陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

タイム・トラベル・ブルーズ

2007-11-30 22:41:32 | weblog
リップ・ヴァン・ウィンクルというと、たいがいの辞書には「西洋版浦島太郎」と書いてある。だが、この説明はあまり正しくはないのではないかとわたしは昔から思ってきた。

日本の浦島太郎が作者不詳の伝説であるのに対し、「リップ…」はれっきとしたワシントン・アーヴィングの創作である。1819年に発表された短編集『スケッチ・ブック』のなかの一作、このなかには数年前映画化された「スリーピー・ホロウ伝説」も所収されているが、やはり圧倒的に有名なのはこの「リップ…」だろう。

ざっとあらすじを紹介しておくと、山奥の小さな村に住むリップ・ヴァン・ウィンクルは、あくせくせずにのんびり暮らすのがモットーの気のいい男。がみがみ口やかましいおかみさんと、孝行娘の三人暮らしである。

ある日、そのリップは口やかましい女房からのがれ、山に入っていく。山奥には見慣れない姿形の人々が、当時のボウリング、ナインピンズで遊んでいる。リップも仲間になって、いっしょに酒を酌み交わすうち、酔ったリップはそのまま眠ってしまう。

目をさますと朝になっている。口やかましい女房にはなんと言い訳したものかと頭を悩ませながら山を下りると、知った顔はひとりもいない。女房も娘の姿もない家は、廃屋になっている。なんと二十年間も眠っていたのだった。

そのあいだにアメリカはイギリスから独立し、山からおりたその日がちょうど大統領選挙の当日、どっちの党に投票したかと聞かれて、「国王に忠誠を誓っております」と答えたりする。

じき、口うるさい女房はもう死んでしまったことを知り、娘は立派な男と結婚している。そこで娘と一緒に暮らしながら、村人からは長老として敬われ、幸福な余生を過ごしたのだった……めでたしめでたし、という話なのである。

二十年寝ていたのだから、年を取っても長老とは言えないのではないかと思うのだが、まあそこは人徳というものなのかもしれない。あくせくせず、気楽に生きてきた彼は、二十年のギャップなどものともせず、あっというまに順応してしまうのだ。

この話と浦島伝説が似ているところといえば、帰ってみれば思わぬほど時間が経っていた、というただそれだけ(山中異界と海中異界という見方もあるけれど、単純にアメリカにスライドさせていいのかとかいろいろむずかしい話になってきそうなので、ここではそういう考察は置いておく)なのである。しかもこちらは二十年、浦島伝説ではなにしろ行った先が時間のない世界なので、計測不能なのである。ほんとうに戻ってきた太郎さんは、いったいどれほどの恐怖と、やがて絶望を感じたことだろう。

しかもリップが楽しんだのは、ボウリングなのである。なんとなく楽しそうではあるが、とにかく竜宮城とはえらくちがう。

もちろん、浦島といえば竜宮城なのだが、学生時代に深夜の時間帯、古い映画のリバイバル放送をよく見ていたのだが、そんなころ「キャバレー竜宮城」みたいな、奇妙なコマーシャルが流れていたような記憶がかすかにあるのだ。低予算のローカルCMで、あきれるくらいセンスの悪いものだった。

それを見るたび思い出したのが、太宰治の『お伽草子』の「浦島さん」の竜宮城である。

浦島さんを連れてきた亀が竜宮城の説明をする。
、「これは海の桜桃の花です。ちよつと菫に似てゐますね。この花びらを食べると、それは気持よく酔ひますよ。竜宮のお酒です。それから、あの岩のやうなもの、あれは藻です。何万年も経つてゐるので、こんな岩みたいにかたまつてゐますが、でも、羊羹よりも柔いくらゐのものです。あれは、陸上のどんなごちそうよりもおいしいですよ。岩によつて一つづつみんな味はひが違ひます。竜宮ではこの藻を食べて、花びらで酔ひ、のどが乾けば桜桃を含み、乙姫さまの琴の音に聞き惚れ、生きてゐる花吹雪のやうな小魚たちの舞ひを眺めて暮してゐるのです。どうですか、竜宮は歌と舞ひと、美食と酒の国だと私はお誘ひする時にあなたに申し上げた筈ですが、どうですか、御想像と違ひましたか?」
 浦島は答へず、深刻な苦笑をした。
「わかつてゐますよ。あなたの御想像は、まあドンヂヤンドンヂヤンの大騒ぎで、大きなお皿に鯛のさしみやら鮪のさしみ、赤い着物を着た娘つ子の手踊り、さうしてやたらに金銀珊瑚綾錦のたぐひが、――」

だが、太宰のこの部分を読むまでは、わたしの御想像も「ドンヂヤンドンヂヤンの大騒ぎ」、わたしが持っていた絵本の挿絵でもそうだったし、ほかの絵本でも似たり寄ったりなのだった。ところが太宰のこの小説を読んでしまえば、そんな絵が、どう考えても「キャバレー竜宮城」に近いように思えてくる。海の底にそんな場所があるとするなら、太宰が描く竜宮城以外にありえないように思われる。「神聖の聖の字に、あきらめ。」という「聖諦」の曲を奏でる琴によく似た、もっと寂しい音が、耳の奥、かすかに響いてくるような。

浦島さんは、やがてこの太宰版美しくもどこかかなしい、批評のない、無限に許されている竜宮城から、人間界に戻っていく。
そうして玉手箱を開けるのだが、太宰版ではそこで一気に三百歳になったのは、「決して不幸ではなかった」という。一気に三百年の月日が浦島太郎に流れ、そうしてそこに忘却が訪れたのである。おそらく浦島太郎はそこであらゆることを忘れてしまった。
太宰は話をこの言葉で締めくくる。

「 浦島は、それから十年、幸福な老人として生きたといふ。」

これは、リップ・ヴァン・ウィンクルと同じことなのかもしれない。片や、眠っていて何も覚えていない、年だけ取った、経験のない長老の幸せな晩年の日々。片や、すばらしい経験を忘れるという慈悲を受けた、これまた幸せな晩年の日々。

もちろん、断然、太宰版『お伽草子』の世界の方がすばらしい、というか、くらべることにあまり意味はないのだが。

昼ご飯、何食べた?

2007-11-29 22:14:49 | weblog
※これは連載ではありません。


昼ご飯に何を食べるかというのは、実に由々しい問題である。
ことによったら晩に何を食べるかより難しい問題かもしれない。
というのも、昼ご飯にはいくつもの条件が課せられているからなのである。

まず、
1.時間をかけられない

たいてい昼食に当てられる時間というのは限られており、その一定の時間の間にすませなくてはならない。そのためにコンビニでおにぎりを買うとか、ファーストフードに行くとか(うっかりここでモスバーガーに行ってしまうと、ことによったら青ざめることにもなる)、近くのラーメン屋に行くとか、学食とか、とにかく近場で、すぐ出てくるところに行くことになる。

2.お金をかけられない

自分の自由になるお金というのは、どこまでいってもそうそう増えるものではない。そこで何かを買うために削れるところを削るとなると、昼食代はまっさきに対象となる領域である。いきおい、できるだけ質素倹約を心がけることになる。

小田嶋隆の『我が心はICにあらず』のなかに、こんな一節がある。
貧困とは昼食にボンカレーを食べるような生活のことで、貧乏というのは、ボンカレーをうまいと思ってしまう感覚のことである。ついでに言えば、中流意識とは、ボンカレーを恥じて、ボンカレーゴールドを買おうとする意志のことだ。
(小田嶋隆『我が心はICにあらず』光文社文庫)

わたしはこれを読んで、この定義に思わず笑ってしまったのだが、ただ、わたしは貧乏な時期、貧困という言葉がまさにふさわしい時期を長らく過ごしたが(いまも似たようなもんか)、実際には「昼食にボンカレーを食べるような生活」を送った経験はない。

ほんとうに貧乏だった頃はボンカレーだって買えなかったし、具といえば卵とネギだけのチャーハンとか、卵とネギだけの雑炊とか、卵にネギだけ入れたオムレツとか、月見うどん(具は卵とネギだけ)とか、つまりは一パックの卵と長ネギで一週間食いつないだりしても、「ボンカレーをうまいと思ってしまう」ことはなかったのである。まあ卵とネギだけのチャーハンをうまいと思ってしまうのと、ボンカレーをうまいと思ってしまうのと、どちらがどう貧乏なのかは一考の余地のあるところだが。ともかくわたしは貧乏だった頃はボンカレーも買えなかったほど貧乏だったのだし、ボンカレーが買える頃には、チャーハンに入れる干しエビだのショウガだのを買っていたのだった。

ところで「ボンカレー」の「ボン」、やっぱりフランス語の「良い」にあたるあの
bonなんだろうか。「良いカレー」、うーん。せめてヒンディー語という発想はないもんだろうか。

3.何を食べても、もそもそと食べてしまうことになる

昼時、それはおそらくわたしがOLの方々がランチをなさるような場所で食べないからなのだろうが、わたしが行く先々では、たいていの人がうつむいて携帯をのぞきこみながら、ひとり静かに昼食をとっている。どうもその姿を見ていると、わたしの頭に、いがらしみきおのマンガ『ぼのぼの』の10巻の「もそもそとめしを喰う」というフレーズが浮かんでくるのである。
いつだったかクズリが川で溺れているのを助けたことがあってな
そりゃみんなホメてくれたよ
だけど次の日はひとりでもそもそメシ喰ってたのさ
だから色が変わる岩を見つけたって同じだよ
そりゃあみんな驚くだろう
だけどまたもそもそメシを喰うんだよ

どんなにいいことがあっても、どんなにいい仕事をしたとしても、つぎの日はまたもそもそとメシを喰う。どうもわたしたちの生活というのはそういうふうになっているらしい。そしてまた、ひとり背を丸めて、見知らぬ者同士が「相席お願いしまーす」などと言われて向かい合い、向かいの見知らぬ人と目を合わせないようにうつむいて、携帯や文庫本に目を落としたまま食べる昼食は「もそもそとめしを喰う」という言葉が、これ以上ないまでにぴったりくるように思うのだ。こうなると何を食べたって大差ない感じがする。

とはいえ、本を読みながら食べる昼食も、それはそれで悪いものではない。左手に持った本をやや離し気味にささげ、首を正面から左に向けて、右手で箸を動かす。気がつくと、丼のなかにはうどんは一本もなくなっており、あまり食べた記憶もなく、いったいどこに行ってしまったのだろうと首を傾げながらうどん屋を出ていく。
まちがっても「パワーランチ」とは呼べないが、それはそれで働く人及び学生の正しい昼食のありようとは言えまいか。


(※"What's New" も更新しました。またお暇な折にでものぞいてみてください。)

サイト更新しました

2007-11-28 22:37:54 | weblog
サイト更新しました。

「怒る人々」を書き直しながら、同様のネガティヴな感情を、大昔(なんと七月!)に書いたログをもとに「嫌っても、嫌われても」として書き直しました。
更新情報はまた明日書きます。

http://f59.aaa.livedoor.jp/~walkinon/index.html

ネガティヴシリーズ第二弾「怒る人々」も近日公開いたします。
お暇なときにでもまたよろしくお願いします。

現代ナンパ考

2007-11-26 22:47:41 | weblog
インターネットと携帯電話が普及して、わたしたちの生活もずいぶん様変わりしてきたが、そのひとつが「ナンパ」という行動様式の減少ではあるまいか。
はやり言葉の寿命がどんどん短くなってきている昨今では、耳にすることもまれになったが、しばらく前には「逆ナン」(わたしは最初にこの言葉を耳にしたとき、インド料理の「ナン」を一瞬思い浮かべたものだった)という言葉をよく聞いた。この「逆ナン」というのは、「逆ナンパ」、つまり女性の方から男性に「お茶でもご一緒しませんか」と声をかけるものらしいのだが、こういう言葉がまだ生きているということは、ナンパそのものがまるっきり消滅したわけでもないということだろう。

思い起こせばわたしは小学生の時、塾が終わって駅で迎えに来る母を待っていたときに、学生風ではない、成人男性から声をかけられ、怖くてたまらず、ちょうどそのときにやってきた母の顔を見て、思わず泣いてしまったことがある。男は、そんなつもりではなかった、とかなんとかかんとかと口のなかでもごもご言いながら逃げていったのだが、当時のわたしは暗くなって知らない大人の男から声をかけられて、ただ怖かったのである。念のために言っておくと、当時のわたしは格別大柄だったり発育がよかったりしたわけではなかったのだが、よく中学生、ときに高校生にも間違えられたのだった。「高校生に間違えられる」という状態は、小学校の高学年から大学卒業後の数年間が該当するのだが、つまりわたしは相当長いあいだ高校生に見えたようだ。

以来、「お茶でも……」とか「いま何時ですか」とか「ニホンゴ、ベンキョーするホン、ドコありますかー」とかと声をかけられ「飲みません」「……」(何も言わずぐいっと腕をつきだして腕時計を見せる)「そういうことは店員に聞いてください」という、きわめて非友好的な態度をとってきた。

実際、ナンパというのは、「下手な鉄砲、数打ちゃあたる」式に、キャッチセールスよろしくひたすら声をかけまくる、コストパフォーマンスの面ではきわめて効率の悪い、なおかつわたしのように無礼な態度を取ってくる相手に出くわすリスクもきわめて高いであろうことを考えると、どう考えてもあまり知的な行動とは言い難いように思える。

こういうことを書くのも、昨夜寝る前に鹿島茂の『モモレンジャー@秋葉原』という本を読んでいたら、その「ナンパ」のことが考察されていたからなのである。
鹿島茂は「ナンパ師という存在を心の底から憎んでいた」という。というのも、
ナンパ師は、賭けるものとては、己の気恥ずかしさだけで、失うものなどなにもない。ようは、尊厳を捨てさえすればいいのだ。これほど軽蔑に値する人間もいないのではないだろうか?

ところが、鹿島先生、フランス滞在中に考え方が変わった。フランスで実に多くのナンパの実例を目撃し、なおかつ、せっせと声をかけているのが、ナンパ師とも思えないような、良識をわきまえた男たちであったからだという。なかのひとりはこう言った、とある(ちょっと話ができすぎているような気がしないでもないのだが、おもしろいので、その部分を引用する)。
「そりゃ、私だって、見ず知らずの女性にいきなり声をかける(注 フランス語ではこれを draguer と呼ぶ)のには、強い心の重圧を感じますよ。いっそ、こんなことはやめてしまおうと思うことも少なくない。しかしですね、もし、ここで声をかけなかったときに失う可能性のことを考え、声をかけたことによって得られるかもしれない喜びのことを思えば、どうしたって、声をかけたほうがいいという結論になる。ようは、自分の心との戦いですね。臆病、弱気、自己嫌悪、それに怠惰、こうした心の弱さに打ち勝つことができるか否か、それが問題なんですね。そして、心の戦いに勝つということは、決して女々しいことじゃない。むしろ雄々しいことではないかと思います。あなたはスタンダールの『赤と黒』をお読みになりましたか? なに、ある。それなら、おわかりになるでしょう。レナール夫人の手に最初にキスしようと思ったときのジュリアン・ソレルの心の葛藤は、アウステルリッツの戦いにおけるナポレオンのそれと少しも変わりはないんですよ」

ここから鹿島先生はフランス文学における「心の葛藤に勝った歴戦の勇士に等しい存在」としてのナンパ師、ラクロの『危険な関係』の主人公の一人、ヴァルモン子爵の考察に移り、なおかつ日本のナンパには歴史がない、「その人は、おのれの存在と行動を世界とのかかわりで意味づける言葉を持っていない」とフランスのナンパ師のちがいを指摘、さらにそのちがいの起源を日本の武士と、フランス貴族の差に求めるのだが、そこらへんの考察に興味がおありの方は、ぜひお読みください。

わたしはフランス人の知り合いはいないので、その哲学をもったナンパ師というのを見たことがないのだが、実にまめなナンパ師を見たことはある。そうして、そのまめなナンパ師というのは、日本人ではなかったのである。

英語を学ぶ日本人と、日本語を学ぶ外国人の交流会の席上だった。
わたしのところに東南アジアの某国からやってきた三十代後半とおぼしき男性がやってきた。自分は医学部を出た、と言い、どこの企業とつきあいがある、と言い、何月生まれか、と聞くのでそれに答えると、メモを取りだし、誕生石からわたしの性格を教えてくれる。そうして「あなたの生活は表面的には満たされていても、内心では寂しさを感じている」と言い出す。
あまりに古典的で露骨な言いぐさに、わたしはほとんど笑い出しそうになったのだが、街頭のナンパとはちがうので、さすがにそこまで無下にはできない。とりあえず適当に相手をして、その場を離れると同時に、彼はつぎの女性のところに歩いていくのが見えた。しばらく彼のことは忘れていたのだが、帰り際、ふと見ると、さらに別の女性に「内心では寂しさを感じている」と言っている。自分がどう見えるかなど、いっさい考慮の外、ただひたすら声をかけ続ける彼の努力は、果たして実を結んだのだろうか。

いまはそんな「臆病、弱気、自己嫌悪、それに怠惰、こうした心の弱さに打ち勝つことができるか否か」というリスクを犯すこともなく、顔を会わさないまま、出会いの機会を可能にしてくれる場がいくつもあるのかもしれない。「臆病、弱気、自己嫌悪、それに怠惰、こうした心の弱さ」のまま、出会いの設定をするというのは、街頭で顔をさらして声をかけるよりも、なおさら「なんだかな」と思うのであるが、それもまたわたしの偏見なのかもしれない。

さて、かくいうわたしも数年前を最後に、ぱったりと声などかけられることもなくなってしまった。ナンパという行動様式が減少したわけではなく、わたしがその対象層から外れたというだけかもしれない。

先日、横断歩道の手前で風俗系のポケットティッシュを配っていた。
わたしの後ろで中年の女性たちがティッシュがもらえた、と喜んでいる。
「最近、こういうの、もらえへんねん」

わたしもそのうち風俗系のティッシュをもらえるだけで喜ぶ歳になるのだろう。

感謝祭には七面鳥

2007-11-25 22:06:47 | weblog
用の東西を問わず、というか、人間の考えることには変わりはないということなのか、そのような実例はいくつもあるのだが、秋に農作物の収穫が終わって、神に感謝を捧げる行事も、やはり世界各地でおこなわれる。日本ではいまでは「勤労感謝の日」という名前になっていて、いったいだれが何に感謝するんだかよくわからない日になってしまっているが、これももともとは「新嘗祭」という収穫を祝う儀式、その年に収穫された米とその米で作った酒を神に捧げ、大王が神と飲食をともにするという儀式だったのである。

アメリカでは、十一月の第四木曜日が感謝祭である。たいていはそこから日曜までの四日間が祝日となる。日本で年末とお盆の時期の新幹線が満席になるように、この感謝祭とクリスマスの時期、アメリカ人は右往左往し、飛行機は軒並み満席になる。

1620年12月、メイフラワー号で北米大陸にやってきたピューリタンたちは、約半数が寒さと病気と飢餓で死亡しながら、ネイティヴ・アメリカンの助けを得て、なんとか越冬する。そうして翌年の春、ネイティヴ・アメリカンから分けてもらったトウモロコシやカボチャなどの農作物を栽培したのである。そうして実りの秋がきて、初めての収穫を迎える。彼らの喜びは実際、どれほどのものだったろう。そうして彼らは感謝と祈りの日を設けたのである。

そこから四世紀ほどが過ぎた今日でも、アメリカ人は大陸を横断して、一族はともに食事をするために戻っていく。映画でいうと、ジョディ・フォスターが監督をやった《ホーム・フォー・ザ・ホリデイ》にその感じがよくでているように思う。一族が集まり、大きなテーブルを囲んで、延々と食べるのである。そうしてメインとなるのが七面鳥。

シャーロック・ホームズでは確かクリスマスに食べる七面鳥が事件の発端になる、というのがあったような気がするのだが、アメリカではクリスマスはチキン、そうして、七面鳥は感謝祭。アン・タイラーの『アクシデンタル・ツーリスト』では、こんな話になっている。
 感謝祭が近づき、いつものようにリアリー家の兄妹四人は、感謝祭の夕食をどうするか話し合った。というより、四人とも七面鳥があまり好きではないのだった。しかしローズは、だからと言って感謝祭に七面鳥以外のものを出すのはよくない、と主張した。よくない気がする、と。兄たちは、七面鳥をオーヴンに入れるのに、彼女が朝の五時に起きなければならない点を指摘した。でも、どっちみちわたしがやるわけでしょ、とローズは反論した。兄さんたちの手を煩わすわけじゃないわ。
(アン・タイラー『アクシデンタル・ツーリスト』田口俊樹訳 早川書房)
つまりわたしたちが大晦日に年越し蕎麦を食べ、お正月にお雑煮を食べるがごとく、アメリカ人にとって感謝祭というのは七面鳥なのである。

わたしはこの七面鳥、一度だけ作るのを手伝ったことがあるのだが、なかなか印象的な経験だった。

日本で鶏肉を買うといっても、たいがい部位に分かれており、ほとんど原形をとどめていない状態である。以前は骨がついている「いかにも腿」という状態のもも肉も売っていたように思うのだが、最近ではほとんどそれも見かけない。骨からはいいだしがでるので、使い道はいろいろあるように思うのだが、やはりそういう原形を想像させるものは好まれないのだろうか。

ところがこの感謝祭に料理をする七面鳥の肉、たいがいスーパーで凍ったのを買ってきて、ひとばんマリネ液に漬け込んで解凍するのだが、まさに首と蹴爪を落とし、内臓を抜いた状態なのである。わたしが見たのはかなり大きい、小型テレビくらいはたっぷりあったものだった。そのどでかい肉塊が、どーんと調理台の上にのっているのである。当時まだ料理の経験も家庭科の調理実習ぐらいしかなかったわたしは、一瞬、腰が引けてしまった。

ところがそこは自分の家ではない。相手は、できるだけわたしに豊かなアメリカン・ライフを経験させようと、好意をシャンパンの泡のようにあふれさせているアメリカのおっかさんである。わたしは覚悟を決めたのである。ぬめぬめとした皮にぶつぶつと小さく盛り上がっている表面を見ながら、自分の腕も似たような状態になっているのを感じつつ、袖まくりをしたのだった。

さて、詰め物はどこからしていくか、というと、お尻を切ってそこからずんずん詰めてていくのである。確かに、非常に理にかなっている。帝王切開にするならば、そこを縫合してやらなければなるまい。そうして、日本人がカツオブシのだしを大切にするがごとくアメリカ人が大切にしている肉汁が、そこから流れ出してしまうのである。だが、お尻を切れば、詰めたあとはその部分を凧糸でくくってしまえばしまいなのである。
……巨大な尻の穴。
まったく理にかなっている。だが、なんだかな、と日本人であるわたしは、一瞬、思ったのである。

ともかく米や野菜や香草などを、曲がった関節が脚ということをほんの一瞬も忘れさせてくれない、二本の脚のあいだにあいた大きな穴にどんどん詰めていく。ぱんぱんに詰めたあとは脚も一緒に凧糸で縛る。そうしてすでにしっかりと暖まっている、大きなガス・オーヴン(その昔、詩人のシルヴィア・プラスはここに頭をつっこんだ)で焼くのである。

ところが『アクシデンタル・ツーリスト』でローズは「エネルギーを節約するため」に、前の晩から「温度を目一杯低くして一晩かけて焼くのよ」という新しい調理法に挑戦するのである。それを聞いた兄たちは、心配のあまり夜中のオーヴンをのぞきに行く。
オーヴンのダイアルの目盛りは、摂氏六十度になっていた。
「こりゃひどい」と彼はうしろについてきていたエドワードに言った。するとちょうどそのとき、チャールズも台所にはいってきた。だぶだぶのくたびれたパジャマ姿の彼は、ダイアルをのぞくと、溜息をついて言った。「これだけじゃない。こいつにはもう詰めものもされてるんだ」
「すばらしい」
「詰めものが二クォート。確かそう言ってた」
「うじゃうじゃと群れたバクテリアが二クォート」

最後に温度をあげて焼いたこの七面鳥、兄たちが内幕を暴露したため、みんな急にベジタリアンになってしまうが、にもかかわらず、男気を見せてひとりせっせと食べる人物と、こののちローズは結婚することになる。

おそらくふつうは200℃~250℃ぐらいで一時間ほど焼くのではあるまいか。いいにおいがあたりにただよってくると、できあがりなのである。
だが、なにしろ大きい。九人で延々と食べても残る。残った肉はスライスしてとっておき、しばらくターキー・サンドイッチを食べる日々が続くのである。

英会話教室でバイトをしているころ、講師の一人に「ターキーはどこで買えるか」と聞かれたことがある。まだパソコンもなく、検索して調べることもできない。東京なら紀伊国屋(本屋じゃないほう)に行けばあるだろうとは思ったのだが、東京ではない。ちょっと調べてみるよ、と言っておいて、デパートの地下の食肉コーナーをいくつか回ってみた。食肉コーナーではなく、ホテル系列のお総菜屋(とは言わないか。デリカ・テッセンかな)にあるのを確かめ、そこの場所を教えてやったのである。

後日、別の講師からその顛末を聞いた。
「ピートさん、Turkey 買いに行きましたね。" Turkey あるですか?" ピートさん、聞きました。でも、売り場のひと、"Turkey" わかりません。ピートさん、手、バタバタさせて、クォーックォックォッ鳴きました。わたし、知らないふりで歩いて逃げました」

七面鳥というのは、どうやら“クォーックォックォッ”となくものらしい。

愛されてお金持ち?

2007-11-24 21:58:22 | weblog
M.J.アドラーとC.V.ドーレンの『本を読む本』(外山滋比古 槇未知子訳)は、本をどう読んだらいいかを教えてくれる、きわめて実践的な教科書のような本である。文学作品はともかく、いわゆる「固い本」をどう読んだらいいのか、わたしはほとんどすべて、この本から学んできたような気がする。出たのはいまから十年くらい前なのだけれど、いまだにときどきこの本に戻ってくる。

さて、この本が教えることのひとつに、「タイトルに注意する」というのがある。
多くの人は本の題名くらいわかっていると思っているが、実のところ本当に注意深く表題を読んで、その意味を考えている人は少ない。
 …略…ギボンはローマ帝国について有名な長い本を書いた。『ローマ帝国衰亡史』という書名はたいがいの人が知っている。けれども、さっきの二十五人(※この例の前に、ダーウィンの『種の起源』というタイトルについて二十五人に聞いたところ、半数以上が "The Origin of Species" というタイトルを "The Origin of the Species" と記憶していたということが述べられている)に、第一章が「アントニヌス朝時代の帝国の版図と軍事力」と名付けられているのはなぜかとたずねると、見当がついた者はひとりもいなかった。表題に「衰亡」史とあるからには、話はローマ帝国の最盛期からはじまって、週末にいたるという構成をとるだろうとは考えつかないのだ。無意識に「衰亡」を「興亡」と翻訳してしまっているのだ。

 表題をよく読めば、読みはじめる前にそのほんの基本的な情報を得ることもできるはずだ。たいていの人は、もっと身近な本についてさえ同じ誤りを犯している。
以来、わたしは本の表題には格別の注意を払ってきた。佐藤信夫の本に『レトリック感覚』『レトリック認識』『レトリックの記号論』という、装丁もそっくりな三冊の本があるのだが、わたしはこの表題にも注意おさおさ怠りなく、感覚と認識のちがいに注意を払い、感覚と認識がどうちがうものなのか、頭を悩ませてきた。悩ましすぎて、「鴎外の引用は『感覚』か『認識』のどっちかに出てきた」「換喩は『感覚』か『認識』のどっちかにある」というふうに、確かめたいときはつねに二冊ひっぱり出さなくてはならないことになってしまったのである(『記号論』は幸いなことに扱っている内容がちがうのである)。

ともかく非常に素直なわたしは、以来、つねに表題を正確に理解しようとしてきた。そうして、多くの場合は表題はありがたい道しるべになってくれたのである。たまに『モモレンジャー@秋葉原』(鹿島茂 文藝春秋社)のように、首をひねりたくなるタイトルはなくはなかったが、これは著者が鹿島茂なので悩む前に手に取ることにするのである。

さて、先日図書館のカウンターで貸し出し手続きを待っているあいだ、すぐ目の前の予約本の棚に『愛されてお金持ちになる魔法の言葉』という本があった。
アドラーとドーレンの言う「多くの人は本の題名くらいわかっていると思っているが、実のところ本当に注意深く表題を読んで、その意味を考えている人は少ない」を頭にしっかりと刻み込んでいるわたしは、注意深く表題を読んで、その意味を考えたのである。

まず思ったのは
ア.愛されて
イ.お金持ち
という直接的な関係を見いだすことができないふたつのことばがいとも無造作につながれていることである。

「炊事洗濯」なら近接のふたつの言葉である。「原因結果」であれば「原因」と「結果」という密接に関連する言葉をつないである。「構造分析」ならば「構造」を「分析」してあることが予測される。だが「愛されて」「お金持ち」のあいだには近接関係も、因果関係も見いだすことができない。まるで「コーヒーを飲んで電車がとまった」という意味の整合しないふたつの出来事が機械的に結びつけられているような奇妙な印象を受けたのである。

にもかかわらず、この著者が「愛されてお金持ちになる」という、相互に無関係なふたつのできごとをひとつの文章にまとめたのには、おそらく何らかの意図があるにちがいない。

わたしの前ではおじいさんが山本穣二の「愛されてナントカ」というタイトルのCDが図書館に所収されていない、と言い、司書は「そんなCDはそもそも発売されてない」という平行線をたどる議論を続けている。わたしはその時間を利用して、このタイトルの考察を深めることにしたのである。

まず、この作者は「愛されてお金持ちになる」というタイトルには、潜在的なニーズがあると予想したにちがいない。確かに「愛されること」を望む人は多いだろうし、「お金持ちになる」ことを望む人も多かろう。だが、愛されることを望む人は、たいていそれだけを求めているのではあるまいか。わたしの経験からいって、恋愛をしてしまうと多くの場合大変お金がかかるものなのである。愛されるというのは、経済効率に反する行為であるように思われる。また、「お金持ちになる」というのは、経済活動に邁進するということである。つまり、「愛される」ことと「お金持ちになる」ことは、根本的に相反することではあるまいか。

そこでわたしはタイトルの後半に気がついたのである。「魔法の言葉」とあるではないか。
つまり、これは呪文の修得を目標とした本なのである。
「愛される」「お金持ちになる」という相反することを可能にする「魔法の言葉」、「漫画を読む」「テストで好成績を収める」という相反することを可能にする「魔法の言葉」、「アイスクリームを食べる」「ダイエットをする」という相反することを可能にする「魔法の言葉」……おそらくそのような呪文が山のように載っている本であるにちがいない。

わたしもそのうちリクエストしてみよう、とは思わなかったが、内容が推測できて、わたしは大変に満足したのである。

怒る人々 その7

2007-11-23 22:26:33 | 
その7

喜怒哀楽という。出来事に遭遇するわたしたちは、それを受けて、さまざまな心境の変化を経験する。
ある出来事のために不快な感情が生まれる。

この不快感をどうするのか。
多くの場合、わたしたちは怒りを飲み込んでしまう。怒る人がでてくると、物事の進行は滞り、怒りは周囲に不快感をもたらすからである。
『それから』の代助は言う。
「人を怒らせるのは、怒らせる事自身よりは、怒つた人の顔色が、如何に不愉快にわが眼に映ずるかと云ふ点に於て、大切なわが生命を傷ける打撃に外ならぬと心得てゐた。」
他人の怒った顔を見るのは生理的に耐え難い。それぐらいなら怒らせない方がまし、短い間のことではあるし、自分さえ我慢していればそれですむ。

このようなことを続けているうちに、わたしたちは自分の怒りというものを徐々に感じなくなってしまう。「黄色い壁紙」の主人公は最初、夫に対して漠然とした怒りを感じているが、夫のはっきりした怒りの前に自分の怒りを引っ込める。
 ときどき、ジョンにはわけもなく腹が立つことがあるのだけれど、以前には、ここまで神経を尖らせることはなかった。おそらくはそれも精神状態のせいなのだろう。

 けれどジョンはわたしがそう言うと、きみは自制心が足りないんだ、と怒る。だからわたしは苦心してなんとか自分を抑えるようにする――少なくとも夫の前だけでは。そうするとひどく疲れるのだけれど。
こうした「疲れ」が蓄積していき、さいごには狂気に陥ることになる。

わたしたちが笑うことをつねに抑制しなければならなくなったとしたら、それは恐ろしいことだろう。喜んだり、楽しんだりの表出は、もちろん時と場合をわきまえなければならないにせよ、その存在そのものを否定されることはない。だが怒りはネガティヴな感情として否定される。わたしたち自身が自分が感じている怒りを否定してしまうのだ。そうやって抑圧していくことを繰り返していけば、その怒りも徐々に感じられなくなってくる。だが、感じない、といっても、意識レベルで感じないだけで、実際には感じている。相手の行動に、本来なら反対し、抵抗しようと怒りが生まれてくるところが、発散されないまま蓄積され、徐々にわたしたちを損なってしまうのである。

喜んだり笑ったりする感情の表出があたりまえであるように、怒りや悲しみの表出もまたあたりまえのことだろう。まずそのことを認めよう。問題はそこから「どう怒るか」なのである。
 愛についての忠告には私も飽きあきしている。書物や講演はもとより。テレビ討論までが愛の驚異を説き、女、男、動物、植物、食堂の家具にいたるまでをいかに愛すべきか、さらには全人類を愛することから生じる喜びを説くのにはうんざりさせられる。たしかに愛は素敵、愛はすばらしい。私もそう思うにやぶさかではない。しかし「愛こそすべて」とひっきりなしに、こうもうるさく吹きこまれると、人間的感情の価値についていやでも誤解が生じてくる。
 しからば、怒りについてはどうなのか。なぜ、これら人間的感情の専門家は一人として怒りについて有益な発言をしてくれないのか。……私たちに必要なのは、「いかに愛するか」についての新しい本ではなく、「いかに怒るか」についての簡単明快な忠告である。
(ラッセル・ベイカー『怒る楽しみ』新庄哲夫訳 集英社)

ということで、どう怒るかについて考えてみた。

1.まず前提として、怒りは自分の感情の表出であって、解決に寄与するものではない、ということを理解する。

怒りをぶつけている人の多くは、自分の怒りを表明することで、相手に事態を改善させようとしている。だが、自分の怒りを相手が理解してくれる保障はどこにもないし、さらに同意してくれる可能性はいっそう低いと考えた方がいい。自分が不快であると伝えることは大切だが、事態の改善は怒りとは別個に検討すべきことがらである。

2.怒るときは、相手の怒りも受け止める。

壁を叩くときや柱をけっとばすときはともかく、多くの場合、怒りをぶつけるのは相手である。そうして多くの場合、こちらの怒りは相手の怒りを引き出す。自分ひとり怒って、相手はそれを聞いてくれる、というのも、あまりにムシのいい話だ。怒りの応酬というのも、コミュニケーションの一種なのである。

3.自分ばかりが正しいわけではない。

わたしたちは限られた情報しか持っていないし、自分の立場からしか理解できない。相手には相手の立場があり、考え方があるのだ。怒りを表明することはかまわない。だが、自分がまちがっているかもしれないし、あとで思い違いに気がついて恥ずかしい思いをするかもしれない。そのことは忘れるべきではないだろう。

だがこうしたことは実際に怒りだしてみれば、どこかにいってしまうにちがいない。
だからこそ、ふだんから考えておく必要があるように思うのである。

怒りがコミュニケーションの一種ならば、経験を積んでスキルをあげていくことも可能である。なによりも、自分の中に不快感を蓄積させないために、うまい怒り方を学んでいく必要があるだろう。
怒りとは、身体に密着した感情であり、怒りが高じるとぶるぶる身体が震えてきたり、顔が紅潮してくる。弱い場合でも、歯を食いしばったり、心臓の鼓動が速くなったり、目つきが鋭くなり目が据わってくる。つまり、攻撃性をはじめから含みもつ感情であり、まだ具体的に相手を攻撃しないまでも、身体の全体がすでに攻撃の準備段階に入っている、そんな感情です。
(中島義道『怒る技術』PHP)
必要なときに自分の身体をこういう状態に持っていくことは、適切なこと。そうして、自分の怒り方を見つけていけばいい、と思うのである。

怒る人々 その6

2007-11-22 23:26:37 | 
その6.

店や病院の受付けや駅や図書館のカウンターで怒っている人を見ると、わたしたちはそれが赤の他人であっても、そうしてわたしたちが怒りをぶつけられている当事者ではなくても不愉快になる。怒りに満ちた声は、わたしたちに不快感を起こさせる。

そう思っているのは、わたしたちだけではない。夏目漱石の『それから』の主人公代助は、いっそう鋭いかたちでそのことを意識している。
彼の近頃の主義として、人と喧嘩をするのは、人間の堕落の一範鋳になつてゐた。。喧嘩の一部分として、人を怒らせるのは、怒らせる事自身よりは、怒つた人の顔色が、如何に不愉快にわが眼に映ずるかと云ふ点に於て、大切なわが生命を傷ける打撃に外ならぬと心得てゐた。彼は罪悪に就ても彼れ自身に特有な考を有つてゐた。けれども、それが為に、自然の儘に振舞ひさへすれば、罰を免かれ得るとは信じてゐなかつた。人を斬つたものゝ受くる罰は、斬られた人の肉から出る血潮であると固く信じてゐた。迸しる血の色を見て、清い心の迷乱を引き起さないものはあるまいと感ずるからである。代助は夫程神経の鋭どい男であつた。だから顔の色を赤くした父を見た時、妙に不快になつた。
(「それから」九の四)

代助が喧嘩をしない、つまり、自分が相手に対して怒らないのは、怒った人の顔が不快で、それを見ていると「大切なわが生命を傷ける打撃に外ならぬ」と感じているからなのである。

この代助はいわゆる高等遊民、父親の庇護を受けて、社会から超然として生きている。働こうと思えば、不愉快な目にも遭わなければならないが、働かなくてもすむのなら、人との接触は最小限にすませ、目の前の人間を怒らせないようにしておけばそれですむのである。喧嘩をしない、ということは、つまり自分が相手に対して怒ることもない。もちろん代助が働かないのには、「そりや僕が悪いんぢやない。つまり世の中が悪いのだ。もつと、大袈裟に云ふと、日本対西洋の関係が駄目だから働かないのだ」という理由がある。つまり、彼は日本の状態に我慢がならないのだが、自分一人が何をしてもどうしようもない、という諦観を同時に感じているのでもある。

代助は過去に愛していた三千代を友人の平岡に譲った経緯がある。三千代と結婚して地方へ行った平岡は、三年後、事業に失敗し、金も失って東京に戻ってくる。彼らに生活費を用立てることから、再会した代助は、平岡夫妻のあいだにすでに愛がなくなっていることを知り、三千代は病気になっている。三千代とふたたび生きようとする代助だったが、平岡が父親に暴露したために、父親からの援助はうち切られ、代助は自活の道を探さざるをえなくなる。

そうするなかで、自分の愛を貫こうと思えば、代助はさまざまな怒りに自らをさらしていかざるをえなくなる。代助自身は、三千代に会わせまいとする平岡に対して「残酷だ」ということはあっても、怒りをむき出しにすることはない。それでも、自分に向けられた怒りは、正面から受け止めていく。つまり、代助の成長は、怒りを受け止める、ということに表されているのである。

ここでわかるのは、社会の中で生活していくということは、時に理不尽であり、それぞれの思惑を抱えた他人の怒りにさらされるということでもあるのだ。

(最後までいかなかったので続きはまた明日)

楽屋オチを少々

2007-11-21 22:31:21 | weblog
すいません、今日は続きのログを書けてません。

実は急ぎの頼まれ仕事が入って、たいがいそういう話がわたしのところまでまわってくるってことは、もうほんとうに人はいない、時間もない状態なんです(流しそうめんの一番下みたいなもんです)。そこで帰る道々、今日はお米を炊く暇もないや、何か買って帰ろうか、なんてなことを考えながら、家へ帰るや、かばんを置くのももどかしくパソコンを立ち上げてねじり鉢巻き(えらく古典的な換喩だなあ)でせっせとやっておりました。時間がない、これはかなりやばい、そうなるとよくしたもので、頭の中にあるふだん開かない奥のほうの扉がぱかっと開くんです。そうして約三時間、全体の目鼻がついたころ、いましがた電話がありました。

「あ、あれいいから。もう必要なくなった」


ウリャァ!! (ノ-_-)ノ ~┻━┻・..。;・'


いや、いいんです。わたしのところに来るのなんてどうせそんなもの。

ところがここからは気持ちをすっきりと入れ替えて、というわけにはなかなかいかない。

昨日はちょっと力が入らなくて、どのくらい力が入らなかったかというと、ぼけーと Bon Jovi の"Open All Night"を聴いてしまうくらい、まあ脱力というか、精神的に自堕落になっておりまして、今日は今日とてネジが切れてしまったので、すいません、今日も続きではありません。

ということで、ちょっと思ったことなど。

「晩ご飯、何食べた?」のなかの「蕎麦屋」のログを書いたときに頭にあったのは、なかなかだれも気がついてくれないから、つい書いちゃうんですが、「等価交換」ということでした。
わたしたちの行動のベースには、この「等価交換」があります。「やられたらやり返せ」という発想にしても、「自分がしてほしくないことは相手にもしない」という発想にしても、「わたしがこれだけしてあげたのだから、あなたはそれに対してお礼を言うべきである」という発想にしても、あるいはこれは正しい、あれは間違っているという発想にしても、あるいは「あの人は自分の友だちにふさわしい」「彼に彼女はもったいない」という発想にしても、あらゆること、といっていいくらい、等価交換の法則というのは幅を利かせている。

だけど、市場原理ではなくて、人間と人間が関係を作っていこうとするときに、そんなに等価交換の発想のままでいていいものなんだろうか、という疑問がわたしにはあります。いま書いている「怒る」ということもその延長上にあるんですが。

たとえば誰かから不愉快な仕打ちを受けたとする。それに対して「あなたはこういうことをした、そういうことはすべきではない」と言うことは、確かにまちがってはいない。けれども相手には、そうしなければならないのっぴきならない事情があった場合、そうすべきではなかった、と指摘することには、あまり意味はありません。むしろ、その事情を理解することを通してしか、相手のことは深く知ることができないのではないか。

あるいは、不愉快な仕打ち、と考えること自体が、たとえば相手の一見してわかる資質を見て、「この人だったらこうしてくれるはず」と勝手に期待をしてしまうことから来ているのではないか。そこに相手がその期待にそぐわない行動をとったことで「不愉快」を感じているだけなのかもしれない。
そういうときに感じる、「わたしはこう思っていたのに(それに応えてくれない)」という不満は、わたしたちがどうしても日常経験してしまうことではあるのですが、確実に人との関係を損なうように思うんです。

相手は自分の求めているものを与えてくれないかもしれない。
かといって、相手に何も求めない、ということも、実際にはできることじゃない。
それでも、どうかした拍子に、自分が求めているのとはちがうものが、すでに自分には与えられていることに気づく。
そういうとき、逆に、自分がこれまであれほど望んでいたものが、自分に与えられているものと比べたら、どれほどちっぽけな、くだらないものだったか、ということもわかってくる。自分の望みばっかりに目を奪われていたらそれには絶対に気がつかないだろうけれど。そうして、そのことに気がついたわたしというのは、気がつかなかったころのわたしとは、ちがったところからいろんなことを見ることができるようになっているのだと思うんです。

そういうことを通じて、この「等価交換」は決して唯一万能のルールじゃないんだ、ってことに気がつくことができたら、少し、わたしたちは自由になれるんじゃないか。

こういうことは、それに対応するような具体的な経験のないところでは、どれだけ書いてもわかることではないのかもしれない。わたし自身もやっぱりそんなふうな具体的な経験を通してそういうことを考えるようになったわけで、書いていくときももっと具体的にしていかなきゃいけないのかもしれないんですが、まあ伝わらないなーと思ったんで、書きたかったのはそういうことであるよ、と書いてみました。
まあ、ここを読み取ってほしい、と願うこと自体、等価交換を求めている行動ではあるんですが。わかってるんですけどね。

ということで、明日こそがんばって「怒る人々」を着地させるつもりでおります。
今日は堕落を誘うBon Joviは聴かないぞ、ということで、それじゃまた。

怒る人々 その5

2007-11-19 22:43:52 | 
その5.怒りをどう受け止めるか

昨日見た芥川龍之介の「忠義」という短編は、「怒り」というものを考察する際に、非常に参考になる作品である。

まず、主君の板倉修理の怒りがある。
彼の怒りは、外的な原因があるというより、彼自身の精神的な不調にあるらしい。
こういう怒りをどう考えていいのか、わたしの手には負えない、むしろお医者さんの判断を仰いだほうがよい怒りであるように思う。だが、自分がこのように怒りだすときはまた別の問題なのだが、いきなり怒り出す人の存在は、わたしたちにとっては修理のようなものかもしれない。

この林右衛門が去ったあと、つぎの家老、田中宇左衛門の登場で、修理の状態は、いったん小康を得る。もし登場して前島林右衛門の消息を聞かれなかったら(あるいは、前島林右衛門が家中を出ることがなかったら)以降の事件は起こらなかったかもしれないのだ。

ここで林右衛門と宇左衛門の修理の怒りの受け止め方の違いを見てみよう。
林右衛門にとって大切なのは、「家」であって修理ではない。
「家」を第一に考え、修理を諌める。そのことで修理はいよいよ荒れていく。

それに対して宇左衛門は乳人(乳母の男性版)であったために「彼は親のような心もちで、修理の逆上をいたわった」。そのために修理の心も穏やかになっていく。

この両者の対極的な対応と、それに対する修理の反応は、わたしたちにも非常に納得がいくものである。これはイソップの「北風か太陽か」という問題ではない。

林右衛門というのは「本家の板倉式部から、附人として来ているので、修理も彼には、日頃から一目置いていた」「病苦と云うものの経験のない赭ら顔の大男で、文武の両道に秀でている点では、家中の侍で、彼の右に出るものは、幾人もない」存在である。つまり、身分こそ修理の下であるが、修理はコンプレックスを抱いているし、林右衛門のほうは尊敬していない。

林右衛門の念頭にあるのはあくまでも「家」であって、修理はその家に災厄をもたらしかねない存在なのである。その彼が諌めるのも、あたかも台風のルートを変えさせようとでもするようなものでしかない。修理など、林右衛門にとっては単なる「手段」でしかない。であるから、彼はふさわしくない主の首など簡単にすげ替えようとする。
一方、宇左衛門にとって修理は「手段」などではなく、「目的」なのである。

ここで仮に怒っている人がいるとする。
不幸にして怒りをぶつけられてしまったわたしたちは、林右衛門方式でいくか、宇左衛門方式でいくか。

もちろん相手との関係にもよるし、状況にもよる。宇左衛門のように「親のような心もち」で相対することができるときばかりではないだろう。それでも相手の言っていることに耳を傾けることはできる。怒っている相手に効果があるのは、正論で打ち負かすことでも、力で相手を圧伏させることでもないのかもしれない。

(最終回の明日は、いよいよどう怒ったらいいかを考えてみます)