出るので、暇なときは(決して暇ではないのだが)瓶を覗いて、ピンセットで白くなったタマゴを取り出す、という作業が続いた。
そのうち、有精卵のまんなかに、針でつついたようなグレーの点が見えるようになってきた。胚が見えてきたのだ。

キンギョ本来の飼い主に電話をかける。
だいたいタマゴは5日ぐらいで孵るらしいから、そのころに見にこない?

そうしてキンギョ同様、昨年よりひとつずつ大きくなった甥っ子ふたりが週末にやってきた。
まさに絶妙のタイミング、晩ご飯をみんなで食べ終わったころに孵化が始まった。

まずタマゴがくるくると回転する。
するとシッポが、透明な膜を突き破るようにして出てくる。
ふたたび、さっきよりはもう少し勢いよく、シッポのはえたタマゴが回転する。
くるくる、くるくる、と3~4回くりかえすうち、透明で目のまわりが微かに赤く、背骨がグレーの1mmほどの稚魚が、回転しながら出てくる。
こうやって80個あまりのタマゴはひとつひとつ孵っていった。

ことばもなくガラス瓶を覗き込む甥っ子の、ひなたくさい頭のにおいを嗅ぎながら、わたしは不意に、漱石の『道草』の一節を思いだしていた。

夜中、急に産気づいた細君は、産婆も来ないうちに分娩してしまう。

すぐ立って蒲団の裾の方に廻った健三は、どうして好いか分らなかった。その時例の洋燈は細長い火蓋の中で、死のように静かな光を薄暗く室内に投げた。健三の眼を落している辺は、夜具の縞柄さえ判明しないぼんやりした陰で一面に裹まれていた。
 彼は狼狽した。けれども洋燈を移して其所を輝すのは、男子の見るべからざるものを強いて見るような心持がして気が引けた。彼はやむをえず暗中に摸索した。彼の右手は忽ち一種異様の触覚をもって、今まで経験した事のない或物に触れた。その或物は寒天のようにぷりぷりしていた。そうして輪廓からいっても恰好の判然しない何かの塊に過ぎなかった。彼は気味の悪い感じを彼の全身に伝えるこの塊を軽く指頭で撫でて見た。塊りは動きもしなければ泣きもしなかった。ただ撫でるたんびにぷりぷりした寒天のようなものが剥げ落ちるように思えた。もし強く抑えたり持ったりすれば、全体がきっと崩れてしまうに違ないと彼は考えた。彼は恐ろしくなって急に手を引込めた。
「しかしこのままにして放って置いたら、風邪を引くだろう、寒さで凍えてしまうだろう」
 死んでいるか生きているかさえ弁別のつかない彼にもこういう懸念が湧いた。彼は忽ち出産の用意が戸棚の中に入れてあるといった細君の言葉を思い出した。そうしてすぐ自分の後部にある唐紙を開けた。彼は其所から多量の綿を引き摺り出した。脱脂綿という名さえ知らなかった彼は、それをむやみに千切って、柔かい塊の上に載せた。
(夏目漱石『道草』八十)



わたしたちは健三と同様、日常生活のなかでは、この「寒天のようにぷりぷりした」一種異様なもの、言い換えれば「生」のもっとも根源的なもの、原初的なものに触れることはない。
けれども、いかなる「生」も、そこから始まったのだ。
この「生」の根源にふれる機会があったとき、厳粛な気持ちになる。
それは四歳の子どもでも同じだった。
自分では意識することもなかった、自分のいのちの始まり。
大昔から、連綿と続いてきた、あらゆるいのちの始まり。
そうしたものを感じずにはいられない。
そうして、なんというか、暖かい気持ち、優しい気持ちが、こころの奥から呼び覚まされる。
この、いま始まったばかりの、小さく弱いいのちを、なんとか護ってやりたい。

生まれてすぐは、ボウフラのように、壁面にくっついているばかりの稚魚だった。
二時間ほどして、ほぼすべてのタマゴの孵化が終わった。
揺すらないようにそっとガラス瓶を棚の上に乗せた。


金魚的日常 その4.

2004-11-19 19:26:10 | weblog
4. 2→?

キンギョの最大の特徴は何かと聞かれれば、わたしはこう即答するであろう。

「デカくなること」

それまで見たことのあるキンギョ、人の家で見かけた「金魚掬いのキンギョ」というのはせいぜい4~5cm程度のものだったような気がする。

ところが経験して初めて知ったことなのだが、実は、キンギョというのは、住処に応じて体長を調節する魚だったのだ!(といっても小さくなるわけではない)
30cm水槽を独り占めしたガオレッドは、一緒に貰われてきたガオブルーが病気療養中なのをいいことに、日ごとにデカくなっていった。
「日ごと」というのは、決して単なるレトリックではない。帰ってから水槽を覗けば、朝見たときより大きくなっているのがわかるような成長ぶりだったのだ。

これほど体格に差があれば、ガオブルーはいじめられるのではないか、病後で体力も落ちているだろうに、と心配したのだが、レッドは気のいいキンギョだったらしく、追いかけたり、つついたりのそぶりもない。
水温の低下に合わせてヒーターを導入したところ、水槽は常時25℃という常春、ブルーも追いつけ追い越せとばかりにめきめきと大きくなった。

ヒーターばかりではなく、わたしの出費は続いた。
まずエアポンプをバージョンアップさせるために、外掛けフィルターを導入した。
これでぐっと水質の維持もラクになった。

水草を入れた。
水草を入れると、さらに水質も安定するらしい。

ところがこいつらが食い散らかすのだ。
カモンバ、別名キンギョ藻は、水の中で細い葉が揺れる様がはかなげで、鮮やかな緑が美しい、加えて安価な水草なのだが、葉っぱが細いだけあって食いつきやすいのか、あっという間にまるはだかにされてしまい、食いちぎった茎の切れ端がフィルターの吸い込み口にすぐ詰まる。
つぎに買ってきたのがアナカリス、これは美しくもなんともなく、品がないところが大いに気にくわないのだが、カモンバよりはもちがいい(食い尽くすのは一緒だけれど、二週間ぐらいかかる(^^;))。カモンバと値段も一緒(五本ひと束で400円くらい)。

なぜかすっかり顔なじみになってしまったペットショップのお兄ちゃんに相談して、これは丈夫です、と太鼓判を押してもらったアヌビアス・ナナ、このキャプションにも「新芽以外でしたらあまり食べません」とあるが、ウチのキンギョたちはこれでさえもボロボロにしてしまうのだった(食べるというより、食いちぎって吐き出したようだった。なんて根性が悪いやつらなんだろう……)。これはコストパフォーマンスがよくなかったし(ひと株800円もした)、見栄えもよくなかったので、一度で懲りた。

さらに麦飯石溶液なるものもペットショップには売られていて、大きな赤字で「これ一本でキンギョが飼えます」と書いてある。
「これ一本」というのは、どういう意味なんだろう、ほかのものが要らない、という意味ではなかろうに、と頭を捻りつつ、それもつい買ってしまう。

キンギョというのは実にたいそうな金食い虫であることに気がついたが、いまとなってはすっかり遅いのだった(そして、このあと加速度的に出費は増えていく)。

夏が過ぎて、ちょうどウチに来て一年がたったころだった。
ともにすくすくと成長して13cmと15cmほどになったブルーとレッド、ブルーがレッドを追い回し、つつくようになった。大きな身体はしているものの、ちょっと鈍くさく、エサ取りもあまりうまくない気のいいレッドが迷惑そうな顔(いや、慣れてくるとそう見えてくるんです)をして逃げても、ブルーはしつこく追い回しているのだ。
キミ、自分もデカくなったから、っていって、いじめちゃダメだよ、自分がちっちゃかったころはいじめられなかったでしょう。
水槽を指でトントンとノックするとその場では止めるのだが、また飽きずに繰り返す。
大きくなりすぎて、テリトリー争いをしてるんだろうか、水槽、分けた方がいいのかなぁ、などと思っていたころだった。

ぐっと涼しくなった朝のことだった。
うーん、もうタオルケットじゃ寒いナー、などとのんびり起きて水槽を覗くと、エサもやっていないのに二匹のキンギョが口をしきりにもぐもぐやっている。
水草をレッドの方はしきりについばんでいる。
そして、水槽の壁面には黄色くて透明な、直径0,5mmほどの丸い玉がいくつかついている……。

なんだろう、このサカナのタマゴみたいなものは。

タマゴ??

まさか……もしかして……。

君ら、イケナイコトをしたのかな? わたしの許可も得ずに。

レッドもブルーも、ついばんではもぐもぐ、を繰り返している。

見なかったことにしよう、と真剣に思った。
ほっとけば、こいつら全部片付けてくれそうだし。

だが、生憎、その日は特に予定の入っていない日だった。
オーバーワーク気味だった日が続いていたので、ゆっくり身体を休めつつ、溜まった本を読もうと思っていた日だったのだ。

さて、何をしたらいいんだろう。
溜息をついて、わたしはPCを起動させた。


金魚的日常 その3.

2004-11-18 18:43:45 | weblog
3.2-1=1?

キンギョを入れておいた洗面器の水が、翌朝になってみると、白っぽく濁っている。
ただ、ガオレッドもガオブルー(昨日帰り際に1号2号が名前をつけていった。やや大きくて、じっとしているのがガオレッド、小さくて洗面器のなかを泳ぎ回っているのがガオブルーなんだと。どっちも赤いっちゅうねん)も元気そうだ。
ところがエサがない。
ごはんつぶを入れて、いいのだろうか? お麩はコイだっけ(そんなものがあるわけではないが)。
とにかくエサがいるし、このまま洗面器に入れておくわけにもいくまい、だいいちこれではわたしが洗面器を使えない。

しょうがない、必要最小限のものでも手に入れるか、とWebで検索。
その名もズバリ、金魚すくいのキンギョを飼おうというサイトがヒットした。
これがまぁ至れり尽くせりのサイトで、まずそろえるものから始まって、基本的な飼い方、病気の治療まで、すべて載っている。
なるほどなー、白く濁ったのは、アンモニア濃度が高くなっているせいかー、と感心しながら、あちらこちらついついページを眺めるのは適当に切り上げて、さっそくホームセンターへ行ってみる。

サイトでは60cm水槽がすすめてあったけれど、3cmほどのキンギョがたった二匹だし、これでいいや、と「キンギョ飼育セット」なるものを購入。
30cm水槽に、エアー・ポンプ、キンギョのエサ、カルキ抜き、プラスティックの水草もどきが入っていた。
砂利も2kg入り一袋購入。
これで3,000円弱が飛んでいく。
ちょっと悲しかった。 

かくして、予期せぬものではあったが、キンギョライフがこうやって始まった。
ガオレッドは体長約2,8cm(水槽に定規を当てて測ってみた)、丸っこい体型で、ひとなつこい。
ちょっと臆病なところがあって、環境が変わると、しばらくじっとしている。
ところが慣れてくると、真っ先に寄ってくるし、エサの食いつきもいい。
ガオブルーは体長約2,6cm、レッドに較べると、スッと細い体型をしている。
こいつは好奇心が強くて、新しいところに入れると、端から端まで泳ぎ回っている。
こいつもエサを落とすと、ピラニアのように寄ってくる。
キンギョのエサには注意書きとして、五分以内に食べきれる量を入れるように、とあるのだが、五分どころか、五秒で食い尽くす勢いだった。

帰るとまず水槽を見に行く。
キンギョたちは、すぐさま寄ってきて、エサくれ、エサくれ、の大合唱を始める。
あっという間にエサを食い尽くし、そのあとは砂利をついばんだり、水槽のなかを縦横無尽に泳ぎ回ったり。
ぼーっと見ていると、時間を忘れた。

エアーポンプのモーターの音は少しやかましかったが、寝ているときにパシャッとはねる水音がするのも、悪いものではなかった。
 
サイトには、金魚掬いのキンギョはあまり良い環境で飼育されているとはいえず、掬ってきてから一週間ほどで死んでしまうことも多い、とあった。
ドキドキするような気持ちで、毎日眺めていたのだが、一週間が過ぎ、ああ、これで大丈夫、と思っていた矢先、ガオブルーのようすがおかしくなってしまったのだ。

底の方にじっとしたまま。体全体が、こころもち膨らんだようになり、ウロコが立ちかけているようだ。
いそいで検索してみると、どうやら松かさ病らしい。細菌感染症の一種で、かなり治りにくい、とある。
バケツに移し、水温を27℃ほどに保つのがよい、とあったので、ヒーターと細菌感染症用の薬も買ってくる。
元気なときは、急いでこちらに寄ってくるキンギョが、人間を避けるように、隅へ、陰へと隠れて、じっとしているようすは、見ていてなんだか胸がつまるようだった。
水温と薬の濃度に気をつけながら、暗い部屋にバケツを置く。
毎朝、浮かんでいるのではないか、とドキドキしながら見に行く日が続いた。

水換えのたびに、物陰に隠れている、ウロコが逆立ち、ぱんぱんに膨れ上がって、小さなまつぼっくりそっくりになったキンギョを見た。
それでもフンをしているので、消化器官は動いているのだろうと思い、ときどき、キンギョのエサを小さく砕いて粉にして、それをほんの少しやった。なんとか食べているようだった。

そういう状態が1ヶ月ほど続いた。
気がつくと、すっかり涼しくなり、30cm水槽を一匹で占領しているガオレッドは、日々エサをばくばく喰ってでかくなり、8cmを超える体長になっていた。

ある日、水換えのときに見てみたら、ブルーの体が心なしか細くなっていた。
ようすがよくわかるように、バケツから、百均のプラスティックの虫かごに治療室を移す。
確かに、ぱんぱんの、張り切った状態ではなくなっていた。
体に負担のかかる薬浴から、0,5%の塩水浴に徐々に切り替えていく。
エサも、5日に一度から、3日に一度、と徐々に増やしていく。
覗きに行くと、さっと隠れるけれど、それでもときどき泳ぐようになっていた。

結局、塩水浴も1ヶ月ほど続けた。
そうして街にクリスマスソングが流れ始めるころ、水槽に二匹のキンギョがそろった。
9cmと3cm、親子のようになって。